展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

「あやしい絵」展 感想

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稲垣仲静《猫》(1919年頃)


会期

…2021年3月23日~5月16日

会場

東京国立近代美術館

見どころ

…「あやしい絵」展は幕末~昭和初期にかけての日本美術から、ただ綺麗なだけではない謎や毒をはらんだ絵画、版画、挿絵などの作品約160点を紹介する展覧会です。
…出品作には亡霊・妖怪・スプラッタなどを主題とする不気味で怖い作品や人気小説に基づく耽美で退廃的な作品、ファンタジーを形にした作品もあれば、逆に醜悪さも余さず克明に描写したリアリズムの作品もあり、陽の当たる、ある種「王道」の美しさとはひと味違った「あやしい」魅力を味わうことができます。
…また、当時の作品に影響を与えたミュシャのポスターやラファエル前派の絵画など西洋美術作品も合わせて展示されています。
…出品作の多くは女性がモデルで、男性画家だけでなく女性画家も女性を描いています。作家は美しいだけではない危うさや激しさ、時には恐ろしさを兼ね備え、理屈では割り切れない魔力で男性を虜にして運命を狂わせる女性を「あやしい」と感じて表現したいと思うものなのかもしれません。

感想

…曾我簫白《美人図》(18世紀)はビリビリに引き裂かれた手紙を噛む仕草で、女性の悔しさや恨みなど内心の激しい感情が表現されています。着物の裾から見える襦袢の鮮やかな赤が血の色のようで、禍々しくも感じられる作品です。
…田中恭吉は今回の展覧会で初めて知った作家で、木版画が展示されていました。女性の身体から生えた植物が花を咲かせている《冬蟲夏草》(1914年)は、モチーフを正面中央に配置するモニュメンタルな構図で、日の光の下で咲き誇る命が他の命を喰らっていることを象徴しています。私は梶井基次郎の「桜の木の下には」(1928年)を連想したのですが、梶井が結核を患っていたように、田中も病身を押して作品を制作していたそうで、死生観に共通するものがあるのも分かるような気がします。
青木繁の《運命》(1904)は海の波間で泡のようなものを抱える三人の運命の女神が描かれていますが、青木にとって、海は太古から存在した人間の生命の始源であり、泡は人にとって欠くことの出来ない命を繋ぐためのものなのだそうです。兄の釣り針を探しに海底に下りた山幸彦が妻となる豊玉姫と出会う場面を描いた《海神のいろこの宮》(1907年、アーティゾン美術館所蔵)では、泡は赤い衣を着た豊玉姫の足元から立ち上っていて、二人が結ばれて子に恵まれる未来を暗示しているかのようです。《大穴牟知命》(1905年)は古事記に取材しつつ、女性が男性に生命力を分け与えて救うという主題を表現していると思われますが、乳房を差し出している蛤貝比売が見ているのは倒れている大穴牟知命ではなく画面のこちら側です。彼女が命を与えようとしている相手はむしろ画面のこちら側の存在であり、画家自身や、さらには鑑賞者を始めとする普遍的な人類であることを示唆しているのかもしれません。
安珍清姫の物語は清姫の愛情を一途でひたむきな純愛と捉えるか、身を焦がすような激しい恋慕と捉えるか、狂気のような執着と捉えるかで表現の仕方も変わってくるように思いました。一つの物語の解釈の違い、作家による表現の違いが面白かったです。
…橘小夢の作品も今回初めて目にしましたが、耽美的、退廃的でまさに「あやしい」魅力があるように思います。《刺青》(1923年/1934年)は谷崎潤一郎の小説を題材とした作品で、清らかな少女の白い肌とグロテスクな女郎蜘蛛の刺青という対局にあるものが一体化しています。かなり際どく、正直悪趣味すれすれのように感じましたが、美しいものを汚したいという潜在的な欲望を表現されているのでしょうか。あるいは逆に、人を魅了する美は根源に人間離れした禍々しさを宿しているように感じているのかもしれません。そう思って見ると、奇怪な蜘蛛は抗いがたい力に対する畏れの裏返しとも言えそうです。
泉鏡花高野聖」は、小説に基づく図像が挿絵や芝居の絵看板、独立した絵画作品など多様な形式で表現されていて、いわゆるメディアミックスのはしりと言えそうです。取り上げられる場面が共通しているため、かえってそれぞれの作家の個性が際立つように思います。
鏑木清方の作品は繊細優美でしっとりとした情趣が魅力で、日本画らしい日本画だと思いました。手拭いを咥え、浴衣の片肌を脱いで佇む《刺青の女》(1913年頃)は、女性の纏う匂い立つような色気が感じられる作品です。刺青は江戸時代に庶民の間でさかんに流行したものの、明治時代になると取り締まられるようになったそうですから、湯上がりとおぼしき女性は物思いに耽っているうちに、本来秘めておかなければならないものをつい晒してしまったのでしょうか。露わになったのは女性の肌である以上に、その刺青に込められた思いであり、鑑賞者は彼女の秘密を垣間見てしまったことで、より画中の女性に惹きつけられるのかもしれません。
…植村松園の《焔》(1918年)は女性の足元が闇の中にぼやけていて、生身ではない生き霊であることが表現されています。着物の柄の藤の花と蜘蛛の巣は絡みつく藤の蔓、獲物を捕らえる蜘蛛の巣など、六条御息所の執念深いイメージが重ねられていますが、生き霊の表情は悲しくも恨めしげで、ただ恐ろしいだけでない哀れを感じます。囚われているのは実は御息所自身なんですよね。この冷気が漂う作品に「焔」とタイトルを付けたのは秀逸だと思います。熱い恋の炎ではなく、鬼火の炎を描いた作品です。