展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

没後50年 藤田嗣治展 感想

f:id:primaverax:20180816151947j:plain

見どころ

…この展覧会は、エコール・ド・パリの寵児の一人、藤田嗣治レオナール・フジタ、1886~1968)の没後50年を記念する回顧展です。出品作は日本、そして藤田が人生の約半分を暮らしたフランスの美術館(ポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館)をはじめ、欧米の主要な美術館(プティ・パレ美術館、シカゴ美術館)の所蔵作品など100点以上から構成されていて、ことに藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦は「舞踏会の前」(大原美術館)、「五人の裸婦」(東京国立近代美術館)など10点以上が一堂に会します。また、太平洋戦争期に藤田が制作した作戦記録画「アッツ島玉砕」なども展示されています。
…没後、長らく画業を通覧する展覧会の開催が少なかった藤田ですが、2006年頃から展覧会が増えてきたそうです。「乳白色の下地」と呼ばれる独特の透明感ある象牙色の地塗りの上に、油彩画とは思えない繊細な描線と淡く薄い色彩で描かれた藤田の作品。この展覧会ではそうした代表作を十分に堪能できますが、同時に「パリの冬の真珠のような空」を描いた初期のモノクロームの風景画や、中南米の各地を旅行していた時期のエキゾチックで鮮烈な色彩が印象的な作品なども多数出品されていて、藤田作品のイメージが広がる充実した内容となっています。
…また、職人の手触りが感じられる品々を愛した藤田は、ジュイ布*1をはじめとするアンティークを収集するにとどまらず、食器など日用品を自作したり、自分で縫製した服を着たりしていました。晩年に君代夫人に贈った木箱「十字架」は、藤田の死後、君代夫人が最後まで手放さなかった品の一つとのことで、夫妻の絆を感じることができます。異国の地で一世を風靡し、美しい女性像で知られるも、時代の急変で苦境に立ち、晩年は自己の信仰と向き合う宗教的な作品を制作した藤田ですが、この展覧会では芸術と生活、芸術と人生が一体のものだった藤田の世界の全体像を知ることができると思います。

 

概要

会期

…2018年7月31日~10月8日

会場

東京都美術館

構成

 Ⅰ 原風景―家族と風景
   :油彩4点
   :「父の像」など
 Ⅱ はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで
   :水彩3点、油彩17点 計20点
   :「パリ風景」「二人の少女」「私の部屋、目覚まし時計のある静物」など
 Ⅲ 1920年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿
   :複合技法1点、油彩8点 計9点
   :「自画像」「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」など
 Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代
   :リトグラフ2点、油彩11点 計13点(一部展示替えあり)
   :「五人の裸婦」「舞踏会の前」など
 Ⅴ 1930年代・旅する画家―北米・中南米・アジア
   :水彩8点、油彩12点 20点
   :「カーナバルの後」「メキシコに於けるマドレーヌ」など
 Ⅵ-1「歴史」に直面する―二度目の「大戦」との遭遇
   :油彩3点
   :「争闘(猫)」など
 Ⅵ-2「歴史」に直面する―作戦記録画へ
   :油彩5点
   :「アッツ島玉砕」など
 Ⅶ 戦後の20年―東京・ニューヨーク・パリ
   :油彩18点、木炭1点、磁器3点、陶器4点、木1点 計26点
   :「私の夢」「カフェ」「フルール河岸 ノートル=ダム大聖堂」など
 Ⅷ カトリックへの道行き
   :水彩5点、エッチング2点、木1点、油彩9点 計17点
   :「礼拝」「マドンナ」など
…出品作は油彩画が中心ですが、世界恐慌後、閉塞感に包まれたパリを抜け出してマドレーヌと共に中南米などを旅していた時期は、素早く制作できる水彩の作品も多くなっています。また、藤田は手仕事によるアンティークを愛好して収集すると共に、服やマケットと呼ばれる住居の模型を作るなど自身も手仕事を得意としていました。戦後手がけた立体作品はそうした藤田の手仕事の一部で、食器として使われた陶器や、妻の君代にプレゼントされた木箱など、実生活で使われた品々とのことです。

感想

「父の像」、「母と子」

…「父の像」は美術学校時代に制作された作品で、後年の藤田の画風の兆しはまだ見られない、オーソドックスな油彩画です。沢山の勲章に飾られた軍服を着用している年配の男性は威厳があり、後年の藤田の「自画像」(1936年)などに見られる洒脱でくだけた雰囲気を思い浮かべると、親子でもだいぶ気質が違いそうですね。しかし、眼鏡を掛け、髭を蓄えた面長の顔立ちはやはり似ていて、血の繋がりが感じられます。陸軍軍医総監だった父の嗣章氏は藤田が医者になることを望んでいたそうですが、手紙で画家になりたいと訴えた息子の夢を認めて費用も援助しました。こうして作品のモデルも務めているところをみると、息子の夢を受け入れていたのだろうと思います。藤田は父とは距離を感じていたそうですが、後年の「家族の肖像」の背景にも父の肖像画が描き込まれていたりして、複雑な思いも抱きつつ父に感謝していたことが窺えます。一方で、藤田の作品に母の姿が見当たらないことを不思議に思っていたのですが、生母の政は藤田がまだ5歳の時に34歳で亡くなっていたんですね。「母と子」で幼い我が子を抱く母の姿がほとんど少女のようであるのは、若くして他界した母の記憶が影響しているとも考えられます。赤いドレスはマリアのアトリビュートで慈愛の象徴ですから、本作は聖母子像でもあるのでしょう。我が子の背負う運命を思い、虚空を見詰めて物思いに耽る儚げなマリア。無心に乳房を吸うイエスはそんな母の悲しみを受け止めるかのようにじっと見上げています。藤田の失われた母への思いは聖母の姿に託され、祈りによって昇華された母子の絆は藤田の精神な支えとなったのかもしれません。

「ドランブル街の中庭、雪の印象」、「パリ風景」

東京美術学校を卒業した藤田は、画家として修行するためフランスに渡ります。パリ南端に位置する14区のドランブル街には1917年から24年まで住んでいましたから、「ドランブル街の中庭、雪の印象」に描かれているのは藤田が日々目にしている風景だったのでしょう。集合住宅に囲まれた一角と思われる人気のない広場に、雪を被った外灯がぽつんと立ち、ひっそりとした静けさを醸し出しています。油彩画としては薄塗りで、石畳に積もった雪を描く畝のような筆遣いと灰色の濃淡による表現のためか、水墨画のようにも見えます。成功するまでの下積みの時代に、藤田はこうしたモノクロームの寂しげな冬景色を数多く手がけました。手押し車を押す小さな人影が殺風景な郊外の道を行く「パリ風景」では、建物などの形体が単純化されている一方で、大きく蛇行する道や切り立つ土手の斜面などを微妙な濃淡で表現することに関心の比重がありそうです。遠景の市街地に立つ煙突からはもくもくとした煙が立ち上り、厚い雲に覆われた「パリの冬の真珠のような空」に紛れています。ピカソモディリアーニなど外国出身の芸術家たちが集った「モンパルナス」のある14区ですが、この地は20世紀初頭まで学生の下宿や荒れ地の広がる寂れた郊外だったそうです。古い生活様式が残る冷たい石造りの街は「花の都」パリのイメージの対極にあると言って良いかと思いますが、藤田にとっては孤独を深めるような憂愁を湛えた風景が、自身の心情によく馴染むものだったのかもしれません。

「私の部屋、目覚まし時計のある静物」、「バラ」

…「私の部屋、目覚まし時計のある静物」は1921年のサロン・ドートンヌ出品作で、「乳白色の下地」に細い墨の線で描くという藤田独自の技法によって完成した最初の静物画です。画面は壁に正対する視点と机や床を斜め上から見下ろす視点から構成されていますが、あくまで自然な統一感を保っています。デリケートな線描と独特の透明感のある色彩で描かれているモチーフは眼鏡や靴やパイプ、そして目覚まし時計など、いずれも藤田の身の回りの品です。藤田は奇抜なもの、あるいはバラやリンゴといった既に成功したモチーフなどではなく、人が捨てたもので勝負しようと考えていたそうですが、確かにここに描かれているのは特別なところのない日用品ばかりです。しかし、ありふれてはいても職人の手の感触が伝わるような、親しみの感じられる品々でもあります。絵皿や人形などは可愛らしいと言っても良いかもしれませんね。洗練とは対極の生活感、それを良しとする力の抜けたスタイルがかえって心地よく、画家の為人が窺われる作品だと思います。
…「バラ」は「私の部屋、目覚まし時計のある静物」で評価を得た翌年に制作された作品で、前年に確立された乳白色の下地がより美しく、完成度が高められています。この作品の面白さは長く伸びた薔薇の茎が画面一杯に大きく広がっていることでしょう。よく見ると、花瓶の縞模様と薔薇の茎は連続していて、画面上を奔放に走る伸びやかな線を描くこと自体がテーマのようにも感じられます。バラが活けられた花瓶の下には花の模様のクロスが敷かれていて、生きた花と描かれた花とが対比されています。デフォルメと簡略化により曲線的にデザインされたクロスの花と、命ある自然の花とが互いに自在さを競い合っているような、装飾的な作品だと思います。

「自画像」(1929年)

…「私の部屋、目覚まし時計のある静物」にはパレットや絵筆といった画家であることを示すモチーフが見当たらず、その意味で藤田のプライベートを表現したとも言える作品ですが、これに対して「自画像」(1929年)は画家としての藤田が全面で表現されていて、机の上には筆立てや硯、床にはカンヴァスが置かれ、背景には女性を描いた作品が飾られています。中心に座す藤田はおかっぱ頭に丸眼鏡というよく知られた風貌で面相筆を取っていますが、その表情には画風を確立して高い評価を得た、画家としての自信と余裕のようなものが窺われます。藤田は生涯に渡って自画像を描き続け、本展にも複数の自画像が出品されていますが、この作品は16年ぶりの一時帰国を果たした年に帝展に出品されているので、故郷に錦を飾る意味もあったのでしょう。シャツの水色や背後のカンヴァスのピンク、グレーの陰影と柔らかな色使いが印象的で、乳白色の下地はパステルカラーと相性が良いように感じました。ところで、藤田の傍らで絵筆を持つ腕にじゃれている猫ですが、藤田と背後のカンヴァス、そして猫の位置関係をよく見てみると、カンヴァスの中から顔を出しているようにも見えます。猫もまた藤田の作品を代表するモチーフですから、自画像に気を取られている画家に、自分も描けと絵の中から催促しているのかもしれませんね。

「五人の裸婦」、「友情」

…天蓋のあるベッドの前でそれぞれにポーズを取る五人の裸婦。彼女たちは五感の寓意で、向かって右から順に、黒髪を一つにまとめ、すっきりとした鼻筋が印象的な横顔の嗅覚、跪き口元に手を当てている味覚、両腕の肘を曲げてコントラポストで佇む中央の視覚、上げた右腕を耳元に回し、左腕を胸に当てて跪く聴覚、左端で青いジュイ布を手にしている触覚となっています。舞台の上で並んでいるような女性たちの配置や、色とりどりの布が裸婦の白い肌を一層引き立てているところは「舞踏会の前」とも共通していますね。「浮世絵は女性の肌を描く」とも語っている藤田ですが、自身の乳白色の下地の技法を最も効果的に活かすモチーフとして、それまで手がけていなかった裸婦を描くようになります。実際、初期の裸婦は線描による平面的な表現で浮世絵のように感じられたのですが、この作品では薄い灰色で陰影が付けられています。「友情」で描かれている二人の裸婦はさらに豊かな肉体の量感が感じられて、藤田がより満足の行く表現を求めて裸婦の描き方を少しずつ変化させていることが分かります。個性的であるよりも類型的な女性像ですが、女性たちの真珠のような乳白色の肢体が織りなすハーモニーが感じられる作品だと思います。
…藤田の初期の作品の一つ、「二人の女」には、黄色い服を着て手を取り合う二人の女性が描かれています。モディリアーニの影響が窺われる面長の顔、長い首、ほっそりと引き伸ばされた体つきの女性たちは大きな黒々とした瞳が印象的で、焦点の定まらない眼差しは外界ではなく内面を見詰め、物思いに耽っているように感じられます。彼女たちのモデルは胸に紫の花を飾っているのがモディリアーニの画商ズボロフスキーの妻ハンカ・ズボロフスカ、その隣のやや小柄な女性がモディリアーニが重用したモデルのルニア・チェホフスカと考えられているそうですが、寄り添う二人は姉妹のように不思議と似通った雰囲気を纏っています。二人の親密な女性像というテーマは早い時期から藤田にとって関心のあるテーマの一つであり、乳白色の裸婦の時代にも「友情」などの作品に引き継がれて、たびたび描かれています。藤田にとってフランス国家に買い上げられた最初の作品でもある「友情」では、ジュイ布の上に腰を下ろした女性が、頭の後ろで腕を組んで佇む隣の女性を見上げています。座る女性は傍らの女性の美しさに見とれているのでしょうか、腰に回された腕は抱き寄せているようにも見えますし、支えているようでもあります。ジュイ布には豊穣の象徴であるバッカスサテュロスを従えた姿で描かれていて、女性たちの豊かな肉体美を称賛していると考えられるそうです。バッカスサテュロスというモチーフと共に描かれているなら、女性たちをバッカスの女性信徒マイナデスと捉えることも可能かもしれません。バッカスディオニュソス古代ギリシャ世界において特に女性たちから熱烈な信奉を集め、信徒の女性は家や都市を捨てて陶酔のうちに山野を乱舞したと伝えられています。この作品から狂乱というほどの激しさは感じないのですが、自然のうちに裸体で身を置く女性たちを、秩序や常識といった世俗から放たれた自由な存在と考えることはできそうです。背景には樹の幹に巻き付くバラが描かれていて、二人の女性のポーズと呼応していますが、バラは愛の象徴でもあります。藤田は女性同士の絆に艶めかしくも神秘的な魅力を感じ、立ち入りがたく思いつつも引きつけられていたのかもしれませんね。

「カーナバルの後」

…パリの藤田は自身がエキゾチックな異邦人でしたが、中南米を旅した時期は逆にエキゾチシズムを大いに刺激されたようで、当地の人々の姿や風俗を主題に数多くの作品を描いています。「カーナバルの後」はリオのカーニバルの情景を主題とした作品で、紙吹雪や色とりどりのテープが一面に散らばり祭りの余韻が感じられる路上では、騒ぎ疲れた様子の人々が無防備に酔い潰れています。彼らは夢のなかで浮かれた宴の続きを見ているのでしょうか。藤田はカーニバルの審査員も務めたそうですから、実際にこうした様子を目にしたでしょうし、自身もカーニバルを楽しんだのかもしれません。一方で、画面中央で女性を抱き寄せている男性は目を見開いてこちらを見ています。男性は覚醒して現実を見ているようでもあり、何かに取り憑かれているような、据わった眼つきにも思われます。カーニバルの熱狂の最中ではなく、その後の虚しさを表現しているのは、戦間期のパリで一世を風靡したあと、経済的にも家庭的にも破綻した藤田自身を重ねているためかもしれません。

「争闘(猫)」

…自分にとって猫は友達だと語っている藤田ですが、パリで拾ってきた猫をモデルがいないときその代わりに描いたりしているうちに、いつしか藤田の作品の定番の一つとなっていたそうです。本展の出品作中でも、「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」では長椅子に身を横たえた女性の足元に澄ました様子で蹲っていたり、「自画像」(1936年)では主人の懐に潜り込んで甘えていたりする姿が描かれていますが、「争闘(猫)」では一転して、この可愛らしい「友達」の猛々しい野生を目の当たりにすることができます。軽々と跳躍して爪を出し、相手に飛びかかろうとしている猫、片目を瞑り牙を剥いて唸り声を上げている猫、均一な闇を背景に毛色も表情もさまざまな十四匹の猫たちの躍動感溢れる姿が、その毛筋まで細緻に描写されています。本作はドイツ軍がパリに迫る状況下で描かれましたが、藤田は日頃から争う猫たちの威嚇する顔つきや敏捷な身のこなしを興味深く観察していたのでしょう。天地は分かれているものの空間の指標となるようなものは見当たらず、主題となる猫たちの存在のみによって画面が構成されているのは、日本の伝統的な花鳥画を踏まえたもののようにも思われます。荒々しく制御されないエネルギーの奔流が感じられる作品で、風景画、静物画、裸婦と静かなたたずまいの作品が多い中では一際目を引きました。

「カフェ」、「夢」

…「カフェ」は藤田がニューヨーク滞在中の作品ですが、描かれているのはパリのカフェです。藤田にとって長年暮らしたパリの風景は目の前になくとも脳裏に刻まれているのでしょう。乳白色の下地による画面は、少ない色味でシックなトーンにまとめられています。テーブルに座る黒いドレスを着た女性の前にはグラスとバッグと書きかけの手紙。しかし、女性はどれに手を付けることもなく、頬杖をついて物思いに耽っているようです。頬杖は西洋美術において伝統的にメランコリーを象徴するポーズなのですが、この作品の場合はニューヨークでフランスへの入国許可を待ちわびている藤田の心情が投影されていると考えられるそうです。藤田は「フランスは恩人、パリは愛人」とも語っていますから、女性の手元にある手紙は愛する人へ宛てた恋文で、涙でインクが滲んでしまったものと想像することもできるかもしれません。戦時中に制作した作戦記録画について批判を受けていた藤田の立場は難しいものであり、この作品に託されたテーマも切実なものなのですが、作品としてはあくまで深刻ぶらずに、映画のワンシーンのような洒落たカフェの情景として表現しているところが誰にでも受け入れやすいのではないかと思います。なお、本作の額縁は自身でも手仕事を得意としていた藤田の手製とのことで、四方にはカフェに纏わるモチーフの彫刻が施されています。個人的には、戦前は漢字も併用されていた藤田のサインが、戦後はアルファベットの表記のみに変わっているところに心境の変化のようなものを感じました。
…天蓋のあるベッドに横たわる裸婦の周りで動物たちが彼女の眠りを見守っている「夢」は、1947年に制作された「私の夢」と構図やモチーフに共通点の多い作品です。「私の夢」は仏教美術の涅槃図の構図で描かれ、眠る女性のモデルは亡くなったマドレーヌであろうと見られていますが、「私」、すなわち藤田の夢ですから、マドレーヌが穏やかな安息のうちに眠ることを願い、供養する意味が込められているのではないかと思われます。一方、「夢」はそうした濃厚な死の気配からは遠ざかり、女性自身の見る夢を表現することにテーマがあるようです。顔を背けて横たわる女性のポーズは、パリの歴史学者ルネ・エロン・ド・ヴィルフォス著「魅せられたる河」の挿絵として藤田が手がけたエッチングのうちの一点、「オペラ座の夢」に似ていますが、本作では白い枕に散らばる長い黒髪が印象的ですね。女性の見ている夢の内容は、ベッドの天蓋を覆うジュイ布に描かれている模様でしょうか。自然の中を駆け回ったり、ブランコを漕いだりして自由に遊ぶ子どもたち。古い塔や城壁などのモチーフもあり、過ぎ去った時代や人生を懐かしむ郷愁も感じられます。横を向く女性の表情はよく分かりませんが、彼女の頭部の側には口づけを交わす恋人たちが描かれていますから、女性はきっと幸福な夢を見ているのでしょう。墨一色の闇を背景に女性の夢を見守る動物たちは、実際にベッドの周りに存在するわけではなく、天使や妖精の代わり、あるいは自意識から解放された自由な精神の象徴ではないかと思います。大人になり、普段は意識しなかったり忘れてしまったりしていても、心の中の子ども、純粋な憧憬は密やかに息づいていることが感じられる作品だと思います。

「礼拝」

…1950年にフランス国籍を取得し、1955年にカトリックの洗礼を受けた藤田は、西洋の伝統的な宗教画を研究して自己の信仰のために多くの宗教画を残しました。「礼拝」もクリスチャンとしての藤田が制作した作品の一つですが、初期から晩年まで藤田の愛した数々のモチーフに彩られています。緑豊かな風景のなかで、動物たちに囲まれて聖母に祈りを捧げる藤田夫妻。中央に描かれた乳白色の下地による聖母は両腕を広げて藤田夫妻を祝福しています。聖母のドレスにあしらわれた樹木の模様は、ジュイ布を収集し、作品にもたびたび取り入れてきた藤田らしく細緻に描写されています。手を合わせて祈る藤田夫妻の両脇に寄り添う子供たちは、ふっくらと丸い顔に広い額が印象的で、澄んだ瞳は無垢でありつつ全てを見通しているようです。藤田は戦後、しばしば子供を主題とした作品を手がけていますが、子供のいない藤田にとっては想像で描かれた絵の中の子どもたちこそ自分の子どもだったそうです。藤田の背後に描かれている家は、藤田が晩年を過ごしたヴィリエ=ル=バクルの家です。藤田は廃屋だった農家に手を入れ、食器など日用品も自作して使っていたそうですから、藤田にとってヴィリエ=ル=バクルの小さな家はまさに自分の城だったと言えるでしょう。背後に広がる緑の田園もヴィリエ=ル=バクルの風景なのでしょうか。あるいは特定の場所に基づかない理想化された風景かもしれませんが、かつて描いた物寂しいパリ郊外の風景とは対照的で、温かく光に満ちていますね。愛するものに囲まれて過ごした、藤田の穏やかな晩年が伝わってくる作品だと思います。

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは会期初週の金曜夕方でしたが、混雑もなく時間をかけてゆっくり鑑賞することができました。展示スペース自体が広めでゆとりがあるため、落ち着いて作品を見ることができます。音声ガイドには展示解説にはない、藤田自身の言葉が多数引用されていました。照明は暗めで、会場内はかなり涼しく感じられます。外が暑い分快適なのですが、羽織るものが一枚あるといいかもしれません。作品数が多めなので、所要時間は2時間~2時間半を見込んでおくと良いと思います。なお、図録は「カフェ」と「舞踏会の前」の2種類の表紙から選ぶことができるようになっています。

*1:Toile de Jouy。西洋更紗。18世紀にヴェルサイユ近郊の村、ジュイ=アン=ジョザスJouy-en-Josasの工場で生産されるようになった綿布で、単色の田園モティーフや野山の草花などがプリントされている。