展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 感想

【目次】

概要

会期
…2021年9月18日~12月12日

会場
東京都美術館

展示構成
1 芸術に魅せられて
 :ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラーミュラー美術館の創立者(3点)
2 ヘレーネの愛した芸術家たち
 :写実主義からキュビスムまで(18点)
3 ファン・ゴッホを収集する
 3-1素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代(20点)
 3-2画家ファン・ゴッホ、オランダ時代(8点)
 3-3画家ファン・ゴッホ、フランス時代
  3-3-1パリ(5点)
  3-3-2アルル(6点)
  3-3-3サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ(8点)
特別出品 ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション
 :オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション(4点)

gogh-2021.jp

見どころ

…この展覧会はゴッホをテーマとした展覧会でしばしば目にする「クレラー=ミュラー美術館」のコレクションによって構成されています。出品作は油彩画、素描等68点、うちゴッホの作品素描20点、油彩28点です。ゴッホ作品の他、クレラー=ミュラー美術館の創始者であるヘレーネが収集に力を入れた19世紀後半から1920年頃を代表する画家たちの作品も展示されています。また、ファン・ゴッホ美術館からゴッホの作品4点が特別出品されています。
…今回の展覧会の解説では「精神性」という単語を度々目にしました。ヘレーネは作品に表面的な装飾性よりも、高次元の理念や感情を込めた精神性を求めたのでしょう。ゴッホ作品は人物画はもちろんのこと、静物画や風景画にも画家の込めた意味や思いが感じられて、両者の精神性が共鳴したのだろうと思いました。また、ゴッホ作品の評価が高まるに当たり、ヘレーネがまとめてゴッホの作品を買い上げたことが寄与しているそうで、作品の評価は作品の良し悪しだけでなく需要=コレクターの存在も大きいということが興味深かったです。ヘレーネのコレクション形成に当たっては美術教師で収集家、批評家でもあったブレマーのアドバイスによるところが大きいのですが、ヘレーネ自身の興味や価値観も反映されていて、ヘレーネはフォーヴやドイツ表現主義はあまり好まなかった一方、ファンタン=ラトゥールを高く評価していたそうです。
…入場に当たっては日時指定予約券が必要です。当日券の場合、平日でも美術館到着後すぐに入場するのは難しそうでした。会場内はかなり涼しく、肌寒く感じる程でした。ゴッホの素描の展示コーナーは他のコーナーより照明が暗めです。大半の作品には展示解説があります。私が行った時はどの作品の前も二列ぐらいの行列になっていて、会場内の休憩用の椅子に座りたくなっても座れない状況でした。グッズも種類が多く、会場内のショップも混雑していました。なお、サンリオのキャラクターグッズが会場内のショップとは別コーナーで販売されていました。所要時間は90分程度ですが、どの作品も最前列で見ようとするならそれなりに時間が掛かると思われます。ゴッホ作品の人気ぶりを改めて実感しました。

感想

フローリス・フェルステル《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》(1910年)、《H.P.ブレマーの肖像》(1921年)

…同じ画家による肖像画でも十年余りで随分画風が変わっていますね。前者は緻密で写実的、後者の方は大まかで大胆な筆遣いでモデルを捉えています。ヘレーネ自身は自分の肖像画を自分らしさが表現されていないと感じてあまり気に入らなかったそうです。写真と照らし合わせてもよく似ているし、慎重かつ丁寧に描かれていると思うのですが、そのため少し固い雰囲気もあるかもしれません。また、客観的な印象と主観的な意識とではずれがあることもしばしばです。内面まで写し取ってほしかったというのは精神性を重んじるヘレーネらしい感想だと思いました。

カミーユピサロ《2月、日の出、バザンクール》(1893年)

印象派らしい風景画で、早春・早朝という始まりを予感させるシチュエーションが淡く朝日に色づいた空に表現されています。曲がりくねった川沿いには木立が点在し、遠景に教会を中心とするバザンクールの村の家並みが見える穏やかで心地よい作品だと思います。ブレマーは印象派をあまり評価しなかったそうですが、ヘレーネはこの作品の他にも印象派、新印象派の作品を収集しています。

ヨハン・トルン・プリッケル《花嫁》(1892~1893年)

…花嫁といってもこの作品の場合は神の花嫁で、おそらく神との神秘的な結びつき、精神的一体感を表現しているのでしょう。単純化、抽象化された描線でヴェールを被った花嫁と十字架のキリストが描かれ、花嫁の花冠とキリストの荊冠とが繋がり、両者の間の霊的な結びつきを示すように黄色の点描が描かれています。緑を基調とした繊細な色調の背景は古風な建物の廃墟のようにも見えます。初めて知った作家ですが、とても印象に残った作品でした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《風車「デ・オラニエブーム、ドルドレヒト》(1881年)、《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886年)、《モンマルトル:風車と菜園》(1887年)

…「デ・オラニエブーム」は製材所であり、日常の生活、労働と密着しています。同時に、風車は平坦なオランダの大地のランドマークでもあり、ゴッホは故郷を象徴するモチーフを悉に観察して描いています。その後、パリに移住して弟のテオとモンマルトルで暮らしていたゴッホにとって、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車は故郷の記憶を呼び起こすものだったのでしょう。ゴッホルノワールの描いた「花の都」パリらしい活気に満ちた華やかさより、周辺に広がる鄙びた風景を好んだように感じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り込んだ柳のある道》(1881年)

…オランダの柳は日本の柳の木と異なり、幹が太く、細い枝が腕のように上に向かって伸びているんですね。ゴッホは「僕はあらゆる自然、たとえば木の中に、いわば表情と魂を見る。刈り込まれた柳の並木は、時として、身寄りのない男たちの列に似ている」と手紙で述べています(書簡292/242)。「身寄りのない人」とは養老院に暮らす男女のことで、ゴッホはハーグ時代(1882~83年)、彼らにモデルとなってもらって人物の素描に取り組んでいますが、刈り込まれた裸の柳の木に寄る辺ない人々の孤独や憂愁を見たのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ《女の顔》(1884~85年)、《白い帽子を被った女の顔》(1884~85年)

…いずれも《ジャガイモを食べる人々》(1885年)に結実する農民の肖像です。ゴッホの友人ウィレム・ファン・デ・ワッケルは、ゴッホがいつも「醜いモデル」を選んでいたと述べていますが、ゴッホは人生が刻まれた顔、農民の粗野な感じが強調された顔を探していたそうです。私が見ても味のある顔、個性があり、人生を感じられる顔だと思います。ゴッホが何を美と見做しているか、何を表現したいかがよく分かる作品だと思います。

フィンセント・ファン・ゴッホ《リンゴとカボチャのある静物》(1885年)、《青い花瓶の花》(1887年)、《レモンの籠と瓶》(1888年)

…オランダ時代の《リンゴとカボチャのある静物》は暗い色調で描かれていて、テーブルに置かれた農作物にはどっしりとした存在感があり、ゴッホの思想が感じられる作品です。《青い花瓶の花》はゴッホにしてはお洒落な作品で、印象派や新印象派の手法を取り入れ、赤、白、黄、水色、紫、オレンジといった色鮮やかな花束を軽いタッチで描いています。《レモンの籠と瓶》ではゴッホの画風が確立されていますね。黄色いテーブルクロスの上に籠に入ったレモンが置かれ、籠の藁、レモンの一部やオレンジは赤い縁取りが施され、影は水色、背景は淡い黄緑色で緑の瓶も馴染んでいます。黄色を主に、奇抜なようでいて微妙な色合いを繊細に描き分けている作品だと思います。

フィンセント・ファン・ゴッホ《サント=マリー=ド=ラ=メールの海景》(1888年)

ゴッホの海景画は初めて見たのですが、ハーグ時代にはしばしば描いていたそうです。この作品では南仏の青空の下、広々とした青い海原に緑の波が立ち、白い帆を張った船が浮かんでいて、伸び伸びと明るい印象の作品です。目を引く赤いサインは緑の波との補色効果を狙ったものとのことです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》(1888年)

…まばゆい黄色の太陽と空、収穫を待つ実った畑を背後に、紫とオレンジの畑で種をまく農夫は堂々として神々しささえ感じられます。暮れては昇る太陽は種まきから収穫へと繰り返す季節の循環や作物を育てる生命力、労働の尊さの称賛など多義的な意味合いを帯びているのでしょう。個人的に今回見た中では一番ゴッホらしい作品だと感じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《悲しむ老人(「永遠の門にて)》(1890年)

…オランダ時代の素描を元に油彩で描いた作品で、暖炉の側で椅子に腰掛け、額に拳を当ててうなだれている老人が描かれています。青ざめた色調で描かれた老人と対照的に赤々と燃える暖炉の火が印象的です。椅子に蹲る老人のポーズは悲嘆や慟哭を感じさせ、苦悩に苛まれていたゴッホ自身が重ね合わされています。「永遠の門」というタイトルも示唆的ですが、命の終わりを悲しんでいるのでしょうか、それとも天国に通じる門が見つからなくて悲しんでいるのでしょうか。あるいは永遠の魂とは苦悩や困難といった試練を経た果てに存在するのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年)

…画面中央で黄色いヨシタケの茂みを背後に、一際背の高い糸杉の黄が炎のようにうねりながら天に向かって伸びています。糸杉の緑には白みがかった緑、鮮やかな緑、枯れたような黄みがかった緑、暗い緑と様々な色合いが用いられています。糸杉を挟んで夜空には右に三日月、左に星が輝いていて、画面左下から右へと視線を誘導する坂道の手前では一日の作業を終えた二人の男性が連れ立って歩き、奥の方から黄色い馬車が向かってきています。道の彼方には家があり、その周囲にも糸杉が立っています。糸杉の垂直性、空の高さの強調と遠景の家へと向かう道の水平性、奥行きとが対比されています。ゴッホは手紙で「もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。ひまわりの絵のようになんとかものにしてみたいと思う……その輪郭や比率などはエジプトのオベリスクのように美しい。それに緑色のすばらしさは格別だ……そして糸杉は青を背景に、というよりは青の中にあるべきだ」*1と書いています。メトロポリタン美術館の《糸杉》も青い空に三日月が浮かんでいるのですが、糸杉・青・月はヒマワリ・黄・太陽と対をなす組み合わせだったのかもしれません。

*1:ゴッホ展」(2019年上野の森美術館)図録P188

「ポーラ美術館コレクション展 甘美なるフランス」感想

《概要》

会期

…2021年9月18日~2021年11月23日

会場

…Bunkamuraザ・ミュージアム

www.bunkamura.co.jp

《見どころ》

…この展覧会のタイトル「甘美なるフランスLa Douce France」とは、美しく、穏やかで、稔り豊かなフランスとその文化を賛美する古くからの言い回しだそうです。

…ポーラ美術館のコレクション展は東京では15年ぶりの開催とのことで、印象派からエコール・ド・パリまで油彩画74点及び当時の工芸品12点が出品されています。

…展示構成は概ね年代順となっています。

 1 都市と自然 モネ、ルノワール印象派
 2 日常の輝き セザンヌゴッホとポスト印象派
 3 新しさを求めて マティスピカソと20世紀の画家たち
 4 芸術の都 ユトリロシャガールとエコール・ド・パリ

…19世紀後半から20世紀前半を代表する画家たちの作品を一度に見ることができると共に、各時期において前衛的だった表現、技法の変遷を辿ることができる展覧会です。

…絵画作品は全てに展示解説ありました。所要時間は90分程度です。

《感想》

クロード・モネ《散歩》1875年

…背後に緑の並木が立ち並ぶ、なだらかな花咲く丘を散歩する妻と息子、その乳母を描いた心休まる田園風景です。日差しの中でパラソルを差す女性の表情を描かなかったという点が、セザンヌの水浴図の没個性的な人物像と似ているように思います。鑑賞者としては人物の顔が描かれると、個性や感情から物語を読み取りたくなりますが、画家が表現したいものは別だったのでしょう。モネは光に満ちた風景と調和し一体となった人間を表現したかったのかもしれません。

クロード・モネ《睡蓮》1907年

…池の岸辺も水平線も描かれていないため、群生する睡蓮にまるで空に浮かぶ雲のような浮遊感があります。よく見ると、画面下側の前景の睡蓮は視点が上からですが、遠景である画面上部に向かうに従って側面からの視点に滑らかに移行していることで奥行きを感じることができます。画家は絵になる光景を切り取るものですが、この作品は画面の外側まで池が広がっていくような感覚を覚えます。

ピエール・オーギュスト・ルノワール《レースの帽子の少女》1891年

…まさに「甘美なるフランス」と呼ぶに相応しい作品の一つです。少女は白いレースにピンクのリボンのついた帽子から豊かな金髪を垂らし、夢見るような青い瞳で微笑んでいます。ドレスはおそらく白いのでしょうが、ピンク色を帯びていて襞は青い影で描かれています。モデルは不明だそうですが、ルノワールの中の永遠の少女像が表現されているのかもしれないと思いました。

ポール・セザンヌプロヴァンスの風景》1879~1882年

…からっと晴れ渡る南仏の空から降り注ぐ光の明るさ、物の輪郭がくっきりと見える光の強さが印象的な作品です。山の斜面に建つ赤い屋根の家々は幾何学的な形態であまり斑のない色の塗り方がされています。対して斜面を覆う樹木は細長いタッチを重ねることで盛り上がる有機的な木の茂みが表現されています。セザンヌにとっては馴染み深いと同時に愛する郷里を象徴する風景の一つなのでしょうね。

ポール・シニャック《オーセールの橋》1902年

…フランスのブルゴーニュ地方の都市オーセールの風景で、遠景は橋の向こうの大聖堂や修道院が光を浴びて赤みがかって描かれ、前景では暗い青みを帯びた色調で逆光の中、河岸で作業する人や釣り人の姿が描かれています。鑑賞者の視覚において混じり合うよう緻密な点描技法で描かれたカミーユピサロ《エラニーの花咲く梨の木、朝》(1886年)と比べると点描は大きめの長方形で、シニャックが独自の領域に到達していることが分かります。また、点描にピンクや水色、ミントグリーンやラベンダー色といった白を混ぜたパステルカラーが多用されていて、色とりどりの点描が織りなすハーモニーを柔らかなものにしているように感じられました。

ピエール・ボナール《浴槽、ブルーのハーモニー》1917年頃

…カーテンで仕切られた日の差し込む浴室で、ボナールのパートナーであるマルトが身体を洗っている姿を描いたものです。マルトの量感ある有機的なフォルムと床のタイルの幾何学模様が対比されています。かつて裸体は女神など高次の神聖な存在であることを示すものだったのですが、この頃には親密な空間にまで下りてきて、具体的でリアルなものになっていることが分かります。青と黄の色彩が響き合っている作品です、

アンリ・マティス《襟巻の女》1936年

…背景が中央の女性を境に青と黄に分かれていて、床は赤く、三原色で表現されています。背後や女性のスカートの黒い格子模様が印象的で、モンドリアンコンポジションを彷彿させられました。対照的に、女性の身体や首元の襟巻はしなやかな曲線で表現され、襟巻の模様も流れるようにリズミカルに描かれています。緊張感のある背景と寛いで微笑む女性のバランスが絶妙な作品だと思います。

ラウル・デュフィ《パリ》1937年

デュフィの作品には独特の透明感があるのですが、これは線描の上から画面全体を薄く透き通るように塗っているためです。一方でエッフェル塔などは、布地に施された刺繍のようにくっきりと輪郭が上書きされています。四枚の縦長のカンヴァスを屏風に仕立てた装飾美術作品で、1924年に「パリ」をテーマにデザインした家具用のタペストリーの図案を発展させたものだそうです。この作品では朝、昼、夕、夜という時間の経過が取り入れられ、いつも華やぎを失わないパリが軽快、洒脱に表現されています。

パブロ・ピカソ《帽子の女》1962年

キュビスム的に横顔と正面から見た顔が結合されているのかと思って線描を辿ると、単純な組み合わせではなく迷路にはまったような感覚を覚えました。手も向かって右側は赤いドレスの袖に白い手ですが、左側はの手は青く、何かを握るように丸められていて、モデルの明朗な陽気さと静かな黙想が一つになっているようにも思われます。モデルの全てを捉えようとする画家のまなざしが意識される作品です。

アメデオ・モディリアーニ《ルネ》1917年
マリー・ローランサン《女優たち》1927年頃
キスリング《ファルコネッティ嬢》1927年

モディリアーニとキスリングの作品に登場する女性たちは進歩的で中性的、そしてリアルな女性像ですが、対して女性画家であるローランサンの描く女性らしい女性たちは現実から離れた女神や妖精のようで女性というファンタジーを表現しているように感じられ、その違いが興味深かったです。

モディリアーニの作品のモデル、ルネは1917年にキスリングと結婚した女性で、彼女のファッション――シャツにネクタイを締めてジャケットという服装はギャルソンヌ・スタイルと呼ばれ、第一次世界大戦を機にパリで流行したそうです。瞳が水色に塗りつぶされていて視線が描かれていないのは内面の憂いや悲しみを表現したものでしょうか。薔薇色の唇は微笑んでいますが、目は涙のようにも見えます。

ローランサンの《女優たち》は女性だけの世界、男性の立ち入れない領域を表現してるように思いました。男性に見られるだけの存在ではない女性たちの秘密の花園のようです。

…キスリングの《ファルコネッティ嬢》は男性のように短い黒髪と胸元の大きく開いた妖艶な赤いドレスの対比が印象的です。赤いドレスや花と緑の椅子、緑の葉の補色が効果的に用いられています。

シャイム・スーティン《青い服を着た子供の肖像》1928年

…一見して少女か少年か分からなかったのですが、モデルは少女だそうです。暗い色合いの背景、濃い青色の服に鮮やかな赤い襟が目を引きます。少女は腰に手を当て、不機嫌で反抗的な顔つきをしつつも、こちらを窺っているような目つきで、「可愛げのない子供」が逆に子供らしさを感じさせる作品だと思いました。

キース・ヴァン・ドンゲン《乗馬(アカシアの道)》

…「アカシアの道」はパリ郊外の行楽地、ブーローニュの森の中心地です。この作品は道を真正面から描いていて、明るい色彩が日差しの明るさやレジャーの愉しみを感じさせます。左から乗馬する夫妻、馬車に乗る紳士、自転車に乗る男性、そして右端に洒落た服を着てそぞろ歩く人々と様々な手段で道を行き交う人々が対比されているのが興味深かったです。

マルク・シャガール《私と村》1923~1924年頃

第一次世界大戦の混乱によって、画家本人も知らないうちに売却されてしまった過去の作品を復元したものの一つです。画面に大きく描かれた緑色の横顔の人物と白い牝牛が向き合っていてインパクトが強いですね。なぜ人物が緑色なのかと不思議に思いましたが、赤い背景との補色効果や、大地を覆う緑の植物、作物の稔りに象徴される生命力を象徴しているのでしょうか。実際、人物が手にしているのは生命の樹なのだそうです。白い牝牛の顔の中には乳搾りをする人物が描かれていますが、シャガールの故郷のヴィテブスクのユダヤ人社会では伝統的に動物を大切にしたそうで、その恵みによって生きていることを表現しているように思われます。画面の上部には鎌を持った男性と逆さまに描かれた女性がいて、よく見る女性の上に描かれた家も逆さまになっています。重力を感じさせないシャガールらしい表現なのかもしれませんし、あるいは地面の下、地球の裏側を描いたのかもしれません。人間と自然、男性と女性、宇宙と地上といった対照的なものが一つの画面に収められて、シャガールの世界観が伝わってくる作品だと思いました。

国宝鳥獣戯画のすべて 感想

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会場

東京国立博物館平成館

会期

…2021年4月13日~6月20日(当初は5月30日まで)

chojugiga2020.exhibit.jp

見どころ

…国宝「鳥獣戯画」全四巻について、現存する全場面を会期中に一挙公開するのは史上初のことだそうです。さらに原本から分かれた断管や原本では失われた部分も描き残されている模本も合わせて公開され、まさに鳥獣戯画の全てを見ることが出来る展覧会です。
…この展覧会は、新型コロナウィルスの流行に伴う感染症予防対策で昨年開催できなくなってしまって残念に思っていたのですが、改めて今年開催することができて良かったです。今年も会期中に緊急事態宣言が発令されてしまいましたが、会期を延長し、休館日なしで開館するなど関係者の並々ならぬ尽力のおかげで、私もこうして鑑賞する機会を得られたことに深く感謝したいと思います。
…チケットは日時予約制です。毎日、公式のツイッターで販売状況がお知らせされていますが、いつも完売してしまっているようです。すごい人気ですね。
国立博物館の入口で電子チケットの確認と体温のチェックがありました。一度に入場する人数を制限しているため、私の場合は平成館の入口(テントが張ってあります)で十分ほど待ちました。平成館の中に入場する際に、再度チケットの提示が必要です。会場内への傘の持ち込みは禁止、ロッカーに荷物を預けることは可能です。会場はエスカレーターを上がった2階にあり、第1会場(鳥獣戯画全4巻が展示されている)と第2会場(鳥獣戯画の断管と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び明恵上人の紹介が展示されている)に分かれていて、どちらからでも入場可能です。空いている方から入場するようにアナウンスされていて、私は第2会場から先に入場しました。入れ替え制ではありませんが、鑑賞時間は90分を目安にしてほしいそうです。
…「鳥獣戯画」全四巻が展示されている第1会場は予約制により人数制限されていても、やはりかなりの行列でした。動く歩道で鑑賞するのは甲巻の展示コーナーのみで、他の巻については、前の方で見ようと思うとどうしても並ばざるを得ないんですよね。第2会場の展示作品もありますし、90分で収めるにはよほど効率よく回る必要がありそうです。ミュージーアムショップも混雑していましたが、レジも多いので待ち時間はそれほど長くはなかったです。

感想

第1会場

…「鳥獣戯画」と聞いたとき、私がこれまでイメージしていたのは甲巻のみで、実際は全四巻ある巻物の内容がそれぞれに違っていることを今回知ることができました。乙巻は前半が実在の動物、後半が想像上の動物などをぞれぞれ図鑑のように描いたもの、丙巻は前半が人物同士の勝負事、後半が動物同士の勝負事を描いたもの、丁巻は人物のみで他の巻で擬人化されて描かれていた場面が改めて人間によって再現されていたりします。一人の描き手によって成立したわけではなく、甲巻と丁巻では明らかに筆遣いが違いますし、同じ甲巻でも前半と後半では動物の表情が違っていたりして、色々な人たちが手を掛けて成立していることも分かりました。平安末期から鎌倉時代にかけて、時代を超えて書き継がれてきたのはそれだけ描いてみたいと思わせる魅力のある主題、作品であったということなのでしょう。教訓のようでもあり、風刺のようでもあり、巧みに人間の振りをしている動物たちがユーモラスに感じられるのは、私たち人間の普段の行いが客観視されるためでしょう。少し離れて冷静に己を省みるよう促されているようでもあります。乙巻には馬や犬や鶏といった実在の身近な動物と、象や獅子、麒麟や龍といった当時の日本にはいなかった動物や想像上の動物が描かれていますが、後者は何か元になる図案を見て描き写したのではないかと考えられるそうです。また、乙巻の鶏や象を見ているうちに若冲の作品を思い出してしまいました。若冲も動物が好きで多くの作品を描いているためでしょう。甲巻には蛙の本尊を前に法会をする猿が描かれていますが、そう言えば若冲は野菜や果物を入滅する釈迦と弟子たちに見立てた涅槃図を描いていたことも思い出したりしました。寺院に伝わっている作品ですし、法会や祭礼の様子が描かれているのは宗教的な意味もあるのかもしれませんね。丙巻では老尼と若い男の僧が首引きをしていたり、太った男性と痩せてあばらの浮いた男性が腰引きしていたりと、勝負の組み合わせが対照的になるように工夫してあるのが面白かったです。双六で負けて身ぐるみ剥がされた男の妻が悲しんでいたり、謹厳であるべき僧もにらめっこには大笑いしていたりと悲喜こもごもの人間たちが描かれています。闘鶏は神事でもあったそうで、一口に勝負事と言っても幅広く、神聖なものであったり、愉快なものであったりして日常を忘れさせてくれる面もありますが、くれぐれものめり込まないように…というところでしょうか。丁巻は筆運びが太く滑らかで迷いがなく、洒脱な印象を受けました。法会の場面は甲巻に、験比べ(僧や修験者が法力を競い合うこと)の場面は丙巻にそれぞれありますね。厳粛な法会の最中、背後で縄が切れてひっくり返った男を振り返る男の姿は、甲巻のひっくり返った蛙を見物する野次馬を思い出させますし、牛車の牛が暴走する場面は、甲巻の逃げ出した鹿と丙巻の祭りの山車に見立てた荷車が組み合わされているようでもあります。丁巻は全体的に以前の巻のパロディとして描かれているのかなとも思いました。
…私の場合は甲巻は列に並んでパネルを見つつ順番を待ち、動く歩道で作品を見て、乙巻は諦めて列の後ろの方から見て、空いていた丁巻を先に見たあと丙巻に回ったのですが、ここが混雑していてどうしても列に並んで待たざるを得ませんでした。

第2会場

…第2会場は断管(原本から分かれた一場面が掛け軸の体裁で保存されているもの)と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び中興の祖である明恵上人の紹介で、第1会場に比べると空いていたこともあり、時間をかけてじっくり見ることができました。
鳥獣戯画の場合、巻物自体に色々な場面が描かれているため、全体から一場面だけが分かれて掛け軸に仕立てられても成立するんだなと思いました。また、兎や蛙といったキャラクターたちのポーズがある行動、動作の特徴を的確に捉えつつユーモアを交えて誇張されていて、まさに「漫画的」なんですよね。ある種の典型的なポーズとして、印象的だし複製・流用して拡散したくなる原型のように感じられます。説明がなくても、見ただけで何をしている場面なのか分かるというのは実はすごいことだと思います。おそらく、世界中の誰が見ても分かる。ベースとなる物語や寓意の象徴体系を知らないと分からない西洋の古典絵画と比べると、一体何のために、誰に向けてこれを描き残したのかということも含めてその違いを明確に感じます。仏教を学び信仰を深めるための古刹で、こんな愉快な人間味溢れるものも大事に保管されていたというところに懐の深さやバランス感覚を感じました。片方だけでは偏ってしまうんでしょうね。
高山寺明恵上人については、夢の記録で有名なのは知っていたのですが、今回初めて知ったことも多く、例えば明恵釈尊を慕って天竺(インド)に渡りたいという希望を持っていて旅行計画まで立てていたそうです。さすがに実現はしなかったのですが、故郷紀州の湯浅湾に浮かぶ苅藻島を毘盧遮那如来と見做して島に宛てた手紙を送ったり、同じ湯浅湾の鷹島に滞在して西方に見える島(四国)を天竺に見立てて礼拝し、そこで拾った小石「蘇婆石・鷹島石」を肌身離さず大切にしたそうです。海は繋がっているから、遙か彼方の天竺から流れてきたその水で洗われたと思うと小石も尊いと考える明恵からは釈迦、そして仏道への強い情熱が感じられますし、繊細で豊かな感性や万物に対する深い情愛を持つ人物なのだろうと思いました。小首を傾げた可愛らしい仔犬の木像も大切にしていたそうです。実は今回の展覧会で一番印象に残ったのが明恵上人の坐像で、本当に生きているように感じられました。玉眼というそうですが、正面に立って目が合うと本当に上人が自分を見ているような気がしてくるんですよね。あの感覚はこれまで見た彫刻で感じたことはありませんでした。浄教寺の寺宝である大日如来の坐像は、大日如来として正しく象られて仏様らしい厳かな雰囲気を纏っているのですが、頭の中だけで考えられたものなんですよね。大日如来を実際に見たことがある人はいないわけで当然なのですが、それと比べると上人の坐像の具体性、実感のこもった佇まいは、より一層「生きている」気配がはっきりと感じられました。上人が素晴らしい人物なのは私が言うまでもないことなのですが、あの像を作った仏師も凄いと思いました。なお、明恵上人の坐像は、高山寺でも上人の命日である一月十九日と献茶式の十一月八日にのみ開帳されるもので、一般には公開されていないそうですから、貴重な機会となりました。

クールベと海 感想

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会場

パナソニック留美術館

会期

…2021年4月10日~6月13日

見どころ

…この展覧会は、クールベの描いた海を中心に、クールベの故郷オルナン近隣を描いた風景画や狩猟画など、同時代の作家の作品と合わせて64点(東京会場)を展示したもので、クールベの作品はそのうち28点と約半分を占め、見応えがありました。
…出品作のほとんどは日本各地の美術館及び個人の所蔵品なのですが、こうして勢揃いすると国内でも各地に良い作品があるのだなと改めて感じました。版画作品は郡山市立美術館の所蔵品が多いんですね。村内美術館の所蔵品もありましたが、同美術館は2002年にクールベ展を開催していてそのときも見に行ったので個人的に感慨深かったです。なお、《波》(F743)(1870年)の1点のみ、フランス・オルレアン美術館からの出品となっています。
…会期中に緊急事態宣言が発令されて、4月末から5月末まで一ヶ月余りに渡り美術館も閉館となり、行けるかどうか…と危ぶんでいたのですが、どうにか会期末ぎりぎりに行くことが出来ました。
…何度も訪れたことのある美術館なのですが、感染症対策のためパナソニックショールームの入口が閉め切られていたりして、いつもと少し動線が違っていたため戸惑いました。美術館から帰るとき、おそらく地下鉄方面から来た方とすれ違って、美術館の入口の場所を聞かれたので、看板が見えるところまで案内したのですが、地下駐車場の通路から行くというのは分かりづらいですし、人がほとんど通らないので「こっちで大丈夫かな?」と不安になりますよね。早くコロナの流行が収まって、気兼ねなく美術を楽しめる環境が戻ってくるよう願います。

感想

風景画

クールベ写実主義とされていますが、写実は細密とは違うんだなとも思いました。会場の冒頭に展示されていたアシル=エトナ・ミシャロン《廃墟となった墓を見つめる羊飼い》(1816年)のほうが描写は緻密で、クールベはもっと筆遣いが大胆で素早いんですよね。印象派の影響も受けているとのことですが、画家が「生きた絵」を描きたいと考えていたことと関係しているのでしょうか。草の葉の一枚一枚まで丁寧に輪郭を描き込むほど勢いというか、生き物の持つ生々しさ、常に一定でなく揺れ動いている感じが失われるからかもしれません。クールベの描く自然は粗野で荒削りであり、どっしりとした岩肌と鬱蒼とした暗い森で、都会の近郊の穏やかで親しみやすい風景とは一線を画した自然本来の野性味が魅力なのだと思います。個人的にはピュイ=ノワールの小川を描いた《オルナン風景》(1872年)が、渓流の奥の暗がりに引き込まれるように思われて印象深かったです。出品作はほぼ故郷の風景か海の風景でしたが、クールベはパリの風景を描いたのでしょうか?描いていたならどんな感じに捉えたか見てみたい気がしますし、描いた作品がなければそれもそれで分かる感じがしますね。気になって20年前の図録も開いてみたところ、クールベはなかなか故郷オルナンに戻れないと、気分転換にパリの南60キロにあるフォンテーヌ・ブローの森を訪れていて、その風景を描いた作品が6点あるそうです。*1

狩猟画

…狩猟はかつて貴族階級の特権であり、狩猟の獲物を描いた静物画は豪奢で富裕であることを誇示する階級意識の強い美術愛好家に好まれたそうです。画家も、そうした高貴な顧客たちの別荘や狩りの館を飾るため、狩猟の場面を記念碑のように描いてきました*2。市民の遊戯として狩猟画が描かれるようになるのは革命以後のことだそうです。クールベは自らも狩りをするだけに動物、ことに鹿の生態をよく観察しています。無心に木の葉を食べる鹿たちの姿が可愛らしい作品もあれば、立派な角を持つ牡鹿が追い詰められて飛び跳ね、川に飛び込む緊迫感ある作品もあります。動物が主役なんですよね。《狩の獲物》(1856~62年頃)は、吊された鹿の周りの草が滴る血で赤く染まっています。猟の厳しい現実を描写する一方で、獲物と狩人(おそらくは画家自身)が対等に並び立っていて、単に猟果を誇るだけでなく、相手への敬意も感じられます。動物に対しても、たぶん自然の風景に対しても、人間社会とは異なる存在であり神秘や驚異、時に戦うべき相手でもあると同時に、敬意を払うべき対等な存在であるという感覚を持っていたのかもしれません。

「海の風景画」

…海景画はもともと聖書や歴史的事象の背景として描かれていたのですが、18世紀に入って荒々しくも神々しい「崇高な」風景自体が鑑賞の対象として描かれるようになります。そうした人の世界から遠い存在から、次第に海と人との距離は縮まっていき、19世紀になるとターナーなどにより「絵になる」海辺の魅力が表現され、さらには保養地としてレジャーを楽しむ人々と共にある海が描かれるようになります。クールベがユニークなのは、海というより波を描いていることだと思います。1841年、クールベはノルマンディーを訪れて「私たちはついに海を、地平線のない海を見ました(これは、谷の住人にとって奇妙なものです)」と両親に書き送ったそうですが、岩や森や小川に「囲まれた」谷と異なる、境界のない茫洋とした広がりは捉えどころがなく奇妙なものに見えたのかもしれません。それから二十数年、物語の舞台でなく、娯楽や風俗でもなく、船や奇岩でもなく、海そのものを表現しようと突き詰めたら波になったのでしょうか。クールベの関心は、海が生きていると感じられる瞬間であり、その一瞬を表現しようとしたら波になったのかもしれませんね。クールベが画題として海に関心を寄せ始めるのは1865年以降ですが、波への拘りは日本が正式に参加した1867年のパリ万博以降*3とのことで、おそらく北斎の影響もあるでしょう。クールベの波を描いた作品は、少し高い視点から連続する波を描いた作品と、低い視点から聳え立ち渦巻く波を描いた作品の大きく二つに分けられるそうですが、前者は北斎『今様櫛きん(きせると読んでいるケースもあります。たけかんむり+てへん+かね)雛形』上編(初版1823年)、後者は『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(1830~33年頃)に似ています。ただし、ジャポニスムの画家たちが北斎を含む浮世絵に見出した装飾性ではなく、波の持つ力強さの表現に関心を抱いたと思われ、クールベの作品は色彩が暗く写実的であり、波飛沫が画面のこちらまで飛び散ってきそうな迫真性があります。
クールベブーダンと面識があり、浜辺の風俗を描いたブーダンとは関心の有りどころが違いますが、雲の描き方は影響を受けたそうで、《海岸風景》(1866年)の空に「浮かんでいる」雲の描き方には独特のリアリティを感じました。また、エトルタの断崖を時刻や季節、天候などによって描き分けようとした作品はモネに影響を与えたそうです。晩年、海から遠く離れた亡命先のスイスで描いた作品《海》(1875年頃)では、夕暮れ時の浜と海と雲とがほとんど渾然一体となって溶け合っているように感じました。
クールベ以外では、シスレー《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》(1897年)が印象に残りました。シスレーというと印象派の技法を守りつつ、生涯セーヌ河畔の風景を描き続けた画家で、海景画は珍しいと思ったのですが、実際画家が海景画を描いたのは新婚旅行で南ウェールズを訪れたこのときが最初で最後なのだそうです。画面は海に突き出た岬によって二分され、岩場の向こうには船の帆が浮かび、手前では浜辺で寛ぐ人々が描かれています。緩やかに弧を描く日差しを浴びた砂浜は白や青や紫の細やかな点描で描かれ、素早い筆遣いで描かれた空に浮かぶ雲の色と呼応し合って、エメラルドグリーンの透明感ある海と対比されています。印象派らしい明るい色遣いで描かれた穏やかな作品です。

その他

…版画作品の展示コーナーでは、コンスタブルの海を描いた版画作品が展示されていました。ドラマティックなターナーと比べると、より自然で郷愁を感じさせる画風が受け入れられて、コンスタブルはイギリスより先にフランスで人気になったそうです。コンスタブルは田園の画家ですよね。郷里の風景を多く描いたところはクールベとの共通点であるようにも思います。自分が知っているものだけを描く、その確信が鑑賞者にも地に足の付いた落ち着きや安らぎをもたらすのかもしれません。
…今年はルオー生誕150周年ということで、記念コーナーが出来ていました。会場内ですが、撮影可能でした。

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*1:*1『クールベ展――狩人としての画家』P100(2002年、村内美術館)

*2:*2『フェルメール展』P106(2018年、上野の森美術館

*3:*3『北斎ジャポニスム』P236,248(2017年、国立西洋美術館

モンドリアン展 感想

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【会期】

…2021年3月23日~6月6日

【会場】

…SOMPO美術館

【感想】

…「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」が「SOMPO美術館」にリニューアルされてからは初めて行きました。かつての高層階からの新宿の眺めも懐かしい思い出ですが、リニューアルされた美術館は本社ビルとは別棟の新しい建物に移り、綺麗になっていました。エレベーターで最初に5階まで上がり、順路に従って階下に下りていく造りはアーティゾン美術館と同じですね。
モンドリアンというと、何と言っても赤・青・黄のコンポジションが思い浮かぶため、以前にアーティゾン美術館で点描風の《砂丘》(1909年)という作品を見たときに「これがモンドリアンの作品なのか」と驚いた覚えがあります。今回の展覧会では上述の《砂丘》も含め、モンドリアンが「モンドリアン」になるまでに画風が何度も大きく変わっていることを知ることができます。私なりにまとめると、対象と色彩が一体である自然主義的な表現から点描主義の影響を受けて色彩が解放され、キュビスムの影響で形体が解体されて、対象の再現を離れた抽象絵画へ到達する過程と言えるでしょうか。なお、モンドリアンに絵を教えた、叔父で画家のフリッツ・モンドリアンゴッホの指導者であるマウフェの教え子だそうで、画風は全く異なる二人の芸術家のあいだに思わぬ繋がりがあったことも今回初めて知りました。
モンドリアンの初期のハーグ派様式の風景画は独特の構図が印象的でした。画面左側を貫く一筋の灰色の道が目を引く《田舎道と家並み》(1898~99年頃)は、道幅の広さと突き当たりの家並みの対比によって奥行きが強調されています。《農家、ブラバンド》(1904年)は画面の半分ぐらいを平坦な色面で表現された農家の屋根が占めていて、空はほとんど片隅に顔を覗かせているだけです。オランダの風景画というと、私はロイスダールの作品に描かれた見渡す限りの低地を覆い尽くす広大な空が思い浮かぶのですが、モンドリアンはそういった空間の広がりではなく、あるいは移ろう光や自然と共に生きる人々の生活といった風景画的な主題とは別の、ある種の構造のようなものに執着しているようです。その一方で、モンドリアン自然主義的な表現を離れて以降、キュビスムの影響を受けた作品などにおいても風景や樹木をモチーフに選んでいて、自然の中にある(あるいは自己の外に存在する)原理を形にしようとしていたようにも思われます。
モンドリアンはドンブルグで知り合った画家ヤン・トーロップの影響を受けて、点描風の作品も制作しています。時期としては1909年頃の短い期間なのですが、フランスの新印象派の点描が色彩を分割して、絵の具を混ぜずに視覚の上で混色をもたらすことを念頭に置いたものであるのに対して、モンドリアンの場合は点描の絵画的な効果そのものに興味があるように感じられます。砂丘を描いた一連の作品では、当初、なだらかな砂丘の形体に応じた長目の線描で、自然光による色合いに比較的近く描かれていたものが、より細かく規則的な点描になり、さらに空と砂丘が緑と水色、桃色と黄色という補色の構成比率を変えた点描で描かれるようになっていって、大胆かつ自由に変化していくのが興味深かったです。
…ウェストカペレの灯台やドンブルグの教会塔などを描いた作品では、いずれもモチーフが地上から高みを仰ぐような角度で描かれています。《夕暮れの風車》(1917年)は、雲の切れ間に浮かぶ月が低い位置に描かれているため、空はより近く風車はより高く感じられます。月光に照らされたリズミカルな鱗状の雲は、《ドンブルグの教会塔》(1911年)の青空の破片を鏤めた背景を彷彿させます。点描風であったり、写実的であったりと作品により描き方は違っていますが、構図は一貫していて、まっすぐに天を目指すモチーフの垂直性、存在感に惹かれていたように思われます。
…《格子のコンポジション8―暗色のチェッカー盤コンポジション》(1919年)は同じ大きさの赤、青、オレンジの方形=モジュールで画面が埋め尽くされています。モジュールは縦にも横にも16個ずつ、即ち全体の256分の1の大きさのものが敷き詰められているのですが、よく見ると、縦の並びも横の並びも同じパターンは見当たらず、全て違っています。かつての点描が拡大されたようでもあり、デジタル信号が画面に映し出されるイメージのようでもあります。
…《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》(1921年)は1919年以降にモンドリアンが展開した「新造形主義」による作品です。単純なのにとても特徴的で、大きな赤い色面は特にインパクトがありますね。かつてのモジュールの名残はあるものの画一性は失われ、画面は黒の直線によって分割され、限られた色彩で構成されています。実在のモチーフや物語といった有限な対象を離れ、モジュールの規則性も脱して一見自由に制作しているようで、その実厳格な構成と三原色及び無彩色を綿密に配置して対比している禁欲的な作品だと思います。正直、解説を読んでもモンドリアンが何を考えてこの作品を制作したか私には理解できず、ただ、何を描くか、何をもって絵とするか、そしてそれは美しいのかということを突き詰めた結果の一つなのだろうと想像するぐらいです。この作品を真似て描くことは誰にでもできそうですが、根本の原理が分からなければ表面をなぞることしかできない。技術ではなく哲学がこの作品の真価を支えているのだろうと思います。絵の外にある価値に頼らず、絵そのものの価値を追求した結果、新たな哲学の確立が必要になったということなのでしょう。
モンドリアン周辺の作家では、家具職人リートフェルトの作品が印象に残りました。《ベルリン・チェア》(デザイン:1923年、再制作:1958年)は背もたれにもなる白い肘掛けとテーブルにもなる黒い肘掛けという作りが興味深いです。会場で見たとき、座面に映る黒い肘掛けの影がまさにモンドリアンの絵画のように見えたのも印象的でした。映像で紹介されていたシュレーダー邸は、モンドリアンコンポジションが三次元化したような作品で、キューブ型ですが隣の建物と見比べると窓の面積が圧倒的に大きく、空間の透過性が感じられる外界に開かれた建築だと思います。
…作品数は65点、所要時間は1時間程度でした。

「あやしい絵」展 感想

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稲垣仲静《猫》(1919年頃)


会期

…2021年3月23日~5月16日

会場

東京国立近代美術館

見どころ

…「あやしい絵」展は幕末~昭和初期にかけての日本美術から、ただ綺麗なだけではない謎や毒をはらんだ絵画、版画、挿絵などの作品約160点を紹介する展覧会です。
…出品作には亡霊・妖怪・スプラッタなどを主題とする不気味で怖い作品や人気小説に基づく耽美で退廃的な作品、ファンタジーを形にした作品もあれば、逆に醜悪さも余さず克明に描写したリアリズムの作品もあり、陽の当たる、ある種「王道」の美しさとはひと味違った「あやしい」魅力を味わうことができます。
…また、当時の作品に影響を与えたミュシャのポスターやラファエル前派の絵画など西洋美術作品も合わせて展示されています。
…出品作の多くは女性がモデルで、男性画家だけでなく女性画家も女性を描いています。作家は美しいだけではない危うさや激しさ、時には恐ろしさを兼ね備え、理屈では割り切れない魔力で男性を虜にして運命を狂わせる女性を「あやしい」と感じて表現したいと思うものなのかもしれません。

感想

…曾我簫白《美人図》(18世紀)はビリビリに引き裂かれた手紙を噛む仕草で、女性の悔しさや恨みなど内心の激しい感情が表現されています。着物の裾から見える襦袢の鮮やかな赤が血の色のようで、禍々しくも感じられる作品です。
…田中恭吉は今回の展覧会で初めて知った作家で、木版画が展示されていました。女性の身体から生えた植物が花を咲かせている《冬蟲夏草》(1914年)は、モチーフを正面中央に配置するモニュメンタルな構図で、日の光の下で咲き誇る命が他の命を喰らっていることを象徴しています。私は梶井基次郎の「桜の木の下には」(1928年)を連想したのですが、梶井が結核を患っていたように、田中も病身を押して作品を制作していたそうで、死生観に共通するものがあるのも分かるような気がします。
青木繁の《運命》(1904)は海の波間で泡のようなものを抱える三人の運命の女神が描かれていますが、青木にとって、海は太古から存在した人間の生命の始源であり、泡は人にとって欠くことの出来ない命を繋ぐためのものなのだそうです。兄の釣り針を探しに海底に下りた山幸彦が妻となる豊玉姫と出会う場面を描いた《海神のいろこの宮》(1907年、アーティゾン美術館所蔵)では、泡は赤い衣を着た豊玉姫の足元から立ち上っていて、二人が結ばれて子に恵まれる未来を暗示しているかのようです。《大穴牟知命》(1905年)は古事記に取材しつつ、女性が男性に生命力を分け与えて救うという主題を表現していると思われますが、乳房を差し出している蛤貝比売が見ているのは倒れている大穴牟知命ではなく画面のこちら側です。彼女が命を与えようとしている相手はむしろ画面のこちら側の存在であり、画家自身や、さらには鑑賞者を始めとする普遍的な人類であることを示唆しているのかもしれません。
安珍清姫の物語は清姫の愛情を一途でひたむきな純愛と捉えるか、身を焦がすような激しい恋慕と捉えるか、狂気のような執着と捉えるかで表現の仕方も変わってくるように思いました。一つの物語の解釈の違い、作家による表現の違いが面白かったです。
…橘小夢の作品も今回初めて目にしましたが、耽美的、退廃的でまさに「あやしい」魅力があるように思います。《刺青》(1923年/1934年)は谷崎潤一郎の小説を題材とした作品で、清らかな少女の白い肌とグロテスクな女郎蜘蛛の刺青という対局にあるものが一体化しています。かなり際どく、正直悪趣味すれすれのように感じましたが、美しいものを汚したいという潜在的な欲望を表現されているのでしょうか。あるいは逆に、人を魅了する美は根源に人間離れした禍々しさを宿しているように感じているのかもしれません。そう思って見ると、奇怪な蜘蛛は抗いがたい力に対する畏れの裏返しとも言えそうです。
泉鏡花高野聖」は、小説に基づく図像が挿絵や芝居の絵看板、独立した絵画作品など多様な形式で表現されていて、いわゆるメディアミックスのはしりと言えそうです。取り上げられる場面が共通しているため、かえってそれぞれの作家の個性が際立つように思います。
鏑木清方の作品は繊細優美でしっとりとした情趣が魅力で、日本画らしい日本画だと思いました。手拭いを咥え、浴衣の片肌を脱いで佇む《刺青の女》(1913年頃)は、女性の纏う匂い立つような色気が感じられる作品です。刺青は江戸時代に庶民の間でさかんに流行したものの、明治時代になると取り締まられるようになったそうですから、湯上がりとおぼしき女性は物思いに耽っているうちに、本来秘めておかなければならないものをつい晒してしまったのでしょうか。露わになったのは女性の肌である以上に、その刺青に込められた思いであり、鑑賞者は彼女の秘密を垣間見てしまったことで、より画中の女性に惹きつけられるのかもしれません。
…植村松園の《焔》(1918年)は女性の足元が闇の中にぼやけていて、生身ではない生き霊であることが表現されています。着物の柄の藤の花と蜘蛛の巣は絡みつく藤の蔓、獲物を捕らえる蜘蛛の巣など、六条御息所の執念深いイメージが重ねられていますが、生き霊の表情は悲しくも恨めしげで、ただ恐ろしいだけでない哀れを感じます。囚われているのは実は御息所自身なんですよね。この冷気が漂う作品に「焔」とタイトルを付けたのは秀逸だと思います。熱い恋の炎ではなく、鬼火の炎を描いた作品です。



琳派と印象派展② 後期展示

…一つの展覧会に複数回足を運ぶのはなかなか難しいのですが、今回は俵屋宗達の《風神雷神図屏風》がどうしても見たくて、後期展示も見に行きました。また、「琳派印象派」展の場合は、展示コーナー自体が前期と後期で違うのも特徴だと思います。
…「序章 都市の様子」では前期の「京」の《洛中洛外図屏風》に代わって、「江戸」のコーナーが設けられ、《江戸図屏風》が展示されていました。《洛中洛外図屏風》と《江戸図屏風》は、金色の雲がたなびく都市の鳥瞰図という点が共通していますが、神社仏閣が立ち並んでいた京と違い、狩りを行っているような情景や馬場が描かれている点は武家の都である江戸の街らしいです。また、街の中を縦横に張り巡らされた川(堀)や船の浮かぶ海なども京にはない江戸らしい風景です。板橋、王子など馴染みのある地名も見受けられて、現在の東京がかつての江戸からいかに大きく変貌したか実感させられました。
…「第一章 the 琳派」では前期「墨の世界」に対し、後期は「物語絵」のコーナーが設けられて、《伊勢物語図色紙》などが展示されていました。俵屋宗達《蔦の細道図屏風》は、中央だけでなく、左隻の左端と右隻の右端の図も繋がっていて、蔦の細道がどこまでも続いているような感覚を抱かせる仕掛けになっています。この屏風は伊勢物語第九段東下りで、駿河国宇津山を行く業平が顔見知りの修行者と出会い、京への手紙を託す場面に由来するのですが、人物は描かれず、書かれた和歌も伊勢物語から取ったものではないそうです。伊勢物語を直接描写しているというより、業平の物語を踏まえつつ、見る人が自分自身でその旅路を追体験する装置なのかもしれません。暗い山と蔦の生い茂る細道が明暗で二分化され、様式化されて表現されていて、モダンで洗練された美意識が感じられる作品だと思いました。
酒井抱一・鈴木其一《夏図》は十二ヶ月を描いた掛け軸のうちの夏の三枚です。藤の花が四月、兜と菖蒲が五月でしょうか。残る一枚には、笹に巻き付いて舌を出すユーモラスな藁の妖怪(?)が描かれていて遊び心が感じられました。
…「第二章 琳派×印象派」の「水の表現」に展示されていた尾形光琳《白楽天図屏風》では、白楽天の乗った船が荒波に揉まれてほとんど垂直に描かれていたのが目を引きました。水自体の描写だけでなく、他のモチーフも用いてダイナミックに流動する水を効果的に表現しているんですね。
俵屋宗達風神雷神図屏風》は第二章の「間」のコーナーに展示されています。力を漲らせて躍動する気象の神を描いた作品で、見得を切った歌舞伎役者のような静の雷神と、雲を従えて疾走する動の風神とが対比され、両者のポーズやバランスは一度見たら忘れられないほど見事に嵌まっている一対だと思います。国宝であり、有名な作品なのですが、改めて実物を前にじっくりと見てみて、神様なのに見た目は明らかに鬼であるのが興味深く感じられました。風神も雷神も、頭には角が生えていて耳は尖り、蓬髪を振り乱していて、裂けた口や長い爪を持ち、ぎょろり丸い金色の目をしています。人間に寄りそう仏様と違って、神様は人間的ではないようです。強風や落雷といった自然現象(時に災害をもたらす)は畏れの対象であり、暴れたら害をなすこともある超越的な力そのもの=鬼は神様だという考えが背景にあるのかもしれません。日本人にとって鬼は、キリスト教的な悪魔とは必ずしも一致しないものなのだと思いました。
…「注文主」の一枚、《中村内蔵助像》は尾形光琳の唯一の肖像画で、若々しいですが風格がある人物像です。モデルの中村内蔵助尾形光琳の最大の後援者だったそうで、そうした関係の深さから普段は描かない肖像画を手掛けたのでしょう。作家が得意とするジャンルにはその作家の興味や持ち味がより鮮明に現れると思いますが、ほとんど手掛けなかったジャンルというのもまた別の意味で興味深いと思います。マネは肖像画の名手でしたが自画像は2点のみで、そのうちの1点が「第三章 the 印象派」の「都市市民の肖像」として出品されています。背景は室内でも戸外でもなく、手は上着のポケットに入れられて、画家であることを示す絵筆やパレットといった小道具もありません。何者でもないありのままの自分と向き合って描いたのでしょうか。背筋をまっすぐ伸ばして足を一歩前に踏み出したポーズや眼光の鋭さからは、マネの誇りの高さが感じられるように思いました。
…「終章 都市を離れて」を飾るセザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》、及び鈴木其一《富士筑波山図屏風》は、いずれも実景であると共にシンボリックな山を描いた作品です。会場では屏風のあいだにセザンヌの作品が展示されていて、両作品の視点と視野の違いが感じられました。セザンヌの《サント=ヴィクトワール山》は山との距離が近く、山に迫るような、あるいは山が迫ってくるような印象を受けます。一方、鈴木其一の《富士筑波山図屏風》のほうは前景に船の浮かぶ霞ヶ浦などが描かれていて山を望む空間の広がりが感じられるなか、遠くにありながらなお際立って高く聳える山の姿が印象的です。描き方は違いますが、雄大な山の力強さやどっしりとした存在感が感じられました。
…所要時間は石橋財団コレクション選も含めると2時間半から3時間、アーティゾン美術館の所蔵作品は写真撮影可能です。作品個別の展示解説はなく音声ガイドのみなので、会場に入る前にアプリをダウンロードしておくことをお薦めします。ただ、機器によるのかもしれませんが、私の場合はアプリの音声ガイドを使用するとスマホのバッテリーの消費が著しくてちょっと慌ててしまいます。なお、ガイドがあるのはアーティゾン美術館の所蔵作品のみで、他の美術館などからの出品作については図録にも作品解説はありませんでした。