展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

シャルル・フランソワ・ドービニー展 感想

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見どころ

…この展覧会は19世紀フランスを代表する風景画家シャルル=フランソワ・ドービニー(1817~1878)の日本初の回顧展で、ドービニーの作品約60点と共に、ドービニーと交流のあったコローなど他の画家たちの作品約20点について、ランス美術館の所蔵品を中心に構成されています。
…ドービニーはバルビゾン派の一人で、コローと親交があり、特に水辺の風景を描いた作品を多く残しています。戸外で描かれた明るく瑞々しい作品は「粗描き」、「未完成」、「印象」等の批判も受けましたが、モネやゴッホら若い画家たちに影響を与え、また、後年サロンの審査員を務めた際は印象派の作品を評価するなど、バルビゾン派印象派を繋ぐ役割を果たしました。
…画家の家系に生まれ、風景画家を父に持つドービニーは当初歴史画家を目指していたものの、画家の登竜門であるローマ賞に落選したため、出版物の挿絵などを手掛けつつ専ら風景画を制作するようになったのだそうです。もしも歴史画家になっていたら、風景画家ドービニーは存在しなかったんですね。ドービニーの作品は伸びやかさや瑞々しさが魅力で、後の印象派への繋がりが確かに見て取れるように感じました。
…ドービニーは戸外、特にアトリエ船を使った制作活動に特徴があり、そうした船を用いるユニークな制作方法はモネにも影響を与えたそうです。実際、モネの作品には時々どう見ても池の中で描いたとしか思えないものがあるのですが、ドービニーの水辺の風景に魅力があったからこそ、制作方法を取り入れるきっかけになったのだろうと思います。
…また、今日ゴッホの亡くなった街として知られているオーベール=シュル=オワーズはドービニーのアトリエがあった街で、ドービニーを慕っていたゴッホはドービニー宅の庭を作品に描いてもいます。直接の交流はなかったものの、自然の中に身を置き、実際に対象を前にして感じたものを表現したゴッホの作品は、積極的に戸外で制作し、新鮮な印象を画面に写し取ったドービニーの作品からの影響もあるのだそうです。
…私は今回初めてドービニーの名を知ったのですが、バルビゾン派の仲間たちや後進の画家たち、そして家族に囲まれ、慕われたドービニーの温厚な人柄そのままの穏やかな田園風景に包み込まれるような展覧会だと思いました。
…私は会期初日の午後に見に行きましたが、落ち着いてじっくり作品を見ることが出来ました。解説は少なめですが、ドービニーが旅した土地やアトリエ船ボタン号の模型、版画集「船の旅」などの情報と、描かれた作品とを合わせて見ることで、どんな風に制作していたかが分かり面白かったです。所要時間は60~90分程度です。

概要

【会期】

…2019年4月20日~6月30日

【会場】

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

【構成】

序章 同時代の仲間たち
第1章 バルビゾンの画家たちの間で(1830~1850)
第2章 名声の確立・水辺の画家(1850~1860)
第3章 印象派の先駆者(1860~1878)
第4章 版画の仕事
…展示の中心となるのは第3章で、出品作の半分以上を占めています。また、出版物の挿絵などで版画の技術を培ったドービニーは、画家としての地位が確立して以降も版画作品を制作していて、今回の展覧会でも「船の旅」など多数が出品されています。なお、第4章にはドービニーの息子で風景画家になったカール・ドービニーの作品も出品されています。

www.sjnk-museum.org

感想

…ドービニーの作品を見ていてまず感じたのは、単純ですが晴れた日の風景が多いということです。ドービニーは戸外、ことに船で制作していたのですから、天候の良い日が多くなるのは当然とも言えますね。もっとも、アトリエ船と言っても実際は揺れる船上より岸に降りて描くことの方が多く、完成品は自邸のアトリエで仕上げたと推測されているそうですが、悪天候では制作に支障を来すでしょうし、晴れた日の風景が多いのはドービニーが制作のため実地で風景を見ることを好んでいたことの表れだと思います。
…また、緑豊かな風景を描いた作品が多いのですが、ドービニーを含む19世紀前半の風景画家たちは、季節の良い時期に各地を旅して習作を描き溜めていたそうなので、春や初夏を思わせる瑞々しい風景が多いのでしょう。
…水辺の風景が多いのは、制作にあたってアトリエ船を利用したためであり、サロン(官展)で水辺の風景が評価されて同様の作品の需要が高かったことが何より大きいのでしょう。それと共に、水のほとりは人々の生活と近く、生き物が集まる場でもあります。ドービニーの風景画は水・陸・空の自然の三つの要素が揃っているものが多く、水辺の風景のなかに小さいながらも完結した自然界が成立しているように感じます。また、光を反射する水面はときにもう一つの空と言って良いほど、画面を明るくする効果もあると思います。
…ドービニーの描いた風景には具体的な地名を連想させる名所旧跡などランドマーク的なものはあまり見当たりません。もちろん、作品タイトルに地名が入っている場合も多いのですが、単に場所を示すだけといった感じで、場合によっては「池と大きな木のある風景」や「森の中の小川」のように、何処を描いているか明示されていない場合も少なくありません。裏を返せば場所が何処であるか分かる必要がないということであり、有名な土地を観光した気分を味わったり、その土地にまつわる物語を楽しんだりするよりも、むしろ、特別ではないありふれた平凡な風景に美を見出すところに新鮮さがあったのではないかと思います。あるいは、現在ではなく、少し前の懐かしい過去を旅する気分になったのかもしれません。何処にでもありそうな水と緑に囲まれた爽やかで親しみやすい風景は、産業革命や都市化の進展に従って急速に日常から遠ざかりつつあり、反比例するように人々は穏やかな田園風景を通して古き良き時代の安らぎを求めるようになったのでしょう。距離の変化がかつては当たり前だったものの価値を認識させ、かけがえのないものであることを発見させたのでしょうね。身近で気持ちを和ませ、安らぎを与えてくれる風景。ドービニーの描いた風景の理想化とリアリズムの絶妙なバランスが人々の共感を呼んだのかも知れません。
…版画集「船の旅」は、アトリエ船ボタン号での旅の様子を家族や親しい人に見せるために描いたスケッチが元になっているそうで、船上におけるドービニーの制作の様子を知ることが出来ます。また、昼食を取っているドービニーの船の周りで魚たちが自分たちも食べたそうに水面から顔を出していたりとユーモアも交えられていて、画家の気さくな人柄が垣間見えると共に、各地を旅して旺盛に制作しながら家族のことも大事にしていたことが感じられました。
…素朴で穏やかな風景を数多く描いたドービニーですが、晩年の作品では暗い空模様や谷間のゴツゴツとした褐色の岩場など、険しさや力強さを感じさせる風景も描いています。ドービニーは若い印象派の画家たちを擁護するだけでなく、自身もより大胆な筆遣いによって生々しく流動的な印象を与える作品を描いていて、画家として成功してもとどまることなく、さらに新たな表現を追求していたのだろうと思いました。