展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

国宝鳥獣戯画のすべて 感想

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会場

東京国立博物館平成館

会期

…2021年4月13日~6月20日(当初は5月30日まで)

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見どころ

…国宝「鳥獣戯画」全四巻について、現存する全場面を会期中に一挙公開するのは史上初のことだそうです。さらに原本から分かれた断管や原本では失われた部分も描き残されている模本も合わせて公開され、まさに鳥獣戯画の全てを見ることが出来る展覧会です。
…この展覧会は、新型コロナウィルスの流行に伴う感染症予防対策で昨年開催できなくなってしまって残念に思っていたのですが、改めて今年開催することができて良かったです。今年も会期中に緊急事態宣言が発令されてしまいましたが、会期を延長し、休館日なしで開館するなど関係者の並々ならぬ尽力のおかげで、私もこうして鑑賞する機会を得られたことに深く感謝したいと思います。
…チケットは日時予約制です。毎日、公式のツイッターで販売状況がお知らせされていますが、いつも完売してしまっているようです。すごい人気ですね。
国立博物館の入口で電子チケットの確認と体温のチェックがありました。一度に入場する人数を制限しているため、私の場合は平成館の入口(テントが張ってあります)で十分ほど待ちました。平成館の中に入場する際に、再度チケットの提示が必要です。会場内への傘の持ち込みは禁止、ロッカーに荷物を預けることは可能です。会場はエスカレーターを上がった2階にあり、第1会場(鳥獣戯画全4巻が展示されている)と第2会場(鳥獣戯画の断管と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び明恵上人の紹介が展示されている)に分かれていて、どちらからでも入場可能です。空いている方から入場するようにアナウンスされていて、私は第2会場から先に入場しました。入れ替え制ではありませんが、鑑賞時間は90分を目安にしてほしいそうです。
…「鳥獣戯画」全四巻が展示されている第1会場は予約制により人数制限されていても、やはりかなりの行列でした。動く歩道で鑑賞するのは甲巻の展示コーナーのみで、他の巻については、前の方で見ようと思うとどうしても並ばざるを得ないんですよね。第2会場の展示作品もありますし、90分で収めるにはよほど効率よく回る必要がありそうです。ミュージーアムショップも混雑していましたが、レジも多いので待ち時間はそれほど長くはなかったです。

感想

第1会場

…「鳥獣戯画」と聞いたとき、私がこれまでイメージしていたのは甲巻のみで、実際は全四巻ある巻物の内容がそれぞれに違っていることを今回知ることができました。乙巻は前半が実在の動物、後半が想像上の動物などをぞれぞれ図鑑のように描いたもの、丙巻は前半が人物同士の勝負事、後半が動物同士の勝負事を描いたもの、丁巻は人物のみで他の巻で擬人化されて描かれていた場面が改めて人間によって再現されていたりします。一人の描き手によって成立したわけではなく、甲巻と丁巻では明らかに筆遣いが違いますし、同じ甲巻でも前半と後半では動物の表情が違っていたりして、色々な人たちが手を掛けて成立していることも分かりました。平安末期から鎌倉時代にかけて、時代を超えて書き継がれてきたのはそれだけ描いてみたいと思わせる魅力のある主題、作品であったということなのでしょう。教訓のようでもあり、風刺のようでもあり、巧みに人間の振りをしている動物たちがユーモラスに感じられるのは、私たち人間の普段の行いが客観視されるためでしょう。少し離れて冷静に己を省みるよう促されているようでもあります。乙巻には馬や犬や鶏といった実在の身近な動物と、象や獅子、麒麟や龍といった当時の日本にはいなかった動物や想像上の動物が描かれていますが、後者は何か元になる図案を見て描き写したのではないかと考えられるそうです。また、乙巻の鶏や象を見ているうちに若冲の作品を思い出してしまいました。若冲も動物が好きで多くの作品を描いているためでしょう。甲巻には蛙の本尊を前に法会をする猿が描かれていますが、そう言えば若冲は野菜や果物を入滅する釈迦と弟子たちに見立てた涅槃図を描いていたことも思い出したりしました。寺院に伝わっている作品ですし、法会や祭礼の様子が描かれているのは宗教的な意味もあるのかもしれませんね。丙巻では老尼と若い男の僧が首引きをしていたり、太った男性と痩せてあばらの浮いた男性が腰引きしていたりと、勝負の組み合わせが対照的になるように工夫してあるのが面白かったです。双六で負けて身ぐるみ剥がされた男の妻が悲しんでいたり、謹厳であるべき僧もにらめっこには大笑いしていたりと悲喜こもごもの人間たちが描かれています。闘鶏は神事でもあったそうで、一口に勝負事と言っても幅広く、神聖なものであったり、愉快なものであったりして日常を忘れさせてくれる面もありますが、くれぐれものめり込まないように…というところでしょうか。丁巻は筆運びが太く滑らかで迷いがなく、洒脱な印象を受けました。法会の場面は甲巻に、験比べ(僧や修験者が法力を競い合うこと)の場面は丙巻にそれぞれありますね。厳粛な法会の最中、背後で縄が切れてひっくり返った男を振り返る男の姿は、甲巻のひっくり返った蛙を見物する野次馬を思い出させますし、牛車の牛が暴走する場面は、甲巻の逃げ出した鹿と丙巻の祭りの山車に見立てた荷車が組み合わされているようでもあります。丁巻は全体的に以前の巻のパロディとして描かれているのかなとも思いました。
…私の場合は甲巻は列に並んでパネルを見つつ順番を待ち、動く歩道で作品を見て、乙巻は諦めて列の後ろの方から見て、空いていた丁巻を先に見たあと丙巻に回ったのですが、ここが混雑していてどうしても列に並んで待たざるを得ませんでした。

第2会場

…第2会場は断管(原本から分かれた一場面が掛け軸の体裁で保存されているもの)と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び中興の祖である明恵上人の紹介で、第1会場に比べると空いていたこともあり、時間をかけてじっくり見ることができました。
鳥獣戯画の場合、巻物自体に色々な場面が描かれているため、全体から一場面だけが分かれて掛け軸に仕立てられても成立するんだなと思いました。また、兎や蛙といったキャラクターたちのポーズがある行動、動作の特徴を的確に捉えつつユーモアを交えて誇張されていて、まさに「漫画的」なんですよね。ある種の典型的なポーズとして、印象的だし複製・流用して拡散したくなる原型のように感じられます。説明がなくても、見ただけで何をしている場面なのか分かるというのは実はすごいことだと思います。おそらく、世界中の誰が見ても分かる。ベースとなる物語や寓意の象徴体系を知らないと分からない西洋の古典絵画と比べると、一体何のために、誰に向けてこれを描き残したのかということも含めてその違いを明確に感じます。仏教を学び信仰を深めるための古刹で、こんな愉快な人間味溢れるものも大事に保管されていたというところに懐の深さやバランス感覚を感じました。片方だけでは偏ってしまうんでしょうね。
高山寺明恵上人については、夢の記録で有名なのは知っていたのですが、今回初めて知ったことも多く、例えば明恵釈尊を慕って天竺(インド)に渡りたいという希望を持っていて旅行計画まで立てていたそうです。さすがに実現はしなかったのですが、故郷紀州の湯浅湾に浮かぶ苅藻島を毘盧遮那如来と見做して島に宛てた手紙を送ったり、同じ湯浅湾の鷹島に滞在して西方に見える島(四国)を天竺に見立てて礼拝し、そこで拾った小石「蘇婆石・鷹島石」を肌身離さず大切にしたそうです。海は繋がっているから、遙か彼方の天竺から流れてきたその水で洗われたと思うと小石も尊いと考える明恵からは釈迦、そして仏道への強い情熱が感じられますし、繊細で豊かな感性や万物に対する深い情愛を持つ人物なのだろうと思いました。小首を傾げた可愛らしい仔犬の木像も大切にしていたそうです。実は今回の展覧会で一番印象に残ったのが明恵上人の坐像で、本当に生きているように感じられました。玉眼というそうですが、正面に立って目が合うと本当に上人が自分を見ているような気がしてくるんですよね。あの感覚はこれまで見た彫刻で感じたことはありませんでした。浄教寺の寺宝である大日如来の坐像は、大日如来として正しく象られて仏様らしい厳かな雰囲気を纏っているのですが、頭の中だけで考えられたものなんですよね。大日如来を実際に見たことがある人はいないわけで当然なのですが、それと比べると上人の坐像の具体性、実感のこもった佇まいは、より一層「生きている」気配がはっきりと感じられました。上人が素晴らしい人物なのは私が言うまでもないことなのですが、あの像を作った仏師も凄いと思いました。なお、明恵上人の坐像は、高山寺でも上人の命日である一月十九日と献茶式の十一月八日にのみ開帳されるもので、一般には公開されていないそうですから、貴重な機会となりました。

クールベと海 感想

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会場

パナソニック留美術館

会期

…2021年4月10日~6月13日

見どころ

…この展覧会は、クールベの描いた海を中心に、クールベの故郷オルナン近隣を描いた風景画や狩猟画など、同時代の作家の作品と合わせて64点(東京会場)を展示したもので、クールベの作品はそのうち28点と約半分を占め、見応えがありました。
…出品作のほとんどは日本各地の美術館及び個人の所蔵品なのですが、こうして勢揃いすると国内でも各地に良い作品があるのだなと改めて感じました。版画作品は郡山市立美術館の所蔵品が多いんですね。村内美術館の所蔵品もありましたが、同美術館は2002年にクールベ展を開催していてそのときも見に行ったので個人的に感慨深かったです。なお、《波》(F743)(1870年)の1点のみ、フランス・オルレアン美術館からの出品となっています。
…会期中に緊急事態宣言が発令されて、4月末から5月末まで一ヶ月余りに渡り美術館も閉館となり、行けるかどうか…と危ぶんでいたのですが、どうにか会期末ぎりぎりに行くことが出来ました。
…何度も訪れたことのある美術館なのですが、感染症対策のためパナソニックショールームの入口が閉め切られていたりして、いつもと少し動線が違っていたため戸惑いました。美術館から帰るとき、おそらく地下鉄方面から来た方とすれ違って、美術館の入口の場所を聞かれたので、看板が見えるところまで案内したのですが、地下駐車場の通路から行くというのは分かりづらいですし、人がほとんど通らないので「こっちで大丈夫かな?」と不安になりますよね。早くコロナの流行が収まって、気兼ねなく美術を楽しめる環境が戻ってくるよう願います。

感想

風景画

クールベ写実主義とされていますが、写実は細密とは違うんだなとも思いました。会場の冒頭に展示されていたアシル=エトナ・ミシャロン《廃墟となった墓を見つめる羊飼い》(1816年)のほうが描写は緻密で、クールベはもっと筆遣いが大胆で素早いんですよね。印象派の影響も受けているとのことですが、画家が「生きた絵」を描きたいと考えていたことと関係しているのでしょうか。草の葉の一枚一枚まで丁寧に輪郭を描き込むほど勢いというか、生き物の持つ生々しさ、常に一定でなく揺れ動いている感じが失われるからかもしれません。クールベの描く自然は粗野で荒削りであり、どっしりとした岩肌と鬱蒼とした暗い森で、都会の近郊の穏やかで親しみやすい風景とは一線を画した自然本来の野性味が魅力なのだと思います。個人的にはピュイ=ノワールの小川を描いた《オルナン風景》(1872年)が、渓流の奥の暗がりに引き込まれるように思われて印象深かったです。出品作はほぼ故郷の風景か海の風景でしたが、クールベはパリの風景を描いたのでしょうか?描いていたならどんな感じに捉えたか見てみたい気がしますし、描いた作品がなければそれもそれで分かる感じがしますね。気になって20年前の図録も開いてみたところ、クールベはなかなか故郷オルナンに戻れないと、気分転換にパリの南60キロにあるフォンテーヌ・ブローの森を訪れていて、その風景を描いた作品が6点あるそうです。*1

狩猟画

…狩猟はかつて貴族階級の特権であり、狩猟の獲物を描いた静物画は豪奢で富裕であることを誇示する階級意識の強い美術愛好家に好まれたそうです。画家も、そうした高貴な顧客たちの別荘や狩りの館を飾るため、狩猟の場面を記念碑のように描いてきました*2。市民の遊戯として狩猟画が描かれるようになるのは革命以後のことだそうです。クールベは自らも狩りをするだけに動物、ことに鹿の生態をよく観察しています。無心に木の葉を食べる鹿たちの姿が可愛らしい作品もあれば、立派な角を持つ牡鹿が追い詰められて飛び跳ね、川に飛び込む緊迫感ある作品もあります。動物が主役なんですよね。《狩の獲物》(1856~62年頃)は、吊された鹿の周りの草が滴る血で赤く染まっています。猟の厳しい現実を描写する一方で、獲物と狩人(おそらくは画家自身)が対等に並び立っていて、単に猟果を誇るだけでなく、相手への敬意も感じられます。動物に対しても、たぶん自然の風景に対しても、人間社会とは異なる存在であり神秘や驚異、時に戦うべき相手でもあると同時に、敬意を払うべき対等な存在であるという感覚を持っていたのかもしれません。

「海の風景画」

…海景画はもともと聖書や歴史的事象の背景として描かれていたのですが、18世紀に入って荒々しくも神々しい「崇高な」風景自体が鑑賞の対象として描かれるようになります。そうした人の世界から遠い存在から、次第に海と人との距離は縮まっていき、19世紀になるとターナーなどにより「絵になる」海辺の魅力が表現され、さらには保養地としてレジャーを楽しむ人々と共にある海が描かれるようになります。クールベがユニークなのは、海というより波を描いていることだと思います。1841年、クールベはノルマンディーを訪れて「私たちはついに海を、地平線のない海を見ました(これは、谷の住人にとって奇妙なものです)」と両親に書き送ったそうですが、岩や森や小川に「囲まれた」谷と異なる、境界のない茫洋とした広がりは捉えどころがなく奇妙なものに見えたのかもしれません。それから二十数年、物語の舞台でなく、娯楽や風俗でもなく、船や奇岩でもなく、海そのものを表現しようと突き詰めたら波になったのでしょうか。クールベの関心は、海が生きていると感じられる瞬間であり、その一瞬を表現しようとしたら波になったのかもしれませんね。クールベが画題として海に関心を寄せ始めるのは1865年以降ですが、波への拘りは日本が正式に参加した1867年のパリ万博以降*3とのことで、おそらく北斎の影響もあるでしょう。クールベの波を描いた作品は、少し高い視点から連続する波を描いた作品と、低い視点から聳え立ち渦巻く波を描いた作品の大きく二つに分けられるそうですが、前者は北斎『今様櫛きん(きせると読んでいるケースもあります。たけかんむり+てへん+かね)雛形』上編(初版1823年)、後者は『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(1830~33年頃)に似ています。ただし、ジャポニスムの画家たちが北斎を含む浮世絵に見出した装飾性ではなく、波の持つ力強さの表現に関心を抱いたと思われ、クールベの作品は色彩が暗く写実的であり、波飛沫が画面のこちらまで飛び散ってきそうな迫真性があります。
クールベブーダンと面識があり、浜辺の風俗を描いたブーダンとは関心の有りどころが違いますが、雲の描き方は影響を受けたそうで、《海岸風景》(1866年)の空に「浮かんでいる」雲の描き方には独特のリアリティを感じました。また、エトルタの断崖を時刻や季節、天候などによって描き分けようとした作品はモネに影響を与えたそうです。晩年、海から遠く離れた亡命先のスイスで描いた作品《海》(1875年頃)では、夕暮れ時の浜と海と雲とがほとんど渾然一体となって溶け合っているように感じました。
クールベ以外では、シスレー《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》(1897年)が印象に残りました。シスレーというと印象派の技法を守りつつ、生涯セーヌ河畔の風景を描き続けた画家で、海景画は珍しいと思ったのですが、実際画家が海景画を描いたのは新婚旅行で南ウェールズを訪れたこのときが最初で最後なのだそうです。画面は海に突き出た岬によって二分され、岩場の向こうには船の帆が浮かび、手前では浜辺で寛ぐ人々が描かれています。緩やかに弧を描く日差しを浴びた砂浜は白や青や紫の細やかな点描で描かれ、素早い筆遣いで描かれた空に浮かぶ雲の色と呼応し合って、エメラルドグリーンの透明感ある海と対比されています。印象派らしい明るい色遣いで描かれた穏やかな作品です。

その他

…版画作品の展示コーナーでは、コンスタブルの海を描いた版画作品が展示されていました。ドラマティックなターナーと比べると、より自然で郷愁を感じさせる画風が受け入れられて、コンスタブルはイギリスより先にフランスで人気になったそうです。コンスタブルは田園の画家ですよね。郷里の風景を多く描いたところはクールベとの共通点であるようにも思います。自分が知っているものだけを描く、その確信が鑑賞者にも地に足の付いた落ち着きや安らぎをもたらすのかもしれません。
…今年はルオー生誕150周年ということで、記念コーナーが出来ていました。会場内ですが、撮影可能でした。

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*1:*1『クールベ展――狩人としての画家』P100(2002年、村内美術館)

*2:*2『フェルメール展』P106(2018年、上野の森美術館

*3:*3『北斎ジャポニスム』P236,248(2017年、国立西洋美術館

モンドリアン展 感想

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【会期】

…2021年3月23日~6月6日

【会場】

…SOMPO美術館

【感想】

…「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」が「SOMPO美術館」にリニューアルされてからは初めて行きました。かつての高層階からの新宿の眺めも懐かしい思い出ですが、リニューアルされた美術館は本社ビルとは別棟の新しい建物に移り、綺麗になっていました。エレベーターで最初に5階まで上がり、順路に従って階下に下りていく造りはアーティゾン美術館と同じですね。
モンドリアンというと、何と言っても赤・青・黄のコンポジションが思い浮かぶため、以前にアーティゾン美術館で点描風の《砂丘》(1909年)という作品を見たときに「これがモンドリアンの作品なのか」と驚いた覚えがあります。今回の展覧会では上述の《砂丘》も含め、モンドリアンが「モンドリアン」になるまでに画風が何度も大きく変わっていることを知ることができます。私なりにまとめると、対象と色彩が一体である自然主義的な表現から点描主義の影響を受けて色彩が解放され、キュビスムの影響で形体が解体されて、対象の再現を離れた抽象絵画へ到達する過程と言えるでしょうか。なお、モンドリアンに絵を教えた、叔父で画家のフリッツ・モンドリアンゴッホの指導者であるマウフェの教え子だそうで、画風は全く異なる二人の芸術家のあいだに思わぬ繋がりがあったことも今回初めて知りました。
モンドリアンの初期のハーグ派様式の風景画は独特の構図が印象的でした。画面左側を貫く一筋の灰色の道が目を引く《田舎道と家並み》(1898~99年頃)は、道幅の広さと突き当たりの家並みの対比によって奥行きが強調されています。《農家、ブラバンド》(1904年)は画面の半分ぐらいを平坦な色面で表現された農家の屋根が占めていて、空はほとんど片隅に顔を覗かせているだけです。オランダの風景画というと、私はロイスダールの作品に描かれた見渡す限りの低地を覆い尽くす広大な空が思い浮かぶのですが、モンドリアンはそういった空間の広がりではなく、あるいは移ろう光や自然と共に生きる人々の生活といった風景画的な主題とは別の、ある種の構造のようなものに執着しているようです。その一方で、モンドリアン自然主義的な表現を離れて以降、キュビスムの影響を受けた作品などにおいても風景や樹木をモチーフに選んでいて、自然の中にある(あるいは自己の外に存在する)原理を形にしようとしていたようにも思われます。
モンドリアンはドンブルグで知り合った画家ヤン・トーロップの影響を受けて、点描風の作品も制作しています。時期としては1909年頃の短い期間なのですが、フランスの新印象派の点描が色彩を分割して、絵の具を混ぜずに視覚の上で混色をもたらすことを念頭に置いたものであるのに対して、モンドリアンの場合は点描の絵画的な効果そのものに興味があるように感じられます。砂丘を描いた一連の作品では、当初、なだらかな砂丘の形体に応じた長目の線描で、自然光による色合いに比較的近く描かれていたものが、より細かく規則的な点描になり、さらに空と砂丘が緑と水色、桃色と黄色という補色の構成比率を変えた点描で描かれるようになっていって、大胆かつ自由に変化していくのが興味深かったです。
…ウェストカペレの灯台やドンブルグの教会塔などを描いた作品では、いずれもモチーフが地上から高みを仰ぐような角度で描かれています。《夕暮れの風車》(1917年)は、雲の切れ間に浮かぶ月が低い位置に描かれているため、空はより近く風車はより高く感じられます。月光に照らされたリズミカルな鱗状の雲は、《ドンブルグの教会塔》(1911年)の青空の破片を鏤めた背景を彷彿させます。点描風であったり、写実的であったりと作品により描き方は違っていますが、構図は一貫していて、まっすぐに天を目指すモチーフの垂直性、存在感に惹かれていたように思われます。
…《格子のコンポジション8―暗色のチェッカー盤コンポジション》(1919年)は同じ大きさの赤、青、オレンジの方形=モジュールで画面が埋め尽くされています。モジュールは縦にも横にも16個ずつ、即ち全体の256分の1の大きさのものが敷き詰められているのですが、よく見ると、縦の並びも横の並びも同じパターンは見当たらず、全て違っています。かつての点描が拡大されたようでもあり、デジタル信号が画面に映し出されるイメージのようでもあります。
…《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》(1921年)は1919年以降にモンドリアンが展開した「新造形主義」による作品です。単純なのにとても特徴的で、大きな赤い色面は特にインパクトがありますね。かつてのモジュールの名残はあるものの画一性は失われ、画面は黒の直線によって分割され、限られた色彩で構成されています。実在のモチーフや物語といった有限な対象を離れ、モジュールの規則性も脱して一見自由に制作しているようで、その実厳格な構成と三原色及び無彩色を綿密に配置して対比している禁欲的な作品だと思います。正直、解説を読んでもモンドリアンが何を考えてこの作品を制作したか私には理解できず、ただ、何を描くか、何をもって絵とするか、そしてそれは美しいのかということを突き詰めた結果の一つなのだろうと想像するぐらいです。この作品を真似て描くことは誰にでもできそうですが、根本の原理が分からなければ表面をなぞることしかできない。技術ではなく哲学がこの作品の真価を支えているのだろうと思います。絵の外にある価値に頼らず、絵そのものの価値を追求した結果、新たな哲学の確立が必要になったということなのでしょう。
モンドリアン周辺の作家では、家具職人リートフェルトの作品が印象に残りました。《ベルリン・チェア》(デザイン:1923年、再制作:1958年)は背もたれにもなる白い肘掛けとテーブルにもなる黒い肘掛けという作りが興味深いです。会場で見たとき、座面に映る黒い肘掛けの影がまさにモンドリアンの絵画のように見えたのも印象的でした。映像で紹介されていたシュレーダー邸は、モンドリアンコンポジションが三次元化したような作品で、キューブ型ですが隣の建物と見比べると窓の面積が圧倒的に大きく、空間の透過性が感じられる外界に開かれた建築だと思います。
…作品数は65点、所要時間は1時間程度でした。

「あやしい絵」展 感想

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稲垣仲静《猫》(1919年頃)


会期

…2021年3月23日~5月16日

会場

東京国立近代美術館

見どころ

…「あやしい絵」展は幕末~昭和初期にかけての日本美術から、ただ綺麗なだけではない謎や毒をはらんだ絵画、版画、挿絵などの作品約160点を紹介する展覧会です。
…出品作には亡霊・妖怪・スプラッタなどを主題とする不気味で怖い作品や人気小説に基づく耽美で退廃的な作品、ファンタジーを形にした作品もあれば、逆に醜悪さも余さず克明に描写したリアリズムの作品もあり、陽の当たる、ある種「王道」の美しさとはひと味違った「あやしい」魅力を味わうことができます。
…また、当時の作品に影響を与えたミュシャのポスターやラファエル前派の絵画など西洋美術作品も合わせて展示されています。
…出品作の多くは女性がモデルで、男性画家だけでなく女性画家も女性を描いています。作家は美しいだけではない危うさや激しさ、時には恐ろしさを兼ね備え、理屈では割り切れない魔力で男性を虜にして運命を狂わせる女性を「あやしい」と感じて表現したいと思うものなのかもしれません。

感想

…曾我簫白《美人図》(18世紀)はビリビリに引き裂かれた手紙を噛む仕草で、女性の悔しさや恨みなど内心の激しい感情が表現されています。着物の裾から見える襦袢の鮮やかな赤が血の色のようで、禍々しくも感じられる作品です。
…田中恭吉は今回の展覧会で初めて知った作家で、木版画が展示されていました。女性の身体から生えた植物が花を咲かせている《冬蟲夏草》(1914年)は、モチーフを正面中央に配置するモニュメンタルな構図で、日の光の下で咲き誇る命が他の命を喰らっていることを象徴しています。私は梶井基次郎の「桜の木の下には」(1928年)を連想したのですが、梶井が結核を患っていたように、田中も病身を押して作品を制作していたそうで、死生観に共通するものがあるのも分かるような気がします。
青木繁の《運命》(1904)は海の波間で泡のようなものを抱える三人の運命の女神が描かれていますが、青木にとって、海は太古から存在した人間の生命の始源であり、泡は人にとって欠くことの出来ない命を繋ぐためのものなのだそうです。兄の釣り針を探しに海底に下りた山幸彦が妻となる豊玉姫と出会う場面を描いた《海神のいろこの宮》(1907年、アーティゾン美術館所蔵)では、泡は赤い衣を着た豊玉姫の足元から立ち上っていて、二人が結ばれて子に恵まれる未来を暗示しているかのようです。《大穴牟知命》(1905年)は古事記に取材しつつ、女性が男性に生命力を分け与えて救うという主題を表現していると思われますが、乳房を差し出している蛤貝比売が見ているのは倒れている大穴牟知命ではなく画面のこちら側です。彼女が命を与えようとしている相手はむしろ画面のこちら側の存在であり、画家自身や、さらには鑑賞者を始めとする普遍的な人類であることを示唆しているのかもしれません。
安珍清姫の物語は清姫の愛情を一途でひたむきな純愛と捉えるか、身を焦がすような激しい恋慕と捉えるか、狂気のような執着と捉えるかで表現の仕方も変わってくるように思いました。一つの物語の解釈の違い、作家による表現の違いが面白かったです。
…橘小夢の作品も今回初めて目にしましたが、耽美的、退廃的でまさに「あやしい」魅力があるように思います。《刺青》(1923年/1934年)は谷崎潤一郎の小説を題材とした作品で、清らかな少女の白い肌とグロテスクな女郎蜘蛛の刺青という対局にあるものが一体化しています。かなり際どく、正直悪趣味すれすれのように感じましたが、美しいものを汚したいという潜在的な欲望を表現されているのでしょうか。あるいは逆に、人を魅了する美は根源に人間離れした禍々しさを宿しているように感じているのかもしれません。そう思って見ると、奇怪な蜘蛛は抗いがたい力に対する畏れの裏返しとも言えそうです。
泉鏡花高野聖」は、小説に基づく図像が挿絵や芝居の絵看板、独立した絵画作品など多様な形式で表現されていて、いわゆるメディアミックスのはしりと言えそうです。取り上げられる場面が共通しているため、かえってそれぞれの作家の個性が際立つように思います。
鏑木清方の作品は繊細優美でしっとりとした情趣が魅力で、日本画らしい日本画だと思いました。手拭いを咥え、浴衣の片肌を脱いで佇む《刺青の女》(1913年頃)は、女性の纏う匂い立つような色気が感じられる作品です。刺青は江戸時代に庶民の間でさかんに流行したものの、明治時代になると取り締まられるようになったそうですから、湯上がりとおぼしき女性は物思いに耽っているうちに、本来秘めておかなければならないものをつい晒してしまったのでしょうか。露わになったのは女性の肌である以上に、その刺青に込められた思いであり、鑑賞者は彼女の秘密を垣間見てしまったことで、より画中の女性に惹きつけられるのかもしれません。
…植村松園の《焔》(1918年)は女性の足元が闇の中にぼやけていて、生身ではない生き霊であることが表現されています。着物の柄の藤の花と蜘蛛の巣は絡みつく藤の蔓、獲物を捕らえる蜘蛛の巣など、六条御息所の執念深いイメージが重ねられていますが、生き霊の表情は悲しくも恨めしげで、ただ恐ろしいだけでない哀れを感じます。囚われているのは実は御息所自身なんですよね。この冷気が漂う作品に「焔」とタイトルを付けたのは秀逸だと思います。熱い恋の炎ではなく、鬼火の炎を描いた作品です。



琳派と印象派展② 後期展示

…一つの展覧会に複数回足を運ぶのはなかなか難しいのですが、今回は俵屋宗達の《風神雷神図屏風》がどうしても見たくて、後期展示も見に行きました。また、「琳派印象派」展の場合は、展示コーナー自体が前期と後期で違うのも特徴だと思います。
…「序章 都市の様子」では前期の「京」の《洛中洛外図屏風》に代わって、「江戸」のコーナーが設けられ、《江戸図屏風》が展示されていました。《洛中洛外図屏風》と《江戸図屏風》は、金色の雲がたなびく都市の鳥瞰図という点が共通していますが、神社仏閣が立ち並んでいた京と違い、狩りを行っているような情景や馬場が描かれている点は武家の都である江戸の街らしいです。また、街の中を縦横に張り巡らされた川(堀)や船の浮かぶ海なども京にはない江戸らしい風景です。板橋、王子など馴染みのある地名も見受けられて、現在の東京がかつての江戸からいかに大きく変貌したか実感させられました。
…「第一章 the 琳派」では前期「墨の世界」に対し、後期は「物語絵」のコーナーが設けられて、《伊勢物語図色紙》などが展示されていました。俵屋宗達《蔦の細道図屏風》は、中央だけでなく、左隻の左端と右隻の右端の図も繋がっていて、蔦の細道がどこまでも続いているような感覚を抱かせる仕掛けになっています。この屏風は伊勢物語第九段東下りで、駿河国宇津山を行く業平が顔見知りの修行者と出会い、京への手紙を託す場面に由来するのですが、人物は描かれず、書かれた和歌も伊勢物語から取ったものではないそうです。伊勢物語を直接描写しているというより、業平の物語を踏まえつつ、見る人が自分自身でその旅路を追体験する装置なのかもしれません。暗い山と蔦の生い茂る細道が明暗で二分化され、様式化されて表現されていて、モダンで洗練された美意識が感じられる作品だと思いました。
酒井抱一・鈴木其一《夏図》は十二ヶ月を描いた掛け軸のうちの夏の三枚です。藤の花が四月、兜と菖蒲が五月でしょうか。残る一枚には、笹に巻き付いて舌を出すユーモラスな藁の妖怪(?)が描かれていて遊び心が感じられました。
…「第二章 琳派×印象派」の「水の表現」に展示されていた尾形光琳《白楽天図屏風》では、白楽天の乗った船が荒波に揉まれてほとんど垂直に描かれていたのが目を引きました。水自体の描写だけでなく、他のモチーフも用いてダイナミックに流動する水を効果的に表現しているんですね。
俵屋宗達風神雷神図屏風》は第二章の「間」のコーナーに展示されています。力を漲らせて躍動する気象の神を描いた作品で、見得を切った歌舞伎役者のような静の雷神と、雲を従えて疾走する動の風神とが対比され、両者のポーズやバランスは一度見たら忘れられないほど見事に嵌まっている一対だと思います。国宝であり、有名な作品なのですが、改めて実物を前にじっくりと見てみて、神様なのに見た目は明らかに鬼であるのが興味深く感じられました。風神も雷神も、頭には角が生えていて耳は尖り、蓬髪を振り乱していて、裂けた口や長い爪を持ち、ぎょろり丸い金色の目をしています。人間に寄りそう仏様と違って、神様は人間的ではないようです。強風や落雷といった自然現象(時に災害をもたらす)は畏れの対象であり、暴れたら害をなすこともある超越的な力そのもの=鬼は神様だという考えが背景にあるのかもしれません。日本人にとって鬼は、キリスト教的な悪魔とは必ずしも一致しないものなのだと思いました。
…「注文主」の一枚、《中村内蔵助像》は尾形光琳の唯一の肖像画で、若々しいですが風格がある人物像です。モデルの中村内蔵助尾形光琳の最大の後援者だったそうで、そうした関係の深さから普段は描かない肖像画を手掛けたのでしょう。作家が得意とするジャンルにはその作家の興味や持ち味がより鮮明に現れると思いますが、ほとんど手掛けなかったジャンルというのもまた別の意味で興味深いと思います。マネは肖像画の名手でしたが自画像は2点のみで、そのうちの1点が「第三章 the 印象派」の「都市市民の肖像」として出品されています。背景は室内でも戸外でもなく、手は上着のポケットに入れられて、画家であることを示す絵筆やパレットといった小道具もありません。何者でもないありのままの自分と向き合って描いたのでしょうか。背筋をまっすぐ伸ばして足を一歩前に踏み出したポーズや眼光の鋭さからは、マネの誇りの高さが感じられるように思いました。
…「終章 都市を離れて」を飾るセザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》、及び鈴木其一《富士筑波山図屏風》は、いずれも実景であると共にシンボリックな山を描いた作品です。会場では屏風のあいだにセザンヌの作品が展示されていて、両作品の視点と視野の違いが感じられました。セザンヌの《サント=ヴィクトワール山》は山との距離が近く、山に迫るような、あるいは山が迫ってくるような印象を受けます。一方、鈴木其一の《富士筑波山図屏風》のほうは前景に船の浮かぶ霞ヶ浦などが描かれていて山を望む空間の広がりが感じられるなか、遠くにありながらなお際立って高く聳える山の姿が印象的です。描き方は違いますが、雄大な山の力強さやどっしりとした存在感が感じられました。
…所要時間は石橋財団コレクション選も含めると2時間半から3時間、アーティゾン美術館の所蔵作品は写真撮影可能です。作品個別の展示解説はなく音声ガイドのみなので、会場に入る前にアプリをダウンロードしておくことをお薦めします。ただ、機器によるのかもしれませんが、私の場合はアプリの音声ガイドを使用するとスマホのバッテリーの消費が著しくてちょっと慌ててしまいます。なお、ガイドがあるのはアーティゾン美術館の所蔵作品のみで、他の美術館などからの出品作については図録にも作品解説はありませんでした。

舟越桂 私の中にある泉 感想

shoto-museum.jp

概要

…この展覧会は木彫彩色の作品で知られる彫刻家、舟越桂氏(1951~)の作品展です。タイトルの「私の中にある泉」は「自分の中の水の底に潜ってみるしかない」という舟越氏の言葉に基づくもので、モデルとなる人物の泉であると共に作家自身の泉でもあり、人の内なる源泉を見詰めて形にすることが外の世界、普遍的な人間像を表現することに通じることを意味しているそうです。
…出品作は、彫刻作品20点のほか、ドローイングや作家が家族のために手作りした玩具などが出品されています。また、作家の父で彫刻家の保武氏の作品のほか、弟直木氏、母の道子氏の作品も出品されていて、作家の育った環境、ルーツを知ることが出来ます。
…本展会場である松濤美術館では入館時に記名が必要で、入口で整理券を受け取り退館時に返却する必要がありました。展覧会の図録は入口の受付で購入できます。所要時間は1時間程度です。

感想

…舟越氏の作品は木という素材の持つ柔らかさや温かみのようなものがそのまま人物像の雰囲気にもなっています。決して存在を誇示せず、力むことなくさりげなくその場に佇んでいるのですが、場の空気を浄化するような存在感があると思います。
…また、彩色されていることも理由の一つだと思いますが、彫刻というより人形に近い感覚を抱きました。美術品としての彫刻作品であるより身近で人間的な印象です。
…展覧会には下絵であるドローイングと完成した彫刻が共に展示されている作品もありましたが、両者を比べてみたときにこの絵がこの彫刻になるというのがすんなり受け入れられて違和感がなく、下絵の段階で完成に近いところまで構想が練り上げられていることが分かりました。また、彫刻でありながら絵画のような正面性、バストアップの作品が大半でありポーズや動きがほとんどないことも平面と立体の違和感のなさに繋がっているのかもしれません。
…舟越氏の作品は詩のようなタイトルも魅力的ですが、その独特の感性は俳人である母・道子氏から影響を受けたそうです。

午後の遺跡№2(1978年)

…初期の作品で、足の彫刻を木の枠で囲んだものであり、正面から見たときこちらに向かって足が一歩前に踏み出されるような印象を受けたました。フレームは制約であり、視野を区切って対象を閉じ込めるものという先入観があったのですが、逆にフレームがあることで動きや奥行きを感じさせる効果もあると分かって興味深かったです。

聖母子像のための試作(1979年頃)

カトリック逗子教会のために制作された木彫の聖母子像の試作です。マリアがお腹の前でキリストを抱えているポーズが、キリストが母から生まれてきたことを示唆しているように感じました。マリアの表情が柔和で優しく、身を以て我が子を包み守るように、信徒のことも見守っているのだろうと思いました。

砂と街と(1986年)

…大きな襟のコートに金色のブローチを止め、黄色のマフラーを巻いた服装も特徴的な作品で、実在の人物をモデルにしていますが、モデルとなった女性は作品を見て、「舟越さんの自画像みたい」だと感じたそうです。確かに、舟越氏の作品は、特定のモデルがいる場合、元の人物の個性的な顔貌をなぞっているのですが、その一方で、どの作品も不思議と似通っているような気がします。作品の持つ品の良さや静謐で内省的な佇まい、ひっそりとして優しげだが憂いも感じる表情などが共通しているためかもしれません。特に焦点を結ばない目の表情が独特なのだと思いますが、自意識を感じさせない、外に向かって何者かであろうとする意識の鎧を脱いだ無防備な精神のありようが感じられて、それがデリケートな印象に繋がっているのだろう思います。なお、モデルの女性は、その後「やっぱりこれは私だわ」と思ったそうです。自分である以上の何者かであり、他人のようでいて自分にも似たところがあると感じるという、まさに普遍的な次元に到達している作品なのだと思いました。

遅い振り子(1992年)

…この作品の胴体が前後逆向きになっているのは、人間の中に存在する相反するもう一人の自分を表現しているためだそうです。自分の背中、後ろ姿というのは自分でありながら自分では見えないものですから、自分でも知らない一面なのかもしれません。タイトルの「振り子」は逆向きの胴体に取り付けられた手を指すのでしょう。見た目も振り子のようです。振り子は右と左を行ったり来たりするものですから、しばしば相反する方向に揺れ動く人の心の象徴とも考えられます。
…舟越氏の作品では、肉体本来の腕が前面に出て目立つ動きやポーズを取っているものは見当たらず、概ね静かに両脇に下ろされているか、控えめな動きを見せるだけにとどまっているように思います。その一方で、《言葉をつかむ手》のように、非現実的な異形の腕、もしくは手は示唆的で霊的な力を持っているように感じられます。この作品の振り子の腕の場合も、後者の非現実的な腕の一種なのでしょう。

山を包む私(2000年)

…舟越氏が学生時代に大学へ向かう車の中で八王子城址を見かけたとき、「あの山は俺の中に入る」と閃いた経験が元になっている作品ですが、作家がアトリエの壁に貼っているというパスカルの言葉「空間によって宇宙は私を包み…思考によって私は宇宙を包む」と通じるものがあるように思います。一人の人間の力は小さく、儚い存在ですが、そんな人間でも自分の経験の限界を遙かに超えた広大無辺の宇宙をイメージすることができます。想像力は人間を人間たらしめる能力であり、自分自身はちっぽけでも偉大さや崇高さを想像し、理解することで自分の世界も無限に豊かになるところに、ただ生きて死ぬだけではない人間の尊厳があるように思います。

言葉をつかむ手(2004年)

…舟越氏は「理論化できないことは、物語らなければならない」というウンベルト・エーコの言葉をテレビで聞いたとき、何か光ったものが自分の方に飛んできて、それを首の横のあたりから生えているにある手で捕まえたような気がした経験があるそうです。左肩の後ろから生えた手にはそうした経験が反映されているのでしょう。一方で、肉体本来の腕は荒削りなままです。首の横に生えた手は精神のアンテナのようなものであり、肉体本来の手では掴めない目に見えないものをキャッチする鋭敏な精神が必要であることを象徴しているのかもしれません。また、この手について、舟越氏は「それは昨日の自分の手かもしれないし、誰か別の人の手なのかもしれない」と述べているほか、キリストの身体に触れたマリアの手のイメージも加味されていたりするそうで、多面的な意味を持っているようです。

水に映る月蝕(2003年)

…初期の《妻の肖像》(1979~80年)以来、約23年ぶりとなる裸婦像で、洋梨のように柔らかくカーブして膨らんだ胴体は妊婦を連想させます。また、背中に取り付けられた手が翼にも見えて、胸を膨らませて水面を泳ぐ水鳥の姿のようでもあります。上昇と下降の二つの作用が同時に働いているような形であり、肉体を地上に繋ぎ止める重力と、天に向かって上昇しようとする精神の力とが同居しているようにも感じられる作品です。

スフィンクスには何を問うか?(2020年)

…舟越氏の作品は実在の人物をモデルにした作品から特定のモデルがいない作品へ、さらには肩から手が生えていたり頭に角が生えていたりといった現実にはあり得ない姿へと変化していますが、異形の姿をした作品について舟越氏は「心象人物」と呼んでいるそうなので、これもまたある種の人間性を表現したものだと考えられます。当初は特定の人物の姿を通して表現されていた普遍的な人間像が、次第に特定の人格のフィルターを通さず直截的な形を取るようになっていったのでしょうか。人間離れしているけれど人間的というところが興味深いです。自分でも意識していない無意識や人間の世界から疎外された他者が、あたかも自分又は人間ではない理解不能な怪物として認識されることを表現しているのかもしれません。
…舟越氏はノヴァーリス青い花』の中で、スフィンクスの「世界を知る者はだれだ」という問いに対して少女ファーベルが「自分自身を知るものよ」と答えた一節から想を得て、人間を見詰める存在であると同時に自己の中で自分を見詰めている存在としてのスフィンクスを作り続けています。スフィンクスは半人半獣で両性具有の空想上の怪物ですが、獣でもあり人間でもある、男性でもあり女性でもあるという意味で何者でもあり得る存在とも言えそうです。
…舟越氏のスフィンクスは長い耳と長い首、乳房のある両性具有の肉体が特徴ですが、《スフィンクスには何を問うか?》はオカピのイメージも重ねられているそうで、額からまっすぐ延びている高い鼻や離れ気味の両目といった顔つきは確かに草食特物のように見えます。神話などでは人間に謎を掛ける側のスフィンクスに対して、逆に「何を問うか?」というタイトルも興味深いですが、このスフィンクスは超然としていて、こちらの問いかけに容易には答えてくれなさそうな印象です。動物性は自然の神秘や生命の根源の象徴であり、自分という存在やこの世界の真理、あるいは生きるとは何かといった答えのない謎そのものを表しているのかもしれないと思いました。

琳派と印象派展 感想

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www.artizon.museum

 

…『琳派印象派 東西都市文化が生んだ美術』展は、京都の町人文化として生まれ、19世紀の江戸に引き継がれた琳派の作品と、19世紀のフランス・パリを中心に新しく生まれた印象派の作品を、洗練された都市の美術という視点から比較して見るものです。
…アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)というと印象派のコレクションが真っ先に思い浮かぶのですが、日本美術の優れたコレクションも所蔵しているんですね。琳派と呼ばれる画家たちですが、彼らのあいだに直接の師弟関係はなく、俵屋宗達尾形光琳など先人の作品に憧れた絵師がその後継者を名乗り、その作風に学んで新たな作品を生み出したという点がユニークだと思いました。作品こそが優れた良き師であるとも言えますし、時代を超えて絵師を魅了する美があったということなのでしょう。建仁寺の《風神雷神図屏風》(展示期間:後期2020年12月22日~2021年1月24日)の出品も予定されていて、国内の優れた琳派の作品を目にすることの出来る貴重な機会だと思います。なお、会期前半と後半では出品作や展示セクションが異なっているので、見たい作品がある場合は事前に確認しておくことをお薦めします。

序章 都市の様子

…《洛中洛外図屏風》(17世紀、江戸時代)は先日サントリー美術館の展覧会でも同主題の他作品を目にしたのですが、室町時代から江戸時代まで繰り返し描かれ、現在170点ほどが確認されているそうです。私が見たのはそのうちの2点ということですね。金色の雲がたなびく京都の街の俯瞰図、鑑賞者を中心として右隻と左隻それぞれに京都の東側と西側の名所及びその風物が描かれているといった点は共通していますが、サントリー美術館の作品では後水尾天皇による「寛永行幸」(1626年)、アーティゾン美術館の作品では徳川秀忠の娘和子の輿入れ(1620年)が描かれているといった違いもあります。繁栄を謳歌する煌びやかな都は人々の憧れの都会であると同時に、日本の中心、人々の認識における世界の中心であり、それを象徴するような非日常的、記念碑的イベントが描かれているのでしょう。

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洛中洛外図屏風》右隻(江戸時代、17世紀)

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洛中洛外図屏風》左隻(江戸時代、17世紀)

印象派の画家たちはパリの風景や郊外で流行のファッションを身に纏い、レジャーを愉しむ人々を描いています。華やかな都市生活への憧れをかきたてるという点で共通していますが、洛中洛外図が非日常的であるのに対して、印象派の描く都市は華やかでも世俗の庶民の日常と地続きのところが違うようです。オランダからパリに出てきたゴッホは、《モンマルトルの風車》(1886年)で故郷オランダを象徴するモチーフ、風車を描いています。ゴッホはアルルで風景画を数多く描いたのと対照的に、パリにいた時期には風景画、ことに都市の賑わいや流行の風俗はあまり描いていないような気がします。ゴッホがの場合は風景を描くとき、自然や自然の中で労働する農民たちへの愛情を込めていたのでしょうね。

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ゴッホ《モンマルトルの風車》(1886年)

第1章 the 琳派

琳派というと華麗な彩色画が思い浮かぶのですが、今回の展覧会では水墨画の作品も見ることが出来ました。俵屋宗達の《狗子図》(江戸時代、17世紀)は墨の濃淡のみで子犬のふっくらとした丸みが表現されていて、手前に淡く描かれた野の草花が春先の優しい風情を感じさせます。酒井抱一《白蓮図》(19世紀、江戸時代)は薄い墨で描かれた蓮の葉の手前に、一際白く清らかな蓮の花が描かれています。モチーフの配置的に先に背後の蓮の葉を薄く描いておいて、その上から手前の白い花びらを塗るほうが簡単そうなのですが、蓮の葉脈を見ると先に花を描いてそれの周りに蓮の葉を描いたようです。水墨画は重ね塗りができないですからね。尾形光琳李白観瀑図》(江戸時代、18世紀)は流れ落ちる滝、滝にかかる樹木の枝葉、滝に向き合う李白、その座す地面等、それぞれに筆遣いや墨の濃淡、滲みや掠れが効果的に用いられています。墨は単なる線や影でなく、微妙な色合いや多様な質感を表現しうる奥深い色であることを改めて実感しました。

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尾形光琳李白観瀑図》(江戸時代、18世紀)

第2章 琳派×印象派

…「水の表現」では水の形を描いた琳派の作品と、水に映る光を描いたモネの作品が展示されていましたが、両者とも融通無碍で自在に変化する水に着目するという点では共通しているとも言えそうです。伊年印(俵屋宗達が主宰した工房作を示す商標印)による《源氏物語図 浮舟、夢浮橋》(17世紀、江戸時代)は直線的で鋭い線によって宇治川の流れの速さが、尾形光琳《富士三壷図屏風》(18世紀、江戸時代)は盛り上がった曲線でうねる波の高さが描写されていて、水の秘めた力、時には恐ろしさが形に込められているように感じられます。一方、睡蓮をモチーフとするモネの一連の作品群に描かれているのは、刻々と移ろう空の色や池の畔の風景を映し出す静かな水鏡です。《睡蓮の池》(1907年)は赤く色づいた空が映り込む夕暮れ時の風景ですが、画面一杯に広がる水面が眼前に迫り池の畔が見えないため、空と池、地と図の境界が曖昧で夢の中のようにも感じられる作品だと思います。

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伊年印《源氏物語図 浮舟、夢浮橋》(江戸時代、17世紀)

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モネ《睡蓮の池》(1907年)

…扇形の支持体に絵を描く「扇絵」に定評があったという宗達工房の《保元平治物語絵扇面》(17世紀、江戸時代)は、画面に合わせて空間が歪められていて現実の正確な再現からは離れている反面、船の一部が突き出すように描かれて目を引くなど、柔軟な遊び心が表現の自由度を高めています。方形の画面に絵を描くことを当然のように思ってしまいがちですが、どんな形を選ぶことだって本来は可能なんですよね。西洋絵画では二次元の画面に三次元の空間を描く遠近法によってあたかも自然な視覚を再現したかのような作品が制作されてきましたが、扇状の特徴的な支持体の形はそれが絵画であることを改めて思い出させる効果があると思います。マネが扇面画を残しているのは単なるジャポニスムにとどまらず、示唆的であるように思います。

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宗達工房《保元平治物語絵扇面》(江戸時代、17世紀)

…日本美術の「間」=余白はモチーフが同居する一つの空間として作用することもありますが、モチーフの間に連続性がなくても成立する、曖昧さや自由さがあります。俵屋宗達舞楽図屏風》(17世紀、江戸時代)の主題である舞楽とは朝鮮半島や中国大陸から伝わり平安時代に大成した器楽と舞のことで、中国や中央アジア、南アジアを起源とする左方の舞(左舞)と朝鮮半島満州を起源とする右方の舞(右舞)とに分かれていて、装束も左舞は赤系統、右舞は緑系統の装束を纏っているのだそうです。金箔が敷き詰められた空間は左下から右上へ画面を斜めに横切っていて、右上が大きく空いているのですが、むしろ「間」のほうが主役であり、奏でられる音楽や、典雅で厳かな儀式そのものを感じ取るべきなのかもしれません。「間」は自然主義的な空間であるよりも象徴的、抽象的な場であり、視覚以外の感覚や情趣で画面を満たす役割を果たしているのではないかと思います。
セザンヌドガも人物のポーズに興味を持っているように感じられますが、セザンヌの興味が形にあるのに対して、ドガは動きに興味があるように感じられました。ドガの《踊りの稽古場にて》(1895~98年)は「間」があることで踊り子たちの動きが想像させられますし、逆に、踊り子たちに動きがあることで空間の感覚がもたらされるようにも感じられます。一方、セザンヌの《水浴》(1865~70年頃)では空間の広がりがあまりなくて、舞台のように前景に水浴する人物が並置されています。この作品で「間」は背景であり楽園、理想郷的な世界を説明しているとは思うのですが、描かれた人物同士が互いに意味や物語を共有し合っているというより、むしろそうしたポーズ、あるいは人物ですらなく形体が美的に配置されているという印象のほうが強く、この作品の先にマティスの《ダンス》があるのだなと感じました。

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ドガ《踊りの稽古場にて》(1895~98年)

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セザンヌ《水浴》(1865~70年頃)