展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

至上の印象派展~ビュールレ・コレクション

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…この展覧会はスイスの個人収集家エミール・ゲオルク・ビュールレ氏のコレクションのみで構成された、19世紀から20世紀にかけてのフランス絵画を中心とした展覧会です。タイトルには印象派とありますが、印象派以外の作品も充実していて、個人のコレクションとは思えないほど質の高い作品群によって近世以降の西洋美術の流れを見渡すことができる内容となっています。以下、見所と感想をまとめました。

 

概要


会期

…2018年2月14日~5月7日

会場

国立新美術館

構成

 1 肖像画
 2 ヨーロッパの都市
 3 19世紀のフランス絵画
 4 印象派の風景~マネ・モネ・ピサロシスレー
 5 印象派の人物~ドガルノワール
 6 ポール・セザンヌ
 7 フィンセント・ファン・ゴッホ
 8 20世紀初頭のフランス絵画
 9 モダン・アート
…出品数に比して章立ては多めで、そのうちメインとなる印象派に二つの章が割かれています。また、セザンヌゴッホはそれぞれ一人に一章が当てられていて、6点ずつの出品作により画家の様式の変遷を見ることができます。ビュールレ氏は当初印象派の作品を収集していましたが、印象派への理解をより深めるため、印象派のルーツとなった作品や、逆に印象派が礎となった現代美術にも収集の範囲が広がっていったそうです。美術館の所蔵作品にもそれぞれ傾向や持ち味がありますが、個人のコレクションの場合はバランスよりも興味、好みが一層鮮明に感じられます。出品作を見るとモダン・アートの章では静物画の作品も目につきましたが、全体としては人物画と風景画に関心が高いようです。

ビュールレ・コレクションの移管

…ビュールレ・コレクションはドイツ生まれのスイスの実業家エミール・ゲオルク・ビュールレ氏が1937年から1956年にかけて収集したものです。ビュールレ氏は収集した絵画作品をチューリヒにある邸宅の別棟に飾っていて、氏の死後は別棟が美術館として一般公開されました。
…ビュールレ・コレクションがチューリヒ美術館に移管されることになったのは、2008年、武装した強盗団による盗難事件が起きたためです。被害総額は約175億円、ヨーロッパ史上最大の美術品盗難事件とも言われたこの事件で被害に遭ったのが、モネ「ヴェトゥイユ近辺のヒナゲシ畑」、ドガ「ルピック伯爵と娘たち」、ゴッホ「花咲くマロニエの枝」、そしてセザンヌ「赤いチョッキの少年」の4点。今回日本にも来ている作品ですね*1。無事に取り戻された作品をこうして見ることが出来て、本当に良かったと思います。事件を受けて美術館は安全上の理由から閉館されることになり、移管先となるチューリヒ美術館の拡張工事の間を展覧会の開催にあてることになったそうです。スイス国外にコレクションがまとまって公開されたことは過去数回しかなく、日本ではこれが最後の機会と考えられるため、今回の展覧会は貴重なものとなるでしょう。

 

感想

肖像画:ファンタン=ラトゥール「自画像」、アングル「アングル夫人の肖像」

…ファンタン=ラトゥールは印象派と同時代に活動した画家で、絵筆を持つマネを中心に据えた「バティニョールのアトリエ」など優れた肖像画で知られますが、一方で自画像も数多く描いています。この「自画像」はドラマチックな光と影のコントラストによって表情に奥行きがもたらされています。絵筆とパレットを手にしたファンタン=ラトゥールの視線からすると、キャンバスは画面の手前にあると思われます。この自画像を描いているのかもしれないですね。画家が自分を描くのは練習のためであったり、モデルを見つけるのが難しかったり、様々な理由があると思いますが、自分の世界で制作に没頭しているこの作品からはファンタン=ラトゥールの内省的な一面が窺われると思います。解説で引き合いに出されているクールベの自画像も私は好きなのですが、他者の視線を意識した演出が感じられるクールベに対して、ファンタン=ラトゥールの場合は自分が何を見つめているかにより重きがあるように思います。思いに耽る顔の片側のみが照らし出され、片側が影に沈んでいるのは、画家が目に見える形と目に見えない内面性のどちらも見つめていることを暗示しているのかもしれません。
…「泉」や「グランド・オダリスク」などでアングルが描いた女性は理想化された女性、個別の存在である以上に美の普遍的なシンボルなのだと思いますが、「アングル夫人の肖像」からは夫人の人柄が伝わってきます。若々しくふっくらとした可愛らしい顔立ちですが、眉はしっかりしていて意志を感じさせますし、瞳は生き生きと輝いていますよね。感じの良い人柄を思わせる、魅力的な女性だと思います。実はアングルは最初人妻に恋をしていて、その女性が自分に似ていると紹介した従姉妹のマドレーヌこそがこのアングル夫人なのだそうです。夫妻は終生仲睦まじく連れ添ったそうですが、この作品にはそうした描き手の気持ちも現れているように感じます。アングルが技巧の限りを尽くして仕上げた完璧な女性たちの肖像画に比べると、夫人の姿はより近い場所から描かれ、顔もクローズアップ気味で、描かれたモデルとの心理的な距離がそのまま反映しているように思います。また、肖像画の場合、モデルは一時の表情よりも、人格や経歴を反映したニュートラルでパブリックな顔貌で描かれるのが通常だと思います。しかし、少し上目遣いで微笑みかけるアングル夫人の表情には私的なもの、向かいで作品を描いているであろう夫に対する好意が現れていて、画家とほぼ同じ視点からこの作品を見る鑑賞者も、その微笑みに誘われるように頬が緩んでしまうのです。私は最初アングルはこの作品を夫人のために描いたのだろうと思ったのですが、むしろ自分のために描いたのかもしれません。

17~18世紀の景観画:カナレット「カナル・グランデヴェネツィア」、グアルディ「サン・マルコ沖、ヴェネツィア

…カナレットことアントーニオ・カナールの描いた「カナル・グランデヴェネツィア」は、遠近法を効果的に用いてカナル・グランデヴェネツィアの街の中央部まで続く眺望を描いています。運河沿いの建物の窓一つ一つを手抜きせず、建物が水面に映り込んでいる様子も描かれていて、細部まで正確に写すことへのこだわりが感じられます。今のように写真や映像によって情報が容易に手に入らない時代ですから、こうした作品は外国の都市を知ることができる貴重な情報源だったことでしょう。イタリアに行ったことのない人はもちろんのこと、もしかしたら旅行したことのある人のほうが驚くかもしれないほどの緻密さだと思います。客観的な情報を重視しているカナレットの作品に比べると、フランチェスコ・グアルディの「サン・マルコ沖、ヴェネツィア」はより主観的な感覚の再現に比重を置き、全体の空気や雰囲気が表現されていると思います。サン・マルコ大聖堂ドゥカーレ宮殿などヴェネツィアを代表する建築物は画面の奥や片隅に退き、中央広い部分を占める海をゴンドラや小舟が縦横に行き交っていますが、ヴェネツィアは水の都ですから彼らこそが街の主役と言えるでしょう。水蒸気を含んだ空気と活気ある船の動きが感じられる作品だと思います。

19世紀のフランス絵画:ドラクロワ「モロッコのスルタン」、マネ「燕」他

ドラクロワの「モロッコのスルタン」は、馬に乗った王侯を描くヨーロッパの伝統的な肖像画を思わせる堂々とした騎馬像です。威厳のあるスルタンを乗せた馬も、スポーティーでスマートなドガの競走馬とはまた違い、逞しさと気高さで主人を支えています。オリエントの指導者を風格を持って描いていて、エキゾチシズムだけではない画家の感銘が生きていると感じられます。マネの「燕」は牛が草を食むのどかな緑の草原で、白いドレスの婦人と黒いドレスの婦人が寛いでいる姿を素早い筆致で描いたものです。黒いドレスの婦人がマネの母、白いドレスの婦人はマネの妻だそうですから、画家も含めて家族で初夏の心地よい散歩を愉しんでいたのかもしれません。遠景には風車が描かれ、草の上を翻る燕と共に、画面の中に爽やかな風を運び込んでいます。「ワシミミズク」は、吊された画中の鳥がまるで垂直に落下するように見える一枚です。シンプルながら意表を突いた構図で、実は最初見たとき床か卓上に置かれているのだろうかと勘違いしたほどでした。色合いの似通った鳥の羽と板の質感の相違が巧みに描き分けられていますが、背景に全く奥行きがなく、周囲の描写もないため、この絵と同じような木目の壁に掛かっていたら、本物だろうかと見る人を戸惑わせそうでもあります。もしかしたらあえてそんな効果を狙ったのかもしれない、遊び心も感じられる作品だと思います。

印象派①:ピサロ「ルーヴシエンヌの雪道」他

ピサロは1869年の春、家族と共にパリ郊外のルーヴシエンヌに移り住みました。「ルーヴシエンヌの雪道」が描かれたのは1870年ですから、当地で過ごす初めての冬だったのでしょう。轍の残る雪の積もった通りは、「会話」にも描かれているヴェルサイユ街道でしょうか。冬枯れた道ばたの樹木の長い影は薄い灰色で、日差しの弱さが感じられますが、見通しがよく空が大きいことと、白の効果で画面は明るく感じます。夕暮れが近いのか灰色がかった白い空と道の雪にうっすらとピンク色が混ざっていて、寒い季節の風景に温かみをもたらしています。画家はささやかな非日常によって身近な風景の魅力を再発見し、改めて親しみや安らぎを感じたのだろうと思います。一方、マティスにとっては部屋の窓から見えるパリの街が身近な風景だったようで繰り返し描いているそうですが、「雪のサン=ミシェル橋、パリ」に描かれているのは泥と煙で灰色にくすんだ都市です。タイトルのサン=ミシェル橋は1857年にオスマンのパリ改造によって船の航行が容易になるように架け替えられたもので、橋桁には月桂樹に囲まれたナポレオンのNのマークが見えます。このマティスの作品でも、ちょうど3連のアーチそれぞれをくぐって航行する蒸気船が描かれていますね。もしかしたら、画家は3隻同時にすれ違う様に目を引かれたのかもしれません。道の雪は馬車の車輪や行き交う通行人に容赦なく踏みしだかれて泥と化し、空を覆う雪雲には工場の煙突から立ち上る煙が入り交じっていますが、そこには牧歌的な郊外のルーヴシエンヌとはまた趣の異なる、活力に満ちた近代的な都市の姿があります。銀世界のきらめきはなくとも、マティスはそれをパリらしいものと捉えて新たな美を見出したのかもしれません。

印象派②:ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」「泉」

…「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」は人気があって、作品の前に列ができていたため近くで見るのに少し待つ必要がありました。少女は戸外の緑の中で品良く座しています。肖像画ということもあり大胆な光と影の表現はありませんが、画家はモデルをつぶさに見つめ、まつげや栗色の髪を一筋ずつ丁寧に描いています。横顔のイレーヌは少し上目遣いですが、何を、あるいは誰を見ているのでしょうね。家族でしょうか、周りの風景でしょうか。あるいは考え事をしているのかもしれませんが、ただ可愛らしいだけでなく、聡明さを感じる表情に思われます。
…「泉」と聞くとアングルの作品が思い浮かぶのですが、ルノワールの「泉」は一目見て画面が黄金色に包まれているような印象を受けます。裸婦の流れるような金髪と滑らかな白い肌、湧水の飛沫や崖を覆う緑も明るく輝いているようですね。1881年にイタリアに旅行したルノワールラファエロフレスコ画ポンペイの壁画に感嘆して「もっと早く見ておくべきだった」と語ったそうですが、この作品からは古典主義を取り入れた安定感や確かなフォルムが感じられます。一方で、女性の薔薇色の頬や豊かな金髪などにはルノワールらしい輝きと流麗さがあります。アングルの描いた裸婦は完璧であり、冷たい官能をまとわせて近寄りがたい存在ですが、柔らかく微笑むルノワールの裸婦には包容力があり、距離を感じさせません。白い布で下腹部を隠しているのも人間故のことでしょう。タイトルの「泉」ですが、アングルもルノワールもタイトルはLa source/The Sourceですから、源流や水源といった意味で理解するほうが良い気がします。女性が裸体なのは人間の自然、すなわち肉体を持つ存在であることを示すのでしょう。大地に注がれる水が生命を育むように、彼女は出産によって生命を産み出す、まさに生命の源の象徴なのだと思います。しかし、この作品を制作していた時期のルノワールはリウマチを患い、絵筆を握るのもままならない状態だったそうです。「風景ならその中を散歩したくなるような絵、女性なら抱きしめたくなるような絵を描きたい」とも語っているルノワールですが、自身の苦しみを微塵も感じさせず健やかな生命を描くところに並ならぬ表現への信念と美への愛を感じます。生命を生み出す女性たちは画家にとってインスピレーションの泉、創造の源だったのでしょう。

ポスト印象派ゴッホ「花咲くマロニエの枝」他、ゴーギャン「肘掛け椅子とひまわり」

ゴッホはミレーの名作「種まく人」について、ミレーの後でできることは種まく人に色彩を与えることだと語っています。空に黄緑、畑に紫を配した「日没を背に種をまく人」は、まさにゴッホならではの色彩と言えるでしょう。地平線に沈む大きな太陽は種まく人の頭上にかかっていて、光輪のように見えます。画面を中央で分断するリンゴの木や、地平線を高く取り、畑の畝が対角線となって奥行きを強調する構図には浮世絵の影響があるそうです。また、リンゴの木については、ゴーギャンの「説教の後の幻影」の影響も考えられるそうです。ゴーギャンの作品では現実と幻影を分断するようにリンゴの木が配置されていますが、ゴッホの場合は、太陽を背負って農夫が種をまく左側が聖なる世界、一方、右側には建物らしき小さな影が見えるので、人々の生活がある俗なる世界を表しているのかもしれません。なお、先日の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」にファン・ゴッホ美術館所蔵の「種まく人」が出品されていたのですが、そちらのバージョンでは画面右側の建物がよりはっきりと確認できます。ゴッホは興味を持ったモチーフや構図を積極的に取り入れて作品に生かすんですね。強烈な個性を持つ一方で、挑戦や変化を躊躇わない柔軟な制作姿勢も併せ持っているのでしょう。
マロニエセイヨウトチノキ)はヨーロッパでは街路樹に用いられたり、公園などに植えられたりしていて、パリのシャンゼリゼ通りの並木もマロニエだそうです。ゴッホも身近なところで花を付けているマロニエを見つけて小枝を持ち帰り、「花咲くマロニエの枝」を描いたのでょうか。西洋美術において、花の静物画で描かれるのは花瓶に生けた花卉であり、珍しい品種や鑑賞用に改良された花が多く、ありふれた花、ことに樹木の花をモチーフに選ぶことはあまりなかったのではないかと思います。一方、日本美術では梅や桜などがしばしば描かれています。そう言えば、マロニエに白とピンクの花があるように、梅にも白梅と紅梅がありますね。ゴッホは身近にある花の中から自分にとっての梅や桜を探して、それを描いたのかもしれません。日本美術は「ただ1本の草の芽」の研究を通じて自然の真理を捉えると考えたゴッホは、自らも身近な植物や小動物などに着目した作品を制作しました。それは単なる日本趣味にとどまらず、もはやゴッホ自身の絵画の哲学と言うべきでしょう。日本美術に深く傾倒してその核心を自分なりに掴んだからこそ、オリジナルな表現を生み出すこともできたのだろうと思います。
ゴッホの花と言うと何と言ってもヒマワリですが、本展にはゴーギャンの描いた「肘掛け椅子のひまわり」が出品されています。タヒチにヒマワリは自生してないため、ゴーギャンは1898年に友人に頼んでヒマワリの種を送ってもらうと、それからほぼ3年後の1901年にヒマワリを描いた4点の作品を完成させたそうです。この作品はそのうちの1枚ですから、ふと懐かしくて思いつきで制作したわけではないのでしょう。ゴーギャンゴッホとパリで出会った際に、ゴッホのヒマワリのある静物画を賞賛して自身の「マルティニク島の川岸」とゴッホ静物画とを交換しています。ゴッホの名高い「ひまわり」は、ゴーギャンと共同生活を送った黄色い家を飾るために制作されたものでもありました。籠に生けた椅子一杯のヒマワリは、ゴッホそのものと言えるでしょう。また、ゴッホには自分とゴーギャンのそれぞれを椅子に見立てた作品もあります。ゴーギャンに見立てられたのが肘掛け椅子で、ゴッホは思考や想像によって絵を描くことを提唱したゴーギャンの象徴として、椅子の上に灯の灯った燭台と本を描いています。ゴーギャンの「肘掛け椅子とひまわり」はこうしたゴッホの作品を踏まえたもので、ゴーギャンは椅子に自身のサインを入れていますし、肘掛け椅子の背後、タヒチを描いた絵画の手前には本とアルコールランプも置かれています。椅子の背には白い布が掛けられていて、祭壇を彷彿させます。この作品が1890年に命を絶ったゴッホへのオマージュであることは間違いありません。同時に、肘掛け椅子やタヒチを描いた作品などはゴーギャンの分身でもありますから、この作品はゴーギャンの内面世界とも重なるものであり、ゴッホの思い出が画家の中で生きていることを示しているとも思われます。窓のない部屋の中を照らすのは太陽の分身=ヒマワリなんですね。亡き友人を悼んでいるようであり、自身も投影しているような、波乱に富んだ画家二人の友情の帰結を描いた作品であり、10年以上の歳月を経て形にすることでゴーギャンの心の中でも一つの区切りになったのかもしれません*2

モダン・アート:ピカソ「イタリアの女」

ピカソの「イタリアの女」は切り絵かコラージュのように見える作品です。キュビスムで描かれた女性は幾何学的な単純化された形体と、濃淡のない平坦な色面で構成されていて、頭部は正面向きの顔と横顔が組み合わされています。女性の被る帽子(又は頭巾)を見ると一つの顔であることが分かるのですが、最初見たときは女性が男性とキスしているのかと思ってしまいました。同じピカソの「黄色い背景の女」の女性の顔の描き方が「イタリアの女」と少し似ているのですが、正面向きと横向きの顔の組み合わせがキスしているように、あえて描いているのかもしれませんね。ピカソはポストカードに描かれた花売りの女性を元にこの作品を制作していて、女性の出で立ちはローマの北東約40キロに位置するアンティーコリ・コッラードの伝統的な衣装なのだそうです。元の衣装は分からないのですが、赤いドレスの女性が都会的な洒落た雰囲気に見えるのは、ピカソのセンスの良さが効いているからかもしれません。ところで、女性の左下には白い雲のようなものが描かれています。モチーフが幾何学的直線と曲線で構成されているなかで、これだけはフリーハンドで描かれているのですが、何を表しているのか考えてみてもよく分かりませんでした。元になったポストカードに何か描かれていたのかもしれません。ただ、同じキュビスムでもブラックの「ヴァイオリニスト」のような難解さはなく、シンプルでインパクトのある形や配色によって視覚に訴えるデザイン性の高い作品だと思います。

鑑賞から体験へ:モネ「睡蓮の池、緑の反映」

…「睡蓮の池、緑の反映」は睡蓮の絵による室内装飾の構想の中で制作されたパネルの一枚で、オランジュリー美術館に寄贈されずアトリエに残っていたのをビュールレ氏が購入したものだそうです。サイズは200×425センチという巨大な作品で、絵を前にしていると池に飲み込まれそうな感覚を覚えます。タイトルにあるとおり水面には緑の影が映っていますが、それが樹木なのか池の底の水草なのかは判然とせず、水面に近い位置から光が揺らめく池と、池に浮かぶ睡蓮のみがクローズアップで描かれています。何処にキャンバスを構えて描いたのか、あるいは記憶に基づいて描いたのか、いずれにせよ自邸に庭を造り、日々手ずから丹精こめて世話をしていたモネならではの視点でしょう。ビュールレ氏が購入した他の装飾画のタイトルやオランジュリー美術館に収められている作品を見ると、場所や時刻を変えつつ描いているようなので、一連の装飾画は画家の眼が自邸の庭(池)で捉えた日の出から日没までのあらゆる光景を再現したものと考えることもできそうです。通常のキャンバスによる連作ではなく装飾画という形式を選んだのは、訪れた人に絵を見るのではなく絵の中に入って欲しい、睡蓮の池を満たした光と色彩を実感して欲しいと考えたからかもしれません。セザンヌは「モネは眼に過ぎない。しかし何と素晴らしき眼なのか」と評しましたが、睡蓮の池に囲まれた空間で過ごすことで、鑑賞者も束の間モネの眼を体験できるのでしょう。睡蓮の大装飾画は美しい装飾にとどまらない効果を生み出す装置であり、作品がキャンバスで完結するのではなく、空間を作り上げて観客が体験することによって完成する点では、現代アートにも通じるものがあるように思います。晩年になってなお飽くことなく新しい表現を追求し続けた、モネの果敢な挑戦の一端に触れることができる作品だと思います。

 

その他

…会場内では全ての画家についてプロフィールがあり、作品ごとの解説も多めでした。出品数はそれほど多くないため所用時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。
…展示室は各章ごとに分けられ、スペースが広く取られているため、多少混雑しても鑑賞しやすいと思います。私が見に行ったのは会期初週の土曜日でしたが、「可愛いイレーヌ」の前は行列ができていたものの、その他の作品はじっくり見ることができました。
…なお、会場内の最後に展示されているモネの睡蓮の壁画は、写真撮影が可能となっています。

*1:東京新聞2018年1月4日「最高傑作 最後の来日 至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」、AFP通信2012年4月13日「盗まれたセザンヌの絵画、セルビアで発見」

*2:ゴッホゴーギャン展(2016年東京都美術館)」図録P156