展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち展 感想

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見どころ

…「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち展」は、オランジュリー美術館が所蔵する「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」146点のうち、ルノワールを始めとする印象派やエコール・ド・パリ、さらにピカソマティスなど13人の画家、69点の作品で構成される展覧会です。同館から「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」がまとまって来日するのは21年ぶりとのことです。
…このコレクションを築いたポール・ギヨーム(1891~1934)は自動車修理工でしたが、偶然目にしたアフリカの彫刻に惹かれて収集を始め、詩人で美術批評家でもあったアポリネールを通じてパリの前衛画家たちと交流するようになり、モディリアーニやスーティンなど若い画家を積極的に支援する画商となりました。また、ポール・ギヨームは画商になるきっかけとなったアフリカ美術について写真集『ニグロ彫刻』(1917年)を編集するなど、その魅力の普及に率先して努める一方、自ら素描を嗜むこともあったようです。専門の美術教育を受けていなくても良き助言者に巡り会えたことと、何より美術への情熱があったことで画商として活躍し、優れたコレクションを築くことができたんですね。オランジュリー美術館というと私はモネの睡蓮の大装飾画が思い浮かぶのですが、今回の展覧会でポール・ギヨームの業績を知ることができ、また、アンドレ・ドランの作品を初めてまとめて見ることができて良かったです。なお、コレクション名にポール・ギヨームと共に名を連ねているジャン・ヴァルテルは建築家で、ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ(通称ドメニカ)の再婚相手なのですが、コレクションの設立には関与していないそうです。
…私は初日の開館直後に見に行ったため、チケットを持っている人、これから購入する人がそれぞれ数十人程度並んで列ができていたのですが、会場内では混雑はさほど気にならず、作品をじっくり見ることが出来ました。お昼頃には行列も解消していました。音声ガイドの解説のみの作品も目に付いたので、可能であれば音声ガイドも利用したら良いかもしれません。所要時間は90分程度、ポール・ギヨーム関連の展示コーナーで邸宅の模型が撮影可能です。

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ポール・ギヨームの邸宅:食堂

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ポール・ギヨームの邸宅:ポール・ギヨームの書斎

概要

【会期】

…2019年9月21日~2020年1月13日

【会場】

横浜美術館

【構成】

アルフレッド・シスレー(1839~1899):1点
ポール・セザンヌ(1839~1906):5点
クロード・モネ(1840~1926):1点
オーギュスト・ルノワール(1841~1919):8点
アンリ・ルソー(1844~1910):5点
アンリ・マティス(1869~1954):7点
キース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968):1点
アンドレ・ドラン(1880~1954):13点
パブロ・ピカソ(1881~1973):6点
マリー・ローランサン(1883~1956):5点
モーリス・ユトリロ(1883~1955):6点
アメデオ・モディリアーニ(1884~1920):3点
シャイム・スーティン(1893~1943):8点
…展示は画家別の構成で、各画家の作品はいずれも油彩画です。上記の画家の名前は生年順に列記しましたが、会場では大雑把に括ると前半の展示室がシスレー、モネ、セザンヌなど印象派やポスト印象派、後半がモディリアーニユトリロ、スーティンなどエコール・ド・パリ、中心となるルノワールが両者のあいだの展示室に位置していました。展覧会はルノワールの名前を冠していることもあり、印象派の作品が多いのかと思いましたが、むしろ印象派以後の画家たちがメインで、20世紀前半の作品が多かったです。なかでもモディリアーニやスーティンは、ポール・ギヨームが発掘して世に送り出した関係の深い画家たちです。シスレー、モネ、及びセザンヌの作品の大半は妻のドメニカによってコレクションに加えられたものだそうですが、一方で彼女はピカソキュビスム時代の前衛的な作品やポール・ギヨームが情熱を傾けたアフリカ美術のコレクションを手放しているそうです。ルノワールは夫妻が共に好んだ画家でした。フォーヴィスムを担った主要な画家の一人であり、その後肖像画家として成功したアンドレ・ドランは国内外の多くの画商と交流を持っていましたが、1924年に契約を結んだポール・ギヨームとは画商が亡くなるまで緊密な関係が続いたそうです。ドランは夫妻それぞれの肖像画も手掛けていて、今回の展覧会にも出品されています。

artexhibition.jp

感想

アンドレ・ドラン《ポール・ギョームの肖像》(1919年)、アメデオ・モディリアーニ《新しき水先案内人ポール・ギヨームの肖像》(1915年)

…展覧会の冒頭を飾っていたのは、アンドレ・ドランによるポール・ギヨームとドメニカ夫妻の肖像画でした。バレル・コレクションを築いた海運王ウィリアム・バレルのように、肖像画を描かれることに消極的だったコレクターもいますが、ポール・ギヨームはドランをはじめ、契約を結んでいた画家たちによる様々な肖像画が残されています。ポール・ギョームはそれぞれの画家たちが自分をどのように捉えているか、そして表現の違いから感じられる画家たちの個性を楽しんでいたのかもしれません。ドランによる肖像画はポール・ギヨームが好んだという青を中心とした寒色系でまとめられていますが、柔らかく薄塗りのタッチで描かれているため温厚そうな人柄という印象を受けます。ポール・ギヨームは煙草を手に本を開いて寛いだ表情ですが、落ち着いた上品な雰囲気で、モデルに対する画家の親しみと敬意が感じられる作品だと思います。
…一方、モディリアーニによるポール・ギヨームの肖像画はアーモンド型の眼や首から肩、腕にかけての滑らかな曲線がモディリアーニらしいですが、図録13ページに載っているギヨームの写真を見るとその表情が忠実に捉えられていることが分かります。ドランによるナチュラルでスタンダードな肖像画に比べると、モディリアーニの作品は画家とモデルの個性がより強く出ている印象ですね。画家=鑑賞者に向かって微笑みかけるポール・ギヨームの瞳や口元からはエコール・ド・パリの画家と、彼が生み出す新しい具象絵画への関心や好意が感じられると同時に、その魅力的な微笑みに引きつけられるようなものを感じます。アフリカの彫刻などに影響を受けたモディリアーニの画風は単純化された形体が特徴ですが、ポール・ギヨームはアフリカ美術を熱心に愛好していましたから、価値観・美意識を共有する同志としての親近感もあるのかもしれません。ポール・ギヨームはモディリアーニよりも年下で、描かれた当時はまだ23歳なのですが、年齢よりも落ち着いた雰囲気があり、画家にとって頼りがいのある人物だったのだろうとも思います。モディリアーニやドランの作品を見ていると、ポール・ギヨームは画商としての信頼感があるだけでなく、人間的にも好ましい人柄だったのだろうと思いました。

マリー・ローランサン《ポール・ギヨーム夫人の肖像》(1924~1928年)、アンドレ・ドラン《大きな帽子を被るポール・ギヨーム夫人の肖像》(1928~1929年)

…ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ(1898~1977、通称ドメニカ)は南東フランスで生まれ、1910年代にパリのキャバレーで働くようになり、そこでポール・ギヨームと出会って結婚したと見られるそうです。ローランサン肖像画に描かれたドメニカはピンクのドレスを身につけ、花を手に小首を傾げて夢見るように微笑んでいて、少女のように可愛らしい印象ですね。一方、アンドレ・ドランによるドメニカの肖像画は、ローランサンのものと近い時期の作品ですが、大きな帽子を被り、ストールを羽織った富裕層の女性らしいエレガントな装いで、くっきりとアイラインの入った目は強い意志を感じさせます。輪郭も色調もシャープで明瞭なためか、整いすぎていて隙のない印象は、同じドランによる夫ポール・ギヨームの肖像画ともかなり雰囲気が違う気がします。画家自身の個性の違い、そしてモデルの捉え方の違いが感じられて興味深く思いました。

オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》(1892年)、《バラをさしたブロンドの女》(1915~1917年)

…ピアノの前の二人の少女を描いた《ピアノを弾く少女たち》は、フランス政府から依頼を受けてルノワールが制作した作品のうちの一点です。画中に登場するアップライトピアノは18世紀末に開発され、19世紀には工場で量産可能になったことで中流階級の家庭にも普及し、女性達のあいだでピアノのレッスンが流行したそうです。伝統的な風俗画の場合、楽器を弾く女性という主題はしばしばロマンスの暗喩なのですが、この作品に描かれた少女達はもっと無邪気に音楽を楽しんでいる様子で、時代の変化を感じます。カーテンやリボンの青、ワンピースの白が画面を引き締め、爽やかな印象を高めています。片手で楽譜を捲りながらピアノを弾く白いワンピースの少女がピアノの練習をしている傍で、頬杖をつく赤いワンピースの少女は目を伏せて音色に耳を傾けているようです。画面の中心を占める二人の少女のうち、この作品では微笑みを浮かべてピアノを弾く白いワンピースの少女が中心に見えるのですが、最終的に国家に買い上げられた作品では赤いワンピースの少女の顔の角度や表情が変わっているためか、横向きのピアノを弾く少女より彼女に視線が引きつけられるんですよね。ポーズや表情の微妙な違いでこんな風に印象が変わるのも興味深いです。ピアノの装飾や背景の仕上げは大まかですが、その分絵筆の運びも伸び伸びとしていて、少女達のささやかな日常の一コマを生き生きと表現している作品だと思います。
…《バラをさしたブロンドの女》のモデル、アンドレ=マドレーヌ・ウシュリング(愛称デデ)は後に女優となり、ルノワールの次男で映画監督のジャン・ルノワールと結婚しているそうです。この作品が描かれた当時のデデは16~17歳で、《ピアノを弾く少女たち》とさほど年齢は離れていないと思うのですが、可憐な少女達と比べると若々しい中にもより成熟した女性らしさが感じられます。花に喩えるなら、つぼみが花開いて咲き初める最も瑞々しい時期でしょうか。《ピアノを弾く少女たち》が一瞬の場面に人生のほんのひとときである少女の時期を重ね合わせた作品だとするなら、こちらは女性の豊かな肉体に普遍的な生命力の豊かさを象徴させて表現していると言えるかもしれません。髪に挿したバラの花と同じ色合いの艶やかな唇が官能的で、全てが溶けるように柔らかい色彩に血の通った温かみを感じられる作品だと思います。

パブロ・ピカソ《布を纏う裸婦》(1921~1923年)、《タンバリンを持つ女》(1925年)

…《布を纏う裸婦》が描かれたのは1921~1923年頃、《タンバリンを持つ女》は1925年で2年ほどしか離れていないのですが、ピカソらしい振り幅の大きさが感じられる対照的な女性像です。《布を纏う裸婦》は、目を伏せて白い布で肌を覆う女性のずっしりとした実体の重みが印象的な作品です。画面左側に光源があり、女性の顔立ちは鑿で削られたように面ごとに塗り分けられていて、円筒形の腕や腿などは彫刻のような立体感があります。色味は少なく、白い布と女性のピンクがかった肌と暗褐色の長い髪、そして背景のグレーのみですが、よく見ると肌は黄みがかったグレーの点描が施されていて、光がもたらす微妙な階調が繊細に表現されています。一方、後者の《タンバリンを持つ女》は女性の帽子(又はターバン)やスカートの赤と空色のソファ、紫のクッションと黄土色のタンバリンといった鮮やかな色彩が対比され、平面的に描かれています。タンバリンを手にソファに横たわる女性の姿は横からの視点と上からの視点が組み合わされ、手前に置かれた果物の輪郭と色面とをずらす描き方なども、自然主義的な《布を纏う裸婦》とは対照的ですね。タンバリンは中近東起源の打楽器で、西洋音楽では東洋的雰囲気の演出に用いられたりするそうですから、この女性はオダリスク若しくはそれを模しているのでしょう。布で慎ましく身を隠す裸婦とは対照的に、女性は上半身を大胆に開けて右胸は誇張するように歪められていますし、手前に置かれた果物もエロティックなニュアンスを感じさせます。しかし、女性は愁いを帯びた表情で物思いに耽っているようです。ピカソはこの作品を手掛けていた頃、シュルレアリスムから影響を受けた作品を制作していたそうなので、背景の壁の左半分が黒く、途中から黄色になっているのも明暗の表現ではなく、昼間の明晰な意識と夜の無意識の夢想を表現しているのかもしれません。女性が夢を見ているのか、あるいは画家=鑑賞者が女性の夢を見ているのか、意識の揺らぎが硬直した日常の感覚も揺さぶるような作品だと思います。

アンドレ・ドラン《アルルカンとピエロ》(1924年頃)

…楽器を抱え、荒野を旅する二人の道化師。ドランの《アルルカンとピエロ》は青空を背負って踊る二人の身体が斜めに傾き、鑑賞者を見下ろす奇抜な構図が印象的です。アルルカンもピエロもいわゆる道化師ですが、快活なアルルカンと内気なピエロというコンビでひと組にされることもあるそうで、派手な色遣いのぴったりとした衣装を身につけたアルルカンとゆったりとした白い衣装を着ているピエロとは対照的な一対として描かれています。一方で、二人の表情が共に陰気でもの悲しく、戯けているように見えないのは道中の苦労のためでしょうか。ピエロの足元には投げ銭を入れる壷がありますが、荒野のただ中で観客がいるのか疑問にも思われます。彼らは徒労な努力の虚しさを噛みしめているのかもしれません。あるいは旅は人生の比喩であり、人は現世という舞台で滑稽な見世物を演じる道化師のようなもので、人を笑い、人に笑われながら、誰しも心のどこかにある虚しさやもの悲しさを拭い去ることができないのかもしれません。この作品はポール・ギヨーム夫妻の邸宅の居間を飾っていたもので、ピエロのモデルは所有者であるポール・ギヨーム自身なのだそうです。ポール・ギヨームは自邸の居間でこの作品を見上げながら、束の間の儚い喜びや楽しみ、一時の栄華に囚われることを戒めていたのかもしれないと思いました。