展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展 感想

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見どころ

…「伊藤若冲展」は110点(会期中に一部作品の展示替えあり)の出品作全てが伊藤若冲(1716~1800)の作品で構成された、若冲の世界を堪能できる展覧会です。『動植綵絵』で名高い若冲の著色画は驚異的な緻密さと華麗な色彩で見る者の目を奪いますが、この展覧会は水墨画の作品が多いのが特徴の一つです。若冲水墨画には著色画とはひと味違う、自由闊達で軽妙な味わいがありますが、一方で生きとし生けるものに対する透徹した真摯な眼差しは著色画でも水墨画でも変わることなく共通していると思います。
若冲は生涯を通じてほとんど住み慣れた京都を離れることはなく、作品には「平安城若冲居士藤汝鈞画於錦街陋室」と、画名と共にアトリエのある錦小路の地名も書き入れたりするほどで、自らが生まれ育ち暮らす街に誇りと愛着を持っていたと思われます。しかし、天明の大火(1788、天明8年)によって京都が焼け野原となったため、齢七十歳を超えた若冲も避難を余儀なくされました。出品作の『蓮池図』は若冲が大阪に移住していた時期に手掛けられたもので、大火に見舞われた京都への願いが込められていると考えられるのだそうです。この展覧会はそうした若冲の願いに、福島復興への願いを重ね合わせた展覧会です。

概要

【会期】

…2019年3月26日~5月6日

【会場】

福島県立美術館

【構成】

 第1章 若冲、飛翔する
 第2章 若冲、自然と交感する
 第3章 若冲、京都と共に生きる
 第4章 若冲、友と親しむ
 第5章 若冲、新生する

jakuchu.org

感想

…この展覧会は若冲の作品のうちでも水墨画の作品が多いことが特色だと思います。若冲の著色画は良質の画材を惜しみなく使い、尋常でない根気と集中力によって極限まで密度を高めた表現に圧倒されますが、一方の水墨画の作品は、のびのびとして自由闊達な筆捌きと、遊び心や実験精神によって対象を生き生きと描写していることが魅力だと思います。一本の線に動きを感じ、余白に空間の広がりを想像し、墨の濃淡に色彩を見分ける水墨画は対象を高度に抽象化していると思うのですが、描く側はもちろん、見る側もそれに慣れているというのは実はすごいことなのではないかとも思いました。

若冲の作品というと、鶏をはじめとする動植物を描いた花鳥画がまず頭に浮かびますが、今回の展覧会では比較的人物画が多く、新鮮な印象を受けました。若冲の人物画は「売茶翁像」のように写実的な作品と、「三十六歌仙」のように戯画的な作品に分かれるようですが、個人的には初期の作品である「寒山」が印象に残りました。中国唐代の隠者である寒山は、拾得と共に常識を超越した脱俗のキャラクターとして禅宗絵画にしばしば描かれていて、先日の「奇想の系譜展」では狩野山雪の「寒山拾得図」が出品されていました。しかし、山雪の奇怪で不気味な寒山に対して、若冲寒山は天真爛漫で邪気のない笑顔を見せています。若冲は晩年に至るまで寒山と拾得を繰り返し描いているそうですが、この寒山から感じられる脱俗の境地とは常識に囚われない風変わりさではなく、精神の無垢さや純粋さであるように思われます。また、人物に入れて良いのかは分かりませんが、雷神が宙で逆さまになっている「雷神図」もユニークでした。意表を突いた構図に、一瞬絵の天地が逆になっているのかと思ってしまったほどですが、太鼓の重みに耐えて口をへの字に結んでいる小さな雷神は愛嬌があって可愛らしく感じられます。透徹した眼差しで自然を捉えた若冲の目に、人間はどのように映っているのか気になるところだったのですが、ユーモアはあっても毒はない表現を見ると、決して人間嫌いな人物ではなかったのだろうと思いました。

若冲は今回の出品作の中だけでも葡萄や枇杷など様々な植物を描いていますが、とりわけ頻繁に描いた松・竹・梅の「歳寒三友」は高潔の士の寓意であり、菊は蘭・竹・梅と共に風格ある気品をもつ「四君子」として中国の文人たちに珍重されてきた植物なのだそうです。なお、若冲作品のシンボルと言ってもいい鶏は中国では五徳(文・武・勇・仁・信)を自ずから有する鳥として好まれた画題とのことで、若冲が身近な対象を無作為に描いたわけではなく、意味も踏まえて選んでいることが分かります。一方、「蔬菜図押絵貼屏風」は茄子や南瓜、松茸など全部で十二の野菜がそれぞれ目一杯巨大に描かれていて、最初作品を目にしたときはその大胆さに笑い出しそうになりました。この作品は、若冲が晩年身を寄せた石峰寺のために仏具などを喜捨した武内家に贈ったもので、元は一枚ずつばらばらの絵だったのを、明治時代になって武内家の子孫が屏風に仕立てたものだそうです。モチーフはいずれも日々の食卓に供される身近な野菜ですが、青物問屋の主人だった若冲にとって、野菜は僧侶が日々の勤めに用いる大切な仏具にも値するような、単なる商品以上の思い入れがあったのかもしれません。動物も植物もあらゆる命を等しく尊重する若冲の姿勢が、ありふれた野菜を堂々たる主役として描く痛快な作品に繋がったのではないかと思います。

…「象図」に描かれた真正面を向くシンメトリーな象や、「双鶴・霊亀図」の羽毛を膨らませて立つ番いの鶴たち。主役として画面の中心を占める動物たちは、ユーモラスで軽妙ながら、いずれもデティールを省略した単純な一本の線でその量感まで表現されていて、どっしりとした実在感があります。「白象群獣図」の枡目描きは一つの枡目の左上側を濃い色で、右下側を薄い色で塗り、枡目同士の間をさらに薄い色で塗り分けてあります。若冲が目の錯覚まで計算していたのかは分かりませんが、一見すると各ドットが浮き上がって、まるで画面に凹凸があるように見えたのが興味深かったです。また、龍のうろこや鶏の羽毛など様々に用いられている筋目描きは、宣紙という中国渡来の紙の性質を生かしたもので、狩野派など他の絵師たちもそうした性質自体は知っていたと考えられるそうです。しかし、たとえ見世物的な技巧と見なされようと躊躇わず積極的に取り入れたところに、他者からの評価よりも自分の理想に近づくことを求めた若冲の飽くなき探究心、とどまることのない向上心が窺われると思います。「百犬図」はおびただしい数の犬で画面が埋められています。犬は犬種によってサイズや毛足の長さなどが多種多様でバラエティに富んでいますが、この作品に描かれている犬はそれぞれ毛色こそ異なるものの姿や顔つきはみな似通っていて、同じ犬の分身のようにも見えます。若冲は犬というものを表現するに当たって、この作品では一匹の姿に犬の特徴、本質の全てを込めるのではなく、代わりにおよそ思いつく限りの犬の表情、ポーズを描けるだけ描き出すことで画面=世界を埋め尽くしてみたのかもしれません。

…墨一色で質感や色彩まで表現する水墨画ですが、「蓮池図」は他の作品とは異なる独特の描き方で、墨痕鮮やかな勢いある筆遣いが見当たらず、版画のようにムラのないトーンで描かれています。本作については、展覧会の監修者である狩野博幸氏が、天明の大火で焼失した京の街の復興を願う若冲の思いが込められていると解説されていますが、実際作品を目の当たりにすると改めて一面が薄墨色の喪の風景であるように感じられました。蓮の池というとお釈迦様のいる極楽浄土にあるものですが、この作品に描かれているのは虫食いのある葉やすでに花弁が散った蓮であり、花咲き乱れる極楽ではなく寂寥感の漂う死の世界そのものです。若冲の作品のなかでもこれほど死の気配が濃厚な作品は他にあまり思い当たらないのですが、大火の直後というタイミングで制作された本作に、灰燼に帰した京の街やさらには若冲自身の作品、生活や人生そのものに対する喪失感が投影されているのは自然なことに思われます。若冲の心象風景が見えるような作品ですが、そんな世界に兆した小さな蕾には喪失のあとの再生が託されているのでしょう。ところで、「蓮池図」は元は「仙人掌(サボテン)群鶏図」と襖の裏表をなしていたのですが、表面だった「仙人掌群鶏図」は「蓮池図」とは対照的に目にも眩い金地に鶏の親子とサボテンが描かれています。鶏の親子は、有限な個体が子孫を残すことで死を乗り越えることを象徴しているのでしょうか。サボテンが描かれているのは珍しい植物への好奇心や造形的な面白さが大きいのだろうと思いますが、乾燥に強い性質が裏面に描かれた水辺の植物である蓮と好対照であり、常緑性の植物である点でも枯れかけた蓮と対比されていると考えられます。生と死、此岸と彼岸との鮮やかな対比において、現実の世界の側に浄土のような金色を施したのは、大火に見舞われ、ある種の擬似的な死を体験したことで、より一層死を乗り越えて再生する生命の輝かしさが感じられたためかもしれません。打ちひしがれた心に希望を灯し、苦難を乗り越えていこうとする意志を感じることが出来る作品だと思います。

その他 交通アクセスなど雑感

…今回は新幹線に乗っての遠出となりましたが、会場である福島県立美術館までの経路は初めて行った私でも分かりやすかったです。福島駅で新幹線の改札を出たあと福島交通飯坂線へ乗り換えるため、エレベーターで1番線ホームに降りてホームの先にある飯坂線・阿武隈線の改札へ向かったところ、ちょうど美術館方面に向かう電車が来ていました。駅員さんに間に合わないから車内で切符を購入するように言われて急いで乗車しましたが、電車の中で乗務員さんが切符を持っていない人がいるか聞いてくれるんですね。おかげさまで無事切符を購入できました(Suicaは使えません)。最寄りの美術館・図書館前駅は福島駅から2駅めで、乗車時間は3分ほどです。小さな駅から出ると道のすぐ先に福島県立美術館の敷地が見えるので、迷うことなく徒歩3分で美術館へ到着。朝の10時頃でしたが、駐車場はその時点で既に満車でした。美術館では車の案内などのために外に立っているスタッフの方が皆さん「おはようございます」、帰りの時は「ありがとうございました」と挨拶してくださって温かい雰囲気でした。私は常設展も見たかったので、伊藤若冲展を見たあと美術館のカフェで食事をしたのですが、休日のお昼だったため30分ほど順番待ちをしました。席が空くまで購入した図録を見ていたのでさほど苦にはならなかったのですが、お昼どきにかけて行く場合は食事をどうするか考えておいたほうがいいかもしれません。常設展では以前から見たいと思っていたアンドリュー・ワイエスの作品を見ることが出来て良かったです。特に「そよ風」は窓辺に立つ女性の裸体のみずみずしさと密やかな解放感、がらんとした背後の暗がりに窓から吹き込んだ風の余韻が感じられて印象に残りました。帰りは時間に余裕があったので、慌てず自動券売機で切符を購入することができました。ホームで待っているお客さんは美術館に来た人以外に、地元の方も多くて地域の足という感じでしたね。何事も便利だけど忙しない日常からしばし離れて、ゆったりした雰囲気を味わうことが出来た旅でした。

ラファエル前派の軌跡展 感想

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見どころ

…「ラファエル前派の軌跡」展は19世紀イギリスを代表する美術批評家ジョン・ラスキン(1819~1900)の生誕200年を記念するもので、ラスキンが評価し、擁護したJ・M・W・ターナーやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズらの絵画作品、ウィリアム・モリスによる装飾芸術まで140点を超える作品で構成されています。中でも、風景や建築などラスキン自身の素描が30点以上出品されていますが、これだけまとまった数を見る機会はなかなかないと思います。
ラスキンは著書『現代画家論』第1巻の末尾で「心をむなしくしてひたすら自然に向かうように、自然を信頼し骨身を惜しまず自然とともに歩み、自然の意味するものを徹底的に汲み取ることのみに専念し、なにものも退けず、なにものも選ばず、なにものも軽んじないように」説いています。自然に対する忠実さを求める考えはラファエル前派の理念となりましたが、ターナーの、特に晩年の作品とは相容れないようにも思われます。しかし、ラスキンにとって自然の姿とは、一見静止して見えても絶えざる動きと変化があるものであり、見えるものはすべて流転の状態で把握する必要があると考えていたことをこの展覧会によって知ることができました。ラスキンは、ターナーが自然の無限な多様性を尊重し、風景を現出せしめている天然自然の力を愛したと感じていたそうですが、誰よりもラスキン自身がそうした天然自然の力を愛したのでしょう。ラスキンには山を描いた素描が多いのですが、山もまた風雨や氷河による浸食や根源的な地質の圧力などを受けて変化するもの、絶え間ない運動状態にあるものと捉えていたそうです。個人的に印象に残ったラスキンの素描は「渦巻きレリーフ――ルーアン大聖堂北トランセプトの扉」(1882年)で、会場内で最初に見かけたときは一瞬写真と見間違ったほどリアリティがあり、まさしく自然に忠実な一枚でした。ラスキンは型どおりに見える装飾模様の一つ一つに実は手掛けた職人による差や個性があり、それぞれの部分が独自の印象を備えていることを特に重視していたそうです。ラスキンにとって綿密な観察とは、不動と見えるものに変化の兆候を、同一と見えるものに多様性の痕跡を見出すためのものであり、存在の本質を捉える行為だったのだろうと思います。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午後でしたが、それほど混雑していなくて落ち着いて鑑賞することができました。会場内は第2章の展示室で作品の撮影が可能です。いつもはルドンの「グラン・ブーケ」が飾られている展示室も、今回は特別展の作品が展示されていました。作品数が多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年3月14日~6月9日

【会場】

三菱一号館美術館

【構成】

第1章 ターナーラスキン
第2章 ラファエル前派
第3章 ラファエル前派周縁
第4章 バーン=ジョーンズ
第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術

mimt.jp

感想

ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」(1830年)

…海洋国家イギリスを代表する風景画家であり、自身釣りを愛好していたターナーは多くの海景画を手掛けていますが、「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」はドーバー海峡を隔てたフランスの港町カレの、穏やかな夕暮れの海とその海辺で生きる人々の暮らしを描いた作品です。暗い雲を二つに割って海に落ちようとしている夕陽の輝きが空と海をドラマチックな金色に染めるなか、左手にある中世の防砦フォール・ルージュのシルエットが長く伸びて海に映り込み、空と海、海と浜の境界が色彩の靄の中で渾然と混ざり合っています。海辺の風景は陸地から海に向かって眺める構図が多いと思うのですが、この作品の場合は防波堤や古い防砦のシルエットが描かれている画面左側が陸地、雲間に紛れる船の白い帆が見える右側が沖合と横から眺めているようで、海と浜の境が曖昧な描き方と相まって最初に見たときは位置が掴めず戸惑いました。干満の差が大きい遠浅の浜ならではの風景なのでしょうね。女性達が採っているイカナゴメバルなどの根魚からヒラメ、スズキといった大型魚まで幅広い魚種の餌になる魚で、生息域は沿岸地帯の砂泥底、夏場は砂に潜り夏眠するそうです。ドーバー海峡産の魚というと舌平目が有名ですが、その餌でしょうか。冬眠は馴染みがありますが、夏眠する動物がいるというのは初めて知りました。この作品はイカナゴが夏眠している砂地を掘り返している情景を描いたものと思われますが、ターナーは珍しい漁獲方法に興味を引かれたのかもしれません。一方で、女性達は日が暮れてしまう前に明日の漁に必要な餌を採らなければならないのでしょう。美しい夕焼けに頓着することなく働き続ける彼女たちは、かえって日の出と日没、満ち潮と引き潮といった大きな自然のサイクルと一体化しているようにも感じられます。歴史的な建築物はターナーの風景画にしばしば描かれていますが、ランドマーク的な役割を果たすと共に、長い時間を経ることで自然と近しい崇高さを感じさせます。壮麗な日没のもと、防砦が機能していた時代から繰り返されてきたであろう人々の営みに時を超えた永遠性を感じる作品だと思います。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」(1863~68年頃)

…長く豊かな赤い髪を下ろして胸を露わにしたヴィーナス。ロセッティの「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」はバラやリンゴよりも赤いヴィーナスの艶やかな唇が官能的な作品です。奥行きのない平坦な画面一杯にバラとスイカズラが咲き誇り、ヴィーナスの上半身を取り巻いていますが、舞い飛ぶ蝶が引き寄せられているのは花ではなくヴィーナスが手に持つ林檎や矢、あるいはヴィーナス自身です。蝶はプシュケー、すなわち魂であり、ヴィーナスの魔力に囚われて愛にさまよっているのでしょう。ヴィーナスの背後では青い小鳥が桑の実を啄んでいますが、桑の実は「ロミオとジュリエット」の元になったというギリシャ神話、ピュラモスとティスベの物語とも所縁があるそうで、悲恋を連想させる意味があるのかもしれません。ヴィーナスが手に持つ林檎はパリスの審判でヴィーナスが勝ち得た「黄金の林檎」で、今回出品されているバーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」にも描かれているものですが、同時にトロイ戦争の引き金ともなった「不和の林檎」でもあります。また、林檎にはおそらくエデンの園の善悪の実も重ね合わされていて、甘美な味わいだが取り返しのつかない運命をもたらす恋を象徴しているとも考えられます。見る者に禁断の果実を差し出す「魔性のヴィーナス」には誘惑するイヴでもあるのですが、一方でヴィーナスは聖母のような光輪を戴いていて、単なる悪女ではないことが分かります。ロセッティは愛の女神の持つ力によって、魂が囚われる苦悩と満たされる幸福との両面がもたらされることを表現しているのかもしれません。なお、スイカズラの花の緻密さとヴィーナスの肌や髪を描く柔らかな筆触とには違いが感じられるのですが、ロセッティはモデルを最初の街で見かけた女性から別の女性アレクサ・ワイルディングに変更し、さらにラスキンから粗雑だと批判された大胆で自由な描き方を描き直すなど、二度ほど大きく描き直しているそうです。

フレデリック・レイトン「母と子(サクランボ)」(1864~65年頃)

…「母と子(サクランボ)」は肘をついて枕にし、絨毯に寝そべる母親の口元にさくらんぼを差し出す子供の姿を描いたものです。母子像と言うと優しく子供を抱く慈愛に溢れた母親、あるいは家事に勤しみ、かいがいしく子供の面倒を見る母親といった姿を連想しますが、この作品では母親が一見怠惰にも見えるポーズで表現される一方、きまじめに母親の世話を焼く子供の姿が可愛らしいです。画面左側、部屋の奥には花瓶に差した大輪の百合が飾られていますが、百合というと聖母の象徴ですね。本作のタイトルであるサクランボも聖母に縁のあるモチーフで、イエスを身ごもったマリアが桜の園で夫のヨセフにサクランボを取って欲しいと頼んだところ、「お前に子を授けた人に取ってもらえば良い」と断わられてしまったというエピソードがあるのだそうです。マリアがもう一度同じ願いを繰り返すと、胎内のイエスが桜の木に声を掛け、桜の木が枝をたわませてくれたのでマリアはサクランボを食べることが出来たということですから、女性の手元のサクランボの枝はこのエピソードを暗示し、母の傍らにうずくまる幼い子供はイエスを象徴しているとも考えられます。もしかしたらこの女性は妊娠していて、横になって休む母を幼子がけなげに労っているのかもしれません。豪華な絨毯や鶴の描かれた金箔の屏風など東洋風の洗練された調度品によって優美に演出しつつ、母と子の絆を描いた作品だと思います。

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」(1881~82年)

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」では、画面左側に立つ木の幹の中から現れた女性が男性を抱き締めている姿が描かれています。女性はトラキアの王女ピュリスで、トロイ戦争から帰還する途上でトラキアに漂着したデーモポーンと結ばれます。しかし、デーモポーンは故郷であるアテナイに帰った後ピュリスを迎えに来なかったため、捨てられたことを嘆いたピュリスは自死しようとしたところ、哀れに思った神々によってアーモンドの木に変えられます。本作は後悔したデーモポーンがトラキアを訪れて、ピュリスの化身である木を抱き締めると、幹からピュリスが現れてデーモポーンを許したという場面を描いたものです。その割にデーモポーンの表情は強ばっていて、恋人と再会し、和解できて喜んでいるようには見えません。どちらかと言うとピュリスを拒絶して、デーモポーンを絡め取ろうとするアーモンドの枝から逃れようとしているようにさえ見えます。この作品に先だって、バーン=ジョーンズは1870年に同主題の水彩画「ピュリスとデーモポーン」を制作しているのですが、デーモポーンの性器が露わに描かれていることなどが批判され、画家は1877年まで公の展示から身を引くことになってしまいました。「ピュリスとデーモポーン」については図版で見た限りなのですが、構図は「赦しの樹」とほぼ同じでも、ピュリスを見返すデーモポーンの表情はより柔らかく、夢見るような陶然とした雰囲気が感じられます。実は「ピュリスとデーモポーン」の背景にはバーン=ジョーンズと女性彫刻家マリア=ザンバコとの恋があるそうです。道ならぬ関係は1869年、マリアによる無理心中未遂事件に至って破局し、バーン=ジョーンズは妻子を選んだのですが、マリアの執着や激情に戦慄きつつも彼女を捨てたことに負い目を感じていたのでしょうし、無残に終わったとはいえ恋の思い出は甘美なものがあったのだろうとも思います。対する「赦しの樹」ですが、時間が経ったことでバーン=ジョーンズの気持ちが変化したのか、最初の作品が画家の私生活上のスキャンダルも含めて強い批判を受けた経緯があり、表現を変えることにしたのか、物語に個人的な思いが重ね合わされている当初の水彩画に比べると、本作はより普遍的にピュリスを魔性の女性、あるいは破滅的な運命そのものの象徴として描いているように感じます。バーン=ジョーンズは運命に魅入られる恐ろしさ、そして危険なものと知りつつのめり込んでしまう人間のさがのようなものを表現しているのかもしれません。

ケルムスコット・プレス「チョーサー作品集」(デザイン:エドワード・バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリス)(1896年)

ラスキンによって中世に憧れを抱き、職人たちの手仕事による生活空間の再現を目指したウィリアム・モリスは、1891年にケルムスコット・プレスを設立して美しいデザインの書物の制作にも取り組みました。とりわけバーン=ジョーンズが挿絵を担当し、字体や頁の欄外装飾などのデザインをモリスが手掛けた「チョーサー作品集」は、華麗な植物モチーフによる意匠で埋め尽くされ、使用する紙やインクにまでこだわった豪華な装飾本です。ここまで凝ったデザインの本は最早読むものというより装飾を眺めて楽しむものという感じですが、頁を開くだけで作品の世界が感じられて、書物それ自体が表現の一部とも言えそうで、持つ喜びを与えてくれる書物だとも思います。徹底してクオリティを追求したため当然ながら経費もかかり、庶民には手の届かない高価な本となったようですが、モリスは富裕層向けだけではなく、一般の家庭向けの安価な家具なども手掛けて販売しています。モリス商会で最もよく売れたというサセックス・チェアは黒檀調の木材の枠組みにイグサの座部を組み合わせたシンプルで素朴な家具ですが、背もたれや脚などの細部の形状にもさりげなく意識が行き届いています。また、モリスのデザインした布地や壁紙の反復するパターンを見ていると、ラスキンが型どおりに見える装飾模様の一つ一つに個性を見出していたことが思い出されます。ラスキンは批評家として、支援者として様々な芸術家に影響を与えていますが、モリスはラスキンの考えを最も具体的かつ身近な形で表現しているように思います。美の理念が作品の中だけで完結せずに実用の品を通じて実践される、いわば生きた状態で伝えられ、人々に普及されることが装飾芸術の力と言えるのかもしれません。

青山昌文『芸術は世界の力である』 感想

…展覧会の感想ではないのですが、面白そうだなと思って最近読んだ本の概要と感想です。

…青山昌文氏は放送大学の教授で、『芸術は世界の力である』は放送大学の講義に使われる印刷教材の一部を全面的に改稿し、取り上げる作品の多くも新たなものに差し替えて執筆したものだそうです。放送大学の印刷教材は図版がないのですが、こちらは一般の読者も想定した書籍で、本文中に取り上げられる作品が口絵にカラーで掲載されています。目次は下記の通りです。
 第1章 《ヴィーナスの誕生》に魅せられて
 第2章 システィーナ天井画のスーパーパワー
 第3章 《アテネの学堂》と《パルナッソス》の深い意味
 第4章 《ポンパドゥール夫人肖像画》のあでやかさ
 第5章 《食前の祈り》の深い静けさ
 第6章 《サン・マルコ広場:南を望む》の素晴らしさ
 第7章 《リュート弾き》の幻惑的な迫真性
 第8章 《ミロのヴィーナス》のセクシュアルなたたずまい
 第9章 パルテノン神殿のたおやかな肉体性

…青山氏は、芸術は「世界」の表現であり、人間の主観を超える大きく高い存在であると述べています。これには二つの面があります。一つ目は、芸術はそれを作り出す人間の主観を超える存在であるということ。芸術家は自分自身の中に芸術の源を持ってはいるのではなく、「何か凄いあるもの」に遭遇してそれから力を受け取り、その力を作品の内に込める。それによって作品が力を持ち始め、その力によって芸術作品を味わう人が動かされ感動するのだということです。青山氏は上述の「何か凄いあるもの」を「世界」と呼び、芸術は芸術家の内面の自己表現ではなく、作品に描かれている存在の本質とともに、その存在が生きている社会の本質を表現するものであるとしています。私自身の経験を振り返ってみると、これまで見た印象深い多くの作品の中で、「世界」が表現されていると感じた作品としてすぐに思い浮かぶのはピーテル・ブリューゲル1世の《バベルの塔》(2017年、東京都美術館)なのですが、そうしたものが表現されている作品が優れた作品なのですね。

…もう一つは、それを見る人間の主観を超える存在であるということ。芸術とは、それを見る人が自分の主観で感性的に心地良いか良くないかを決めてしまうことで、その美を断定出来てしまうような、人間の勝手になる小さな存在ではなく、美の魅力を味わうには、芸術作品がどのような原理によって生み出されているのかという知識が必要であり、芸術作品が発しているパワーを受け止める体勢を整えておく必要がある。素晴らしいものは本格的なものであり、謙虚さと敬意を持って知ろうとする努力が欠かせない、手軽には手に入らないということです。一目見ただけですごいと感じる作品もありますが、中にはよく分からなかったり、困惑したりする場合もあります。でも、自分の知識不足で分からないというのは勿体ないですし、むしろ分からない作品に出会ったときこそ新たな世界が広がるきっかけになるかもしれません。やはり見る側も努力が必要なんですね。こうして芸術家と鑑賞者の両者の条件が整うことで、私たちは作品に込められた世界の根源的なパワーによって今までとは別の次元に運ばれてゆく経験ができるのであり、芸術は世界の力であると言えるのだそうです。

…青山氏の意見の背景には、芸術とは画家の自己表現であり、作品の価値判断は見る人の主観によるとするような近代以降の通俗的な主観主義、自己中心主義への批判があります。画家の「主観」が入り込んでいるから良い、画家が画面構成を「主体的に」考えて対象を画家の立場から「再構成」している点で画家の「個性の表現」となっているから芸術であるとする考え方に対して、青山氏は少なくとも18世紀までの古典芸術には当てはまらない、最も正統的なあるべき絵画の姿とは、存在の本質が表現されていて「あたかも、そこに、そのものが存在しているという感覚を、強くあたえる力を持っている」ことだと述べています。また、芸術は実在にかかわるものであるが故に実在の諸性質を帯びるのであり、(主観が捉えた対象ではなく)実在に深い関心をもつことが芸術に深い関心を持ち、芸術に心を動かされることにつながるとしています。「感想」という当ブログのタイトルそのものがもう主観なので、言葉もないのですが…。芸術作品について、思ったことを自由に言ったり書いたりしなさい、というのは一見芸術に対する敷居を低くするようですが、何の手がかりもない状態では何を見たら良いのか、どう感じたら良いのか戸惑うのではないかとも思いますし、芸術を味わうならやはりそのための知識が必要だと思います。また、私もほとんど無意識に画家の主観や個性が作品に反映されていることを良しと判断してしまいがちなので、特に古典芸術を見るときは注意しなければと思いましたし、何より自分が無意識の先入観を持っていること、何気ない感覚や印象も、そうした先入観に左右されている場合があることを意識しなければと思いました。一方で、私は19世紀以降の芸術作品も好きなのですが、青山氏は19世紀以降の美術についてどのように考えているのか知りたいとも思いました。

…本書の中で解説されている作家・作品のうち、特に興味深かったのがカナレット(アントーニオ・カナール)と《ミロのヴィーナス》です。カナレットは「多くの場合、一枚の絵を描くにあたって、二つ以上の視点の異なるデッサンを統合している」そうですが、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(2018年、国立新美術館)で(本書とは異なる作品ですが)作品を目にしたときは分からなかったんですよね。複数の視点からなる景観をそれと分からないほど自然に一点透視画法によって統合し、現実には一目では見渡せないような広々と遙か遠くまで見渡せる景観を一つの画面に実現している、いわば現実に基づきながら現実を超えているのがカナレットの作品のすごさなのだそうです。有限な視覚を超越したパースペクティブは、生粋のヴェネツィア人だったカナレットの脳裏に蓄積された愛する都市の最も美しい姿の結晶と言えるのかもしれません。

…《ミロのヴィーナス》については、「《ミロのヴィーナス》のセクシュアルなたたずまい」という章題にまず意表を突かれます。実はこの像の女神は衣服が落ちそうなのを両足で挟んでとどめている「人間的な」ポーズをしていて、神の威厳を感じさせる古代ギリシャの古典期に作られた堂々たる裸体像とは決定的に異なっているのだそうです。言われてみればその通りなのですが、芸術作品に対して生々しい性的な魅力を感じたとしても、通常はそこにとどまらずにより奥深いテーマ、目的を探ることが大事だからとあえて気に留めることはなく、そのため逆に見落としていたことに気づかされました。実は《ミロのヴィーナス》が作られたのはギリシャ文明の基礎であったポリスが根底から崩壊したヘレニズム時代で、セクシュアリティはポリスや神々といったギリシャ文明の本質的な理念が失われた後の普遍性の一つとして芸術作品の前面に現れるようになったのであり、女神の姿にはそうした当時の社会の本質が表現されているのだそうです。本書第8章では《ミロのヴィーナス》と共に《うずくまるアプロディーテー》が取り上げられていて、ルーベンス展(2018年、国立西洋美術館)でいくつも目にした、我が身を庇い隠すようでいて、その豊満さをあえて強調するように身体をひねった独特のポーズの女性像を思い出しました。ルーベンスはイタリア滞在中に古代彫刻を数々目にしたことと思いますが、作品の持つ魅力の本質を正確に見抜いていたのでしょう。ルーベンスは画家としては言うまでもないのですが、作品を見る目も鋭く優れていたのだと思いました。

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代 感想

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見どころ

…「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代」展は、ル・コルビュジエ、すなわちシャルル=エドゥアール・ジャンヌレが建築家としての地位を確立する以前の、第一次世界大戦後から1920年代の活動に焦点を当てたものです。出品作はル・コルビュジエ、及び共にピュリスムの運動を担ったアメデ・オザンファンの絵画作品が中心で、ル・コルビュジエの建築作品やキュビスムとの関わりにも触れながら紹介されています。
…美は感覚的なもので、ある作品・ある作家特有のもの、一般化できないオリジナリティに価値があるというイメージを持っていたのですが、ピュリスムは例えば構図の決定に当たって規整線を用いたり、作品のサイズも数学と生理学の根拠に基づいて決めていたりと、美は科学と同様に法則に基づくものだから普遍的なものという考え方をしているところが興味深かったです。ピュリスムの理念は「幾何学的秩序に支えられた芸術」ですが、儚く移ろう表面の美ではなく、根本的で確固とした真理、存在の核となるような確固とした真理を求めるのは西洋的だなと思いますし、その核となるものがキリスト教ではなく科学という点は近代的な発想だとも思います。
…シャルル=エドゥアール・ジャンヌレは本名よりもル・コルビュジエというペンネームで知られているのですが、これは盟友であったオザンファンから本名は絵画作品や美学の論文のために使い、建築に関する論文を発表する際はペンネームを使うよう勧められたことがきっかけなのだそうです。オザンファンは絵画こそ最も自由な創造であるという考えを持っていて、オザンファンを尊敬していたジャンヌレはその提案に乗ったのでしょう。しかし、1928年以降、ジャンヌレは絵画作品にもペンネームのル・コルビュジエでサインするようになっていきます。オザンファンと決別して、作品もピュリスムの理念から離れたことなどが理由なのでしょうが、ル・コルビュジエというペンネームと共に築いた自身の世界や建築家としてのキャリアへの自負も感じられます。ピュリスムの時代はジャンヌレがル・コルビュジエとして生まれ、成長していく過程と言えるのかもしれません。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午前中でしたが、入場待ちはなくスムーズで、作品をじっくり見ることが出来ました。会場はいつもの地下の企画展示室ではなく常設展の展示室で、ル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の空間を実際に体験しながら作品を鑑賞することができるようになっています。展示解説は少なめでした。特別展の所要時間は90分でしたが、そのまま常設展の展示室に続いているので2時間は時間があるといいですね。

概要

【会期】

 2019年2月19日~5月19日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

1 ピュリスムの誕生
2 キュビスムとの対峙
3 ピュリスムの頂点と終幕
4 ピュリスム以降のル・コルビュジエ
ピュリスムの活動を担ったのはジャンヌレとオザンファンの二人で、出品作はジャンヌレの油彩画が17点、オザンファンが12点。そのほとんどが静物画ですが、ピュリスムは瓶やグラスなどの日用品やギターなどの楽器を人間の手の延長と見做し、長い年月を経て合理的な形に行き着いたもので、純粋で標準化された形態の美があると考えていたそうです。また、各章ごとに、該当する時期にル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の設計図や模型、家具などが展示されていました。その他、ピュリスムキュビスムを批判的しつつ、その影響を大きく受けているため、キュビスムの絵画・彫刻も展示されていて、特にフアン・グリスや、ピュリスムの理念に賛同して雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』にも参加したフェルナン・レジェの出品数が多くなっています。

lecorbusier2019.jp

感想

シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)

ピュリスム初期の作品は比較的すっきりとして、分かりやすい印象です。明晰さや古典的秩序を理念とするピュリスムは、キュビスムが対象を解体したことを批判しつつ、キュビスム以前のリアリズムにも戻ることなく対象を三次元の立体として捉えるため、対象の正面から見た姿と上から見た姿とを結合させて描いているそうです。この時期に描かれたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)では、横から見た積み重ねた皿がくびれのある円筒状に描かれていて目を引きます。皿の手前に描かれている波形の壁のような物体は開いた本を立てて置いてあるのでしょう。画面をほぼ二分割する黒い面は、ギターや本の載ったテーブルを上から描いていると同時に、白いガラス瓶が置かれたテーブルを真横から描いたものでもあります。この作品は上から見下ろした皿とギターのサウンドホールとを一致させているのが面白いのですが、陰影によって立体感が強調されているぽっかりと開いた黒い空洞は意外な深さを持っていて、ピュリスムの法則で構成されている画面においてはかえってそのリアルさが非現実で印象的でした。

アメデ・オザンファン「和音」(1922年)

キュビスムの批判から出発したピュリスムですが、ドイツ人画商ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーのコレクションの競売でピカソやブラックらの作品に接したジャンヌレとオザンファンは認識を改め、キュビスムの手法を作品に取り入れるようになります。その結果、ピュリスムの作品は初期に比べて複雑で洗練されたものに変化していきました。アメデ・オザンファン「和音」(1922年)では灰色の水差しのS字形のカーブが瓶やギターの輪郭線も兼ねていますが、複数の対象を同一の輪郭線によって結合するこうした手法は、フアン・グリスの作品の影響を受けているそうです。また、手前のモチーフを透過して背後に重なるモチーフが見えているのもキュビスムからの影響の一つで、ジャンヌレ「多数のオブジェのある静物」ではより顕著にその手法が用いられ、解読が困難なほど重層的になっています。オザンファンはモチーフ同士が結びつき重なり合うことで構築された画面を、複数の音が結びつくことで新たな響きを生み出す和音になぞらえたのでしょうか。一方で、平面と正面を組み合わせることで立体感を生み出す以前の手法は、上から見た白いテーブルと側面から見た波打つクロスにその名残が見られる程度です。あらゆるモチーフが重なり合い、パズルのピースのように互いにはめ込まれていますが、唯一立体的に描かれた灰色の水差しのみが透き通ることなく姿を保っています。また、ギターのネックと白いカラフの間には中身の入った瓶があるようなのですが、黒い背景と一体化したシルエットのみで表現されています。「グラスとパイプのある静物」などピュリスム初期のオザンファンの作品では、三次元の対象とその対象を二次元に写し取った影との関係性への拘りが見受けられるのですが、ここでは二次元の影が三次元の実体に取って代わったかのようにも感じられます。この時期のピュリスムの関心は個々のモチーフの立体感より、画面全体における空間表現の方法へ移っていると言えるかもしれません。

フェルナン・レジェ「二人の女と静物」(1920年)、「横顔のあるコンポジション」(1926年)

…この展覧会ではキュビスムの作品も多数出品されていますが、個人的にはフェルナン・レジェの作品が印象に残りました。他のキュビスムの絵画作品には静物画が多いのに比べてレジェの場合は「2人の女と静物」などしばしば人物が登場し、情景が描かれています。また、その人物像は金属のような光沢のある色彩で、球や円筒などを組み合わせたユニークな姿をしています。ル・コルビュジエは「住む機械」を掲げて住居や家具を機能的で画一的に設計しましたが、レジェは周りの環境ではなく人間自身を機械のように描写しているんですね。レジェは機械や科学の発展を楽観的に捉えていたそうなので、時代と共に進歩する新しい人間像を表現したかったのかもしれません。キュビスムの作家であるフアン・グリスは「私は一般的な物から個別的なものへ向かう、つまり、抽象から出発して、現実の事象に達する」と述べていますが、レジェの場合は純粋な色彩、線、形という絵画の3つの要素の「コントラスト」によって現代生活の実感を表現したいという考えを持っていたそうです。他の作家に比べてレジェの作品が直感的で分かりやすいと感じるのは、理念ではなく実感を元に表現しているためかもしれません。レジェは一時期ピュリスムの活動にも参加しますが、その後「バレエ・メカニック」という映像作品を手掛けたことがきっかけにさらに作風を変化させています。「横顔のあるコンポジション」では画面の中に統一的な空間が存在せず、人物の横顔、文字の一部、何かの部品のようなモチーフがそれぞれランダムに並列されていますが、重要なこともそうでないことも優劣なく、脈絡のない雑多な情報が溢れてスピーディーに流れていく大衆社会の感覚そのものを表現しているように思いました。

エスプリ・ヌーヴォー館」(1925年)

…1925年にパリ国際装飾芸術博覧会(通称アール・デコ博覧会)で発表されたピュリスムのパヴィリオン「エスプリ・ヌーヴォー館」は、規格化と大量生産の原理に基づいて建築空間から家具や食器に至るまで装飾性を排除したものでした。世界が注目する舞台で自分たちの理念を具現化して広めようと考えたのでしょうが、装飾芸術をテーマとする博覧会で装飾芸術を否定した展示を発表するという戦略はなかなか大胆です。一方で、簡素で機能的なパヴィリオンにはピュリスムキュビスムの絵画・彫刻作品など「魂の不朽の表現」である純粋芸術が展示されました。展覧会で作品を見ていると、つい一つ一つの作品に集中して画面の中にばかり気を取られてしまうのですが、実際に作品が展示されたパヴィリオンの写真を見ると、単体で見ているときは奇抜に思えるキュビスムピュリスムの作品が建築空間によく馴染んでいて、確かに共通の美意識があることが感じられます。ピュリスムの結実である「エスプリ・ヌーヴォー館」ですが、ル・コルビュジエの強引な進め方にオザンファンが反発して、既に関係が悪化していた両者は決裂し、ピュリスムの運動も幕を閉じることになりました。

ル・コルビュジエ灯台のそばの昼食」(1928年)

…1925年にピュリスムの運動が終焉を迎えたあと、ル・コルビュジエは絵画制作を個人的な活動に位置づけて展覧会にも出品しなくなりますが(再び作品を公開するようになるのは1938年)、絵画の制作自体は造形の着想を引き出すための考察と実験の場として日常的に継続しています。「灯台のそばの昼食」(1928年)はピュリスムの時代と同様に静物画ですが、何より色彩の軽さ、明るさが印象的です。ピュリスムの理念においては人間の普遍的な意識に働きかける幾何学的形態を優先し、個人的、二次的な感覚に訴える色彩は形態に従属すべきであるとされ、色彩はさらに「主要な色階」、「力動的な色階」、「移行的な色階」に分類されていました。そうした法則から解放されて、ル・コルビュジエは自分なりの色のこつを掴んだと手紙に記していますが、この作品はピンクやベージュといった人の肌を思わせる色調が全体の柔らかく優しい雰囲気を生み出しているように感じます。モチーフには見慣れたグラスなどと共に手袋や貝殻など「詩的感情を喚起するオブジェ」が新たに取り入れられ、かつての画一的で幾何学的な形体ではなく、フリーハンドによる有機的な曲線で描かれています。テーブルの背景には岬に灯台の立つ風景が描かれていますが、通常、遠景は近景の上に描かれるのに対して、この作品ではテーブルの下から見えているという逆転が面白いですね。一般的な遠近感が通用しない画面構成によって、テーブルや食器類と灯台など屋外の風景とのサイズが逆転しているようにも感じられます。あるいは、画面を水平に横切るテーブルを地平線に見立てて、山や川や樹のようにオブジェを卓上に並べることで、ル・コルビュジエは家庭の小さな卓上が自然に匹敵しうる眺めと広がりを持ちうることを示唆しているのかもしれません。ところで、ピュリスムの作品において瓶やグラスは何度となく繰り返し描かれていますが、すっきりと無駄のないフォルムがピュリスムの理念に相応しいものであるために造形上適した要素として用いられていたのであって、食に要する道具としての意味はなかったように思います。しかし、この作品ではタイトル及びモチーフの配置において、食事の道具という本来の意味が回復しています。食は生命の維持に欠かせない行為であり、ル・コルビュジエの関心が、近代的な生活から自然や生命といった根源的なものに移行していることが反映しているようにも思われます。また、脱いだあとの半分裏返った手袋は、他のモチーフと異なり立体感がなく背景の空と同じ色で描かれています。ピュリスムは日用品を人間の手の延長と見做して、その合理的な形態を評価していたのですが、いまや手は抜け殻となり、人の手から離れたオブジェは自由を得たとも考えることもできそうです。一方で、この手袋の指と思われる部分は不思議な形をしていて、地平線から宙にはみ出した雲のようにも羽のようにも見えます。オブジェだけでなく、それらを使う手もまた機能性、経済性といった合理主義のみを追及することから解放されて、新たな美を生み出す自由を手に入れたのかもしれません。

奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド 感想

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見どころ

…「奇想の系譜展」は美術史家・辻惟雄氏の著書『奇想の系譜』(1970年)に基づき、8人の画家たちの作品を通して独創性に満ちた江戸絵画の魅力を紹介する展覧会です。彼らはその斬新で革新的な表現により、かつては日本美術の中でも傍流とみなされていたのですが、辻氏の著作を通してその現代性が知られることで、今では大きな注目と人気を集めるようになっています。
…この展覧会の出品作には乞食や山姥といったモチーフ、どぎつい色彩や残酷な場面など、これは美しいのだろうかと戸惑いを感じる作品が少なくありません。奇を衒ったような、アクの強い過度・過剰な表現は、緻密で繊細な日本美術というイメージとは真逆と言っても良いぐらいなのですが、一方で、優美で上品な作品には表現できない荒々しさやユニークさなど、別種の魅力もあり、目が離せない力を持っているとも感じました。そうした力を持っていることもまた美の範疇に含めることで、芸術が表現できる世界も広がるのかもしれません。
…私が見に行ったのは会期2週目の土曜午前中で、混雑していましたが入場待ちはなくスムーズに見ることが出来ました。出品作は歌川国芳の浮世絵を除いて大きめの作品が多く、入ってすぐの伊藤若冲の展示室と岩佐又兵衛の絵巻物の展示ケースの前に列が出来ていたほかは全体として見やすかったです。作家別に見ると、伊藤若冲(15点)、長沢芦雪(14点)、歌川国芳(13点)の作品が多めでした(会期中に展示替えがあります)。展示解説は少なく、文章は短めですが、図録には全作品の詳細な解説があります。所要時間は90分でした。

概要

【会期】

 2019年2月9日~4月7日

【会場】

 東京都美術館

【構成】

…8人の画家それぞれに1章が当てられた作家別の展示構成となっています。
…辻氏の『奇想の系譜』で取り上げられている画家は1伊藤若冲、2曽我蕭白、3長沢芦雪、4岩佐又兵衛、5狩野山雪、8歌川国芳。今回の展覧会はこの6人に加えて、蕭白や芦雪、若冲に影響を及ぼした6白隠慧鶴、近年評価が高まっている7鈴木其一を加えた8人の作品によって構成されています。

1 幻想の博物誌:伊藤 若冲(1716~1800)
…写実と幻想の巧みな融合。濃密な色彩による精緻な花鳥画のほか、水墨画、版画など多彩な作品がある。敬虔な仏教徒でもあり、作品には生きとし生けるものがすべて仏になるという思想が反映している。

2 醒めたグロテスク:曽我 簫白(1730~1781)
…18世紀京都画壇で最も激烈な表現を指向した。中国の故事などを題材に、強烈な色彩の対比や奇怪さの誇張など破天荒で独創的な表現による作品を描いた。また、伝統を踏まえつつリアルさも意識した風景画も描いている。

3 京のエンターテイナー:長沢 芦雪(1754~1799)
円山応挙に師事。大胆な構図と才気溢れる奔放な筆致で独自の画境を切り開いた。「群猿図襖」に描かれた猿たちのユーモラスで個性溢れる表情や、黒と白、大と小という対比を組み合わせた黒白図「白象黒牛屏風」のような遊び心あふれる仕掛けを取り入れた作品が特徴。

4 執念のドラマ:岩佐又兵衛(1578~1650)
…戦国武将・荒木村重の子。大和絵と漢画双方の高度な技術を修得しつつ、どの流派にも属さない個性的な感覚に長け、後の絵師に大きな影響を与えた。嗜虐的な表現へのこだわりが見られる。

5 狩野派きっての知性派:狩野 山雪(1590~1651)
狩野山楽に師事。伝統的な画題を独自の視点で再解釈し、垂直や水平、二等辺三角形を強調した理知的な幾何学構図が特徴。妙心寺など大寺院のための作画を多く遺した。

6 奇想の起爆剤白隠 慧鶴(1685~1768)
臨済宗中興の祖と呼ばれる禅僧。職業画家ではないが、仏の教えを伝える手段として描かれた一見ユーモラスで軽妙かつ大胆な書画が簫白、芦雪、若冲らに影響を与えた。

7 江戸琳派の鬼才:鈴木 其一(1796~1858)
酒井抱一の忠実な弟子だったが、師の瀟洒な描写とは一線を画した自然の景物を人工的に再構成する画風で、近年その奇想ぶりが再評価されつつある。

8 幕末浮世絵七変化:歌川 国芳(1797~1861)
…役者絵の国貞、風景画の広重と並び、武者絵の国芳として第一人者となった。発想の豊かな近代感覚を取り込む一方で、幕府の取り締まりをかいくぐって機知に富んだ作品を制作し、庶民から支持された。

kisou2019.jp

感想

伊藤若冲「旭日鳳凰図」(宝暦5年(1755))、「鶏図押絵貼屏風」

伊藤若冲の「旭日鳳凰図」に描かれた極彩色の美麗な鳳凰は、一分の隙もないほど非常に緻密に描き込まれていますが、明暗がほとんどなく色彩に濁りがないため、絵というより錦の織物のように感じられました。また、じっと見ているうちに偶々鳥の姿をしているだけで、形とは関係なく線や色彩そのものが自律的に美しく見えてきます。ハートの尾羽やレースのような羽毛、背景の波など、装飾性が前面に出ていることと、あらゆる部分に均一に焦点が当てられているため、かえって全体像が解体されていくように感じられたからかもしれません。一方で、水墨画の鶏は簡略化され、余白が多いにもかかわらず、自由闊達な筆捌きによって生き生きと感じられます。一本の自在な線で描かれた尾羽が今にもひらひらと動き出しそうなんですよね。鑑賞する側に想像の余地があるほうがリアリティを感じるというのは興味深かったです。一方で、線や色彩が自律的に美しいというのは(若冲の意図するところではないのかもしれませんが)現代美術に通じるところがあるようにも思いました。 

長沢芦雪「山姥図」(寛政9年(1797)頃)

…山姥というと昔話に出てくる子供を掠ったり人を食ったりする恐ろしい存在というイメージがありますが、長沢芦雪「山姥図」にはイメージそのままに、ぎょろりと睨む目や剥き出しの歯という恐ろしい形相の山姥が描かれています。しかし、傍には無邪気な笑顔で着物に纏わり付いている子供の姿があり、腕に下げた籠には日々の糧となる木の実が入っていて生活も垣間見えます。よく見ると山姥のぼろぼろの着物には所々美しい紋様があって、かつての華やかな暮らしを彷彿させますし、子供の手をとる仕草には母親らしい優しさも感じます。この作品は自害した夫の魂を宿して山姥となった元遊女・八重桐が子供(のちの坂田金時)を生み育てて、夫の恩人源頼光の家来とする浄瑠璃「嫗(こもち)山姥」の一場面を描いたもので、広島の商人たちが厳島神社に奉納した絵馬なのだそうです。商人たちは坂田金時夫の逞しさに希望を託したのでしょうか。それとも夫の遺志を背負って労苦に耐え、悲願を果たした山姥の姿に自分たちの願いの成就を託したのでしょうか。喜多川歌麿による同じ画題の作品と比べると、山姥の醜さがあまりに強調されているようにも感じますが、むしろそれ故に、ごくささやかな情愛の表現が胸を打つように思いました。

岩佐又兵衛「山中常磐物語絵巻」四巻

…「山中常磐物語」は奥州に下った牛若(義経)に会うため都を旅立った母の常磐と侍従が盗賊に殺され、牛若がその仇を討つという物語です。今回出品された岩佐又兵衛「山中常磐物語絵巻」の展示ケースには残虐な描写があるとの趣旨の注意表示があったのですが、着物を奪われた常磐が胸を刺されて血を流しながら息絶える場面が克明に描かれていて、実際かなり凄惨な印象を受けました。犠牲になるのが高貴な女性だけになおさら酷さが際立つのでしょう。しかし、善良なだけでなく凶悪さ、残忍さも人間性の一面であることは確かで、ただの嗜虐趣味ではないリアリズムを感じます。描いた又兵衛自身にとっては織田信長によって荒木村重の一族が処刑され、又兵衛の母も殺されたことが大きく影響しているのでしょうが、普通に考えれば思い出したくない辛い記憶にこだわり反復するのは、悔しさや悲しみを忘れまいとあえて記憶に刻むためなのか、自分なりに悲劇を昇華するためなのか、どんな心境だったのでしょうね。翻って作品を鑑賞する側について考えてみると、衝撃的な情報や物語に否応なく引きつけられるのもまた人間の性であり、色鮮やかな絵巻物のなかに人の心理の様々な暗さを見るような思いを抱きました。

歌川国芳「一ツ家」(安政2年(1855))

…大きな鉈を手に、片肌を脱いで立つ老婆。剥き出しの脚や腕の筋肉は異様に逞しく、縋りついて諫める自身の娘を悪鬼のような形相で見下ろして、その顎を掴んでいます。激しいドラマと対照的に、画面左側では観音菩薩の化身である涼しげな風貌の童子が立てた膝に頬杖をついて、静かに眠っています。浅草寺に奉納されたこの絵馬は「浅茅ヶ原の一ツ家」に取材した作品で、伝説によると旅人を泊めては殺めて金品を奪っていた老婆と、その娘の家に観音菩薩が化身して訪れ、最終的に老婆は観音の慈悲によって改心(成仏)するのだそうです。本来、浅草寺のご本尊でもある観音様=童子を主役に描くべきなのでしょうが、あえて老婆を中心に据えるところが国芳の奇想の画家たる所以なのでしょう。芦雪の山姥は怪異な姿であっても母子の絆が窺われますが、国芳の本作の老婆からは欲に目が眩んで親子の情さえ踏みにじる人間の恐ろしさが容赦なく表現されています。同時に、人間世界の一切を受け止めて、あくまで穏やかに微笑む観音菩薩の計り知れない慈悲の深さが感じられる作品だと思います。

フィリップス・コレクション展 感想

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見どころ

…「フィリップス・コレクション展」は、近代美術を扱うアメリカ最初の美術館として創設から100年を迎えるフィリップス・コレクションが所蔵する秀作75点で構成されています。出品作は新古典主義のアングル、ロマン主義ドラクロワバルビゾン派のコローら19世紀の巨匠たちをはじめ、絵画に革新をもたらした写実主義クールベ、マネ及び印象派ドガとモネ、さらにセザンヌやゴーガンから20世紀のクレー、ピカソ、ブラックなどモダン・アートまで、いずれも名だたる画家の作品が勢揃いしていて見応えのある内容になっています。フィリップス氏は徹底して自身が気に入った作品のみを蒐集することに価値があるという考えを持っていたそうで、特にボナールやブラックの作品が充実していました。
…会場内では全ての作品に展示解説があったほか、音声ガイド機の液晶画面に画像が表示される解説もいくつかありました。また、ポストカードの種類が多かった(65種類)のも嬉しかったですね。作品リスト共に置いてあったカード(8作品で1シート、日替わりで2種類)は鑑賞のヒントにもなっていて、作品を楽しむための工夫が凝らされていました。多彩な作家、作品の中から今の自分とフィーリングの合う作品を探しつつ、ゆっくり時間を掛けて見て回りたい展覧会だと思います。

概要

会期

…2018年10月17日~2019年2月11日

会場

三菱一号館美術館

構成

…本展はテーマに基づいた章立てによる構成をとっておらず、会場ではコレクションとして取得された年代ごとに作品が展示されていました。珍しい展示方法だなと思ったのですが、実は、コレクションの創設者であるフィリップス氏自身が作品を時代や地域ごとの縛りにとらわれず、それぞれの美的な気質に従ってまとめる展示方法を好んでいたのだそうです。また、コレクションは単線的に拡大していったわけではなく、フィリップス氏は求める作品を入手するためそれまで持っていた作品を手放したりもしていて、鑑賞者は展示を通してそうした紆余曲折を経つつコレクションが成長していく過程、フィリップス氏の関心の変化を見て取ることができるようになっています。なお、図録では概ね制作年代順に作品が掲載されています。

mimt.jp

感想

クロード・モネ「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」(1897年)

…モネは1896~97年にかけて、フランス北岸のヴァランジュヴィル、プールヴィル、ディエップで岩壁の景観を描いた作品を50点以上を制作しているそうです。その中の一枚、「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」は空も海も穏やかな表情で、朝靄が立ちこめているのか、白っぽく霞がかったデリケートな色調に包まれています。水平線の赤みを帯びた黄色から、高度を増すにつれて徐々に空色へと変化する空。画面手前側の緑がかった色調から、沖へ向かうにつれて青、さらに紫へと変化する海。前景の岩壁は手前が影になり、海にせり出した崖の草地が朝日を浴びて白く輝いています。柔らかな色彩の靄によって表現された形のない水や大気が全体の優しい雰囲気を醸し出している一方で、どっしりとした岩壁が捉えどころのない光に溶解していきそうな風景に現実の手応えをもたらすことで、互いに支え合っている作品だと思います。

ピエール・ボナール「棕櫚の木」(1926年)

…大きな棕櫚の葉がアーチのように画面上部を縁取るボナール「棕櫚の木」では、海の見える高台の家の庭に佇む女性がこちらに向かって果物を差し出しています。女性は画家の妻マルトで、彼女の持つ果物はリンゴと見られるそうですから、マルトは画家=鑑賞者をエデンに誘うエヴァのイメージで描かれているのでしょう。もっとも、この作品からは堕落への誘惑や楽園追放を予感させる不穏さは感じられません。殉教者のシンボルでもある棕櫚は死に対する勝利の象徴であり、本作のテーマは死を超えた永遠の命や現世の苦悩から解放された魂の平安さと考えられます。ル・カネの家並みの向こうに見えるひときわ明るい海には、淡い青に加えて黄色やオレンジなど複雑な色合いの点描が用いられていて、寄せては返す穏やかな波の心地よいリズムに乗って南仏の眩い光がきらめく様子が感じられます。ボナールの複雑で繊細な色遣いは、不動に見えて実際は絶え間なく変化する風景がもたらす視覚の揺らぎ捉えているのでしょう。温かい色彩に包まれ、一切が調和した楽園に鑑賞者を誘う作品だと思います。

ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」(1935年)

…ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」は自由で伸びやかな線と、輪郭線から解放された透明感ある色彩が洒脱で軽快な印象の作品です。ブルーのスペースには空のイーゼルやテーブル上に置かれたパレット、床に置かれたカンヴァスなど画家の仕事の痕跡がそこかしこにちりばめられています。画面をはみ出すほど高さのある窓の外には青空の下のパリの街並みが見えて開放感があり、爽やかな印象です。一方、ピンクのスペースを彩る花柄の壁紙はデュフィがビアンシーニ・フェリエのためにデザインしたテキスタイルだそうで、ドアの奥の壁には船や花、女性を描いた作品が並べて飾られています。ブルーのスペースと比較すると閉じた空間なのでプライベートなスペースではないかと思いますが、アーティストらしく日常生活も自作に彩られていることが感じられます。画面の中心近く、両者を繋ぐ位置に置かれたカンヴァスの裸婦は、このアトリエとその主を見守るミューズのような存在なのかもしれませんね。

オスカー・ココシュカ「ロッテ・フランツォスの肖像」(1909年)

…ココシュカ「ロッテ・フランツォスの肖像」には物思いに耽る慎ましい雰囲気の女性が描かれています。女性は座ったポーズですが椅子などは見当たらず、また、一見影のように見える女性を取り巻く濃い青はオーラを表現しているそうなので、対象を物質的に捉えるのではなく、スピリチュアルに表現することを重視しているのでしょう。画家はこの作品について「ロウソクの炎のように彼女を描いた」と語っていますが、胸や腹部など身体の中心から発せられる黄色の光が光背のように女性を取り巻いていて、女性の魂の輝きや生命力が周囲を明るく照らしているように感じられます。一方で、女性の頭部を包む赤のオーラと身体を包む青のオーラは精神と肉体、あるいは感情と行動といった対立や葛藤を暗示しているのでしょうか。青いオーラに包まれた女性の左手は女性器の位置を示すと同時に隠しているようですが、その左腕を押さえる赤のオーラに包まれた右手の指先からは光が放射されていて、形而下の肉体を持ちながらも、聖母のように神聖な存在として描いているように感じられます。ココシュカはマーラーの未亡人アルマとの恋愛で知られているのですが、この作品のモデルで法律家の妻だったロッテにも強い憧れの感情を抱いていたそうで、そうした画家の心理も投影されている作品だと思います。

ジョルジュ・ブラック「ウォッシュスタンド」(1944年)

…この作品は会場内を歩いていたとき、遠目からでもスタンドの明るい水色が目を引いて印象的でした。ウォッシュスタンドとは現代ほど水道の普及していない時代に寝室に置かれていた洗面用の家具のことだそうで、スタンドの上には水差しや盥、ブラシなども描かれています。画家は通路の奥やドアの隙間などから垣間見える部屋の一隅にふと目を留めたのでしょうか。ブラックの他の静物画は横長の画面が多いのに対して、この作品は縦に細長く、ウォッシュスタンドの脚部や画面右側の窓枠などの垂直方向の線がそうした構造上の特徴をさらに強調しています。第二次大戦中、四年近くパリに足止めされていたブラックは、1944年にフランスが解放されてノルマンディー沿岸のヴァランジュヴィルにあるこの自宅兼アトリエに戻ることが出来たそうです。非常時から日常が戻ってきたことで、身近な日々の生活やありふれた身の回りの品が改めて新鮮なものに感じられたのかもしれません。ダンカン・フィリップス氏は大規模なブラックの回顧展開催のために他の作品は貸し出しても、本作は自身の美術館にとどめて展示し続けたそうなので、とりわけ気に入っていた作品の一つなのでしょう。

新・北斎展 感想

見どころ

…「新・北斎展」は葛飾北斎(1760~1849)の没後170年を記念して、最新の研究成果を踏まえつつ北斎の画業を辿るものです。約480件の出品作(会期中展示替えあり)の中心となるのは、長年に渡り北斎作品を研究し、この展覧会の監修にも携わった永田生慈(1951~2018)氏のコレクションですが、氏の遺志によりコレクションは寄贈先の島根県のみで公開されることになっているため、東京で展示されるのは今回が最後であり、貴重な機会となります。
北斎は手がけた作品の数の多さ、ジャンルの幅広さが圧倒的で、目に見えるものも見えないものも、およそ描けるものは何でも描いたところが本当に驚異的だと思います。多作で画風をどんどん変えていったところはピカソとちょっと似ているようにも思えます。晩年になっても衰えることなく新鮮で力の漲る作品を描いている北斎ですが、描くことに取り憑かれているようにも思える旺盛な創作意欲の源には、絵師として高い人気を得ても安住することなく、自らの画風を完成させ、本当の絵描きになりたいという願いがあったそうです。鬼才、天才とつい言ってしまいたくなりますが、何よりも努力の人だったんですね。
…私は2月最初の土曜日午前中に見に行きましたが、入場券の引き換え及び会場入口でそれぞれ5分ほど待ちました。会場内では第1章のコーナーで作品の前に並んでいる入場者の列がなかなか動かないようだったので後ろの方から見ましたが、その後のコーナーはそこまで混雑していなかったので、作品のすぐ前で鑑賞することができました。展示解説は少なめです。会場内はやや暗いですが、もっと照明が暗い展覧会もあるので、それほど気になりませんでした。所要時間は90分でしたが、小さな作品までじっくり見る場合はさらに時間がかかると思います。

概要

会期

…2019年1月17日~3月24日

会場

…森アーツセンターギャラリー

構成

 第1章:春朗期――デビュー期の多彩な作品
  …20~35歳頃、勝川派の絵師として活動
 第2章:宗理期――宗理様式の展開
  …36~46歳頃、肉筆画や狂歌絵本の挿絵など新たな分野に取り組む
 第3章:葛飾北斎期――読本挿絵への傾注
  …46~50歳頃、読本の挿絵に傾注
 第4章:泰斗期――『北斎漫画』の誕生
  …51~60歳頃、多彩な絵手本を手掛ける
 第5章:為一期――北斎を象徴する時代
  …61~74歳頃、錦絵の揃物を多く制作
 第6章:画狂老人卍期――さらなる画技への希求
  …75~90歳頃、自由な発想と表現による肉筆画に専念

hokusai2019.jp

感想

雲龍図」(紙本一幅、嘉永2年(1849:画狂老人卍期))

…展覧会で最も印象深かった作品が「雲龍図」で、最晩年に描かれたとは思えない力強さを感じました。本作と対になる「雨中の虎図」では、雨の中で大地に爪を立てる虎が龍を睨んで咆哮していますが、虎の毛皮やツタの葉などは鮮やかに彩られています。一方の「雲龍図」は群青を用いつつ墨色を基調としたほぼモノクロで描かれていますが、実在する地上の動植物は着彩で、対する龍は次元の異なる不可視の存在のため、無彩色で描くことでその違いを表現しているのかもしれません。何者にも触れられない天の高みで宙を睨む龍の鋭い眼光には人知を超えた神性が宿っていることが感じられて、作品の持つパワーにしばらくのあいだ圧倒されて見入ってしまいました。龍の左足の爪が表具まではみ出しているかとつい錯覚してしまうほど迫ってくるものがあり、自然が持つ渦巻くようなエネルギーとそれを司る龍の強大さが表現されている作品だと思います。

吾妻橋ヨリ隅田ヲ見ル之図」(横間判、文化初期(1804~06:宗理期)頃)、「諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図」(横大判、天保5年(1834:為一期)頃)

…風景画では西洋画の遠近法を取り入れた「吾妻橋ヨリ隅田ヲ見ル之図」の、橋脚の間から川の流れの遙か先の景色を望む構図が面白く感じられました。両岸に並ぶ柵や木立なども効果的に用いて、遠近感を強調していますね。視点が低く、船の上から見ているような臨場感が感じられると風景だと思います。「諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図」には、何カ所も折れ曲がり上昇と下降のある奇抜な形状の橋が描かれています。伊勢物語の「東下り」において、杜若の名所として詠まれていることで有名な三河の八橋ですが、江戸時代にはすでに存在していなかったため、北斎は想像で描いたのだそうです。前景に当たる画面右下では橋を上から見ていますが、中景では橋桁を下から見ていたりして、橋の複雑な構造と画面の奥行きを表現するために工夫しているのが分かる作品だと思います。

「夜鷹図」(紙本一幅、寛政8年(1796:宗理期)頃)、「酔余美人図」(絹本一幅、文化4年(1807:葛飾北斎期)頃)

…夜鷹は格の高い花魁のような遊女とは対照的な下層の娼婦のことで、「夜鷹図」では蝙蝠の飛ぶ寂しい夜道に立つ後ろ姿が描かれています。女性が筵ではなく傘を小脇に抱えていることや足駄を履いているところを見ると、月は出ているものの雲行きは怪しいのかもしれません。頬被りをした顔は見えないため容貌や年齢は定かではありませんが、実際、薄暗い路上では夜鷹と相対した客にも顔はよく見えなかったことでしょうし、どんな女性なのかは作品を見る者の想像に委ねているのだろうとも思います。女性が傍らを振り返っているのは、雨が降り出す前に客を見つけたようと探しているためかもしれません。片足を前に踏み出し、螺旋を描くしなやかな身体の線が風にそよぐ柳のようで、もの悲しさの中にも風情を感じさせます。「酔余美人図」は黒い三味線箱に肘をつき、額に手を当て俯せる女性の姿を描いた作品です。女性が蹲っているのは酔いに苦しんでいるためとのことで、箱の傍には杯も置かれていますね。酔いに苦しむ姿というのは本来なら醜態に属する部類だと思うのですが、そこに美を見出すという着眼点が面白く感じられます。あるいは、日頃美しく品の良い女性がうっかり見せた隙に、何か艶めいたものを感じたのかもしれません。女性はつい気分良く酒を過ごしてしまったのでしょうか、それとも何か憂さ晴らしや悩み事を紛らすためだったのでしょうか。着物の作り出す襞、特に身体に纏わり付く青い帯の曲線が優美な印象の作品だと思います。

「牡丹に蝶」(横大判、天保初期(1830~34:為一期)頃)

花鳥画では「牡丹に蝶」という作品が印象に残りました。牡丹の花からちょうど飛び立ったところを捉えたのか、宙返りする蝶という意表を突いたモチーフと、蛇の目模様の羽が目を引くのですが、気になって調べてみたところ実際に蝶は飛行中に宙返りすることがあるようで、造化=万物の理を師とした北斎が、自然をよく観察していたことが窺えます。また、蝶ではなく小鳥や蜂を描いた作品でも頭が下を向いているものが多く見受けられるので、飛翔する動物のみに可能な自在でダイナミックな動きを表現したかったのかもしれないとも思いました。一方、幾重にも重なる牡丹の花びらはどれも似ているが一つとして同じものはなく、花びらのうっすらとした筋や風に翻る葉の表裏の描き分けなど、細部まで丁寧に表現されています。正確に自然を写し取ることと装飾的な効果という二つの面を備えた、華やかで繊細な作品だと思います。