展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

モネ それからの100年 感想

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見どころ

…この展覧会はモネを印象派の巨匠としてではなく、現代美術の始まりとして捉え直す企画で、日本各地の美術館が所蔵するモネの作品25点と、モネの作品からインスパイアされた内外の現代美術の作家たちによる作品66点で構成されています。「あなた方は世界を哲学的に理解しようとするが、私はひたすら外観の全てを捉えようと努力する。なぜならそれは知られざる真実と結びついているからだ」という言葉も残しているモネですが、戸外の光や大気の移ろいをありのままに表現しようとした結果、晩年には抽象画を思わせるような表現に到達しました。モネが「睡蓮」の装飾壁画に取り組み始めてから約100年、印象派という美術史の枠組みにとどまらず、美術の新たな可能性を切り拓いたモネの画業が現代の作家たちにも影響を与え、新たな作品に受け継がれていることを知ることができると思います。
…本展で提示されているモネが残した「遺産」について、私なりに簡単にまとめてみると以下の四点になると思います。
①対象が何であるかを忘れて目に見えるままを表現しようとした:モネは対象をありのままに捉えようとしたのですが、逆説的に色彩や形体が対象から自立した作品の誕生に繋がることにもなりました。②連作によって時間を作品化した:モネは同一のモチーフの見え方の変化を捉えることで、光や大気といった形のないものを表現しようとしましたが、その結果変化や移ろいそのものがテーマとなり、一枚では完結しない連作が多数制作されました。瞬間や場面を切り取るのではなく、時間の経過、体験の重層性が織り込まれているのが特徴だと思います。③鏡像と実像の入り混じった世界を描いた:実体とイメージとの関係性は「見る」ことの根源につきまとう、哲学的なテーマと言っても良いと思います。④作品世界がカンヴァスの外にも拡張することで、鑑賞するのではなく体験する作品を作り出した:まさにモネの「睡蓮」の装飾壁画のテーマですね。観客が能動的に関わると共に、他者と共有可能な体験をもたらす、開かれた作品を創造したと言えると思います。
…個人的には現代美術は難解な印象を持っていたのですが、今回の展覧会ではモネを媒介に、現在最前線で制作している作家の作品に多数触れることができて良かったです。どの作品でも実物を見なければ分からないものですが、特に現代美術の場合は伝統に囚われない多様な手法が用いられていて、実際に照明が当たることで生まれる効果もあれば、作品を見る観客の存在も織り込んだ上での作品もありますので、ぜひ多くの人に直接会場で見て欲しいと思います。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
  • その他 会場内の様子、混雑状況など

 

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ミケランジェロと理想の身体 感想

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見どころ

…この展覧会はルネサンスを代表する芸術家ミケランジェロ・ブオナローティ(1475~1564)の彫刻「ダヴィデ=アポロ」と「若き洗礼者ヨハネ」の2点を中心に、ルネサンス期の美術に影響を与えた古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻や壁画、及びミケランジェロと同時代のルネサンス期の彫刻、油彩など主にイタリア各地の博物館・美術館が所蔵する作品合わせて70点を展示し、両時代に追求された理想の身体の表現を紹介するものです。
…存命中から「神のごとき」と称賛され、彫刻をはじめ絵画、建築とあらゆる造形芸術で傑作を残したミケランジェロは、何より彫刻家であることを自認していました。しかし、現存するミケランジェロの大理石の彫刻作品は40点のみです。完璧主義者であったが故にその名声に比して完成作は少なめですが、同時代、そして後の世代に計り知れない影響を与えたという点はレオナルド・ダ・ヴィンチとも共通していますね。ミケランジェロの作品はその貴重さと重要さから所蔵先を離れることはなく、また、システィーナ礼拝堂の天井画やサン・ピエトロ大聖堂といった建築物などは、現地で見るしかない作品でもあります。これまでにも素描作品は来日していますが、今回はミケランジェロの真骨頂である彫刻に触れることのできる貴重な機会と言えるでしょう。
…この展覧会のテーマは「理想の身体」ですが、出品作は幼児から壮年、老年まで各年代の理想の男性美を表現した作品で構成されています。男性像ばかり70点というのはユニークな企画ですね。現代では違いますが、従来は男性作家が多かったこともあって女性美の追求はいつの時代も主流であり、展覧会でも妻や恋人をモデルとした作品、女神や聖母を主題とした作品を通してあえて意識しなくとも様々な女性美に触れる機会は多いように思います。女性美に比べると、男性美が正面からテーマとして掲げられる機会は少なめではないでしょうか。美を女性だけが独占するのも勿体ない話ですし、これまでになかった視点から多様な美を見出す試みが増えていくと面白いのではないかと思います。

 

 

概要

会期

…2018年6月19日~9月24日

会場

国立西洋美術館

構成

Ⅰ 人間の時代―美の規範、古代からルネサンス
 Ⅰ-1 子どもと青年の美
 Ⅰ-2 顔の完成
 Ⅰ-3 アスリートと戦士
 Ⅰ-4 神々と英雄
Ⅱ ミケランジェロと男性美の理想
Ⅲ 伝説上のミケランジェロ
…第Ⅰ章は古代及びルネサンス期の作品に表現された男性美について概観しています。1節では幼児や少年などの表現に見られる成人男性とは異なる美のありようについて、2節では顔貌についてクローズアップし、3節ではまさに身体が資本とも言うべきアスリートや戦士の像に表現された肉体美について、4節では神々や英雄といった理想の存在を造形した作品を通して男性美の表現が取り上げられています。
…第Ⅱ章ではミケランジェロの彫刻2点と主題を同じくするアポロ、ダヴィデ、洗礼者ヨハネについて、ミケランジェロが影響を受けた古代の作品、及びミケランジェロと同時代であるルネサンス期の作品と共に考察されています。
…第Ⅲ章では存命中からすでに神話的存在になっていたミケランジェロについて、同時代及び後世に制作された伝記や肖像など、弟子や他の芸術家から見たミケランジェロ像がまとめられています。
ミケランジェロの彫刻がメインでもあり、全体を通して、掌サイズから実物大以上の大型のものまで彫刻作品が多く展示されていました。出品作70点のうち古代の作品は23点、ルネサンス期以降の作品は47点となっています。

ダヴィデ=アポロ」と「若き洗礼者ヨハネ

…今回出品されているミケランジェロの「ダヴィデ=アポロ」と「若き洗礼者ヨハネ」とは、一時期2点ともフィレンツェ公であるメディチ家のコジモ1世の手元にありました。しかし、その後「若き洗礼者ヨハネ」が長らく所在不明となり、さらにスペイン内戦で甚大な被害を受けたこともあって、両者が再び同じ場所に展示されるのは実に500年ぶりとのことです。以下、二つの彫刻に関わる人物と出来事を簡単にまとめてみました。

《二つの彫刻に関わる人物》

★ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(イル・ポポラーノ)(1463~1503)
メディチ家の傍系で、ロレンツォ・デ・メディチの従兄弟。ミケランジェロの「若き洗礼者ヨハネ」の注文主。ボッティチェッリの注文主でもあり、「春」なども所有していた。
教皇クレメンス7世=ジュリオ・デ・メディチ(1478~1534)
…ロレンツォ・デ・メディチの弟で、「パッツィ家の陰謀」で暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチの遺児。1523年に教皇に選出されるが、1526年にフランス王フランソワ1世と同盟したことで、フランスとイタリアの覇権を争っていた神聖ローマ帝国皇帝、ハプスブルク家のカール5世(=スペイン王カルロス1世)によるローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ、1527年)を招く。
★アレッサンドロ・デ・メディチ(1510~1537)
教皇クレメンス7世の庶子で、父の後ろ盾のもとでフィレンツェを統治していたが、1527年にローマ掠奪が起きると追放される。1530年にカール5世の支援を受けてフィレンツェに復帰し、1532年に初代フィレンツエ公となるが、1537年にロレンツィーノに暗殺された。
★ピエルフランチェスコ・ディ・ロレンツォ(ロレンツィーノ)(1514~1548)
…ロレンツォ・イル・ポポラーノの孫。アレッサンドロの暗殺を謀ったため、コジモ1世によってフィレンツェから追放される。追放に伴って、コジモ1世に没収された財産の中に「若き洗礼者ヨハネ」が含まれていた。
★バルトロメオ・ヴァローリ(1477~1537)
…もとは親メディチで、1530年のフィレンツエ包囲戦では教皇軍の司令官だった。反メディチ側だったミケランジェロが、教皇との和解を取り持ってもらうために「ダヴィデ=アポロ」を贈った人物。しかし、アレッサンドロの死後はコジモ1世に敵対したため、1537年に斬首された。処刑に伴って、コジモ1世に没収された財産の中に「ダヴィデ=アポロ」が含まれていた。
★コジモ1世(1519~1574)
メディチ家の傍系だが、アレッサンドロの死によって直系が途絶えたため10代の若さでフィレンツェ公(1537~69年)となる。初代トスカーナ大公(1569~74年)。妻はスペイン王女エレオノーラ・ダ・トレド。ハプスブルク家の下でフィレンツェの統治と勢力拡大に務める一方、行政庁舎(現在のウフィツィ美術館)の建設に着手し、ジョルジョ・ヴァザーリやアニョロ・ブロンズィーノを宮廷画家として迎えるなど文化の面でも足跡を残した。1564年にミケランジェロの葬儀を行った。

《15世紀末~16世紀前半のフィレンツェ

1492年
 フィレンツェの事実上の支配者だったロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)死去。
1494年
 フランス王シャルル8世がナポリ王国の継承権を主張してイタリアに侵入。ロレンツォ・デ・メディチの子ピエロ・デ・メディチが独断で領土の放棄やフランス軍フィレンツェ入城を認めたため、フィレンツェはピエロを追放して共和制を宣言。メディチ銀行の解散。ドメニコ会修道士サヴォナローラの政治的影響力が強まり、虚栄の焼却(1497年、98年)によって美術品などが焼却される。
※この頃
 ミケランジェロがロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチのために「若き洗礼者ヨハネ」を制作する。
1498年
 サヴォナローラ処刑。
1501年
 ミケランジェロフィレンツェ共和国の委嘱を受けて「ダヴィデ」を制作。1504年にシニョリーア広場に設置される。
1512年
 メディチ家フィレンツェに復帰する。
1523年
 メディチ家のジュリオ・デ・メディチ教皇クレメンス7世に選出される。
1527年
 クレメンス7世とフランス王フランソワ1世の同盟に対してハプスブルク家のカール5世が教皇庁討伐軍を差し向け、ローマ掠奪(サッコ・ディ・ローマ)が生じる。教皇庁の威信が失墜し、ルネサンスが終焉する。メディチ家は再びフィレンツェから追放される。
1529年
 教皇クレメンス7世とカール5世が和解し、フィレンツェを包囲。ミケランジェロは共和国側の築城総督となるが、1530年に共和国は降伏。再びフィレンツェに復帰したメディチ家のアレッサンドロは、1532年にカール5世によってフィレンツェ公の位を与えられ、名実共にフィレンツェの支配者となる。
※この頃
 ミケランジェロ教皇との和解を企図して、教皇軍の司令官だったバルトロメオ・ヴァローリに贈る「ダヴィデ=アポロ」を制作する。
1534年
 ミケランジェロ、ローマに居を移しフィレンツェを去る。翌年からシスティーナ礼拝堂祭壇画「最後の審判」の制作に着手。
1537年
 フィレンツェ公アレッサンドロが暗殺され、傍系のコジモ1世がフィレンツェ公になる。アレッサンドロの暗殺を謀ったロレンツィーノの一族が追放され、「若き洗礼者ヨハネ」を含むロレンツィーノの財産がコジモ1世に没収される。また、コジモ1世に敵対したヴァローリが処刑され、「ダヴィデ=アポロ」を含むヴァローリの財産がコジモ1世に没収される。
※この後?
 コジモ1世がハプスブルク家との関係を強めるため、カール5世の秘書官でイタリアとスペインの領地の責任者フランシスコ・デ・ロス・コボス・イ・モリーナにミケランジェロの「若き洗礼者ヨハネ」を贈る。
1564年
 ミケランジェロ死去。
1569年
 コジモ1世、トスカーナ大公になる。 

…人物と諸国家が錯綜し、権力の所在が頻繁に入れ替わって本当にめまぐるしいですね…。ミケランジェロ自身も共和制への共感を持ちつつ、メディチ家から依頼された仕事も受けているので複雑です。「ダヴィデ=アポロ」は主題も制作年も議論の余地がある謎の多い作品ですが、財産目録の記述(ダヴィデ)よりヴァザーリの言及(アポロ)のほうが早く、また、ニューヨーク・モルガン・ライブラリーにあるロッソ・フィオレンティーノのアポロ像が本作のコピーだとすると制作年代が1527年より以前に溯ることになり、ヴァローリに贈るために制作したという前提も変わってくるのだそうです。ダヴィデだとしたらフィレンツェ共和国の象徴として制作された、同じダヴィデをその共和国の終焉に再び作ったことになり、巡り合わせにしてもあまりに皮肉で、かつてと同じ表現であり得ないのはむしろ当然のことに思えます。一方の「若き洗礼者ヨハネ」は、激動の時代に翻弄されて持ち主が変遷し、長らく所在不明だったあと1930年にようやく見つかったのも束の間、1936年にスペイン内戦で大きなダメージを受けるなど悲運に見舞われ続けた作品です。ミケランジェロの二つの彫刻が辿った運命は、ロレンツォ・デ・メディチの死後、混乱を続けた16世紀前半のフィレンツェの歴史そのものと言ってもいいでしょう。ミケランジェロもコジモ1世も、500年もの後に地球の裏側の国で両作品が再会するとは想像もしなかったでしょうね…海を越え、歴史の荒波を乗り越えてはるばる日本まで来てくれたこと自体が奇跡のようだと思います。

感想

「プットーとガチョウ」(1世紀半ば、大理石)、デジデリオ・ダ・セッティニャーノに基づく「祝福する幼児キリスト」(15世紀、彩色されたスタッコ)

…傍らにガチョウを抱いた幼児が、片手を伸ばして上を見上げている「プットーとガチョウ」。幼児の体つきは子どもらしくふっくらとしていて、石という素材の固さを感じさせません。それまで大人のミニチュア版にとどまっていた子どもの像ですが、ヘレニズム期に入ると成人とは異なる子どもそのものの魅力を表現した作品が作られるようになったそうです。プットーとはしばしば有翼の姿で表現される童子のことで、ガチョウは犬や猫と同様にペットとして家庭で愛されていました。実はこの彫像は噴水の一部だったもので、ガチョウの口から水が出る仕掛けになっています。こうした彫像は当時数多く作られたそうですから、子どもとガチョウが無邪気に戯れる愛らしい姿は噴水で憩う人々の目を和ませていたことでしょう。
…幼児の像は丸みを帯びた柔らかさが魅力ですが、一方で、しなやかな身体の線が引き立つコントラポストの美しさとは両立し得ないものでもあります。コントラポストとは片足に重心を置き、身体全体に緩やかなS字のカーブを生み出すポーズのことで、この展覧会でも多くの出品作に見られますが、幼い子どもをモチーフとする古代の作例にコントラポストは見られません。しかし、ルネサンス期に入るとコントラポストで幼児の姿を造形した作品も現れるようになります。幼い子どもの身体のリアリティに基づく自然主義より、表現としての優美さを志向する理想主義が勝っているということなのかもしれません。そうしたなかで、右手で天を指し、左手に荊冠を持つ幼いキリストの像「祝福する幼児キリスト」は、丸みを帯びた赤い頬や体つきで子どもらしさを表現しつつ、右足に重心を置くポーズに無理がなく感じられます。また、伏し目がちの思慮深い表情をしていて、優美さよりも救世主としての気高い佇まいが勝っていると言えるでしょう。本作のオリジナルは1461年に完成されるとたちまち非常な人気を博して、数多くのコピーが制作されたそうです。無垢な幼さと高い精神性の共存という意味では「若き洗礼者ヨハネ」と通じるものもある作品だと思います。

マリオット・アルベルティネッリ「聖セバスティアヌス」(1509~10年、油彩)

…聖セバスティアヌスは古代ローマディオクレティアヌス帝時代に殉教した聖人です。同じ聖人を主題とした同時代の作品ではアスリートのような肉体美によって表現されているものが多いそうですが、この聖セバスティアヌスはほとんど少年と言っても良さそうな年頃で、すらりとした細身の体つきをしています。しなやかな身体を幾本もの矢で貫かれた聖人は、両腕を胸の前で交差して泰然と佇み、彼方の空あるいは天上の世界に思いを馳せているような遠くを見る目をしています。聖セバスティアヌスがローマ軍の司令官だったことを踏まえると、鍛えられて逞しい男性的な体つきのほうがリアリティのある表現に思えるのですが、中性的な若者の姿で表現された聖人は儚げで、処刑の凄惨さが一層強く印象づけられると思います。なお、画面右上に布のようなものが見えますが、本作は聖母子を中心に不特定の諸聖人を配する「聖会話」を描いた祭壇画の断片であり、布のようなものは天蓋の一部だそうです。

バッチョ・バンディネッリ「バッカスの頭部」(1515年頃、大理石)、ジョバンニ・デッラ・ロッピア周辺「バッカス」(1520~25年頃、多色の施釉テラコッタ

…バッチョ・バンデイネッリの「バッカスの頭部」はすっきりと整った凜々しい顔立ちの青年の頭部ですが、よく見ると頭髪の周りに植物の実の飾りがついた花冠が巻かれていて、像の横に回ってみると項部分にも葉の彫刻が施されています。この植物は力強さを象徴するセイヨウヅタで、葡萄と共にバッカスに結びつけられるものなのだそうです。一方、ジョバンニ・デッラ・ロッピア周辺による「バッカス」は卵形の輪郭や弧を描く眉、柔らかな口元などが優しげで、女性的と言ってもいい印象です。神様の顔は誰も見たことがありませんから、多分に作り手のイメージに委ねられるわけですが、同じバッカスでもずいぶん雰囲気が違っていて面白いですよね。古代ギリシャ世界ではバッカスを含めオリンポスの神々やヘラクレスなどの英雄の像は作られましたが、実在の人物の肖像としてはアレクサンドロス大王が始まりで、それ以前は個別の人物の肖像は作られなかったそうです。ことに顔は個人を識別する目印であると共に、アイデンティティとも密接に結びついていて、自己にとっても他者にとってもその人自身と言っていいと思うのですが、古代ギリシャの彫刻などは抽象化、理想化が追求された結果、アトリビュートがないとどの神を表現したものか区別がつかなかったり、性別の見分けが付きにくい場合さえあるそうです。現代の感覚では不思議なことにも思えるのですが、実は古代ギリシャには人間の肉体的かつ道徳的な完全性の理想を意味する「カロカガティア」という言葉があり、外見の美と内なる善は深く結びついていて、卓越した肉体は公正さや徳の高さと一体のものと考えられていたそうです。作られるべきは不完全な個人に属する肖像ではなく、真の美しさ、普遍的な美しさを目に見える形にした作品であり、技術の高さもさることながら、そうした完全なる美のビジョンを持ち得ることが優れた作り手である証だったのかもしれません。

「アメルングの運動選手」(紀元前1世紀、大理石)、「狩をするアレクサンドロス大王」(紀元前四世紀末~紀元前3世紀初頭、ブロンズ)、ジョヴァンニ・アンジェロ・ダ・モントルソーリ「ネプトゥヌス」(1530~50年頃、大理石)

…「アメルングの運動選手」は両腕及び膝から下の両脚が失われ、胴体のみが残っている彫像です。しかし、残された腰骨の左右の高さなどから右足に重心が置かれていたことや、右肩付け根部分から右腕を上げていたことなどが見て取れます。こうしたことが分かるのも骨格や筋肉の形状や動きを正確に表現しているからですね。この像の男性は格闘技パンクラティオンの競技者又はボクサーと見られていて、頭部を保護するための三本の革紐からなる帽子のようなものを被り、革紐の左右の端が一つに合わさる部分を右手と左手で掴んでいるそうです。何故全体像が分かるかというと、ローマ人がギリシャ彫刻の名作のコピーを多数作ったことにより、同じ形体を持つと見られる像が出土すれば、それぞれの断片を繋ぎ合わせることで元の姿を推測することが可能なためです。「アメルング」というのも、実はこうした手法による研究を始めたドイツ人考古学者ヴァルター・アメルングの名に因んだものとのことです。個人的にはローマン・コピーに関する説明から、先日のブリューゲル展で知った、ピーテル2世が庶民向けに父ピーテル1世の「鳥罠」などの模倣作を量産していたエピソードを思い出しました。古代ローマとは時代も地域も全く異なるのですが、決して生活必需品というわけではない美術品を求める熱意はいつの時代の人々にも変わらずにあるんですね。また、そうしたコピーが多数作られるほど、オリジナルは素晴らしかったのだろうとも思います。
…「アスリートと戦士」という括りには入っていなかったのですが、最も躍動感を感じたのが「狩をするアレクサンドロス大王」のブロンズ像です。王侯の狩猟は古来戦闘の訓練の一環でもあったので、一種の戦士の像と思っても差し支えないかもしれません。大王は愛馬のブケファロスに乗り獅子を仕留めようとまさに槍を構えたところで、不安定な馬上で右足を跳ね上げてバランスをとっています。元はあった馬や槍は失われていますが、槍を構える大王の振りかざす腕や振り乱した髪、翻るマント(クラミュスと呼ぶそうです)などのダイナミックな動き、そして歯を食いしばった一瞬の表情が狩のクライマックスを余すことなく伝えていて、小型の像ながら迫真の表現になっていると思います。古代ギリシャの古典期の彫像などには切り取られた一瞬がそのまま永続するような調和の取れた安定感に美しさの源があるように思うのですが、「ラオコーン」などヘレニズム期の美術作品は動きがもたらす劇的なドラマが否応なく予感させられるために目が離せないような魅力を感じるのかもしれません。
…ジョヴァンニ・アンジェロ・ダ・モントルソーリの「ネプトゥヌス」は髭を生やした壮年の神の像ですが、筋肉が盛り上がり、引き締まって逞しい頑健な体つきは若者にも引けを取らない見事な肉体美だと思います。怪物を踏みつけ、眉間に皺を寄せて何者かを睨み据える目つきも鋭く、強大な神の威厳と漲る力が感じられます。本作を制作したモントルソーリは、ミケランジェロが設計を手掛けたメディチ家墓所のための「聖コマコス像」の制作を託されるなど、ミケランジェロから高い評価を受けていた数少ない彫刻家の一人でした。この像はジェノヴァの提督アンドレア・ドーリアの邸宅のために作られた噴水の一部と考えられていて、像のモデルは注文主のドーリア自身と見られているそうですが、ネプトゥヌスの顔貌の特徴、ことにこぶのある鼻はミケランジェロとも一致するそうです。

ミケランジェロ・ブオナローティダヴィデ=アポロ」(1530年頃、大理石)

…本作についてはジョルジョ・ヴァザーリが「アポロ」と述べている一方、メディチ家の財産目録では「ダヴィデ」と記録されていて、現在のところどちらとも判別がついていません。像の青年は矢筒の矢に手を伸ばそうとしているのか、石を投げる構えを取ろうとしているのか、肝心の部分が未完のままであり、ミケランジェロが制作途中で主題を変更した可能性も考えられるそうです。コントラポストよりも一段と捻りが加わり、重心側の腕を反対側に引きつけ、顔を腕とは逆向きにすることで頭部からつま先までが一つの螺旋を成しているポーズは、現実には無理があるにもかかわらず流れるような優美さで、「優美な人体とは、立ち上る蛇のよう、燃え上がる炎のようでなければならぬ」*1という言葉を彷彿させます。もし、この作品をダヴィデと考えるなら、かつて二十代のミケランジェロが手がけた毅然として緊張感に満ちたダヴィデと表現が全く違うことに驚きます。敵に立ち向かうにもこの像は大きくのけぞった不安定な体勢で、石を投げることも弓を射ることもできそうにありません。何より表情が静謐で、瞑想しているかのように伏せられた目は敵又は獲物を見てはおらず、血腥い荒々しさが感じられないという点ではダヴィデでもアポロでもないようにも思われるのです。穿った見方とは思いますが、傷を負い、死に瀕してまさに倒れようとしているのはこの像の青年なのかもしれません。以前、同じ西洋美術館であったミケランジェロ*2で目にしたクレオパトラの素描(1535年)は、毒蛇に噛まれて従容と死を受け入れる女王が描かれた裏面に取り乱した表情のクレオパトラが描かれていたのですが、相反するものを文字通り表裏一体のものとして表現しようする意図が感じられました。また、新プラトン主義の思想に馴染んでいたミケランジェロは、魂は肉体という牢獄に囚われていて、死によって解放されるという考え方を持っていました。勝者と敗者、生と死が一つの肉体の中で融合していると思ってみるなら、脇腹を無防備に晒した不安定な体勢も納得がいきますし、瞑想的な表情は「瀕死の奴隷(囚われ人)」などと共通するのかと想像を逞しくすることもできそうです。「死こそは暗き牢屋の終わり」とペトラルカの一節を書き付けながら*3、大理石で、あるいは絵画で美しい肉体を作り続けたこと自体、ミケランジェロの最大の矛盾なのでしょうが…。個人的に「ダヴィデ=アポロ」は、ダヴィデかアポロかというより、射る者と射られる者、もしくは撃つ者と撃たれる者の一体化した甘美な死の陶酔を感じさせる作品のように思いました。

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは土曜日の午後でしたが、会場内は混雑もなく落ち着いていたため、彫刻作品の周りを回ってゆっくり鑑賞することができました。展示室の温度が低めなので、半袖一枚では肌寒いかもしれません。浴衣姿の来場者もいらして、季節を感じましたね。会場内では第Ⅱ章で展示されているラオコーンの模刻のみ撮影可能です。作品の多くに解説表示があります。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

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…大理石のレリーフ「ガニュメデスの誘拐」に関する音声ガイドの解説で、ミケランジェロがローマの青年貴族トンマーゾ・デ・カヴァリエーリに同主題の素描(本展には未出品)を贈ったエピソードが紹介されていたのですが、ミケランジェロのカヴァリエーリに対する情熱を恋と言い切っていて少し驚きました。カヴァリエーリはミケランジェロの後半生と関わりの深い人物なのですが、例えば2017年の「レオナルド×ミケランジェロ展」(三菱一号館美術館)でも友愛と説明されていて、従来は遠回しな言及の仕方が多かった気がします。なお、件のミケランジェロの「ガニュメデス」は「ティテュオス」の素描と一組でカヴァリエーリに贈られていて、それぞれ天上の愛、地上の愛を象徴しているそうです。

*1:若桑みどり「マリエリスム芸術論」P24

*2:システィーナ礼拝堂500年祭記念 ミケランジェロ展~天才の軌跡」2013年、国立西洋美術館

*3:マニエリスム芸術論」P251

ミラクル エッシャー展 感想

見どころ

…この展覧会はマウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898~1972)の生誕120年を記念して、イスラエル博物館が所蔵するエッシャーのコレクション152点を日本で初公開するものです。コレクションはニューヨークの弁護士で美術コレクターでもあったチャールズ・クレイマー氏からの寄贈品で、イスラエル博物館でも常設展示されておらず、これまでスペイン(2004~5年)と台湾(2014~15年)で公開されたのみであり、非常に貴重な機会となります。
エッシャーの作品は日本でも非常に人気があり、今回、展覧会を見に行ったときも会場には入場待ちの行列ができるほど盛況でした。私も去年から楽しみにしていた一人ですが、エッシャーの父ヘオルフ・アルノルト・エッシャーが1873年から78年の五年間、河川工学の専門家として明治政府に雇用されていたことは初めて知りました。エッシャーは日本とも縁があったんですね。ヘオルフ氏は当時の記憶を詳細に書き留めていて、エッシャーは父を通じて日本の影響も受けているそうです。
エッシャーというと何と言っても「だまし絵」が思い浮かびます。「滝」や「上昇と下降」などの作品を一度は目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。今回の展覧会には勿論そうした代表作も出品されていますが、それ以外に、聖書や風景などを主題とした作品も多数見ることができます。特に切り立った崖や狭い丘の上に建築物が犇めく中世の面影を残したイタリアの都市風景は、エッシャーの作品のルーツを感じさせてくれました。
…ハールレムの建築装飾美術学校で建築を学んでいたエッシャーは、版画家サミュエル・イェッスルン・ド・メスキータとの出会いにより版画家の道を選びました。本展に出品されている作品は数点の習作を除くと全て版画作品ですが、エッシャーは自分の世界を表現するため、作品に応じて異なる版画技法を駆使しています。明快なコントラストと力強い線が魅力の木版(板目木版)、同じ木版でもシャープで硬質な印象の木口木版、繊細な描画が再現されているリトグラフ、微妙な濃淡も表現できるメゾティントと、それぞれの持ち味が生かされていることが分かると共に、エッシャーが様々な技法に通じた優れた版画家だったことが分かりました。
…三次元の世界を二次元の平面上にいかに再現するかというのは、絵画における重要なテーマの一つだと思いますが、一見三次元のようでいて二次元上でしかあり得ない世界を作り出すエッシャーの作品は、このテーマを逆手に取ったものだと言えるかもしれません。コンピューターが普及する以前の時代、自身の目と手と頭脳によって緻密で論理的な独自の世界を作り上げたエッシャーに改めて驚嘆させられました。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
    • 版画の技法
      • リノカット
      • 木版(板目木版)
      • 木口木版
      • リトグラフ
      • メゾティント
  • 感想
  • その他 混雑状況、会場内の様子等

 

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ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか 感想

見どころ

…この展覧会は長い歴史を持つ人の似姿を描出した肖像芸術について、古代エジプト文明の遺物から近代の絵画・彫刻作品まで幅広く辿りながら、肖像の役割や芸術家たちの表現方法を探るものです。出品作は27年ぶりの来日となるヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」や、静物画であり寓意画でもあるアルチンボルドの「春」及び「秋」など、ルーヴル美術館の所蔵品112点によって構成されていて、多彩な肖像芸術を堪能できる内容となっています。
…人物を対象に描いた作品にも、歴史画・宗教画など物語性のある作品や親密な妻や恋人を描いた作品、団欒やレジャーなど日常生活における家族や友人を描いた作品と様々な種類があると思います。その中でも肖像は、モデルの一瞬の表情ではなく立場や人格なども表現し、本質を捉えることによって存在した証とする、作品とモデルとの緊密な結びつきが求められるジャンルと言えるでしょう。したがって、肖像はモデルを直接知る人にとってその人物に纏わる個人的な記憶や感情を呼び起こす拠り所となりますが、後世の人間が見る場合は、個別の人柄もさることながら、作品に表現された普遍的な人間性について感じ取ることになるのかもしれません。肖像画の醍醐味は極めて個人的でありながら同時に普遍的でもある両義性にあるのだろうと思います。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • 「1 記憶のための肖像」より
      • 「女性の肖像」(2世紀、エジプト)
      • 「ブルボン公爵夫人、次いでブーローニュおよびオーヴェルニュ伯爵夫人ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム」(16世紀、フランス)
      • ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」
    • 「2 権力の顔」より
      • 「『青冠』をかぶった王アメンヘテプ3世」(紀元前14世紀、エジプト)
      • 「トガをまとったティベリウス帝の彫像」(1世紀、イタリア)
      • イアサント・リゴーの工房「聖別式の正装のルイ14世
      • アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト」他
    • 「3 コードとモード」より
      • ヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」
      • エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像」
      • レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン「ヴィーナスとキューピッド」
      • ジャン=フランソワ・ガルヌレ「画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ」
  • その他 混雑状況、会場内の様子など
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ジョルジュ・ブラック展~絵画から立体への変容――メタモルフォーシス 感想

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見どころ

…この展覧会はジョルジュ・ブラックの最晩年の作品群、ジュエリークリエーターのエゲル・ド・ルヴェンフェルドとのコラボレーション「メタモルフォーシス」を紹介するもので、フランスのサン=ディエ=デ=ヴォージュ市立ジョルジュ・ブラックメタモルフォーシス美術館所蔵作品を中心に、グワッシュ、陶器、そしてジュエリーなど101点が出品されています。
ジョルジュ・ブラックは20世紀美術を代表する前衛芸術家のひとりであり、「輝かしい自由を現代美術にもたらした(アンドレ・マルロー)」存在として、亡くなった折にはルーブル美術館前で国葬が営まれるほど尊敬を集めていましたが、それだけに「なぜジュエリーなのか」と問う声は制作当時からあったそうです。私もブラックと聞くと真っ先にキュビスムの作品を思い浮かべてしまい、ジュエリーを制作していたことも知りませんでした。しかし、視覚による幸福を触覚による幸福によって補いたいと考えていたブラックは、長年に渡り立体作品への意欲を持っていました。指輪の制作をきっかけに始まったルヴェンフェルドとのコラボレーションにより生み出された数々のジュエリーは、見るだけでなく、実際に手に触れ、美を身につける幸福や満足感をもたらしてくれる作品であり、ブラックの夢を結実させたものと言えるでしょう。展覧会ではもちろん見るだけですが、シンプルながら卓越したデザインのモチーフを眩い素材で造形した作品のきらめきを眺めているだけでも目の幸福を味わうことができると思います。

 

 

概要

会期

…2018年4月28日(土)~6月24日(日)

会場

パナソニック汐留ミュージアム

構成

 序章
  :初期のグワッシュ1点、油彩2点
 第1章 メタモルフォーシス―平面
  :グワッシュリトグラフなど29点
 第2章 メタモルフォーシス―陶器
  :陶器14点
 第3章 メタモルフォーシス―ジュエリー
  :ブローチ、指輪など31点
 第4章 メタモルフォーシス―彫刻
  :ブロンズなど12点
 第5章 メタモルフォーシス―室内装飾
  :ステンドグラス、タピスリーなど12点
…序章には絵画を学び始めた当初のブラックが描いた印象派風のグワッシュの風景画、分析的キュビスム時代及び主題追究期の油彩の静物画と、メタモルフォーシスに先行する各時期からそれぞれ1点ずつ作品が出品されています。本展のテーマであるメタモルフォーシスを紹介する第1章から第5章は作品の技法・素材別の章立てとなっていて、第1章はブラックによる平面作品、第2章以降はブラックの描いたモチーフを元にルヴェンフェルドによって制作された一連の作品から構成されています。モチーフはいずれもギリシャ神話に由来していますが、ブラックはヘシオドスの「神統紀」のエッチングを手がけたことをきっかけにギリシャ神話に興味を抱くようになったそうです。メタモルフォーシスの各章では、同じモチーフが繰り返し現れつつ、素材によって新たな表情を見せる変容=メタモルフォーシスを感じることができると思います。なお、4章には21世紀に入ってから新たに制作されたガラス彫刻も出品されていますが、作品が個人を超えて関係する多くの芸術家や職人に共有され、永続する生命を得られるのはコラボレーションならではと言えるでしょう。

感想

「楽譜のある静物

…「楽譜のある静物」は分析的キュビスム以後の時代の作品で、キュビスムの名残は見受けられますが、本作の一つ前に展示されている「静物」のような難解さはありません。絵の具には砂が混じっていて、実際に作品を前にするとカンヴァス上にその粒子が見て取れるのですが、これは視覚だけでなく触覚=手触りを感じさせるためだそうです。ブラックは自作について意味ではなくモノとしての存在感を表現したい、再現や象徴ではなくカンヴァスであり絵の具であり、ここにある物そのものであることを触ることで感じさせたいという考えを持っていました。描かれたモチーフもパイプや楽器など手に触れることのできるものですよね。晩年のメタモルフォーシスに繋がる発想は、早い時期からブラックの根底にあったことが分かる作品だと思います。

「メディアの馬車」

…「メディアの馬車」はブラックがギリシャ神話由来の主題を最初に取り上げた作品「戦車」が元になっているモチーフです。耳を立てて前足を大きく蹴り上げている馬の自然主義的な表現と異なり、メディアは記号的な線描によって形作られているのが特徴的ですが、風になびく長い髪や垂直な胴体と交差する波打つ線、そして大きく膨らんだ衣装(あるいは外套)の曲線に、抽象化された風の形を見ることができると思います。個人的には特に彫刻で再現された「メディアの馬車」が、ブロンズの重量感と空間を裂くような形体の鋭さが感じられて印象的でした。メディアの頭部には復讐の物語を想起させるような顔は描かれていないのですが、一陣の疾風と化したデザインからは吹き荒ぶ激情の嵐に己を委ねたメディアの、形体と一体化した内面を見て取ることができると思います。

「三つの恩恵(三美神)」

ギリシャ神話にはアグライア、エウプロシュネ、タレイアという三美神が登場しますが、古代ローマの哲学者・政治家であるセネカは彼女たちが恩恵を「与える」、「受ける」、「返す」という三つの面を象徴していると解釈しました。本作のタイトル「三つの恩恵」はそれを受けてのものです。出品作はごく小ぶりなブローチでしたが、暗い会場内で金とダイヤが一際キラキラと光り輝いていて、美神の名に相応しい美しさでした。美徳とは人の心を照らす光輝と言えるかもしれませんね。通例では美しい女性で表現される三美神がここでは三羽の鳥によって表現されていますが、鳥は三次元の空間の象徴であり、二次元の額縁という鳥かごから解放された自由を表現するものとして晩年のブラックが好んだモチーフなのだそうです。

「ペリアスとネレウス」「青い鳥、ピカソへのオマージュ」

メタモルフォーシスには鳥を用いたモチーフがいくつもありますが、中でも「ペリアスとネレウス」/「青い鳥」は繰り返し制作された重要なモチーフの一つだと思います。ペリアスとネレウスはデメテルとポセイドンの子で双子の兄弟であり、このタイトルの作品では青空を飛ぶ二羽の黒い鳥で表現されています。一方、「青い鳥」は「ペリアスとネレウス」と形は同じなのですが、青空は鳥の中に存在しています。「ペリアスとネレウス」で青空を模していた背景は、「青い鳥」ではカンヴァスに代わっているのでしょうか。何箇所か裂け目があるのは、二次元の世界からの自由を意味しているのかもしれません。空間の象徴である鳥の兄弟はピカソとブラック自身に準えたモチーフとも考えられ、キュビスムの作品を通じて20世紀の芸術を切り拓いた盟友への敬意と親愛の念を感じることができると思います。

「ペルセポネ」

…「ペルセポネ」はリトグラフ、陶器、指輪、ガラス彫刻、モザイク、タピスリーと多様な素材によって制作されていて、「メタモルフォーシス」を代表するモチーフの一つです。神話のペルセポネは、ハデスに連れ去られたことを嘆いた母デメテルの懇願によって地上と冥界を往き来して暮らすことになったのですが、髪に花を飾った横向きの顔と憂わしげな正面向きの顔が組み合わされたキュビスム風のモチーフは、春の女神と冥府の女王という二つの顔を持つ女神に似つかわしいデザインのように思われます。元となる平面作品の「ペルセポネ」は白と黒のみで描かれているのですが、ガラス彫刻の「ペルセポネ」は肌の温度を伝えるような温かみのあるオレンジ色で印象に残りました。ブラックは立体作品の素材や色などについて、ルヴェンフェルドの自由な発想に委ねていたそうです。また、元のデザインで白い面は滑らかに、黒い面は凹凸があり光が透過しにくいように仕上げられていて、素材の特性を効果的に生かしているように感じられました。一方、モザイクによる室内装飾はモチーフのシンプルな線が引き立つとともに、テッセラの目地が物としての存在感を明確に意識させます。個人的には最初にリトグラフの「ペルセポネ」を目にしたとき洒落ていてモダンなセンスを感じるモチーフだと思ったのですが、モザイクの作品を見ると古代風の雰囲気がモチーフによく合っているように感じられたのが面白かったです。「メタモルフォーシス」を実現するには多様な素材による制作が可能で、反復しても飽きの来ない、むしろ新たな魅力が見つかるようなシンプルかつユニークなモチーフが必要であり、ブラックの卓越したデザインセンスがあってこそ実現した作品群だと思いました。

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは5月19日(土)の午後でしたが、混雑はなくゆっくり作品を見ることができる状態でした。本展には音声ガイドはありません。所要時間は60分~90分程度を見込んでおくと良いと思います。
…2章~4章は展示室内の照明がかなり暗いです。おそらく、金などを使った立体作品やジュエリーの輝きを引き立てて見やすくするためでしょう。また、暗さを生かして床や壁に映像が投影されているので、それを眺めるのも楽しいです。
…会場内には作品やモチーフとなったギリシャ神話の解説表示がありますが、図録に掲載されているのは各章の冒頭の解説文のみです。必要に応じて、会場内でメモを取っておくと良いかもしれません。
…会場入口外では映像解説が上映されています。時間は10分程度で、ブラックがなぜ最晩年にジュエリー作品を制作したか当時の映像もふんだんに用いて解説しているので、時間に余裕があればご覧になることをお勧めします。

ターナー 風景の詩 感想

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見どころ

…この展覧会はイギリスを代表する画家であり、風景画の歴史においても最も独創的な画家のひとりであるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)の芸術を紹介するものです。出品作はスコットランド国立美術館群をはじめ主にイギリス各地の美術館の所蔵する水彩画・油彩画69点と、郡山市立美術館の所蔵品を中心とする版画作品58点から構成されており、ウィリアム・アランによるターナー肖像画を除いて全てターナーの作品によって構成されています。
ターナーの風景画というと、「雨、蒸気、スピード―グレート・ウェスタン鉄道」など、大気と光を感じさせる抽象画のような革新的な作品のイメージが強かったのですが、この展覧会では特に若い頃のターナーが建物、あるいはその集合体である都市の複雑な構造を、遠近法を駆使して描いている作品も多く見ることができました。そうした風景の随所には、当時の庶民の日常生活が単なる点描としてではなく、自然や都市の景観と同じぐらいの重要性をもって生き生きと描かれていて、ターナーが目にしたであろう当時のイギリス社会が絵の中に再現されているのも印象的でした。また、本展にはターナーが下絵を手がけた版画作品も多数出品されていますが、ターナーはしばしば彫版師とやり合いながらも、自ら試し刷りを確認して指示を出し、質の高い作品の制作に取り組んだそうです。この展覧会では、ターナーらしい風景画を堪能できるのはもちろんのこと、これまであまり知らなかったターナー作品の新たな魅力を知ることができると思います。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • 人間と動物:「ハイ・グリーン、ウルヴァーハンプトン」「ヘリオット養育院、エディンバラ」他
    • 人工物―建築物と船:「マームズベリー修道院」「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」「セント・オールバーンズ・ヘッド沖」
    • 川、海、山、空:「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」「サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス」他
    • 大気と光:「オステンデ沖の汽船」「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」他
  • その他 混雑状況、会場内の様子

 

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プーシキン美術館展~旅するフランス風景画 感想

見どころ

…風景画は、その土地を知らない者が見ても描かれた景色の美しさを感じることができる、むしろ未知の土地であれば一層興味を惹きつけられることもある、誰にでも馴染みやすいジャンルではないかと思います。この展覧会はプーシキン美術館のコレクションのうちそうした風景画に焦点を当て、17世紀から20世紀のフランス絵画65点によって、近代フランス風景画の流れを紹介するものです。中でも日本初公開となるモネ「草上の昼食」は、明るい日差しにきらめく瑞々しい木立の緑がこの季節に相応しく、見る者を爽やかな戸外のひとときへと誘い出すような一枚です。
…絵画のジャンルとして風景画が生まれるのは17世紀以降であり、当初はその位置づけも決して高くはありませんでした。しかし、ジャンルとして成立する以前より、風景を前にした人々は壮大な自然や珍しい異国の風物、のどかな田園や華やかな都市にきっと驚きや憧れを心に抱いてきたことと思います。風景画の成立とは、素朴な感動が絵画という形になって表現されることで定着し、人々のあいだで共有されることで改めて風景の見方としてフィードバックされ、洗練され深化していく過程でもあるのではないかと思います。
…ところで、ロシアの美術館になぜフランス絵画なのだろうかと思いますが、これは18世紀以降フランス美術に憧れを抱いたロシアの王侯貴族が積極的に作品を収集したためとのことです。さらに19世紀後半に入り鉄道網が発達すると、最先端の美術品を求めて40時間以上の道のりをフランスまで出かける新たなコレクターたちも現れました。王侯貴族に代わって美術収集の活発な担い手となったのは実業家たちで、プーシキン美術館のフランス近代絵画コレクションの礎を築いたセルゲイ・シチューキンやイワン・モロゾフは当時を代表するコレクターでした。フランスの内外の地を実地で、あるいは空想の中で旅した画家たちの作品、それを求める情熱的なコレクターたちのロシアからフランスへの旅、そして今回、展覧会のために遙々海を渡ったコレクションの日本への旅。こうして考えると、一つ一つの作品の背後に幾重もの旅が重なり合っていることが分かります。旅はしばしば新しい世界を開く体験となりますが、絵画を眺めることもまた、描かれた世界――場合によっては現実に目にすることの叶わない遠い過去や空想の世界とそこに生きた人々、そして作品に託された画家の思いを体験するひとつの旅と言えるかもしれません。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • ブーシェ「農場」、クールベ「水車小屋」
    • コロー「嵐、パ=ド=カレ」「夕暮れ」
    • モネ「草上の昼食」「ジヴェルニーの積みわら」「白い睡蓮」
    • アルベール・マルケ「パリのサン=ミシェル橋」、マティス「ブーローニュの森」、ピカソ「庭の家(小屋と木々)」
    • ボナール「夏、ダンス」
    • ドニ「ポリュフェモス」
    • ルソー「馬を襲うジャガー
  • その他 混雑状況、会場内の様子等

 

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