展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか 感想

見どころ

…この展覧会は長い歴史を持つ人の似姿を描出した肖像芸術について、古代エジプト文明の遺物から近代の絵画・彫刻作品まで幅広く辿りながら、肖像の役割や芸術家たちの表現方法を探るものです。出品作は27年ぶりの来日となるヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」や、静物画であり寓意画でもあるアルチンボルドの「春」及び「秋」など、ルーヴル美術館の所蔵品112点によって構成されていて、多彩な肖像芸術を堪能できる内容となっています。
…人物を対象に描いた作品にも、歴史画・宗教画など物語性のある作品や親密な妻や恋人を描いた作品、団欒やレジャーなど日常生活における家族や友人を描いた作品と様々な種類があると思います。その中でも肖像は、モデルの一瞬の表情ではなく立場や人格なども表現し、本質を捉えることによって存在した証とする、作品とモデルとの緊密な結びつきが求められるジャンルと言えるでしょう。したがって、肖像はモデルを直接知る人にとってその人物に纏わる個人的な記憶や感情を呼び起こす拠り所となりますが、後世の人間が見る場合は、個別の人柄もさることながら、作品に表現された普遍的な人間性について感じ取ることになるのかもしれません。肖像画の醍醐味は極めて個人的でありながら同時に普遍的でもある両義性にあるのだろうと思います。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • 「1 記憶のための肖像」より
      • 「女性の肖像」(2世紀、エジプト)
      • 「ブルボン公爵夫人、次いでブーローニュおよびオーヴェルニュ伯爵夫人ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム」(16世紀、フランス)
      • ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」
    • 「2 権力の顔」より
      • 「『青冠』をかぶった王アメンヘテプ3世」(紀元前14世紀、エジプト)
      • 「トガをまとったティベリウス帝の彫像」(1世紀、イタリア)
      • イアサント・リゴーの工房「聖別式の正装のルイ14世
      • アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト」他
    • 「3 コードとモード」より
      • ヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」
      • エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像」
      • レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン「ヴィーナスとキューピッド」
      • ジャン=フランソワ・ガルヌレ「画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ」
  • その他 混雑状況、会場内の様子など
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ジョルジュ・ブラック展~絵画から立体への変容――メタモルフォーシス 感想

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見どころ

…この展覧会はジョルジュ・ブラックの最晩年の作品群、ジュエリークリエーターのエゲル・ド・ルヴェンフェルドとのコラボレーション「メタモルフォーシス」を紹介するもので、フランスのサン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラックメタモルフォーシス美術館所蔵作品を中心に、グワッシュ、陶器、そしてジュエリーなど101点が出品されています。
ジョルジュ・ブラックは20世紀美術を代表する前衛芸術家のひとりであり、「輝かしい自由を現代美術にもたらした(アンドレ・マルロー)」存在として、亡くなった折にはルーブル美術館前で国葬が営まれるほど尊敬を集めていましたが、それだけに「なぜジュエリーなのか」と問う声は制作当時からあったそうです。私もブラックと聞くと真っ先にキュビスムの作品を思い浮かべてしまい、ジュエリーを制作していたことも知りませんでした。しかし、視覚による幸福を触覚による幸福によって補いたいと考えていたブラックは、長年に渡り立体作品への意欲を持っていました。指輪の制作をきっかけに始まったルヴェンフェルドとのコラボレーションにより生み出された数々のジュエリーは、見るだけでなく、実際に手に触れ、美を身につける幸福や満足感をもたらしてくれる作品であり、ブラックの夢を結実させたものと言えるでしょう。展覧会ではもちろん見るだけですが、シンプルながら卓越したデザインのモチーフを眩い素材で造形した作品のきらめきを眺めているだけでも目の幸福を味わうことができると思います。

 

 

概要

会期

…2018年4月28日(土)~6月24日(日)

会場

パナソニック汐留ミュージアム

構成

 序章
  :初期のグワッシュ1点、油彩2点
 第1章 メタモルフォーシス―平面
  :グワッシュリトグラフなど29点
 第2章 メタモルフォーシス―陶器
  :陶器14点
 第3章 メタモルフォーシス―ジュエリー
  :ブローチ、指輪など31点
 第4章 メタモルフォーシス―彫刻
  :ブロンズなど12点
 第5章 メタモルフォーシス―室内装飾
  :ステンドグラス、タピスリーなど12点
…序章には絵画を学び始めた当初のブラックが描いた印象派風のグワッシュの風景画、分析的キュビスム時代及び主題追究期の油彩の静物画と、メタモルフォーシスに先行する各時期からそれぞれ1点ずつ作品が出品されています。本展のテーマであるメタモルフォーシスを紹介する第1章から第5章は作品の技法・素材別の章立てとなっていて、第1章はブラックによる平面作品、第2章以降はブラックの描いたモチーフを元にルヴェンフェルドによって制作された一連の作品から構成されています。モチーフはいずれもギリシャ神話に由来していますが、ブラックはヘシオドスの「神統紀」のエッチングを手がけたことをきっかけにギリシャ神話に興味を抱くようになったそうです。メタモルフォーシスの各章では、同じモチーフが繰り返し現れつつ、素材によって新たな表情を見せる変容=メタモルフォーシスを感じることができると思います。なお、4章には21世紀に入ってから新たに制作されたガラス彫刻も出品されていますが、作品が個人を超えて関係する多くの芸術家や職人に共有され、永続する生命を得られるのはコラボレーションならではと言えるでしょう。

感想

「楽譜のある静物

…「楽譜のある静物」は分析的キュビスム以後の時代の作品で、キュビスムの名残は見受けられますが、本作の一つ前に展示されている「静物」のような難解さはありません。絵の具には砂が混じっていて、実際に作品を前にするとカンヴァス上にその粒子が見て取れるのですが、これは視覚だけでなく触覚=手触りを感じさせるためだそうです。ブラックは自作について意味ではなくモノとしての存在感を表現したい、再現や象徴ではなくカンヴァスであり絵の具であり、ここにある物そのものであることを触ることで感じさせたいという考えを持っていました。描かれたモチーフもパイプや楽器など手に触れることのできるものですよね。晩年のメタモルフォーシスに繋がる発想は、早い時期からブラックの根底にあったことが分かる作品だと思います。

「メディアの馬車」

…「メディアの馬車」はブラックがギリシャ神話由来の主題を最初に取り上げた作品「戦車」が元になっているモチーフです。耳を立てて前足を大きく蹴り上げている馬の自然主義的な表現と異なり、メディアは記号的な線描によって形作られているのが特徴的ですが、風になびく長い髪や垂直な胴体と交差する波打つ線、そして大きく膨らんだ衣装(あるいは外套)の曲線に、抽象化された風の形を見ることができると思います。個人的には特に彫刻で再現された「メディアの馬車」が、ブロンズの重量感と空間を裂くような形体の鋭さが感じられて印象的でした。メディアの頭部には復讐の物語を想起させるような顔は描かれていないのですが、一陣の疾風と化したデザインからは吹き荒ぶ激情の嵐に己を委ねたメディアの、形体と一体化した内面を見て取ることができると思います。

「三つの恩恵(三美神)」

ギリシャ神話にはアグライア、エウプロシュネ、タレイアという三美神が登場しますが、古代ローマの哲学者・政治家であるセネカは彼女たちが恩恵を「与える」、「受ける」、「返す」という三つの面を象徴していると解釈しました。本作のタイトル「三つの恩恵」はそれを受けてのものです。出品作はごく小ぶりなブローチでしたが、暗い会場内で金とダイヤが一際キラキラと光り輝いていて、美神の名に相応しい美しさでした。美徳とは人の心を照らす光輝と言えるかもしれませんね。通例では美しい女性で表現される三美神がここでは三羽の鳥によって表現されていますが、鳥は三次元の空間の象徴であり、二次元の額縁という鳥かごから解放された自由を表現するものとして晩年のブラックが好んだモチーフなのだそうです。

「ペリアスとネレウス」「青い鳥、ピカソへのオマージュ」

メタモルフォーシスには鳥を用いたモチーフがいくつもありますが、中でも「ペリアスとネレウス」/「青い鳥」は繰り返し制作された重要なモチーフの一つだと思います。ペリアスとネレウスはデメテルとポセイドンの子で双子の兄弟であり、このタイトルの作品では青空を飛ぶ二羽の黒い鳥で表現されています。一方、「青い鳥」は「ペリアスとネレウス」と形は同じなのですが、青空は鳥の中に存在しています。「ペリアスとネレウス」で青空を模していた背景は、「青い鳥」ではカンヴァスに代わっているのでしょうか。何箇所か裂け目があるのは、二次元の世界からの自由を意味しているのかもしれません。空間の象徴である鳥の兄弟はピカソとブラック自身に準えたモチーフとも考えられ、キュビスムの作品を通じて20世紀の芸術を切り拓いた盟友への敬意と親愛の念を感じることができると思います。

「ペルセポネ」

…「ペルセポネ」はリトグラフ、陶器、指輪、ガラス彫刻、モザイク、タピスリーと多様な素材によって制作されていて、「メタモルフォーシス」を代表するモチーフの一つです。神話のペルセポネは、ハデスに連れ去られたことを嘆いた母デメテルの懇願によって地上と冥界を往き来して暮らすことになったのですが、髪に花を飾った横向きの顔と憂わしげな正面向きの顔が組み合わされたキュビスム風のモチーフは、春の女神と冥府の女王という二つの顔を持つ女神に似つかわしいデザインのように思われます。元となる平面作品の「ペルセポネ」は白と黒のみで描かれているのですが、ガラス彫刻の「ペルセポネ」は肌の温度を伝えるような温かみのあるオレンジ色で印象に残りました。ブラックは立体作品の素材や色などについて、ルヴェンフェルドの自由な発想に委ねていたそうです。また、元のデザインで白い面は滑らかに、黒い面は凹凸があり光が透過しにくいように仕上げられていて、素材の特性を効果的に生かしているように感じられました。一方、モザイクによる室内装飾はモチーフのシンプルな線が引き立つとともに、テッセラの目地が物としての存在感を明確に意識させます。個人的には最初にリトグラフの「ペルセポネ」を目にしたとき洒落ていてモダンなセンスを感じるモチーフだと思ったのですが、モザイクの作品を見ると古代風の雰囲気がモチーフによく合っているように感じられたのが面白かったです。「メタモルフォーシス」を実現するには多様な素材による制作が可能で、反復しても飽きの来ない、むしろ新たな魅力が見つかるようなシンプルかつユニークなモチーフが必要であり、ブラックの卓越したデザインセンスがあってこそ実現した作品群だと思いました。

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは5月19日(土)の午後でしたが、混雑はなくゆっくり作品を見ることができる状態でした。本展には音声ガイドはありません。所要時間は60分~90分程度を見込んでおくと良いと思います。
…2章~4章は展示室内の照明がかなり暗いです。おそらく、金などを使った立体作品やジュエリーの輝きを引き立てて見やすくするためでしょう。また、暗さを生かして床や壁に映像が投影されているので、それを眺めるのも楽しいです。
…会場内には作品やモチーフとなったギリシャ神話の解説表示がありますが、図録に掲載されているのは各章の冒頭の解説文のみです。必要に応じて、会場内でメモを取っておくと良いかもしれません。
…会場入口外では映像解説が上映されています。時間は10分程度で、ブラックがなぜ最晩年にジュエリー作品を制作したか当時の映像もふんだんに用いて解説しているので、時間に余裕があればご覧になることをお勧めします。

ターナー 風景の詩 感想

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見どころ

…この展覧会はイギリスを代表する画家であり、風景画の歴史においても最も独創的な画家のひとりであるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)の芸術を紹介するものです。出品作はスコットランド国立美術館群をはじめ主にイギリス各地の美術館の所蔵する水彩画・油彩画69点と、郡山市立美術館の所蔵品を中心とする版画作品58点から構成されており、ウィリアム・アランによるターナー肖像画を除いて全てターナーの作品によって構成されています。
ターナーの風景画というと、「雨、蒸気、スピード―グレート・ウェスタン鉄道」など、大気と光を感じさせる抽象画のような革新的な作品のイメージが強かったのですが、この展覧会では特に若い頃のターナーが建物、あるいはその集合体である都市の複雑な構造を、遠近法を駆使して描いている作品も多く見ることができました。そうした風景の随所には、当時の庶民の日常生活が単なる点描としてではなく、自然や都市の景観と同じぐらいの重要性をもって生き生きと描かれていて、ターナーが目にしたであろう当時のイギリス社会が絵の中に再現されているのも印象的でした。また、本展にはターナーが下絵を手がけた版画作品も多数出品されていますが、ターナーはしばしば彫版師とやり合いながらも、自ら試し刷りを確認して指示を出し、質の高い作品の制作に取り組んだそうです。この展覧会では、ターナーらしい風景画を堪能できるのはもちろんのこと、これまであまり知らなかったターナー作品の新たな魅力を知ることができると思います。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • 人間と動物:「ハイ・グリーン、ウルヴァーハンプトン」「ヘリオット養育院、エディンバラ」他
    • 人工物―建築物と船:「マームズベリー修道院」「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」「セント・オールバーンズ・ヘッド沖」
    • 川、海、山、空:「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」「サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス」他
    • 大気と光:「オステンデ沖の汽船」「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」他
  • その他 混雑状況、会場内の様子

 

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プーシキン美術館展~旅するフランス風景画 感想

見どころ

…風景画は、その土地を知らない者が見ても描かれた景色の美しさを感じることができる、むしろ未知の土地であれば一層興味を惹きつけられることもある、誰にでも馴染みやすいジャンルではないかと思います。この展覧会はプーシキン美術館のコレクションのうちそうした風景画に焦点を当て、17世紀から20世紀のフランス絵画65点によって、近代フランス風景画の流れを紹介するものです。中でも日本初公開となるモネ「草上の昼食」は、明るい日差しにきらめく瑞々しい木立の緑がこの季節に相応しく、見る者を爽やかな戸外のひとときへと誘い出すような一枚です。
…絵画のジャンルとして風景画が生まれるのは17世紀以降であり、当初はその位置づけも決して高くはありませんでした。しかし、ジャンルとして成立する以前より、風景を前にした人々は壮大な自然や珍しい異国の風物、のどかな田園や華やかな都市にきっと驚きや憧れを心に抱いてきたことと思います。風景画の成立とは、素朴な感動が絵画という形になって表現されることで定着し、人々のあいだで共有されることで改めて風景の見方としてフィードバックされ、洗練され深化していく過程でもあるのではないかと思います。
…ところで、ロシアの美術館になぜフランス絵画なのだろうかと思いますが、これは18世紀以降フランス美術に憧れを抱いたロシアの王侯貴族が積極的に作品を収集したためとのことです。さらに19世紀後半に入り鉄道網が発達すると、最先端の美術品を求めて40時間以上の道のりをフランスまで出かける新たなコレクターたちも現れました。王侯貴族に代わって美術収集の活発な担い手となったのは実業家たちで、プーシキン美術館のフランス近代絵画コレクションの礎を築いたセルゲイ・シチューキンやイワン・モロゾフは当時を代表するコレクターでした。フランスの内外の地を実地で、あるいは空想の中で旅した画家たちの作品、それを求める情熱的なコレクターたちのロシアからフランスへの旅、そして今回、展覧会のために遙々海を渡ったコレクションの日本への旅。こうして考えると、一つ一つの作品の背後に幾重もの旅が重なり合っていることが分かります。旅はしばしば新しい世界を開く体験となりますが、絵画を眺めることもまた、描かれた世界――場合によっては現実に目にすることの叶わない遠い過去や空想の世界とそこに生きた人々、そして作品に託された画家の思いを体験するひとつの旅と言えるかもしれません。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • ブーシェ「農場」、クールベ「水車小屋」
    • コロー「嵐、パ=ド=カレ」「夕暮れ」
    • モネ「草上の昼食」「ジヴェルニーの積みわら」「白い睡蓮」
    • アルベール・マルケ「パリのサン=ミシェル橋」、マティス「ブーローニュの森」、ピカソ「庭の家(小屋と木々)」
    • ボナール「夏、ダンス」
    • ドニ「ポリュフェモス」
    • ルソー「馬を襲うジャガー
  • その他 混雑状況、会場内の様子等

 

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生誕150年 横山大観展 感想

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見どころ

…この展覧会は横山大観(1868年~1958年)の生誕150年、没後60年を記念した回顧展です。92点(うち本画84点、資料8点)の出品作品は全て大観の作品で、見どころは水の一生を描いた水墨画で全長40メートルを超える日本一長い画巻「生々流転」(重要文化財)の一挙公開、「夜桜」「紅葉」の同時展示(5/8~5/27)、「白衣観音」「彗星」など新たに見つかった作品の公開です。
…混雑が予想される展覧会で、個人的には行くかどうか直前まで迷ったのですが、行って良かったです。日本美術というと繊細でこじんまりとした作品をイメージしがちな私の先入観が良い意味で覆されて、大観のユニークな個性とスケールの大きさ、作品に傾ける情熱を感じることができました。比喩的に作品からエネルギーをもらうという言い回しをすることはありますが、見る前より見終わったあとのほうが本当に元気になる展覧会というのは初めてで、絵は実物を見なければならないと改めて思いました。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
    • 展示期間別作品一覧
      • 全期間展示
      • 4/13~4/19
      • 4/13~4/25
      • 4/13~5/6
      • 4/13~5/13
      • 4/20~5/13
      • 4/20~5/27
      • 4/26~5/6
      • 5/8~5/27
      • 5/15~5/27
      • 京都展のみ出品
  • 感想
    • 屈原
    • 「帰帆」
    • 「彗星」他
    • 「群青富士」、「霊峰十趣」
    • 「朝陽霊峯」
    • 「夕顔」、「野に咲く花二題(蒲公英・薊)」
    • 「或る日の太平洋」、「春光る(樹海)」
    • 「生々流転」
  • その他 混雑状況、会場の様子等

 

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ヌード展~英国テート・コレクションより 感想

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見どころ

…この展覧会は人間にとって最も身近であり、西洋芸術の永遠のテーマでもある裸体表現=ヌードについて、ヴィクトリア朝から現代に至る200年間の歴史の変遷を紐解くものです。出品作品は絵画、彫刻、版画、写真など約130点で、西洋近現代美術の充実したコレクションを誇るイギリスの国立美術館テートの所蔵品です。特に、1913年に英国のルイス市庁舎に貸し出された際に物議を醸して、覆いをかけられてしまったというエピソードもある官能的なロダンの大理石彫刻「接吻」は、今回が日本初公開となります。
…ヌードをテーマにした展覧会ということで、私は昨年から楽しみにしていたのですが、実はヌードを切り口にした大規模な展覧会というのはあまり前例がないのだそうです。テーマとしては大きすぎるのかもしれないですね。例えるなら、恋愛をテーマに文学を語ろうとしたら逆にどこから手を付けて良いか戸惑ってしまうようなものでしょうか。この展覧会はその大きなテーマに正面から取り組んでいますが、ヌードという共通項以外は時代背景や作風、テーマによって大きく表現の異なる幅広い作品が集まっていて、展示を見ている間はヌードを意識するよりも、それぞれの作品に込められたものについて考えさせられました。モデルの個性に着目する作家もあれば、より普遍的な身体の形状に着目する作家もあり、愛や性が描かれている作品もあれば、生命を問う作品もありと、多義性をはらみつつ、いずれも人間の本質と直接結びついているのがヌードなのだと思います。私は美術作品を見るのが好きで、正直、美術館に裸体を表現した作品があるのは当たり前という感覚になってしまっているのですが、もしかしたら今回の展覧会は普段ヌードを見慣れていない方のほうが発見があり、面白く感じられるかもしれません。

概要

会場

横浜美術館

会期

…2018年3月24日~6月24日

構成

1 物語とヌード:19世紀ヴィクトリア朝時代
2 親密なまなざし:19世紀後半
3 モダン・ヌード:20世紀初め
4 エロティック・ヌード
5 レアリスムとシュルレアリスム戦間期
6 肉体を捉える筆触:1950年代以降
7 身体の政治性:1970年代
8 儚き身体:1980年代
…19世紀以降現代まで、概ね時代順の構成ですが、同じヌードというテーマでありながら、200年の間に表現方法が大きく変化したことが感じられる内容となっています。変わったのは裸体ではなく、社会であり認識なのでしょう。なお、4章のみはセクシャルな表現のある作品が時代横断的に集められて展示されています。

ロダンの「接吻」について

…この展覧会に出品されているロダンの「接吻」はテートの所蔵作品ですが、「接吻」は複数存在し、たとえば国立西洋美術館にはブロンズ製の「接吻」が所蔵されています。しかし、ロダンの生存中に制作された大理石像の「接吻」はロダン美術館、ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館、そしてテートの3体のみです。なお、本作は他の大理石彫刻と同じく、ロダンの指示のもと彫刻家リゴーが大部分を制作したそうです。
…「接吻」はもともと「地獄の門」の一部として構想されたものの、その後切り離されて独立した作品となりました。最初の大理石像はフランス政府からの発注を受けて制作され、リュクサンブール美術館を経て現在ロダン美術館に所蔵されています。テートのコレクションとなっている作品は、英国在住のアメリカ人コレクター、エドワード・ベリー・ウォーレンが1900年に依頼したものですが、1913年にウォーレンからルイス市庁舎に貸し出されたところ、不倫を扱った上にエロティックすぎるという理由から騒ぎになり、わずか2年で返却されてしまいます。ウォーレンが亡くなった後は競売に掛けられたものの買い手がつかず、紆余曲折を経て1953年にテートのコレクションとなりました。真実の愛の姿を形にしたために物議を醸した「接吻」ですが、安住の地を得て今日では世界的に広く称賛を勝ち得ています。

テート(TATE)とは

…テート(TATE)とは、1897年、実業家のヘンリー・テートのコレクションとナショナル・ギャラリーが所蔵するイギリスの作品を元に開設されたテート・ギャラリーが2000年に改組されたもので、テート・ブリテン、テート・モダン、テート・リヴァプール、テート・セント・アイヴスの4つの施設から構成されています。16世紀から現代に至る英国美術を展示するテート・ブリテン、国内外の近現代美術を展示するテート・モダンというように、施設ごとの特色・役割分担がある一方で、美術館の核となるコレクションは4つの施設で共有されているそうです。展覧会のサブタイトルが「テート・コレクションより」となっているのはこうした経緯の上でなんですね。

感想

フレデリック・レイトン「プシュケの水浴」

…「プシュケの水浴」は縦の長さが横幅の約3倍と細長く、腕を上げたプシュケの立ち姿と背後の柱、すらりと伸びたプシュケの裸体に纏い付く白い衣の襞が垂直性を強調していて、脱ぎ捨てられた黄色い服が流れ落ちるように足元の水の中へと視線を誘導しています。水鏡に映った自分の姿に見入る描写はナルシスの神話を連想させますが、思わず見惚れるのも無理はない美しさですね。神話では人間のプシュケが女神のアフロディテより崇拝を集めたため女神の怒りに触れてしまうのですが、女神の怒りはエロスとプシュケを引き合わせるきっかけともなりました。地上のものではないようなプシュケの美しい姿は同時にエロス=愛を得た魂の美しさであり、この作品は愛のもたらす幸福に魂が陶酔している様を描いているようにも思われます。愛を得て完全なものとなった魂を表現するには、非の打ち所のない理想的な肉体こそ相応しいのかもしれません。

アンナ・リー・メリット「締め出された愛」

…建物の外に立ち、腕を伸ばして精一杯ドアを押している裸の人影。小柄で性別の見分けがつかない後ろ姿から、人影は子供だと思われます。女性画家がヌードを描くことにまだ社会の抵抗があった19世紀末において、子供の裸体は素朴で自然なものと見なされ、女性が描くことも許容されていました。この作品の主眼の一つが、緩やかな曲線を描く裸体の表現にあることは確かでしょう。それにしてもどうして締め出されたのだろうか、と思ってよく見ると子供の足元には矢が落ちていて、タイトルにある愛とはクピドのことを指していると分かります。描写は写実的ですが、描かれているのは象徴的な場面なんですね。薔薇の花はクピドの母ヴィーナスのアトリビュートで愛の象徴であり、穴の開いた容れ物は失われたものは取り返しがつかないことを暗示していると考えられます。実は「締め出された愛」は結婚して間もなく亡くなってしまった夫への追悼としてメリットが描いたものであり、扉は墓所の扉なのだそうです。クピドの後ろ姿は、黄泉への扉に隔てられて締め出されてしまったやり場のない愛の姿でもあります。俯いたクピドの表情は影になって見えませんが、緩やかな曲線を破って真横に突き出された両腕には、聞き分けのない子供のように、喪失を受け入れがたく感じている画家の悲しみが込められていると思います。

ハーバート・ドレイパー「イカロス哀悼」

…岩の上に仰向けに横たわる裸体の青年。その両腕に取り付けられた翼から青年はイカロスだと分かります。周りには水の精が集まってイカロスの死を嘆き、背後の断崖を日没前の太陽が照らしています。水の精に抱えられたイカロスのポーズはピエタに準えたものですが、一方で、画面一杯に広げられた翼は背中から生えているようにも見えて、あたかも天使のようです。神話のとおりであれば蝋が溶けた翼は宙に散って海に落ちたはずですから、ドレイパーは身体の何倍もあるこの大きな翼を描きたかったのでしょう。神話自体には若者の無謀さや人間の奢りを戒める意味合いがあると思われますが、この作品では教訓よりも悲劇性が前面に出ている印象を受けます。叶わぬ憧れを抱いて挫折する人間の宿命。あるいは、人類の永遠の夢でもある空への飛翔は、天上の世界への魂の希求と重なるとも考えられます。力なく横たわる土気色の肉体と対照的に、残された天使の翼は再び羽ばたきそうにも見えますが、儚い現し身から解放されたことで、イカロスの魂は天上の世界へと飛び去ったのかもしれません。

ピエール・ボナール「浴室の裸婦」「浴室」

…ボナール「浴室の裸婦」は、明るく温かみのある色彩に柔らかく包み込まれるような皮膚感覚を覚える作品です。レースのカーテン越しに昼の日差しが差し込む浴室には白い浴槽が置かれ、赤と黄の敷物や椅子に置かれた青い服(あるいはタオル)と色彩が対比されています。見下ろすような視点から、入浴中の人物の湯の中に漂う脚のみが描かれている構図が印象的ですね。浴槽に浸かっているのはボナールの妻のマルトで、もう一人、部屋の奥に立っていてやはり脚のみが見える人物はボナール自身だと考えられるそうです。では、この画面は誰の視点で描かれているのでしょうか。ボナールは対象の第一印象を大切にするために、あえて記憶を頼りに描くことを好んだそうですから、この作品も記憶にある情景を元に再構成された可能性があります。また、ボナールは制作に当たって写真を活用したそうなので、身体の一部のみが切り取られたインパクトのある構図は写真の影響もあるかもしれません。ところで、ヌードを描いた作品にはしばしば水が存在します。泳いだり入浴したり、水に入るときには自然と裸体になるため、ある意味当然のことなのですが、例えばレイトンの作品ではプシュケの姿を写す鏡としての役割、ローレンス・アルマ=タデマの作品では裸体のフィルターとしての役割と、作品ごとに異なる意味合いを持って描かれています。ボナールの「浴室」に描かれたマルトの場合、浴槽に寝そべり水に浸かっている姿は、まるで揺り籠に身を委ねているように感じられます。ボナールの描く水は羊水のような水であり、デリケートな裸体は剥き出しの外気に晒されることなく、部屋、浴槽、水という三つの膜に包まれて守られている、そんな印象を受けます。マルトは結核の治療のために水療法を試みていたそうで、頻繁に入浴する妻の日常はそのままボナールの日常だったのでしょう。妻を労り、優しく見守る画家の眼差しに見る者までが包み込まれるような作品だと思います。

ウォルター・リチャード・シッカート「オランダ人女性」

…ホイッスラーとドガに学んだウォルター・リチャード・シッカートは、1880年代後半からロンドンの新しい美術の中心的存在となり、主に都会の労働者階級をテーマに作品を制作しました。写真をもとに描いた後年の作品はポップアートの先駆とされるなど、イギリスのモダン・アートの発展に寄与した画家として評価されてもいます。しかし、切り裂きジャック事件に強い関心を寄せてジャックが一時住んでいたと言われる部屋を借りたり、「切り裂きジャックの寝室」など事件に触発された作品を残したりしたため、「切り裂きジャック」事件の容疑者の一人として有名になってしまいました。*1。百三十年も前の事件の真相は不明ですが、シッカートの作品に社会の暗部を取り上げたものが多いことは確かでしょう。「オランダ人女性」に描かれた裸婦は暗い部屋の中で粗末な鉄柵のベッドに身を横たえ、容貌も判別できません。女性は足を組んで見せつけるような挑発的なポーズをとっていますが、愛や官能の気配は感じられず、即物的に描かれています。売春で糊口を凌ぐ女性の苦労や嘆きへの共感、あるいは逆に自堕落さや淫蕩さへの批判といった価値判断もここでは一切介在せず、冷徹な画風だと思います。シッカートは、ヌードは現実の環境に置かれることによってはじめて、裸であることが意味を成すと主張したそうですが、無情な現実に容赦なく晒される裸体は、ぎりぎりの日常を生きる名もなき人々の身一つ分の尊厳を訴えているのかもしれまません。

アルベルト・ジャコメッティ「歩く女性」

ジャコメッティの「歩く女性」は、女性であることを示す胸の膨らみ以外はほとんど平板な上体と円筒形の脚という単純な形から成っています。縦に細長く引き伸ばされたフォルムを支える両脚にはどっしりと量感があり、僅かに半歩前に踏み出された足がこの彫刻に生気を与えています。ジャコメッティはこの作品を1933年のシュルレアリスム展に出品するに当たって、腕と頭部を取りつけました。床に向けられた左腕の先端には羽が、上に伸ばされた右腕には花のような手が付けられ、頭部はチェロの首と頭でできていたそうで、非現実的であり得ない組み合わせが確かにシュルレアリスム的ですね。それはそれで見てみたかった気もしますが、最終的には1936年に現在の形に落ち着いたそうです。歩く姿に焦点を絞り、表情や個性、あるいは様式的な修辞といったある種の「贅肉」を削ぎ落とすことで、本質に迫ったのがこの形なのでしょう。腕や頭部がなくても気にならないのは、本作がそれ自体で過不足なく完結しているからだと思います。アルカイック期の彫刻のように素朴ながら力強さに満ちている作品だと思います。

オーギュスト・ロダン「接吻」

…個人的にはロダンの「接吻」を見るためにこの展覧会に来たと言っていいほどですが、実際に彫刻の周りを歩いてみて、まずは男性の腕の太さに気がつき、像の大きさを実感させられました。抱擁する男女は二人とも座っているので、一見しただけではピンとこないんですね。固く抱き合う直前、まさに唇が触れた瞬間を捉えた作品で、彫刻が高い位置にあるため顔は見えづらかったのですが、その分手や背中といった全身の表情から昂揚する恋情が伝わってきました。女性が受け身ではなく、積極的に表現されているのも印象的です。この彫刻はダンテの「神曲」に基づくもので、女性のほうはフランチェスカ・ダ・リミニ、男性はパオロ・マラテスタ。二人は13世紀の実在の人物で、グイネヴィアとランスロットのロマンスを読んで感動して接吻を交わすものの、不貞を目撃したフランチェスカの夫に殺されてしまったのだそうです。「神曲」では地獄に落とされて罰を受けている二人ですが、この彫刻は恋に身を投じた二人が身も心も分かちがたく結びついている姿を、英雄のような巨大さで石に刻んでいると思います。

バルテュス「長椅子の上の裸婦」

…薄暗い室内で、目を閉じて仰向けに横たわる裸婦。女性は長椅子の背からずれてのけぞり、腕を左右に広げて上半身は開かれているのに、下半身は閉じた窮屈な体勢です。図録の解説にもありますが、この不自然なポーズは十字架の形に見えます。バルテュスルーブル美術館に通って大画家の作品を研究していたそうですが、例えばジャン・ジューヴネの「十字架降下」に描かれたキリストのポーズなどは、伸ばされた腕や斜めに立てかけるように傾いだ身体などが共通しています。赤い靴は磔刑によって流れた血をイメージさせるためとも考えられますし、長椅子の肘掛けに掛けられた白い布は聖骸布の代わりでしょう。「眠りは死の似姿」という言い回しがありますが、この作品は少女と言ってもいい若さの女性に死を想起させるポーズを取らせることで、肉体の儚さを暗示している一種のヴァニタス画と考えることができると思います。あるいは穢れのない乙女の犠牲によって、欲望に塗れた人々の罪が赦されることを示していると考えることもできるでしょうか。人はしばしば建前だけでは収まりきらない逸脱や混沌を抱えていますが、そうした真実を排除せずに向き合い、受け入れていくのが芸術の一つのありようではないかと思います。ゴルゴダの丘で十字架に掛けられたキリストの犠牲は衆目に明らかですが、少女の犠牲は閉ざされた室内で人知れず払われるのかもしれません。

ポール・デルヴォー「眠るヴィーナス」

…「眠るヴィーナス」の舞台は周囲を高い山で囲まれ、外界から隔絶された幻想の都市です。古典的な建築に囲まれた広場では、裸の女性たちが夜空を仰いで恐れおののき、あるいは蹲って絶望しています。唯一服を身につけているのは命のないマネキンで、無機質な微笑を浮かべて鑑賞者を作品の世界に案内するかのように手を挙げています。その向かいに描かれている不気味な骨格標本は足を前に踏み出していて、これから広場のほうに向かおうとしているのかもしれません。不穏な気配に満ちた情景の中で、ヴィーナスだけが超然と長椅子に横たわっています。画面に登場するヴィーナスや骨格標本といったモチーフは、いずれもブリュッセル博覧会の呼び物であったスピッツナー博物館の展示に基づいているそうですが、人間の身体が着衣、裸体、骨格という三つの様相で表現されていることが興味深いです。特に、マネキンと標本はヴィーナスを挟んで同じ仕草をしていますから、両者は対として描かれているのでしょう。着衣のマネキンは人間の日常的な姿であり、衣服のみならず、社会的な属性などによって本質が覆われてしまっていることの暗喩だと考えられます。一方で、骨格標本は全ての人間の中身であり、ある意味で真の姿と言えますが、生物学的な存在であって人間性は感じられません。デルヴォーは骨格の外側を包む肉の表面であり、隠された内なる姿でもある裸体こそ本質的な存在と捉えて、命ある姿で描いたのかもしれません。また、本作は第二次大戦中にブリュッセルが爆撃被害を受けている中で描かれたものですが、怯え惑う人々を裸体で描くことで、極限の状況下における命の生々しい実感を表現していると思われます。広場の背後に小さく描かれている人の列は葬列でしょうか。しかし、そうした状況下であっても、女神の静謐な眠りが妨げられることはないようです。眠るヴィーナスは博覧会という祝祭空間の喧噪の中であろうと、戦火の中で爆撃に晒されていようと、美は揺るぎないものであることを象徴しているのではないかと思います。

ルシアン・フロイド「布切れの側に佇む」

ルシアン・フロイドの「布切れの側に佇む」という作品では、裸体の女性が自分の身長ほどにも高く積み上げられた白い布切れの前に佇んでいます。壁と床が同色で、画面の奥行きも浅いため、一見すると女性は立っているのか横たわっているのか見分けがつきません。布切れの山はベッドのようでもあり、女性はまるで眠っているかのように無防備に裸体を晒しています。彼女の肌は日頃服から出ている日に焼けた部分とそうでない部分とで色が異なり、ところどころ赤みが差し、腹部は弛んでいます。描かれているのは物語もメッセージもないただの彼女自身であり、血の通った生活感のある自然な裸体です。背後の白い布切れは絵筆を拭くために使用されたものだそうですから、画家の存在の痕跡とも言えるでしょう。そう考えてみると、右腕を上げた女性は画家と身を寄せ合っているようでもあり、画面の中の親密度が高まります。フロイドはヌードを静物ではなく肖像として描きたいと考えていたそうですが、対象を生々しく描くことで曝け出されるのは画家自身でもあるのかもしれません。

その他

…私が見に行ったのは会期最初の日曜日でしたが、まだ序盤なので混雑もなく、ゆっくり鑑賞できました。天気が良かったので皆さんお花見に行っていたのかもしれませんね。第2章「親密なまなざし」の展示室はややスペースが狭かったので、混雑してくると作品が見づらいかもしれませんが、他のコーナーは気になりませんでした。
…「エロティック・ヌード」の展示室は他の展示室から独立したスペースが当てられていましたが、特に注意表意等はなかった気がします。展覧会によってはセクシャルな表現のある作品を展示したコーナーがかなり明確に仕切られていて、ちょっと入りづらい場合もあるのですが、この展覧会では自然に順路に従った形で見て回ることができました。
…コレクション展では下村観山によるミレイ「ナイト・エラント」の模写をはじめ、特別展のテーマに関連する横浜美術館の所蔵作品が展示されているので、時間が許せばそちらもご覧になることをお勧めします。個人的には諏訪敦氏の作品が良かったです。
…所要時間はコレクション展も含めて2時間程度を見込んでおくといいと思います。

※2018.4.6誤記訂正しました。米国の市庁舎→英国のルイス市庁舎です。

*1:「怖い絵展(2017年10月7日~12月17日、上野の森美術館)」図録P142

プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光

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…現在、国立西洋美術館で開催中の「プラド美術館展」の見どころは何と言ってもベラスケスの作品が7点も来日していることでしょう。現存するベラスケスの作品は約120点のみで、そのうちの約4割がプラド美術館に所蔵されています。それが7点も日本で見られるのですから、確かに事件ですね。これ以上見るには直接スペインに行くしかない、というぐらいの貴重な機会だと思います。
…出品数は70点、ベラスケスを中心にスルバラン、ムリーリョ、ルーベンスティツィアーノなどプラド美術館が所蔵する17世紀前半のスペイン内外の画家たちの作品が展示されています。バロック絵画らしく大作揃いで、ボリュームたっぷりの展覧会です。

  • 概要
  • 感想
    • 芸術:ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」、スルバラン「磔刑のキリストと画家」
    • 知識:ベラスケス「メニッポス」
    • 神話:ベラスケス「マルス」、ルーベンスアンドロメダを救うペルセウス
    • 宮廷:ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」「バリェーカスの少年」
    • 風景:ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」、コリャンテス「羊飼いの礼拝のある冬景色」
    • 静物:ヤン・ブリューゲル(父)「花卉」
    • 宗教:ベラスケス「東方三博士の礼拝」、ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」
  • その他

 

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