「バベルの塔」展 16世紀ネーデルランドの至宝~ボスを超えて~ 2017年4月22日

会場…東京都美術館
会期…2017年4月18日~7月2日
感想
ブリューゲルの「バベルの塔」が来日するということで、去年からずっと楽しみにしていた展覧会。会期最初の土曜日、早速見に行ってきました。
…最初の展示コーナーが彫刻だったのは、ちょっと意表を突かれました。15・6世紀のネーデルランド彫刻が同時代の絵画に比べてマイナーなのは、彫刻家が作品に署名を残すことが稀で、時間と共に作者の名前が忘れられてしまったためだそうです。「四大ラテン教父」は写実的な描出が優れていて、教父たちの厳かな風格と品位が伝わる作品ですが、制作当時は彩色が施されていたそうです。てっきり歳月と共に剥落したのかと思ったら、何と意図的に剥がされたとか。19世紀に素材の「正直な」使用を求める声が高まり、腐食剤を用いて彫刻の塗装が剥がされてしまったそうです。どんな彩色だったんでしょうね。色がつくとまた雰囲気が変わったりしますし、今では見ることができないのが残念です。
…ディーリク・バウツ「キリストの頭部」は私室での礼拝用に制作された祈念画です。肩までかかる暗褐色の髪を真ん中で分け、髭を生やしたキリストの容貌。様々な画家が描いてきたにもかかわらず、イメージがほぼ一定なのは不思議ですよね。実は、キリストと同時代のローマの執政官プブリウス・レントゥルスが元老院に宛てて書いたとされる手紙の中にキリストの容貌についての記述があり、それが元になっているそうです。もちろん、一般的なイメージに、救い主として相応しい存在感を持たせるのが個々の画家の技量ですが、バウツの描いた真顔のキリストは向かい合うと厳粛な気持ちにさせられます。
…「枝葉の刺繍の画家」による「聖カタリナ」と「聖バルバラ」は元々三連祭壇画の両翼だったもので、いずれも信者を急な病から守護する十四救難聖人の一人です。制作者は単独ではなく画家集団だったと考えられているそうですが、草木の葉を一枚一枚光の粒で表現した、刺繍のように細かく色鮮やかな植物の描写が特徴的で、聖女たちのドレスもタペストリーを思わせる質感があります。聖バルバラは美しい娘で、心配した父親が男たちの目に触れないように塔に閉じ込めたところ、幽閉されている間にキリスト教に帰依したため父に殺されてしまったそうです。美しい娘が父親に幽閉されてしまうというエピソードは、なんだかギリシャ神話のダナエを思い出させます。ラプンツェルといい、世間から隠されている美貌の女性というのはある種のロマンをかき立てるのかもしれません。
…ヘームスケルク「オリュンポスの神々」は浴場で寛ぐ神々を描いた作品です。解説でアポロン、ヘルメス、アレスについて説明されていましたが、他にどんな神々が描かれているか探すのが面白くてつい見入ってしまいました。そばにケルベロスを従えているのがハデスとおそらくペルセポネ、水浴場に向かって三つ叉の矛をかざしているのがポセイドン、手元にハンマーが置かれているのがヘファイストス。翼の生えた子供がエロスですから隣の女神がアフロディテですね。アレスはアフロディテを見ているのかもしれません。アルテミスは三日月を持った姿で彫像になっています。結構見つけることができて自己満足しましたが、肝心のゼウスはどこだろう?と思ったら画面ではヘルメスの左上あたりで、手に稲妻を持った神がヘラと思しき女神と手を取り合っていました。ゼウスはヘラとしょっちゅう喧嘩をしているイメージなので、仲良く描かれているのはなんだか微笑ましいですね。
…パティニール「牧草を食べるロバのいる風景」は樹木のある手前の草地から中景の湖とそのほとりに建つ城、さらに彼方の青く霞む遠景の山並へと視線を誘う眺望が見事です。これだけで充分一枚の絵になってしまいそうですが、実は「エジプト逃避行上の休息」という聖書の場面を描いた作品の一部だったとか。「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」は一転して血のように赤く染まった空と切り立つ岩が禍々しい作品ですが、こちらもやはりメインは風景です。物語から独立した風景画は17世紀のオランダで富裕な市民層のニーズに応えて誕生しますが、それより1世紀前からすでに風景画の萌芽は兆していたことが窺えます。
…身分の高い王侯貴族や神話・聖書の人物は非の打ち所がなく美しかったり威厳があったりする反面で、近寄りがたい雰囲気がありますが、「放浪者」の貧しい行商人は素朴でリアリティがあり、どこか頼りない表情も身につまされるような共感を呼び起こします。ヒエロニムス・ボスは日常生活を描いた先駆者で、庶民の現実をよく観察していたのだと思います。一方で、ボスは不気味で非現実的な怪物も数多く描きました。そのユニークな画風は後代に大きな影響を与え、16世紀後半には多くの「ボス風」作品が作られていますが、ブリューゲルもそんなボス風の作品を制作した一人だったそうです。奇怪なクリーチャーを画家たちがこぞって描き、大いに流行ったというのも何だか不思議な感じです。決して目に心地よいものではないと思うのですが、怖いもの見たさなんでしょうか。確かに目が離せないし、一度見ると忘れられないですよね。
…「ブリューゲルの版画」のコーナーでは、ブリューゲルが下絵を手がけた版画作品をたくさん目にすることができましたが、彫版師の名前も併記されていたのが新鮮に感じました。版画は下絵を実際に彫ったり、紙に刷ったりする職人がいて完成するものですから、いわばチームの作品なんですよね。そうした作品の一つ、「森に囲まれた村」はバルビゾン派の作品のような穏やかな農村風景です。一方、「野ウサギ狩り」は版画制作の全工程を全てブリューゲルが手がけた唯一の作品です。両者を比べてみると、プロの彫版師が彫った版画は線の太さや長さが揃っていて、すっきりした刷り上がり。規格品という感じですが、個性を主張しないので見やすく感じます。それに対して、ブリューゲルは絵を描く延長で線を彫っている印象で、綺麗に揃った規格品にはない自由さがある。下絵を描いた当人として、その線の意図するものを理解しているが故の自由さがあるのでしょう。また、版画は油絵に比べると安価で多くの人が手に取りやすいという利点があるのですが、逆に言うとそれだけアートを求める人たちがたくさん存在していたということでもあるんですよね。16世紀というとずいぶん昔に感じますが、生きるのに必ずしも不可欠ではないアートへの確かなニーズが存在していたというところに文化的な豊かさを感じます。
…展覧会のタイトルにもなっているブリューゲルバベルの塔」は会場の一番最後のスペースに展示されていました。塔としてはちょっと奇妙な形ですが、どうやら元ネタは古代ローマコロッセオのようです。ブリューゲルはイタリアに旅行して実地で目にしているんですね。言われてみれば、「バベルの塔」は円形闘技場を垂直方向に積み上げたような形です。また、「INSIDE BABEL」で塔の内部を描いた漫画家の大友克洋氏によるとバベルの塔の形状は正円ではなく楕円形だそうで、ますます円形闘技場っぽいです。聖書の中に登場するせいで、私は勝手にバベルの塔を神殿のような宗教施設だと思いこんでいたんですが、ブリューゲルバベルの塔には人が住んでいて、洗濯物が干してあったり魚が売られていたりします。現代に例えるならさしずめタワマンみたいなものでしょうか。妙に身近な感じですね。バベルの塔は一般的に人間の思い上がりを戒める主題として解釈されますが、ブリューゲルバベルの塔からはあまり不穏な気配は感じられず、スケールの壮大さこそが圧倒的です。塔の偉容に比して塔を建設したり中で生活したりしている人々はあまりにも小さいのですが、こんな小さな人間がこれだけ巨大な建造物を造ったのだとしたらむしろポジティブな意味すら感じますよね。描かれているのはバベルの塔ですが、私は塔の形を借りてブリューゲルが自分にとっての「世界」、これが世界というものだという認識を一つの塔に凝縮して表現しているように感じました。
…今回の出品作のリストを見ると、「バベルの塔」をはじめ油彩は板に描かれたものばかりですが、板絵は保存状態がデリケートなため、海外での展示が難しいそうです。「バベルの塔」も24年ぶりの来日。24年前の自分を思い出しつつ、そんなに昔のことだったのかと時間の流れの速さを実感してしまいます。当時の自分は「バベルの塔」が来日していたことも知りませんでしたが、今から24年後はどうしてるのか…そんなことを考えてしまいます。