展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

印象派からその先へ――世界に誇る吉野石膏コレクション 感想

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ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》


見どころ

…「印象派からその先へ――世界に誇る吉野石膏コレクション」はバルビゾン派からルノワール、モネなどの印象派、さらにモダン・アート、エコール・ド・パリにいたる72点の作品を見ることが出来る展覧会です。秋は多くの美術館で大型の展覧会が開催されていて、そうした中でこの展覧会に対してはやや控えめなイメージを持っていたのですが、予想以上に良質な作品が多く、19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランス絵画を堪能することが出来ました。
…コレクションを所蔵する吉野石膏株式会社は1980年代後半からフランス近代絵画の収集を始めて、1992年からは公益財団法人山形美術館の常設展示室でコレクションを公開しているそうです。特にシャガール作品は国内有数のコレクションとして知られているとのことで、今回の展覧会でもシャガールの作品が10点出品されていました。
…私は11月の土曜日の午後に見に行きましたが、最初の展示室は混雑していたものの、その後は落ち着いてじっくり鑑賞することが出来ました。展示解説は多めです。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年10月30日~2020年1月20日

【会場】

三菱一号館美術館

【構成】

1章 印象派、誕生――革新へと向かう絵画
 …ルノワール7点、シスレーピサロ各6点、モネ5点など計36点
2章 フォーヴから抽象へ――モダン・アートの諸相
 …ヴラマンク4点、ピカソ・ルオー各3点など計20点
3章 エコール・ド・パリ――前衛と伝統のはざまで
 …シャガール10点など計16点
…概ね年代順、画家別の構成で、タイトルにもなっている印象派の作品が半分近くを占めています。ほぼ油彩画ですが、パステル画も3点(ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》、ドガ《踊り子たち》、ピカソ《フォンテーヌブローの風景》)含まれています。

感想

ジャン=フランソワ・ミレー《バター作りの女》(1870年)

…薄暗い室内で桶の傍らに立ち、バター作りに勤しむ女性。牛乳を攪拌する女性は手にした棒を恭しく捧げ持っているようでもあり、相似形をなす台形の桶と女性のスカートはどっしりとした安定感を感じさせて、働く女性の姿に厳かな重々しさを与えています。部屋の右側、出入口の先にある納屋では乳搾りをする女性がいて、更にその窓の外には小さく緑の牧場が見えますね。画面の奥行きが感じられると共に、牧草地で育った牛が納屋で乳を搾られ、その牛乳でバターが作られるという一連の過程が一つの絵に収められた異時同図法になっているようです。だまし絵のように石畳に刻まれたサインとあわせて、画家の遊び心も感じられる作品だと思います。

ウジェーヌ=ルイ・ブーダン《アブヴィル近くのソンム川》(1890~94年頃)

ブーダンというと明るい空の下、水辺で余暇を楽しむ人々を描いた作品のイメージがあるので、この作品を最初見たときすぐにブーダンとは分かりませんでした。上空高く昇った月が雲の影から姿をのぞかせ、川面に明るく映し出されています。昼間の太陽とは異なる白々とした月明りに照らされて、夜空に広がる雲が見せる微妙な表情が複雑な色調で描かれています。限られた色彩や素早く大胆な筆遣いなどは水墨画のようにも感じられました。

ピサロルーアンのエピスリー通り、朝、雨模様》(1898年)

…この作品は朝、まだ人通りが疎らなエピスリー通りを見下ろす視点から描かれています。空に雲は多いものの、灰色と褐色を主とする街並みの色彩には明るさが感じられ、石畳の通りを往来する人も傘は差していないので、弱い雨なのでしょう。画面奥に向かって伸びる道の先には大聖堂の塔が聳える一方、画面手前には色とりどりのポスターが掲示された広告塔が立っていて、一つの街に同居する古い歴史と新しい時代が感じられます。時刻や天候が添えられたタイトルがモネの連作《ルーアン大聖堂》(1892~94年)を思い出させるのですが、本作品とほぼ同じ構図、サイズで描かれた《ルーアン旧市場とエピスリー街》(1898年、メトロポリタン美術館蔵)という作品もあるようなので、ピサロによるルーアン連作の一点なのでしょうね。

アルフレッド・シスレー《モレのポプラ並木》(1888年)

…この作品は画家が居を構えたモレ=シュル=ロワンの風景を描いた一点で、ロワン川の岸に沿って緑のポプラ並木がリズミカルに立ち並び、空間の奥行きを効果的に演出しています。戸外の風が心地良い季節のようで、翻るポプラの葉に明るい日差しが白く反射し、梢の背後には白い雲の浮かぶ青空が広がっています。影が比較的長いので、空の色も踏まえると朝から午前中にかけての時間帯でしょうか。両岸ではそれぞれに寛いでいる人々の姿もあり、穏やかな時間が流れているように感じられます。きらめく光に満たされた印象派らしい風景画だと思いました。

モネ《サン=ジェルマンの森の中で》(1882年)

…モネ《サン=ジェルマンの森の中で》は華やかな色彩が印象的です。緑の森に鏤められた赤や黄の色彩に秋の森かと思ったのですが、この作品は初夏に描かれたそうなので、おそらく赤みが掛かった午後の日差しに照らされている光景なのでしょう。木々のあいだのトンネルのような道は日向と日陰が交互に連なり、森の奥へと続いています。点描で描かれた樹木の枝葉は見分けが付かないほど混じりあい、光と物体が渾然一体となっていて抽象画のような作品だと思いました。

エドガー・ドガ《踊り子達たち(ピンクと緑)》(1894年)

…この作品は舞台の袖で出番を待つ踊り子達を捉えたもので、斜め上から見下ろしているため踊り子の足が短縮されて描かれています。踊り子のチュチュや肌の色、床などピンクがかった色彩と対比されて、衣装の胴部の緑色が引き立っています。パステルのタッチはチュチュのふんわりとした感触を効果的に表現していますね。横顔の踊り子の表情はよく見えませんが、腰に手を当てて構え、爪先を立てている仕草、背中に浮き上がる筋肉などからは、舞台に躍り出る直前のエネルギーを蓄え気持ちを高めている様子が伝わってくると思います。

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ドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を運ぶ人々》(1884年)

…この作品はゴッホがオランダ時代に描いたもので、荒涼とした雪原を、外套も羽織らない質素な身なりの農民の家族が薪を運んで歩いています。一面の白い雪の中、暗い色彩で描かれた四人はいずれも俯き、貧しさや過酷な労働に打ちひしがれていて、背中の薪は彼らの背負う人生の重荷を象徴しているようにも見えます。画面左の沈みゆく真っ赤な太陽は教会などの宗教的モチーフに代わるものだそうで、そう思ってみると薪を背負う農民たちは十字架を背負うイエスのようにも見えてくる作品だと思います。

モーリス・ド・ブラマンク《大きな花瓶の花》(1905~1906年)

…この作品は今回の展覧会で個人的に一番印象に残りました。縦長の大きな作品で、素焼きの花瓶は陰影によって丸みが表現され立体感が感じられる一方、花瓶に生けられた花は形体が簡略化され、大きめの色の斑点で平面的に描かれています。花瓶の大きさに比べると花の背が高く、垂直性が強調されていますが、上に向かって伸びる花や葉と下に垂れる葉やテーブルに落ちた花とは互いに引き合いつつも釣り合っていて、画面に緊張感とまとまりを生み出しています。モチーフを形作る赤・褐色と緑、影になった部分の青と背景の黄という補色同士が対比されていますが、ただ強烈なだけでなく生き生きとした色彩の輝きを感じられる作品だと思いました。

モイーズ・キスリング《背中を向けた裸婦》(1949年)

…この作品はとても滑らかな絵肌が印象的で、それがそのまま傷一つない女性のつややかな背中であるかのように感じられました。頭にターバンを巻き、上半身露わな女性が振り返って流し目で微笑む構図は、マン・レイの《アングルのヴァイオリン》(1924年)の影響を受けているそうです。マン・レイの作品が女性の曲線美を抽象化し、諧謔を交えて表現しているのに比べると、キスリングのこの作品はより率直に女性美を讃えていて、生身の肉体が持つけだるい重々しさはマン・レイの作品のさらに元となったアングルの《ヴァルパンソンの浴女》に近いように思いました。

マルク・シャガール《逆さ世界のヴァイオリン弾き》(1929年)

…床と屋根がひっくり返り、部屋の中が壁の外にめくれているような奇妙な家でヴァイオリンを弾く男性。一目見て現実にはあり得ない光景と分かりますが、シャガールは時折キャンヴァスを回転させて描くこともあったそうです。画面の中心を占めるヴァイオリン弾きはどんな音楽を奏でているのでしょうか。聞こえることのない絵のなかの音楽を敢えて想像してみると、ヴァイオリン弾きのわくわくとした、夢中でヴァイオリンを掻き鳴らしているような表情やひっくり返った世界から、ゆったりとした曲ではなく目まぐるしい曲のように思われます。シャガールが生まれ育ったヴィテヴスクのユダヤ人社会で信奉されていたハシディズムというユダヤ教の一派では、歌や踊りを通して神との交感を果たすことが大きな意味を持っていたそうです。シャガールにはヴァイオリンを弾く叔父がいて、自分でも弾くことがあったそうですから、この作品は経験、実感を拠り所に音楽や踊りがもたらす昂揚感、忘我や酩酊を表現しているとも考えられます。幻想的な作風で知られるシャガールですが、自身をリアリストだとも語っているので、単なる夢や不思議ではなくこのように描かれる理由があっての作品なのだろうと思います。パガニーニのような超絶技巧でこの逆さ世界を操る、魔術師としてのヴァイオリン弾き。宙を舞う天使はそんなヴァイオリン弾き=画家に霊感を吹き込んでいるのかもしれないと思いました。