展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

新・北斎展 感想

見どころ

…「新・北斎展」は葛飾北斎(1760~1849)の没後170年を記念して、最新の研究成果を踏まえつつ北斎の画業を辿るものです。約480件の出品作(会期中展示替えあり)の中心となるのは、長年に渡り北斎作品を研究し、この展覧会の監修にも携わった永田生慈(1951~2018)氏のコレクションですが、氏の遺志によりコレクションは寄贈先の島根県のみで公開されることになっているため、東京で展示されるのは今回が最後であり、貴重な機会となります。
北斎は手がけた作品の数の多さ、ジャンルの幅広さが圧倒的で、目に見えるものも見えないものも、およそ描けるものは何でも描いたところが本当に驚異的だと思います。多作で画風をどんどん変えていったところはピカソとちょっと似ているようにも思えます。晩年になっても衰えることなく新鮮で力の漲る作品を描いている北斎ですが、描くことに取り憑かれているようにも思える旺盛な創作意欲の源には、絵師として高い人気を得ても安住することなく、自らの画風を完成させ、本当の絵描きになりたいという願いがあったそうです。鬼才、天才とつい言ってしまいたくなりますが、何よりも努力の人だったんですね。
…私は2月最初の土曜日午前中に見に行きましたが、入場券の引き換え及び会場入口でそれぞれ5分ほど待ちました。会場内では第1章のコーナーで作品の前に並んでいる入場者の列がなかなか動かないようだったので後ろの方から見ましたが、その後のコーナーはそこまで混雑していなかったので、作品のすぐ前で鑑賞することができました。展示解説は少なめです。会場内はやや暗いですが、もっと照明が暗い展覧会もあるので、それほど気になりませんでした。所要時間は90分でしたが、小さな作品までじっくり見る場合はさらに時間がかかると思います。

概要

会期

…2019年1月17日~3月24日

会場

…森アーツセンターギャラリー

構成

 第1章:春朗期――デビュー期の多彩な作品
  …20~35歳頃、勝川派の絵師として活動
 第2章:宗理期――宗理様式の展開
  …36~46歳頃、肉筆画や狂歌絵本の挿絵など新たな分野に取り組む
 第3章:葛飾北斎期――読本挿絵への傾注
  …46~50歳頃、読本の挿絵に傾注
 第4章:泰斗期――『北斎漫画』の誕生
  …51~60歳頃、多彩な絵手本を手掛ける
 第5章:為一期――北斎を象徴する時代
  …61~74歳頃、錦絵の揃物を多く制作
 第6章:画狂老人卍期――さらなる画技への希求
  …75~90歳頃、自由な発想と表現による肉筆画に専念

hokusai2019.jp

感想

雲龍図」(紙本一幅、嘉永2年(1849:画狂老人卍期))

…展覧会で最も印象深かった作品が「雲龍図」で、最晩年に描かれたとは思えない力強さを感じました。本作と対になる「雨中の虎図」では、雨の中で大地に爪を立てる虎が龍を睨んで咆哮していますが、虎の毛皮やツタの葉などは鮮やかに彩られています。一方の「雲龍図」は群青を用いつつ墨色を基調としたほぼモノクロで描かれていますが、実在する地上の動植物は着彩で、対する龍は次元の異なる不可視の存在のため、無彩色で描くことでその違いを表現しているのかもしれません。何者にも触れられない天の高みで宙を睨む龍の鋭い眼光には人知を超えた神性が宿っていることが感じられて、作品の持つパワーにしばらくのあいだ圧倒されて見入ってしまいました。龍の左足の爪が表具まではみ出しているかとつい錯覚してしまうほど迫ってくるものがあり、自然が持つ渦巻くようなエネルギーとそれを司る龍の強大さが表現されている作品だと思います。

吾妻橋ヨリ隅田ヲ見ル之図」(横間判、文化初期(1804~06:宗理期)頃)、「諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図」(横大判、天保5年(1834:為一期)頃)

…風景画では西洋画の遠近法を取り入れた「吾妻橋ヨリ隅田ヲ見ル之図」の、橋脚の間から川の流れの遙か先の景色を望む構図が面白く感じられました。両岸に並ぶ柵や木立なども効果的に用いて、遠近感を強調していますね。視点が低く、船の上から見ているような臨場感が感じられると風景だと思います。「諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図」には、何カ所も折れ曲がり上昇と下降のある奇抜な形状の橋が描かれています。伊勢物語の「東下り」において、杜若の名所として詠まれていることで有名な三河の八橋ですが、江戸時代にはすでに存在していなかったため、北斎は想像で描いたのだそうです。前景に当たる画面右下では橋を上から見ていますが、中景では橋桁を下から見ていたりして、橋の複雑な構造と画面の奥行きを表現するために工夫しているのが分かる作品だと思います。

「夜鷹図」(紙本一幅、寛政8年(1796:宗理期)頃)、「酔余美人図」(絹本一幅、文化4年(1807:葛飾北斎期)頃)

…夜鷹は格の高い花魁のような遊女とは対照的な下層の娼婦のことで、「夜鷹図」では蝙蝠の飛ぶ寂しい夜道に立つ後ろ姿が描かれています。女性が筵ではなく傘を小脇に抱えていることや足駄を履いているところを見ると、月は出ているものの雲行きは怪しいのかもしれません。頬被りをした顔は見えないため容貌や年齢は定かではありませんが、実際、薄暗い路上では夜鷹と相対した客にも顔はよく見えなかったことでしょうし、どんな女性なのかは作品を見る者の想像に委ねているのだろうとも思います。女性が傍らを振り返っているのは、雨が降り出す前に客を見つけたようと探しているためかもしれません。片足を前に踏み出し、螺旋を描くしなやかな身体の線が風にそよぐ柳のようで、もの悲しさの中にも風情を感じさせます。「酔余美人図」は黒い三味線箱に肘をつき、額に手を当て俯せる女性の姿を描いた作品です。女性が蹲っているのは酔いに苦しんでいるためとのことで、箱の傍には杯も置かれていますね。酔いに苦しむ姿というのは本来なら醜態に属する部類だと思うのですが、そこに美を見出すという着眼点が面白く感じられます。あるいは、日頃美しく品の良い女性がうっかり見せた隙に、何か艶めいたものを感じたのかもしれません。女性はつい気分良く酒を過ごしてしまったのでしょうか、それとも何か憂さ晴らしや悩み事を紛らすためだったのでしょうか。着物の作り出す襞、特に身体に纏わり付く青い帯の曲線が優美な印象の作品だと思います。

「牡丹に蝶」(横大判、天保初期(1830~34:為一期)頃)

花鳥画では「牡丹に蝶」という作品が印象に残りました。牡丹の花からちょうど飛び立ったところを捉えたのか、宙返りする蝶という意表を突いたモチーフと、蛇の目模様の羽が目を引くのですが、気になって調べてみたところ実際に蝶は飛行中に宙返りすることがあるようで、造化=万物の理を師とした北斎が、自然をよく観察していたことが窺えます。また、蝶ではなく小鳥や蜂を描いた作品でも頭が下を向いているものが多く見受けられるので、飛翔する動物のみに可能な自在でダイナミックな動きを表現したかったのかもしれないとも思いました。一方、幾重にも重なる牡丹の花びらはどれも似ているが一つとして同じものはなく、花びらのうっすらとした筋や風に翻る葉の表裏の描き分けなど、細部まで丁寧に表現されています。正確に自然を写し取ることと装飾的な効果という二つの面を備えた、華やかで繊細な作品だと思います。