展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ルーベンス展 バロックの誕生 感想

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見どころ

…この展覧会はバロック美術が隆盛を見た17世紀を代表する、「王の画家にして画家の王」とも呼ばれたルーベンス(1577~1640)の回顧展で、特にイタリアとの関わりに焦点を当てて紹介するものです。
…イタリアはバロック美術の中心地であり、ルーベンスは1600年から08年まで滞在して古代からカラヴァッジョなど同時代に至るイタリア美術を吸収する一方、イタリアの若い画家たちにも影響を与えています。
ルーベンスというと私はまず肉体美を思い浮かべるのですが、ルーベンスの表現の源はルネサンスの巨匠ミケランジェロであり、ミケランジェロが影響を受けた古代彫刻にあると、この展覧会を通じて知ることが出来ました。また、肉体美だけでなく表情の描写に優れていて、描かれた聖人や神話の神々のリアルな感情が伝わってくるのを感じました。そうした内面性に裏打ちされているからこそ、ルーベンスの作品からは豊かな肉体に息づく生命の手応えを感じられるのだろうと思います。
ルーベンスは画家としては勿論のこと、学者と対等に議論できる高い教養を有し、多言語を駆使して外交官を務め、大工房を経営するビジネスマンでもありました。マルチに有能なエリートであり、生まれつき大作を描くのに適していると自ら述べるほどの自信家だったのも頷けます。まさに王のようなルーベンスですが、家族との食事を何よりの楽しみにする一家の父としての顔もあったそうです。この展覧会では壮大華麗なバロック美術を代表するルーベンスの、エネルギーに満ちた数々の作品に触れることが出来ると思います。

 

概要

会期

…2018年10月16日~2019年1月10日

会場

国立西洋美術館

構成

…図録における構成は下記の順となっています。会場内の展示順は章番号のあとの()内の数字のとおりです。
1章(2) 過去の伝統
2章(3) 英雄としての聖人たち―宗教画とバロック
3章(1) ルーベンスの世界
4章(6) 絵筆の熱狂
5章(4) 神話の力Ⅰ―ヘラクレスと男性ヌード
6章(5) 神話の力Ⅱ―ヴィーナスと女性ヌード
7章(7) 寓意と寓意的説話
…出品数70点のうち41点がルーベンス(及び工房)の作品で、主題の別による構成となっています。図録と実際の展示順の違いは会場のスペースの都合などもあるのでしょうが、自画像や家族の肖像画など、ルーベンスの為人がイメージできる作品を冒頭に持ってくるほうが展示の導入には適しているという判断なのではないかと思います。なお、展覧会特設サイトで「神話の叙述」とされている7章の表題は「寓意と寓意的説話」に変更されています。主題の内訳を見ると神話が4、寓意が2、説話が1、聖書が1とバラエティに富んでいるのですが、神話や聖書の題材は寓意、教訓を含むこともあり、多義的な解釈が可能なこともしばしばあるので、こうした変更となったのでしょう。ルーベンス以外では、同時代のイタリアの画家の作品と共に古代彫刻が多く展示されていて、ルーベンスが古代彫刻から如何に表現を学び、吸収しているかという点について、実際に比較しながら鑑賞することができました。

感想

「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」

…クララ・セレーナ・ルーベンスルーベンスの長女で、描かれた当時は5歳頃。バラ色のふっくらとした頬が子どもらしく、やや上目遣いに父であるルーベンスを見つめる瞳の生き生きとした輝きが印象的ですね。セレーナという名前は当時としては珍しいもので、イサベラ・クララ・エウヘニア大公妃の通称「セレニッシマ(”晴朗きわまりない女性”という意味)に因むものとも考えられているそうです。クララが実際どんな少女だったのかは分かりませんが、描かれた表情からは名前の通り快活そうな印象を受けます。顔立ちが細部まで丁寧に描き込まれている一方、服はさっと簡単に塗るにとどめられていますから、多忙な仕事の合間に描かれたプライベートな作品なのでしょう。写真のない時代ですが、ルーベンスには絵筆がありますから、自分のため、あるいは家族のためにこうして我が子の姿を描き残すことができたんですね。本作は四辺が切り詰められているそうで、クララの顔がより一層クローズアップされている印象を受けますが、視点も水平ではなくのぞき込むように描かれていますし、実際もかなり近い距離から娘を描いたのでしょう。見たいもの、描きたいものを率直に捉えた作品で、ルーベンスの愛娘に向けた愛情が伝わってくる作品だと思います。

「毛皮を着た若い女性像」

…「毛皮を着た若い女性像」は1629~30年頃の作品で、ルーベンスが最も影響を受けた画家であるティツィアーノが1530年代に描いた作品の模写です。私はこの作品を大エルミタージュ展で見たティツィアーノの「羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像」(1538年)を思い出しました。モデルとなった女性は同一人物のようで、ポーズもよく似ているので、両作品は肖像画であると共に一種の美人画、理想的な女性美を形にしたものでもあるのでしょう。豪華な毛皮や、真珠や宝石などのきらびやかな装身具も見事ですが、それ以上に美しいのが瑞々しく豊かな女性の肉体です。ティツィアーノの描く裸婦は自然で生身の女性を想起させることによって一層官能的であるところが魅力で、ルーベンスはそうした表現に学び、理想的なプロポーションからは逸脱していても肉付きの良い豊満な女性像を好んで描いたのだそうです。図録には後年、ルーベンスが毛皮を羽織った妻をモデルに描いた作品が掲載されているのですが、腹部のややぽってりとした丸みや、捻った脇腹、腿から膝にかけての皺など、このティツィアーノの模写より更に一歩進んでリアリティのある肉体表現となっています。暗褐色の毛皮と女性の白く滑らかな肌の色合いや質感の対比が一際官能性を引き立てている作品だと思います。

法悦のマグダラのマリア

…目を剥いて横たわるマグダラのマリアを支える二人の天使。天使の一人は後ろにのけぞり今にも倒れそうな聖女を心配そうな顔つきで支え、聖女の手を取るもう一人の天使は荒ら家の屋根の上から差し込む光を見上げて驚いています。ひび割れた地面にはマグダラのマリアアトリビュートである香油壺と「メメント・モリ」を象徴する頭蓋骨が、突然の出来事によって無造作に転がっています。短縮法と浮彫り的な表現を用いて巧みに描写された頭蓋骨、失神した聖女の臨終と見紛うようなぐったりと脱力した青白い肉体、聖女を支える天使が足を踏ん張り、顔はやや赤みを帯びている様子など、法悦という奇跡が実際に起こった出来事のように臨場感をもって描写されていますね。私はこの作品を見てカラヴァッジョによる「法悦のマグダラのマリア」を思い出しました。1606年の夏に描かれた「法悦のマグダラのマリア」はカラヴァッジョ自身がレプリカも複数制作していること加えて、多くのコピーが出回り、17世紀に大流行する法悦の表現の嚆矢となった*1そうなので、もしかしたらルーベンスも目にする機会があったのかもしれません。しかし、カラヴァッジョの描いたマグダラのマリアは涙を浮かべ、悲嘆や後悔といった感情が強調されているように思われますが、ルーベンスマグダラのマリアは血の気が失せて青ざめていながらも恍惚としているように見えます。娼婦だった過去を悔やみ、赦しを求めるマグダラのマリアに対して、神の祝福や恩寵を受けた聖女としてのマグダラのマリアという捉え方の違いは、殺人を犯して身を隠していたカラヴァッジョと、宮廷画家としても外交官としても活躍していたエリートのルーベンスという立場の違いとも呼応していて興味深く思いました。

ヘラクレスとネメアの獅子」

…この作品の主題はヘラクレスの十二の功業の端緒となる「ネメアの獅子退治」で、格闘の一瞬、激しくぶつかり合う猛獣とヘラクレスが画面一杯に大きく描かれています。ルーベンスというと女性美、豊満な肉体を持つ裸婦のイメージがあったのですが、神話の神々や英雄など逞しい男性像も描いているんですね。英雄の物語は絵筆を揮う格好の題材であったでしょうし、勇猛果敢な魂の持ち主を描写するには理想的な肉体が相応しいとも考えられていたのでしょう。漲る力に盛り上がった陰影のある逞しい筋肉の表現などはミケランジェロを彷彿させますし、渾身の力で獅子を締め上げるヘラクレスの折り曲げられた身体にはベルヴェデーレのトルソと通じるものが感じられます。ルーベンスは古代彫刻の肉体美を範にしつつも、同時に石の彫刻とは異なる、生身の肉体らしさが表現されなければならないと考えていたそうで、ヘラクレスの腱の浮き上がった脚や上気した皮膚、獅子の爪で今にも引き裂かれそうな腕、険しく歪められた顔などには、血の通った肉体の熱気が込められていると思います。また、動物の描写にも迫力があり、ヘラクレスの脚に踏みつけられたヒョウは断末魔を上げているかのようですし、獅子には人間的とも言える表情があり、怒りのこもった唸り声が聞こえてきそうです。この時代は複数の画家がそれぞれの得意分野を受け持って一つの絵画を制作する共作もしばしば行われていて、この展覧会にもルーベンスが動物の表現を得意としたフランス・スネイデルと共作した「ヘスペリデスの園で龍と闘うヘラクレス」が出品されています。スネイデルの描く龍は鱗の一枚一枚まで緻密に描かれていて、どんな動物なのか、特徴、イメージなどその動物らしさを正確に表現することで、架空の生き物にもリアリティを与えているように思います。一方、ルーベンスの描く動物は、主題の中、ドラマの中で描かれている印象があり、図鑑や剥製のような正確さとは異なる躍動感があります。ルーベンススネイデルは死んだ動物を描くのが上手だが自分は生きた動物を描くとも述べているそうですが、この作品を見るとルーベンスが動物の描写にも自信を持っていた理由が分かるような気がしますね。

マルスとレア・シルウィア」

…深紅のマントの裾を翻し、雲から下りて駆け寄る甲冑姿の軍神マルス。祭壇に供えられた聖火の前に座り、マルスを振り返っているレア・シルウィアは、古代イタリアの都市国家アルバ・ロンガの王ヌミトルの娘で、父から王位を奪った叔父アムリウスにより正当な王位継承者をもうけないようウェスタ神殿の巫女とされていました。ウェスタは竈の女神であり、家庭で崇拝されると共に国家の竈の神として聖火の形で祀られ、ウェスタの巫女はその火を守る役目を担っていたのですが、純潔の掟にもかかわらずレア・シルウィアは軍神マルスに見初められて、ローマ建国の祖となる双子の兄弟ロムルスとレムスを産むことになります。小型のバージョンを見るとマルスの顔がはっきり紅潮していて、恋に逸る神が息せき切って駆けつける様子がリアルに表現されています。対照的に、レア・シルウィアは突然の出来事に驚き、戸惑い、怯えているようにも見えます。神に背く罪の意識やアムリウスによる報復への恐れもあったでしょう。不安に戦き、複雑な感情がせめぎ合う表情だと思いますが、身体は背けていても顔はマルスに向けているところから、運命に翻弄される自身の身の上を嘆きつつもマルスを受け入れる意志を感じます。オウィディウスの『祭暦』では、レア・シルウィアは水を汲みに行った森の中で眠っているあいだにマルスに犯されたとされているそうですが、ルーベンスは神殿を舞台に禁忌を破る緊張感と全てを越えて惹かれ合う恋の熱狂を表現していると思います。歴史的なドラマと感情のドラマ、それらが人物の身振りと重ね合わされて、ダイナミックに流動するエネルギーが感じられるバロック絵画らしい一枚だと思います。

その他…会場内の様子、混雑状況等

…私が見に行ったのは日曜日の午前中で、入場待ちなどはなかったものの比較的混雑していました。作品はサイズが大きく、描かれている人物も比較的大きめに描かれている場合が多いので基本的に見やすいですが、素描など小型の作品もいくつかあります。ほとんどの作品に展示解説がありました。会場内の照明は暗めで、手元の音声ガイドの画面表示が見づらいレベルです。グッズ売り場はレジの台数が少ないため、混雑時は並ぶ必要があります。所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

*1:宮下規久朗『カラヴァッジョへの旅』角川選書、P165-167