展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

日本美術の裏の裏 感想

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…この展覧会はサントリー美術館の所蔵品である屏風や掛軸、焼き物や着物などの装飾美術を通して、日本美術の楽しみ方、奥深さについて7つのテーマから解説するものです。
…タイトルの「裏の裏」ですが、「裏」は単に見えない部分を意味するだけでなく、奥深く隠された内部という意味があり、目に見えていないところに隠されている魅力を探るというこの展覧会の主旨を表しています。裏、という日本語一つとっても含蓄が深いですよね。
…会場内は音声ガイドはありませんが全ての作品に展示解説があり、展示作品は写真撮影可能でした。

第1章 空間をつくる

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円山応挙「青楓瀑布図」(1787年)

円山応挙「青楓瀑布図」(1787年)は勢いよく流れ落ちる直線的な滝の水流と、岩に砕けて渦を巻く川の水流が対比され、滝の手前に伸びる楓の枝の緑が爽やかな印象です。静寂の中に滝の音と川の音が響き、水飛沫や楓の枝を揺らす風の涼やかさが感じられるような、聴覚や温感(触覚)といった五感に訴えてくる作品だと思います。
…なお、本作より以前に応挙は縦360センチを超える実物大の滝を描いていて、その作品は病中の依頼主が庭の松に掛けて愉しむために制作されたという逸話もあるそうです。

 

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狩野永納「春夏花鳥図屏風」右隻(江戸時代、17世紀)

 

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狩野永納「春夏花鳥図屏風」左隻(江戸時代、17世紀)

…狩野永納「春夏花鳥図屏風」(江戸時代、17世紀)は金箔が華やかな作品です。春と夏だけで構成される四季花鳥図は珍しいそうですが、生命の活動が最も旺盛になる季節に焦点を当てて、花が咲き乱れ鳥たちが遊ぶ楽園を表現しているのではないかと思います。西洋美術でこれだけ多くの金色が使われる作品というと宗教画が思い浮かぶのですが、自然を主題とした作品にもふんだんに使われているところが日本的であるように思います。また、雉や牡丹などの華やか、煌びやかなモチーフだけでなくツバメのような身近な小鳥やタンポポ、スミレといった身近な野の花も選ばれ、細密で写実的に描き込まれています。別次元の天国ではなく、現実の自然と地続きの延長上に楽園、理想郷があるところが森羅万象に神の宿る日本らしさかもしれないと感じました。

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「武蔵野図屏風」右隻(江戸時代、17世紀)

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「武蔵野図屏風」左隻(江戸時代、17世紀)

…「武蔵野図屏風」(江戸時代、17世紀)は華やかな「春夏花鳥図屏風」と好対照の、一面に薄の野が続く茫漠としてもの寂しい秋の野が主題で、規則的な曲線で描かれた薄は紋様のように幾何学的で様式化されています。また、右幅には地平線の下に落ちた日が描かれ、左幅に描かれた地平線の彼方に聳える富士山の白い頂と対比されています。この作品は「武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ」(よみ人知らずの俗謡)という和歌に詠まれて広く定着していたイメージを踏まえたものだそうですが、前提となる知識があると、想像の風景の広がりに情趣も加わるのですね。屏風や襖絵などは実用的な調度品であると共に、日常的な生活空間に新鮮なイメージをもたらし、五感やさらには情感まで含む体験を生み出す装置と言えるのかもしれません。

第2章 小をめでる

…雛道具など、調度品のミニチュアの数々は実用には役立たないにもかかわらず、作りも模様も実物さながらで、手先の器用な日本人らしい巧みさと遊び心が感じられます。

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「新蔵人物語絵巻」(室町時代、16世紀)

…「新蔵人物語絵巻」(室町時代、16世紀)は縦が11センチしかない小型の巻物で、現代ならポケットサイズの文庫のようなものでしょうか。内容は男装して宮仕えした少女と帝の秘密の恋という「とりかえばや」を連想させる内容で、おそらく素人が私的な楽しみのために作った作品という意味でも小さな作品と言えそうですね。

第3章 心でえがく

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「かるかや」上冊(室町時代、16世紀)

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「かるかや」下冊(室町時代、16世紀)

御伽草子は庶民や動物たちが主役のため身近で親しみやすく、素朴な味わいがあります。絵で物語を読ませる面もあり、挿絵は状況を分かりやすく具体的に描写しています。「かるかや」(室町時代、16世紀)の挿絵は背景が描き込まれていない場面がしばしばあり、床に敷かれた寝床と背後に立てられているはずの屏風が重なるなど水平面と垂直面との描き分けができていなかったりするのですが、躊躇いのない線で伸び伸びと描かれた世界は生き生きとしていて、物語を伝えようとする力が感じられます。
…身近、と述べましたが物語の内容は必ずしも易しくはなく、多義的で考えさせられるもののように思います。妻子を残して出家した道心の物語「かるかや」は現代人には簡単には共感できないのですが、儚く移ろう現世への執着を断つことが救済に繋がるという仏教的な真理と同じぐらい家族の絆や情愛も普遍的で価値があるからこそ、仏門と家族とのあいだで板挟みになる人間の葛藤そのものがテーマになるのかもしれません。「藤袋草紙絵巻」(室町時代、16世紀)は軽はずみな言動を戒めるものでしょうか。ただ、畑仕事の手伝いをした猿がちょっと可哀想な気もします。「おようのあま絵巻」(室町時代、16世紀)は男女とも年甲斐もなく欲望に目が眩んでいて、人間の浅ましさや滑稽さに加え、もの悲しさも感じさせます。御伽草子の絵巻物を見ながら当時の人々は何を思っていたのでしょうか。何となく、時代は変わっても人間の本質的な部分は変わらないのではないかと思います。

第4章 景色をさがす

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「耳付花入」(桃山時代、17世紀)

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同上

…「景色」とはやきものを焼く際に炎がつくり出す多彩な表情のことだそうですが、決まった正面がない、というのは面白いと思いました。また、赤茶色の表面に白い長石の粒が吹き出ていたり、灰が黒く焦げて焼き付いていたりと、綺麗に整えられていない焼き物の肌に趣き、味わいを感じるというのも奥が深いと思います。
…完璧なコントロールによって作り出された作品の素晴らしさとはまた違う、偶然により意図せず生まれた表情を楽しむという鑑賞の仕方には、美しいものがあるのではなく、ありのままの姿のなかに思いもかけない美しさがあるという逆転の発想があると思います。それはまた、好みやその時々で眺める向きを変えることができる柔軟さや多様性を許容した開かれた美でもあると思います。しかし、そのためには、さまざまな角度から作品全体を隈無く理解する必要があり、美を見出す目を鍛える必要があるとも言えるでしょうし、作り出されたものにしても裏側だからと油断できないとも言えるでしょう。自由であるとは試されることでもあり、決して容易くはないのだなとも思いました。

第5章 和歌でわかる

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「白縮緬地雨に芭蕉流水模様小袖」(江戸時代、18世紀)

…「白縮緬地雨に芭蕉流水模様小袖」(江戸時代、18世紀)は白地に青や緑のすっきりと爽やかな色合いで、着物を大きく斜めに横切る雨風を表す直線とその直線の合間を緩やかに翻る芭蕉の葉の曲線とが対比されています。日本の伝統的な衣服である着物ですが、改めて見ると立体的な西洋の衣服とは異なり、平面性を生かした絵画的で大胆、斬新な意匠が目を引くように思いました。
…そうしたデザインの中でも、瑞々しく完璧な緑の葉ではなくあえて秋の嵐で破れた芭蕉の葉をモチーフにするというのが興味深かったのですが、これは和歌に詠まれてきたイメージを踏まえたものなのだそうです。会場では西行法師の「風吹けば あだに破れゆく 芭蕉葉の あればと身をも 頼むべきかは」が作品とともに展示されていましたが、朽ちた芭蕉の葉は伝統的に人の一生の儚さと重ね合わされてきたんですね。この世には華やかさや力強さばかりでなく、物寂しさやうら悲しさもあり、両者は表裏一体だったりもするのですが、そうした謂わば「裏」の情趣にも価値を見出し表現する美意識の繊細さと豊かさを感じることができました。

第6章 風景にはいる

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歌川広重東海道五十三次のうち 吉田」(1833~1834年)

歌川広重東海道五十三次(保永堂版)のうち 吉田」(1833~1834年)には城の周りに組まれた櫓の先端に片足立ちして辺りを見晴るかしている職人が描かれていて、風景を見ている人を鑑賞者が見るという入れ子構造になっています。ユニークな点景人物は単なる風景の添え物ではなく、風景をより生き生きと見せるためのナビゲーターであり、彼らを手がかりに内側から風景を眺めることで、壮大であったり幽玄であったりする自然に叙情的な奥行きが生まれ、鑑賞者も客観的に眺めるだけでなく情感の伴う体験をすることができるのでしょう。

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谷文晁「楼閣山水図」(1822年)

…谷文晁「楼閣山水図」(1822年)は霧の立ちこめる谷の険しさ、森の深さが人界から隔絶された秘境であることを感じさせます。右幅で老人と少年の主従が渡る橋は川を渡る橋であると共に、俗界と仙境という二つの世界を繋ぐ橋でもあるのでしょう。右幅と左幅に描かれた点景人物はそれぞれ山中の楼閣の主とその元を訪れる客人にも見えますし、浮世の悩みやしがらみのない境地に憧れて俗世を離れるまでの主従の旅路と、仙境に至ってからの下界を懐かしんでいる姿にも見えます。

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住吉派「隅田川名所図巻」(江戸時代、18世紀)

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同上

…「隅田川名所図巻」(江戸時代、18世紀)は隅田川沿いの名所を東側から捉えた絵巻で、江戸の庶民の様子が生き生きと描かれています。道端で話に花が咲いていたり、店のなかで品定めをしている人がいたり、亀を散歩させている子供もいれば、川では客や荷物を運ぶ沢山の船が行き交っていたりとバラエティに富んでいて、風景画と風俗画の要素を兼ね備えた作品とも言えそうです。しかし、賑やかで活気に満ちた街とは裏腹に、家の2階の窓辺で何をするでもなくぼんやり頬杖を突いている人物の姿もあります。皆が自分のしていることに夢中ななかで物思いに耽りながら往来の喧噪を眺めている視線は、鑑賞者の視線と重なり合います。彼は目当ての誰かが通りかかるのを待っているのかもしれませんし、活気に満ちた街そのものを俯瞰して楽しんでいるのかもしれません。