展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ゴッホと静物画 感想

会期

…2023年10月17日~2024年1月21日

会場

…SOMPO美術館

感想

見どころ

…この展覧会は《ひまわり》、《アイリス》をはじめとするゴッホ(1853年~1890年)の作品のほか17世紀オランダの静物画やゴッホと同時代の画家による静物画69点で構成されています。人物画や風景画ではなく、静物画にジャンルを絞った展覧会は珍しいのではないでしょうか。

ゴッホはもともと人物画の制作に意欲を持っていたものの、モデル代を支払う金銭的な余裕がなかったため、習練を兼ねて静物画に取り組んだ結果が代表作《ひまわり》に繋がったのですが、改めてゴッホの代表作が静物画だと考えてみて、少し意外な気がしました。静物画は基本的に魂のないオブジェ――多くは身近な食材や道具――を見えるままに描くジャンルであって、波乱に飛んだ生涯と独創的で強烈な画風というドラマティックなゴッホのイメージとは対照的です。

静物画は市民の住居という日常生活の場に馴染み、豊かさや安らぎを演出する装飾として求められる一方で、画家にとっては自身の意図、計算に基づいてオブジェを選択し構成することが可能であり、しばしば絵画技法の研究や訓練を目的に制作されました。印象派とも遠近法とも異なる立体表現を追求したセザンヌや、キュビスムを確立する過程でのピカソやブラックの試行錯誤は主に静物画においてなされていて、ゴッホ静物画もこうした実験的な取組に連なる側面があります。静物画は一見すると深い精神や崇高な物語が表現されていないため退屈だとさえ思ってしまいがちなのですが、実は挑戦的で熱いジャンルだと知ることができました。

ゴッホの画風は個性的で独創的ですが、多くの先人や同時代の画家を尊敬し、作品から影響を受けていて研究熱心でもあります。また、作品から受けた感想や見解を手紙など文章で自由率直に述べていて、批評としても興味深いです。画商として働いていたこともあり、自分の描いた作品だけでなく他人の作品にも強い関心を持っていて、絵そのものが好きだったのだろうと思いました。

初期の静物

ゴッホがオランダにいたころに取り組んだ静物画では野菜や果物、食器などが多く、《馬鈴薯を食べる人々》(1885年)のような農民たちの素朴な生活を描くにあたって必要なモチーフだったと思われます。鳥の巣を描いた作品について、ゴッホは「(鳥の巣を)自然の環境の中ではなく、伝統的な(黒い)背景の前に置いたときに明確になる」と述べているので、暗い色調同士を隣り合わせて、効果的に差異を表現しようと試みていたのでしょう。魚を主題とする静物画はオランダが海洋国家、漁業国家であることを感じさせます。アントワーヌ・ヴォロンの《魚のある静物》(1870年頃)は魚の薄い皮の質感や青みを帯びた銀灰色の光沢が正確に表現されています。ゴッホが燻製ニシンを描いた作品はごつごつと干からびて枯れ木のようであり、魚らしくないところが面白いといました。

ゴッホ《りんごとカボチャのある静物》(1885年9月)

花の静物

…室内に飾られる花は華やぎを演出し、人工物に囲まれた空間に生気や安らぎをもたらす効果があります。生花であれば季節が限定され、短い期間で枯れてしまいますが、絵の花ならばいつでも楽しむことができるでしょう。17世紀のオランダでは熱狂的にチューリップが愛好されたこともあり精緻な花の静物画が発展しましたが、色とりどりで形も複雑な花は画家にとっても挑戦し甲斐のある題材だったのではないかと思います。

ゴッホが花の静物画を手掛けるようになるのはパリに移ってからのことで、オランダ時代とは打って変わって淡い色彩、明るい色彩が用いられています。《青い花瓶にいけた花》(1887年6月頃)は画面中央に描かれたキクのような黄色の花が、周りの青い色彩――小さな青い花や花瓶、背景に用いられている淡い水色――との対比で手前にせり出してくるような印象を受けます。ゴッホは新印象主義シニャックと一緒にパリ近郊の風景を描いていたこともあったそうで、この作品では背景に細かな点描をちりばめ、テーブルは長めの点描、花びらは大きめの点描で描くなど、早速点描の表現を取り入れつつ工夫しています。なお、およそ20年後に描かれたブラマンクの《花瓶の花》(1905~06年頃)はゴッホの《青い花瓶にいけた花》と色彩の組み合わせがよく似ています。ブラマンクは花瓶や壁に加え、枝や葉の輪郭や影も青で描いていて、この作品を見たことで、逆にゴッホも黒を使っていないことに気づかされました。一方で、ブラマンクの作品は対象の特徴の再現にこだわらず花を色彩そのもので表現している点や、画面を色彩で塗り潰さず軽さや動きを感じさせるところに新しさを感じます。1901年に開かれたゴッホの回顧展を訪れたブラマンクは「私は、喜びと絶望で泣きたくなった。その日、私はゴッホを父よりも愛した」と述べていますが、ゴッホの後の世代が大きな影響を受けつつ新たな境地を切り開いていったことを見て取ることができるように思いました。

ゴッホ青い花瓶にいけた花》(1887年6月頃)

ひまわり

アメリカ大陸からもたらされたヒマワリは、太陽に向かって咲くと考えられたことや、花の形自体が太陽を思わせることから太陽ひいては神や信仰の象徴にもなりました。もとは聖職者を目指していたゴッホがこの意味に無頓着だったとは思えません。また、ヒマワリは力強い男性的な美の象徴として19世紀のイギリスで唯美主義のアイコンとなり、室内の調度品のデザインに用いられるようになりました。アルルのアトリエをヒマワリの装飾画で飾ろうというゴッホのアイディアの背景には、同時代の美術の潮流やデザインの流行もあったのでしょう。しかし、黄色い家を黄色い花で飾る、南仏の明るい光、眩い日差しを思わせる花で飾るというのはゴッホの好みでありセンスです。ゴッホの描いた《ひまわり》(1888年)は単純化された力強い線と厚みのある色彩により強烈なエネルギーと神々しいまでの存在感を放っていて、巷間に流布していた一般的な、類型化したヒマワリの図像を新たに塗り替えて「ゴッホの花」になったと言えると思います。ゴッホの回顧展の図録やゴーギャンの《肘掛け椅子のひまわり》(1901年)を見るとゴッホの没後間もない時期からゴッホの花としてのヒマワリ、あるいはゴッホ自身としてのヒマワリというイメージが共有されていたことが伺われます。また、そうしたイメージは反復されることでさらに強化され、定着していったのだろうと思います。

ゴッホ《ひまわり》(1888年11月~12月)

物語るモノ

ゴッホが靴のみを描いた静物画は少なくとも7点以上あるそうです。その一つである《靴》(1886年9月~11月)は灰褐色の背景に置かれた一足の黒い靴をほぼ正面から描いていて、内部のつくりや解けた靴紐が描写されています。くたびれた黒い靴は、抜け殻にもかかわらず履いている持ち主の人柄や生活が思い浮かぶような味わいがあります。道具はただの物ではなく、表情があるんですね。愛用の品や使い込まれた道具は持ち主の生活や性格を映し出し、ときには人生さえ語り出すかもしれません。

ゴッホ《靴》(1886年9月~11月)

…《皿とタマネギのある静物》(1889年1月)は一見何の変哲もない食卓を描いた静物画ですが、パイプはゴッホ自身、手紙はテオ、燭台はゴーギャンといった具合に人物を想起させる品が描かれていて、まるでテーブルを囲むゴッホとテオ、ゴーギャンを見ているような気もしてきます。また、テオの位置はゴッホの隣で、血縁であり協力者、理解者といった心理的な近しさを感じる一方、ゴーギャンとは向かい合わせで関心の強さと緊張感のある関係がうかがわれます。テーブルに置かれた医学書ゴーギャンと口論の末に耳を切ったゴッホがアルルの病院に入院していたことを示唆しているのでしょうか。黄色い食卓と青い背景を緑の壺や瓶が調和させていて全体に落ち着いた色調であり、ゴッホが興奮状態から落ち着きを取り戻したことを感じさせますが、どこかメランコリックな雰囲気もある作品です。

ゴッホ《皿とタマネギのある静物》(1889年1月上旬)

アイリス

…《アイリス》(1890年)は紫と黄という補色の効果を研究した作品で、同じアイリスをピンクの背景に描いて色彩の穏やかな調和を図った作品と対になっています。現在では描かれたアイリスの花は青く見えるのですが、これはゴッホの使っていた赤い絵の具が褪色したためだそうです。青い花からは透き通った爽やかな印象を受けますが、わずかな花びらに残った赤い色を見ていると制作された当時はもっと強く押し出してくるような存在感があったのかもしれません。構図的には鋭い緑の葉と長い茎が上に向かって放射状に広がり満開の花をつけている逆三角形で、画面上半分が重く不安定になるところを、右側に垂れた花でバランスをとっています。ゴッホはアイリスの複雑な花の形を丁寧になぞり、画面手前で光が白く反射している花、奥のほうで影になっている色の濃い花をひとつひとつ潰してしまうことなく描き分けています。一方で、しっかりとした線はむしろ装飾性を高める効果があり、日本美術の影響も感じます。アルルでの事件後、療養を余儀なくされたゴッホですが、なおも絵画制作への意欲を失わずに新たな挑戦を続けていたことが分かる作品だと思いました。

ゴッホ《アイリス》(1890年5月頃)