展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

生誕110年 東山魁夷展 感想

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見どころ

…この展覧会は戦後日本画を代表する一人、風景画家の東山魁夷(1908~99年)の生誕110年を記念した回顧展です。
…紙は鏡、写るのは自分の心とも述べている東山は、自身の心情を投影した内省的で静謐な作品を数多く描き、風景画に独自の境地を確立しました。本展の出品作は代表作「道」「残照」「緑響く」など本画(下図に対して完成作品と区別する言葉。和紙などの支持体に日本画絵具で描かれたもので、最終的に描き手のイメージが成されたもの)*1約70点、特に東山芸術の集大成となる唐招提寺御影堂の障壁画は、唐招提寺の御影堂の修理(平成27年~)によって今後数年現地でも見ることが出来ないため、貴重な観覧の機会となります。
…個人的なことなのですが、先だって部屋を片付けていたところ、10年前、東山の生誕100年を記念した特別展を見に行ったときの図録が見つかり、懐かしい思いをしました。当時は東山の作品の静謐な雰囲気と優しい色遣いにただ浸って眺めていたので気付かなかったのですが、東山の作品は線描がない、又は目立たないため洋画のように感じるんですね。色彩は同系色でまとめられていることが多く、見ていて目が楽なのですが、その一方で繊細なグラデーションによって描き分けられてもいます。空間構成は風景画らしく遠近感が表現されている場合もあれば、フラットで装飾的な場合もあり、作品ごとのテーマ、モチーフに従って使い分けられているようです。また、対象の特徴を抽出するためモチーフの形体や色彩を単純化して、いわばノイズを捨象しつつ、具体性を失わない描写も特徴だと思います。作品を前にこれは何が描かれているのか、作者は何を表現したいのか考えるのも面白いのですが、東山の作品については描かれているものを素直に受け取って感覚に身を委ねるのが良いように思います。風景の中に人物の姿はほとんど描かれず、静寂に耳を澄ますような作品が多いのですが、静かながらも見る人を拒絶せず、むしろ風景の中に誘うような世界だと思います。自然と人間、見ることと在ることのあいだに断絶がなく、根底で繋がっている感覚は日本的なものと言えるかもしれません。

 

概要

会期

…2018年10月24日~12月3日

会場

国立新美術館

構成

1章 国民的風景画家
2章 北欧を描く
3章 古都を描く・京都
4章 古都を描く・ドイツ、オーストリア
5章 唐招提寺御影堂障壁画
6章 心を写す風景画
…展示構成は制作年代に沿った順となっています。「第3章 古都を描く・京都」の「京洛四季スケッチ」については、会期途中で展示作品の入れ替えをしたようです。しばしば旅をした東山ですが、日本とヨーロッパを往き来しつつ、最終的に自らの心の中の風景に辿り着く過程が分かりますね。東山の作品を見ていると一度も行ったことのない土地にもかかわらず何故か見覚えのあるような、どこか懐かしさを覚えるのですが、それは東山がより根源的で象徴的な日本の風景を求め、心の故郷を描いているからかもしれません。「放浪する者は故郷を遠く離れ、その心は絶えず流れ去って行くものに従い、休む時もなく青い山の向こうへ牽かれてゆく。それでいて、常に探し求めているものは、心のやすらう場所――故郷ではないのか……旅人は遍歴と郷愁という異なった方向への精神作用によって、その歩みが規定されてゆくものだろう。遍歴、郷愁、帰還という円周運動を繰返している旅人がある。自己を見つめて旅をしてゆく人間に、この軌跡を描いている場合が多い……私も、そういう旅人の一人のようだ」*2

感想

「道」(昭和25年)

…「ひとすじの道が、私の心に在った。夏の早朝の、野の道である……道だけの構図で描けるものだろうかと不安であった。しかし、道の他に何も描き入れたくなかった。現実の道のある風景でなく、象徴の世界の道が描きたかった」*3
…「道」は東山の代表作の一つであり、私もまた東山というと真っ先にこの作品が頭に浮かびます。道はしばしば人生の喩えとして用いられますし、模範的なあり方や理念を意味する場合もあります。個人だけでなく、より大きな社会や国家などの歩みや方向性と重ねられることもありますね。多様な意味を孕み、懐の深いイメージを持つ「道」ですが、この作品に描かれた道は緑の野の真ん中をまっすぐ、まるで空へと続くように伸びていて、絵の前に立つと居住まいを正したくなるような趣を持っています。迷える心に一筋の希望を指し示すような作品だと思います。
…個人的な話になりますが、私が東山の作品に興味を持ったのは東山の文章がきっかけでした。10年前、テレビ番組で作品と共に紹介されていた東山の言葉に惹かれるものを感じて展覧会に足を運んだんですよね。もちろん絵画作品も好きなのですが、流れるような文章で綴られる東山の思いや考え方には、気付かされたり共感させられたりすることが多くあります。「画家は無言で絵画作品を通じてのみ語るべきであると、平生、私も思っている。また考えることよりも感じることが必要だとも思っている。しかし、私は時々、絵筆を置いて沈思している時がある。その漠然とした想念を言葉として定着してゆくことによって、私は自己の芸術の在り方を確かめようとしているのであろう……私の場合、書くということは、より深く考えることである」*4。東山にとって文章を書くことは、制作に当たって必要な自身の考えをまとめ、深める行為だったのでしょう。私自身の場合はというと、絵の感想を文章にするというのはなかなか難しいことであり、正直無粋なことかもしれないという思いもあります。私自身が考えをまとめるのが得意ではないですし、そもそも絵は絵でしか表現できないものでもあり、作品から受けた印象や感動を言葉に変換するのは本来不可能だとも思います。ただ、一種の飛躍があるのを承知であえて自分の中のぼんやりとしたものをどうにか表現してみることで新しい考えが生まれる、新しい考えが生まれることで少しだけ自分の世界が広がるような気もします。自分自身を省みるに10年前と今とではあまり変わっていないようでもあり、一方で想像もつかないようにも思えるのは、かつての私が自分の道をしっかりと見据えていなかったためかもしれませんが、こうしてまた東山の特別展に足を運ぶあたり、少なくとも自分が好きなものは変わらず保ち続けているのだろうと思いました。

「秋翳」(昭和33年)

…「ある時の旅で私は少し薄曇りの空の下に、紅葉の山の一つ一つの樹相が、落着いた赤さで、静かに息づいている情景に心を打たれた。いつか、これを制作したいと考えていた。三角形の紅葉の山を画面のほとんど中央に置き、グレーの空を広くとることによって、この二つの色のバランスをとろうと思った。そこで画面も正方形に近いものにした。これ以上単純な構図はない。しかし、紅葉の山の中の樹々は赤一色の中での、それぞれの形体と色相を微妙に変えて、自然の感じを失わないようにしたいと思った。この作品は、構図と色調のはっきりとした意図を持った絵であるが、そうした構成上の意図が主ではなく、私がこれによって表したいと希ったのは、秋の紅葉の山に見る冬の凋落を前にしての、豊かで、静かなたたずまいとでも云うべきものである」*5
…鮮やかな紅葉に染め上げられた秋の山。均整の取れた三角形の山体を覆う木々は赤に近い濃い橙から黄色に近い明るい色まで、一本一本微妙に異なる色合いで描かれています。紅、臙脂、茜、朱、橙等、赤の種類も色々ですが、伝統的にそれだけ繊細に色を見分けてきたということでもあるでしょう。また、木の形をよく見ると、山頂に向かってやや見上げる視線が感じられるように描き分けられています。背後の鈍色の空はうっすらと赤みを帯びていて、おそらく夕暮れが近いのでしょうが、紅葉が雲に反映しているかのようでもあります。一日の終わり、一年の終わりを前に最も充実した瞬間を迎えた山の姿が、ほぼ正方形の画面中央に大きく揺るぎなく描かれています。単純なだけにかえって難しい構図のような気もするのですが、潔く他の要素を排し、衒いなく正面から描きたいものだけを捉えることで、伝えたいものの本質が目に見える形となって表れている作品だと思います。
…「秋翳」の構想を思いついた東山は条件に合う山を探したものの、なかなか見つからずに苦労したそうです。結果、上越国境の法師温泉の裏にある山をモデルにしつつ、湯瀬や伊香保など複数の山を繋ぎ合わせて描いたそうですが、描き上げて以降は旅の途中で度々この山にそっくりな山に出会うことがあったそうです。「絵になる場所を探すという気持ちを棄てて、ただ無心に眺めていると、相手の自然のほうから、私を描いてくれと囁きかけているように感じる風景に出会う」*6とも東山は記していますが、探しているときはなかなか見つからない、というのは絵画のモチーフに限ったことではないですよね。巡り合わせの妙を感じるエピソードだと思います。

「花明り」(昭和43年)

…東山が描くのは心象風景であり、しばしばどこにもない場所で、必ずしも実景に忠実なわけではないのですが、一方で東山は作品の構想を思いつくとその風景を探し求め、実地に目で見ることも大切にしているようです。一期一会の風景の記憶の堆積、そこから作品のインスピレーションが生まれると、改めて現実にその風景を求め、さらに絵画として昇華され定着される…という往還を経ることで自然を見つめるまなざしは研ぎ澄まされ、心情もより純粋なものになっていくのでしょう。
…「花明かり」は京都丸山公園の満開の夜桜を描いた作品です。東山の峯からは明るい真円の月が顔を出し、春の宵の朧な空にはうっすらと暈がかかっています。闇の色に沈む背後の山と対照的に、薄桃色の満開の枝垂れ桜は発光しているかのように浮かび上がり、幻想的な光景となっています。満月と満開の桜という取り合わせは出来過ぎていて、作品として描くのを躊躇ってしまうモチーフかもしれないのですが、美しいもの、描きたいものに対してあえて捻らず正面から向きあい、堂々と画面の中央に据える率直さが一種の清々しさを感じさせるように思います。この「花明り」を描くに当たり、東山は京都円山の満開の枝垂れ桜を前に、上ったばかりの満月を見たいと考えるのですが、日中に大原の寂光院三千院を見て回っている内に思ったより時間が過ぎてしまい、急いで円山公園へと向かったそうです。幸いにも月の出に間に合い、東山は望む風景を目にすることが叶いました。「……巡り合わせと言うものであろうか。花の盛りは短く、月の盛りと出合うのは、なかなか難しいことである。また、月の盛りは、この場合ただ一夜である。もし、曇りか雨になれば見ることが出来ない。その上、私がその場に居合わせなければならない……風景との巡り合いは、ただ一度のことと思わねばならぬ。自然は生きていて、常に変化して行くからである。また、それを見る私達自身も、日々、移り変わって行く。生成と衰滅の輪を描いて変転してゆく宿命において、自然も私達も同じ根に繋がっている」*7。美しいものは永遠に留めたくなるものですが、束の間の生命だからこそ、あるいは一度きりしか目に出来ない悲しさこそが巡り合いの喜びを一層輝かせるとも言えるでしょう。そうした止まることなく移りゆく一切の生命へと傾けられた切なさ、愛しさを東山は祈りと呼んでいたのかもしれないと思います。

「白夜光」(昭和40年)

…「日本的なものの持つ、温かさ、優しさ、品の良さに牽かれながら、何かもっと厳しく、深いものを求めているのが、私の宿命であろう……私は、ときどき、暖かい心のままで厳しくありたいと希う時がある。北国の生まれでない私が、北国の自然を題材にするのはその心のあらわれであろうか」*8
…「白夜光」はフィンランドのクオピオの町にある展望台で写生したスケッチをもとに上げたもので、黒々とした樅の森と銀色に光る湖面が層を成し、幾重にも折り重なっています。「フィンランドには雲にとどく山はない。湖と森の重なりが雲にとどくと云われている」*9そうですが、水平線が強調される構図は本作に先立つ「スオミ」(昭和38年)よりも一層簡潔になり、どっしりとした安定感があります。白夜の風景は思いの外明るいのでしょうか、モノクロームに沈む世界で明暗のコントラストが際立っています。東山は北国の厳しさを求めて旅しましたが、この作品には不純物を洗い流したようなすっきりとした明瞭さがあり、清冽な空気と静寂を湛えて隙なく引き締まった印象を受けます。
…今年1月に「北斎ジャポニスム」展でアルベルト・エーデルフェルトの「夕暮れのカウコラの尾根」(1889~90年)という作品を見た時、私は東山のこの作品を思い出しました。フィンランドを代表する画家であるエーデルフェルトは日本美術の収集もしていたそうで、白夜の季節の湖畔を描いた「夕暮れのカウコラの尾根」は薄靄に滲む風景が水墨画のようにも見える作品です。両者は題材も季節も似通っているため思わず連想してしまったのですが、一方で日本画家の東山の作品は純度が高く構築的で、ぴんと張り詰めた空気を感じさせるのに対し、エーデルフェルトの作品は日本的、あるいは東洋的な幽玄さを感じさせます。元々は西洋美術から絵画の世界に足を踏み入れ、日本画家となったのちも西洋に取材した作品を残している東山と、西洋の画家でありながら日本美術にも関心を持っていたエーデルフェルトとはちょうど鏡合わせのようでもあり、スオミ(湖の国)の風景を介して両者の作品が思いがけず交錯しているのを興味深く思いました。

『京洛四季スケッチ』(昭和39~41年)

…「日本の風景画には、西洋にも、中国にもない特徴の一つに、風景を大きな視野で捉えないで、自然の一隅を題材とする場合が相当多いということがある……遠景、中景、近景というような組み立てではなく、近景だけで出来上っている特殊な構図である。これは装飾的な感覚から発しているものとも云えるが、また一本の野の草にも大自然の生命のあらわれを見るというような、日本人の自然への愛情のしるしでもあるだろう」*10
…『京洛四季スケッチ』は、作家の川端康成の勧めや皇室から依頼された壁画制作などをきっかけに手がけられた作品群で、京都の街並みや祭りの様子など、昔ながらの京都の姿が描かれています。スケッチということで、全体像ではなく断片を捉えた作品が多いのですが、そうした中でも桂離宮の石畳を描いた「桂の敷石」は異色の一枚です。画面が草地の緑と石畳の灰色にくっきりと二分され、敷き詰められた石畳の幾何学的な継ぎ目はまるで抽象画のようにも見えますし、建築物でもなく、庭園の池や樹木でもなく地面を、しかも道に敷かれた石の一部だけをクローズアップで描くというのは斬新ですよね。大徳寺の塀を描いた「寺の塀」も、瓦が埋め込まれた土壁のみが画面内に切り取られています。もしタイトルがなかったら、実物を見たことのない人は何かリズミカルな模様か、あるいは文字や記号のようなものが描かれていると感じるかもしれません。こうした作品を一括りに風景画と言って良いものかも分からないのですが、しかし、こうした細部の構造にまで行き届く繊細な美意識が礎となって、一つの大きな風景全体の美を形作っているのでしょう。失われゆく伝統的な日本の風景、そこに宿る精神を描き残した作品だと思います。

「月篁」(昭和42年)、「行く秋」(平成2年)他

…京都嵯峨野の竹叢を描いた「月篁」は、青々とした葉を繁らせて競い合うように伸びる一面の竹が描かれています。夜風に撓る竹の葉擦れのざわめきが聞こえてきそうですね。月光のもたらす色彩は風景全体を仄かな青い薄闇に包んで幻想的な雰囲気を醸し出しています。しかし、題名にもなっている月自体の姿は描かれておらず、薄らと明らむ空の色でその気配が感じられるのみです。約20年前に手がけた初期作品「月宵」も同様で、刈り入れの終わった農地や冬枯れの木立を照らす月は描かれていないのですが、やや黄色みを帯びた空の色から月が上っていることが察せられます。こうした主役を隠す表現は月明かりに限らないようで、例えば「行く秋」という作品では木の根元を織物のように覆う色づいたカエデの落ち葉が描かれていますが、おそらくはかなりの大樹と思われるカエデの枝振りは描かれていません。東山は昭和50年にドイツに滞在した折、ハンブルクのある婦人から「ドイツの落葉は木の形に落ちる」と聞いたことを手がかりに、木全体を描かず落ち葉の形で表現する作品を構想したのだそうです。『京洛四季習作』には「行く春」という対となるような題名の一枚があるのですが、こちらは緑の下草に舞い散る一面の花びらから盛りを過ぎた桜の木がこの風景の中にあると分かります。見る者は自分の記憶の中にある桜の木を仰ぎ見つつ、瞬く間に過ぎていく季節を惜しむ気持ちを思い出すことでしょう。主役となるモチーフをあえて前面に出さずに、その気配、片鱗のみを風景に潜ませて間接的に存在を示唆する、部分から全体を想起させる方法は日本的な表現であるように思われます。また、想像することによって、記憶に伴う感覚や感情を揺り起こされる作品だと思いました。

その他…混雑状況、会場内の様子等

…11月の第2、第3土曜日の2回、いずれもお昼時に見に行きましたが、第2土曜日はやや混雑していたものの入場待ちなどはなく、会場内での人の流れもスムーズでした。一方、会期後半に入った第3土曜日は入場規制をしていて、会場に入るまで5分ほど待機する必要がありました。会場内はやや温度が低め、大型の作品が多いので比較的見やすいです。ただし、「第3章 古都を歩く・京都」のコーナーはスペースが狭いのと、「京洛四季スケッチ」など小型の作品が展示されているため混み合っていて、前の方が見終わるのを少し待つ必要がありました。また、休憩できる椅子が少なくて、入場してから出口まで休まず見続ける必要がありました。作品ごとの解説は少なく、あっても文字が小さいので音声ガイドの利用をお勧めします。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。なお、グッズコーナーはレジの数は多いのですが、第3土曜日に行った時は会場の外まで列ができていました。一方で、その時刻(15時30分頃)には入場規制が解除されていたので、タイミングにもよりそうですね。

*1:http://zokeifile.musabi.ac.jp/%E6%9C%AC%E7%94%BB/

*2:東山魁夷『風景との対話』新潮選書、P28・296

*3:『風景との対話』P35

*4:『風景との対話』P58-59

*5:『風景との対話』P132

*6:『風景との対話』P109

*7:東山魁夷『日本の美を求めて』講談社学術文庫、P26-27

*8:『風景との対話』P193-194

*9:『風景との対話』P258

*10:『風景との対話』P84