展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光

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…現在、国立西洋美術館で開催中の「プラド美術館展」の見どころは何と言ってもベラスケスの作品が7点も来日していることでしょう。現存するベラスケスの作品は約120点のみで、そのうちの約4割がプラド美術館に所蔵されています。それが7点も日本で見られるのですから、確かに事件ですね。これ以上見るには直接スペインに行くしかない、というぐらいの貴重な機会だと思います。
…出品数は70点、ベラスケスを中心にスルバラン、ムリーリョ、ルーベンスティツィアーノなどプラド美術館が所蔵する17世紀前半のスペイン内外の画家たちの作品が展示されています。バロック絵画らしく大作揃いで、ボリュームたっぷりの展覧会です。

 

概要

会場

国立西洋美術館

会期

…2018年2月24日~5月27日

構成

1 芸術
2 知識
3 神話
4 宮廷
5 風景
6 静物
7 宗教
…章立てはモチーフ別となっています。17世紀、バロック絵画というとやはり宗教画だと思うのですが、展示順は一番最後となっています。芸術が一番最初であるところに主催側の意図が感じられます。
…ベラスケスの作品は全部で7点ですが、そのうち2点は宮廷の章に出品されています。これはベラスケスが何よりも宮廷画家として、スペイン王家を初めとする実在の人物の優れた肖像画を数多く制作しているためでしょう。一方でベラスケスの作品が1点もないのが静物の章ですが、これは偶然ではなく、プラド美術館が所蔵するベラスケスの油彩作品の一覧自体に静物画が見当たりません。実は、ベラスケスが画家として独立してから宮廷画家になるまでの間に制作した作品においては「ボデゴン」と呼ばれる厨房風俗画の比重が大きいのですが、静物のみの作品は1点も残っていないそうです*1。逆に言うなら、ベラスケスの興味は何より人間にあったのだろうと考えられます。

プラド美術館

…過去4回、日本で開催されたプラド美術館所蔵作品による展覧会の一覧です。
プラド美術館展 スペイン王室コレクションの美と栄光
 2002年 国立西洋美術館
 絵画76点、彫刻1点 入場者数516,711人
プラド美術館展 スペインの誇り 巨匠たちの殿堂
 2006年 東京都美術館
プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影展
 2011年 国立西洋美術館
 ゴヤの油彩画・素描72点 入場者数333,910人
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱
 2015年 三菱一号館美術館
 絵画102点 入場者数188,411人
…西洋美術館、三菱一号館美術館の展示概要等についてはホームページなどで確認できたので、併せて表記しました。2015年の「スペイン宮廷 美への情熱」は私も見に行きましたが、出品作は中世後期から19世紀まで幅広い時代で構成されていて、比較的小型の作品が多かったのも特徴でした。ベラスケスの出品作では師であり岳父でもあるパチェーコの肖像画「フランシスコ・パチェーコ」と、イタリア滞在時に描かれた風景画「ヴィラ・メディチの庭園」が来日しています。今回はまた違うベラスケスの作品を見ることができますが、プラド美術館の充実したコレクションあってのことだと思います。

感想

芸術:ベラスケス「フアン・マルティネス・モンタニェースの肖像」、スルバラン「磔刑のキリストと画家」

…フアン・マルティネス・モンタニェースは17世紀のスペインを代表する彫刻家で、ベラスケスの師であるパチェーコとも交流があったそうです。画家より三十歳余り年長の老彫刻家は艶のある宮廷服に身を包んだ風格ある佇まいで、ベラスケスは同郷の彫刻家が精力的に制作に取り組む姿を敬意を込めて描いています。この作品の面白さは、深い眼窩の奥から揺るぎない眼差しでこちらを見据える彫刻家の視線の行方にあります。国王の粘土像を制作している彫刻家はモデルである王を見ているはずですが、一方で彫刻家自身が絵のモデルでもあり、この作品を描いているベラスケスを見ているとも考えられます。しかし、王やベラスケスは画面の外、モンタニェースの視線の先にいるため、ちょうど絵の前に立った鑑賞者は彫刻家とあたかも自分を見ているような感覚を覚えるのです。画面の中の空間がフレームを超えて現実という異なる次元の空間と一つに繋がり、重層的な解釈を可能にするような、シンプルな肖像画に見えて複雑な仕掛けを持つ作品です。
…スルバラン「磔刑のキリストと画家」は胸に手を当てた画家が十字架上のキリストを恍惚として見上げています。画中の画家がスルバランの自画像なのか、画家の守護聖人であるルカなのかは議論があるそうですが、いずれにせよある程度スルバラン自身が投影されていると考えて良さそうです。私は初め、背景に微かながらゴルゴダの丘が見えることもあり磔刑のキリストは実像だと思っていたのですが、画家の手のパレットに注目すると、実は画家の手による絵画のようにも見えてきます。また、画家とキリストが同じ次元に存在していることや、画家の祈りが通じたようにキリストが顔を傾けていることを踏まえると、これは画家の内面の世界、あるいは敬虔な画家にもたらされた奇跡のようにも思われます。おそらく幾通りもの解釈が可能なのでしょう。ところで、画家の手にあるパレットをよく見ると、赤い絵の具が目につきます。しかし、この作品中にこうした鮮やかな赤は見当たりません。十字架に掛けられたキリストはまだ血を流していない、これから描かれるところのように思えますので、個人的にはこれから仕上げられる絵画ではないかと思います。

知識:ベラスケス「メニッポス」

…メニッポスは古代ギリシャの哲学者で、奴隷から金貸しとなって一時は財産を築いたものの、結局失ってしまうという波乱の生涯を送ったそうです。着古した外套を羽織り、床には本や壺が雑然と置いてある様子からすると財産を失ったあとの姿なのでしょうか。哲学者と言うと書斎で思索に耽る姿を思い浮かべるのですが、このメニッポスはぎょろりとした目で口の端をつり上げ、今にも笑い出しそうな、深刻ぶったポーズを嘲弄するような表情に見えます。有為転変した身の上のためか、メニッポスは現世の価値や富に懐疑的な立場だったそうですが、モンタニェースとはまた違った目力があり、現実も己自身も、どこかで突き放しているような印象です。今回出品されたベラスケスの作品はみな人物が描かれていますが、頬杖をついて考え込むマルス、寛いで気取りのない様子のフェリペ4世、とらえどころのないバリェーカスの少年、馬上で凜々しく指揮棒をかざす王太子、慈しみに満ちたマリア…と、それぞれに表情が違っていて、そこには画家の冷静な目が捉えた各人の人間性が表現されていると思われます。

神話:ベラスケス「マルス」、ルーベンスアンドロメダを救うペルセウス

…古代の彫刻などは別として、絵画においてマルスは概ねヴィーナスなどと一緒に描かれている場合が多く、単独で描かれている作品はあまり見ない気がします。この「マルス」は狩猟休憩塔(トーレ・デ・ラ・パラーダ)の装飾のために描かれたもので、闘いの神は頬杖をついて一休みしています。赤銅色の肌は戦いを終えたばかりで身体が火照っているためと思われますが、マルス=火星の赤い色も連想させます。頬杖をつくポーズというと私はデューラーの銅版画「メランコリアⅠ」などが思い浮かぶのですが、憂鬱や瞑想といった不活発な状態を表現するポーズで、闘いの神とは本来対極にあるものです。勇猛な兵士にも休息が必要とは言え、戦闘の神らしからぬ様子でマルスが考え込んでいるのは、狩り(戦い)の成果が思わしくなかったためでしょうか。あるいは、マルスの右手に握られているのは「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」にも見られる指揮棒のようですから、場所が王家の狩猟休憩塔ということと考え合わせると、描かれているのはマルスの姿を借りた国王とも考えられます。17世紀の危機と言われ、スペインも内外に問題が山積していた時代背景を踏まえると、闘いの神ですら倦み疲れるほどの混乱ぶりを暗示しているのではないかと深読みしたくなるのですが、一方でバランス感覚に優れた宮廷人でもあるベラスケスが、王家の施設のために悲観的な装飾画を描くとは考えにくい気もします。兜の影になったマルスの表情を読み取るのは難しいのですが、ベラスケスは猛々しい神が考えに耽る姿を描くことで、優れた兵士には勇と知のバランスが必要なこと、戦いに臨むには肉体の鍛錬だけでなく、身体を休める合間に思索の鍛錬も怠ってはならないことを表現しているのかもしれません。
ルーベンスの「アンドロメダを救うペルセウス」はルーベンスらしい女性美を堪能できます。スペインでは宗教上裸体画が規制されていて、王室は裸体画のコレクションを立ち入りの制限された特別の部屋に集めていたそうです。しかし、この作品は(政治的な理由にかこつけつつ)王宮の「新しい部屋(サロン・ヌエボ)」で歴代国王の肖像画と並んで飾られていたそうで、描いたルーベンスも依頼したフェリペ4世もなかなか大胆なことをするなとは思います。暗い背景に浮き上がるアンドロメダの透き通るような裸身が何より目を引きますね。そのアンドロメダの白い肌と対比されるペルセウスの深紅のマントは大きく翻って躍動感をもたらし、二人の頭上では愛の神と結婚の神が祝福しています。バロック美術の特徴の一つに劇的でダイナミックな表現があると思いますが、この作品はすでにペルセウスが怪物を退治したあとの場面で、件の怪物はペガサスと共に海辺に小さく描かれているにとどまっています。しかし、よく見ると息急き切って駆けつけ、アンドロメダを解放しようとしているペルセウスの腕は生々しく怪物の血に塗れていて、激しい戦いのあとであることが分かります。また、肌の白さと対照的にアンドロメダの頬は紅潮していますね。助け出されたことで怪物に対する恐怖と緊張が解けて安堵のあまり涙ぐんでいるのか、今にも泣き出しそうな表情に見えますが、その意味で、劇的なドラマは描かれた人物の感情の面で表現されていると言えるかもしれません。なお、本作はルーベンスの絶筆で、弟子のヨルダーンスが仕上げたとされています。

宮廷:ベラスケス「狩猟服姿のフェリペ4世」「バリェーカスの少年」

…ベラスケスは主君であるフェリペ4世の肖像画を複数制作していますが、「狩猟服姿のフェリペ4世」では宮廷とは異なる寛いだ国王の姿が描かれています。この作品ではフェリペ4世は帽子を被っていますが、ゴヤ美術館にあるベラスケス工房制作のコピーでは帽子を手に持った姿で描かれています。足などにも描き直しの跡が見受けられますが、王と傍らに控える猟犬、背後の木が形作る構図の重心は、コピーより本作のほうが安定しているように見えます。国王の右側、開けた空間に描かれているのは王家の人々が毎年秋になると狩猟のために訪れるエル・バルドの森でしょうか。日没が近いため空と山肌は残照でうっすら朱く染まっています。殊更に王であることを示すような華美な装いでなくとも威厳の感じられる姿からは、かえってフェリペ4世自身の身についた有能な君主としての器量が窺われますし、率直な表現を許しているベラスケスとの良好な信頼関係も感じられる作品だと思います。
…「バリェーカスの少年」のモデルとなった少年はフランシスコ・レスカーノという名で、王太子バルタサール・カルロスの遊び相手として仕えていたそうです。この作品は上述のフェリペ4世の肖像画と同じく、狩猟休憩塔に飾られていたそうで、背景が屋外の風景なのは王太子に伴われて狩猟に連れられてきたときに(あるいはそうしたイメージで)描かれたためとも考えられます。ベラスケスが狩猟休憩塔の装飾のために描いたエナーノ(矮人)の肖像を見ると、いずれも座った姿で描かれています。座ることで彼らの短軀が目立ちにくくなるという配慮が理由かもしれませんし、身体的な特徴のみが注目されて、彼らの表情や個性が見えにくくならないようにという画家としての冷静な判断によるのかもしれません。レスカーノのような「慰めの人」は宮廷において完璧で慈悲深い王家の威信を高める意味があったそうですが、王家や宮廷の人々の単なる引き立て役に過ぎなければ単独で肖像画が制作されることもなかったと思います。機知に富んだことや馬鹿馬鹿しいことを言ったりやったりして人々の気を紛らわす存在と言うと、現代であれば芸人さんに少し近いのかもしれません。研究によると1563年から1700年までの間にスペイン宮廷に仕えていた「慰めの人」は123人*2だそうですから、中には人気者もいたでしょうね。レスカーノの姿を捉えるベラスケスの視線には憐れみや好奇の色は感じられず、あるがままに描く構えのなさが見る者を緊張させないのだと思います。レスカーノはとらえどころのない弛緩した表情をしていますが、王宮とは違う野外の空気を楽しんでいるのかもしれません。神の目から見れば、人間同士の違いなど些細なものなのでしょう。

風景:ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」、コリャンテス「羊飼いの礼拝のある冬景色」

…17世紀のスペインにおいて風景画は外国から輸入されたもので、スペイン人画家による風景画はほとんど制作されなかったそうです。しかし、ベラスケスは1629~31年のイタリア旅行中に当時の最先端の風景画に触発されて、ヴィラ・メディチの庭園を描いた小型の油彩画を残しています。「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」で描かれた風景からは、ベラスケスが風景への興味を持ち続けていたことが窺えます。王太子の背景には近景である褐色の大地、中景である緑の森、そして遠景に青くかすむグアダラマ山脈の写実的なパノラマが広がっています。ベラスケスは決して多くの風景画を制作したわけではありませんが、空間の奥行きを表現する成熟した空気遠近法を見ると、きっと王室のコレクションにある外国人画家の風景画などを研究していたのだろうと思います。なお、この作品はマドリード郊外にある離宮ブエン・レティーロ内の「諸王国の間」を飾るために制作された五枚の騎馬像のうちの一枚です。男性陣に共通の乗馬の後ろ脚のみで立つポーズはルバードと言い、難易度が高いそうですが、ことに中央に飾られた王太子の騎馬像は広い青空に雄飛して、今にも画面から迫ってきそうに見えます。背景に描かれているのが特定可能な実際の風景であるのも、将来王太子が治めるべき地を示すためとも考えられますし、年少ながら颯爽と馬を乗りこなす姿にはスペイン王国の統率者としての期待が込められていたのだろうと思います。
…スペイン人画家による風景画がほとんど制作されなかったなかで、例外的に風景画を残している一人がコリャンテスです。「羊飼いの礼拝のある冬景色」は宗教的な主題に基づきつつも、マリアや生まれたばかりのイエスは左隅のあばら屋の中に小さく描かれ、メインは雪景色と、雪の中幼子イエスの誕生を祝うために楽器や豚(猪?)を携えて馬小屋に向かう庶民たちの姿です。画面右側を流れる川は寒さで凍っているのでしょうか。画面の奥には雪の積もった緩やかな丘陵の斜面が続いています。こうした冬の風景画を一つのジャンルにまで押し上げたのがブリューゲル一族です。東京都美術館で開催中の「ブリューゲル展 画家一族の150年」ではピーテル・ブリューゲル2世の「鳥罠」が出品されていますが、ピーテル・ブリューゲル1世のコピーが数多く制作されたなかで、コリャンテスもそうした作品を目にしたことがあったのかもしれません。聖人や貴族ではなく庶民の姿が表現されているところにも、フランドル絵画の影響が感じられます。ところで、「太陽の国」と言われるスペインですが、冬は寒いんですね…地中海に面したバルセロナなどは基本的に降雪はないものの、内陸のマドリードなどは雪が降ることも珍しくないそうです。コリャンテスがこの作品を描くに当たってブリューゲルの冬の風景の影響はあったと思いますが、単なる模倣ではなく、ある程度実感も伴う風景だったのだろうと思います。画面を覆う白い雪はイエスの誕生という主題に相応しい清浄な空気を与え、空から雪が舞う中を馬小屋に向かう人々の生き生きとした姿からは救い主の誕生に対する抑えきれない率直な喜びが伝わってきます。重厚な作品が多い中で、素朴さや親しみを感じさせられる一枚だと思います。

静物:ヤン・ブリューゲル(父)「花卉」

…ヤン・ブリューゲル1世の「花卉」は、名人の筆の冴えを堪能できる一枚です。ヤン1世は他に「視覚と嗅覚」(共作)も出品されていて、「花のブリューゲル」の名が国際的なものだったことが改めて窺えます。本作では花が光沢のある硬質な白い器に盛られていて、大ぶりの花も可憐な花もその複雑で繊細な花弁が緻密に描かれています。器の手前にあるのは白い花を付けたオレンジの枝で、色や形の美しさばかりでなく、香りの良さまで感じられそうです。こうした花の静物画はヴァニタスの寓意で、命や美の儚さを暗示するとされていますが、生きた花はいずれ萎れて散ってしまうのに描かれた花は永遠に美しいままで、逆説的な気もします。花の上には小さなテントウムシや、花びらと見紛う蝶の姿も見えますね。美しい花だけでは画面が整いすぎてしまうと言うか、装飾的になるのを避けて、実物の花らしさを持たせたかったのかもしれません。ベラスケスの作品には、近づいて見ると荒いタッチが離れて見ると精緻な表現になるという特徴がありますが、ベラスケスが静物のみの作品を描かなかったのは、ミクロの写実性を極める静物画とは表現の方向性が違うことも、理由の一つだったのかもしれません。

宗教:ベラスケス「東方三博士の礼拝」、ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」

…「東方三博士の礼拝」はベラスケスが宮廷画家になる以前、まだ20歳の頃に描かれた作品です。画中の人物のモデルはそれぞれ慎ましく微笑んでいるマリアがベラスケスの妻のファナ、マリアに抱かれているイエスが生まれたばかりの娘フランシスカ、贈り物を捧げ持って聖母子を仰ぎ見るメルキオールがベラスケス自身、それを背後から見守る年長のカスパールが岳父パチェーコと、家族の肖像にもなっているそうです。宗教的主題を借りつつ、娘の誕生を喜び、家族の結びつきを形にしてもいるのでしょう。今回のベラスケスの出品作の中で、この作品はある意味最もバロック絵画のイメージに近く感じられました。例えば、この作品ではマリアに抱かれて微かに光を放っているイエスを中心に光が当たり、メルキオールの横顔など周囲は影に沈んでいて、後年の作品に比べると明暗のコントラストが強調気味に思われます。ドラマに肉薄するように画面一杯に人物がひしめいて空間に余裕がなく感じられるのも、適度な距離感をもって対象を見詰めている後年の作品とは異なります。逆に言うなら、冷静で客観的な観察眼がベラスケスの画風とも言えるのでしょうね。ベラスケスがバロックの画家から、唯一無二のベラスケスになっていく出発点と言える作品だと思います。
…聖母がイエスを抱く聖母子を描いた作品は数多くありますが、ムリーリョの「小鳥のいる聖家族」はヨセフがイエスを抱いている珍しい構図の作品です。キリスト教の場合、イエスは神の子ですし、神という強大な父性の前で、人間的な父性はさほど重視されないからでしょう。ただ、当時のスペインではヨセフ信仰の高まりがあり、従来老人として描かれてきたヨセフが壮健な男性として描かれたそうです。この作品の場合、ヨセフがイエスを膝に引き寄せることで、幼いイエスの可愛らしい手足と大人のヨセフの手足の大きさの違いが表現されていて、ヨセフがイエスを保護する立場にあることが印象づけられていると思います。マリアが赤い衣に青いマントではなくショールを羽織っているのも、ヨセフを作品の中心に据えるためでしょうが、逆に新鮮に感じられます(籠の上に畳んで載せられた青い布がマリアのマントかもしれません)。イエスの明るい金髪を中心に、色彩が白、褐色、黒にまとめられているため、作品全体から温かみのある落ち着いた雰囲気が感じられます。イエスの手に握られている小鳥は受難を象徴するヒワでしょうか。描かれた人物に光輪などは描かれず、普通の家族のように見えることが逆に魅力になっている作品だと思いますが、糸を紡ぎながら振り返るマリアも、大工仕事の手を休めて幼いイエスを抱くヨセフも高貴で品の良さが感じられます。普遍的な家族の絆と、聖家族としての神聖さを兼ね備えていることが深みをもたらしている作品だと思います。

その他

…私が見に行ったのは公開2週目の土曜の午後でした。来場者は多かったのですが、人の流れはほぼスムーズで、絵の前に立ってじっくり眺めることができました。展示された作品は1辺100センチを超えるものが多いため、絵から少し離れていても鑑賞可能で、中には「巨大な男性頭部」のように、あまりに大きくて近くからだとよく分からない作品もあります。ただし、絵画技術について記された書籍の前は、細かい内容や解説を確認するのに時間がかかるためか、列が滞りがちでした。出品数は多くないので、所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。
…時代的に東京都美術館で開催中の「ブリューゲル展」と重なるためか、プラド美術館展にもヤン・ブリューゲル1世の作品が出品されていたり、ルーベンスの作品がプラド美術館展とブリューゲル展の双方に出品されていたりします。また、風景画では、世界風景や冬の風景画など共通の主題の作品がそれぞれ出品されていました。一方、大作揃いで宮廷に生きる人々が描かれているプラド美術館展と、小型の細密画が多く、庶民の日常を描いた作品が多いブリューゲル展とは雰囲気がかなり違ってもいます。時間が許せばブリューゲル展と併せて鑑賞して、バロック絵画とフランドル絵画の同時代性や違いを感じるのも面白いと思います。

*1:図録P39

*2:図録P144