展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ルドン~秘密の花園展

f:id:primaverax:20180418210258j:plain

…この展覧会はオディロン・ルドンの作品のうちでも花や植物が描かれたものに焦点を当てたものです。国内外の美術館から集められた出品作94点はほとんどがルドンの作品で、油彩画が約半分ですが、リトグラフの作品も多く、ルドンが「わたしの黒」と呼んだ木炭画・版画作品と色鮮やかな油彩画の双方をバランス良く見ることができる内容となっています。見どころの一つはルドンが手がけた大がかりな装飾プロジェクトであるドムシー城の食堂壁画で、16点の装飾画が揃って展示されるのは日本初とのことです。
…植物モチーフという角度からルドンの画業を捉え直すという企画は、世界でも初めてだそうです。ルドンと植物というテーマに対して、私は当初あまりイメージが湧かなかったのですが、この展覧会を通じて、植物のモチーフは時にひっそりと人物の傍らに添えられ、時に主役として画面の中央に描かれ、初期から晩年までルドンの作品の欠かせない要素であったと知ることが出来ました。以下、本展を見ての感想などです。

 

 

概要

会期

…2018年2月8日~5月20日

会場

三菱一号館美術館

構成

 1 コローの教え、ブレスダンの指導
 2 人間と樹木
 3 植物学者アルマン・クラヴォー
 4 ドムシー男爵の食堂装飾
 5 「黒」に棲まう動植物
 6 蝶の夢、草花の無意識、水の眠り
 7 再現と想起という二つの岸の合流点にやってきた花ばな
 8 装飾プロジェクト

ルドンに影響を与えた人々

…展覧会の各章のタイトルには、ルドンの芸術や人生に影響を与えた人々の名がありますね。それぞれの人物とルドンとの関わりについて、簡単にまとめてみました。なお、文中で引用したルドンの言葉はいずれもルドン自身の手記が元になっています。

*ジャン・バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)
…歴史的風景画の大家。ルドンと交流があり、ルドンに制作の方向を示した。ルドンは何度かバルビゾン村に滞在もしている。ルドンは自伝的手記である『私自身に』の中で、コローから受けた教えについて以下のように述べている。「『不確かなもののかたわらに、確実なものをおきたまえ』と、コローは私に言った。そして彼は私にペンで描かれた習作を見せた。それは豊かに茂った木の葉の絵で、葉は一枚一枚これと指し示すように、また刻み込むように描かれていた。コローは私に続けて言った。『毎年同じ場所に行って描くといい。同じ木を写すんだ』」*1
*ロドルフ・ブレスダン(1822-1885)
…放浪の版画家で、細密描写を特徴とする作品を制作。ルドンに版画技術を指導した。本展にはブレスダンの「善きサマリア人」が出品されている。ブレスダンの死の翌年に刊行されたルドンの版画集『夜』の第一葉《老年に》は、ブレスダンをモデルに描いた肖像画がもとになっているとされ、亡くなった師を悼んでのものと見られる。
*アルマン・クラヴォー(1828-1890)
…在野の植物学者。ルドンにポーやボードレールの文学作品を紹介するなど、精神的な面で大きな影響を与えた。ルドンはクラヴォーの研究について、「無限に微小なものの研究をしていました。(…)知覚の限界のような世界で、動物と植物の中間の生命、花というか存在というか、一日のうち数時間だけ、光線の動きによって生物として生きる神秘的な存在を研究していたのです(『芸術家のうちあけ話』)」*2と語っている。『夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)』は自殺したクラヴォーに捧げた版画集。
*ロベール・ド・ドムシー男爵(1862-1946)
…ルドンのパトロン。それまで小型の作品を制作してきたルドンに大型の食堂壁画を依頼した他、「神秘的な対話」などの作品も所有。ルドンが経済的な理由で断念してきたイタリア旅行へ連れ出し、壁画制作の参考とさせたりもした。男爵が首長を務め、城館の所在地でもあるドムシー=シュル=ル=ヴォーはフランス中部のブルゴーニュ地方ヴェズレー近郊に位置する小さな自治体。

感想

「ペイルルバードの小道」

…タイトルにあるペイルルバードは、幼少のルドンが養育された地の名前です。雲のない緑がかった深い青空の下、強い日差しが生い茂る木立や草地を明るく照らし出し、影になった茂みや建物とのコントラストが際立っています。色彩は明るいものの色合いは主に緑と暗褐色に抑えられ、画面の奥には空虚な荒野(ランド)が広がる寡黙な風景です。ルドンの油彩作品は線も色も柔らかく、デリケートと言って良いほどだと思いますが、この風景画はすっきりとして研ぎ澄まされている印象です。私は以前に同じ三菱一号館美術館でルドンの「ブルターニュの海沿いの村」という小さな油彩画を見たのですが、作品の纏う空気が「ペイルルバードの小道」とよく似通っていて、色素を凝縮したような空と海の青と、陸地や家並みの褐色というほぼ二色によって色も形もくっきりと明瞭に描かれた、乾いた静けさを湛えた風景画でした。無駄を削ぎ落とした写実的な描写、簡素で禁欲的な表現はルドンが「作者のための習作(エチュード)」と名付けた小型の油彩風景画に共通する雰囲気ですが、こうした習作にはコローの影響がありそうです。あるいは、元々のルドン自身の考えとコローの制作方法に近しいものがあって共鳴したのかもしれませんが、ルドンは次のように記しています。「それ(=コローの習作)は不器用な傑作だ。そこでは眼と精神がすべてを支配する。観察のもとでは、手は奴隷だ。コローは、描くという芸術のこの実践において、誠実で巧みな先導者である(『私自身に』)」*3。幻想的な作風で知られるルドンですが、対象の観察と正確な描写を重視していたことが分かります。コローもそうですね…叙情的な風景画で名高い画家ですが、そうした作品の背後には不器用なまでに写実に徹した習作の積み重ねがあったのでしょう。「毎年同じ場所に行って、同じ木を描きなさい」というのは、同じ木だから同じに描けていなければ不正確な描写だという意味でしょうか。または、同じ木を描くのでも翌年にはより精度の高い写生、観察力や技術の進歩などが見える必要があるという意味とも考えられます。いずれにせよ、木を画家を計る一つの物差しと見做していたのでしょう。「確かなものの傍に不確かなものを置きなさい」という言葉は、幻想を支えるリアリティの必要性を説いているとも、逆に写実を超えたイメージの大切さを説いているとも考えられますが、目に見える確かなものと目に見えない不確かなものは二者択一ではなく、不可分のものだというメッセージのように思われます。「素朴な習作、逆によく知っているものを忘れ、目に映るものにできるだけやさしく近づこうというつもりで描いた習作は、確かで、豊かな、汲み尽くせない資源であり、忘れ去ることのできないものなのだ(『私自身に』)」*4。これはコローの教えと共に記されたルドンの言葉なのですが、ルドンの「作者のための習作」にそのままあてはまると思います。ルドンは「作者のための習作」を生涯手元に置き、生前はほとんど発表されることもなかったのですが、これらの習作は寡黙にもかかわらず見る者の想像力を刺激する豊かな魅力があると思います。ところで、よく見ると、風景の中に小道を行く小さな人影が描かれています。ルドンは「荒野(ランド)にいる人々はいたるところで輝きを失い、崩れ、それぞれが悲嘆に暮れた目をし、自分自身と土地とを放棄し、消え去らんとしているかのように見えた(『芸術家のうちあけ話』)」*5と述べていますが、この道を行く人影もそうした顔つきをした一人だったのでしょうか。ペイルルバードに関するルドンの言葉には、不毛や孤独といったネガティヴな単語が見受けられるのですが、一方でルドンはこの地の屋敷の売却が決まったとき強く抵抗するほど自分の育った地に愛着を持っていました。不毛な荒野で過ごした孤独な時間は画家の豊かな幻想の揺り籠でもあったのでしょう。

「二人の踊女」「神秘的な対話」

…「二人の踊女」に描かれているのは、場所や時代の判然としない場面です。夕暮れ時なのか、黄金色に染まった空を背景に、画面右手には険しい峰が聳え、谷間には黒々とした影が差しています。タイトルには踊女とありますが、女性の一人は腰を下ろして赤い枝を手に川の流れに足を浸し、物思いに沈んでいます。その傍らに立つ女性は座っている女性に手を伸ばして、踊るように促しているのでしょうか。「神秘的な対話」でも、メインとなるのは二人の女性です。場所は神殿と思われますが、女性たちの足元は花園のただ中のように色とりどりの花で埋め尽くされ、背後の柱の間からは青空とバラ色に染まった雲が見えています。まるで天上の世界のようですね。この作品は従来、聖母マリアがエリザベト(洗礼者ヨハネの母)を訪ねて互いに身籠ったことを喜び合う「御訪問」と解釈されてきたそうです。伝統的にマリアは赤い衣を着ている姿で描かれますから、黄色のベールを被った女性がエリザベトになるでしょうか。彼女はマリアの手を取り、指を立てて語りかけていますが、マリアは赤い枝を手に静かな面持ちで俯いていて、喜び合うのとは少し違う雰囲気を感じます。この二つの作品に共通するのは、赤い枝を持つ女性が何かを考え込むような表情をしていることです。彼女たちが見ているものは深い無意識の世界でしょうか、あるいは遠い未来なのでしょうか。ルドンにとって植物は空想の世界と私たちを繋ぐ依り代であり、どちらの要素も持つモチーフなのだそうです。赤い枝は女性と目に見えない世界を繋ぐ役割を果たしているのでしょう。そんな今にも現実から離れていこうとしているかのような女性に対して、もう一人の女性は引き留めるような仕草をしています。赤い枝は神や運命に選ばれた徴であり、その枝を持たない女性との間を隔てるものでもあるかもしれません。なお、ルドンはのちに小舟に乗った二人の聖女というモチーフを好んで、繰り返し描いています。ここではもはや赤い枝は見当たらず、二人を乗せた舟そのものを満たす花に姿を変えています。同じ船に乗り行き先を共にする二人は互いに寄り添い、運命を共有しているのでしょう。

「夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)Ⅵ.日の光」他

…ルドンの作品と言うと、やはり第一に幻想的な版画作品が思い浮かびます。「『夜』V.巫女たちは待っていた」では石のはずの柱から根が生え、葉をつけています。目のある植物や顔のある種子など、ルドンの描く幻想的なモチーフは植物と動物、あるいは生物と無生物などの断絶がなく、融合や変容によって容易に相互の壁を越境しています。こうしたモチーフの背後には、クラヴォーが研究していたという植物とも動物ともつかない微細な生物のイメージがあるのかもしれません。事実は小説より奇なりという言葉がありますが、空想を超える奇妙な生物が現実に存在する、それを目の当たりにした経験はルドンに大いにインスピレーションを与えたのでしょう。
…「『ゴヤ頌』Ⅱ.沼の花、悲しげな人間の顔」は沼沢地に咲く人面花を描いたもので、植物学者だった友人アルマン・クラヴォーの「高等植物の受粉」に掲載されている豆の発芽の図版が元になっているとの指摘もあるそうです。ルドンが幼少の頃育ったペイルルバードも不毛な沼沢地でした。「あなたもご存じのそれらの悲しげな顔は、私の故郷に由来するものなのだ。なぜならそれは私が見たものであるし、子供だった私の瞳は、心の奥底の響きとしてそれらを持ち続けてきたのだから(『私自身に』)」*6。ルドンがランドに生きる人々の顔つきに見出した悲しさは、ルドン自身の心の奥底にも宿っていたようです。「私はあのころ悲しく、弱弱しい子どもだった思う。私は、沈黙を喜びとする観察者だった。子どもなのに、私は暗闇を探し求めた。家の片隅にある、遊び部屋の大きなカーテンの中に身を隠すと、深い、奇妙な喜びを感じたのを覚えている。そして外に出ては、田園の中で、空の魅力はえもいわれぬものだった!(『芸術家のうちあけ話』)」*7。身体の弱いルドンは同じ年頃の活発な子供たちのようには過ごせなかったようです。しかし、端からはぼんやりしているように見えたとしても、ルドンは孤独と引き換えの自由を味わい、外界の静寂により心の内なる声に耳を傾ける習慣を身につけ、暗闇のもたらす夢を貪り、精神の活動は旺盛だったのだろうと思います。「黒を大事にしなければならない。黒は何ものにもけがされることがない。黒は眼を楽しませてくれるわけではないし、肉感性を目覚めさせてくれるものでもない。黒はパレットやプリズムの美しい色以上に精神の活動家なのだ(『私自身に』)」*8。不毛の地にも花は咲くのでしょう。たとえ歪で奇妙な花でも、そうした地にこそ育つ魂もあるのかもしれません。
…「夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)Ⅵ.日の光」は暗い部屋に穿たれた大きな窓の外にまっすぐな木の幹が見えている作品です。同じ版画集の他の作品には全て人の姿があり、おそらくクラヴォーの姿や人生を念頭に置きつつ描いていると想像されるなかで、この一葉は異質な印象を受けます。暗い部屋は思考や心情など内面の世界、窓の外は外界や現実の比喩でしょうか。木=植物はクラヴォーの研究対象ですから、クラヴォーが植物学という現実世界を研究すると共に、同時代の文学やインドの詩、仏教といった精神世界にも造詣が深かったことを示していると捉えることもできそうです。あるいは、暗い部屋はルドンの内面であり、明るい世界にまっすぐ立って伸びる木はルドンに未知の世界を拓いて見せてくれたクラヴォーその人を見立てているとも考えられます。ところで、暗い部屋は虚ろな空間ではなく、泡のようなものが描かれているのですが、これはルドンの作品にしばしば見られる浮遊する顔でしょうか。種子のようであったり、精霊のようであったりする顔は、見えないものの象徴と考えることもできそうです。例えば「『陪審員』Ⅴ.目に見えぬ世界は存在しないのか」などは、タイトルも符合します。官能を満たす物質的な世界とは異なる世界、暗い部屋で芽吹く活発な精神の種子、想像力の源は、やがて根を張り枝を伸ばして、明るい世界をまっすぐに貫く木に成長したのかもしれません。ここではルドンの友人に対する敬意が、物差しでもあり道標でもある木の確かな存在に託されて表現されているのだろうと思います。

「目をとじて」「オルフェウスの死」

…「目をとじて」は、物思いに耽っているような表情で目を閉じている女性の半身像を、色とりどりの花が取り巻いている作品です。揺らぎのあるセルリアンブルーの背景が目に鮮やかですね。青という色は空または海(水)を連想させます。一方、女性の服は赤茶色で、背景との対比により大地の象徴とも考えられます。画面右側のオレンジや紫の花には茎があり、まるで女性の身体から生えているようにも見えます。この作品は自然とその中で生きる人間の姿を描いたものであり、目を閉じるという行為は自意識からの解放を意味し、人が自然と一体になること、自然と調和することを花で象徴させたと考えることも出来そうです。あるいは、女性を糧に咲く花は女性自身が育てたもの、女性の内部からもたらされたものであり、目を閉じて物思いに耽る女性の形のない心が、目に見える形=花になって外にこぼれてきたのかもしれません。描かれた花は形も色もさまざまですから、女性の物思いは一つのことだけではなく、時間を掛けてしっかり根付いたものもあれば、風に紛れて空に舞うような、とりとめのないものもあるのでしょう。具体的に彼女が何を思うのかは分かりませんが、美しく多様な花を咲かせるような精神の豊かさを感じます。この作品は目を閉じて、ときに自分の心に目を凝らすことの大切さを描いているようにも思われます。背景の美しい青は女性が日常から離れた深い精神世界にあることを表現し、人はそうした物思いに耽るとき、目の前の現実に追われて過ごすのとは異なる流れの時間を生きていることを暗示しているのかもしれません。花が形のないもの、人の心の内からもたらされるものと考えるとするなら、「オルフェウスの死」で竪琴に乗ったオルフェウスの頭部を取り巻く花は、オルフェウスの歌かもしれません。ディオニュソスの信女に殺されたオルフェウスは、死してなお歌いながらレスボス島に流れ着いたという伝説があり、この伝説を主題に描いたモローの作品(「オルフェウス」1865年)はパリ万博で評判を呼んで国家の買い上げにもなっています。既存の神話や象徴体系に必ずしも依存しなかったルドンですが、作曲家を兄に持ち、「私は音の波の上に生まれた」*9とも語るほど音楽への思いは強かっただけに、この伝説を独自に表現したい気持ちを持っていたのでしょう。しかし、音楽には目に見える形がありません。形のない音楽に、ルドンが画家として与えた形が花だったのだろうと思います。また、オルフェウスは吟遊詩人ですから、歌で表現するものは自身の魂とも言えるでしょう。今わの際に歌ったオルフェウスの魂とは、亡き妻エウリュディケへの愛ではないでしょうか。したがって、ルドンが描いた花はオルフェウスの愛であるとも言えそうです。引き裂かれたオルフェウスの身体から溢れた血が花と化して、愛を歌う詩人の無残な亡骸を包み込み浄化する、そんな幻影を想像させられる作品だと思います。

ドムシー城の食堂装飾画


..ドムシー城の食堂装飾画
…ドムシー城の食堂の四方の壁を飾っていた装飾画は、壁面の窓や暖炉などに合わせて大小様々に形状の異なるカンヴァス計16枚から成っています。他の出品作が比較的小型のため、まずはその大きさが印象的でした。壁画の制作の注文を受けたルドンは、男爵とイタリアを旅行しているあいだもナビ派の芸術家ヴュイヤールの装飾画を意識していたそうです。また、装飾と植物というと、アール・ヌーヴォーの作品も思い浮かびます。ルドンは元々植物モチーフへの関心を持ち続けていたわけですが、ドムシー城の装飾壁画は、そうした関心を一つの大きな形にすることが可能な時代的環境が整ったことと、ルドン自身の画業の積み重ねによって結実したプロジェクトだったと言えるかもしれません。
…この作品は装飾ですから、具体的な生活の場面を想定して制作されていると思われます。ルドンは花に囲まれた人物を数多く描いていますが、花の壁画に囲まれた食堂に男爵やその家族が座すことで、この壁画は完成するのでしょう。描かれた植物モチーフにはひな菊やナナカマドなど実際に存在するものもあれば、現実には存在しない、もしくは判別がつかないものもありますが、全体として緩やかな連関が感じられます。黄色い花の咲く木は、ルドンが壁画の制作期間中、南仏のルノワールを訪ねた際に目にした満開のミモザに想を得ていると見られています。ミモザが春を、ナナカマドの赤い実が秋を感じさせますから、ヒマワリが描かれている「グラン・ブーケ」は夏でしょうか。しかし、「グラン・ブーケ」は全体の構成のなかで成り立っている他の壁画と異なり、一枚だけで成り立つ作品です。同時に、最も重要な一枚なのだろうとも思われます。壁画の制作に当たって男爵は赤や黄などの暖色を主調に描くことを求めたそうですが、「グラン・ブーケ」は花瓶の青が先ず目に入ります。注文主の意向に反しての配色ですから、理由あってのことでしょう。また、この作品だけパステルで描かれているのですが、パステルは照度の低い場所での発色が良いという特徴があるそうです。壁画が設置されていた食堂はかなり暗いそうなので、そうした中でもよく見えるようにという配慮なのでしょう。「グラン・ブーケ」の描かれた意図がどういったものなのか、なかなか想像もつかないのですが、花瓶に生けられた花は大地に根を張る自然物のミモザとも、図案化されて植物の記号となったひな菊の花やナナカマドの実とも異なる有り様を示しているのかもしれません。花瓶の花は大地から根を絶たれつつも実体を持っています。花瓶の青い色は水を連想させますし、そこからこぼれ落ちた実物の花は枯れてしまう代わりに、抽象的なイメージに生まれ変わるとも考えられます。一方で、「グラン・ブーケ」は色調の濃淡はありますが明確な影はなく、画面は明るいものの光源が定かでないように思います。強いて言うなら、花束の真ん中、まっすぐ伸びた傘のようなヒマワリがこの作品における太陽でしょうか。天を向く奇妙なヒマワリの周りには光が差しているかのようにうっすらと黄色が塗られ、花粉とも光の粒子ともつかぬ飛沫が施されています。影がない=実体がなく、花そのものが発光しているのはグラン・ブーケが心の目で見る花だからであり、根を絶たれた花を生かしている花瓶の水が「想起」なのかもしれません。ルドンは自ら描いた花について「再現と想起という二つの岸の合流点にやってきた花ばな」*10と記していますが、再現と想起という言葉は確かなものと不確かなものについてのコローの教えを思い出させます。確かなもの=目に見える実物の花の再現と、不確かなもの=花のイメージに形を与えることを両立させ、双方の側面を併せ持つ存在として対象を表現すること。ルドンにとって「グラン・ブーケ」は、長年抱き続けてきたテーマのシンボルだったのかもしれません。

その他

…私が見に行ったのは三連休の初日でしたが、会期序盤でまだそれほど混雑していなかったため、じっくり作品を見ることができました。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。ただ、スペースの狭い展示室があるのと、比較的小型の作品が多く近くで見る必要があるため、会場が混雑すると作品を見るのに少し時間がかかるかもしれません。
…作品保護のためと思われますが、会場内の照明は全体的に暗めです。また、会場内にはドムシー城の食堂装飾画(複製)の写真撮影が可能なスペースがありました。一連の装飾画は元々食堂の壁4~4.5メートル程度の高さに飾られていたそうですが、それを再現するためか高い位置に飾られていて、作品を見上げる感覚を実感できました。
ミュージアムグッズ売り場に八坂書房の「オディロン・ルドン 夢のなかで」という画文集が置いてあったのですが、音声ガイドで引用されているルドンの言葉が多数掲載されています。翻訳は図録の解説文のほうがこなれていると思いますが、ルドンが自作について語っている言葉をさらに知りたい場合は、お手にとってご覧になってみるのも良いかと思います。

 

*1:藤田尊潮訳編『オディロン・ルドン』八坂書房P22

*2:図録P56

*3:八坂書房『オディロン・ルドン』P23

*4:八坂書房『オディロン・ルドン』P22

*5:八坂書房『オディロン・ルドン』P32

*6:八坂書房『オディロン・ルドン』P32

*7:八坂書房『オディロン・ルドン』P16

*8:八坂書房『オディロン・ルドン』P54

*9:図録P58

*10:図録P143