展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

北斎とジャポニスム 感想

会期
…2017年10月21日~2018年1月28日
会場
国立西洋美術館
感想

 
概要

…この展覧会は北斎の作品が西洋美術に与えた影響がテーマであり、西洋美術と北斎の作品を対比できるように並べて展示されています。出品作品は19世紀後半の西洋美術が200点以上と大規模なもので、絵画作品以外に陶磁器等の工芸品も多数出品されていました。フランスで制作された作品が中心ですが、ドイツなど他国の画家の作品もあります。工芸品に関してはガレの作品が多く出品されていました。一方の北斎作品は100点以上、錦絵のほか、版本形式のものも多かったです。展示構成は導入部とモチーフ別に人物、動物、植物、風景、波と富士で全6章から成っています。西洋美術と北斎作品の組み合わせについては、北斎作品からの引用が明らかなケースと、展示された北斎作品との関連は推測や参考にとどまるが、作家の北斎への言及や日本美術の収集等から影響を受けていることが考えられるケースとに分けられると思います。各コーナーの冒頭以外に解説文がほとんどないので、音声ガイドがあると理解しやすいと思います。

ドガ

ドガ「背中を拭く女」に描かれた女性は後ろ向きで、盥に浸した海綿で背中を拭っています。ありふれた日常の一コマで、女性は顔も見えずどんな人なのかも分かりませんが、ドガはおそらく手の届きにくい背中を拭くときのポーズの面白さや、露わになった女性の白い背中の艶めかしさに関心があったのだと思います。伝統的な西洋美術で入浴の場面を取り扱った主題としては、私は「スザンヌの水浴」などが思い浮かぶのですが、ドラマチックな物語や女性の貞淑さを描く「スザンヌの水浴」に比べると、確かにドガの作品は『北斎漫画』の風呂屋に描かれた生活感溢れる自然な裸体に親近性が感じられると思います。裸体を描くのに特別な理由づけ=物語もなく、見るべき価値のあるものとして美化することもなく、身近にあるごく親しいものとして描くことで、ドガは裸体を元々の持ち主である個人の領分に返したと言えるかもしれません。

メアリー・カサット

…メアリー・カサットの「青い肘掛け椅子に座る少女」では、少女は足を投げ出してソファの背に行儀悪く凭れています。ソファは少女の身体には大きくて座りづらいのでしょうか。少し顰めた瞼の重そうな顔つきは眠たげにも見えますし、退屈して姿勢を正しているのに疲れたのかもしれませんね。多少窮屈だろうとお構いなしの気ままな振る舞いや、ユーモラスなポーズなどが北斎の人物表現と似ていそうです。ソファの青と少女の白いワンピースの色彩の対比が鮮やかな作品です。

ゴーギャン

ゴーギャンの「三匹の子犬のいる静物」は鍋のミルクを舐めている赤ちゃんの子犬が可愛らしい作品です。ゴーギャンというと、ブルターニュの風俗やタヒチの女性を描いた作品が思い浮かびますが、こうした可愛らしい動物も描いていたんですね。北斎の『三体画譜』に描かれた犬もふっくらとしていますが、「可愛い」という感覚が何より日本的に思えます。ただ、この作品はよく見ると少し不思議な感じもします。白地に薄い青で模様が描かれているのはおそらくテーブルだと思いますが、子犬はどうしてテーブルの上に載っているんでしょうね。また、画面のほぼ真ん中に並んだ青いグラスは、子犬たちと果物を分けているように見えます。グラスの数は子犬の数と合わせているのでしょうが、3を強調したいのかなと思ったり…単なる構成上の問題に過ぎないかもしれませんが、ゴーギャンに何か考えがあっての配置や選択だろうかと少し気になりました。なお、この作品にはモチーフを黒い輪郭線で縁取る「クロワゾニスム」が用いられていますが、この技法は浮世絵が着想源の一つとなっているそうです。

ボナール

…ボナールの「ウサギのいる屏風」は、黒と銀灰色とに地を塗り分けた六曲の屏風で、のびのびと野を跳ねるウサギたちが簡潔な線描で描かれています。ウサギが多産を象徴するモチーフであることや、上半分にニンフとサテュロスのエロティックな戯れが描かれていることを踏まえると、豊穣や生命力といった自然の豊かさを表現しているのかもしれません。ボナールは日本美術から大きな影響を受け、同じナビ派の仲間たちに「日本かぶれのナビ」とあだ名されていました。この作品も、屏風という仕立て自体が日本的ですが、背景に塗られた渋い色合いや大きく取られた余白に日本美術の影響が感じられると思います。「洗濯屋の少女」という作品では、身体の半分ぐらいはある大きな洗濯かごを持って歩く少女が描かれています。少女の後ろ姿は簡略化された形で捉えられていますが、身体を前に傾けて、かごを掛けた腕を身体に引きつけている様子や、フードからのぞくほつれた髪など、小さな少女が重い洗濯かごを懸命に運んでいる様子が細かく的確に表現されています。また、石畳の道を表すのにいくつかの石だけを点々と描いているのが面白いですね。全ての石を描きこむよりも軽妙な印象になると思いますが、こうしたアイディアはボナール独自の発想なのか、あるいは浮世絵にも類似の表現があるのか興味深いです。ボナールをはじめナビ派の芸術家たちは版画作品を積極的に手がけていて、この作品もリトグラフですが、19世紀末の版画芸術の隆盛には北斎を初めとする日本の浮世絵の影響もあったそうです。

モネ

…モネ「木の間越しの春」は、ヤナギの枝越しに川面や対岸の家の赤い屋根が垣間見える風景を描いています。この作品は個人的な視覚体験が重視されているそうですが、おそらく視界いっぱいに広がる瑞々しい新緑のカーテンがモネの目を捉えたのでしょう。日差しの暖かさや川面を吹く風の爽やかさといった、心地よい春の空気を感じられそうな一枚です。「陽を浴びるポプラ並木」は等間隔に並んだ並木が作り出すリズム感と色彩の明るさが印象的です。川面には空の色や川岸の樹木がそっくり映り込んで、まるで画面の下方にも空が続いているように見えます。「アンティーブ岬」は前景に描かれた大樹にまず目が引きつけられますが、こうした構図はゴッホピサロの作品などにも見られる、ジャポニスムの典型的な構図の一つだそうです。ルネサンス以降、西洋の風景画では遠近法によって誰にでも共有可能な奥行きのある空間を構築することが基本とされてきましたが、それが表現を制約することにもなりました。浮世絵の自由で奇抜な構図は、新しい表現を模索する画家達の想像力を大いに刺激したようです。一方で、北斎は西洋絵画の遠近法を学んで作品に取り入れたりもしているので、北斎も西洋の画家も、それぞれがこれまでになかった技法に表現の可能性を見出したと言えるかもしれません。

モロー

…モローが日本美術に興味を持ち、『北斎漫画』の図像を多数模写して熱心に研究していたというのは初めて知りました。モローは神話や聖書を主題とした幻想的な作品が多く、一見日本美術とは直接関わりなさそうなため、意外に思いました。しかし、モローの作品の舞台は、古代のオリエントなど時代も距離も遠く離れた異国のことがしばしばです。実際には目で見ることの出来ないエキゾチックな世界を構築する上で、地球の裏側にある日本を描いた北斎の作品を研究し、制作に役立てていたのだろうと思います。

セザンヌ

セザンヌは故郷プロヴァンスの山であるサント=ヴィクトワール山を生涯描き続けましたが、山を稜線の形で捉える描き方や構図に北斎の富士の連作の影響が考えられるそうです。ただ、セザンヌの場合、他の画家たちと異なり北斎や浮世絵に関する言及は見当たらないのだそうです。確かにセザンヌの周りにはモネやピサロなど浮世絵に関心のある画家たちがいましたが、それをもって影響関係を推測するのは、やや根拠が弱いように思いました。あと、これは私個人の感覚に過ぎないのですが、北斎には色々な富士が見えていて、それを余さず全て描き尽くそうとしているように感じますが、セザンヌの見ていたサント・ヴィクトワール山は一つであり、自分の目に見えているたった一つの姿に近づくために飽くことなく探究を繰り返したように思います。その上で、もし両者の描いた山に共通性を感じるとしたら、山がただの地形ではないところだと思います。富士は日本の象徴であると共に、信仰の対象でもあります。また、山国でもある日本の場合、各地でふるさとの山に対する特別な思い入れがあるように思いますが、江戸で活躍した北斎にとっては富士がふるさとの山だったことでしょう。一方、セザンヌにとっても、サント=ヴィクトワール山は故郷を象徴する山であり、画家としての技量を尽くして取り組むべき特別なモチーフだったことは間違いありません。そうした精神的な拠り所となる神聖な山の姿に、何か近しいものがあるように感じます。

その他

…個人的にはジュール・シェレ「ジラール座」のポスターと、アルベルト・エーデルフェルト「夕暮れのカウコラの尾根」が特に印象に残りました。シェレは1890年にパリの国立美術学校で開催された浮世絵版画展のポスターを手がけているそうです。ゴッホが見に行くことを希望していたと「ゴッホ展~めぐりゆく日本の夢」で紹介されていた展覧会ですね。「ジラール座」は二人の男性が高く上げた足の先を交差させるポーズが北斎漫画の「足相撲」と対比されていますが、構図の絶妙なバランス、弾むようなリズムを感じさせるポーズと衣服の表現、ロゴと人体を組み合わせるアイディアなどに卓越したセンスを感じます。日本美術を収集していたというエーデルフェルトの「夕暮れのカウコラの尾根」は、尾根から見下ろした風景を俯瞰的な構図で描いています。森と空が映り込んでいる鏡のような水面は、フィンランドに多い氷河湖の一つでしょうか。水辺に迫る森は白夜の薄明かりの中で影になって墨絵のようです。湖岸や稜線に見られる形の単純さと限られた色彩によって、画面を満たす澄んだ空気と静寂の気配を描く抑えた表現に、日本的な美意識と相通じるものが感じられると思います。それにしても、「動」を描いたシェレの作品とも、「静」を描いたエーデルフェルトの作品ともそれぞれ共有可能な美を描いた北斎作品の幅広さ、豊かさには改めて驚かされます。今回の展覧会を通じて感じたのは、目に見えるものも、時には見えないものまで、およそ描けるものは何でも貪欲に描き、果敢に挑戦している北斎の圧倒的なパワーと情熱でした。北斎作品に宿るそうした生命力こそが、海を越えた芸術家達の心を動かし、新たな芸術に生命を吹き込んだのだろうと思います。

混雑対策について

…「北斎ジャポニスム展」は人気が高く、私は平日の午前中に行ったのですが、それでも混んでいました。北斎が好きな人と、西洋美術が好きな人の両方が見に行くからかも知れませんね。いくつか気付いた点を挙げておきますので、これから行かれる方のご参考になれば幸いです。
・チケットは事前に購入を
…前売券がなくても、コンビニなどで当日券を購入できます(綺麗な図版は入っていませんが)。私が行ったときもチケット売り場には行列ができていましたが、入場待ちはありませんでした。
・行列を見て諦めないで
…いつもと入口が違います。正面ではなく、美術館の横の扉から入場するようになっています。行列ができているのはチケット売り場かもしれません。寒い中、待つのは嫌だなと諦めずに、チケットさえあればすぐ中に入れる可能性があります。
・混雑状況は「北斎ジャポニスム展」特設サイトのトップページで確認できます。
・最初のコーナーが一番混んでいる
…「第1章 北斎の浸透」は作品を見るのが大変でしたが、これは入場直後であること、作品が小型で近くで見る必要があること、比較的狭いスペースに作品が多く展示されていることなどが関係していると思います。後のコーナーは混雑していても、作品を見ることはそれほど難しくありませんでした。
・椅子が少ない(かも)
…混んでいて私が気付かなかっただけかもしれませんが、会場内に途中で休める椅子があまりなかったように思いました。無理せず、体調の良いときに行かれることをお勧めします。
(2018年1月4日)