展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

みんなのミュシャ 感想

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アルフォンス・ミュシャ黄道十二宮


見どころ

…「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ――線の魔術」はアルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の没後80年を記念する展覧会です。人気の高いミュシャの展覧会は日本でもしばしば開催されていますが、今回の特色はミュシャの作品と共に、その影響を受けた1960年代以降の英米のレコード・ジャケットやアメリカン・コミックス、日本のマンガなどサブカルチャーの作品も合わせて展示されていることでしょう。ミュシャの作品はポスター・素描・パステルなど100点以上で、ミュシャ出世作となった《ジスモンダ》などサラ・ベルナール出演作のポスターや《黄道十二宮》、連作〈四芸術〉などパリ時代の主要な作品が多数出品されています。
…私もミュシャの作品が好きで、これまでにも何度か展覧会に足を運んでいるのですが、今回は改めてミュシャの作品を埋め尽くす緻密で華麗な装飾デザインの豊富さに驚きました。ミュシャは作品の制作に当たって、文様事典の最高峰と言われる『装飾の文法』をはじめとするデザイン資料集や百科事典の活用していたそうです。また、ミュシャは自身のアトリエに故郷モラヴィアの民芸品や日本・中国の美術品・工芸品などから成る蒐集品を飾っていたそうですから、そうした品々からも着想を得ていたことでしょう。一方で、ミュシャは日頃から身近な周囲の人や物にも関心を持ち、注意深く観察してスケッチしています。「子どもの頃の私は、周囲の物事をじっと観察しているのが好きだった……花、隣人の犬や馬……陶芸職人の絵付け、職人が近所の家の壁に描く装飾画など、目にとまる様々な物の形やしくみに魅了された。そして私はそれらを絵に描くだけでなく、記憶の中にも正確に留めておこうとしたものだった」*1ミュシャの作品を彩る華麗な装飾は好奇心と探究心、様々な時代や国の文物・様式のリサーチと日々の観察の積み重ね、そして新たな意匠を生み出す創造力に裏打ちされたものなんですね。また、自分の作品だけでなく、他の職人やデザイナー、学生たちが役立てることができるように、自ら多数の図案を制作して『装飾資料集』や『装飾人物集』を編纂したことも画業に劣らぬ功績ではないかと思います。
ミュシャがパリで活動していたのは、技術の発展によって大判のカラーリ、トグラフの制作が可能になり、広告板に張られたポスターやキオスクに並ぶ雑誌の表紙絵が街に溢れるようになった時代です。版画に向いた明確で流麗な線描を持ち味とするミュシャの作品が技術や社会の変化を絶妙のタイミングで捉えたと言えそうですが、ミュシャの描く線はただ対象をなぞるだけでなく、それ自体が生き物のように自律的であるところが特徴だと思います。例えば《アーメン:『主の祈り』の最終ページ》のケルト幾何学パターンで構成されているフレームや、『鏡によって無限に変化する装飾モティーフ』のいくつかのデザインなどは、その線が何を意味するのか分からなかったり、あるいはもはや何を形作っているわけでなくても流れ自体が美しく、抽象画に近いと言っても良いぐらいに感じられました。また、連作〈月と星〉の《北極星》では北極星を中心とする天体の日周運動の軌跡が光の円弧で描かれていたり、《明けの明星》では星の輝きが放射状に広がる線によって描かれたりしていますが、こうした一種の効果線のような時間の経過を伴う運動の表現方法が、現代の漫画の表現にも繋がっているのだろうと思いました。
ミュシャは作品の制作に当たって写真を活用していて、様々なポーズを取るモデルたちを撮影した写真の中には、人物のポーズを正確に写すためかグリッド線が書き込まれた写真もありました。また、バレエを踊る裸婦の連作写真もありましたが、バレエは躍動感があるだけでなく、観客の目を引く印象的なポーズや役柄の感情を伝える身振りなどが洗練された動きによってふんだんに盛り込まれていますよね。ミュシャの作品に描かれた人物のポーズはバラエティに富んでいて、伝えるべきメッセージが分かりやすい身振りで視覚化されているのですが、こうした多くの習作の蓄積があってこそ生み出された表現なのだろうと思いました。
…私が見に行ったのは初日の開場直後だったのですが、いつものようにエスカレーターから地下の美術館に入場するのではなく、階段に並ぶよう指示されました。待ち時間は5分程度で、それほど待たず中に入れました。昼前に会場を出た時は行列は解消していたので、いつものことではなく混雑時の対応なのだろうと思います。会場内は前半がミュシャの作品、後半がミュシャの作品とミュシャの影響を受けた現代の作家の作品とを合わせて展示しています。入ってすぐの展示室は初期の作品やミュシャのコレクションなど小さめの作品が多く混雑しやすいようですが、後半の展示室に行くと混雑は緩和されていました。「3 ミュシャ様式の「言語」」の展示室の一部は撮影可能です。

 概要

【会期】

…2019年7月13日~9月29日

【会場】

…Bunkamuraザ・ミュージアム

【構成】

1.序――ミュシャ様式へのインスピレーション
ミュシャの初期の作品
ミュシャの蒐集品

2.ミュシャの手法とコミュニケーションの美学
…挿絵画家としてのミュシャ
…雑誌の表紙・レイアウトなどのデザイン

3.ミュシャ様式の「言語」
サラ・ベルナール出演作をはじめとするポスター作品
…《黄道十二宮》や連作〈四つの宝石〉など寓意画の装飾パネル
…『装飾資料集』や『装飾人物集』などミュシャの編纂したデザイン図案集

4.よみがえるアール・ヌーヴォーカウンターカルチャー
…1960年代以降のミュシャリバイバルに伴う影響
…レコード・ジャケットやポスター、アメリカン・コミックなどに引用されたミュシャのデザイン

5.マンガの新たな流れと美の探求
…日本におけるミュシャの影響
…明治期の影響:雑誌『明星』の表紙など
…戦後の影響:水野英子をはじめとする少女漫画や天野喜孝出渕裕のイラストなど

www.ntv.co.jp

感想

『マカルト・アルバム』(1880~1882年頃)他

ミュシャは1879年の秋から2年間ウィーンの舞台美術の工房で見習い背景画家として働いていて、この時期にエッチングによるハンス・マカルトの画集『マカルト・アルバム』を購入し、マカルトのフォルムや寓意的な表現の手法などを学んだと見られているそうです。実は東京都美術館の『クリムト展』に出品されていたフランツ・マッチュの《女神(ミューズ)とチェスをするレオナルド・ダ・ヴィンチ》(1889年)を見た時にアール・ヌーヴォー、特にミュシャの作品を彷彿させるように感じたのですが、マカルトの影響を受けた両者ですから共通の雰囲気を感じるのも自然なことだったんですね。また、ミュシャのアトリエは故郷モラヴィアの民芸品や日本・中国の美術・工芸品、蔵書などの蒐集品で飾られ「美の殿堂」と呼ばれていたとのことですが、これもマカルトのアトリエが様々な国のアンティークなどから成る豪華でエキゾチックなインテリアで飾られていたことを意識しているのでしょう。マカルトのアトリエは「画家のプリンス」としての自己演出であると同時に、自身の感覚を具体的な形にして展示する「総合芸術」だったそうです。ミュシャにとってもアトリエは自身の好みや興味、価値観といった形なき感覚を現出する空間であると共に、そうした環境に身を置くことによって新たなインスピレーションを得る創造のための空間だったのではないかと思います。

《『イリュストラシオン』誌・表紙 1896-1897年クリスマス特別号》他

…アカデミーで学んでいたミュシャは、1889年にパトロンだったエドゥワルト・クーエン=ベラシ伯爵からの学費援助が突然打ち切られてしまったため、挿絵画家として身を立てることになります。当時の多くの画家たちは原画の芸術性が損なわれる挿絵を画家の片手間仕事と見なしていたのですが、ミュシャは挿絵の仕事を通して画家としての鍛錬を続けようと考え、制作に当たってコンセプトからスケッチ、習作というアカデミックな手法を導入し、その確かな技術と丁寧な仕事ぶりによって評価を得ていきます。困難な状況に置かれても、目の前のことに真摯に取り組む姿勢が新たな展望を切り開いてくれるんですね。
ミュシャと言うと優美な女性像をイメージするのですが、《カリカチュア》(1882年)という素描では性別、年齢を取り混ぜてバラエティに富んだ個性的な顔貌が描かれていて興味深かったです。『ドイツの歴史の諸場面とエピソード』や『スペインの歴史の諸場面とエピソード』などの挿絵として、重厚で劇的な歴史的場面を描いた経験は、のちにスラヴ叙事詩を制作する際にも役立ったかもしれません。1896年~1897年のクリスマス特別号の表紙として描かれた《『イリュストラシオン』誌・表紙》はアザミを手にした女性の遺体を天使が白い布で包んで埋葬する場面を描いたものです。王冠を被った天使が影になっているのは生身の存在ではなく、霊的な存在であることを表現しているのでしょう。アザミは受難の象徴で、キリストの誕生日であるクリスマスにも結びつくモチーフです。白い布は雪のイメージであり、女性の死は一年の終わりを示唆するものと考えられますが、優美な表現とは言え一般に販売される雑誌の表紙に「死」を描いていることに驚きを覚えました。ユニークなのが画面左端に描かれた三組の手で、手首の先には歯車やネジが繋がっていて機械仕掛けなのが分かります。キリスト教では手は霊的なエネルギーの伝導体を、モミの木は生命力を象徴するそうですが、機械の厳密さや正確さに自然のサイクルの規則正しさを、あるいは人間の意志や感情に左右されない超越性を重ね合わせたのかもしれません。手はモミの木で装飾された扉または表紙を開こうとしているようにも見えるので、新たな一年の始まり、すなわち女性の復活をもたらそうとしているのでしょう。

黄道十二宮》(1896年)

…シャンプノワ社のカレンダーのためにデザインされた《黄道十二宮》は、その後他社のカレンダーや宣伝ポスター、装飾パネルなど他の作品にも転用されたという人気作です。大きな宝石が幾つも付いた豪華な飾りを額に嵌めている女性の横顔の背後には十二星座のシンボルが描かれていますが、円環はこの場合黄道、すなわち地球から見た太陽の軌道であり、一年という時間の周期の象徴でもあるでしょう。女性の髪が描く曲線も回転をイメージさせます。太陽暦太陰暦と、暦と切り離せない太陽と月は、画面下段でそれぞれひまわり及びアザミと組み合わされたモチーフで描かれています。太陽、月、十二星座と揃っていますから、中心に位置する女性は地球ということでしょうか。宝石も地中から産出されるものですし、大地=地球を象徴していると考えることができるかもしれません。天上の星と地中の宝石に彩られた煌びやかな作品だと思います。

連作〈四芸術〉(1898~1899年)

…連作〈四芸術〉は、女性と背後の装飾的な円環による「Q型方式」の構図が典型的に用いられている作品です。「Q型方式」とは擬人化された主題の女性が座る円環の「O」と、女性のドレスの裾が組み合わされてアルファベットの「Q」の形を成す構図のことで、ミュシャ様式のうちでも最も特徴的なものなのだそうです。この様式は装飾効果を高めるとともに、見る者の目を主題のメッセージに巧みに誘導する手段として考案され、1896年以降繰り返し用いられるようになりました。〈四芸術〉について、ミュシャは「芸術への霊感は自然から得られる」*2と考えて、芸術の各分野と自然のモチーフとを組み合わせることでイメージを豊かに広げています。《絵画》は円環の中の虹が中心にある花に視線を誘導していますが、同時に花から発せられたみずみずしい生気がハローのように外部へ広がっているようにも感じられます。女性が手に持つ赤い花は、背景に描かれたモチーフから推測するとひなげしでしょうか。《詩》は瞑想や思索を象徴する頬杖をつくポーズで、夕暮れの空に輝く星を見つめています。あるいは、輝く星は詩人のインスピレーションの一瞬の閃きそのものを象徴しているのかもしれません。古代ギリシャでは詩の競技の勝者に詩神アポロンに由来する月桂冠が贈られたと言いますが、この作品の円環の内側でも月桂樹が弧を描き、ちょうど冠のように女性の頭部を横切っています。《舞踏》は女性がドレスの裾を翻らせて、軽やかに舞い踊っている姿で表現されています。ミュシャは人物の動きに関心を持っていたそうで、舞踏する女性像はバレエを踊る裸婦の連作写真や、パステルで描かれた風の中を歩く女性とも通じるものがあるように思います。可視化された風とも言える舞踏ですが、旋回する女性は花びらを散らすつむじ風と一体化し、女性の舞踏が風を巻き起こしているようにも感じられる作品だと思います。

《メディア》(1898年)

…沈みゆく黒い太陽を背に、青ざめた顔で立ち尽くす黒いドレスのメディア。その手には血の付いた短剣が握られ、足元には不自然にねじ曲がった子供の亡骸が横たわっています。サラ・ベルナールが演じた他の演目のポスターの場合、設定やストーリーを踏まえつつも、キャラクターの人格を一定の普遍性をもって表現したある種の肖像画として描かれているように感じるのですが、《メディア》のポスターは劇中の具体的な一場面が描かれているという点で異色の作品です。一見しただけで状況の禍々しさが伝わってくる作品ですが、血腥いクライマックスの一瞬の表情を描いていることによって臨場感があり、人の眼を引きつけて強い印象を残すインパクトもあります。あえてショッキングな場面を選ぶ大胆さに驚く反面、現代で言うなら「ネタバレ」になるかもしれないとも思いましたが、メディアはギリシャ神話に登場する女性ですし、西欧の人にとってストーリー自体は既知のものなんでしょうね。メディアが頭部に戴いている棘のある冠は血を分けた我が子を殺害するという行為の恐ろしさを視覚的に表現しているのか、または大きく見開かれた焦点の合わない瞳と共に、本人の意志を超えた何かに取り憑かれ、突き動かされての行為であることを示唆しているのか、いずれにせよ、人間性の喪失を象徴しているように感じられます。人物の心情を一目で分かりやすく伝える誇張された表情は、後の漫画にも繋がる表現と言えるでしょう。

モナコモンテカルロ》(1897年)

…《モナコモンテカルロ》は、パリとコート・ダジュールを結ぶ鉄道の利用促進を図る鉄道会社PLM(パリ・リヨン・地中海鉄道会社)のために制作されました。装飾的な三つの花の円環は車輪を、画面左下から右上にかけて伸びる蔓の曲線はレールを象徴し、円環の上部で翼を広げて飛び立つ準備をしている小鳥たちは女性の浮き立つ気持ちを表現しているそうです。女性の背後に描かれた大きな円環にはライラックが、右隣はナデシコ、左下はスミレが用いられているのですが、いずれもヨーロッパでは春に咲く身近な花ですから、描かれた女性の素朴さや可憐さを感じさせて見る者に親しみや共感を抱かせると共に、これから夏を迎えるに当たりバカンスをどう過ごすか思案しているところであることを演出しているのでしょう。口元に両手を当てて天を見上げる女性のポーズは、憧れの感情を端的にイメージさせる身振りです。女性の背景にはごく自然に、しかし本来ここにはない女性の想像のなかのモナコが描かれています。虚構の景色が現実に挿入されて、異なる次元が併存しているところが漫画的ですね。さりげなさと分かりやすさを取り混ぜ、商業的な目的を効果的に伝えると共に美的でもある作品だと思います。

カウンターカルチャー、マンガへの影響

…第二次大戦後、冷戦下の西側諸国でミュシャの作品は忘れられていたそうですが、1963年にイギリスで二つのミュシャ回顧展が開催されたことをきっかけに再評価され、特に既存の体制や文化に対峙するサブカルチャーの世界でミュシャの流麗な曲線や装飾的なモチーフにインスパイアされた作品が次々と生み出されていきました。今回の展覧会の出品作を見ると、ミュシャへのオマージュとしてサラ・ベルナールのポスター《椿姫》を翻案したデヴィッド・エドワード・バード《ニューヨーク、トリトン・ギャラリーでの個展――ダンディーとしてのセルフポートレート》、クレイグ・ブラウン「ジプシー」のジャケット・デザイン(《黄道十二宮》の引用)やスタンレー・マウス&オールトン・ケリー《ジム・クウェスキン・ジャグ・バンド コンサート》のポスター(《JOB》の引用)などミュシャの作品がほぼそのまま用いられているケース、さらに何となくミュシャっぽいというものまで、様々な形でミュシャの様式が取り入れられていることが分かります。個人的に印象に残ったのはマライケ・コウガーの《ラヴ・ライフ》、《ブック・ア・トリップ》で、タイトルを除いてモノクロなため、ミュシャ様式の特徴や魅力の源泉が線にあることをよりはっきり感じることができました。
…日本では明治時代の一時期に文芸誌の表紙がミュシャ風に染まったあと、やはり忘却されてしまうのですが、意匠化された少女漫画の星や花、流れる髪の表現などの形で受け継がれ、1960年代末に北米の音楽シーンを経由して再認識されます。流麗な線描と平坦な色彩は漫画と相性が良いでしょうし、洗練された優美な女性像によってイメージを喚起するミュシャの手法がとりわけ少女漫画に親和的なのは間違いないと思います。一方、『ニュー・アベンジャーズ』や『ノヴァ』などマーベル・コミックスの表紙や天野喜孝のいくつかのイラストなどは、ミュシャの様式を男性像に応用している点で興味深く、ミュシャの考案した構図の象徴性や視覚的な効果が普遍的なものであることを感じました。今回の展覧会で展示されている以外にも、しばしばミュシャの作品のモチーフや様式を引用したものを目にするのですが、それだけミュシャの作品に国や時代を超えた魅力があるのでしょうし、広がりの大きさを感じます。様々な時代や地域の膨大な意匠や身近な自然の注意深い観察を基に華麗な装飾美に満ちた世界を生み出したミュシャですが、その作品は現代の作家たちの新たなインスピレーションの源泉になっているのだと思いました。

*1:図録P41

*2:ミュシャ展」(国立新美術館、2017年)図録P140