展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年 感想

見どころ

…「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展は、日本とハンガリーとの外交開設150周年を記念した展覧会です。先日、オーストリアとの国交樹立150年を記念した「ハプスブルク展」を見に行ったのですが、条約が結ばれた当時はオーストリアハンガリー二重帝国だったので、ハンガリーとも同時に150周年なんですね。
…タイトルにもなっているハンガリーの首都、ブダペストは、ドナウ川を挟んで西側の丘陵地帯にあるブダと東側の低地にあるペストが19世紀に合併してできた都市で、その街並みは「ドナウの真珠」、「東欧のパリ」等様々に称賛されています。今回の展覧会はそんな街自体が美しいブダペストにある二つの美術館、ブダペスト国立西洋美術館ハンガリー・ナショナル・ギャラリーから出品されたオールドマスターの作品、及びハンガリーの近現代美術130点で構成されています。
ブダペスト国立西洋美術館の基になったのが、ハンガリーでも最古の貴族の一門であるエステルハージ家の収集した美術品で、中でもエステルハージ・ニコラウス2世(1765~1833)は、1800年から1830年にかけて1000点以上もの絵画を購入して同家のコレクションの発展に貢献しました。エステルハージ家というと私はハイドンが思い浮かぶのですが、音楽だけでなく美術の分野でも大きな役割を果たしていたことを知りました。
…個人的には、今回、これまで知らなかったハンガリーの芸術家の作品に触れることが出来て貴重な機会でもありました。展覧会の顔とも言える《紫のドレスの婦人》を手掛けたシニェイ・メルシェ・パールをはじめ、優美なサロン絵画を手掛けたムンカーチ・ミハーイ、ヴァサリ・ヤーノシュの幻想的で装飾的な作品など、今回新たに名前と作品を知った画家たちも多く、民族色が感じられる作品からモダン・アートまで幅広く楽しむことが出来ました。ハンガリーの人名は耳慣れなくてちょっと難しく感じるのですが、実は日本と同じ姓・名の順だそうで、思わぬ共通点に親近感も覚えました。
…私は会期第1週の平日に見に行ったのですが、混雑もなく落ち着いてじっくり見ることが出来ました。作品数がやや多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年12月4日~2020年3月16日

【会場】

国立新美術館

【構成】

Ⅰ ルネサンスから18世紀まで
 1.ドイツとネーデルラントの絵画
 2.イタリア絵画
 3.黄金時代のオランダ絵画
 4.スペイン絵画――黄金時代からゴヤまで
 5.ネーデルラントとイタリアの静物
 6.17~18世紀のヨーロッパの都市と風景
 7.17~18世紀のハンガリー王国の絵画芸術
 8.彫刻

Ⅱ 19世紀・20世紀初頭
 1.ビーダーマイアー
 2.レアリスム――風俗画と肖像画
 3.戸外制作の絵画
 4.自然主義
 5.世紀末――神話、寓意、象徴主義
 6.ポスト印象派
 7.20世紀初頭の美術――表現主義構成主義アール・デコ

…概ね時代順の構成となっています。第Ⅰ章ではヨーロッパの美術を広く取り扱いながら、その中におけるハンガリーの美術について、第Ⅱ章では逆にハンガリーの画家たちに重心を置きつつ、他国の美術も共に紹介されています。クラーナハティツィアーノの作品は第Ⅰ章に、シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》はⅡ-2「レアリスム――風俗画と肖像画」にそれぞれ展示されています。
…この二部構成には、出品元である二つの美術館の設立や組織再編の経緯なども関係しているようです。以下、簡単に概略をまとめました。
1906年
 ブダペスト国立西洋美術館開館、ハンガリーを含むヨーロッパ美術を包括的に収蔵、コレクションの母体はエステルハージ家などハンガリー貴族に由来。
1957年
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー開館、ハンガリー美術専門の機関として、ブダペスト国立西洋美術館の所有するハンガリー美術が段階的に移管。
2012年
 二つの美術館が一つの組織に統合。
2018年
 ブダペスト国立西洋美術館が改修工事を経て再オープン。
2019年現在
 収蔵分野の再編中。
 ブダペスト国立西洋美術館:世界各地の古代作品及び中世末期から18世紀末までのヨーロッパとハンガリーの美術品。
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー:19世紀以降のハンガリー美術及び世界各国の美術。
…コレクションの増加に伴い、一時期はハンガリーハンガリー以外の各国の美術とに分けていたものを、時代によるまとまりに再編し直しているところなんですね。なお、ブダペストには新しい美術館も建設中で、ハンガリー・ナショナル・ギャラリーの近現代美術の一部が移管される予定だそうです。

budapest.exhn.jp

感想

ルカス・クラーナハ(父)《不釣り合いなカップル 老人と若い女》(1522年)、《不釣り合いなカップル 老女と若い男》(1520~1522年頃)

…年齢や経済力などが不釣り合いなカップルの見苦しさ、滑稽さは古代から喜劇の題材で、教訓と風刺の対象でした。クラーナハの工房ではこの主題の異作が40点以上制作されているそうで、人気のあったことが分かりますが、人々にとって皮肉な笑いも娯楽の一つと言えるかもしれませんし、教訓は建前で官能的な描写を楽しんでいたのかもしれません。
…《老人と若い女》では緑と金色のドレスを身につけたクラーナハらしいアーモンド型の目の華奢な美女と、その女性の肩に手を回し抱き寄せようとしている赤い帽子の老人が描かれています。欲望に囚われた男性はだらしのない表情で女性に見とれ、肌が透けて見えそうな胸元に手を伸ばしていて、隙を窺う女性が財布に手を伸ばしていることにも気づいていません。女性の腰の小物入れのような袋はぱっくりと口が大きく開いていて、澄ました顔をした女性の思いがけない貪欲さを示しているようにも感じられます。年甲斐もなくのぼせ上がっている老人の愚かさと、そこにつけ込む女性の狡猾さが対比されています。
…一方、《老女と若い男》のカップルは少しばかり趣が異なっています。ブロケードの豪華な服を着た老女は、自らぎっしりコインの詰まった財布の金を取り出していて、若い男性も手を差し出して受け取っています。若い女性と老人のカップルはそれぞれが裏腹な思惑を持っているように感じられるのに比べると、老女と若い男性は目を合わせ、お互いの打算によって愛と金銭を取引しているように感じられます。もしかすると、老女は若い頃と変わらぬ微笑みを浮かべているつもりなのかもしれませんが、深い皺の刻まれた顔に昔日の魅力はなく歯の抜け落ちた口元は無残に歪んでいるのみです。
クラーナハの両作品は洗練と俗悪の両面を併せ持ちつつ、人間の愚かさや醜さを克明、冷徹に描き出しています。裕福であっても満たされず欲望に囚われている老人たちも醜悪ですし、愛を利用して賢しく立ち回っているようでいて実は金銭に囚われている若者達もまた醜悪だと思います。滑稽でしかないがゆえに悲劇で、個人的には笑うに笑えない人間の弱さや悲しさみたいなものも感じました。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《聖母子と聖パウロ》(1540年頃)

…幼いキリストを抱く聖母と、剣の柄に手を掛けて聖母子の前に跪く古代のローマ軍人。キリストの赤いサンゴの首飾りは西洋の慣習的な厄除け、魔除けのお守りだそうで、聖母の纏う赤いドレスに聖人の赤いマントと、3人の人物がいずれも赤を身につけています。さらに、画面のほぼ中心に赤いリンゴが配置されていて、赤という色に重要な意味が与えられているように感じられます。血や太陽の色である赤は生命やエネルギー、強さや栄光、有限な生と不可分の死、戦いや受難といった様々なイメージを連想させます。そう考えてみると、画面左上の青空もリアルな風景ではなく天上の象徴であり、宇宙的、超越的な青と捉えることもできるかもしれません。
…この作品では聖パウロ古代ローマの軍人風に描かれていて印象的だったのですが、パウロはローマ軍人ではなく、テント造りが職業だったそうです*1。先日「ハプスブルク展」(国立西洋美術館)で見たレンブラントの《使徒パウロ》(1636年?)では白髪で髭の長い老人として描かれていたのに対して、この聖パウロは壮年の男性であり、イメージのギャップも感じました。レンブラントの《使徒パウロ》は机に向かって書簡をしたためている最中で、こちらのほうが聖人の姿としては一般的に感じられます。一方、このティツィアーノの作品では容貌も個性的であり、一種の「扮装肖像画」と考えられるそうなので、注文主が軍人で、聖人の姿を借りてその肖像を描いたのかもしれませんね。なお、実際のパウロはイエスの死後にキリスト教徒となったため、イエスに直接会ったことはないそうです。
…もう一つ、三人の視線がいずれも交わらず別のものを見ていて、それぞれ異なる考えを抱いているように感じたことも印象に残りました。遠くを見つめるキリストは、幼い顔に何かを決意したような子供らしからぬ表情を浮かべています。左手のリンゴは原罪及び贖罪を象徴しているそうなので、聖母の膝の上に立ち上がろうとしている姿は果たすべき使命のために踏み出そうとしている動作にも見えます。優しげな顔立ちをしたマリアの視線はパウロの書物に向けられいますが、幼い我が子の未来が記されているのでしょうか。聖母としてキリストを支えつつ、一人の母親として愁いを帯びた表情をしているように感じられます。17世紀に記されたティツィアーノの伝記によるとパウロはマリアと対話しているとのことなのですが、私にはパウロはキリストを仰いでいるように見えました。キリストとパウロのポーズはそれぞれ自らの運命を暗示するリンゴと剣を手にして呼応し合っており、パウロはキリストに倣って待ち受ける受難を受け入れ、そこに向かって歩んでいく意志を示しているのではないかと思います。マリアは現実にはあり得なかった出会いに立ち会い、彼らを静かに見守っているのかもしれません。

フランチェスコ・フォスキ《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》(1750年代末/1760年代初頭)

…フランチェスコ・フォスキはアンコーナで生まれ、ローマで活動したイタリアの画家で、冬景色を描いた風景画で名声を得ました。冬景色は16世紀から17世紀のオランダ絵画で流行したのですが、イタリア絵画においてはフォスキ以前はごく稀だったそうです。
…《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》はフォスキの得意とした冬の風景画です。雪雲に覆われた灰色の空、地面を白く覆う雪、凍てつき冬枯れた樹木。川の水も冷たそうな青緑色をしていて、画面左下ではその川にかかる木の橋を赤ん坊を連れた夫婦が渡っています。一方、対岸の岩場に建つ水車小屋の戸口からは暖かそうな光が漏れていて、女性らしき人影が夫婦を見送っています。彼女は暖かく安全な屋内から寒空の下へと旅立つ家族の道中の無事を祈っているのでしょうか。雲に紛れるように空を飛ぶ鳥たちは渡り鳥の群れで、家族の旅路を暗示しているのかもしれません。しかし、赤ん坊を抱く女性は鑑賞者を安心させるようにはっきり振り返っていて、先行きの明るさを感じさせます。季節的に冬ということもあり、生まれたばかりのイエスを連れたマリアとヨセフのようにも感じられました。

ムンカーチ・ミハーイ《泉のそばの少女》(1874年)、《「村の英雄」のための習作(テーブルに寄りかかる二人の若者)》(1874年)、《パリの室内(本を読む女性)》(1877年)、《本を読む女性》(1880年代初頭)

…ムンカーチ・ミハーイは画業の初期の作品とその後の画風が大きく変わっていて印象的でした。
…初期の作品の主題は故郷ハンガリーの農村の人々で、色調は暗く、描かれた人々は無名の庶民でありながら堂々とした存在感があり、彼らの背負うシリアスな物語が感じられます。例えば《泉のそばの少女》では水くみをする少女が桶を置いて休んでいる姿が描かれています。ふっくらとした頬に赤みが差すまだ若い少女の手は泥で汚れていて、目は暗く表情もぼんやりとしています。重労働を繰り返す日々に疲れ、虚しさを覚えているのでしょうか。《村の英雄のための習作》は村酒場の人気者を描いた大画面の風俗画《村の英雄》(1875年)の準備段階で制作された習作の一枚で、テーブルに背を凭れている若者と、そのテーブル越しに身を乗り出している若者が描かれています。ズボンの上に履いたスカートのような民族衣装がエキゾチックですね。二人はともに視線を左上に向け、どこか思い詰めたような表情をしていて、鬱屈した情熱のようなものが感じられます。
…しかし、ムンカーチは支援者だったド・マルシュ男爵が亡くなり、その未亡人セシル・パピエと結婚してパリで暮らすようになって以降は、ブルジョワ階級の生活を描いたサロン絵画を手掛けて成功しました。《パリの室内》に描かれた邸宅の室内はカーテン、じゅうたん、タペストリーなど豪華な調度品で設えられていて、当時の上流階級の暮らしぶりが窺われます。白いドレスの女性が読んでいる本は厚みがないので雑誌かもしれません。足を組んで座るポーズも人目を気にしない寛いだ姿であることが感じられます。《本を読む女性》は《パリの室内》に比べてさらに大らかな筆遣いで、色彩は一段と明るくなり、特にカーテンと花瓶のターコイズブルーは赤や茶色が主の画面の鮮やかな彩りとなっています。肘をついて本から目を離し、考え事をしている女性は椅子に斜めに腰掛けていて、捻れたスカートが優美な襞をつくり出しています。いずれの作品でも女性たちはサロンの情景の要ですが、存在を主張せず装飾の一部のように華やかな空間に馴染んでいます。ムンカーチは1870年にパリのサロンに出品した《死刑囚の独房》で金メダルを受賞したものの、その後類似のエキゾチックでドラマチックな作品を描くことに行き詰まりを感じていた時期があったそうです。満ち足りた平穏さを描いた作品は描く画家自身にも安らぎや幸福をもたらしたのかもしれません。

シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》(1874年)、《ヒバリ》(1882年)

…《紫のドレスの婦人》は青空の下、花咲く緑の草原で木陰に座る紫のドレスの女性を描いた作品で、今日、最も有名なハンガリー絵画の一つです。春の日差しに照らされた風景が明るい色彩で描かれ、ドレスの紫と草原の緑、女性の手元に添えられた黄色の花という対比が目に鮮やかですね。モデルとなった画家の妻はこのとき身ごもっていたそうなので、生真面目な表情で視線を空に向けているのは、自分の未来やまだ見ぬ我が子、あるいは命を授ける運命のようなものへ思いを馳せているのかもしれないと思いました。
…《ヒバリ》は草原に寝そべる裸婦が青空に舞うヒバリを見上げている作品です。特定の物語に基づく場面ではなく、女性も神話の女神や妖精ではないそうです。人工物が見当たらないため同時代を描いたかどうかも不明なのですが、そもそも特定の時代や地域にこだわらず、普遍的な世界として描いているとも考えられます。画面右下に池もしくは小川と見られる水辺が描かれていますから、女性は水浴びをしたあと日向に寝転んでいるところなのかもしれません。地面に近い位置から寝そべって見上げる視点で描いているためか、遠近感がやや歪んで、空が近く雲が低い印象を受けます。晴れた空高く昇るヒバリと地上に縛られている人間とが対比されているようにも思われますし、ヒバリはありのままの姿で寛ぐ女性の自由な精神や魂そのもののようにも思われます。自然と人間との調和や本来の自由を表現した作品だと思います。

ロツ・カーロイ《春――リッピヒ・イロナの肖像》(1894年)

…ロツ・カーロイは19世紀後半に壁画、肖像画の分野で活躍した画家で、この作品では花を手に自然の中で佇む白いドレスの若い女性を描いています。肖像画の主であるリッピヒ・デ・コロング・イロナはこのとき16歳で、まだ少女の面影が残っていますが、大人のように髪を結い上げていて凜とした横顔を見せています。春というタイトルにもかかわらず背後に広がる空は灰色で、周囲の野も暗く荒野のようなのですが、そうした「冬」のような世界に、これから生命の息吹をもたらす春の女神として描かれたものかもしれません。また、手つかずの荒野は、女性の人生がこれから花開くところであることを象徴しているとも考えられます。女性の肖像に季節の春と、みずみずしい青春時代を重ね合わせた作品だと思います。

ヴァサリ・ヤーノシュ《黄金時代》(1898年)

…鬱蒼と木が生い茂る薄暮の森のなか、神々の像が立ち並ぶ前で寄り添う若い恋人たち。女性はバラの供物を捧げ、男性は女性の手を取り胸に引き寄せ、愛の神に礼拝する二人は目を伏せて厳かな表情で祈っています。タイトルの「黄金時代」とは古代ギリシャ人の考えた人類世界の最初の時代で、争いのない幸福に満ちた永久の春の時代であると共に、恋人たちにとって純粋に愛が最も高まっている時期のことを指しているのでしょう。真実の愛を誓い合う恋人たちの姿に、愛の神聖さが時代を超えて不変であることを重ね合わせて讃えているように感じられます。
…この作品は額自体も大きく、凝った装飾が施されていて、額に納められた絵と同じぐらい目を引きました。額の左右には二人の愛を象徴するような二つのハートの形から立ち上る煙が様式化されあしらわれています。一方、額の下部、植物の枝葉の中央に装飾されている動物もしくは怪物の顔はライオンのようにもドラゴンのようにも見えるのですが、個人的にはグリフォンではないかと思いました。並外れた巨体と力を持つ怪物で、黄金を守護するというグリフォンですが、ここでは比喩的な黄金=楽園を脅かす敵を寄せ付けないよう、睨みを効かせているのでしょう。額も含めることで一つの完結した世界となる作品だと思います。

チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》(1904年)

…チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》は奇妙なのに、何故か目を引くユニークな作品でした。細い月が浮かぶ夕暮れの空の青から淡い紫色のグラデーション、通りを行き交う影絵の馬車やおもちゃのような家など、素朴な雰囲気はアンリ・ルソーの作品を連想させます。この作品の特徴の一つが非現実的な明暗の対比で、アクロポリスの丘や引き伸ばされたかのように細い糸杉の木立など、辺りの風景が夕闇に沈んでシルエットで描かれているなか、画面中央を占める家の壁と、その前を通り過ぎる馬車に乗った女性二人のみが明るい色で描かれています。タイトルからも描き方からも、馬車の後部座席に乗る女性たちが中心と思われますが、散策ですから明確な目的地があるわけでなく、街の中を彷徨うこと自体が目的なのでしょう。現代であれば、ドライブで夜景を楽しむ感覚に近いのかもしれません。そう思って見ると、古代の遺跡を背景に繰り広げられる現代的な生活の一コマという取り合わせが面白く感じられます。黄昏時の街を繊細に彩る自然の光と、家の窓に灯る温かな光が醸し出すメルヘンのような雰囲気が、歴史ある街に息づく人々の日常を柔らかく包んでいるように思いました。

*1:使徒言行録」18.1-11