展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代 感想

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見どころ

…「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代」展は、ル・コルビュジエ、すなわちシャルル=エドゥアール・ジャンヌレが建築家としての地位を確立する以前の、第一次世界大戦後から1920年代の活動に焦点を当てたものです。出品作はル・コルビュジエ、及び共にピュリスムの運動を担ったアメデ・オザンファンの絵画作品が中心で、ル・コルビュジエの建築作品やキュビスムとの関わりにも触れながら紹介されています。
…美は感覚的なもので、ある作品・ある作家特有のもの、一般化できないオリジナリティに価値があるというイメージを持っていたのですが、ピュリスムは例えば構図の決定に当たって規整線を用いたり、作品のサイズも数学と生理学の根拠に基づいて決めていたりと、美は科学と同様に法則に基づくものだから普遍的なものという考え方をしているところが興味深かったです。ピュリスムの理念は「幾何学的秩序に支えられた芸術」ですが、儚く移ろう表面の美ではなく、根本的で確固とした真理、存在の核となるような確固とした真理を求めるのは西洋的だなと思いますし、その核となるものがキリスト教ではなく科学という点は近代的な発想だとも思います。
…シャルル=エドゥアール・ジャンヌレは本名よりもル・コルビュジエというペンネームで知られているのですが、これは盟友であったオザンファンから本名は絵画作品や美学の論文のために使い、建築に関する論文を発表する際はペンネームを使うよう勧められたことがきっかけなのだそうです。オザンファンは絵画こそ最も自由な創造であるという考えを持っていて、オザンファンを尊敬していたジャンヌレはその提案に乗ったのでしょう。しかし、1928年以降、ジャンヌレは絵画作品にもペンネームのル・コルビュジエでサインするようになっていきます。オザンファンと決別して、作品もピュリスムの理念から離れたことなどが理由なのでしょうが、ル・コルビュジエというペンネームと共に築いた自身の世界や建築家としてのキャリアへの自負も感じられます。ピュリスムの時代はジャンヌレがル・コルビュジエとして生まれ、成長していく過程と言えるのかもしれません。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午前中でしたが、入場待ちはなくスムーズで、作品をじっくり見ることが出来ました。会場はいつもの地下の企画展示室ではなく常設展の展示室で、ル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の空間を実際に体験しながら作品を鑑賞することができるようになっています。展示解説は少なめでした。特別展の所要時間は90分でしたが、そのまま常設展の展示室に続いているので2時間は時間があるといいですね。

概要

【会期】

 2019年2月19日~5月19日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

1 ピュリスムの誕生
2 キュビスムとの対峙
3 ピュリスムの頂点と終幕
4 ピュリスム以降のル・コルビュジエ
ピュリスムの活動を担ったのはジャンヌレとオザンファンの二人で、出品作はジャンヌレの油彩画が17点、オザンファンが12点。そのほとんどが静物画ですが、ピュリスムは瓶やグラスなどの日用品やギターなどの楽器を人間の手の延長と見做し、長い年月を経て合理的な形に行き着いたもので、純粋で標準化された形態の美があると考えていたそうです。また、各章ごとに、該当する時期にル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の設計図や模型、家具などが展示されていました。その他、ピュリスムキュビスムを批判的しつつ、その影響を大きく受けているため、キュビスムの絵画・彫刻も展示されていて、特にフアン・グリスや、ピュリスムの理念に賛同して雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』にも参加したフェルナン・レジェの出品数が多くなっています。

lecorbusier2019.jp

感想

シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)

ピュリスム初期の作品は比較的すっきりとして、分かりやすい印象です。明晰さや古典的秩序を理念とするピュリスムは、キュビスムが対象を解体したことを批判しつつ、キュビスム以前のリアリズムにも戻ることなく対象を三次元の立体として捉えるため、対象の正面から見た姿と上から見た姿とを結合させて描いているそうです。この時期に描かれたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)では、横から見た積み重ねた皿がくびれのある円筒状に描かれていて目を引きます。皿の手前に描かれている波形の壁のような物体は開いた本を立てて置いてあるのでしょう。画面をほぼ二分割する黒い面は、ギターや本の載ったテーブルを上から描いていると同時に、白いガラス瓶が置かれたテーブルを真横から描いたものでもあります。この作品は上から見下ろした皿とギターのサウンドホールとを一致させているのが面白いのですが、陰影によって立体感が強調されているぽっかりと開いた黒い空洞は意外な深さを持っていて、ピュリスムの法則で構成されている画面においてはかえってそのリアルさが非現実で印象的でした。

アメデ・オザンファン「和音」(1922年)

キュビスムの批判から出発したピュリスムですが、ドイツ人画商ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーのコレクションの競売でピカソやブラックらの作品に接したジャンヌレとオザンファンは認識を改め、キュビスムの手法を作品に取り入れるようになります。その結果、ピュリスムの作品は初期に比べて複雑で洗練されたものに変化していきました。アメデ・オザンファン「和音」(1922年)では灰色の水差しのS字形のカーブが瓶やギターの輪郭線も兼ねていますが、複数の対象を同一の輪郭線によって結合するこうした手法は、フアン・グリスの作品の影響を受けているそうです。また、手前のモチーフを透過して背後に重なるモチーフが見えているのもキュビスムからの影響の一つで、ジャンヌレ「多数のオブジェのある静物」ではより顕著にその手法が用いられ、解読が困難なほど重層的になっています。オザンファンはモチーフ同士が結びつき重なり合うことで構築された画面を、複数の音が結びつくことで新たな響きを生み出す和音になぞらえたのでしょうか。一方で、平面と正面を組み合わせることで立体感を生み出す以前の手法は、上から見た白いテーブルと側面から見た波打つクロスにその名残が見られる程度です。あらゆるモチーフが重なり合い、パズルのピースのように互いにはめ込まれていますが、唯一立体的に描かれた灰色の水差しのみが透き通ることなく姿を保っています。また、ギターのネックと白いカラフの間には中身の入った瓶があるようなのですが、黒い背景と一体化したシルエットのみで表現されています。「グラスとパイプのある静物」などピュリスム初期のオザンファンの作品では、三次元の対象とその対象を二次元に写し取った影との関係性への拘りが見受けられるのですが、ここでは二次元の影が三次元の実体に取って代わったかのようにも感じられます。この時期のピュリスムの関心は個々のモチーフの立体感より、画面全体における空間表現の方法へ移っていると言えるかもしれません。

フェルナン・レジェ「二人の女と静物」(1920年)、「横顔のあるコンポジション」(1926年)

…この展覧会ではキュビスムの作品も多数出品されていますが、個人的にはフェルナン・レジェの作品が印象に残りました。他のキュビスムの絵画作品には静物画が多いのに比べてレジェの場合は「2人の女と静物」などしばしば人物が登場し、情景が描かれています。また、その人物像は金属のような光沢のある色彩で、球や円筒などを組み合わせたユニークな姿をしています。ル・コルビュジエは「住む機械」を掲げて住居や家具を機能的で画一的に設計しましたが、レジェは周りの環境ではなく人間自身を機械のように描写しているんですね。レジェは機械や科学の発展を楽観的に捉えていたそうなので、時代と共に進歩する新しい人間像を表現したかったのかもしれません。キュビスムの作家であるフアン・グリスは「私は一般的な物から個別的なものへ向かう、つまり、抽象から出発して、現実の事象に達する」と述べていますが、レジェの場合は純粋な色彩、線、形という絵画の3つの要素の「コントラスト」によって現代生活の実感を表現したいという考えを持っていたそうです。他の作家に比べてレジェの作品が直感的で分かりやすいと感じるのは、理念ではなく実感を元に表現しているためかもしれません。レジェは一時期ピュリスムの活動にも参加しますが、その後「バレエ・メカニック」という映像作品を手掛けたことがきっかけにさらに作風を変化させています。「横顔のあるコンポジション」では画面の中に統一的な空間が存在せず、人物の横顔、文字の一部、何かの部品のようなモチーフがそれぞれランダムに並列されていますが、重要なこともそうでないことも優劣なく、脈絡のない雑多な情報が溢れてスピーディーに流れていく大衆社会の感覚そのものを表現しているように思いました。

エスプリ・ヌーヴォー館」(1925年)

…1925年にパリ国際装飾芸術博覧会(通称アール・デコ博覧会)で発表されたピュリスムのパヴィリオン「エスプリ・ヌーヴォー館」は、規格化と大量生産の原理に基づいて建築空間から家具や食器に至るまで装飾性を排除したものでした。世界が注目する舞台で自分たちの理念を具現化して広めようと考えたのでしょうが、装飾芸術をテーマとする博覧会で装飾芸術を否定した展示を発表するという戦略はなかなか大胆です。一方で、簡素で機能的なパヴィリオンにはピュリスムキュビスムの絵画・彫刻作品など「魂の不朽の表現」である純粋芸術が展示されました。展覧会で作品を見ていると、つい一つ一つの作品に集中して画面の中にばかり気を取られてしまうのですが、実際に作品が展示されたパヴィリオンの写真を見ると、単体で見ているときは奇抜に思えるキュビスムピュリスムの作品が建築空間によく馴染んでいて、確かに共通の美意識があることが感じられます。ピュリスムの結実である「エスプリ・ヌーヴォー館」ですが、ル・コルビュジエの強引な進め方にオザンファンが反発して、既に関係が悪化していた両者は決裂し、ピュリスムの運動も幕を閉じることになりました。

ル・コルビュジエ灯台のそばの昼食」(1928年)

…1925年にピュリスムの運動が終焉を迎えたあと、ル・コルビュジエは絵画制作を個人的な活動に位置づけて展覧会にも出品しなくなりますが(再び作品を公開するようになるのは1938年)、絵画の制作自体は造形の着想を引き出すための考察と実験の場として日常的に継続しています。「灯台のそばの昼食」(1928年)はピュリスムの時代と同様に静物画ですが、何より色彩の軽さ、明るさが印象的です。ピュリスムの理念においては人間の普遍的な意識に働きかける幾何学的形態を優先し、個人的、二次的な感覚に訴える色彩は形態に従属すべきであるとされ、色彩はさらに「主要な色階」、「力動的な色階」、「移行的な色階」に分類されていました。そうした法則から解放されて、ル・コルビュジエは自分なりの色のこつを掴んだと手紙に記していますが、この作品はピンクやベージュといった人の肌を思わせる色調が全体の柔らかく優しい雰囲気を生み出しているように感じます。モチーフには見慣れたグラスなどと共に手袋や貝殻など「詩的感情を喚起するオブジェ」が新たに取り入れられ、かつての画一的で幾何学的な形体ではなく、フリーハンドによる有機的な曲線で描かれています。テーブルの背景には岬に灯台の立つ風景が描かれていますが、通常、遠景は近景の上に描かれるのに対して、この作品ではテーブルの下から見えているという逆転が面白いですね。一般的な遠近感が通用しない画面構成によって、テーブルや食器類と灯台など屋外の風景とのサイズが逆転しているようにも感じられます。あるいは、画面を水平に横切るテーブルを地平線に見立てて、山や川や樹のようにオブジェを卓上に並べることで、ル・コルビュジエは家庭の小さな卓上が自然に匹敵しうる眺めと広がりを持ちうることを示唆しているのかもしれません。ところで、ピュリスムの作品において瓶やグラスは何度となく繰り返し描かれていますが、すっきりと無駄のないフォルムがピュリスムの理念に相応しいものであるために造形上適した要素として用いられていたのであって、食に要する道具としての意味はなかったように思います。しかし、この作品ではタイトル及びモチーフの配置において、食事の道具という本来の意味が回復しています。食は生命の維持に欠かせない行為であり、ル・コルビュジエの関心が、近代的な生活から自然や生命といった根源的なものに移行していることが反映しているようにも思われます。また、脱いだあとの半分裏返った手袋は、他のモチーフと異なり立体感がなく背景の空と同じ色で描かれています。ピュリスムは日用品を人間の手の延長と見做して、その合理的な形態を評価していたのですが、いまや手は抜け殻となり、人の手から離れたオブジェは自由を得たとも考えることもできそうです。一方で、この手袋の指と思われる部分は不思議な形をしていて、地平線から宙にはみ出した雲のようにも羽のようにも見えます。オブジェだけでなく、それらを使う手もまた機能性、経済性といった合理主義のみを追及することから解放されて、新たな美を生み出す自由を手に入れたのかもしれません。