展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

【過去記事再掲】2015年3月28日(土) 遠藤湖舟写真展「天空の美、地上の美。」 日本橋高島屋

 4月4日に皆既月食があるので、おそらくそれに併せての展覧会なのでしょう。遠藤さんについては今回初めてお名前を知ったのですが、ブラッドフィールド彗星を撮影した写真をきっかけに注目されるようになったそうです。子供の頃天体望遠鏡が欲しかった私にとっては、小さい頃から星の写真を撮ることが好きだったという遠藤さんに勝手ながら親近感を感じ、また、個展を開催するようになったのは50歳を過ぎてからとのことで、好きなことを続ける意志というのは大切だなとも思いました。

 最初のコーナー「第一楽章「月」」。月の夜の部分が、地球の反射する太陽光に照らされてうっすら見えることを地球照と言うそうです。月齢が27~3ぐらいで月が細い時、特に冬だと肉眼でも観察しやすいようなので、これから三日月を見る時はちょっと注意して見てみたいです。他の星は遠すぎて満ち欠けや表面の様子を肉眼で見ることはできませんが、その点、月というのは宇宙を生々しく実感させてくれる存在ではないでしょうか。また、青空に浮かぶ「碧空浮月」は飛行機の中から撮影したのか、白い月の下に雲海が広がっていて、月が月でないような幻想的な作品でした。

 「太陽」のコーナーでは「凍れる太陽」が印象的でした。天に向かって枝を広げる裸木の頭上、雪混じりの空を照らす弱々しい冬の太陽。活気をもたらす朝日の輝き、あるいは溶けた鉄のような夕日の熱さと違って、このモノクロの作品では熱のない冬の白い日差しが舞い散る雪と混じって凍えた世界を満たしています。見ているうちにふと、池澤夏樹の「スティル・ライフ」にある海に降る雪の場面を思い出しました。

 空気は透明で目に見えないものですが、雲を見れば空気の形が見える気がします。気温や湿度や風といった大気の状態によって自在に変容し、同じものは二度となく、不断に姿を変えていく雲はいつ見ても見飽きることがありません。「天空の色彩」は残照で赤く染まった暗い雲間から暮色が迫る空のグラデーションが見える絵のように美しい一枚ですが、これが自然が織りなす偶然の光景であることに意味があると思います。人の手、人の意志を離れたところにある美しさ。人の作為の限界を認識させられますが、その美を見出すのもまた人の目なんですよね。

 「星」のコーナーの「星々他」はスクリーンに投影される写真が徐々に別の写真に切り変わっていく仕掛けなので、椅子に座ってゆっくり眺めているとちょっとしたプラネタリウムの気分を味わえます。「昇る金星」は金星の星明かりが海を照らしている作品。月明かりなら珍しくありませんが、金星がこんなに明るいことを初めて知りました。遠藤さんが世に知られるきっかけになった「ブラッドフィールド彗星」の写真も展示されていました。ブラッドフィールド彗星は2004年、リニア彗星という別の彗星が注目されていた時に突然発見されて一躍話題になった彗星で、遠藤さんの写真にもその美しく長い尾が捉えられています。

 「ゆらぎ」はそれぞれがまるでCGのような作品です。いずれも水面を撮影した写真なのですが、織物のようであったり、金属のような光沢があったり、水面が周りの色彩を取り込み、風で波立つことでこれほど多彩な表情を見せることに驚きました。いかなるものにも染まる水の柔軟さ、そしてこの国の四季の色鮮やかさを感じます。個人的には岸辺の新緑を映し出した作品の瑞々しさに惹かれました。なお、会場ではこのコーナーは撮影が可能でした。

 「かたわら」は遠くの月や星から一転、身近な花や虫が対象となっています。掛軸にプリントされた「花」は和の装い。「雨の曼陀羅」の虹色に染まった蜘蛛の巣は、それを見つけた遠藤さんの目の鋭さに驚かされます。普段ぼんやり見過ごしがちな身近な生物も、改めて見るとこんな形をしていたのかと自然の妙に気づかされ、新鮮に見えてくることがあります。思いこみを捨て、時には見つめ直してみると新しい美を発見できるのかもしれません。

 最後に。たぶんですが、私が会場を訪れたとき、ご本人がいらっしゃっていて外国人のお客様に応対されていました。邪魔しないようにと思ってそーっと通り過ぎたので、しっかり確かめた訳ではありませんが。絵とか写真とか、言葉の壁を超えて美しさが通じるというのは表現として大きな強みだと思います。もちろん、遠藤さんはお客様たちと英語で会話が弾んでいらっしゃいました(笑)。