展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年 感想

会期

…2022年2月9日~5月30日

会場

国立新美術館

構成

Ⅰ 信仰とルネサンス:17点
Ⅱ 絶対主義と啓蒙主義の時代:30点
Ⅲ 革命と人々のための芸術:18点

感想

…この展覧会はアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館の改修工事に伴うもので、メトロポリタン美術館の所蔵する2,500点余りのヨーロッパ絵画部門のコレクションから65点が来日、そのうち46点は日本初公開となっています。メトロポリタン美術館の開館は1872年2月ですからちょうど150周年を迎えたんですね。出品作を見ると、いずれ劣らぬ巨匠の名がいくつも見当たり、「さすがメット」と言うべき豪華なラインナップとなっています。
…クリヴェッリの《聖母子》(1480年頃)に描かれたマリアは陶器のような滑らかさと冷ややかさがあり、幼子イエスも大人のような顔つきで、人間離れした存在であることが感じられます。硬質かつ緻密な描写で、聖母子の光輪は宝石で縁取られた華麗なものです。だまし絵のような立体感があり、少し離れて見るとより実感できます。
…ピエロ・ディ・コジモ《狩りの場面》(1494~1500年頃)は獣と獣、人あるいはサテュロスと獣とが互いに組み合い、闘い、喰らい合う強烈な作品です。背後の鬱蒼とした森の中から火の手が上がっていますが、火は動物にとっても人間にとっても脅威であると同時に、文明の原点、象徴でもあります。ルネサンス人文主義ヒューマニズム)は「人間らしい」肉体や感情表現を受け入れ、理想化して描いたイメージがあるのですが、この作品は原始的な荒々しさに満ちていて特異な存在感を放っていました。
クラーナハ(父)による《パリスの審判》(1528年頃)は、今回の展覧会で個人的に是非見たかった作品の一つです。ヘラ、アフロディテ、アテナというギリシャ神話の三人の女神が美を競うという主題で、帽子や真珠の髪飾り、大ぶりのネックレスなどの装飾品が女神たちの白い肌を一層引き立て、ほっそりと優美な裸身の官能性を強調しています。本来、ヘラはゼウスの妻で家庭の守護神、アフロディテは美と愛の女神、アテナは武の女神にして智の女神と、三者それぞれに個性的なのですが、この作品では三つ子のように似ていて三美神、あるいは一人の女性の三つの姿のようにも見えます。横顔、正面、後ろ姿とあらゆる角度から描かれた女性美の三位一体といったところでしょうか。銀の甲冑を身に纏ったトロイアの王子パリスが目覚めた森の背後には、険しい岩山とその上に建つ城館、遠くかすむ湖と街というドイツの山岳風景が広がっています。田園で遊ぶ紳士とニンフを牧歌的に描いたティツィアーノ《田園の奏楽》を北方風にアレンジするとこうなるかもしれないと思いました。
エル・グレコ《羊飼いの礼拝》(1605~10年頃)は劇的で神秘的な作品です。画面中心のイエスはこの空間を照らし出す光の源であり超越的な存在であることが窺われ、奇跡が具現化する別次元の世界を幻視するような感覚を覚えます。ルーベンス《聖家族と聖フランチェスコ、聖アンナ、幼い洗礼者聖ヨハネ》(1630年代初頭/中頃)はルーベンスらしく豪奢で流麗な作品です。畏まらず、世俗にも寄りすぎず貴族的で、華やかさや豊かさが画面を満たしています。ルーベンスのすぐ隣に展示されていたムリーリョ《聖母子》(おそらく1670年代)は質素でより身近な印象です。我が子を気遣う母の細やかで深い情愛と無邪気な子供のあどけなさが表現されていて、人間的な親密さが感じられました。
…サルヴァトール・ローザは今回の展覧会で初めて名を知った画家で、教養があり詩人で俳優でもあったそうです。しかし、《自画像》(1647年頃)でローザが戴く冠は詩人のアトリビュートである月桂樹でなく死の象徴である糸杉で、手にしたペンで髑髏に「やがて いずこへ 見よ」と記しています。肉体や名声の儚さを憂い、生の喜びに耽溺せず理性的に振る舞うよう戒める内省的な作品ですが、一方で、ローザが俳優であることを踏まえると舞台仕立てに装って「死」を演じているようにも見えてきます。死を想念する自分自身すらも芝居じみている、と突き放して超然とした自我の確立を求めていたのかもしれません。
…シモン・ヴーエの《ギターを弾く女性》(1618年頃)を目にした時は一瞬カラヴァッジョの作品かと思いました。実際、ヴーエはカラヴァッジョの影響を受けていて、劇的な明暗や官能性に相通じるものを感じます。そのカラバッジョの《音楽家たち》(1597年)は、今回の展覧会の個人的な見所の二つ目でした。青年たちが古代風の衣装を身に纏い、楽譜を広げリュートを奏でていますが、当時カラヴァッジョのパトロンだったデル・モンテ枢機卿の館ではこうした音楽会が頻繁に開かれていたそうなので、それに着想を得たのでしょう。カラヴァッジョは奇跡を現実的に描く画家ですが、ここでは肉感的、蠱惑的で両性具有的な美青年たちに羽のあるキューピッドが何気なく紛れています。翼以外に青年たちとキューピッドを区別するものはなくまるで同等の存在で、青年たちは生身を持つ天使のようであり、もしくは青年たちの天使性を描いているようにも思われます。キューピッドが手にしているブドウはディオニュソスアトリビュートでもありますが、リュートを手にした青年のうっとりと浸る表情は愛と音楽が共に人を酔わせ、陶酔をもたらすものであることを示唆しているのかもしれません。
レンブラントの《フローラ》(1654年頃)は個人的にこの展覧会で一番見たかった作品です。本作はウフィツィ美術館所蔵のティツィアーノ《フローラ》(1515~17年頃)から着想を得たとされています。しかし、ティツィアーノのフローラが肌着姿で半ば胸を開け、金髪を長く垂らし誘うような微笑みを浮かべていて、春と花の女神であると共に高級娼婦であることが示唆されているのに対して、レンブラントの《フローラ》は同じように花を差し出しているもののより控えめで、寓意画や美人画にしてはリアルな個性があります。慎ましいドレスと小さな赤い花で飾られた帽子という牧歌劇(アルカディア)風の装いは、汚れない魂と真の素朴さを象徴しています。女性が身につけている耳飾りやネックレスの真珠も無垢や純潔の象徴ですね。本作はドイツのカッセル美術館《サスキアの横顔》(1633/34~42年頃)によく似たポーズと横顔であり、レンブラントの人生の春を彩った亡き妻サスキアを偲んでいるように思えます。一方で、ちょうどこの作品が描かれた頃、レンブラントの事実上の妻はヘンドリッキェでしたが正式な結婚をしていなかったため、1654年6月にヘンドリッキェは教会から呼び出されてレンブラントとの関係を咎められています。そうした背景を踏まえるとレンブラントが自身の後半生に寄り添ってくれた伴侶ヘンドリッキェを弁護しているようでもあります。あるいはその両者も含め、レンブラントにとって生きる喜びと魂の豊かさをもたらしてくれる普遍的な女性像であると考えるのが良いのかもしれません*1
…ヴァトーの《メズタン》(1718~20年頃)は叶わぬ恋を追い求める道化師の切なさ、もの悲しさが感傷的になりすぎずに伝わってきます。通常メズタンの衣装は赤と白とのことですが、この作品では緑と赤で、マントやターバンの赤と鬱蒼とした緑の森との対比と呼応しています。フラゴナール《二人の姉妹》(1769~70年頃)は人形遊びをしている幼い姉妹が描かれていて、子供の可愛らしさやパステルカラーの色彩には砂糖菓子のような甘やかさが感じられ、まさにロココらしい作品でした。ブーシェ《ヴィーナスの化粧》(1751年)は身繕いする流し目のヴィーナスが描かれた装飾的な作品です。実際、この作品はルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の居城ベルヴュー城にある「湯殿のアパルトマン」の扉を飾っていたそうです。
…美術批評の祖であるディドロが称賛したシャルダンとグルーズの作品が隣り合わせで展示されていたのは印象的でした。甘美なロココ美術全盛期に活動した両者ですが、彼らは共に庶民の日常を主題とする作品を多く残しています。グルーズの作品には一目で分かる雄弁な物語性が伺えるのに対して、シャルダンはより控えめで穏やかです。また、グルーズの古典主義的で明晰な描写に対して、シャルダンは光の効果や色彩により関心があるように感じられました。
…グアルディの《サン・マルコ湾から望むヴェネツィア》(1765~75年頃)は、ヴェネツィアの名所であるサン・マルコ大聖堂ドゥカーレ宮殿などを正確に、克明に描くにとどまらず、港に浮かぶ貨物船やその間を行き交うゴンドラで賑わう活気に満ちた海港都市としての姿を捉えています。一方、ターナーの《ヴェネツィアサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》(1835年頃)は海と空、船影と水面、水面に映る建物と陸の境が溶け合い陽光の中で揺らめき、風景そのものよりも光の効果や空気感、実体と鏡像の融合に関心があるように見えます。
…ジェロームの《ピュグマリオンとガラテア》(1890年頃)は白い大理石の彫刻から生身の女性に変化する途上のガラテアが、色彩と質感のグラデーションで表現されていました。創作物に命を吹き込むことは芸術家の夢ですよね。
ゴヤの《ホセ・コスタ・イ・ボネルス、通称ペピート》(1810年頃)は、ふっくらとした顔立ちのまだ幼い少年が大きすぎる帽子を手に堂々と立つ肖像画です。制作当時、スペインはナポレオン軍と戦っていて、少年の帽子は兵士のもの、背景に置かれたおもちゃの馬や太鼓、そして銃も時代背景を感じさせます。それらを踏まえて見ると兵士の装いで勇む少年のあどけなさがより強調されるようでもあり、凜々しく結ばれた口元に子供ながら強い決意を秘めているようにも思われます。緑の上着と帽子の赤い羽根が対比され、少年の衣服の質感が生き生きとした筆遣いで捉えられている作品です。一方、スペイン独立戦争の相手国でもあったフランスのマネは、ベラスケスやゴヤなどスペイン絵画から少なからず影響を受けました。《剣を持つ少年》(1861年)は上述のゴヤの作品と比べるとより説明性が省略され、平面的でモダンになっています。少年は自分の身体には大きすぎるサーベルを抱えていますが眼差しはひたむきで、そんな少年を見守る画家の親しみが感じられます。茶褐色と黒が主体の画面のなかで少年の大きな白い襟と青い靴下が一際目を引き、洗練された色彩感覚がマネらしい作品だと思いました。
シスレーヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋》(1872年)はパリの北にあるセーヌ川沿いの村ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの風景を描いた作品で、綿のような白い雲の浮かぶ明るい空が印象的です。青空と緑の土手が映りこんだ川面には船が浮かび、さざ波はやや大きめの点描で軽やかに描かれています。降り注ぐ夏の日差しに川岸の家並みは隈無く照らされ、吊り橋のたもとの日陰では恋人たちが寄り添って涼んでいます。穏やかな気配とゆったり過ぎていく時間が安らぎをもたらし、平凡な日常こそかけがえのない幸福であることを改めて思い出させる作品だと思います。

*1:レンブラントと巨匠たちの時代」(伊勢丹美術館)1998年、P28

没後50年 鏑木清方展 感想

会期

…2022年3月18日~5月8日

会場

東京国立近代美術館

構成

第1章 生活をえがく
 特集1 東京
第2章 物語をえがく
 特集2 歌舞伎
第3章 小さくえがく

kiyokata2022.jp

感想

…今回は昨年開催された「あやしい絵」展(国立近代美術館)に出品されていた鏑木清方の作品に惹かれて観に行きました。清方の作品は一般的なイメージにある日本画らしい日本画で、奇をてらわず、綺麗なものを素直に綺麗に描いているところが個人的に好みです。私は西洋美術の油彩画をよく見るので、それに比べると日本画は淡く繊細で、儚い印象を受けます。色彩に濁りがないのに原色のどぎつさはなく、透明感さえ感じます。また、清方は自身の幼年時代から青春時代に当たる明治時代への郷愁を抱いていて、「良い時代だった」と語っています。当時の習俗や日本文学、伝統芸能に詳しいと、描かれた作品の文脈をより深く読み取ることができて面白いのだろうと思いました。
…私は一度しか行けなかったため、展示替えで見逃した作品も多いのですが、代表作《築地明石町》(昭和2[1927]年)、《新富町》(昭和5[1930]年)、《浜町河岸》(昭和5[1930]年)は通期展示で、三点合わせて見ることが出来ました。《築地明石町》の女性は左手薬指に金の指輪を嵌めていますが、結婚指輪が日本に入ってきたのは明治時代、定着したのは大正時代以降だそうです。図録には下絵も収録されていて、うっすら背景に浮かぶ船や朝顔の絡む垣根、女性の等身などがバランスを考慮して綿密に配置されているのが分かります。僅かに覗く道行の裏地と下駄の鼻緒の赤が落ち着いた色合いに華を添えています。少し肌寒い初秋の朝なのでしょうか。実際に見た時は気づかなかったのですが、図録の表紙を見ると女性の瞼や目の下に線が入っていて、目の周りが窪んでいることが表現されているんですね。夏の名残をとどめて咲く足元の朝顔はたった一日で萎んでしまう花、しかも根本の葉から枯れ始めていて、翳りゆく人生の夏を象徴しているのかもしれません。愁いを帯びた妙齢の既婚女性は何を思って振り返っているのか、様々に想像を重ねて見ることが出来る作品だと思います。
…《露の干ぬ間》(大正5[1916]年)は青と緑を基調とした六曲一層の屏風で、目にも涼やかな作品です。朝顔や露草、紅花といった夏の草花の中で佇む女性は帯を前で結んでいるので、寝起きの浴衣姿のまま朝露に濡れた庭で寛いでいるのでしょう。女性は団扇の柄を口に咥え、項を掻き上げていて垣間見える白い二の腕から匂い立つような色気が醸し出されています。鏑木清方は明治時代への郷愁を強く抱いていたそうですが、描かれた女性たちの多くは髷を高い位置で結い、大きな櫛や簪で飾っていて明治よりさらに前の江戸時代の名残を感じさせます。伝統的な日本髪と着物の襟の狭間からのぞく項に対する清方の拘りには、古き良き時代への愛着が込められていたのかもしれないと思いました。
…《雪粉々》(昭和12[1937]年)では軒下に佇む女性がちらつく粉雪を見上げています。綿入れを着た女性は凍える寒さに肩を窄めていて、握り合わせた手の爪や着物の裾からのぞく足の爪には血の気が差して仄かに色づいています。雪雲に覆われた空を思わせる鈍色の袷に氷のような色の中着を重ねていて、色合いも冬らしいです。主題の雪はあくまで添える程度、でも仕草や服装、色合いに様々なサインが施されていてそれらを丁寧に読み解いていく面白さがあります。また、この作品を見た時、灰色、水色の着物に黄土色の帯という組み合わせ、落ち着いた地味な上着と襦袢の可愛らしさというギャップなどお洒落な装いに感心してしまいました。洋服でも柄物と柄物を合わせるのは難しいですよね。よく研究しているなと思いましたし、和装の美意識が感じることができました。
…季節を象徴する庶民の生活の一場面を月ごとに描いた《明治風俗十二ヶ月》(昭和10[1935]年)は現代の私にとってもピンとくる作品もあれば、そうでない作品もあります。三月に《けいこ》が描かれている理由を考えてみたのですが、かつて江戸時代の富裕な庶民は娘が武家奉公できるように踊りや三味線など芸事を習わせていたそうです。武家奉公はすなわち花嫁修業であり、時代が明治に変わっても将来のため、女性のたしなみとして音楽などの稽古をする習慣が定着していたのでしょう。三月は別名弥生、草木が芽吹き生命力がいよいよ増す季節であり、桃の節句もありますから、そこに少女の成長を重ねたのかもしれません。九月の《二百十日》は題名の通りで、急いで物干し台に上がってきた女性が心配そうに空模様を眺めています。吹き荒れる野分に木の葉が舞い、洗濯物ははためき、鉢植えが倒れていますね。女性は嵐の訪れに備えつつ、無事に過ぎ去ってくれることを祈っているようです。十一月の《平土間》に描かれているのは歌舞伎を見物に来た女性たち。江戸では毎年十一月になると、新たな役者の顔触れによる座組で歌舞伎の興行が行われたそうで、そうした伝統は現代まで続いているようです。特に最初の興行である「顔見世興行」は一年のうち最も重要な興行で、十一月一日は芝居正月とも言われたとのこと。客も役者も、この日を楽しみに待っていたことでしょう。季節感、生活感、そして情感のこもった連作だと思います。
…《いでゆの春雨》(昭和18[1943]年)は髪が崩れないように白い手拭いで結わえた女性が、欄干に凭れてそぼ降る雨に打たれる桜を眺めつつ僅かに口を開き、ぼんやりと物思いに耽っています。女性のお納戸色をした着物の柄も桜ですね。湯上がりの女性の目元や耳朶はほんのり上気して色づいています。しっとりとして艶やかな風情の作品ですが、当時の世相に流されずあくまで己の愛する世界を表現し続けた清方の信念もこめられているのでしょう。
…理想化されて、いずれも似通ったたおやかな美人画の女性像と比べると、《一葉》(昭和15[1940]年)は対象である樋口一葉の個性的な顔立ちや人柄、感情がはっきりと表現されています。解説によると本作は一葉の随筆《雨の夜》の一節に拠るもので、一葉は伯母に裁縫を教わった昔を懐かしんでいるそうですが、思い詰めたような目つきや固く結ばれた口元からは単に思い出を辿っているというより、きっぱりとした決意のようなものが感じられます。あるいは創作の手がかりを得た瞬間なのでしょうか。描かれた当時の一葉は代表作「たけくらべ」を執筆していたそうなので、厳しい表情や鋭い眼差しは、一瞬の閃きも逃さず捉える小説家としての一葉の顔のようにも思われます。清方は表現者、芸術家として創作の苦悩と情熱を抱きつつも一途に打ち込む姿に自身の思いを重ねていたのかもしれません。

2022年見に行きたい展覧会

…場所は東京近郊、ジャンルは西洋美術が中心です。
国立西洋美術館 2022年4月9日リニューアルオープン予定
横浜美術館 2021年3月~2023年 大規模改修工事のため休館中
パナソニック留美術館 2022年12月19日~2023年4月上旬まで改修工事のため休館予定
…Bunkamuraザ・ミュージアム 2023年春~ 大規模改修工事のため休館予定

ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展

…1月22日~4月3日→2月10日(木)開幕へ変更
東京都美術館
…修復されたヨハネス・フェルメールの《窓辺で手紙を読む女》(1657~59年頃)を展示、所蔵館以外での公開は世界初57~59年頃)を展示、所蔵館以外での公開は世界初
レンブラント、メツー、ファン・ライスダールなどオランダ絵画の黄金期を彩る作品約70点で構成を彩る作品

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年

…2月9日~5月30日
国立新美術館
アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する15世紀の初期ルネサンス絵画から19世紀のポスト印象派の作品まで65点(うち46点は日本初公開)を展示
…カラヴァッジョ《音楽家たち》(1597年)、フェルメール《信仰の寓意》(1670~72年頃)など

ミロ展――日本を夢みて

…2月11日~4月17日
…Bunkamuraザ・ミュージアム
…スペインの巨匠ジュアン・ミロ(1893~1983)と日本のつながりに着目、日本では20年ぶりの回顧展、約130点の作品と資料を展示
…代表作《絵画(カタツムリ、女、花、星)》(1934年)が56年ぶりに来日

没後五〇年 鏑木清方

…3月18日~5月8日
…国立近代美術館
…没後五十年となる鏑木清方(1878~1972)の回顧展、約110点の日本画作品で構成
…三部作《築地明石町》(1927年)、《新富町》(1930年)、《浜町河岸》(1930年)は全会期展示

シダネルとマルタン

…3月26日~6月26日
…SOMPO美術館
…「最後の印象派」と呼ばれたアンリ・ル・シダネル(1862~1939)とアンリ・マルタン(1860~1943)に焦点を当てた国内初の展覧会、油彩画・素描・版画約75点で構成

イスラエル博物館所蔵 ピカソ――ひらめきの原点

…4月9日~6月19日
パナソニック留美術館
イスラエル博物館の所蔵するパブロ・ピカソ(1881~1973)の版画作品を中心に、油彩画・ドローイング・写真を展示

スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち

…4月22日~7月3日
東京都美術館
ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を代表する画家たちの作品、及びイングランドスコットランド絵画を合わせて展示

ゲルハルト・リヒター

…6月7日~10月2日
…国立近代美術館
現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒター(1932~)の生誕90年、画業60周年を記念する個展、
…近年の最重要作品である《ビルケナウBirkenau》(2014年)をはじめ、画家の手元に保管されてきた作品を中心に構成

ルードヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡――市民が創った珠玉のコレクション

…6月29日~9月26日
国立新美術館
…ドイツ・ケルン市の運営するルードヴィヒ美術館は20世紀から現代までに特化した美術館
ドイツ表現主義新即物主義ピカソロシア・アヴァンギャルド、ポップ・アートなどの絵画・彫刻・写真・映像152点で構成

キース・ヴァン・ドンゲン展――フォーヴィスムからレザネフォール

…7月9日~9月25日
パナソニック留美術館
…オランダ生まれで、エコール・ド・パリを代表する画家キース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968)の肖像画や人物表現を核として、絵画、版画、ポスターなどを展示
…レザネフォール(les années folles、狂乱の時代)とはフランスの1920年代の華やかな時代を指す言葉

スイス プチ・パレ美術館展

…7月13日~10月10日
…SOMPO美術館
…スイス・ジュネーブにあるプチ・パレ美術館は実業家で美術蒐集家のオスカー・ゲーズ氏が1968年にコレクションを公開したことに始まるが、ゲーズ氏の逝去後、現在まで休館している
…日本では30年ぶりの収蔵品展、19世紀後半から20世紀前半の近代フランス絵画について、38名の作家による油彩画65点を展示

ボストン美術館展 芸術×力

…7月23日~10月2日
東京都美術館
…芸術作品が本来担っていた権力者の力を示し、維持するという役割に焦点を当てて、力と共にあった芸術の歴史を振り返る
…エジプト、ヨーロッパ、インド、中国、日本など様々な地域で生み出された約60点の作品で構成
…当初は2020年に開催が予定されていたが新型コロナウィルス感染拡大の影響で中止となったため、新会期により開催

ヴァロットン――黒と白(仮称)

…10月29日~2023年1月29日(予定)
三菱一号館美術館
三菱一号館美術館所蔵が所蔵するナビ派の画家フェリックス・ヴァロットン(1865~1925)の版画作品約180点を一挙初公開
…併せて、ロートレック美術館(フランス・アルビ)開館100周年を記念したロートレックとの特別関連展示も行う

パリ・オペラ座――響き合う芸術の殿堂

…11月5日~2023年2月5日
…アーティゾン美術館
…バレエやオペラの殿堂として知られるパリ・オペラ座の歴史について、様々な芸術分野との繋がりをテーマにたどり、オペラ座の芸術的、文化的、社会的な魅力を紹介する

深堀隆介展 「金魚鉢、地球鉢。」感想

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会期

…2021年12月2日~2022年1月31日

会場

上野の森美術館

www.ueno-mori.org

感想

…以前ネットで偶然目にした、枡の中をまるで本当の金魚が泳いでいるかのように見えるリアルで立体的なアートが印象に残っていて、今回観に行きました。私が見たのは金魚をテーマにした作品を手がけている深堀隆介氏の「金魚酒」というシリーズだったんですね。金魚は手軽に飼える身近な生き物の一つだと思いますが、改めて取り上げられることで見慣れたつもりでいる彼らの思いがけない多彩さ、きらびやかさが宝石のように感じられました。
…会場内では映像で作業工程が紹介されていましたが、下描きなしで樹脂にアクリル絵の具を塗り始めるのに驚きました。
①枡に樹脂を流し込む
②二日ほどして樹脂が乾いたら、絵の具で金魚の鰭を描く
③その上から再び樹脂を流し込む
④乾いたら身体や鱗を描く
⑤また樹脂を流し込む
⑥さらに鱗を重ねて描く…という手の掛かる丹念な作業を繰り返して、独特の透明感と立体感を出しているようです。
…深堀氏は自作を「2.5次元」だと解説しています。モチーフは絵の具で描かれているけれど、宙に浮いていて、絵画にも彫刻にも当てはまらない。支持体は枡や盥、傘、箪笥、空き缶や弁当箱、さらにビニール袋を再現した樹脂そのものまで「金魚が泳ぐ水を入れることが可能」な、あらゆるものが用いられています。また、板を使った作品でも方形ではなく、あえて水が垂れたような形に作ってありました。
…この立体的に見える金魚たちを眺めているうちに、作品を鑑賞しているというよりまるで金魚が現実に「いる」かのような、生きている金魚に対するような愛着が湧いてきて「可愛い」と思ってしまいました。私も子供の頃、家で金魚を飼っていたのですが、何の変哲もない和金でも「うちの子」は可愛いんですよね。あの感情に似たものが湧いてくるのです。平面の作品に接した場合に自分なりに作品を受け止めて理解するのとは異なる楽しみ方で、手に取れるモノに対する具体的な感情、立体的であることで同じ次元に存在するものへの親密な思いが湧くのかもしれません。
…作品に付されたタイトルも独創的です。初めは金魚の種類の名称なのだろうかと思ったのですが、「№8」のように容れ物から取ったタイトルや「方舟」のように一般的な場合もあります。気になって試しに深堀氏の作品集に載っていた「白澄」を検索してみたら氏のブログに行き着いて、「我が美意識の信念のもと、丹精込めて我が脳内において養育」してきた「脳内品種改良」により「品種として固定、作出」されたものだと分かりました。実在しないが、具現化された理想的な金魚と言えば良いのでしょうか。氏の金魚に対する並外れた拘り、愛着、探究心が感じられます。
…大型のパネルに描かれた作品では、水の中で広がりたなびく透き通るような金魚の鰭の優美さ、妖艶さを感じました。「段ボール水槽」というシリーズでは、水槽正面には金魚の正面図が、側面には正面に描かれた金魚の側面図が描かれていました。キュビスムは立体を解体し平面上に展開させましたが、この作品では逆に平面図を組み合わせて立体化しているところが興味深いです。また、Tシャツに描かれた金魚たちは、たわんだ布の上でひらひらと泳いでいるように感じられました。
…半紙に墨で描いた金魚のドローイングは初期によく制作していたそうです。深堀氏は子供の頃、祖父から送られる年賀状に描かれていた水墨画に惹かれて、水墨画を練習していたそうなのでルーツと言うべきものなのでしょうね。流れるような墨の線や滲みに、水を介して金魚というモチーフとの親和性を感じました。
…深堀氏が生きている金魚のスケッチはせずに、基本座ってじっと見ているだけだというのは意外でした。ただ、彼らが死んでしまった時にだけ、「デスノート」と題して彼らの詳細な姿を記録に描き留めるのだそうです。身近な生き物を実際に飼ってその生態を悉に観察するという点で、たくさんの鶏を飼っていた伊藤若冲のエピソードを彷彿させられました。
…金魚というとお祭りの屋台の金魚すくいから一般的に夏を連想しがちですが、桜の花びらの下を泳ぐ金魚の群れや、赤く色づいた紅葉の合間を縫って泳ぐ金魚たちで春や秋の季節感を表現している作品もありました。とりわけ冬は、氷の張った冷たい水の底にじっと潜んでいる小さな金魚の存在から命の温もりと愛おしさが伝わってきました。また、木製の卓上に仕切りを作って水槽にした「方舟」という作品では、卵から孵った稚魚たちが成長して広い世界へと泳いでいく姿が表現されていました。金魚の鱗をクローズアップした抽象画のような「鱗象」というシリーズもあり、小さな陶器のなかに抜け殻のような金魚の皮が浮いていたのが印象に残っています。
…会場の最後に展示されていたのは金魚すくいの屋台が再現されたインスタレーションで、屋台にはミラーボールが吊され、ラジオの音声に混じって水音が聞こえていました。水槽を泳いでいるのはアニメ絵のようなポップでカラフルな金魚です。深堀氏の作品を見ていると金魚の神秘に魅入られるのですが、本来金魚はカジュアルな存在なんですよね。屋台の竹竿に吊されているのは樹脂で作られたビニール袋入りの金魚たちで、金魚すくい用の「ポイ」もたくさん置かれていました。破れたものが多かったのは使用済みのものを活用しているのでしょうか。破れていない「ポイ」には金魚の絵が描かれていました。深堀氏にとって「金魚掬い=金魚救い」は制作の根源にあり、かつて一匹の金魚からもたらされたインスピレーションが今や豊かな作品世界として実ったのだと思います。もしかしたら、今度は深堀氏の作品から、一人でも多くの人に金魚救いを体験してもらいたいという願いもこもっているのかもしれません。昭和の時代を思わせる懐かしさや、子供の頃夢中になった親しみを呼び起こす作品だと思います。
…入場に当たって日時指定はありません。私が行った時は混雑しておらず、どの作品も間近で見ることが出来ました。作品によっては、展示ケースの上の方から見られるように足場が設置されているものもありました。会場内で撮影可能な場所が三カ所あります。所要時間は60分程度です。なお、本展の展覧会図録はなく、特設ショップでは絵はがき他グッズや深堀氏のこれまでの作品集が販売されています。

イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜展 感想

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クロード・モネ《睡蓮の池》(1907年)

概要

会期

…2021年10月15日~2022年1月16日

会場

三菱一号館美術館

構成

 Ⅰ 水の風景と反映(27点)
 Ⅱ 自然と人のいる風景(19点)
 Ⅲ 都市の風景(7点)
 Ⅳ 人物と静物(16点)
 特別展示 「睡蓮:水の風景連作」(3点)

mimt.jp

見どころ

…この展覧会では、イスラエル博物館が所蔵する印象派の先駆者や印象派、ポスト印象派の画家たちの油彩画69点が展示されています。フランスの画家が中心ですが、ドイツで活動したレッサー・ユリィなどの作品も出品されています。なお、特別展示としてイスラエル博物館所蔵のモネ《睡蓮》(1907年)と同主題、ほぼ同年に描かれた日本国内美術館所蔵の《睡蓮》が3点出品されていて、モネが同じ構図でどのように描き分けているか見ることが出来ます。
…出品作をジャンル別に見ると、風景画、特に水辺や田園などの自然を描いた作品がおよそ三分の二を占めています。これは印象派の関心が、戸外の移ろう光のもとで刻々と変化する色彩の追求にあったためでしょう。
…会場のうち、第二章の展示室は写真撮影が可能でした。主要な作品には展示解説があります。所要時間は60分程度です。チケットは日時指定制なのですが、土・日や平日午前の時間帯は早々に予約が埋まっていて印象派作品の人気ぶりを改めて実感しました。

感想

第1章 水の風景と反映

…《川沿いの町、ヴィル=ダブレー》(1855~1856年頃)をはじめ、コローの描く水辺の風景は木立や草原の緑に閉ざされた静謐さがあり、移ろいやすい一瞬の姿ではなく、時を超えてひっそりと輝く安らぎの場所として描かれているように思います。
…一方、《川の風景、バ=ムードン》(1859年)などドービニーの作品では開けた流れる水辺が描かれています。ゆったりとした川は風景を映す水鏡でもあり、空模様や水面の波立ち具合によって生じる変化を表現することに関心があるように思われます。
…コローやドービニーの作品に比べると、シスレーの作品は印象派らしく明るい色彩です。《サン=マメス、ロワン川のはしけ》(1884年、及び1885年)は同じ主題、近い年代で描かれているのですが、1884年の作品がやや引いた視点から水面を点描で描き、昼間の日差しのきらめきを捉えているのに対して、1885年の作品ではより川の近くから艀を揺らす水面のうねりを長めの筆触で描写しています。
…モネの《睡蓮の池》(1907年)には岸辺も空も描かれていません。水上に乗り出すような視点は鑑賞者を池の中に誘い込み、波のない水面は木の影と空を写す鏡と化して、まるで池の底に空が続いているかのような錯覚をおぼえます。画家は風景画らしい空間の広がりよりも、限られた範囲の水面を照らす光の変化に関心があるのでしょう。しかし、池と陸地の境界が見当たらないため、かえって水面がカンヴァスの外にまで広がっていくようでもあります。なお、同じ1907年に同一の構図で描かれた《睡蓮》が特別出品されていて、刻々と移ろう光=色彩の変化を見比べることが出来ます。

第2章 自然と人のいる風景

…暗い岩穴から流れ出る澄んだ川の流れを描いた《森の流れ》(1873年)や、鬱蒼と茂る木々の間から姿を現す大岩を描いた《岩のある風景》(1872年)など、クールベの作品では人の手が入っていない野生の自然の荒々しさや力強さが表現されています。
…一方、ピサロの《豊作》(1893年)や《朝、陽光の効果、エラニー》(1899年)では人々の暮らしと共にある、日常的で親しみのある自然が描かれています。
…第1章に展示されている作品ですが、ブーダンの《ベルクの浜辺》(1882年)では、砂浜に寝そべったりパラソルを差したりしている女性たちのなかに家畜や地元の女性が紛れていて、地域の住民の伝統的な生活の場であった海辺が都市住民のリゾート地に変貌していく様子を見ることが出来ます。
…ゴーガンは近代文明から遠く離れた原初の自然のなかで生きる人々を描いています。日盛りの暑熱のなかで人々が怠惰に横たわる時が止まったような《マルティニークの村》(1887年)と、闇の中で燃え盛る火を囲んで踊る人々や寄り添う恋人たちを描いた神秘的な《ウパ ウパ(炎の踊り)》(1891年)とが対照的で印象に残りました。

第3章 都市の風景

…アルマン・ギヨマン《セーヌ川の情景》(1882年頃)は船から荷を運び下ろす人々の背後でクレーン船が石材のようなものを吊り上げています。画面右側の川岸は工事中なのでしょうか。荷を引く馬や手押し車を押す人が描かれ、船の煙突から湧き上がる煙は工業化、近代化のエネルギーを象徴しているように感じられます。
…レッサー・ユリィ《冬のベルリン》(1920年代半ば)では、雪曇りの空の下、凍てつく冷気に包まれた街を歩く人々のファッションや路上の自動車がモノクロームに近い色彩で描かれていて、都市生活の洗練と憂愁が表現されています。また、同作者による《夜のポツダム広場》(1920年代半ば)は、濡れた路面に滲む窓の灯りや街灯、ネオンサインなど夜の街を彩る人工の光と傘を差して行き交う人影とが交錯していて、雨夜の街路の活気を感じることが出来ます。

第4章 人物と静物

…ヴュイヤール《長椅子に座るミシア》(1900年頃)は壁紙、肘掛け椅子、長椅子、そして長椅子に寝そべり新聞を読む女性のドレスの模様など様々なパターンがちりばめられた装飾的な作品で、くつろぎと安息に満ちた室内空間が表現されています。
…ボナール《食堂》(1923年)は暖かみのある黄色や褐色で描かれた妻のマルトやテーブル上の果物などと、格子柄のテーブルクロスの爽やかな青とが対比されています。マルトの表情は窺えませんが、画面右端に描かれた人物と共に愛犬を挟んで遣り取りしているのでしょうか。穏やかに流れる時間が感じられる作品だと思います。

M式「海の幸」 森村泰昌ワタシガタリの神話 感想

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青木繁《海の幸》1904年


会期

…2021年10月2日~2022年1月10日

会場

…アーティゾン美術館

構成

 序章 「私」を見つめる
 第1章 「海の幸」鑑賞
 第2章 「海の幸」研究
 第3章 M式「海の幸」変装曲
 第4章 ワタシガタリの神話
 終章

www.artizon.museum

感想

…『序章「私」を見つめる』では、青木繁の《自画像》とそれに扮する森村氏の作品《自画像/青春(Aoki)》とが並べて展示されています。青木の自画像は暗い靄のような背景に自身の姿も影となって沈んでいて見分けが付きにくいのですが、赤い輪郭線から僅かに浮かび上がる姿からは心中に抱く炎のような野心や情熱が感じられます。対する森村氏の作品ではよりくっきりと青木の姿が現れていて、特に目つきや口元に不遜とも受け取れる矜持が感じられました。「第1章『海の幸』鑑賞」では、青木繁の作品と、それに対する森村氏の創作テキストが合わせて展示されています。森村氏の言葉からそれまで自分が感じていたのとは異なる新鮮な見方を提示され、改めて青木の作品を鑑賞するのが興味深かったです。「第2章『海の幸』研究」では素材となったジオラマや衣装、多数の習作など制作の過程を見ることが出来ます。展覧会は多くの場合「結果」である作品を見る場であって、試行錯誤する作家の手の内、頭の中を悉に見ることが出来るのは貴重な機会ではないでしょうか。「第3章M式『海の幸』変装曲」では青木繁《海の幸》に基づく森村氏の作品が10点に渡り展示されています。「変装」曲というタイトルは、森村氏の製作技法を示唆する当て字ですね。絵画はある瞬間を切り取って表現する芸術ですが、それに近代日本の歩みという時間を加味して、清新な息吹の発露だった《海の幸》の変貌が展開されています。「第4章ワタシガタリの神話」は映像作品で、青木繁に扮した森村氏が白いカンヴァスを前に青木繁の為人や作品について語っています。終章を飾る《女の顔》のモデルは、《海の幸》の群像のうち一人だけ鑑賞者の側を振り返っている白い顔の人物でしょうか。終章は序章の自画像と対となり、男と女、画家とモデルとが対比され、見る者に対して見られる者から改めて投げかけられる眼差しの無限の往還を示唆しているように思いました。
…森村氏は「風景画」と題した創作テキストで「青木繁ってほんとうは風景画家だった。」と述べています。青木の作品をそんな風に見たことがなかったので素直に驚きました。又、風景画について、「ほんとうの風景画って写実じゃない/やがてやってくるなにかの予兆/なにかが去っても残るかすかな香りの余韻/変容する光の色あいの微妙な差異/見えない気配の瞬間を釣り竿にひっかける巧みな技が風景画だ」とも述べています。例えば青木の《海》であれば、横たわる海そのものというより、画面から伝わる吹き抜ける潮風や岩に砕け散る波音がもたらす胸のざわめきを指すのでしょうか。森村氏は「神話Ⅰ」で「アオキは急ぎすぎたのかもしれない/暴れる嵐をはやばやと追いやって/丁寧であることが成熟の極意だと思いこんでしまったようだ/乱暴と丁寧/破壊と秩序/そのバランスが崩れたとき/絵画と画家はともに萎れる」と述べています。私はラファエル前派的な《わだつみのいろこの宮》や《大穴牟知命》も好きな作品で、磯と血の匂いが漂ってきそうなある種の生々しさを感じる《海の幸》がやや異質だと思っていたのですが、森村氏は青木が奔放なエネルギーを早々としまい込んで、整った説明的に過ぎる作風に向かってしまったように感じたのかもしれません。《海の幸》は青木が現場を直接見たわけではなく、友人から聞いた話に霊感を受けて描いた作品だそうですが、想像だからこそ雑多な現実を離れて、死が衰弱ではなく旺盛な生命力に繋がるような、生き物の営みの原初の豊穣さをまさに神話的に表現することが可能となったのでしょう。
…森村氏は「ワタシガタリの神話」で「絵画て、鏡やねん。世間がかってに画面に映りこんでしまうねん」と語っていて、《M式海の幸》で世相を反映して変容する《海の幸》を表現しています。近代日本の出発点となる《仮象の創造》、文明開化・富国強兵を推進した《それから》、大正から昭和初期のモダンな《パノラマ島綺譚》、戦時中の日本《暗い絵》、瓦礫の山から復興して東京オリンピックを開催した《復活の日1》、学生運動が活発だった《われらの時代》、大阪万博・高度成長といった科学への期待や明るい未来の展望があった《復活の日2》、バブル期から平成にかけての豊かだが先行きの不透明な《モードの迷宮》、コロナ禍に見舞われた令和の日本《たそがれに還る》、そして遮光器土偶が象徴する原初の本質的な豊かさを見直す時代の到来を示唆する《豊穣の海》。私たちは近い未来にかつての輝きを見出すのでしょうか。森村氏は「ワタシがアオキにデアウとき」と題した文章で「私の未来の行きつく果てには、さらなる次の未来があるわけではなく、時間の輪っかをめぐりめぐって、結局、私の未来は私の過去とつながっているということになりはしないか。じっさい、私が自分の高校生のころを想い出しながら実感しているのは、まさにそうしたループする時間へのめまい、『これから』をめざして前進しつづけていくと、やがては『あの日』にたどりついてしまったという、その一部始終への驚愕なのである」と述べています。「豊穣の海」に還ることができるのか、あるいは還るべきなのか。閉塞感の漂う現代社会に対する解の一つとして森村氏は提示していると思います。
…また、森村氏の言葉を社会でなく個人の人生に当てはめて考えてみたとき、過去と未来が繋がっている感覚、かつての自分が今の自分に通じている、人生に無駄な経験はない、全てが未来を形作っているという実感を得ることが人としての成熟であるとも考えられます。私自身は残念ながらまだトンネルの中のようで、そうした実感を得たことはありません。もしかしたら青木も、暗中模索の途上で《海の幸》に還れないまま若くして亡くなったのかもしれないと思いました。

川瀬巴水 旅と郷愁の風景 感想

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会期

 前期2021年10月2日(土)~11月14日(日)
 後期2021年11月17日(水)~12月26日(日)
  前期、後期で展示替えあり

会場

 SOMPO美術館

構成

 第1章 版画家・巴水、ふるさと東京と旅みやげ(関東大震災以前)
  ・初期作品
  ・旅みやげ第一集
  ・東京十二題
  ・東京十二ヶ月
  ・三菱深川別邸の図(前期)
  ・旅みやげ第二集(後期)
  ・日本風景選集(後期)

 第2章 「旅情詩人」巴水、名声の確立とスランプ(関東大震災後~戦中)
  ・旅みやげ第三集
  ・東京二十景
  ・東海道風景選集(前期)
  ・日本風景集 東日本編(前期)
  ・日本風景集Ⅱ 関西編(一部入れ替え)
  ・新東京百景(前期)
  ・元箱根見南山荘風景集(一部入れ替え)

 第3章 巴水、新境地を開拓、円熟期へ(戦中~戦後)
  ・朝鮮八景(前期)
  ・続朝鮮風景(後期)
  ・The Japan Trade Monthly(後期)
  ・パシフィック・トランスポート・ライン社注目制作作品 1953年(昭和28年)カレンダー(前期)
  ・後期作品
  ・スティーブ・ジョブズと巴水

www.sompo-museum.org

感想

川瀬巴水(1883~1957)は新版画を代表する作家の一人ということで、同じく新版画の吉田博の作品と比べながら見ました。世界中を旅した吉田博に対して、川瀬巴水は日本中を旅したんですね。画中で街中に電線が張られていてああもう電気が使われている新しい時代なのだなと感じる反面、人々の服装や街並みにはまだ一時代前の、江戸の名残が感じられます。およそ百年ぐらい前の大正から昭和初期にかけての日本の姿は、実際に見たことはないはずなのに懐かしさを感じさせます。風光明媚な名所を堪能するのではなく、作家自身が旅をして発見した風景のなかで働く人、家路につく人、雪道を急ぐ人、花を眺める人、電車を待つ人、そうした点景に描かれる人物の思いに想像を巡らせ、鑑賞者も風景の中に入り込んで共感するタイプの作品だと思います。吉田博の作品の色彩には透明感を感じるのですが、川瀬巴水の場合は滲んだりぼやけたりする湿潤な日本の空気感が表現されていて、より情趣を増しているように思いました。吉田博の客観的、写実的描写に比べると川瀬巴水は叙情的で、「旅情詩人」と称されたのも分かる気がしました。個人的には代表作の一つである「馬込の月」と晩年の作である「平泉金色堂」が印象に残りました。
…会場内では映像で制作の工程が紹介されていて、多色刷りの木版画作品の制作が如何に手数が掛かっているか知ることが出来ました。新版画が渡邊庄三郎の一代で終わってしまったことは残念ですが、ある意味では納得できることでもあります。CGで精細な作品を作ることが可能な現代だからこそ、絵師、彫り師、刷り師の共同作業による「手の仕事」の凄みを感じました。
…アップル・コンピュータ共同創業者のスティーブ・ジョブズは日本の新版画を愛好し、特に川瀬巴水を気に入っていたそうで、英国のダイアナ妃が執務室に吉田博の作品を飾っていたというエピソードを思い出しました。19世紀後半、印象派の画家たちは浮世絵をコレクションしていましたが、ジャポニスムへの憧憬は一時の流行ではなく一定の潮流として存在するのでしょう。また、吉田や川瀬の新版画は洋画の技法も取り入れているので、外国人の感性にも馴染みやすいのかもしれないと思いました。
川瀬巴水は多作な作家なのですね。作品数が多いため、所要時間は2時間程度を見込んでおいた方が良いと思います。各章冒頭の解説のほか、川瀬作品の版元となった渡邊庄三郎との協力関係について時代を追って詳しく解説されています。個別の展示解説は少なめでした。小型の作品が多く、写生帳など資料も多数出品されていますが、比較的混雑していないので側でじっくり見られると思います。3階の会場は写真撮影が可能でした。

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川瀬巴水《平泉金色堂》1957(昭和32)年