展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ハマスホイとデンマーク絵画 感想

f:id:primaverax:20200216112457j:plain


見どころ

…「ハマスホイとデンマーク絵画」展は、2008年に大規模な回顧展が開催されたヴィルヘルム・ハマスホイ(1864~1916)の作品を中心に、19世紀から20世紀初めにかけてのデンマーク絵画を日本で初めて本格的に紹介する展覧会です。出品作はデンマーク国立美術館などが所蔵する油彩画86点で構成されていて、うち37点がハマスホイの作品です。
ハマスホイの作品は極めて抑制的で、灰色がかった色合いで描かれた画面には必要最小限のモチーフのみが配置され、人物はしばしば後ろ姿で感情や物語を読み取ることはできません。細心の注意を払って構築された画面からは均衡を破る要素が慎重に取り除かれ、純化された静けさが支配しています。装飾を排した修道院のように禁欲的で瞑想的な世界は、穏やかな明暗の階調とうっすらと靄が掛かったような柔らかいトーンで描かれていて、静寂には詩情や余韻が感じられます。
…こうした作品が心地良く感じられるのは、忙しなく騒々しい日常を離れ、溢れる情報や物質を捨てて、静けさや落ち着きを求める気持ちがあるためだろうと思います。そしてそれは、近代化が急速に進展した20世紀初頭のデンマークの人々にも、現代においてもあてはまるのかもしれません。ハマスホイの作品は新奇なものや刺激的なものが溢れ、豊かで過剰な社会に対してシンプルで本質的なものを提示し、鑑賞者に安らぎをもたらしてくれると思います。
…私はプレミアムナイトで鑑賞したのですが、所要時間は90分程度で、作品を十分に見ることができました。ハマスホイの作品はもちろんのこと、クプゲなどこれまで知らなかったデンマーク黄金期の画家の作品を知ることができたほか、2017年の西洋美術館の展覧会でみずみずしく爽やかな印象を抱いたスケーイン派の作品を再び見ることができて良かったです。

概要

【会期】

…2020年1月21日~3月26日

【会場】

東京都美術館

【構成】

1 日常礼賛――デンマーク絵画の黄金期
2 スケーイン派と北欧の光
3 19世紀末のデンマーク絵画――国際化と室内画の隆盛
4 ヴィルヘルム・ハマスホイ――首都の静寂の中で

…展示は時代順の構成になっています。
…第1章はクレステン・クプゲやダンクヴァト・ドライアらによる風景画などが展示されています。1800年~1864年までのデンマーク絵画は「黄金期」と呼ばれていて、特に1820年前後から1850年頃までのおよそ30年間には多くの芸術家による多彩で完成度の高い作品が制作されました。これは、1818年に王立美術アカデミーの教授となったクリストファ・ヴィルヘルム・エガスベアが、同時代のローマで実践されていた戸外での風景画制作という新しい手法と理念をもたらしたためだそうです。
…第2章はミケール・アンガやピーザ・スィヴェリーン・クロイアらスケーイン派の作品が紹介されています。スケーインは首都コペンハーゲンから離れた、北海に面するユラン半島(ユトランド半島)の北端に位置する漁村で、1870年代から芸術家たちが集まり芸術家のコロニーが形成されました。当初彼らは近代化の影響を免れた厳しい自然環境と素朴で伝統的な漁村の暮らしを主題としていたのですが、その後次第にスケーイン特有の光の描写と芸術家相互の交流に比重を移し、印象派などの影響を取り入れた明るく開放的な作品を制作するようになります。
…第3章は印象派やポスト印象派の影響を受けた画家たちの作品、及びハマスホイと同時代に活動したカール・ホルスーウやハマスホイの義兄ピーダ・イルステズの作品が展示されています。19世紀半ば以降、王立美術アカデミーではデンマーク固有の自然や伝統的生活を中心的な主題とする指導が行われていましたが、若手の芸術家達は同時代の外国の芸術の動向を取り入れた新しい表現を目指しました。また、1880年代以降のコペンハーゲンでは温かみを感じさせる家庭的場面を描いた室内画が人気を得ますが、その後1900年頃になると物語性が希薄で、室内空間の美的な構成そのものが追及されるようになります。
…第4章は展覧会の中心となるハマスホイの作品が展示されています。ハマスホイは初期には人物画や風景画を手掛けていましたが、1890年代半ば頃から徐々に室内画の比重が増え始め、1898年に移り住んだストランゲーゼ30番地の室内を描いた一連の作品によって名声を得ました。出品作は《三人の若い女性》(1895年)や《イーダ・ハマスホイの肖像》(1907年)など人物画、ハマスホイが生涯を過ごしたコペンハーゲンの都市風景及びその近郊などの自然を描いた風景画、そしてハマスホイの代表作《背を向けた若い女性のいる室内》(1903~04年)や《カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地》などの室内画です。なお、《背を向けた若い女性のいる室内》に描かれているパンチボウル(ブランデーやラム酒などの酒と果汁、炭酸水、砂糖などを混ぜ合わせた飲み物を入れて供する鉢)と錫製のトレイの実物も展示されていました。

artexhibition.jp

感想

クレステン・クプゲ《カステレズ北門の眺め》(1833~34年)、《海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後》(1837年)

…クレステン・クプゲの風景画は穏やかで緑豊かな自然を明るい色調で写実的に描いています。夏の風景が多いのは戸外での制作が容易な季節のためでしょう。デンマークは比較的平坦な地形のようで、なだらかな大地を覆う空の大きさが印象的です。《カステレズ北門の眺め》では川岸の生い茂る木立が日差しを浴びてきらめき、水面には橋のたもとの家が映り込んで波に揺らめいて、眩い夏の光が伸びやかに表現されています。カステレズはクプゲが腕利きのパン職人だった父と共に子供時代を過ごしたコペンハーゲン北部の城塞で、図録に掲載された地図を見たところ綺麗な星形をした五稜郭なんですね。《海岸通りと入り江の風景、静かな夏の午後》はうっすらと色づいた夕暮れ時の空が画面一杯に広がっている作品です。画面左側の陸地に立つ背の高い樹木はまっすぐ伸びていて、起伏に乏しい風景に変化を与えると共に画面を垂直方向に支え、空の高さを感じさせます。空を写して同じ色に染まっている海の上には小舟が浮かんでいて、よく見るとカップルが乗っています。緯度の高いデンマークの場合、夏は日が長いはずなので見た目の明るさ以上に遅い時間なのかもしれません。彼らは長い一日の名残を楽しんでいるのでしょう。満ち足りた静けさに包まれた作品だと思います。

ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《魚網を繕うクリストファ》(1886年)、《朝食――画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》(1893年)

…第2章では荒海に乗り出す漁師たちの堂々たる逞しい姿を描いたミケール・アンガの作品などが出品されていますが、《魚網を繕うクリストファ》はドラマチックな作品とは対照的な家の中のささやかな一場面で、窓辺の椅子に座り、無骨な手で網の手入れをしている漁夫の姿を描いています。クリストファはパイプを吹かしながらの寛いだ姿で、薄暗い室内には窓からの光に透かされた紫煙が漂い、俯く顔は影になっていますが淡々と無心に手先に集中しているようです。この作品は会場では内容的にちょうど対になるアナ・アンガの《戸口で縫い物をする少女》と隣り合わせで展示されていたのですが、称賛の対象として理想化された男性的な英雄像ではなく、気負わないありのままの姿を近い距離から描いていて、親しみを感じさせる作品だと思いました。
…《朝食――画家とその妻マリーイ、作家のオト・ベンソン》は青と黄色の対比が鮮やかな作品です。青いスモックの画家と黄色のドレスの妻、青い食器と黄色の花瓶や花、壁紙の模様など、食卓や室内の調度品が細かく描かれていて静物画的な面があると共に趣味の行き届いた暮らしぶりも感じられます。妻は微笑みを浮かべ、画家自身もカップを手に身を乗り出すようにして作家の話に聞き入っている姿がテーブルの斜め後ろからの視点から描かれていて、鑑賞者も食卓に居合わせているような臨場感があります。
ハマスホイの師であるクロイアの作品は明るい色彩と軽やかなタッチによって身近な風景や人物など日常の一場面を捉え、生き生きと表現しています。クロイアはハマスホイについて「ほとんど奇妙な絵ばかり描く生徒がひとりいる。私は彼のことを理解できないが、彼が重要な画家になるであろうことはわかっている。彼に影響を与えないように気を付けることとしよう」*1と語っていますが、まさにハマスホイとは対照的な画風で理解できないと感じたのも当然のことかもしれません。しかし、自らとは相反する美意識を否定することなく高く評価していて、指導者としても優れていたのだろうと思いました。

ユーリウス・ポウルスン《夕暮れ》(1893年)、ヨハン・ローゼ《夜の波止場、ホールン》(1893年)

…19世紀末の風景画を見ると、19世紀前半から半ばにかけての黄金期の写実的な作品に比べてかなり変化していることが感じられます。ユーリウス・ポウルスン《夕暮れ》は地平線が夕陽の名残に染まる野に立つ一対のオークの木の影が浮かび上がっています。全体に靄の掛かったようなピントのぼけた画面が特徴なのですが、1924年のインタビューによると画家は実際の景色を前にしているときは見つめることに集中し、作品は翌日にアトリエで制作したそうで、実景の再現であるより画家の印象、主観を反映した叙情的な風景です。
…ヨハン・ローゼ《夜の波止場、ホールン》は、夜の闇に沈む入り江に停泊する二艘の船が描かれている装飾的な風景画です。穏やかな水面が思いのほか明るいので、月夜なのかもしれません。ホールンはオランダの港町で、画家は現地で作品を描き始め帰国後の翌春に完成させたそうです。明瞭な輪郭線や平坦な色面、緩やかに弧を描く背後の橋など単純化、様式化された描写が特徴ですが、画家はナビ派モーリス・ドニから特に影響を受けたそうです。

ピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》(1892年)、カール・ホルスーウ《読書する若い女性のいる室内》(1913年以前)

…ピーダ・イルステズ《アンズダケの下拵えをする若い女性》は女性の黄色いドレスと皿に載せられたアンズダケの鮮やかな黄色が呼応し、テーブルの上の青い水差しと対比されています。アンズダケは文字通り杏のような香りを持つ茸で、微量の毒があるため日本では毒茸の扱いですが、ヨーロッパでは料理の食材として幅広く利用されているそうです。色遣いや部屋に差し込み白い壁を明るく照らす光、簡素な室内で家事に勤しむ単独の女性像という主題などは画家が範とした17世紀オランダの室内画、特にフェルメールの作品を彷彿させますね。静謐な雰囲気のある作品だと思います。
…ホールスウ《読書する女性のいる室内》は椅子の背もたれ、椅子に座る女性、折りたたまれたテーブルの流れるような曲線がそれぞれに呼応していて構図への気配りが感じられます。また、必要最小限の調度品や茶やグレーなどを基調とする落ち着いた色調などはハマスホイの作品と相通じるものもあります。他にも後ろ姿や横顔の人物、物語性の希薄さなど、ピーダ・イルステズやホルスーウの室内画はハマスホイとの共通点が多く感じられます。一方で彼らの作品はハマスホイに比べると子供が描かれていたり、調度品も多く配置されていたりと実際的で、生活の気配があります。近代化、都市化により市民の生活も清潔で豊かなものに変化したことで、鑑賞に耐える整えられた室内が身近な主題となり、そうした作品の持つ心地よい雰囲気が共感されたのでしょう。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《三人の若い女性》(1895年)、《イーダ・ハマスホイの肖像》(1907年)

…《三人の若い女性》は128センチ×167センチと大きな作品で、その大部分を椅子に座る三人の女性の姿が占めています。モデルは左から義兄ピーダ・イルステズの妻インゲボー、ピーダの妹でハマスホイの妻イーダ、ハマスホイの妹アナ。空間の奥行きや広がりはほとんど感じられず、女性達のドレスは単純化され平面的に描かれていて互いに膝が触れそうにも見えるのですが、本の置かれたテーブルによって読書に耽る右端のアナが一番部屋の奥に座っていることが分かります。画家は身近な女性達のそれぞれに個性的な容貌を捉えていますが、一方でいずれも椅子に座ったほぼ同じ大きさの三人を横に並べて配置するなど、類型化した描き方がされているためか似通った印象も受けます。元は血の繋がりのない三人ですが、ここには描かれていない男性たちの存在によって姉妹となり、同じ家族の一員として結びつきを共有していることが感じられる作品だと思います。また、この作品は画面が大きいため、ほぼ同じ大きさの筆痕が等間隔に連なりカンヴァスを埋めていて、重なり合う部分がムラになることによって生じた濃淡が靄がかったような独特の風合いを生みだしているハマスホイの独特の筆遣いも分かりやすかったです。
…《イーダ・ハマスホイの肖像》は描かれた妻イーダの緑がかった肌の色に先ず驚く肖像画です。食卓についた妻がカップの飲み物をスプーンで混ぜているというありふれた一場面でありながら、イーダは青ざめて亡霊のようです。肖像画がしばしば対象を美化、理想化することを考えると異色の肖像画なのですが、イーダは前年に手術を受けてひと月半ほど入院していたそうで、血管の浮いた額や窪んだ目など、作品には病後の窶れ具合が克明に描かれています。この絵を見て鑑賞者がショックを受けるように、画家も大きなショックを受けたのでしょう。死の影を背負った妻の姿は命の脆さ、存在の儚さとともに、妻を見守る画家の感じた病に対する恐怖や喪失の恐怖を想像させます。病から回復して妻が自分の元に戻ってきたことを画家はきっと喜んだことと思いますが、あえてこうした作品を残したのはそのとき自分たちが見舞われたものを忘れないためかもしれません。この肖像画は習作も含めて画家の生前は手放されることがなく、個人的な作品だったと思われます。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《ライラの風景》(1905年)、《若いブナの森、フレズレクスヴェアク》(1904年)、《ロンドン、モンタギュー・ストリート》(1906年)

…《ライラの風景》は明るい色彩で草原を描いた爽やかな印象の作品で、なだらかに連なる丘の草は平坦な緑の色面に単純化され、晴れた空に浮かぶ白い雲も点々とリズミカルに列を成しています。ハマスホイは基本的に自然のなかで実際の景色を見ながら風景画を制作したそうですが、見たままを自然主義的に描写するのでなく、雑多な要素を捨象して装飾的に描いています。光の当たり方はフラットで影がなく、静寂を破る人も動物も見当たらない時間の止まったような世界です。
…《若いブナの森、フレズレクスヴェアク》では緩やかな斜面に生えるブナの木々が描かれていますが、生い茂るブナの葉は細部が省略され、曖昧にぼかされて幻想的な雰囲気を生み出しています。樹木の重なりによって空間の奥行きは感じられますが、樹木自体の立体感はあまり感じられません。梢の合間から垣間見える空は白い光に満ちていますが、森の外が晴れて明るいのか雲や霧に覆われているのかは判然としません。おそらく現実の特定の日時や状況を描いているわけではないのでしょう。
…セピア色の冬のロンドンを描いた《ロンドン、モンタギュー・ストリート》はセピア色の冬のロンドンを描いた作品です。画面手前から奥に向かって伸びる道が白い路面に二本の黒い線が引かれているだけのシンプルなものであるのに対して、歩道沿いの黒い柵や向かいの建物の窓などは几帳面に細かく描かれていますが、規則的な垂直の線はリズムを生み出す装飾的な効果が感じられます。近くには大英博物館もあるのですが通りに人影は見当たらず、時の流れから取り残された世界のようでもあります。物寂しいのになぜか懐かしさを感じさせる作品だと思います。

ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内、ラーベクス・アリ》(1893年)、《背を向けた若い女性のいる室内》(1903~1904年)、《室内――陽光習作、ストランゲーゼ30番地》(1906年)

ハマスホイの描く室内は最小限の家具のみが置かれたすっきりとした空間であるだけでなく、家具自体も壁紙や人物の衣服も全てがシンプルで飾り気がなく、住む人の人柄や日頃の生活ぶり、前後の文脈に繋がる手がかりなど、描かれている以外の何かを物語る要素が徹底して排除された寡黙さを感じます。その点、《室内、ラーベクス・アリ》はハマスホイの作品には珍しい鮮やかなピンク色とバラ色の壁面パネルが目を引きました。イーダと結婚したハマスホイはラーベクス・アリにある18世紀の邸宅に新居を構えたそうで、古いながらも白と金に縁取られた華やかな装飾は若い夫婦に似つかわしいかもしれませんね。一方で、家具は少数で生活感を感じさせないなど、後年のハマスホイの室内画を思わせる面もあります。この作品は床と天井が大きな面積を占めているのも印象的なのですが、ハマスホイは奥行きのある室内を描くときは本作のように斜めから空間を捉える構図をしばしば用いたそうです。
…《背を向けた若い女性のいる室内》は壁に掛けられた絵画や壁の装飾パネル、ピアノなどの水平線と垂直線からなる画面のほぼ中央を、銀色のトレイを抱えた女性の左腕が斜め45度で横切っています。また、壁に掛けられた絵画の対角線上に女性の左肩が配置され、女性の右肘の先から差しているピアノの影は女性の右肩とほぼ平行になっているなど、考え抜かれて構成されていることが分かります。薄いブルーの壁紙や女性の黒いドレスは無地で装飾性を排しているのに対して、ピアノの上のパンチボールの植物模様は細かく描き込まれ、パンチボールの蓋と女性の項から肩にかけてのなだらかな曲線とが呼応していますが、幾何学的な構成のなかではこうした有機的なモチーフが引き立ち、隙のない堅固な構図を和らげて堅苦しさを感じさせないものにしています。揺るぎない世界の中で唯一、振り返る女性が動きを生み出していて、ピアノの影が女性の動作の余韻のようにも感じられる作品だと思います。
…《室内――陽光習作、ストランゲーゼ30番地》は人の姿も、家具さえ見当たらないがらんとした空虚な部屋です。閉じた白いドアには把手が見当たらず、ひっそりとした室内がその静寂を破られることを拒んでいるようでもあり、模様のないグレーの影に覆われた床の上にはこの閉ざされた部屋に唯一存在するもの、窓越しの日の光が差しています。光を描くにも画家それぞれのアプローチがあって、時に神のもたらす霊的な光として描かれたり、印象派のような目くるめく一瞬のきらめきとして表現される場合もあると思いますが、ハマスホイは日陰でない部分として間接的に表現するのだなと思いました。外界に閉ざされた部屋にも光だけは立ち入ることができる、あるいはむしろ光だけを捕らえるための部屋なのかもしれません。個人的には閉塞感よりも光の明るさが印象に残る作品でした。

*1:ヴィルヘルム・ハンマースホイ――静かなる詩情」(国立西洋美術館、2008年)P12