展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

1894Visions ルドン・ロートレック展

mimt.jp

…この展覧会は三菱一号館美術館の開館十周年を記念する展覧会で、三菱一号館が竣工した1894年を軸に、フランス象徴主義を代表する画家オディロン・ルドン(1840~1916)とポスターなどでも優れた作品を残したアンリ・ド・トゥールーズロートレック(1864~1901)をはじめ、当時の日仏の芸術家たちの作品で構成されています。
…タイトルに掲げられている二人の画家のうち、ロートレックの作品は約260点のロートレック作品を所蔵している三菱一号美術館のコレクションから出品されています。また、ルドンの作品は、三菱一号館美術館と十年以上前から交流を重ねてきた岐阜県美術館からの出品で、今回の展覧会は両美術館の共同プロジェクトでもあります。
…入場料は日時指定券で¥2,000と一般的な展覧会よりやや価格が高めですが、アプリでスマートホンに音声ガイドをダウンロードすると会期中は自宅でも音声ガイドを聞くことが出来るという特典があります。音声ガイドは会場で一度聞いただけだとせっかく興味を持っても内容を忘れてしまったりするので、あとから落ち着いて聞き直せるのは嬉しいですね。

…ルドンとロートレックは、それぞれ多数のリトグラフ作品を手掛けていますが、両者の作風は全く異なっています。ルドンの作品では奇怪、深淵、瞑想的な幻想の世界が黒一色で表現されています。対するロートレックリトグラフ作品はカラーで、華やかで軽やかな歓楽街の流行や風俗を大胆な構図と単純化された形体で表現しています。芸術作品と商業作品という目的の違いもあるのですが、版画という技法の表現の幅の大きさを感じました。
ロートレックは油彩画も手掛けていますが、代表的な作品というと《ムーラン・ルージュラ・グーリュ》(1891年)などのリトグラフの作品がまず頭に浮かびます。商業作品、とりわけ雑踏のただ中に貼り出されるポスターは無関心な通行人の注意を引きつける必要がありますが、逆に言えば目的のために大胆な構図やデフォルメが許容され、伝統的な形式に縛られない新しい様式をつくり出すことも可能だったと言えるでしょう。例えば《ディヴァン・ジャポネ》(1893年)は客席から身を乗り出してステージをのぞきこむような角度で描かれていますし、《ロイ・フラー嬢》(1893年)は舞台の上で翻るスカートが大きな蝶のように見えます。《ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)》(1893年)は弦楽器のネックが伸びてステージを額縁のように囲んでいるのも面白いですし、楽器の奏者の横顔はまるで音楽に合わせて波打っているかのように描かれています。
…街中で目にすることのできるリトグラフのポスターは描かれている内容も格式張らず、店や商品、街で人気の歌手や踊り子と誰にとっても身近な作品だったと思いますが、決して簡単に作れるものではないんですね。カラーと言っても色数には限りがあり、制作の工程は煩雑で専門の刷り師も必要と油彩画より手がかかる側面もあります。しかし、上述の《ロイ・フラー嬢》では版によって1枚1枚色が異なり、金粉や銀粉の吹き付け技法が用いられるなど変化をつける工夫が取り入れられていて、制約がある中でもニュアンスに富む表現を生み出すために多様な技法が積極的に試みられていたことが分かります。
ロートレックのカラーリトグラフでは赤や黄色など華やかな色と主に、しばしば黒が効果的に用いられています。例えば《ディヴァン・ジャポネ》ではイヴェット・ギルベールの羽根飾りの付いた黒い帽子や身体の線にぴったりと合ったドレスと燃えるようなオレンジ色の髪とが対比され、《アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレーにて》(1893年)ではこちらを振り返るブリュアンの黒い帽子と黒いコートとのあいだで、襟元の赤いマフラーが一層引き立っています。また、《ジャヌ・アヴリル(ジャルダン・ド・パリ)》ではステージで踊るジャヌ・アヴリルの黒い靴下を履いたフェティッシュな足が、ステージで高々と跳ね上げられて画面の中心を占めています。ロートレックの黒は他の色彩を引き立てるとともに、それ自体が艶やかな輝きを放つ洒落た色彩だと思いました。

…一方、ルドンは「黒は本質的な色だ」という言葉を残しています。ルドンにとって黒とは、精神の深いところから湧き上がってくる夢想を源としたとき、ただ明暗を象るだけでない、それ自体が生命力を持つ色でした。描き溜めた木炭画を元に制作された黒1色のリトグラフでは不可思議で幻想的な世界が表現されています。
…版画集『夢のなかで』〈Ⅷ 幻視〉(1879年)は、モローの《出現》に影響を受けたとされる作品ですが、豪奢なオリエントの宮殿や官能的なサロメは影を潜め、ヨハネの首の代わりに宙に浮かぶ巨大な眼球が輝いています。ルドンは「眼は、眼を養い、魂を養うさまざまなものを吸収するために不可欠である」と述べていますが、この作品自体が一つの幻視であると同時に、幻視する眼、精神の深い部分から湧き出る無限の夢想に形を与える眼の力を描いたものなのでしょう。広間の片隅で手を取り合う男女はそうした見えない何かを求めて、夢もしくは無意識の世界を彷徨っているのかもしれません。
…ルドンは「物体(オブジェ)の凝視、それらによって掻き立てられる夢想から舞い上がってくる像(イマージュ)」とも述べているので、人の顔を持つ種子や蜘蛛なども現実の物体を見詰めた結果であり、殊更に奇を衒った造形を企図したわけではないのかもしれません。しかし、不気味な異形たちは見慣れた物体や安定した秩序を揺さぶり、不安を掻き立てる反面で、奇怪な造形自体が魅力的でもあります。グロテスクな怪物たちのもたらす謎や混沌、畏れの念は人知の及ばない聖性と表裏一体であり、華やかで繊細な色彩で描かれた詩人や聖女たちと同じ根から咲いた花のようにも思われます。
…ルドン《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》(1898~1900年)は色彩の華やかさ、特に透明感のある青に目を引かれました。スフィンクスというモチーフはルドンが尊敬していたモローの作品を思い出させるのですが、モローのスフィンクスが女性の持つ抗いがたい魔力、理性によってコントロールできない官能の力を象徴しているのに対して、ルドンのスフィンクスは人間を超越した存在としての聖性をより強く感じます。ギリシャ神話のスフィンクスは謎かけに答えられない人々を食い殺した怪物ですが、エジプトでは王や神の守護者でもあったそうなので、この作品では豊かな内面世界を守る役割を果たしているのかもしれません。
…ルドンの《オフィーリア》(1901~1902年頃)は愛に殉じて水辺で命を落とした、という共通項から同じルドンの《オルフェウスの死》(1905年~1910年頃)とイメージが重なりました。固く目を閉ざしたオフィーリアの頭部が黒い闇に包まれているのは、オフィーリアの陥った精神の闇=狂気を表現したものでしょうか。オフィーリアの亡骸を運んだ川、オルフェウスの首と竪琴を運んだ川、川は日本でも西洋でも此岸と彼岸を隔てる境界であり、死を連想させますが、一方で、水は命の源であり、流れ着く海は母性の象徴でもあります。ルドンの作品からは水の持つ両義的なイメージが感じられますが、それは生と死が表裏一体であり、命の生まれる場所と還る場所が一つであることを示唆しているのかもしれません。

…ルドンとロートレックの作品以外では、ギュスターヴ・モロー(1826~1898)、山本芳翠(1850~1906)、ポール・セリュジェ(1864~1927)の作品が印象に残りました。
…ルドンはモローを尊敬していたそうで、そうした視点で改めてモローの作品を見ると、色彩や神秘的で幻想的な世界観に共通するものを感じます。
ギュスターヴ・モローピエタ》(1854年)は十字架から下ろされて力なく横たわるキリストの背をマリアが抱きかかえている姿が描かれています。周りには使徒マグダラのマリアとおぼしき姿も見えますが、マリアとキリストのみが舞台のような一段高い場所にいて、薄暗い荒野のなかで二人の光輪が星のように光っています。今更ではありますが、この作品を見て「ピエタ」は「聖母子像」と対になる図像なのだと感じました。「聖母子像」に描かれるキリストが母の胸に抱かれる幼子であるのに対して、ピエタのキリストは最早母の腕には収まらないのですが、たとえそれが救世主であってさえも母は母であり、最後まで子に寄り添って守ろうとしているように思われます。モローは母親との絆が強かったので、そうした点も影響しているのかもしれません。

岐阜県出身の洋画家山本芳翠は、ルドンも学んだジャン=レオン・ジェロームに1878年から1887年にかけて師事しました。岐阜県美術館が山本のコレクションを有しているとのことで所蔵作品が展示されていましたが、滑らかに仕上げられた堅牢な絵肌で、本格的、古典的な油彩画であるように思いました。戸外の自然のなかで横たわる女性を描いた《裸婦》(1880年頃)は、緑に映える女性の肌の瑞々しさや透明感、量感のある確かな肉体が理想化された美しさで表現されています。《浦島》(1893~95年頃)は日本人なら誰もが知る浦島太郎の物語を描いたもので、場面は浦島が故郷に帰るところでしょう。玉手箱を手に堂々とした姿で立つ浦島は力強く足を一歩前に踏み出していますが、背後の乙姫と竜宮城を振り返っていて名残を惜しんでいるようにも見えます。洋画として描かれているためか馴染みある昔話にもかかわらずエキゾチックな印象を受ける作品です。

…現実の再現から離れた新しい芸術を求めたナビ派の画家たちにとって、夢や無意識の世界を描いたルドンは尊敬の対象でした。ナビ派の一人であるセリュジェの作品は太い輪郭線や平面的な色面などを特徴とする装飾的な画風で、ときに黒で、ときに繊細な色彩のグラデーションで目に見えない世界の実感を表現しようとしたルドンとは異なりますが、神秘的な主題を手掛けた点でルドンへの傾倒も感じられます。
…ポール・セリュジェ《急流のそばの幻影 または妖精たちのランデヴー》(1897年)は中世風のドレスを着て花を播きながら川岸の道を進む妖精たちの行列を、手前の川岸から土地の住人とおぼしき人々が見守っています。人々は跪いていたり、帽子を手に取り手を合わせていたりして、妖精たちに敬意を払う姿勢を示していますが、彼らの姿は幻想の世界に対する画家の敬意を表してもいるのでしょう。精神の森の中で幻想と現実とが遭遇して起こす奇跡を表現している作品だと思います。《消えゆく仏陀――オディロン・ルドンに捧ぐ》(1916年)はルドンの画風に寄せて描かれています。魚たちが泳ぐ水の底に沈む仏陀は、精神の世界を見詰め続けたルドンの魂がその故郷に還っていったことを表現しているのでしょう。トカゲは不死を意味する生き物だそうなので、ルドンの芸術が不滅であることを象徴しているのだと思います。