展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ゴッホ展~巡りゆく日本の夢 感想

会期
…2017年10月24日~2018年1月8日
会場
東京都美術館

gogh-japan.jp


感想

 

 
概要

ゴッホジャポニスムと聞いて思い浮かぶのは、私の場合「タンギー爺さん」という作品でしょうか。ゴッホが浮世絵に強い関心を抱き影響を受けていたこと、日本にある種の憧れを抱いていたことはよく知られていると思いますが、この展覧会はテーマをその点に絞ったもので、構成は下記の通りとなっています。
 1 パリ 浮世絵との出会い
 2 アルル 日本の夢
 3 深まるジャポニスム
 4 自然の中へ 遠ざかる日本の夢
 5 日本人のファン・ゴッホ巡礼
…出品作の割合はゴッホの作品と浮世絵で半々ぐらい、浮世絵は前期と後期で入れ替えられている作品も多いようです。油彩31点をはじめとするゴッホの出品作は風景画、人物画、静物画と多彩で、ゴッホが浮世絵から幅広く影響を受けていたこと、また研究の成果を積極的に取り入れていたことが窺われますが、同時にゴッホの作品の独自性が浮き彫りにもなっていると思います。

「花魁」

…この作品の中心を占めるのは「パリ・イリュストレ」誌の表紙に印刷された渓斎英泉の「雲龍打掛の花魁」の模写です。また、花魁を取り巻く水辺の風景の中の鶴や蛙もそれぞれ「芸者と富士」、「新板虫尽」という浮世絵から借用したモチーフです。渓斎英泉の花魁は「タンギー爺さん」の背景にも描かれているので、とりわけ魅かれるものがあったのでしょうね。一方で、ゴッホは作品を描くに当たってそのまま浮世絵を写すのではなく、独自の工夫を施しています。例えば、花魁の髪を飾る櫛や笄は浮世絵ではべっ甲の黄色ですが、ゴッホは青く塗って背後の黄色と対比させていますし、着物には鮮やかな緑と赤を配色するなど、補色の効果が際立っています。また、「芸者と富士」の水辺にはゴッホもしばしば描いたアイリスが咲いているのですが、蓮と竹に変えたのは日本あるいは東洋を想起させる植物だからでしょう。構図も面白いですよね。花魁だけを描くのではなく、雑誌の表紙を踏まえる形で黄色い額縁に囲い、その周りにイメージに基づいて構築した日本の風景を描くことで、装飾的な作品となっています。ところで、ゴッホは着物に描かれた竜が日本では水を司る神だと知っていたでしょうか。花魁と水辺の風景は偶然の組み合わせだったのか、渦巻く雲の柄から連想したのか分かりませんが、結果として上手い組み合わせになっているなあと思いました。

「アイリスの咲くアルル風景」他

…アルルに着いたゴッホは弟テオに宛てた手紙で「雪の中で雪のように光った空をバックに白い山頂を見せた風景は、まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」と記したり、「黄色とスミレ色の花が一面に咲いた野原に取り囲まれた小さな町、まるで日本の夢のようだ」と記したりして、その感激を伝えています。ゴッホの中の日本のイメージが一層膨らんでいることが感じられますが、一方でゴッホは「ここに日本の絵をおいておく必要はない」とも語っています。ゴッホにとってアルルは日本そのものであり、日本に繋がる具体的な手がかりに頼らなくても、ユートピアを直接目で見ることができるという思いだったのでしょう。作品を見ると、パリ時代の表に現れたジャポニスムから、構図など間接的な、しかしより本質的な部分において浮世絵の影響を見て取ることができます。例えば「アイリスの咲くアルル風景」は地平線の位置を画面の真ん中より高く取り、アイリスの咲く近景を見下ろすように描いています。一般的に鳥瞰図に見られるこの構図は、同時代の西洋美術では例が少ない一方、浮世絵の風景画では多用されていて、ゴッホが浮世絵から取り入れた手法と考えられています。おそらく、あまり目にしない構図に新鮮さを感じたのでしょうね。また、地平線の位置が低いと空が大きく描かれ、広々とした印象になるのですが、地表付近の様子は空に押し潰されるように小さく描くことにもなります。前年の「ゴッホゴーギャン展」に出品されていた「収穫」や「耕された畝」においてもこうした構図が効果的に用いられていたのですが、ゴッホの関心は野の草花や作物の実り、大地の上で働く人々の様子にあったのではないでしょうか。アルルのクロー平野に広がる麦畑を描いたゴッホは「あの平坦な大地、そこには何もない……あるのは無限…永遠だけだ」と綴っています*1。巡りゆく季節とともに繰り返される作物の成熟と収穫、そして播種にゴッホは生命や自然のサイクルの永続性を見出し、その営みを支える大地を称えるために、地平線を高く取る構図を積極的に取り入れたのかもしれません。

「サント=マリーの道」

…もちろん、ゴッホが空を描くことに関心がなかったとは思いません。「サント=マリーの道」では黄色に染まった空が印象的です。晴れ渡った青空ではなく、夕暮れの赤い空でもない黄色い空が意味するものは何か。こうした黄色い空は同じ1888年に描かれた「種まく人」にも見て取れます。黄色の正体は大きく描かれた太陽でしょう。「サント=マリーの道」では姿は見えないものの、太陽の眩い光が空に満ちて、風景が強烈な日差しの中にあることが感じられます。ゴッホのオランダ時代の作品では自然の風景の後景に教会が描かれていましたが、1887年頃から教会に代わって太陽が描かれるようになったそうです*2。太陽はゴッホにとって聖なるもの、信仰されるべきものの象徴なのでしょう。聖なる太陽と永遠のサイクルを刻む大地。浮世絵の風景は景観や風俗を写し取ることで、それらが醸し出す情趣を描いていると思いますが、ゴッホは浮世絵の手法を取り入れつつ象徴的な風景を描いていて、そこに独自性を感じます。

「水夫と恋人」/「ポプラ林の中の二人」

…「水夫と恋人」は元々大きな作品の一部だったもので、会場ではゴッホがベルナールに送ったスケッチに基づいて復元された作品も展示されていました。スケッチには川沿いの道を太陽に向かって歩く二組の恋人たちが描かれ、ラングロワの橋の向こうには太陽が姿を見せています。本来ならあり得ない北の方角にあえて描かれた太陽は聖なるものの象徴であり、黄色い空は光に満ちた世界を意味します。ゴッホにとってアルルは日本であり、理想郷であったことと合わせて考えると、恋人たちはアダムとイヴに類する存在として描かれているのかもしれません。二人が後ろ姿で描かれているのは彼らが太陽に向かう歩み自体を描きたかったから、あるいは特定の人物ではなく象徴的な存在であるため顔を描かなかったとも考えられます。ゴッホはこの作品以外にも架空の太陽にしばしば恋人たちを組み合わせて描いているそうなので、何らかの意図がある取り合わせなのだろうとは思います。ところで、アダムとイヴを連想してみて、ふとゴッホの宗教画が思い浮かばないことに気付きました。元は聖職者を目指していたゴッホですから、関心はあると思うんですよね。実は1888年7月から8月にかけて、ゴッホゲッセマネのキリストを表した2点の絵画を制作したものの、人物の研究が足りていないと感じ、さらに目に見えない現実から制作したことに自信が持てず破棄してしまったということがあったそうです*3。おそらく宗教画に意欲を持ちつつも、高い理想を持っていたためになかなか制作できなかったのでしょう。この作品と対照的なのが「ポプラ林の中の二人」です。明るい色で描かれた下草を見ると昼間のようですが、木々の間から見える背景は夜のような濃紺です。見渡す限り同じようなポプラの木が立ち並ぶ中では方向感覚を失ってしまいそうで、恋人たちは道なき林をあてどなく彷徨っているようにも見えます。この林は現実の林というより、異界あるいは死の世界を描いたものかもしれません。アルルにユートピアを夢見て挫折したゴッホの心境が反映しているように感じられる作品です。

「花咲くアーモンドの木」他

…この作品をぱっと見たとき、「風景画みたいだけど何だか風景画っぽくない」という印象を抱かないでしょうか。例えば、同じように前景に大きく木を描いた「種まく人」では、地平線まで広がる大地も同等に重視されています。一方、「花咲くアーモンドの木」の場合、灰色・黄緑・青緑と三色の面に塗り分けられた背景は平面的で、風景画らしい空間の広がりよりもアーモンドの木に関心が集中しています。アルルを去ったゴッホは植物や昆虫などをクローズアップした花鳥画風の作品を描くようになるのですが、この作品からはそうした身近にいるささやかな生命への眼差しが感じられます。「日本美術を研究すると、明らかに賢く哲学的で、知的な人物に出会う(中略)その人はただ1本の草の芽を研究しているのだ。この草の芽がやがて彼にあらゆる植物を、ついで四季を、自然の大景観を、最後に動物、そして人物画を描かせるようになる*4」。哲学的、知的というのはさておき、日本人は細部に至るまで完成度に拘る傾向がありますし、アニミズム的な世界観に馴染んでいるかなとは思います。実際、自然においては細部だからと適当だったり省略されていたりすることはありません。どこまでも緻密に設計されている小宇宙の真理を掴むことが、森羅万象の織りなす世界全体の理解に繋がる。ゴッホは日本美術の研究を通してそうした精神性を感じ、絵画制作における指針の一つと考えたのでしょう。晩年のゴッホが身近な動植物を題材にしたのは、療養のためあまり外を出歩けないという事情があってのことだと思いますが、実体あるユートピアに代わり、内面世界で日本のスピリットを追求するようになった面もあるかもしれません。ゴッホはそうした積み重ねがさらにより良い作品を描くことに繋がるという思いに支えられていたのではないでしょうか。ゴッホが憧れた日本は必ずしも実際の日本ではなく、当の日本人としては理想化された姿に戸惑いと気恥ずかしさを覚えるのですが、その憧れを引き出しインスピレーションを与えたのが有名無名の日本の浮世絵師たちであることも確かです。ゴッホの世界に影響を与えた多くの作品、芸術家の中で、日本と浮世絵はあくまで一部の要素に過ぎないとは思いますが、しかし欠かすことのできない要素でもあると思います。

日本人とゴッホ

…ガシェ家やクレラー=ミュラー社の芳名帳に連なる署名を見ると、今ほど海外旅行が一般的でない時代に、ゴッホの世界に触れようと遙々訪れた日本人が沢山いたことが実感を伴って理解できます。浮世絵にも西洋美術の影響がありますし、その浮世絵の影響を受けてゴッホが描いた作品に感銘を受けて、再び日本人画家が作品を描く…遠く海を隔てつつも、新しい芸術を生み出すエネルギーは循環しているんですね。また、訪れた人の中には歌人斎藤茂吉精神科医式場隆三郎などがいて、ゴッホへの関心が美術界にとどまらなかったことも分かります。正確には覚えていないのですが(出品リストを見る限り式場隆三郎氏の手紙の原稿だと思います)、終戦間もない時期にゴッホの展覧会を開催したいと伝える手紙を読んだときは、熱意のこもった文面に胸を打たれました。ゴッホは芸術を通じて人の心の慰めとなる何かをもたらしたいと願っていましたから*5、きっと画家の意思にも叶うものだったと思います。

その他

…入場に当たって入口で10分ほど待ちましたが、湿度に弱い作品保護のためで規制入場ではないとのことでした。たぶん浮世絵のためだと思うのですが、一度にお客さんが増えると会場内の湿度が上昇してしまうのだそうです。ゴッホの作品自体は多くはありませんが、「日本人のファン・ゴッホ巡礼」のコーナーに展示されている小さな資料も丹念に見ると時間がかかるかもしれません。

*1:ゴッホゴーギャン展」P88

*2:ゴッホゴーギャン展」P128

*3:ゴッホゴーギャン展」P16

*4:ゴッホゴーギャン展」P84

*5:ゴッホゴーギャン展」P19