展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

フェルメール展 感想

f:id:primaverax:20181209133732j:plain

見どころ

…この展覧会は10年ぶりの来日となる傑作「牛乳を注ぐ女」をはじめとするフェルメール作品と共に、ハブリエル・メツー、ピーテル・デ・ホーホ、ヤン・ステーンなど17世紀のオランダ黄金時代の絵画作品約50点で構成されるものです。見どころは、何と言っても現存するフェルメールの作品35点のうち10点が出品されることで、「ワイングラス」(ベルリン国立美術館蔵)と「赤い帽子の娘」(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)、「取り持ち女」(ドレスデン国立古典絵画館蔵)は日本初公開となります。これだけの数のフェルメールの作品を日本でまとめて見られる機会はなかなかないでしょう。今年前半の、ベラスケス作品が7点出品されたプラド美術館展(国立西洋美術館)のときも思ったのですが、何より関係者の尽力があってのことと思いますし、裏を返せばそれだけの集客が見込まれるということ、美術作品への高い関心が多くの人に共有されていることの証なのだろうとも思います。本展は会期が約4ヶ月と長めになっていますので、是非会場に足を運んでいただければと思います。

 

概要

会期

…2018年10月5日~2019年2月3日

会場

上野の森美術館

構成

第1章 オランダ人との出会い:肖像画 7点
第2章 遠い昔の物語:神話画と宗教画 6点
第3章 戸外の画家たち:風景画 10点
第4章 命なきものの美:静物画 3点
第5章 日々の生活:風俗画 13点
第6章 光と影:フェルメール 9点(期間中の展示入替あり)
…ジャンル別の章立てとなっていますね。特に風俗画が充実していますが、フェルメールの出品作も風俗画がメインなので、同時代の画家たちの作品と見比べつつ、往時のオランダの空気感を味わうことが出来ると思います。なお、フェルメールの作品は第6章でまとめての展示となっています。

フェルメール出品作

1 マルタとマリアの家のキリスト:1654~1655年頃、スコットランド・ナショナル・ギャラリー
2 取り持ち女:1656年、ドレスデン国立古典絵画館(日本初公開、東京会場の展示期間2019年1月9日~2月3日)
3 牛乳を注ぐ女:1658~1660年頃、アムステルダム国立美術館
4 ワイングラス:1661~1662年頃、ベルリン国立美術館(日本初公開)
5 リュート調弦する女:1662~1663年頃、メトロポリタン美術館
6 真珠の首飾りの女:1662~1665年頃、ベルリン国立美術館
7 手紙を書く女:1665年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
8 赤い帽子の娘:1665~1666年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(日本初公開、東京会場の展示期間2018年10月5日~12月20日)
9 恋文:1669~1670年頃、アムステルダム国立美術館(大阪会場のみ出品)
10 手紙を書く婦人と召使い:1670~1671年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー
…10点のうち「恋文」は大阪会場のみの出品のため、東京で見ることができるのは9点となります。現存するフェルメールの作品は35点(国立西洋美術館に寄託されている「聖プラクセディス」など作者について意見が分かれる作品を含めると37点)と寡作なのですが、一方で所蔵する美術館はヨーロッパ各国やアメリカに分散しているのが印象的です。同様に寡作であってもベラスケスの作品がプラド美術館に集中しているのと対照的だなと思ったのですが、スペインの宮廷画家だったベラスケスの作品が王家に所有されてきたのと違い、一般の市民層が顧客だったであろうフェルメールの作品は市場を介して様々な人手に渡ってきたことの表れでもあるのでしょうね。

感想

ヤン・ファン・ベイレルト「マタイの召命」

…「マタイの召命」は徴税吏だったマタイが、「わたしに従いなさい」というイエスの呼びかけに応じて弟子となったという聖書の逸話を描いたものです。画面右側に立って指を差すイエスの肩に掛けた赤い布と、画面左側に座り胸に手を当てるマタイの赤い衣が相互に呼応し合っていて、本作の主題の核となる人物であることが示されていますね。振り返ってイエスをよく見ようと眼鏡をずらしている黒い服の男性は金貨を天秤で計っているところですが、新約聖書において徴税吏は罪人と同義であり、ローマ帝国の手先となって同胞のユダヤ人から税を取り立てる憎むべき存在として繰り返し言及されているそうです。キリストを見上げるマタイの仕草や表情には、罪深い自分がキリストの弟子になってもいいのだろうかという驚きや動揺と、選ばれたことを受け入れ、率直に喜びたい気持ちが混ざり合っているように感じられます。マタイの召命はネーデルラントで人気のあった聖書の物語だそうですが、徴税吏だったマタイがイエスに選ばれたことは、利益の追求とキリスト教徒としての道徳の狭間に置かれ、自分たちの仕事に一種後ろめたさを持っていたであろう彼らにとっても救いだったのでしょう。マタイの説得力のある人間的な表現には、当時の市民の思いが重ね合わされているのかもしれません。ところで、この作品のイエスのポーズや、画面手前の男性が身につけている華やかな黄色い服と羽根飾りのついた帽子などは、カラヴァッジョの同名の作品を彷彿させます。強烈な明暗の効果によって劇的な場面を描き出したカラヴァッジョですが、「マタイの召命」においてはマタイを差すイエスの手のみが闇に浮かび上がり、画面右側から差し込む光が左端に座るマタイを照らすことで、罪人であるマタイにスポットライトが当たっています。一方、ベイレルトの作品ではイエスの姿は光のなかにあり、まだ徴税吏であるマタイは影のなかに描くという形で光と影が使い分けられているのですが、いずれの作品でも光は単なる自然光に止まらず、神秘的な現象、神の恩寵を示唆する超越的な光として用いられている点で共通しているとも思います。なお、カラヴァッジョの「マタイの召命」について、長らくマタイは髭を生やして自分を指差す男性だと考えられてきたが、実は最も左端で俯いている若者がマタイであるという議論があるそうです*1。私は宮下氏の意見に同感で、左端の若者がマタイのように思えるのですが、ベイレルトの作品にはカラヴァッジョとほぼ同時代の人々が髭を生やした男性をマタイと見なしていたことが反映されていて、カラヴァッジョのマタイが誰なのか改めて興味深く思いました。

ヘラルト・ダウ「本を読む老女」、ニコラス・マース「窓辺の少女、または「夢想家」」

…聖書を手に取り熱心に読みふける年老いた婦人。ヘラルト・ダウ「本を読む老女」では婦人の被る帽子や羽織った服の襟の毛皮、肌に刻まれた皺、開かれた頁に印刷された文字などが細部に至るまで鮮明に描写されています。当時のオランダ女性の識字率は高く、ほとんどの女性が字を読めたそうですが、婦人が読んでいるのは「ルカによる福音書」19章で、挿絵にはイエスを見ようといちじく桑の木に登っている徴税人ザアカイの元をイエスが通りがかった場面が描かれています。イエスに会ったザアカイは自分の財産を貧しい人々に施すのですが、このエピソードが選ばれているのは鑑賞者に対して吝嗇や蓄財を戒め、この世の財産を貧しい人々と分かち合うよう促すためだと考えられるそうです。婦人は毛皮をあしらった服や宝石の装身具など良い品を身につけていますが、聖書を読む面持ちは生真面目で厳粛であり、キリスト教徒としての自らを省みているのでしょう。当時の人々にとっての道徳的な模範が示された作品だと思います。
…ニコラス・マースの「窓辺の少女、または「夢想家」」に描かれているのは、一転してまだ年若い少女です。赤や茶褐色を主とした温かみのある画面のなかで、少女は窓辺でクッションに肘をつき、顎に手を当てて物思いに耽っています。窓の外に半分だけ身を乗り出しているのは、少女がこれから大人になり、家の外の世界に出ていく狭間の段階であることを示しているのでしょうか。心ここにあらずといったやや憂わしげな表情は、子どもの頃には戻れないといった感傷や、未知の世界への漠然とした不安などを表現しているのかもしれません。窓の周囲を縁取るように描かれたアプリコットや桃の果実と、ふっくらとした瑞々しい少女の頬の丸みや唇の赤みとが呼応していますね。匂いや味の甘さを喚起する熟した果実には官能のイメージもあるでしょう。繊細で甘美な思春期の憂愁が表現された作品だと思います。甘美な「窓辺の少女」と謹厳な「本を読む老女」とは好対照の作品で興味深かったのですが、当時の人々は良きキリスト教徒であろうと務めつつ、生きる喜びを享受することも大切にしていたのでしょうね。なお、ダウとマースは共にレンブラントの弟子で、描かれた人物に独特の気品が感じられるのは師の影響なのかもしれないと思いました。

ハブリエル・メツー「手紙を書く男」

…ハブリエル・メツーの「手紙を書く男」では、上品な身なりの男性が机に向かって熱心にペンを走らせています。机を覆う豪華なペルシャ絨毯や黒い上着の袖口からのぞく白い袖の優美な襞が見事ですね。同時代の男性の肖像画を見ると多くの場合髭を生やしているのですが、髭のないこの男性はまだ若く色白で、まさに白皙の美青年といった容貌です。おそらく労働の必要がない富裕な階層に属する男性は、背後の天球儀に象徴される高い学識も持ち合わせているのですが、一方で背後の壁に飾られている絵に描かれた山羊や、その絵の額縁にあしらわれた鳩は欲望を象徴していて、男性が移り気でもあることを暗示しているそうです。メツーはフェルメールの作品を研究して自作に取り入れていたそうで、窓や机の配置といった構図などよく似ていますね。男性の背後の壁の黄味がかった筋は額縁に当たった光が反射したものでしょうか。本作と対となる「手紙を読む女」でも女性の背後にかけられた鏡やメイドのバケツの持ち手に反射した光が描きこまれているのですが、そうした現象を注意深く観察して再現する姿勢にフェルメールと共通するものを感じます。なお、「手紙を読む女」では、女性の背後に波立つ海を航行する船の絵が掛けられているのですが、「愛は荒れる海のようだ」という喩えを踏まえたもので、恋人たちの行く手に多くの困難がつきまとうことを暗示しているそうです。恋の先行きは不穏なようですね。赤い絨毯にインクの瓶が倒れているにもかかわらず、男性は一心に手紙を書いていますが、教養ある人物もひとたび恋に取り憑かれると他のことは見えなくなってしまうのでしょう。フェルメールに倣った静謐な室内と、嵐のような恋の熱情という対比が印象的な作品だと思います。

ヨハネス・フェルメール「マルタとマリアの家のイエス

…「マルタとマリアの家のイエス」は「ルカによる福音書」10章に基づくエピソードで、食卓にパンを運んでいる女性がマルタ、肘掛け椅子に座る頭上に後光の差した人物がイエス、画面手前で頬杖をついて座り込んでいる女性がマリアです。頬杖は憂鬱、瞑想、怠惰などを象徴するポーズで、給仕に勤しむ姉のマルタはイエスの話に聞き入っている妹のマリアに仕事を手伝うよう注意して欲しいとイエスに頼むのですが、イエスは「マリアは良い方を選んだ」とマルタを諭すという場面です。私などは真面目に働いているマルタにちょっと同情してしまうのですが、目先の現実、日常の雑事に忙しなく追われて内面を疎かにすると自分を見失ってしまうのだから、魂について考えることが大切だということでしょう。当のマリアは姉とイエスが自分の話をしていることにも気付いていないのか、食い入るような目をして思索に集中していますが、知性の感じられる表情に精神の優位性が表現されていると思います。穏やかにマルタを諭すイエスの顔が丁寧に仕上げられているのに比べると、イエスの服やパン、部屋から建物の奥へと続く通路など他の部分は大胆な筆遣いで大まかに塗られているのですが、初期の作品で技法を模索している途上のためかもしれません。しかし、画面の中心、視線が誘導される先にある白いテーブルクロスは最も明るく塗られ、その前にマリアを指し示すイエスの手が描かれる構図は本作の主題を見る人に明示する巧みなものだと思います。ところで「マルタとマリアの家のイエス」について、「現存する限り聖書の題材を扱ったフェルメール唯一の作品」と説明されていて、国立西洋美術館に寄託されている「聖プラクセディス」(1655年)の扱いが気になったのですが、図録のフェルメール全作品解説では紹介されていました。聖プラクセディスは2世紀頃の聖女で、当該の作品は処刑されたキリスト教徒の遺体を清めた聖女が、十字架と共に赤く染まった海綿を握り締め、殉教者の血を器に注いでいる様子が描かれています。「聖プラクセディス」をフェルメールの作品とみるかどうかはまだ定まっていないため、西洋美術館の所蔵品紹介でも「フェルメールに帰属」と記載されているのですが、「マルタとマリアの家のイエス」を唯一の「宗教画」ではなく「聖書を扱った題材」という言い回しで説明しているのは、「聖プラクセディス」を念頭に置いた表現でもあるのでしょう。なお、西洋美術館では、フェルメール展に合わせて「聖プラクセディス」が展示中のようです。

f:id:primaverax:20181209135708j:plain

ヨハネス・フェルメールリュート調弦する女」、「真珠の首飾りの女」、「手紙を書く女」

…窓辺の女性がリュートを抱えて爪弾く「リュート調弦する女」。身支度の途中の女性が、首飾りを掲げて鏡を見る「真珠の首飾りの女」。仄暗い部屋で、女性が机に向かい手紙を書いている「手紙を書く女」。これら三つの作品はフェルメールが1662年~65年頃に手がけた作品です。この時期のフェルメールは構図の似通った単独の女性像を続けて制作しているのですが、中でもこれら三つの作品は、いずれも白い毛皮の縁飾りの着いた黄色い上着の女性が描かれていて、楽器の演奏や化粧、手紙とロマンスを暗示させる主題も共通していますし、連作といかないまでも姉妹のような作品と見ていいのでしょうか。黄色い上着と共にフェルメール拘りのモチーフである真珠の首飾りは、「手紙を書く女」で女性が手元に置きながら手紙を書いているので、恋人からの贈り物と考えることもできそうです。恋を暗示する風俗画は、浮ついた恋や見た目の美しさに囚われることを戒める教訓的な意味合いを含むことがしばしばありますが、いずれの作品からも俗っぽい印象を受けないのは、女性に注がれる眼差しが価値判断を含まないニュートラルな観察者のものであるためかもしれません。特に、「真珠の首飾りの女」では光の差す室内が柔らかなトーンで等しく包み込まれ、女性は本来なら背景であるはずの調度品や漆喰の壁と調和していて一種の静物画のようにも感じられます。あるいは空気や光が女性と同等の存在感を持つとも言えそうで、それが独特の静謐さを生み出しているのかもしれません。また、それぞれの女性が何を見ているのか、その違いも面白いですね。「リュート調弦する女」でリュートを抱えた女性は気もそぞろで、窓の外を見ています。恋人がこれから訪れるところなのか、あるいは帰る姿を見送っているのか、解釈は様々のようですが、いずれにせよ女性の目が追っているのは恋人の姿なのでしょう。光を受ける女性の表情はあまり鮮明ではないのですが、不安と期待に揺れ動いているようにも見えます。一方「真珠の首飾りの女」では、女性は鏡に映る自分自身を見ています。首飾りを当てて服と合っていること、あるいはそれを身につけた自分の姿を確かめているのでしょう。恋をすると綺麗になるとよく言われますが、女性が見ているのは高まる恋に昂揚する自分自身であり、夢のような心地に微笑んでいるのだろうと思います。そして、「手紙を書く女」では女性は画面のこちら側、鑑賞者を振り返っています。女性と目が合うためか、部屋の扉を開けて、手紙が書き上がったかどうか様子を見に来たメイドのような気分にもなりますね。女性の微笑みは喜びが滲んでいる「真珠の首飾りの女」よりも控えめで、聡明な印象が上回ります。あるいは、小首を傾げてやや上目遣いに微笑みかけてくる女性は、彼女を見つめる人に対して恋しい人はいるのか、あなたはどんな恋をしているのかと問いかけているようでもあります。女性は人の心に眠っているささやかな情熱の象徴であり、机上の手紙に綴られるのは見る人自身の物語である…と想像するのも面白いかもしれません。

ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」

…画面左手の窓から光が差し込む明るい室内。窓辺に置かれたテーブルのそばで、黄色い胴着(ボディス)に青いエプロンを着けた女性がミルクの瓶から鉢に牛乳を注いでいます。テーブルの上には細かく分けられたパンが置かれていますが、実はかなり固くてそのままでは食べられないため、女性はパン粥を作っているのだそうです。パンや籠の描き方は「マルタとマリアの家のイエス」に比べるとかなり緻密に見えるのですが、実は印象派のような点描が用いられていて、数年のあいだに技法が大きく変化していることが分かります。目は、薄暗い場所で太陽に照らされたものを見ると、光を斑点や粒子として認識するのだそうですが、フェルメールの技法の変化は単に絵を描くのではなく、知覚の特性を意識してその再現を追求した成果でもあるのでしょう。窓の向きは不明ですが、光の色合いが白っぽく感じられるので時間帯は朝でしょうか。女性の背後、右側にある木の箱は足温器だそうですから冷え込む季節なのかもしれません。「牛乳を注ぐ女」は長年オランダの美徳の手本を表したものとみなされてきたそうですが、まくった袖から見える女性の腕は寒い中で水仕事をしたのか半ばから指先にかけて赤くなっていて、辛い仕事も厭わず勤勉に励む姿を印象づけています。ところで、この牛乳を注ぐ女性はフェルメールの「デルフトの眺望」にも小さく描かれているそうです*2

f:id:primaverax:20181209135810j:plain


「デルフトの眺望」の画面左下、川岸で言葉を交わしている二人の女性のうちの一人ですが、似ていないこともない…でしょうか(笑)。でも、そう思ってみるとこの女性が単なる美徳の象徴ではなく、地に足の着いた存在である感じがしますね。フェルメールが風景の細部まで描き込んでいたことに驚きますし、黄金時代のオランダで繁栄する都市の片隅に暮らす小さな存在、名も無き人物像でもフェルメールにとっては生きた人だったんだろうなとも思います。そうした感覚が、この作品にも通底しているのかもしれません。簡素な庶民の台所を舞台に牛乳を注ぐという、毎日繰り返されるごく平凡な一場面があたかも神聖な儀式であるかのように静謐さと威厳を持って描かれている作品だと思います。

その他…会場内の様子、混雑状況など

フェルメールの作品が10点も出品されるということで、チケットは日時指定入場制での販売となりました。指定の時間帯であればいつでも入場可能なのですが、私が見に行った時は美術館の外に並んで20分ほど待ちました。ただし、最初こそ行列の長さに驚いたものの、入場が始まると進み方は早くて、思ったほど待たずに入場できました。あとはタイミングによるでしょうか…各時間帯の開始前後ぐらいが一番混み合うかもしれませんね。また、時間帯による入れ替え制ではないため自分のペースで鑑賞することが可能で、のんびり眺めるのは難しいにせよ、同じ上野の森美術館での「怖い絵」展(2017年)よりは作品を見やすかったように感じました。チケットの値段は一般的な展覧会より高めですが、入場者全員に音声ガイドが提供され、作品解説のガイドが配布されるなどその分サービスも良かったです。美術鑑賞を楽しみにしている一人として、美術に興味を持つ人が増えること、展覧会が賑わうことを喜ばしく思う反面、あまりに混雑して作品を見るにも一苦労という状態はやはり疲れてしまい、悩ましいものも感じます。鑑賞者もですが、対応するスタッフの方も大変でしょうし、今後は混雑対策としてこういう方式が増えていくのかもしれませんね。個人的な反省点なのですが、実は7月下旬に入場券が発売になって早速10月の連休の入場券を購入したところ、その後連休に別の予定が入ってしまって、一時はチケットをふいにするのもやむを得ないと諦めかけてしまいました。結果的には、どうにか時間をやり繰りして見に行くことができたので良かったのですが、いったん購入したらキャンセルできませんから、あまり早々と買ってしまうとあとで困ることもあるんだなと反省した次第です。すでに図録付入場券はほとんど完売しているようですが、通常の入場券であれば今のところ前日、あるいは当日券でも購入できるようなので、展覧会公式のツイッターアカウントの情報などを確かめながら、焦らず都合のつく時に見に行くのが良いのではないかと思います。

*1:宮下規久朗『カラヴァッジョへの旅』新潮選書、P70-75

*2:美の巨人たち」2016年5月21日放送

ルーベンス展 バロックの誕生 感想

f:id:primaverax:20181124204705j:plain

見どころ

…この展覧会はバロック美術が隆盛を見た17世紀を代表する、「王の画家にして画家の王」とも呼ばれたルーベンス(1577~1640)の回顧展で、特にイタリアとの関わりに焦点を当てて紹介するものです。
…イタリアはバロック美術の中心地であり、ルーベンスは1600年から08年まで滞在して古代からカラヴァッジョなど同時代に至るイタリア美術を吸収する一方、イタリアの若い画家たちにも影響を与えています。
ルーベンスというと私はまず肉体美を思い浮かべるのですが、ルーベンスの表現の源はルネサンスの巨匠ミケランジェロであり、ミケランジェロが影響を受けた古代彫刻にあると、この展覧会を通じて知ることが出来ました。また、肉体美だけでなく表情の描写に優れていて、描かれた聖人や神話の神々のリアルな感情が伝わってくるのを感じました。そうした内面性に裏打ちされているからこそ、ルーベンスの作品からは豊かな肉体に息づく生命の手応えを感じられるのだろうと思います。
ルーベンスは画家としては勿論のこと、学者と対等に議論できる高い教養を有し、多言語を駆使して外交官を務め、大工房を経営するビジネスマンでもありました。マルチに有能なエリートであり、生まれつき大作を描くのに適していると自ら述べるほどの自信家だったのも頷けます。まさに王のようなルーベンスですが、家族との食事を何よりの楽しみにする一家の父としての顔もあったそうです。この展覧会では壮大華麗なバロック美術を代表するルーベンスの、エネルギーに満ちた数々の作品に触れることが出来ると思います。

 

概要

会期

…2018年10月16日~2019年1月10日

会場

国立西洋美術館

構成

…図録における構成は下記の順となっています。会場内の展示順は章番号のあとの()内の数字のとおりです。
1章(2) 過去の伝統
2章(3) 英雄としての聖人たち―宗教画とバロック
3章(1) ルーベンスの世界
4章(6) 絵筆の熱狂
5章(4) 神話の力Ⅰ―ヘラクレスと男性ヌード
6章(5) 神話の力Ⅱ―ヴィーナスと女性ヌード
7章(7) 寓意と寓意的説話
…出品数70点のうち41点がルーベンス(及び工房)の作品で、主題の別による構成となっています。図録と実際の展示順の違いは会場のスペースの都合などもあるのでしょうが、自画像や家族の肖像画など、ルーベンスの為人がイメージできる作品を冒頭に持ってくるほうが展示の導入には適しているという判断なのではないかと思います。なお、展覧会特設サイトで「神話の叙述」とされている7章の表題は「寓意と寓意的説話」に変更されています。主題の内訳を見ると神話が4、寓意が2、説話が1、聖書が1とバラエティに富んでいるのですが、神話や聖書の題材は寓意、教訓を含むこともあり、多義的な解釈が可能なこともしばしばあるので、こうした変更となったのでしょう。ルーベンス以外では、同時代のイタリアの画家の作品と共に古代彫刻が多く展示されていて、ルーベンスが古代彫刻から如何に表現を学び、吸収しているかという点について、実際に比較しながら鑑賞することができました。

感想

「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」

…クララ・セレーナ・ルーベンスルーベンスの長女で、描かれた当時は5歳頃。バラ色のふっくらとした頬が子どもらしく、やや上目遣いに父であるルーベンスを見つめる瞳の生き生きとした輝きが印象的ですね。セレーナという名前は当時としては珍しいもので、イサベラ・クララ・エウヘニア大公妃の通称「セレニッシマ(”晴朗きわまりない女性”という意味)に因むものとも考えられているそうです。クララが実際どんな少女だったのかは分かりませんが、描かれた表情からは名前の通り快活そうな印象を受けます。顔立ちが細部まで丁寧に描き込まれている一方、服はさっと簡単に塗るにとどめられていますから、多忙な仕事の合間に描かれたプライベートな作品なのでしょう。写真のない時代ですが、ルーベンスには絵筆がありますから、自分のため、あるいは家族のためにこうして我が子の姿を描き残すことができたんですね。本作は四辺が切り詰められているそうで、クララの顔がより一層クローズアップされている印象を受けますが、視点も水平ではなくのぞき込むように描かれていますし、実際もかなり近い距離から娘を描いたのでしょう。見たいもの、描きたいものを率直に捉えた作品で、ルーベンスの愛娘に向けた愛情が伝わってくる作品だと思います。

「毛皮を着た若い女性像」

…「毛皮を着た若い女性像」は1629~30年頃の作品で、ルーベンスが最も影響を受けた画家であるティツィアーノが1530年代に描いた作品の模写です。私はこの作品を大エルミタージュ展で見たティツィアーノの「羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像」(1538年)を思い出しました。モデルとなった女性は同一人物のようで、ポーズもよく似ているので、両作品は肖像画であると共に一種の美人画、理想的な女性美を形にしたものでもあるのでしょう。豪華な毛皮や、真珠や宝石などのきらびやかな装身具も見事ですが、それ以上に美しいのが瑞々しく豊かな女性の肉体です。ティツィアーノの描く裸婦は自然で生身の女性を想起させることによって一層官能的であるところが魅力で、ルーベンスはそうした表現に学び、理想的なプロポーションからは逸脱していても肉付きの良い豊満な女性像を好んで描いたのだそうです。図録には後年、ルーベンスが毛皮を羽織った妻をモデルに描いた作品が掲載されているのですが、腹部のややぽってりとした丸みや、捻った脇腹、腿から膝にかけての皺など、このティツィアーノの模写より更に一歩進んでリアリティのある肉体表現となっています。暗褐色の毛皮と女性の白く滑らかな肌の色合いや質感の対比が一際官能性を引き立てている作品だと思います。

法悦のマグダラのマリア

…目を剥いて横たわるマグダラのマリアを支える二人の天使。天使の一人は後ろにのけぞり今にも倒れそうな聖女を心配そうな顔つきで支え、聖女の手を取るもう一人の天使は荒ら家の屋根の上から差し込む光を見上げて驚いています。ひび割れた地面にはマグダラのマリアアトリビュートである香油壺と「メメント・モリ」を象徴する頭蓋骨が、突然の出来事によって無造作に転がっています。短縮法と浮彫り的な表現を用いて巧みに描写された頭蓋骨、失神した聖女の臨終と見紛うようなぐったりと脱力した青白い肉体、聖女を支える天使が足を踏ん張り、顔はやや赤みを帯びている様子など、法悦という奇跡が実際に起こった出来事のように臨場感をもって描写されていますね。私はこの作品を見てカラヴァッジョによる「法悦のマグダラのマリア」を思い出しました。1606年の夏に描かれた「法悦のマグダラのマリア」はカラヴァッジョ自身がレプリカも複数制作していること加えて、多くのコピーが出回り、17世紀に大流行する法悦の表現の嚆矢となった*1そうなので、もしかしたらルーベンスも目にする機会があったのかもしれません。しかし、カラヴァッジョの描いたマグダラのマリアは涙を浮かべ、悲嘆や後悔といった感情が強調されているように思われますが、ルーベンスマグダラのマリアは血の気が失せて青ざめていながらも恍惚としているように見えます。娼婦だった過去を悔やみ、赦しを求めるマグダラのマリアに対して、神の祝福や恩寵を受けた聖女としてのマグダラのマリアという捉え方の違いは、殺人を犯して身を隠していたカラヴァッジョと、宮廷画家としても外交官としても活躍していたエリートのルーベンスという立場の違いとも呼応していて興味深く思いました。

ヘラクレスとネメアの獅子」

…この作品の主題はヘラクレスの十二の功業の端緒となる「ネメアの獅子退治」で、格闘の一瞬、激しくぶつかり合う猛獣とヘラクレスが画面一杯に大きく描かれています。ルーベンスというと女性美、豊満な肉体を持つ裸婦のイメージがあったのですが、神話の神々や英雄など逞しい男性像も描いているんですね。英雄の物語は絵筆を揮う格好の題材であったでしょうし、勇猛果敢な魂の持ち主を描写するには理想的な肉体が相応しいとも考えられていたのでしょう。漲る力に盛り上がった陰影のある逞しい筋肉の表現などはミケランジェロを彷彿させますし、渾身の力で獅子を締め上げるヘラクレスの折り曲げられた身体にはベルヴェデーレのトルソと通じるものが感じられます。ルーベンスは古代彫刻の肉体美を範にしつつも、同時に石の彫刻とは異なる、生身の肉体らしさが表現されなければならないと考えていたそうで、ヘラクレスの腱の浮き上がった脚や上気した皮膚、獅子の爪で今にも引き裂かれそうな腕、険しく歪められた顔などには、血の通った肉体の熱気が込められていると思います。また、動物の描写にも迫力があり、ヘラクレスの脚に踏みつけられたヒョウは断末魔を上げているかのようですし、獅子には人間的とも言える表情があり、怒りのこもった唸り声が聞こえてきそうです。この時代は複数の画家がそれぞれの得意分野を受け持って一つの絵画を制作する共作もしばしば行われていて、この展覧会にもルーベンスが動物の表現を得意としたフランス・スネイデルと共作した「ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス」が出品されています。スネイデルの描く龍は鱗の一枚一枚まで緻密に描かれていて、どんな動物なのか、特徴、イメージなどその動物らしさを正確に表現することで、架空の生き物にもリアリティを与えているように思います。一方、ルーベンスの描く動物は、主題の中、ドラマの中で描かれている印象があり、図鑑や剥製のような正確さとは異なる躍動感があります。ルーベンススネイデルは死んだ動物を描くのが上手だが自分は生きた動物を描くとも述べているそうですが、この作品を見るとルーベンスが動物の描写にも自信を持っていた理由が分かるような気がしますね。

マルスとレア・シルウィア」

…深紅のマントの裾を翻し、雲から下りて駆け寄る甲冑姿の軍神マルス。祭壇に供えられた聖火の前に座り、マルスを振り返っているレア・シルウィアは、古代イタリアの都市国家アルバ・ロンガの王ヌミトルの娘で、父から王位を奪った叔父アムリウスにより正当な王位継承者をもうけないようウェスタ神殿の巫女とされていました。ウェスタは竈の女神であり、家庭で崇拝されると共に国家の竈の神として聖火の形で祀られ、ウェスタの巫女はその火を守る役目を担っていたのですが、純潔の掟にもかかわらずレア・シルウィアは軍神マルスに見初められて、ローマ建国の祖となる双子の兄弟ロムルスとレムスを産むことになります。小型のバージョンを見るとマルスの顔がはっきり紅潮していて、恋に逸る神が息せき切って駆けつける様子がリアルに表現されています。対照的に、レア・シルウィアは突然の出来事に驚き、戸惑い、怯えているようにも見えます。神に背く罪の意識やアムリウスによる報復への恐れもあったでしょう。不安に戦き、複雑な感情がせめぎ合う表情だと思いますが、身体は背けていても顔はマルスに向けているところから、運命に翻弄される自身の身の上を嘆きつつもマルスを受け入れる意志を感じます。オウィディウスの『祭暦』では、レア・シルウィアは水を汲みに行った森の中で眠っているあいだにマルスに犯されたとされているそうですが、ルーベンスは神殿を舞台に禁忌を破る緊張感と全てを越えて惹かれ合う恋の熱狂を表現していると思います。歴史的なドラマと感情のドラマ、それらが人物の身振りと重ね合わされて、ダイナミックに流動するエネルギーが感じられるバロック絵画らしい一枚だと思います。

その他…会場内の様子、混雑状況等

…私が見に行ったのは日曜日の午前中で、入場待ちなどはなかったものの比較的混雑していました。作品はサイズが大きく、描かれている人物も比較的大きめに描かれている場合が多いので基本的に見やすいですが、素描など小型の作品もいくつかあります。ほとんどの作品に展示解説がありました。会場内の照明は暗めで、手元の音声ガイドの画面表示が見づらいレベルです。グッズ売り場はレジの台数が少ないため、混雑時は並ぶ必要があります。所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

*1:宮下規久朗『カラヴァッジョへの旅』角川選書、P165-167

生誕110年 東山魁夷展 感想

f:id:primaverax:20181118110705j:plain

見どころ

…この展覧会は戦後日本画を代表する一人、風景画家の東山魁夷(1908~99年)の生誕110年を記念した回顧展です。
…紙は鏡、写るのは自分の心とも述べている東山は、自身の心情を投影した内省的で静謐な作品を数多く描き、風景画に独自の境地を確立しました。本展の出品作は代表作「道」「残照」「緑響く」など本画(下図に対して完成作品と区別する言葉。和紙などの支持体に日本画絵具で描かれたもので、最終的に描き手のイメージが成されたもの)*1約70点、特に東山芸術の集大成となる唐招提寺御影堂の障壁画は、唐招提寺の御影堂の修理(平成27年~)によって今後数年現地でも見ることが出来ないため、貴重な観覧の機会となります。
…個人的なことなのですが、先だって部屋を片付けていたところ、10年前、東山の生誕100年を記念した特別展を見に行ったときの図録が見つかり、懐かしい思いをしました。当時は東山の作品の静謐な雰囲気と優しい色遣いにただ浸って眺めていたので気付かなかったのですが、東山の作品は線描がない、又は目立たないため洋画のように感じるんですね。色彩は同系色でまとめられていることが多く、見ていて目が楽なのですが、その一方で繊細なグラデーションによって描き分けられてもいます。空間構成は風景画らしく遠近感が表現されている場合もあれば、フラットで装飾的な場合もあり、作品ごとのテーマ、モチーフに従って使い分けられているようです。また、対象の特徴を抽出するためモチーフの形体や色彩を単純化して、いわばノイズを捨象しつつ、具体性を失わない描写も特徴だと思います。作品を前にこれは何が描かれているのか、作者は何を表現したいのか考えるのも面白いのですが、東山の作品については描かれているものを素直に受け取って感覚に身を委ねるのが良いように思います。風景の中に人物の姿はほとんど描かれず、静寂に耳を澄ますような作品が多いのですが、静かながらも見る人を拒絶せず、むしろ風景の中に誘うような世界だと思います。自然と人間、見ることと在ることのあいだに断絶がなく、根底で繋がっている感覚は日本的なものと言えるかもしれません。

  • 見どころ
  • 概要
    • 会期
    • 会場
    • 構成
  • 感想
    • 「道」(昭和25年)
    • 「秋翳」(昭和33年)
    • 「花明り」(昭和43年)
    • 「白夜光」(昭和40年)
    • 『京洛四季スケッチ』(昭和39~41年)
    • 「月篁」(昭和42年)、「行く秋」(平成2年)他
  • その他…混雑状況、会場内の様子等

 

続きを読む

ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ 感想

f:id:primaverax:20181108232029j:plain

見どころ

…この展覧会は、ジョルジュ・ルオー(1871~1958)のコレクションを有するパナソニック汐留ミュージアムの開館15周年を記念した展覧会です。
…ルオーには道化師や娼婦など社会の片隅で生きる人々を描いた作品と、宗教的な主題を描いた作品がありますが、この展覧会は後者の作品を集めた内容で、パナソニック汐留ミュージアムジョルジュ・ルオー財団からの出品作に加え、ポンピドゥー・センター パリ国立近代美術館の所蔵品5点、ヴァチカン美術館の所蔵品4点で構成されています。
…西洋では教会が世俗の権力と結びつき、もしくは教会自体が権力として存在することで、宗教的主題に基づく美術品が数多く制作されてきましたが、近代以降科学技術も社会構造も大きく変化し、人々の信仰の持ち方もかつてと同じままではなくなっています。そうした時代において宗教的な主題とどのように向き合うのか、あえて取り上げるとしたらどのように表現するのかという課題があると思うのですが、ルオーは従来の宗教画の主題や構図に必ずしも囚われず、現実の社会を生きる人々の苦悩に寄り添いながら、それを宗教的に深化させて表現していると思いました。いつの世でも、人間が生きる上で直面する苦悩や困難が尽きることはない以上、変わることなく救いは求められていると思います。英雄のように華々しくなくとも、ひたむきに生きる人々に救いを与える愛の形を描き続けたルオーの作品にしばし囲まれて、穏やかで心の鎮まる時間を過ごすことが出来る展覧会だと思います。

 

概要

会期

…2018年9月29日~12月9日

会場

パナソニック汐留ミュージアム

構成

 第1章 ミセレーレ―甦ったイコン 
 第2章 聖顔と聖なる人物―物言わぬサバルタン*1
 第3章 パッション(受難)―受肉するマチエール
 特別セクション 聖なる空間の装飾
 第4章 聖書の風景―未完のユートピア
…出品数は84点で、油彩画が約半数の48点を占めているほか、版画作品や工芸品などが出品されています。第1章「ミセレーレ」や第3章「パッション(受難)」の展示コーナーでは版画作品と並んで下絵に着彩された作品が展示されていて、技法の違いによる印象の変化が興味深く感じられました。また、特別セクション「聖なる空間の装飾」では油彩画と共に教会の装飾美術として仕上げられた作品が展示されていましたが、ステンドグラスや七宝などの工芸品はルオーの絵画作品の色彩や質感が活かされていて、相性が良いように感じました。

感想

「ミセレーレ」10悩みの果てぬ古き場末で、31「汝ら、互いに愛し合うべし」

…「ミセレーレ(Miserere、ラテン語で「憐れみたまえ」という意味)」はルオーが父の死をきっかけに構想した作品で、第一次大戦の勃発に伴う構想の深化やリトグラフから銅版画への技法の変更など、紆余曲折を経て1948年に銅版画集として出版されました。版画という形式になったのは、多くの人々の手に届きやすいようにという考えがあったためだそうです。一連の作品に描かれた題材は聖書の一節に基づくものもあればルオーの創作によるものもあり、あるいはインドの格言に因むタイトルが付けられていたりとかなり自由なものになっていますが、現実世界の悲惨に苦悩する人々の姿と、愛と祈りによって彼らを救済するキリストという主題は一貫しています。
…「悩みの果てぬ古き場末で」という表題はルオーの創作であり、描かれた情景の根底にはルオーの生まれ育ったパリ郊外のベルヴィル地区の思い出があるそうです。質素な集合住宅が立ち並ぶ街並を背後に寄り添う母子は、何かに耐えるように目を伏せて沈痛な表情をしています。母子が背負っているものは具体的な生活苦とも考えられますし、貧富の格差や戦争など社会や時代の問題、あるいはもっと普遍的な生きることにつきまとう困難とも考えられ、逃れることのできない苦難に忍従する姿を象徴しているように感じられます。樹を挟んで左側に描かれているのは働く人々でしょうか。彼らの背後の高い塔を持つ建物は教会かとも思ったのですが、はっきりとはしません。画面の真ん中に立つ一本の大樹が印象的なのですが、ルオーは「受難」のテキストの執筆者でもある文芸批評家で詩人のアンドレ・シュアレスに宛てた書簡の中で、「根本的な心理、つまり空を背景とした1本の樹は人間の顔と同じ興味、同じ性格、同じような表現を持っている」と記しているそうです。太い幹は地に根ざした力強さがあり、沈鬱な情景の中でも空に向かってまっすぐに伸びる姿はこの世の片隅、社会の底辺でつましく生きる人々と天上の世界をしっかりと繋いでいるように思います。
…「汝ら、互いに愛し合うべし」という題名は新約聖書ヨハネによる福音書」第13章にある「互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」という一節に因むものだそうです。画面中央の十字架に掛けられたキリストを挟んで、聖母マリアは母親として我が子の運命を嘆き、マグダラのマリアはキリストを信じて手を合わせ、使徒ヨハネは全てを見届けようとするかのように顔を上げてキリストを見ています。ルオーは繰り返し同じ構図の作品を描いているので、拘りのある主題であることは間違いないでしょう。キリストの受難に直面した三人の感情表現は三者三様に異なりますが、それぞれのキリストに対する愛は強固で揺るぎないものでもあり、キリストも隔てなくそれぞれの想いを受け止めているのではないでしょうか。この作品は、異なる者同士がキリストを介して愛し合うこと、キリストに対する愛を共有することに気付き、支え合い互いに結びつくよう促しているのかもしれません。
…版画集である「ミセレーレ」は、版画作品と並んで下絵に着彩した油彩画が出品されていたのですが、版画作品のモノクロの画面が連作のテーマである悲嘆や苦悩を深めると共に、社会の現実に取材したドキュメンタリーのような印象を与える一方で、着彩された作品ではルオーらしい色彩の力強さや描かれた人物の血の通った肉体が感じられるなど、印象が変化するのが興味深かったです。

「青い鳥は目を潰せばもっとよく歌うだろう」、通称「青い鳥」

…目を閉じて微笑みを浮かべるバラ色の少女。彼女は小首を傾げていて、何かに耳を傾けているようにも見えます。色彩と表情から柔らかく夢見るような印象を受ける作品なのですが、タイトルは「ナイチンゲールは目を潰すとよく歌う」という残酷な伝説が元になっています。
…実はこの作品は、もともと「ミセレーレ」のために着想されたオルフェウスの構図や形態を引き継いでいるそうです。ルオーは、妻エウリュディケを連れ戻すために冥界に下ったオルフェウスの旅を絵画の創造行為と重ね合わせて、芸術の象徴と考えていました。また、目を閉じることは、現実の世界をよく見たうえで不可視のヴィジョンに形を与えるルオーにとって、優れた創造を生むための行為の喩えでもあります。
…神話のオルフェウスはエウリュディケを連れ戻すことはできないのですが、そうした苦難を身を以て引き受けながらも、美しい音楽で無情な現実を救済することが芸術家の役割であるとルオーは考えていたのかもしれません。また、社会の片隅でつましくともひたむきに生きる人々の姿に気高さを見出したのはルオーの心の目であり、寄り添う親子に聖母子にも通じる情愛の深さを感じたルオーの眼差しにもまた愛があると思います。青い鳥を魂を悲惨から救う愛と考えるなら、それは手の届かない遙かな楽園ではなく、私たちの足元に存在するのでしょう。可憐な少女は特定の女神や聖女の名を持ちませんが、それ故に普遍的な存在とも言えそうです。シュアレスはルオーに「芸術家とは愛の最も美しい形を世に与え、この世を苦悩より救うものです」と述べた書簡を送っているそうですが、ルオーの与えた形はとても美しいと感じました。

「聖顔」(両面)

…この作品は1923年からおよそ10年間パリに在住し、ルオーとは家族ぐるみの交流もあった日本人コレクター福島繁太郎が所蔵していた作品です。ルオーは別の作品の手直しのために福島氏の自宅を訪れていたそうですが、興が乗って新作も描くことがあり、「聖顔」もそうした経緯で生まれた作品の一つだったようです。
…箱書きによると「そこいらに散らばってゐたレターペーパー」にグワッシュパステルで描かれたとのことで、厚塗りの油彩とはひと味違う透明感が感じられます。興が乗った折の手すさびのようですが、即興の小品でありながら、青い超次元的な空間に神秘的な光に包まれて浮かぶキリストの頭部が静謐な面持ちで表現されています。
…ルオーはキリストの遺体を包んでいたと伝えられる「トリノの聖骸布」についての研究や、ゴルゴダの丘に向かうキリストの顔を拭った布にキリストの顔が写ったという聖ヴェロニカの伝説に強い関心を寄せていました。人の姿を写し取るという聖ヴェロニカの伝説は絵画を連想させますね。ルオーは本作を描く過程で、紙の表に描いていたキリストがぼんやりと裏写りした様子に興味を引かれたそうですが、実在のイエスの痕跡をとどめたと言い伝えられる聖遺物を想起したのかもしれません。顔のみが浮かび上がる図は非現実的なのですが、それにより身体を持たない不可視の霊的な存在であることも同時に示されていると思います。
…また、1928年に描かれたこの作品ではキリストの目は閉じられていますが、1930年代に入ると聖顔のキリストは時に大きく目を見開いて描かれるようになります。見開く目に見えるのは、おそらく形ある現実の背後にある世界の本質や真理ではないでしょうか。人間性を感じさせる受難のキリストから、死を超越した存在へと聖顔の表現が昇華されていく過程を見ることができると思います。

「飾りの花」、「オレンジのある静物

…私はルオーの静物画を初めて見たのですが、ルオーはマリー・キュトリから依頼を受けたタピスリーの原画や、フランスの教会に現代美術を持ち込み再生させる運動「聖なる芸術(L'art sacre)」を推進したマリー=アラン・クチュリエ神父から依頼を受けたステンドグラスの原画など、装飾美術との関わりをきっかけに花や果物などの静物画を制作しています。
…「飾りの花」は同タイトルの複数の作品がありますが、いずれも花瓶一杯に活けられた花束が装飾的な枠に縁取られて、正面から大きく描かれています。教会を飾る花の絵ということで、ふと、仏教で仏壇にお花を供えるように、キリスト教カトリック)の場合も教会の中にお花を飾るのだろうかと気になったのですが、お花は祭壇の周囲や下などに飾るようですね。季節を感じさせる折々の花も良いですが、ステンドグラスに仕上げられた「飾りの花」は枯れることのない光の花として祈りの場に彩りを添えていることと思います。
…花の絵ほど数は多くないものの、ルオーは果物の静物画も描いています。「オレンジのある静物」は七宝作品の原画で、枝葉の付いたオレンジがテーブルの上に無造作に置かれています。飾り気のないシンプルなモチーフですが、色彩は繊細で透明感があり、熟したオレンジの実の色と常緑樹らしい鮮やかな緑とが対比されています。ステンドグラスや七宝といった工芸作品は、ルオーの絵画作品の盛り上がった絵具の質感や光沢と相性が良く、黄色やエメラルドグリーンの宝石のような色彩を効果的に再現していると思いました。

「秋 または ナザレット」

…夕暮れ時の風景でしょうか、赤みを帯びた太陽が山の稜線に沈み行くなか、空には夜の帳が下り始めています。辺りには田園が広がっていて、前景の木立のそばでは二組の親子が向かい合い言葉を交わしているようです。どこか懐かしさを覚える穏やかな風景のなか、道の向こうからやってくるキリストの姿が白い人影として描かれています。前景に向かって三角形に広がる道が画面に安定感をもたらすと共に、見る人の視線をキリストへと誘導していますね。ナザレットはキリストが幼少期を過ごしたとされる場所ですが、描かれているのは実際の風景ではなく一種の理想郷のようです。貧しさや争いごとに苦しむことのない安らかなユートピアでは、人々の間にさりげなくキリストが立ち混じることもあるのでしょう。ルオーはその地に自分の生まれ育ったベルヴィルを重ねているのかもしれません。「悩みの果てぬ古き場末で」では母子の背後に家へと向かう道が描かれているのですが、その道は「秋 または ナザレット」で画面中央に描かれている道に通じている気がします。後者では道の途中にキリストが描かれていて、苦悩の尽きない日常の中にも救いが見出されたことを感じます。私はクリスチャンではないのですが、人生を道と捉えるなら、苦しみは多くとも弛まず歩み続けることが救いへと通じているのかもしれません。

その他

…私が見に行ったのは金曜日で、「フライデー・ナイト」という企画で夜間も開館されていました。場所柄もあるのか仕事帰りの来場者の姿が多い印象を受けましたが、落ち着いた雰囲気でじっくり鑑賞することができました。音声ガイドはありません。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

*1:従属的地位にある人々、特に第三世界の被抑圧者のこと

ピエール・ボナール展 感想

見どころ

…この展覧会は19世紀末から20世紀前半に活動したピエール・ボナール(1867~1947)の大規模な回顧展で、オルセー美術館のコレクションを中心に、油彩72点、素描17点、版画・挿絵本17点、写真30点など130点超の作品で構成されています。
…ボナールの個々の作品については、たとえば今年だけでも「ヌード展」(横浜美術館)に「浴室」及び「浴室の裸婦」が、「プーシキン美術館展」(東京都美術館)には「夏、ダンス」が出品されていて目にする機会が多いような気もするのですが、大規模な回顧展が日本で開催されるのは37年ぶりとのことです。ボナールは20世紀の前衛美術とは一線を画していたため、美術批評家の一部から省みられない時期もあったのですが、近年は本国フランスでもボナールを含むナビ派の芸術が再評価されているそうです。今回の展覧会もですし、昨年三菱一号館美術館で開催された「オルセーのナビ派展」なども、そうした変化を受けてのものでしょう。
…ボナールの作品というと、私はボナールの画業の出発点となった「フランス=シャンパーニュ」など商業的なグラフィック作品や浴室のマルトを描いた裸婦画が思い浮かぶのですが、今回はノルマンディーや南仏などを描いた風景画も数多く目にすることができました。印象派後の世代で「日本かぶれのナビ」とも呼ばれ、浮世絵から影響を受けた大胆な構図を特徴の一つとするボナールですが、後半生においてはモネを初めとする印象派の画家たちを発見したことで、制作における自由と解放感を得たのだそうです。一方で、ボナールは見たものから受けた印象を描くことは変わっていないとも感じました。ボナールは目にした光景の印象を絵画化することを「視神経の冒険」と呼びましたが、こだわりのあるモチーフを繰り返し描きつつも、個別のモチーフの存在には還元しきれない印象、ふとした瞬間に美を見出した全体の調和を捉え、表現したかったのかもしれません。この展覧会では豊かな色彩で彩られた穏やかな情景の背後に秘められている、ボナールの飽くなき冒険の足跡を辿ることが出来るのではないかと思います。

概要

会期

…2018年9月26日~12月17日

会場

国立新美術館

構成

第1章 日本かぶれのナビ:油彩16点。デトランプ1点、リトグラフ1点
第2章 ナビ派時代のグラフィック・アート:油彩4点、リトグラフ7点、書籍3点
第3章 スナップショット:写真(モダン・プリント)30点
第4章 近代の水の精(ナイアス)たち:油彩9点、リトグラフ2点、インク1点、鉛筆5点、黒鉛2点
第5章 室内と静物「芸術作品―時間の静止」:油彩14点、水彩1点、鉛筆8点
第6章 ノルマンディーやその他の風景:油彩12点
第7章 終わりなき夏:油彩13点、リトグラフ3点
…ジャンル、主題の別による構成を取りつつ、概ね時系列に沿った構成となっていますが、ボナールの手がけた作品は裸婦画をはじめ、静物画、風景画、さらにポスターやイラスト、室内装飾と多岐にわたっていることが分かります。ボナールの画業の出発点となった商業美術作品や、絵画作品の下絵としても使われた写真には、それぞれ一章ずつが割かれていますね。また、第4章及び第5章には油彩の完成作と共にデッサンも出品されていて、制作の過程が見えるようにという意図を感じることができます。第1章で展示されている「庭の女性たち」や「親密さ」などは「オルセーのナビ派」展にも出品されていたのですが、同展で目にしたときはナビ派の芸術家たちに共通するテーマ、特徴を考えさせられたのに対し、今回の展覧会ではボナール個人の画業における位置づけや個性を意識させられて、同じ作品でも展覧会によって違った印象を受けるのが興味深く感じられました。

感想

「庭の女性たち」

…ボナールは当初、この作品を屏風の形に仕立てる構想だったのですが、描いてみたところ「屏風にするにはあまりにタブロー(イーゼル画)的である」*1という理由から、ばらばらのまま装飾パネルに仕上げたのだそうです。四双一曲の屏風である「散歩」が全体で一つの場面になっているのと比べると、確かにそれぞれのモチーフや色彩の主張が強く、一枚で完結している印象ですね。一方で、四枚はいずれも女性の全身像と植物を組み合わせるという構成が共通していて、奥行きのない平面的な画面やパターン化された植物の描写、女性の服装や色遣いから感じられる四季を連想させるデザイン性など、装飾性の高い作品でもあります。女性の顔は二人が斜め前から、残る二人は浮世絵の見返り美人のように後ろ姿で横顔が垣間見えるように描かれていますね。赤いドレスの女性の目鼻立ちが線だけで描写されているのも浮世絵を彷彿させられます。咲き誇る花のように画面を彩る女性の姿自体が、美的な意匠として表現されている作品だと思います。

「親密さ」「ランプの下の昼食」

…「親密さ」は室内で煙草をくゆらす男女が描かれた作品で、帽子を被ってパイプを咥えているのはボナールの義弟クロード・テラス、その傍らで煙草を手に佇むのがボナールの妹でクロードの妻であるアンドレです*2。宙で緩く渦を巻く煙草の煙が様式化されて、壁紙の模様と入り混じり装飾的な画面となっていますね。狭い室内でとても近い距離にいる彼らは、視線を交わすこともなくそれぞれの物思いに浸っているようですが、互いに気兼ねなく寛いでいる様子が、かえって描かれた人々の親密な関係を感じさせます。よく見るとすぐ手前にパイプを持つ手のみが描かれていますが、これはボナール自身の手でだそうです。画家は気心の知れた人々に囲まれた空間の居心地良さを表現したかったのでしょう。
…卓上に吊されたランプの下で女性が子供に匙を差し出すシルエットが描かれた「ランプの下の昼食」のモデルはボナールの母親と妹アンドレの子供たちで、「親密さ」と同じように近しい家族をモデルにした作品です。お昼時にしては画面が薄暗いのですが、ボナールは19世紀末にモンマルトルのキャバレー「ル・シャノワール」で人気を得ていた影絵劇場や、ナビ派の仲間たちも制作に携わっていた象徴主義演劇の暗示的な演出を取り入れているのだそうです。室内を照らすランプが実際よりも大きく描かれ、ありふれた家族の情景に幻想的な明暗を演出している一方、テーブルの奥側に座る赤ん坊は逆に実際より小さく、遠めに描かれ、画面が分断されている印象を強めています。改めてよく見ると、母親の影に紛れるように母子に背を向けて立つ子供の姿が描かれていますが、この子は食事を取らないのでしょうか?まだ幼い赤ん坊は自分の食事に目もくれず、テーブル越しにこちらをじっと見ています。子供らしいふっくらとした赤い頬とは裏腹に、無垢でありながら全てを見通すような眼差しには、ありふれた日常に潜む非日常を見抜いた画家自身の眼差しと重なるものがあるかもしれないしれません。描かれたそれぞれの人物たちの交錯し、あるいはすれ違う視線が画面にささやかな緊張をもたらし、ドラマを想像させる作品だと思います。

「水浴:前景にヴィヴェット、後景にロベールと二人の子ども」他

…1898年、ボナールはコダック社が発売したポケットカメラを発売と同時に購入すると、1890年代から20世紀初頭にかけて家族や友人たちなどを撮影した250枚を超える写真を残しました。発売と同時というあたり、ボナールの写真に対する関心の強さが窺われます。そうした写真のうちの一枚、「水浴:前景にヴィヴェット、後景にロベールと二人の子ども」は妹アンドレの子供たちが水遊びをしている場面を切り取ったスナップショットです。飛沫を上げてはしゃぐ子どもたちは皆生き生きとした笑顔ですね。ボナールは子供が好きだったのでしょう。ボナールの作品に現れる無垢でありながら、大人と同じように既に自分の世界を持っている子どもたちの姿は、こうした一瞬一瞬を積み重ねた記憶の層から抽出されているのだろうと思います。
…「コダックのカメラを持つヴュイヤールとルーセル、背景にサン・マルコ寺院」はナビ派の一員でボナールの友人だったヴュイヤールらと旅行したときの一枚で、ボナールは写真を撮ろうとカメラを構える友人の姿を収めています。旅の記念に写真を撮るというのは現代に通じる楽しみ方ですが、ボナールの写真は正面から捉えた同行者の背景に名所旧跡の一部が写り込んでいる構図で、何処へ行ったかということ以上に友人との楽しい旅の気分や雰囲気を保存したかったのではないかと思われます。ところで、同じ道中で撮影したと思われる「コダックのカメラを持つヴュイヤールとルーセル、背景にサンドゥカーレ宮殿」は、場所は違えど上述の写真と構図がほとんど同じなのですが偶然でしょうか。もしかしたらボナールは何処へ行っても同じ仕草をする、変わらぬ友人の姿に面白さを感じたのかもしれませんし、逆に見慣れた友人を初めての場所に置き直すことで、改めて見直すという意図があったのかもしれません。このときヴュイヤールが撮影したであろうボナールの写真も見てみたい気がします。
…一方、マルトのヌードを撮った作品は絵画作品を意識してのもののようで、盥を使って身体を洗っている「浴盤にしゃがむマルト」は写真を元に制作した絵画も出品されています。戸外で撮影されている写真が多いのは、明るさを確保しなければならないという技術的な理由もあるようです。また、一連のマルトの写真は後ろ姿であったり、陰になっていたりして顔ははっきりとは見えず、裸体だけが白く浮かび上がっていますが、ボナールが浴室の裸婦を描いた作品も顔はあまりはっきり描かれていないことが多く、作為のない一瞬を捉えた子供たちや友人たちのスナップショットとは異質の、構図等考え抜いた一種の下絵としての写真のようです。なお、ボナールは1905年を境に写真をほとんど撮らなくなり、1916年以降の写真は一枚も残っていないのですが、その理由は不明だそうです。

「化粧室 あるいは バラ色の化粧室」「化粧台」「バラ色の裸婦、陰になった頭部」

…「化粧室 あるいは バラ色の化粧室」は鏡の前に立つ裸婦の後ろ姿が描かれた作品です。画面右側に窓があるようで、女性の右肩から背中に光が当たり、左側の花模様の壁紙は陰になっています。鏡の反対側に浴室があるようですが、鏡に写ることで奥行き感がなくなり、黄色と水色のツートンカラーに塗り分けられた装飾的な背景のようにも見えます。この作品において鏡は化粧室を分断し、閉じた空間に連続性のない画面を挿入することで意表を突いた印象をもたらしているように感じます。また、鏡は自明なはずの存在に揺さぶりをかけ、不確かなものにする効果もあるかもしれません。実は鏡の中のほうが明るいためか、最初見たときは鏡像と分からず、一瞬女性が二人いるのかと思ってしまいました。鏡の前の後ろ姿の実像より、左半身のみとは言え画面のほぼ中央からこちらを見ている鏡像のほうが目に付きますし、鏡像でありながら室内の様子が鮮明に映り込んでいることと言い、タイトルで「化粧室」が反復されていることと言い、あえて錯覚するようにボナールも意図して描いているのかもしれません。
…鏡は「化粧台」という作品でも効果的に使われていて、首から下だけが写った裸体は鏡の前の化粧道具と共に室内に置かれた彫像のようにも見えます。この作品で裸体は実像としては描かれず、鏡のなかにだけ存在していますが、鏡像=平面になることで、他の水差しや鉢と同等の存在となっているようにも見えます。また、「バラ色の裸婦、陰になった頭部」はボナール家の医師の妻であるリュシエンヌ・デュピュイがモデルとのことですが、タイトルの通り逆光で頭部が陰になっているため顔立ちや表情ははっきりとは分かりません。背後から浴室に差し込む光によって裸体は柔らかく包まれ、右肩は光の中に溶け込んでいます。裸婦はボナールの画業のなかでも主要な位置を占めるモチーフだと思うのですが、描かれた裸婦の多くは俯いて身体を洗っていたり、逆光で影になっていたりしていて、顔立ちがあまりはっきり描かれていない作品が多い印象です。ボナールが撮影したマルトのヌードも同様なので、意図的なものなのでしょう。顔は感情や人格を表現する重要なパーツですが、ボナールが描こうとしたのはそれ以外のものということなのだと思います。同じように浴室の裸婦を描いた画家としてはドガが思い浮かぶのですが、ドガの場合、ありのままの生活感が滲む肉体の表現を志向しているように感じます。一方、ボナールの場合、同じように日常の中にある裸体ではあっても、空気のようなさりげなさ、自然さを求めていて抑制的にすら感じます。存在を誇示するのではなく、花の模様の壁紙や調度品と等しくそこにあり、部屋を、あるいは日常を美しく彩るもの。ボナールが見たのは、部屋を満たす光と溶け合い、全体と調和する裸体だったのかもしれません。

「冬の日」「果物、濃い調和」「テーブルの片隅」

…窓際に佇む青いドレスの女性。開いたカーテンの向こうに見えるパリの空は灰色の雲に覆われ、屋根に雪が積もっていますが、女性は外の景色に背を向けて書物の世界に没頭しているようです。ボナールの作品は赤や黄などの暖色系、あるいはパステルカラーの柔らかい色調が多い印象なのですが、この作品ではテーブルクロスやカーテンの赤によって女性の濃い青のドレスがいっそう引き立てられているように感じられます。また、ボナールの作品は室内の情景と外の風景をあえて一つの画面にまとめている作品が多く、外の景色と室内の情景、外界と内面の両立もしくは統合といった点に関心があったのかもしれないと思いました。女性の容貌や表情は窺えませんが、部屋の壁には白い帽子を被った女性の絵は、この女性自身の肖像かもしれませんね。
…「果物、濃い調和」は画面の真正面に据えられ、大きく描かれたモチーフの存在感が印象的です。画家は室内にいて、果物が盛られた皿を外のバルコニーに向かって眺めているのでしょう。夕暮れ時の山並みは暗く陰に沈み、果物皿の背後を水平に横切る手摺りが画面構成のアクセントになっています。自然の風景を背景にした静物画ですが、抽象画のような色彩や形体の構成、バランスに対する関心が窺われ、手摺り、果物、空のそれぞれの赤が呼応し合って調和をもたらしている作品だと思います。
…「テーブルの片隅」は白いテーブルクロスの上に果物の載った皿や籠が描かれていますが、画面左に描かれた椅子は横倒しになっていて天地がどうなっているのか戸惑う作品です。白い部分がテーブルクロスなら、画面左側を斜めに横切る赤い帯はテーブルの天板でしょうか。主たるモチーフである果物にしても、あるものは上の方から、別のものは横から描かれていて、視点が一つに定まっていないため空間が曖昧な状態です。ボナールは同時代の前衛的な動向からは距離を置いていたそうですが、こうした斬新な構図の作品も描いていたんですね。幾何学的な形体で描かれたテーブルクロスの白とテーブルの赤の面に対して、有機的な黄色の果物という組み合わせが面白い作品だと思います。

セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて」

…夏の風景でしょうか。大きく開いた窓の外には白い雲の浮かぶ青い空と生い茂る緑の木々、そしてその狭間にセーヌ川の水面が見えています。これはボナールがノルマンディーの街ヴェルノンに購入した家「マ・ルロット(私の家馬車)」からの眺望です。窓の外に見える白い手摺りは2階のテラスで、テラスからは庭へと下りる階段があったそうです。窓や青と緑に溢れた外の自然と褐色の室内の対比され、逆光で陰になった暗い壁に紛れるように「テラスの犬」にも描かれている茶色の犬の姿が見えます。椅子にちょこんと座っている犬の視線の先に立つ、見切れた人の後ろ姿は飼い主=ボナール自身でしょうか。テーブルの上に載っているスケッチブックのようなものはまだまっさらな状態ですが、戸口に佇む画家はこれからまさにこの作品を描こうとしているのかもしれません。そう思って見ると、この作品は画中の白いスケッチブックから抜け出したもののようにも思えます。
印象派の影響を受けたボナールは構図を支えるものとして窓などの人工物を取り入れたそうですが、私はこの作品を見て、ボナールがまだ印象派の影響を受ける以前の「画家のアトリエ」(1900年)という一枚を思い出しました。「画家のアトリエ」は中央にカーテンの開いた窓が大きく描かれ、その脇に空のイーゼルが立っているという点で「セーヌ川~」とよく似た舞台設定なのですが、閉じた窓の外に広がる風景はパリの街並みであり、室内には犬の代わりにモデルが座っていてこちらを向いているという点では対照的です。両者に共通する窓に切り取られた風景は、額縁に納まる絵画そのものを示唆していると考えられるでしょう。一方で、「画家のアトリエ」では閉じていた窓が「セーヌ川~」では外に向かって開かれ、「画家のアトリエ」では画面の外の超越的な視点として存在していた画家は、「セーヌ川~」で画面の中に入っていて、描かれているのは画家自身の世界と言えるかもしれません。両者の違いには見つめて描く対象、客観的な世界から自身もその一部である世界、感覚・印象・記憶といった主観と連続した世界へ変化しているとも考えられ、力が抜けて隔てるものがなくなっている感じがします。室内の情景と戸外の風景、家や家具など人工物と川や樹木などの自然、外界と内面が緩やかに繋がり、調和している作品だと思います。

「歓び」

…この作品はボナールの友人でパトロンでもあるミシア・エドワーズの居宅の食堂を飾るため、「水の戯れ あるいは 旅」と共に制作された四点のうちの一点で、ボナールが最も早く手がけた装飾画の一つに数えられるそうです。古代ギリシャアルカディアキリスト教エデンの園など複数のイメージが元となっていると思われる楽園では、金髪をなびかせて駆ける古代風の衣装を纏った少女が描かれ、裸体の女性たちが水浴している噴水の奥には緑の門が立ち、庭園、あるいは果樹園と思われる緑の木々が生い茂っています。この楽園に描かれている人物は女性のみですから、性愛が入り込む以前の世界、すなわち有限の生命を超越した不死の世界と考えることも出来そうです。人類最初の女性であるイヴ、あるいは神話の女神のような女性たちは、自然と調和した存在として描かれているのでしょう。また、衣服を纏っている少女たちは、裸体で描かれた楽園の女神たちとは次元の異なる生身の存在のようにも思われます。彼女たちは今から楽園に迎え入れられるのかもしれませんし、生身でありながら楽園を幻視することの出来る無垢な魂を持つ、祝福された存在なのかもしれません。楽園を取り囲むように、作品の縁取りには鳥や猿が描かれていますが、実は真珠を取り合っている猿は富豪のアルフレッド・エドワーズを奪い合う妻のミシアと女優のジュヌヴィエーヴ・ランテルムの暗喩で、調和に満ちた想像の楽園と諍いの絶えない世俗の現実とを、皮肉を込めて対比していると捉えることも出来そうです。しかし、世俗に塗れ、逃れることができないからこそ人は無垢で美しいものを希求するのかもしれませんし、絵画だからこそ表現可能な楽園があると考えることもできるでしょう。結局、ミシアが夫のエドワーズと離婚したため、一連の作品は僅かなあいだ彼女の居宅に飾られたあと散逸してしまったのですが、現実世界のドラマとは裏腹に、幸福な楽園は変わることなく穏やかな喜びに満ちて、今日でも見る人の慰めとなっていることと思います。

その他…会場内の様子、混雑状況など

…私が見に行ったのは会期序盤の平日午前中だったため、会場内は空いていてゆっくり鑑賞することができました。作品数は多いですが展示解説は少なめです。会場内の温度設定は低めで、羽織るものが必要な感じでした。写真作品はいずれも小さく、かなり近寄ってみる必要があったので、単眼鏡があると便利かもしれません。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

*1:「オルセーのナビ派展」P62

*2:「オルセーのナビ派展」P75

この一年の振り返り

はじめに

…一期一会の方も、リピートしてくださっている方も、当ブログにお出でいただきありがとうございます。秋からの展覧会シーズンを前に少しインターバルが空きそうなので、この機会にここ一年ほどの記事など振り返ってみたいと思います。
…当ブログを開設したのは2015年のことになりますが、遅筆と無精が災いしてしばらく放置していまして、改めて昨年(2017年)から仕切り直して春に何本か記事を書いたのですが、きちんと続くようになったのは「オットー・ネーベル展」の感想以降です。去年の10月から今年8月まで、見に行った展覧会の数は全部で22。展覧会を見に行くごとに記事を書いているので、更新は平均月2回ぐらいのペースになっています。以前は見に行った展覧会の会場でもらってきたリーフレットを眺めながら次に行く展覧会を決めていたのですが、今年は予め見に行きたい展覧会のスケジュールを整理してみた(「2018年 見に行きたい展覧会」)ところ、見逃すことなく行くことができるようになりました。会期序盤だと会場も比較的混雑していなくて、落ち着いて作品を鑑賞できることが多いように思います。

人気のあった展覧会

…会場の盛況ぶりで人気を実感させられた展覧会は「怖い絵展」、「北斎とジャポニスム」、「ミラクル エッシャー展」でしょうか。「怖い絵展」は見るからに怖い作品だけでなく、描かれた経緯を知ることで怖さが感じられる作品、犯罪や社会問題を扱った作品など多様な恐怖の表現を見ることができました。「北斎ジャポニスム」は北斎×印象派という日本美術と西洋美術の人気コンテンツの組み合わせで、一つの展覧会で二つ分楽しめるボリュームのある展覧会でした。エッシャーの作品は美的であると同時に、錯視などを利用した知的な仕掛けの面白さが魅力だと思います。これら三つの展覧会は、元々美術が好きな人以外の関心も呼び起こすようなテーマであるという点で共通していると言えるかもしれませんね。うち二つの会場が上野の森美術館でしたが、上野の森美術館は10月から「フェルメール展」の開催が予定されているので、この秋も混雑しそうです。

アクセス数の多かった展覧会

…当ブログとしてアクセスが多かった記事は「生誕150年 横山大観展」です。西洋美術を中心に記事を書いているのですが、日本美術の人気、注目度の高さは桁が一つ違うようです。横山大観の作品は見ていると作家自身の持つエネルギーが伝わってくるようで、展示替えに合わせて2回見に行きましたが、2度とも見終わった後しばらくワクワクするよう心地が残りました。西洋美術としては「ゴッホ展 めぐりゆく日本の夢」のアクセス数が多かったですね。強烈な個性の持ち主であるゴッホですが、新しいものを学ぼうとする強い意欲や積極的に自作に取り入れていく柔軟な姿勢を併せ持っていて、そうした探究の成果が独創的な表現に繋がっていることが分かる展覧会でした。「ミケランジェロと理想の身体」はミケランジェロ知名度に加え、開催時期が夏休みと重なっていたこともあって注目度が高かったようです。古代やルネサンス期の作品を中心に男性美の表現のあり方に着目しているため、出品作が男性像ばかりという点でユニークな展覧会でもあります。今回来日したミケランジェロの2点の彫刻は、いずれも16世紀フィレンツェの政治のただ中で翻弄された作品と考えられているのですが、そうした時代背景について知ることで、作品に対する理解もより深まると感じました。

著名な美術館のコレクションによる展覧会

…誰もが知っている世界的な美術館の所蔵作品による展覧会としては、「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」、「ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか」がありました。「プラド美術館展」のベラスケス7点は圧巻の一語に尽きます。こうした展覧会を開催できるのは西洋美術館だからこそでしょう。秋にはベラスケスとも親交のあった、バロック美術の巨匠「ルーベンス展」が予定されていて、こちらも楽しみです。「ルーヴル美術館展」は「ルーヴルの顔」をテーマに、古代から近代まで、美術作品だけでなく考古学的な出土品も含む多様な肖像作品で構成されていました。人物像を制作する上で、多くの場合作家が最も力を入れて表現する顔は、容貌という形と感情や人格といった目に見えない内面とを繋ぐものであり、モデルとなる人物の為人と共に、作り手の個性や時代背景など様々な要素を読み取ることが出来て興味深かったです。

印象派の作品の展覧会

印象派の作品・作家は常に幅広く安定した人気がありますが、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」では、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」など、個人のコレクションでありながら美術館に引けを取らない数々の作品を見ることが出来ました。「プーシキン美術館展 旅するフランス風景画」でも、日本初公開となるモネの初期作品「草上の昼食」がメインでしたね。親しみやすい主題と明るい色彩が魅力の印象派の作品は、見る人を選ばずいつでも心に寄り添い、永遠の日曜日のような安らぎをもたらしてくれると思います。

ユニークな企画の展覧会

…そのモネを、印象派の巨匠ではなく現代美術の始まりとして捉え直す企画が「モネ それからの百年」でした。この展覧会ではモネの新しさを知ることが出来たと共に、モネをリスペクトする現代美術の作家の作品に触れることが出来て良かったです。しばしば連作を手がけたモネですが、もし現代に生きていたら映像作品も制作しそうだなと思ったりしました。モネ展と同じ横浜美術館が会場だった「ヌード展 英国テート・コレクションより」も興味深いテーマでしたね。裸体表現の変化を見ることは、肉体と不可分でもある自我や美意識、性愛についての認識の変遷を見ることでもあると思うのですが、200年のうちに劇的な変化が起きたことを文字通り目の当たりにすることができたと思います。最近は一部の展示作品について撮影を許可している展覧会も増えていますが、「ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜」は会場内のかなりの作品が撮影可で思い切っているなと感じました。16~17世紀のフランドルでは、ブリューゲル一族の画家たちがピーテル1世やヤン1世などの模倣作を制作することで、上流の人々だけでなく新興の中産階級にも広く作品のイメージが共有されましたが、21世紀の現代では画像がネットで拡散されることで、より多くの人々に共有されるのでしょう。500年のあいだに手段は大きく変化しても、人々の根底にある見たい、知りたい、手に入れたいという熱意は同じなのかもしれません。

版画作品との出会い

…個人的にはこれまで知らなかった版画作品の面白さを感じさせられる出会いが続きました。「生誕160年 マックス・クリンガー版画展」は「怖い絵展」に出品されていたクリンガーの連作「手袋」をきっかけに見に行ったのですが、精緻な表現と象徴性に富んだ世界観に興味を引かれました。「パリ・グラフィィック ロートレックとアートになった版画・ポスター」もタイトル通り版画がクローズアップされた展覧会でした。19世紀末の街路を彩った大判リトグラフポスターや新興階級の美術愛好家たちが収集した連作版画作品などで構成されていて、特にニュアンスに富んだ黒の魅力を感じさせてくれるヴァロットンの木版画が印象的でした。

立体作品への情熱

…また、絵画作品で知られた作家たちが手がけた立体作品との出会いもありました。「シャガール 三次元の世界」では、シャガールがその後半生において、多数の陶器や彫刻を制作していたことを初めて知りました。シャガールの絵画作品は華やかな色彩が魅力の一つだと思うのですが、彫刻作品は無彩色で、作為を離れた自然さへの志向が強く感じられました。立体作品への情熱という点はジョルジュ・ブラックも共通しているでしょうか。「ジョルジュ・ブラック展 絵画から立体への変容―メタモルフォーシス」では、ブラックの手がけたモチーフが陶器やジュエリーなど様々な形態の立体作品として変容する様を目にすることができました。シャガールもブラックも優れた絵画作品を数多く制作していますが、それだけに額に縁取られた二次元のカンヴァスを抜け出して作品が実体を持つこと、その手触りを直に確かめられることへの憧憬のようなものを持っていたのかもしれません。

新たな作家を知った展覧会

カンディンスキーやクレーとも交流のあったオットー・ネーベルについては、「オットー・ネーベル展」で初めて知ることができました。ネーベルの作品は多様な素材を使いこなし、自在な組み合わせながらバランスに優れた色合いが魅力だと思いますが、そうした多様さや自在さは考え抜かれたものであり、徹底した仕事ぶり、完璧に仕上げられた堅牢な作風が印象的でした。ネーベルは絵画のみならず建築、詩文、演劇とマルチの芸術家でもあり、スイスの少し前の世代には画家よりも俳優として知られていたそうです。「表現への情熱 カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち」では、個人的にあまり馴染みのなかったドイツ表現主義の作品に触れ、色の持つ力を感じることが出来ました。特に極彩色で楽園のイメージを表現したハインリヒ・カンペンドンク「少女と白鳥」や、外界の嵐と内なる心情の激しさを力強く表現したマックス・ペヒシュタイン「帆船」などが印象に残っています。

新たな一面を知った作家たち

…「ルドン 秘密の花園展」では植物というモチーフがルドンにとって空想の世界と私達とを繋ぐ依り代であり、初期から晩年まで多くの作品に描かれていることを知りました。ルドンの作品は見ていると想像力をかき立てられて、感想を書いていて楽しかったです。ターナーは風景画を代表する画家の一人だと思いますが、「ターナー 風景の詩」ではスケールの大きな風景もさることながら、作品からターナーの人間や社会に対する眼差しを感じられたのが新鮮でした。特に地誌的風景を描いた初期の作品群は、当時の庶民の生き生きとした日常の一コマが写し取られていて興味深かったです。「没後五十年 藤田嗣治展」では初期の愁いを帯びたモノクロのパリ郊外の風景からカトリックに帰依して以降の宗教画まで、藤田作品の全体像を見ることができました。乳白色の肌の透明感が際立つ繊細で儚げな裸婦像と、血と泥に塗れた兵士が息苦しいほどに犇めく戦場を生々しく描いた大作とは同じ人が描いたと思えないほどかけ離れているのですが、もしかしたら、この上なく美しいものが描ける人だからこそ恐ろしいものも描けるのかもしれません。どちらか一方に偏るのではなく両方とも見えるし、描ける。描ける以上描かずにはいられない、才能というのはそういうものなのかもしれないと思いました。

…なお、いったん取り下げていた2015年の過去記事について、この機に文章を少し手直しして再度掲載させていただきました。すでに終了してしまった展覧会の感想ですが、ご一読いただければ幸いです。

没後50年 藤田嗣治展 感想

f:id:primaverax:20180816151947j:plain

見どころ

…この展覧会は、エコール・ド・パリの寵児の一人、藤田嗣治レオナール・フジタ、1886~1968)の没後50年を記念する回顧展です。出品作は日本、そして藤田が人生の約半分を暮らしたフランスの美術館(ポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館)をはじめ、欧米の主要な美術館(プティ・パレ美術館、シカゴ美術館)の所蔵作品など100点以上から構成されていて、ことに藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦は「舞踏会の前」(大原美術館)、「五人の裸婦」(東京国立近代美術館)など10点以上が一堂に会します。また、太平洋戦争期に藤田が制作した作戦記録画「アッツ島玉砕」なども展示されています。
…没後、長らく画業を通覧する展覧会の開催が少なかった藤田ですが、2006年頃から展覧会が増えてきたそうです。「乳白色の下地」と呼ばれる独特の透明感ある象牙色の地塗りの上に、油彩画とは思えない繊細な描線と淡く薄い色彩で描かれた藤田の作品。この展覧会ではそうした代表作を十分に堪能できますが、同時に「パリの冬の真珠のような空」を描いた初期のモノクロームの風景画や、中南米の各地を旅行していた時期のエキゾチックで鮮烈な色彩が印象的な作品なども多数出品されていて、藤田作品のイメージが広がる充実した内容となっています。
…また、職人の手触りが感じられる品々を愛した藤田は、ジュイ布*1をはじめとするアンティークを収集するにとどまらず、食器など日用品を自作したり、自分で縫製した服を着たりしていました。晩年に君代夫人に贈った木箱「十字架」は、藤田の死後、君代夫人が最後まで手放さなかった品の一つとのことで、夫妻の絆を感じることができます。異国の地で一世を風靡し、美しい女性像で知られるも、時代の急変で苦境に立ち、晩年は自己の信仰と向き合う宗教的な作品を制作した藤田ですが、この展覧会では芸術と生活、芸術と人生が一体のものだった藤田の世界の全体像を知ることができると思います。

 

概要

会期

…2018年7月31日~10月8日

会場

東京都美術館

構成

 Ⅰ 原風景―家族と風景
   :油彩4点
   :「父の像」など
 Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで
   :水彩3点、油彩17点 計20点
   :「パリ風景」「二人の少女」「私の部屋、目覚まし時計のある静物」など
 Ⅲ 1920年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿
   :複合技法1点、油彩8点 計9点
   :「自画像」「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」など
 Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代
   :リトグラフ2点、油彩11点 計13点(一部展示替えあり)
   :「五人の裸婦」「舞踏会の前」など
 Ⅴ 1930年代・旅する画家―北米・中南米・アジア
   :水彩8点、油彩12点 20点
   :「カーナバルの後」「メキシコに於けるマドレーヌ」など
 Ⅵ-1「歴史」に直面する―二度目の「大戦」との遭遇
   :油彩3点
   :「争闘(猫)」など
 Ⅵ-2「歴史」に直面する―作戦記録画へ
   :油彩5点
   :「アッツ島玉砕」など
 Ⅶ 戦後の20年―東京・ニューヨーク・パリ
   :油彩18点、木炭1点、磁器3点、陶器4点、木1点 計26点
   :「私の夢」「カフェ」「フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂」など
 Ⅷ カトリックへの道行き
   :水彩5点、エッチング2点、木1点、油彩9点 計17点
   :「礼拝」「マドンナ」など
…出品作は油彩画が中心ですが、世界恐慌後、閉塞感に包まれたパリを抜け出してマドレーヌと共に中南米などを旅していた時期は、素早く制作できる水彩の作品も多くなっています。また、藤田は手仕事によるアンティークを愛好して収集すると共に、服やマケットと呼ばれる住居の模型を作るなど自身も手仕事を得意としていました。戦後手がけた立体作品はそうした藤田の手仕事の一部で、食器として使われた陶器や、妻の君代にプレゼントされた木箱など、実生活で使われた品々とのことです。

感想

「父の像」、「母と子」

…「父の像」は美術学校時代に制作された作品で、後年の藤田の画風の兆しはまだ見られない、オーソドックスな油彩画です。沢山の勲章に飾られた軍服を着用している年配の男性は威厳があり、後年の藤田の「自画像」(1936年)などに見られる洒脱でくだけた雰囲気を思い浮かべると、親子でもだいぶ気質が違いそうですね。しかし、眼鏡を掛け、髭を蓄えた面長の顔立ちはやはり似ていて、血の繋がりが感じられます。陸軍軍医総監だった父の嗣章氏は藤田が医者になることを望んでいたそうですが、手紙で画家になりたいと訴えた息子の夢を認めて費用も援助しました。こうして作品のモデルも務めているところをみると、息子の夢を受け入れていたのだろうと思います。藤田は父とは距離を感じていたそうですが、後年の「家族の肖像」の背景にも父の肖像画が描き込まれていたりして、複雑な思いも抱きつつ父に感謝していたことが窺えます。一方で、藤田の作品に母の姿が見当たらないことを不思議に思っていたのですが、生母の政は藤田がまだ5歳の時に34歳で亡くなっていたんですね。「母と子」で幼い我が子を抱く母の姿がほとんど少女のようであるのは、若くして他界した母の記憶が影響しているとも考えられます。赤いドレスはマリアのアトリビュートで慈愛の象徴ですから、本作は聖母子像でもあるのでしょう。我が子の背負う運命を思い、虚空を見詰めて物思いに耽る儚げなマリア。無心に乳房を吸うイエスはそんな母の悲しみを受け止めるかのようにじっと見上げています。藤田の失われた母への思いは聖母の姿に託され、祈りによって昇華された母子の絆は藤田の精神な支えとなったのかもしれません。

「ドランブル街の中庭、雪の印象」、「パリ風景」

東京美術学校を卒業した藤田は、画家として修行するためフランスに渡ります。パリ南端に位置する14区のドランブル街には1917年から24年まで住んでいましたから、「ドランブル街の中庭、雪の印象」に描かれているのは藤田が日々目にしている風景だったのでしょう。集合住宅に囲まれた一角と思われる人気のない広場に、雪を被った外灯がぽつんと立ち、ひっそりとした静けさを醸し出しています。油彩画としては薄塗りで、石畳に積もった雪を描く畝のような筆遣いと灰色の濃淡による表現のためか、水墨画のようにも見えます。成功するまでの下積みの時代に、藤田はこうしたモノクロームの寂しげな冬景色を数多く手がけました。手押し車を押す小さな人影が殺風景な郊外の道を行く「パリ風景」では、建物などの形体が単純化されている一方で、大きく蛇行する道や切り立つ土手の斜面などを微妙な濃淡で表現することに関心の比重がありそうです。遠景の市街地に立つ煙突からはもくもくとした煙が立ち上り、厚い雲に覆われた「パリの冬の真珠のような空」に紛れています。ピカソモディリアーニなど外国出身の芸術家たちが集った「モンパルナス」のある14区ですが、この地は20世紀初頭まで学生の下宿や荒れ地の広がる寂れた郊外だったそうです。古い生活様式が残る冷たい石造りの街は「花の都」パリのイメージの対極にあると言って良いかと思いますが、藤田にとっては孤独を深めるような憂愁を湛えた風景が、自身の心情によく馴染むものだったのかもしれません。

「私の部屋、目覚まし時計のある静物」、「バラ」

…「私の部屋、目覚まし時計のある静物」は1921年のサロン・ドートンヌ出品作で、「乳白色の下地」に細い墨の線で描くという藤田独自の技法によって完成した最初の静物画です。画面は壁に正対する視点と机や床を斜め上から見下ろす視点から構成されていますが、あくまで自然な統一感を保っています。デリケートな線描と独特の透明感のある色彩で描かれているモチーフは眼鏡や靴やパイプ、そして目覚まし時計など、いずれも藤田の身の回りの品です。藤田は奇抜なもの、あるいはバラやリンゴといった既に成功したモチーフなどではなく、人が捨てたもので勝負しようと考えていたそうですが、確かにここに描かれているのは特別なところのない日用品ばかりです。しかし、ありふれてはいても職人の手の感触が伝わるような、親しみの感じられる品々でもあります。絵皿や人形などは可愛らしいと言っても良いかもしれませんね。洗練とは対極の生活感、それを良しとする力の抜けたスタイルがかえって心地よく、画家の為人が窺われる作品だと思います。
…「バラ」は「私の部屋、目覚まし時計のある静物」で評価を得た翌年に制作された作品で、前年に確立された乳白色の下地がより美しく、完成度が高められています。この作品の面白さは長く伸びた薔薇の茎が画面一杯に大きく広がっていることでしょう。よく見ると、花瓶の縞模様と薔薇の茎は連続していて、画面上を奔放に走る伸びやかな線を描くこと自体がテーマのようにも感じられます。バラが活けられた花瓶の下には花の模様のクロスが敷かれていて、生きた花と描かれた花とが対比されています。デフォルメと簡略化により曲線的にデザインされたクロスの花と、命ある自然の花とが互いに自在さを競い合っているような、装飾的な作品だと思います。

「自画像」(1929年)

…「私の部屋、目覚まし時計のある静物」にはパレットや絵筆といった画家であることを示すモチーフが見当たらず、その意味で藤田のプライベートを表現したとも言える作品ですが、これに対して「自画像」(1929年)は画家としての藤田が全面で表現されていて、机の上には筆立てや硯、床にはカンヴァスが置かれ、背景には女性を描いた作品が飾られています。中心に座す藤田はおかっぱ頭に丸眼鏡というよく知られた風貌で面相筆を取っていますが、その表情には画風を確立して高い評価を得た、画家としての自信と余裕のようなものが窺われます。藤田は生涯に渡って自画像を描き続け、本展にも複数の自画像が出品されていますが、この作品は16年ぶりの一時帰国を果たした年に帝展に出品されているので、故郷に錦を飾る意味もあったのでしょう。シャツの水色や背後のカンヴァスのピンク、グレーの陰影と柔らかな色使いが印象的で、乳白色の下地はパステルカラーと相性が良いように感じました。ところで、藤田の傍らで絵筆を持つ腕にじゃれている猫ですが、藤田と背後のカンヴァス、そして猫の位置関係をよく見てみると、カンヴァスの中から顔を出しているようにも見えます。猫もまた藤田の作品を代表するモチーフですから、自画像に気を取られている画家に、自分も描けと絵の中から催促しているのかもしれませんね。

「五人の裸婦」、「友情」

…天蓋のあるベッドの前でそれぞれにポーズを取る五人の裸婦。彼女たちは五感の寓意で、向かって右から順に、黒髪を一つにまとめ、すっきりとした鼻筋が印象的な横顔の嗅覚、跪き口元に手を当てている味覚、両腕の肘を曲げてコントラポストで佇む中央の視覚、上げた右腕を耳元に回し、左腕を胸に当てて跪く聴覚、左端で青いジュイ布を手にしている触覚となっています。舞台の上で並んでいるような女性たちの配置や、色とりどりの布が裸婦の白い肌を一層引き立てているところは「舞踏会の前」とも共通していますね。「浮世絵は女性の肌を描く」とも語っている藤田ですが、自身の乳白色の下地の技法を最も効果的に活かすモチーフとして、それまで手がけていなかった裸婦を描くようになります。実際、初期の裸婦は線描による平面的な表現で浮世絵のように感じられたのですが、この作品では薄い灰色で陰影が付けられています。「友情」で描かれている二人の裸婦はさらに豊かな肉体の量感が感じられて、藤田がより満足の行く表現を求めて裸婦の描き方を少しずつ変化させていることが分かります。個性的であるよりも類型的な女性像ですが、女性たちの真珠のような乳白色の肢体が織りなすハーモニーが感じられる作品だと思います。
…藤田の初期の作品の一つ、「二人の女」には、黄色い服を着て手を取り合う二人の女性が描かれています。モディリアーニの影響が窺われる面長の顔、長い首、ほっそりと引き伸ばされた体つきの女性たちは大きな黒々とした瞳が印象的で、焦点の定まらない眼差しは外界ではなく内面を見詰め、物思いに耽っているように感じられます。彼女たちのモデルは胸に紫の花を飾っているのがモディリアーニの画商ズボロフスキーの妻ハンカ・ズボロフスカ、その隣のやや小柄な女性がモディリアーニが重用したモデルのルニア・チェホフスカと考えられているそうですが、寄り添う二人は姉妹のように不思議と似通った雰囲気を纏っています。二人の親密な女性像というテーマは早い時期から藤田にとって関心のあるテーマの一つであり、乳白色の裸婦の時代にも「友情」などの作品に引き継がれて、たびたび描かれています。藤田にとってフランス国家に買い上げられた最初の作品でもある「友情」では、ジュイ布の上に腰を下ろした女性が、頭の後ろで腕を組んで佇む隣の女性を見上げています。座る女性は傍らの女性の美しさに見とれているのでしょうか、腰に回された腕は抱き寄せているようにも見えますし、支えているようでもあります。ジュイ布には豊穣の象徴であるバッカスサテュロスを従えた姿で描かれていて、女性たちの豊かな肉体美を称賛していると考えられるそうです。バッカスサテュロスというモチーフと共に描かれているなら、女性たちをバッカスの女性信徒マイナデスと捉えることも可能かもしれません。バッカスディオニュソス古代ギリシャ世界において特に女性たちから熱烈な信奉を集め、信徒の女性は家や都市を捨てて陶酔のうちに山野を乱舞したと伝えられています。この作品から狂乱というほどの激しさは感じないのですが、自然のうちに裸体で身を置く女性たちを、秩序や常識といった世俗から放たれた自由な存在と考えることはできそうです。背景には樹の幹に巻き付くバラが描かれていて、二人の女性のポーズと呼応していますが、バラは愛の象徴でもあります。藤田は女性同士の絆に艶めかしくも神秘的な魅力を感じ、立ち入りがたく思いつつも引きつけられていたのかもしれませんね。

「カーナバルの後」

…パリの藤田は自身がエキゾチックな異邦人でしたが、中南米を旅した時期は逆にエキゾチシズムを大いに刺激されたようで、当地の人々の姿や風俗を主題に数多くの作品を描いています。「カーナバルの後」はリオのカーニバルの情景を主題とした作品で、紙吹雪や色とりどりのテープが一面に散らばり祭りの余韻が感じられる路上では、騒ぎ疲れた様子の人々が無防備に酔い潰れています。彼らは夢のなかで浮かれた宴の続きを見ているのでしょうか。藤田はカーニバルの審査員も務めたそうですから、実際にこうした様子を目にしたでしょうし、自身もカーニバルを楽しんだのかもしれません。一方で、画面中央で女性を抱き寄せている男性は目を見開いてこちらを見ています。男性は覚醒して現実を見ているようでもあり、何かに取り憑かれているような、据わった眼つきにも思われます。カーニバルの熱狂の最中ではなく、その後の虚しさを表現しているのは、戦間期のパリで一世を風靡したあと、経済的にも家庭的にも破綻した藤田自身を重ねているためかもしれません。

「争闘(猫)」

…自分にとって猫は友達だと語っている藤田ですが、パリで拾ってきた猫をモデルがいないときその代わりに描いたりしているうちに、いつしか藤田の作品の定番の一つとなっていたそうです。本展の出品作中でも、「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」では長椅子に身を横たえた女性の足元に澄ました様子で蹲っていたり、「自画像」(1936年)では主人の懐に潜り込んで甘えていたりする姿が描かれていますが、「争闘(猫)」では一転して、この可愛らしい「友達」の猛々しい野生を目の当たりにすることができます。軽々と跳躍して爪を出し、相手に飛びかかろうとしている猫、片目を瞑り牙を剥いて唸り声を上げている猫、均一な闇を背景に毛色も表情もさまざまな十四匹の猫たちの躍動感溢れる姿が、その毛筋まで細緻に描写されています。本作はドイツ軍がパリに迫る状況下で描かれましたが、藤田は日頃から争う猫たちの威嚇する顔つきや敏捷な身のこなしを興味深く観察していたのでしょう。天地は分かれているものの空間の指標となるようなものは見当たらず、主題となる猫たちの存在のみによって画面が構成されているのは、日本の伝統的な花鳥画を踏まえたもののようにも思われます。荒々しく制御されないエネルギーの奔流が感じられる作品で、風景画、静物画、裸婦と静かなたたずまいの作品が多い中では一際目を引きました。

「カフェ」、「夢」

…「カフェ」は藤田がニューヨーク滞在中の作品ですが、描かれているのはパリのカフェです。藤田にとって長年暮らしたパリの風景は目の前になくとも脳裏に刻まれているのでしょう。乳白色の下地による画面は、少ない色味でシックなトーンにまとめられています。テーブルに座る黒いドレスを着た女性の前にはグラスとバッグと書きかけの手紙。しかし、女性はどれに手を付けることもなく、頬杖をついて物思いに耽っているようです。頬杖は西洋美術において伝統的にメランコリーを象徴するポーズなのですが、この作品の場合はニューヨークでフランスへの入国許可を待ちわびている藤田の心情が投影されていると考えられるそうです。藤田は「フランスは恩人、パリは愛人」とも語っていますから、女性の手元にある手紙は愛する人へ宛てた恋文で、涙でインクが滲んでしまったものと想像することもできるかもしれません。戦時中に制作した作戦記録画について批判を受けていた藤田の立場は難しいものであり、この作品に託されたテーマも切実なものなのですが、作品としてはあくまで深刻ぶらずに、映画のワンシーンのような洒落たカフェの情景として表現しているところが誰にでも受け入れやすいのではないかと思います。なお、本作の額縁は自身でも手仕事を得意としていた藤田の手製とのことで、四方にはカフェに纏わるモチーフの彫刻が施されています。個人的には、戦前は漢字も併用されていた藤田のサインが、戦後はアルファベットの表記のみに変わっているところに心境の変化のようなものを感じました。
…天蓋のあるベッドに横たわる裸婦の周りで動物たちが彼女の眠りを見守っている「夢」は、1947年に制作された「私の夢」と構図やモチーフに共通点の多い作品です。「私の夢」は仏教美術の涅槃図の構図で描かれ、眠る女性のモデルは亡くなったマドレーヌであろうと見られていますが、「私」、すなわち藤田の夢ですから、マドレーヌが穏やかな安息のうちに眠ることを願い、供養する意味が込められているのではないかと思われます。一方、「夢」はそうした濃厚な死の気配からは遠ざかり、女性自身の見る夢を表現することにテーマがあるようです。顔を背けて横たわる女性のポーズは、パリの歴史学者ルネ・エロン・ド・ヴィルフォス著「魅せられたる河」の挿絵として藤田が手がけたエッチングのうちの一点、「オペラ座の夢」に似ていますが、本作では白い枕に散らばる長い黒髪が印象的ですね。女性の見ている夢の内容は、ベッドの天蓋を覆うジュイ布に描かれている模様でしょうか。自然の中を駆け回ったり、ブランコを漕いだりして自由に遊ぶ子どもたち。古い塔や城壁などのモチーフもあり、過ぎ去った時代や人生を懐かしむ郷愁も感じられます。横を向く女性の表情はよく分かりませんが、彼女の頭部の側には口づけを交わす恋人たちが描かれていますから、女性はきっと幸福な夢を見ているのでしょう。墨一色の闇を背景に女性の夢を見守る動物たちは、実際にベッドの周りに存在するわけではなく、天使や妖精の代わり、あるいは自意識から解放された自由な精神の象徴ではないかと思います。大人になり、普段は意識しなかったり忘れてしまったりしていても、心の中の子ども、純粋な憧憬は密やかに息づいていることが感じられる作品だと思います。

「礼拝」

…1950年にフランス国籍を取得し、1955年にカトリックの洗礼を受けた藤田は、西洋の伝統的な宗教画を研究して自己の信仰のために多くの宗教画を残しました。「礼拝」もクリスチャンとしての藤田が制作した作品の一つですが、初期から晩年まで藤田の愛した数々のモチーフに彩られています。緑豊かな風景のなかで、動物たちに囲まれて聖母に祈りを捧げる藤田夫妻。中央に描かれた乳白色の下地による聖母は両腕を広げて藤田夫妻を祝福しています。聖母のドレスにあしらわれた樹木の模様は、ジュイ布を収集し、作品にもたびたび取り入れてきた藤田らしく細緻に描写されています。手を合わせて祈る藤田夫妻の両脇に寄り添う子供たちは、ふっくらと丸い顔に広い額が印象的で、澄んだ瞳は無垢でありつつ全てを見通しているようです。藤田は戦後、しばしば子供を主題とした作品を手がけていますが、子供のいない藤田にとっては想像で描かれた絵の中の子どもたちこそ自分の子どもだったそうです。藤田の背後に描かれている家は、藤田が晩年を過ごしたヴィリエ=ル=バクルの家です。藤田は廃屋だった農家に手を入れ、食器など日用品も自作して使っていたそうですから、藤田にとってヴィリエ=ル=バクルの小さな家はまさに自分の城だったと言えるでしょう。背後に広がる緑の田園もヴィリエ=ル=バクルの風景なのでしょうか。あるいは特定の場所に基づかない理想化された風景かもしれませんが、かつて描いた物寂しいパリ郊外の風景とは対照的で、温かく光に満ちていますね。愛するものに囲まれて過ごした、藤田の穏やかな晩年が伝わってくる作品だと思います。

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは会期初週の金曜夕方でしたが、混雑もなく時間をかけてゆっくり鑑賞することができました。展示スペース自体が広めでゆとりがあるため、落ち着いて作品を見ることができます。音声ガイドには展示解説にはない、藤田自身の言葉が多数引用されていました。照明は暗めで、会場内はかなり涼しく感じられます。外が暑い分快適なのですが、羽織るものが一枚あるといいかもしれません。作品数が多めなので、所要時間は2時間~2時間半を見込んでおくと良いと思います。なお、図録は「カフェ」と「舞踏会の前」の2種類の表紙から選ぶことができるようになっています。

*1:Toile de Jouy。西洋更紗。18世紀にヴェルサイユ近郊の村、ジュイ=アン=ジョザスJouy-en-Josasの工場で生産されるようになった綿布で、単色の田園モティーフや野山の草花などがプリントされている。