展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

アーティゾン美術館新収蔵作品特別展示:パウル・クレー 感想

f:id:primaverax:20201031141307j:plain

 

www.artizon.museum

…この特別展示は石橋財団が2019年に収蔵した24点のパウル・クレー(1879年~1940年)のコレクション全てを初めて紹介するもので、以前より所蔵されていた《島》と合わせた25点の作品で構成されています。収蔵された作品は1910年代半ばから1930年代末に及んでいて、クレーの画業の大半が網羅されています。

f:id:primaverax:20201031141548j:plain

クレー《小さな抽象的-建築的油彩(黄色と青色の球形のある)》1915年

…《小さな抽象的――建築的油彩(黄色と青色の球形のある)》(1915年)は同時期のキュビスムなどの影響が見られる作品で、赤や茶色、オレンジなどの暖色を主として描かれた街の風景は、前年に滞在したチュニジアの市街風景にも想を得ているとみられるそうです。空に輝く黄色の月と対になる青い球形は地平線の下に沈んだ太陽でしょうか。

f:id:primaverax:20201031141924j:plain

クレー《庭園の家》1919年

f:id:primaverax:20201031143407j:plain

クレー《庭の幻影》1925年

…《庭園の家》(1919年)は英語の作品名が《Summer Houses》ですから、夏の風景を描いた作品でしょう。三日月の浮かぶ空と家や木々が青、緑、白の爽やかな色合いでメルヘンチックに描かれています。クレーにとって庭とは、地上と宇宙との間の行き来を可能にする特殊な場だったそうで、家と木々や家と家の影とは互いに重なり合いながら、月の浮かぶ空を目指すように積み上がっています。他方、同じ庭を描いた作品でも《庭の幻影》(1925年)はずいぶん趣が違っていて、暗褐色の闇に浮かぶ一際赤い太陽が赤い木と緑の木が立つ庭をぼんやりと照らし出し、水平な細い線がほぼ等間隔で画面を横切っています。画面左側には塔のある教会らしき建物も描かれていて、こちらは内的、瞑想的な世界を感じさせると思います。

f:id:primaverax:20201031143829j:plain

クレー《数学的なヴィジョン》1923年

…まるで天秤や実験装置が描かれているように見える《数学的なヴィジョン》(1923年)は、素描を油彩によって転写したものだそうです。元となった素描というのは《Ph博士の診察室装置》(1922年、宮城県美術館所蔵)のことでしょうか。元の素描にはなかった上方に浮かぶ黒い円がこのヴィジョンを現出させ、互いに連動した精密機械によって動いている世界の秘密を明かしているかのようです。

f:id:primaverax:20201031145655j:plain

クレー《守護者のまなざし》1926年

f:id:primaverax:20201031145721j:plain

クレー《守護者》1932年

…《守護者のまなざし》(1926年)という作品は渦のような線で描かれた目を持つ人が腕に子供を抱いています。英語の作品名に“a Protective Woman”とありますから、守護者とは母親であり母子像と見ることも出来るでしょう。眠る子供から目を離してこちらを振り返っている守護者からは少し怖いような印象も受けるのですが、脅かそうと近寄る何者かに対して子供を庇おうとしているのかもしれません。同じく守護者を題材とした《守護者》(1932年)は赤いドット、白、グレーの面が重なり合っていて、薄いグレーは3人の人影のようにも見えます。何を守ろうとしているのかは具体的には分からないのですが、人影に重なる赤いドットの部分はモノトーンの画面の中で唯一の色彩であり、血や熱を連想させ、生命力を感じさせる赤という色彩の持つ効果もあって、守護者達に共有され、同時に守護者達の間を繋いでいるように思われます。

f:id:primaverax:20201031150444j:plain

クレー《寓意的な小立像(消えていく)》1927年

f:id:primaverax:20201031150525j:plain

クレー《羊飼い》1929年

…《寓意的な小立像(消えていく)》(1927年)では両手を挙げて振り返る道化師が描かれています。道化師の胴体の向こうには二つの赤い四角形が透けて見えていて、タイトルのとおり消えかかっています。束の間の存在に過ぎない道化師の姿は私たち自身でもあるでしょう。私たちは後ろ(過去)を見ることしか出来ませんが過去を変えることは出来ず、見えない前(未来)に進むことしか出来ないんですよね。《羊飼い》(1929年)では、両手を広げて四匹の獣の前に立ちはだかる羊飼いが描かれていますが、これは羊=信者たちの信仰を守り、羊たちのために命を捨てる良き羊飼い=イエスという聖書の喩えを踏まえたものだそうです。大きく描かれた羊飼いの姿には存在感があり、赤い心臓はキリストの愛を象徴していると思われます。

f:id:primaverax:20201031150752j:plain

クレー《島》1932年

…クレーは具象画と抽象画のどちらも描いているのですが、《島》は抽象的な作品で、規則的なドットとフリーハンドで引かれた線、色彩による面という要素の重なり合いが描かれています。自身でもヴァイオリンを演奏したクレーは音楽への理解が深く、ポリフォニー(多声音楽)のような重なり合いを絵画で表現したかったのだそうです。個人的には点はリズム、線は旋律、色彩は和声をそれぞれ表現しているのではないかとも思いました。

f:id:primaverax:20201031152107j:plain

クレー《踏切警手の庭》1934年

f:id:primaverax:20201031152137j:plain

クレー《谷間の花》1938年

…《島》では素材に砂が用いられていますが、1930年代の作品では布に描かれているものも多くありました。クレーの作品は揺れ動くような透明感のある色彩が特徴の一つだと思うのですが、《踏切警手の庭》という作品では不透明なパステルカラーが目を引きました。また、《谷間の花》は黒い布地に描かれた作品で、白い紙やカンヴァスに描かれる以上に平坦な色彩の面の鮮やかさが引き立っています。組み合わされた多様な形には輪郭を縁取る描線がなく、色がそのまま一塊の形を成したかのようにも見えました。晩年のクレーはイメージの描出よりも絵画の物質感そのものを表現しようとしていたのかもしれません。