展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ターナー 風景の詩 感想

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見どころ

…この展覧会はイギリスを代表する画家であり、風景画の歴史においても最も独創的な画家のひとりであるジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775~1851)の芸術を紹介するものです。出品作はスコットランド国立美術館群をはじめ主にイギリス各地の美術館の所蔵する水彩画・油彩画69点と、郡山市立美術館の所蔵品を中心とする版画作品58点から構成されており、ウィリアム・アランによるターナー肖像画を除いて全てターナーの作品によって構成されています。
ターナーの風景画というと、「雨、蒸気、スピード―グレート・ウェスタン鉄道」など、大気と光を感じさせる抽象画のような革新的な作品のイメージが強かったのですが、この展覧会では特に若い頃のターナーが建物、あるいはその集合体である都市の複雑な構造を、遠近法を駆使して描いている作品も多く見ることができました。そうした風景の随所には、当時の庶民の日常生活が単なる点描としてではなく、自然や都市の景観と同じぐらいの重要性をもって生き生きと描かれていて、ターナーが目にしたであろう当時のイギリス社会が絵の中に再現されているのも印象的でした。また、本展にはターナーが下絵を手がけた版画作品も多数出品されていますが、ターナーはしばしば彫版師とやり合いながらも、自ら試し刷りを確認して指示を出し、質の高い作品の制作に取り組んだそうです。この展覧会では、ターナーらしい風景画を堪能できるのはもちろんのこと、これまであまり知らなかったターナー作品の新たな魅力を知ることができると思います。

 

 

概要

会期

…2018年4月24日~7月1日

会場

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館

構成

 第1章 地誌的風景画
  水彩画・油彩画20点、版画11点
 第2章 海景-海洋国家に生きて
  水彩画・油彩画20点、版画19点
 第3章 イタリア-古代への憧れ
  水彩画・油彩画14点、版画17点
 第4章 山岳-あらたな景観美をさがして
  水彩画・油彩画15点、版画11点
ターナーの風景画をモチーフ別に大きく四つに分けた構成となっています。
…第1章の地誌的風景画とは個々の土地や地形を正確に再現、記録することを目的とした風景画で、若い頃のターナーの作品が多く取り上げられています。旅行がブームになる一方、写真がない時代に地図やガイドブックが必要とされる中で具体的な土地を正確に捉えた絵画が描かれるようになったんですね。ターナーの作品も、こうした本のために注文されて描かれたそうです。
…第2章の海景は島国イギリスにおいて主要な芸術ジャンルでした。海を愛したターナーは嵐の海から凪の海まで様々な作品を描き、このジャンルで絶大な人気を博したそうです。また、18世紀末から19世紀初めのイギリスは、革命が起こり、さらにナポレオンが皇帝となったフランスと戦争状態にあり、ターナーは当時の海戦に因む作品も描いています。この章の作品では海の表現はもちろんのこと、小舟や釣り船から海軍の戦艦に至るまで、正確に描き分けられた各種の船も見どころだと思います。
…第3章では物語性のある風景画が取り上げられています。歴史や宗教などの主題によりつつイタリアをはじめイギリス国外を描いた作品に加えて、特定の主題に基づかず画家の想像によって描かれた作品も含まれています。
…第4章ではスコットランドからアルプスまで、崇高な山岳風景作品が紹介されています。17世紀以降、風景画のジャンルが確立していくなかでも、山は空気遠近法により遠景に青く霞む姿で描かれていることが多く、山そのものを主役に描いた作品は確かにあまり思い当たりません。強靭な身体能力と揺るぎない好奇心に支えられたターナーは、実際に各地を旅して目にした険しい山岳風景を作品にしました。なお、のちにターナーは想像によってヒマラヤ山脈まで描いたそうです。

感想

人間と動物:「ハイ・グリーン、ウルヴァーハンプトン」「ヘリオット養育院、エディンバラ」他

…ロンドンで生まれ育ったターナーにとって、都市の風景は最も馴染み深いものだったことでしょう。「ハイ・グリーン、ウルヴァーハンプトン」には、イングランド中部の都市ウルヴァーハンプトンで毎年7月に開催されていたという定期市の様子が描かれています。テントが立ち並ぶ市には民衆がひしめき、前景では道化服を着た男性が犬と共にしつらえられた舞台の上に立っています。すぐ後ろの建物の壁の時計は11時半を指していて、お昼時のためか舞台の前のテーブルで食事をしている人も見えます。背後に立つ一際高い建物はセント・ピーターズ教会の塔で、実際よりも大きく描かれているそうです。ここでは厳かな聖と活気に満ちた俗が一つの画面に収まり、生彩ある街の姿を形作っています。
…「ヘリオット養育院、エディンバラ」は、ウォルター・スコットスコットランドの地方古遺物』の挿絵のために制作された一枚です。タイトルのヘリオット養育院は17世紀に設立された貧しい孤児のための養育施設ですが、この作品では荘厳な建物のシルエットが描かれるにとどまり、前景を占めているのは路上で繰り広げられる庶民の日常です。画面右側には壺や盥のような日用品を売っている女性が描かれる一方、画面左側では石炭を載せた荷車を押す人々がいて、産業革命の最中にある時代を感じさせます。中央で地べたに座り込んでいる露天商の女性は、前にいる子供たちに身振りで仕事を手伝うように教えているのでしょうか。子供たちが女性の子供なのか、それとも養育院で育てられるべき孤児なのか分かりませんが、後者ならターナーは社会の助けが必要な貧しい孤児たちの現状を描いているとも考えられます。ターナーが養育院というテーマに対して子供たちを前面に描いたのは、施設ではなく子供たちに注目して欲しかったからかもしれません。
…「アベルディライス水車、グラモーガンシャー」は、ウェールズにおける産業革命の中心地となったアベルディライスの動力源として活躍した水車を中心とする風景です。何より目を引くのは画面中央、日差しに照らされた大きな岩で、隙間から飛沫を上げて流れ出した滝は川へと続いています。岩のそばには水車のある建物があり、煙突から煙が出ています。建物の前の道を行く人はここで働いているのでしょうか。前景の川では女性たちが取り取りの模様のある布を広げ、桶を手に洗濯をしています。ターナーは特徴ある地形や背後の深い森があってこそ、この風景を描いたのだろうとは思いますが、この地に暮らす人々の日々の仕事ぶりが描かれることで風光明媚なだけではない、血の通った風景になっているのだと思います。地に足を付けて逞しく生きる彼らの存在が、イギリスの発展を支えていたのでしょう。
…こうした人々の傍らにはしばしば動物が描かれています。最も身近な動物は犬でしょうか。上述の「ハイ・グリーン、ウルヴァーハンプトン」や「ヘリオット養育院、エディンバラ」にも犬たちが描かれていますが、時に人の仕事を手伝う存在として、時にペットとして彼らは人々の日常に溶け込んでいます。また、街中を彷徨く犬は、都市の喧噪を表現している場合もあるそうです。家畜では牛の姿も多いですね。古城のシルエットが描かれている「ワイ川」では、牛飼いと見られる男性たちが岸で牛を休ませて、自分たちも川で水浴びをしています。崖の上に立つ幽玄な古城のシルエットとは対照的に、牛も人も共に和やかに休息している光景からはのどかさが伝わってきます。「ヨークシャーのカーリー・ホール、家路につく牡鹿狩りの人々」では人間のそばを猟犬たちが駆け回っている一方で、背後のカーリーの絶壁の上には小さく牡鹿の群れが描かれています。牡鹿は猟犬に狩られる獲物ですが、飼い慣らされた犬とは対照的な気高い野生の象徴でもあるのでしょう。一風変わったところでは、「海辺の日没とホウボウ」に描かれたホウボウでしょうか。ホウボウは翼のように水平に広がる特徴的な胸鰭を持つ魚ですが、釣りが趣味だったというターナーは実際に釣り上げたことがあったのかもしれません。釣りを楽しむ人は釣果を魚拓や写真で残したりしますから、ターナーであれば、ホウボウのユニークな外見を絵に描きたくなったのだろうと思います。

人工物―建築物と船:「マームズベリー修道院」「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」「セント・オールバーンズ・ヘッド沖」

…「マームズベリー修道院」がロイヤル・アカデミー展に出品されたとき、ターナーは若干17歳だったそうです。ターナーは14歳の頃、製図工の元で建築図面を描く技術を磨き、その後は地誌的・建築的景観を得意とした画家トマス・モールトン・ジュニアに雇われていました。柱やアーチの残骸などに見られる複雑な形状や、崩れた壁越しに廃墟の内部を見通すことができる空間構成など、この作品には若きターナーの建築に関わるキャリアが生かされていて、全てが曖昧な色彩の靄に溶け込んでいるような後年の作品とはまた違う魅力を感じることができます。なお、廃墟の中には草葺きの屋根の小屋があり、家畜の豚や犬を連れた農夫と思しき人物が描かれていますが、これは束の間の時を生きる生命と悠久の時を刻む廃墟とを対比させたものだそうです。しかし、一方で崩れかけた廃墟には植物が絡みつき、屋根は草で覆われていて、いずれ建物が朽ちて飲み込まれる未来を想像させます。かつては厳かな祈りの場だった施設の片隅が今や家畜小屋になっているというのも皮肉めいたものを感じますし、両義的な解釈が可能な作品と言えるかもしれません。永きに渡って存在し続けるものの、不変であるが故に崩れたら再生しない建築物と、個体としての生命は短くても世代を繋ぐことで再生する生物との、それぞれに流れる異なる時間が可視化されているところが興味深いと思います。
…一つの建築物を対象として描いた「マームズベリー修道院」からスケールアップして、建築物の集合体である都市を描いた作品が「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」です。この作品はエディンバラ新市街の東に位置する丘、コールトン・ヒルから南西方向の眺望を描いたもので、画面中央のノース・ブリッジによって結ばれている二つの市街のうち街のシンボルであるエディンバラ城を含んだ左上方が旧市街、右下に広がっているのが新市街です。丘から街を俯瞰する眺めですが、ロイヤル・アカデミーの遠近法教授も務めていたターナーは、高低差のある街並みを正確に捉えています。エディンバラの新市街は湖の一部を埋め立てて平坦に造成し、建物と道路を碁盤の目状に配置するように構想され、その後のヨーロッパの都市計画にも影響を与えたそうです。整備が始まったのは18世紀後半なので、19世紀前半にはターナーの描いたように多くの人で通りが賑わい、活気ある様相を呈していたのでしょうね。長い歴史を背負う旧市街は遠景に霞がかって描かれることで距離的にも時間的にも彼方にあることを感じさせ、同時代の街と人々は意図的に手前に大きく描かれていると考えることもできそうです。都市は建築物の集合体であると共に、そこで暮らす人々の集合体でもあり、時代を超えて生き物のように変貌していくものなのでしょう。ターナーの描く風景には相対する要素を帯びた事物が同居していて、両義的な解釈が可能な作品がしばしばあるように思われます。個人的に目についた作品が偶々そうだったのかもしれませんが、構成上の特徴というか、ターナーの世界観のようなものが反映しているのかもしれません。
ターナーが描いた多くの海景画で、海とともに主役としての存在感を放っているのが船です。特に「セント・オールバーンズ・ヘッド沖」という作品では74門の砲門を備えた三等艦、オランダの旗を掲げたスループ型帆船、カッターと呼ばれる快速帆船、そして漁船と思しき小船まで様々な種類の船が一つの画面に収まっています。日本も海で囲まれた国ではありますが、この作品が描かれた1822年当時はまだ貿易を制限していた江戸時代で、外洋の航行が可能な大型の帆船そのものがないためか、「セント・オールバーンズ・ヘッド沖」のような船への思い入れを感じさせる作品もなかなか思い当たりません。産業革命の進展と共に、19世紀前半のイギリスでは従来の帆船に代わって新たに蒸気船が登場しますが、伝統的な帆船への愛着を抱くターナーはテクノロジーの進歩に複雑な感情を持っていたそうです。海洋国家に生きたターナーにとって、船は単なる輸送の道具ではなく自国の歴史やアイデンティティの核心をなす重要な要素の一つだったのでしょう。

川、海、山、空:「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」「サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス」他

…今回ターナーの作品を見ていて、川の描かれた風景が目についたように思いました。都市の水運を支えていたり、田園地帯を流れるせせらぎであったり、山間の渓流を俯瞰した眺望であったりと多様ですが、イギリスは国土に川が多いのでしょうか。また、川のある風景は海や山を描いた作品に比べると穏やかなものが多い印象ですね。川で洗濯や水遊びをしていたりする人々や、水を飲んでいる動物たちの姿もあって、身近な生活のなかに溶け込んでいる親しみのある自然として描かれているように思われます。
…一方で、海や山を描いた風景では、自然の峻厳さや崇高さが際立っている作品が多く感じられます。「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」は黒雲が湧いて今にも嵐になりそうな空の下、大きくうねる波に乗り上げて今にも転覆しそうな小船が描かれています。オールを手に荒れる波と格闘する漁師たちは、自然の脅威の前では人間が小さな存在に過ぎないことを象徴しているとも取れますし、絶望的な状況にも怯まず勇敢に戦う人間らしさを描いているとも取れそうです。「サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス」では実際よりも崖の角度が急に描かれていて、目の眩むような峡谷の険しさが表現されています。深い谷間にはところどころガスが立ちこめて、悪魔が橋の完成と引き換えに犠牲を求めたという伝説の舞台に相応しい不穏な気配が漂っていますね。「スノードン山、残照」の逆光に浮かび上がる山容からは眼前に連なる山々のどっしりとした存在感が感じられます。描かれた山の雄大なスケールには、国内外の各地を旅行して歩いたターナーのリアルな実感が生かされているのでしょう。
…変化に富んだあらゆる風景の背景である空は、しばしば地上に劣らず表情豊かに描かれています。「スタンフォードリンカーンシャー」では明るい日差しに照らされている左半分と、今まさに雨が降っている右半分にくっきりと画面が分かれていて、通りを走る人や犬の姿から驟雨に見舞われて騒然とする街の気配が伝わってきます。「ソマーヒルトンブリッジ」は水鳥が群れる水面から丘の上の邸宅、そしてその上空へと自然に視線が誘導される構図になっています。水と緑が豊かな田園風景を包む赤く染まった夕暮れ時の空から、ゆったりとした時間の流れを感じることができますね。また、「ストーンヘンジ、ウィルトシャー」に描かれた稲妻の走る嵐の空や、「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」の雲間から海に差し込む薄明光線など、ドラマチックな場面が自然現象によって効果的に演出されている作品もあります。「キルカーン城、クラチャン・ベン山―真昼」では通り雨が過ぎて日差しが戻ってきた山間の平地に虹が架かり、神が祝福を与えているかのような神秘的な雰囲気を醸し出しています。人間の手の届かない壮大な自然の美しさには人智を超えた存在の計らいがあるようにも、あるいは両者が同一のもののようにも感じられるかもしれません。

大気と光:「オステンデ沖の汽船」「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」他

…風景画は絵画の歴史の中でも後発のジャンルで、その地位も他より低く位置づけられていました。しかし、風景は地上の事物のあらゆるものを包含しています。地形や植生、天候といった自然だけではなく、建築物や船など人工物、人間や動物などの生き物にもターナーは関心を寄せ、また、それらを描く優れた技術も持っていました。ターナーの作品には、当時のイギリス社会が鋭い観察眼と親しみの感情をもって生き生きと描かれています。風景を描くことは世界を捉えることであり、描き手の世界の見方が現れることでもあるのでしょう。今回の展覧会では、これまで余り知らなかったターナーの作品の新たな魅力を認識することができました。
…しかし、後年になるとターナーはこうした具体的で細かな描写から、光や大気そのものの表現を追求した作品を制作するようになります。例えば「波の習作」は砕ける白い波頭が飛沫に霞んでいるのか、海面に立ちこめる靄と一体化しているのか、ダイナミックに渦巻いてモチーフと背景の区別もつかないほどです。また、「オステンデ沖の汽船」を描くターナーの関心はもはや船の種類や構造にはなく、汽船の吐き出す煙や航跡といったより動的なものの表現に移行していると感じられます。ターナーは流動する大気、そしてその根源にあるエネルギーそのものを捉えようとしているのでしょうか。「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」は一転して穏やかな風景ですが、夕暮れどきの陰り行く光線の下にある山の姿を青紫の色彩の濃淡のみによって表現していて、墨絵のような味わいがあります。「パッランツァ、マッジョーレ湖」(東京会場は未出品)ではさらに輪郭すらも曖昧になり、一層の自由を獲得した色彩によって揺らぐ大気越しの光のきらめきが感じられます。湖水も湖畔の建物も渾然とした色彩の靄に包まれている画面には独特の透明感があり、晩年のターナーが到達した、ターナーにしか描けない世界が表現されていると思います。

その他 混雑状況、会場内の様子

…私が見に行ったのは会期最初の土曜の午前中でしたが、混雑はなく作品をじっくり見ることができました。会場では作品解説に加えて、絵画や版画の技法についても要所で説明が付されていて勉強になりました。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。
…出品作は油彩画を除くと比較的小型の作品が多く、特に版画は緻密なため、かなり近づいて作品を見る必要がありました。単眼鏡をお持ちであれば、持参をお勧めします。