展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

琳派と印象派展② 後期展示

…一つの展覧会に複数回足を運ぶのはなかなか難しいのですが、今回は俵屋宗達の《風神雷神図屏風》がどうしても見たくて、後期展示も見に行きました。また、「琳派印象派」展の場合は、展示コーナー自体が前期と後期で違うのも特徴だと思います。
…「序章 都市の様子」では前期の「京」の《洛中洛外図屏風》に代わって、「江戸」のコーナーが設けられ、《江戸図屏風》が展示されていました。《洛中洛外図屏風》と《江戸図屏風》は、金色の雲がたなびく都市の鳥瞰図という点が共通していますが、神社仏閣が立ち並んでいた京と違い、狩りを行っているような情景や馬場が描かれている点は武家の都である江戸の街らしいです。また、街の中を縦横に張り巡らされた川(堀)や船の浮かぶ海なども京にはない江戸らしい風景です。板橋、王子など馴染みのある地名も見受けられて、現在の東京がかつての江戸からいかに大きく変貌したか実感させられました。
…「第一章 the 琳派」では前期「墨の世界」に対し、後期は「物語絵」のコーナーが設けられて、《伊勢物語図色紙》などが展示されていました。俵屋宗達《蔦の細道図屏風》は、中央だけでなく、左隻の左端と右隻の右端の図も繋がっていて、蔦の細道がどこまでも続いているような感覚を抱かせる仕掛けになっています。この屏風は伊勢物語第九段東下りで、駿河国宇津山を行く業平が顔見知りの修行者と出会い、京への手紙を託す場面に由来するのですが、人物は描かれず、書かれた和歌も伊勢物語から取ったものではないそうです。伊勢物語を直接描写しているというより、業平の物語を踏まえつつ、見る人が自分自身でその旅路を追体験する装置なのかもしれません。暗い山と蔦の生い茂る細道が明暗で二分化され、様式化されて表現されていて、モダンで洗練された美意識が感じられる作品だと思いました。
酒井抱一・鈴木其一《夏図》は十二ヶ月を描いた掛け軸のうちの夏の三枚です。藤の花が四月、兜と菖蒲が五月でしょうか。残る一枚には、笹に巻き付いて舌を出すユーモラスな藁の妖怪(?)が描かれていて遊び心が感じられました。
…「第二章 琳派×印象派」の「水の表現」に展示されていた尾形光琳《白楽天図屏風》では、白楽天の乗った船が荒波に揉まれてほとんど垂直に描かれていたのが目を引きました。水自体の描写だけでなく、他のモチーフも用いてダイナミックに流動する水を効果的に表現しているんですね。
俵屋宗達風神雷神図屏風》は第二章の「間」のコーナーに展示されています。力を漲らせて躍動する気象の神を描いた作品で、見得を切った歌舞伎役者のような静の雷神と、雲を従えて疾走する動の風神とが対比され、両者のポーズやバランスは一度見たら忘れられないほど見事に嵌まっている一対だと思います。国宝であり、有名な作品なのですが、改めて実物を前にじっくりと見てみて、神様なのに見た目は明らかに鬼であるのが興味深く感じられました。風神も雷神も、頭には角が生えていて耳は尖り、蓬髪を振り乱していて、裂けた口や長い爪を持ち、ぎょろり丸い金色の目をしています。人間に寄りそう仏様と違って、神様は人間的ではないようです。強風や落雷といった自然現象(時に災害をもたらす)は畏れの対象であり、暴れたら害をなすこともある超越的な力そのもの=鬼は神様だという考えが背景にあるのかもしれません。日本人にとって鬼は、キリスト教的な悪魔とは必ずしも一致しないものなのだと思いました。
…「注文主」の一枚、《中村内蔵助像》は尾形光琳の唯一の肖像画で、若々しいですが風格がある人物像です。モデルの中村内蔵助尾形光琳の最大の後援者だったそうで、そうした関係の深さから普段は描かない肖像画を手掛けたのでしょう。作家が得意とするジャンルにはその作家の興味や持ち味がより鮮明に現れると思いますが、ほとんど手掛けなかったジャンルというのもまた別の意味で興味深いと思います。マネは肖像画の名手でしたが自画像は2点のみで、そのうちの1点が「第三章 the 印象派」の「都市市民の肖像」として出品されています。背景は室内でも戸外でもなく、手は上着のポケットに入れられて、画家であることを示す絵筆やパレットといった小道具もありません。何者でもないありのままの自分と向き合って描いたのでしょうか。背筋をまっすぐ伸ばして足を一歩前に踏み出したポーズや眼光の鋭さからは、マネの誇りの高さが感じられるように思いました。
…「終章 都市を離れて」を飾るセザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》、及び鈴木其一《富士筑波山図屏風》は、いずれも実景であると共にシンボリックな山を描いた作品です。会場では屏風のあいだにセザンヌの作品が展示されていて、両作品の視点と視野の違いが感じられました。セザンヌの《サント=ヴィクトワール山》は山との距離が近く、山に迫るような、あるいは山が迫ってくるような印象を受けます。一方、鈴木其一の《富士筑波山図屏風》のほうは前景に船の浮かぶ霞ヶ浦などが描かれていて山を望む空間の広がりが感じられるなか、遠くにありながらなお際立って高く聳える山の姿が印象的です。描き方は違いますが、雄大な山の力強さやどっしりとした存在感が感じられました。
…所要時間は石橋財団コレクション選も含めると2時間半から3時間、アーティゾン美術館の所蔵作品は写真撮影可能です。作品個別の展示解説はなく音声ガイドのみなので、会場に入る前にアプリをダウンロードしておくことをお薦めします。ただ、機器によるのかもしれませんが、私の場合はアプリの音声ガイドを使用するとスマホのバッテリーの消費が著しくてちょっと慌ててしまいます。なお、ガイドがあるのはアーティゾン美術館の所蔵作品のみで、他の美術館などからの出品作については図録にも作品解説はありませんでした。