展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ゴッホと静物画 感想

会期

…2023年10月17日~2024年1月21日

会場

…SOMPO美術館

感想

見どころ

…この展覧会は《ひまわり》、《アイリス》をはじめとするゴッホ(1853年~1890年)の作品のほか17世紀オランダの静物画やゴッホと同時代の画家による静物画69点で構成されています。人物画や風景画ではなく、静物画にジャンルを絞った展覧会は珍しいのではないでしょうか。

ゴッホはもともと人物画の制作に意欲を持っていたものの、モデル代を支払う金銭的な余裕がなかったため、習練を兼ねて静物画に取り組んだ結果が代表作《ひまわり》に繋がったのですが、改めてゴッホの代表作が静物画だと考えてみて、少し意外な気がしました。静物画は基本的に魂のないオブジェ――多くは身近な食材や道具――を見えるままに描くジャンルであって、波乱に飛んだ生涯と独創的で強烈な画風というドラマティックなゴッホのイメージとは対照的です。

静物画は市民の住居という日常生活の場に馴染み、豊かさや安らぎを演出する装飾として求められる一方で、画家にとっては自身の意図、計算に基づいてオブジェを選択し構成することが可能であり、しばしば絵画技法の研究や訓練を目的に制作されました。印象派とも遠近法とも異なる立体表現を追求したセザンヌや、キュビスムを確立する過程でのピカソやブラックの試行錯誤は主に静物画においてなされていて、ゴッホ静物画もこうした実験的な取組に連なる側面があります。静物画は一見すると深い精神や崇高な物語が表現されていないため退屈だとさえ思ってしまいがちなのですが、実は挑戦的で熱いジャンルだと知ることができました。

ゴッホの画風は個性的で独創的ですが、多くの先人や同時代の画家を尊敬し、作品から影響を受けていて研究熱心でもあります。また、作品から受けた感想や見解を手紙など文章で自由率直に述べていて、批評としても興味深いです。画商として働いていたこともあり、自分の描いた作品だけでなく他人の作品にも強い関心を持っていて、絵そのものが好きだったのだろうと思いました。

初期の静物

ゴッホがオランダにいたころに取り組んだ静物画では野菜や果物、食器などが多く、《馬鈴薯を食べる人々》(1885年)のような農民たちの素朴な生活を描くにあたって必要なモチーフだったと思われます。鳥の巣を描いた作品について、ゴッホは「(鳥の巣を)自然の環境の中ではなく、伝統的な(黒い)背景の前に置いたときに明確になる」と述べているので、暗い色調同士を隣り合わせて、効果的に差異を表現しようと試みていたのでしょう。魚を主題とする静物画はオランダが海洋国家、漁業国家であることを感じさせます。アントワーヌ・ヴォロンの《魚のある静物》(1870年頃)は魚の薄い皮の質感や青みを帯びた銀灰色の光沢が正確に表現されています。ゴッホが燻製ニシンを描いた作品はごつごつと干からびて枯れ木のようであり、魚らしくないところが面白いといました。

ゴッホ《りんごとカボチャのある静物》(1885年9月)

花の静物

…室内に飾られる花は華やぎを演出し、人工物に囲まれた空間に生気や安らぎをもたらす効果があります。生花であれば季節が限定され、短い期間で枯れてしまいますが、絵の花ならばいつでも楽しむことができるでしょう。17世紀のオランダでは熱狂的にチューリップが愛好されたこともあり精緻な花の静物画が発展しましたが、色とりどりで形も複雑な花は画家にとっても挑戦し甲斐のある題材だったのではないかと思います。

ゴッホが花の静物画を手掛けるようになるのはパリに移ってからのことで、オランダ時代とは打って変わって淡い色彩、明るい色彩が用いられています。《青い花瓶にいけた花》(1887年6月頃)は画面中央に描かれたキクのような黄色の花が、周りの青い色彩――小さな青い花や花瓶、背景に用いられている淡い水色――との対比で手前にせり出してくるような印象を受けます。ゴッホは新印象主義シニャックと一緒にパリ近郊の風景を描いていたこともあったそうで、この作品では背景に細かな点描をちりばめ、テーブルは長めの点描、花びらは大きめの点描で描くなど、早速点描の表現を取り入れつつ工夫しています。なお、およそ20年後に描かれたブラマンクの《花瓶の花》(1905~06年頃)はゴッホの《青い花瓶にいけた花》と色彩の組み合わせがよく似ています。ブラマンクは花瓶や壁に加え、枝や葉の輪郭や影も青で描いていて、この作品を見たことで、逆にゴッホも黒を使っていないことに気づかされました。一方で、ブラマンクの作品は対象の特徴の再現にこだわらず花を色彩そのもので表現している点や、画面を色彩で塗り潰さず軽さや動きを感じさせるところに新しさを感じます。1901年に開かれたゴッホの回顧展を訪れたブラマンクは「私は、喜びと絶望で泣きたくなった。その日、私はゴッホを父よりも愛した」と述べていますが、ゴッホの後の世代が大きな影響を受けつつ新たな境地を切り開いていったことを見て取ることができるように思いました。

ゴッホ青い花瓶にいけた花》(1887年6月頃)

ひまわり

アメリカ大陸からもたらされたヒマワリは、太陽に向かって咲くと考えられたことや、花の形自体が太陽を思わせることから太陽ひいては神や信仰の象徴にもなりました。もとは聖職者を目指していたゴッホがこの意味に無頓着だったとは思えません。また、ヒマワリは力強い男性的な美の象徴として19世紀のイギリスで唯美主義のアイコンとなり、室内の調度品のデザインに用いられるようになりました。アルルのアトリエをヒマワリの装飾画で飾ろうというゴッホのアイディアの背景には、同時代の美術の潮流やデザインの流行もあったのでしょう。しかし、黄色い家を黄色い花で飾る、南仏の明るい光、眩い日差しを思わせる花で飾るというのはゴッホの好みでありセンスです。ゴッホの描いた《ひまわり》(1888年)は単純化された力強い線と厚みのある色彩により強烈なエネルギーと神々しいまでの存在感を放っていて、巷間に流布していた一般的な、類型化したヒマワリの図像を新たに塗り替えて「ゴッホの花」になったと言えると思います。ゴッホの回顧展の図録やゴーギャンの《肘掛け椅子のひまわり》(1901年)を見るとゴッホの没後間もない時期からゴッホの花としてのヒマワリ、あるいはゴッホ自身としてのヒマワリというイメージが共有されていたことが伺われます。また、そうしたイメージは反復されることでさらに強化され、定着していったのだろうと思います。

ゴッホ《ひまわり》(1888年11月~12月)

物語るモノ

ゴッホが靴のみを描いた静物画は少なくとも7点以上あるそうです。その一つである《靴》(1886年9月~11月)は灰褐色の背景に置かれた一足の黒い靴をほぼ正面から描いていて、内部のつくりや解けた靴紐が描写されています。くたびれた黒い靴は、抜け殻にもかかわらず履いている持ち主の人柄や生活が思い浮かぶような味わいがあります。道具はただの物ではなく、表情があるんですね。愛用の品や使い込まれた道具は持ち主の生活や性格を映し出し、ときには人生さえ語り出すかもしれません。

ゴッホ《靴》(1886年9月~11月)

…《皿とタマネギのある静物》(1889年1月)は一見何の変哲もない食卓を描いた静物画ですが、パイプはゴッホ自身、手紙はテオ、燭台はゴーギャンといった具合に人物を想起させる品が描かれていて、まるでテーブルを囲むゴッホとテオ、ゴーギャンを見ているような気もしてきます。また、テオの位置はゴッホの隣で、血縁であり協力者、理解者といった心理的な近しさを感じる一方、ゴーギャンとは向かい合わせで関心の強さと緊張感のある関係がうかがわれます。テーブルに置かれた医学書ゴーギャンと口論の末に耳を切ったゴッホがアルルの病院に入院していたことを示唆しているのでしょうか。黄色い食卓と青い背景を緑の壺や瓶が調和させていて全体に落ち着いた色調であり、ゴッホが興奮状態から落ち着きを取り戻したことを感じさせますが、どこかメランコリックな雰囲気もある作品です。

ゴッホ《皿とタマネギのある静物》(1889年1月上旬)

アイリス

…《アイリス》(1890年)は紫と黄という補色の効果を研究した作品で、同じアイリスをピンクの背景に描いて色彩の穏やかな調和を図った作品と対になっています。現在では描かれたアイリスの花は青く見えるのですが、これはゴッホの使っていた赤い絵の具が褪色したためだそうです。青い花からは透き通った爽やかな印象を受けますが、わずかな花びらに残った赤い色を見ていると制作された当時はもっと強く押し出してくるような存在感があったのかもしれません。構図的には鋭い緑の葉と長い茎が上に向かって放射状に広がり満開の花をつけている逆三角形で、画面上半分が重く不安定になるところを、右側に垂れた花でバランスをとっています。ゴッホはアイリスの複雑な花の形を丁寧になぞり、画面手前で光が白く反射している花、奥のほうで影になっている色の濃い花をひとつひとつ潰してしまうことなく描き分けています。一方で、しっかりとした線はむしろ装飾性を高める効果があり、日本美術の影響も感じます。アルルでの事件後、療養を余儀なくされたゴッホですが、なおも絵画制作への意欲を失わずに新たな挑戦を続けていたことが分かる作品だと思いました。

ゴッホ《アイリス》(1890年5月頃)

 

モネ 連作の情景 感想

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モネ《睡蓮》1897~98年頃

会期

…2023年10月20日~2024年1月28日

会場

上野の森美術館

www.monet2023.jp

感想

見どころ

…この展覧会は「100%モネ」のフレーズどおり70点余りの出品作が全てモネの油彩画で構成されていて、モネの世界にのみ集中することが出来ます。展示構成は概ね年代順で、制作の傾向に沿った内容となっています。個人的にはオランダ滞在時に制作された初期作品を今まで見たことがなかったので、興味深く鑑賞しました。モネは気に入った風景を繰り返し作品に描きましたが、同じ風景だからこそ時刻や季節、天候によるドラマチックな変化が一層際立つのではないでしょうか。連作の舞台となった風景にはモネのこだわり、愛着があったに違いないのですが、移ろう光を追い続けてほとんど抽象画のようになった作品からは、モチーフの存在感以上に豊かな色彩そのものが織りなすドラマが伝わってくるように思いました。

1 印象派以前のモネ

《昼食》(1868~69年)

…《昼食》(1868~69年)は黒い絵の具が多用されたモネの初期作品で、光に照らされた食卓の母子と窓に背を向けた訪問者、部屋の奥から見守る使用人とが明暗によって対比されています。さじを持つ子供を見守っている母親は食事の作法を教えているところでしょうか。サロンには落選してしまったそうですが、家庭の温かさ、団らんの和やかさが感じられて親しみやすい作品だと思います。

《グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像》(1871年)

アムステルダムの北に位置する港町、ザーンダム滞在中に制作された作品で、女性の金髪やスカートは大まかなタッチで、右袖の質感や大きめのイヤリングなどは丁寧に描写されています。モデルの女性が黒いドレスを着ているのは父親の喪中のためで、光源に背を向けて佇む横顔の女性は手を堅く組み合わせたまま宙を見つめて物思いに沈んでいるようです。

《ザーンダムの港》(1871年)ほか

…モネは1870年に普仏戦争が起こると徴兵を避けてイギリスに渡り、さらにオランダに移ってその滞在中に制作しています。《オランダの船、ザーンダム近郊》(1871年)や《フォールザーン運河とウェスタヘム島》(1871年)ではオランダらしい空の低い風景で、海面すれすれに建つ家並みと比べると風車の巨大さが分かります。夕暮れ時の船着き場を描いた《ザーンダムの港》(1871年)では、暮れなずむ空に向かって伸びるマストの先端の吹き流しが風にたなびいています。画面手前の水中から突き出た杭がやや唐突に視界を遮りますが、とどまることなく変化し続ける雲や波、風と対比されて、流動する風景を支える不動の座標のようにも見えました。

2 印象派の画家、モネ

《ヴェトゥイユの春》(1880年)ほか

…《アルジャントゥイユの雪》(1875年)はバラ色に染まる冬景色で、白い雪道の所々が夕日に照らされ一際明るく輝いています。《クールブヴォワのセーヌ河岸》(1878年)は緑の点描で描かれた柳の枝越しに川に浮かぶ舟や対岸の風景が垣間見えています。対象がはっきりとしない、あるいは一部しか見えず、間接的に気配で表現する方法は後年のロンドンの連作にも伺われる傾向で、興味深いと思いました。《ヴェトゥイユの春》(1880年)は木立の枝が芽吹き始めた春先の風景で、草原の瑞々しい緑が眩しい作品です。晴れた空には青に混じってピンク色が使われていて、日差しの柔らかさ、温かさが感じられます。

3 テーマへの集中

プールヴィルの崖

…プールヴィルはノルマンディー地方の漁村で、モネが1882年に制作した作品では海岸沿いに崖が切り立つ特徴的な景観が表現されていますが、1897年に再び当地を訪れたモネは地形よりも天候や時刻による見え方の相違に着目しているようです。日差しに包まれて大気に溶け入りそうな朝の風景と、嵐が迫り海が激しく波立って砂浜に打ち寄せる風景とは同じ場所とは思えないほどの落差があります。

ヴァランシュヴィルの崖と漁師小屋

…ヴァランシュヴィルの断崖の上に立つ小さな小屋はナポレオン1世時代に税官吏の監視小屋として建てられましたが、その後は土地の漁師たちの倉庫や避難小屋として使われていたそうです。1882年にノルマンディーを訪れた際の作品では崖の先端に立つ小屋とその先に広がる眺望が澄んだ空気の中で明瞭な輪郭を保ち、白い帆の船が浮かぶ海は遙か水平線の彼方で晴れた空と溶け合っています。一方で、1894年から98年にかけて制作された作品では嵐にさらされた崖が量感や質感を失い、雲や波と一体となって逆巻いています。また、1882年の作品が赤や黄色の暖色で陽光の温かさを感じさせるのと対照的に、1894年の作品で空や海は青から紫のグラデーションで描かれ、崖の陰も青みがかった色が用いられていて雨の冷たさを感じます。モネは表現を研究するために、嵐の日も怯まず出かけたのかもしれませんね。

4 連作の画家、モネ

積みわら

…1880年代半ばに制作された作品における「積みわら」は、緑の草原やポプラ並木、休息する親子など、のどかな田園風景の要素を引き立てるモチーフかつシンボルとして描かれています。しかし、1880年代末から90年代になるとモネの関心は積みわらそのものの描写に移っていて、三角の帽子をかぶったような独特の形が前面に大きくどっしりと描かれています。

ウォータールー橋

…ウォータール橋をモチーフとする作品はロンドンの連作のうち最多の41点があり、いずれもテムズ川にかかる橋を比較的近くからやや斜め下方を見下ろすような角度で描かれています。モネはこれらの作品をサヴォイ・ホテルで制作し、さらにアトリエで仕上げました。霧に霞み乳白色の膜に覆われたような都市の様相は効果的に描き分けられ、曇りの日は橋も建物も暗い影に沈み、雲を赤く染める太陽に照らされた煙だけが白く輝いていますが、晴れた日の日没時は橋がバラ色に染まりテムズの水面に映り込んでいます。夕暮れを描いた作品では橋も河岸の煙突も青い夕闇に包まれてほとんど見分けが付かず、陽光の名残と灯り始めた夜の街明かりが暮色の迫る風景を効果的に引き立てていて、ホイッスラーの《青と金のノクターン》を連想しました。

《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年
《雨のベリール》(1886年)

…《雨のベリール》は雨で霞む一面の花畑をラベンダー色の靄に包まれた風景として描いています。なだらかな地平は赤やピンクの花で覆われ、大気を満たして降り注ぐ雨の滴には地面の色が写り混じり合っています。モチーフの描写や空間の構築よりもまずは色彩への強い関心が伺われる平面的で装飾性の高い作品で、今回の展覧会で個人的に一番気に入りました。

5 「睡蓮」とジヴェルニーの庭

芍薬》(1887年)

…《芍薬》は生い茂る緑の中で燃えるように咲き乱れる芍薬の赤い花が補色の効果によって引き立てられています。モネの作品は大気を感じさせる青と光を感じさせる黄の組み合わせによって明るさ、軽やかさが生み出されていると思うのですが、後年になると赤と緑の組み合わせも目に付くように思います。画業と並んで庭造りにも情熱を注いだモネは、植物の色である緑とその補色の赤で草木の秘めるエネルギーを表現しようとしたのかもしれません。この作品も赤と緑、ことに炎に見まごう赤が印象的で、夏の暑熱にも勝る旺盛な生命力が感じられると思います。

芍薬》1887年

《睡蓮の池の片隅》1918年

…モネの初期作品は、風景画らしく空間の広がりやモチーフの配置が意識されていますが、移ろう光や空気の揺らぎに対する関心がより増えるにつれて奥行きが浅くなり、モチーフは前面に大きく描かれるようになっていくように思います。庭の睡蓮を描いた作品では空に浮かぶ雲も池の畔の木立も水面の反映としてのみ描かれていることが多く、睡蓮の花とともに織り込まれた一枚のタペストリーのようにも感じられます。平面的で装飾的な作品は抽象絵画に限りなく接近していくのですが、目に映る具象の世界をひたすら突き詰めた結果として抽象絵画の地平を切り開くことになったのが興味深いと思いました。

《睡蓮の池》1918年

6 その他

…展示室内は入ってすぐの映像ゾーンと、展示室後半部分の写真撮影が可能です。
…展示解説は少なめです。作品は全て壁掛けで、サイズも中型以上の油彩画なので後方からでも見ることは可能です。鑑賞時間は60分程度を見込んでおくと良いと思います。
…展覧会としては入場料金が高額で、平日は2,800円、混雑が見込まれる土・日・祝日は3,000円と料金に差があります。私が見に行った日は当日朝の時点でインターネットではチケットが完売していたのですが、美術館では当日券が販売されていて窓口に行列が出来ていました。サイトで購入できないから入場できないというわけでもなさそうですが、確実に入場するには事前にチケットを確保しておくことをおすすめします。
…また、特設ショップに入るにはいったん会場から出て外に並び直さなければならず、ここでも待ち時間がありました。なお、ショップへの入場にはチケットの提示が必要で、ショップだけの利用は不可です。平日に行くことが可能なら、そのほうが良いと思います。

やまと絵 受け継がれる王朝の美 感想

yamatoe2023.jp

会場

東京国立博物館 平成館

会期

…2023年10月11日~12月3日

感想

見どころ

…この展覧会は平安時代から室町時代にかけての絵画、工芸品で構成されていて、国宝、重要文化財が目白押しという豪華な展示内容となっています。「やまと絵」と聞くと日本史の授業を思い出すのですが、実はその言葉の指すところは時代による違いがあり、平安時代から鎌倉時代にかけては中国的な主題を描く「唐絵」に対して日本の風景や人物を描く作品を「やまと絵」と呼ぶのですが、それ以降は水墨画など中国大陸から伝わった新しい様式による「漢画」に対して伝統的なスタイルによる作品を「やまと絵」と呼ぶそうです。
…日本美術は西洋美術に比べると作品が小型で描写が細かく、色彩が淡いため遠くからでは見えないことが多いように感じましたが、おそらく個人で愉しむ側面が強いのでしょう。やまと絵が移ろう四季の風物や心模様を詠んだ和歌と共に発展したことも一因かもしれません。キリスト教と密接に結びつき、宗教的動機から聖職者だけでなく信者の目にも触れる前提で制作された西洋美術の公共性に比べると、日本美術は描かれる内容、技法ともに見る者にとってより親密な性質を持っているように思います。

浜松図屏風(室町時代、15世紀)東京国立博物館所蔵 重要文化財

…やまと絵というと繊細優美なイメージがあるのですが、「浜松図屏風」(室町時代、15世紀)は海辺の松並木を描いた雄渾な作品で、ごつごつと逞しい幹に生い茂る松葉の緑が雲のように描かれていました。大きくうねる波が山のように盛り上がっているダイナミックな表現も面白かったです。

平家納経 分別功徳品 第十七(平安時代、長寛2年(1164年)奉納)広島・厳島神社所蔵 国宝

平安時代には華麗な装飾を施した法華経の経典がさかんに作られたそうです。西洋で中世に聖書の豪華な装飾写本が作られたようなものでしょうか。「平家納経 分別功徳品 第十七」(平安時代、長寛2年(1164年)奉納)は金箔が散るなかに蓮の花が咲き、平安装束の男女が描かれていて、源氏物語で紫の上が法会を開き奉納した法華経の経文は出品作のようなものだったのだろうかと想像しました。

源氏物語絵巻平安時代、12世紀)愛知・徳川美術館 国宝

…四大絵巻の一つ、「源氏物語絵巻」(平安時代、12世紀)からは病床の柏木と柏木を見舞う夕霧を描いた場面が展示されていました。人物の顔貌は類型化されているのですが、床に横たわる柏木の傍らに寄り添い、友を案じて身を乗り出している夕霧の姿からは心痛や悲嘆が伝わってくるようです。また、「源氏物語絵巻」だけでなく、作者である紫式部が宮中の日常を綴った「紫式部日記」の絵巻(鎌倉時代、13世紀)も作られていたことを初めて知りました。

辟邪絵 神虫(平安時代、12世紀)奈良国立博物館所蔵 国宝、病草子 眼病治療(平安時代、12世紀)京都国立博物館所蔵 国宝、「百鬼夜行絵巻」(伝土佐光信筆、室町時代、16世紀)京都・真珠庵 重要文化財ほか

…やまと絵は和歌をイメージの源泉として描かれ、描かれたやまと絵に触発されてさらに歌が生まれるという循環がありましたが、そうした優美で情趣豊かな王朝物語の絵巻だけでなく、「地獄草子」(平安時代、12世紀)や「餓鬼草子」(平安時代、12世紀)など恐ろしい主題や不気味な主題の作品も作られています。戒めや心構えを説くためなのか、もっと単純に怖いもの見たさなのか、いずれにせよ絵師にとって大いに想像力を刺激される主題なのでしょう。「辟邪絵 神虫」(平安時代、12世紀)にはぎょろりと目を見開き歯を剥いて捉えた鬼を鉤爪で握りつぶす禍々しい怪物が描かれていますが、邪悪に打ち勝つにはより強く恐ろしい存在でなければならないのかもしれません。病気にまつわる説話を描いた「病草子」(平安時代、12世紀)のなかに「不眠の女」という作品があって、現代的というか、昔の人も不眠に悩まされていたのだなと思いました。「眼病治療」では治療どころか目に鍼を刺されたために失明してしまう男の顛末が描かれています。背後からたらいを差し出す女性は怪しげな医者にすがる男の滑稽さを笑っているようで、シニカルな味わいのある作品です。仏や菩薩が地獄を平定しようと乗り込み、極楽と地獄の軍勢が戦う「仏鬼軍絵巻」(室町時代、16世紀)は現代のファンタジー作品のようですし、長年使い込まれるうちに妖怪となった古道具=付喪神をユーモラスに描いた「百鬼夜行絵巻」(伝土佐光信筆、室町時代、16世紀)など面白い作品もありました。

源頼朝像(鎌倉時代、13世紀)京都・神護寺 国宝

…国宝「伝源頼朝像」(鎌倉時代、13世紀)は足利直義の肖像であるという新説が提唱されるなど、近年論争が続いているのですが、冷静さと聡明さ、穏やかながら強い意志を秘めた気品溢れる人物像で、誰を描いたか不明でも紛う方なき傑作だと思いました。一連の作品と見られる「伝平重盛像」(同上)や「伝藤原光能像」(同上)も対象の個性をよく捉えていますが、頼朝像はそのなかでもとりわけ傑出した出来映えです。おそらく職人たちのなかでも頭領に当たる人物が手がけたのでしょう。個人的には、本人そっくりの等身大の像となると分身と言って良く、呪術的な意味合いさえ感じますからただの絵ではないのだろうなと思いました。

蒔絵箏(平安時代、12世紀)奈良・春日大社 国宝

…「蒔絵箏」(平安時代、12世紀)は楽器として使用するにはサイズが短く、奉納された儀式用のものだそうです。胴の表面には蒔絵で山岳が表現されているとのことですが、雲のようにも流水のようにも見える様式化された装飾で抽象画のようだと思いました。実用品ではないのですが、どんな音が鳴るのか聞いてみたい気もします。

砧蒔絵硯箱(室町時代、15世紀)東京国立博物館 重要文化財

…「砧蒔絵硯箱」(室町時代、15世紀)は蓋の表側に月夜の秋の野に置かれた枕が描かれ、裏側には秋草に埋もれそうな家のなかで衣を打つ男女が描かれていて、両面合わせて「衣打つ音を聞くにぞ知られぬる里遠からぬ草枕とは」(俊盛法師)という和歌を表現しています。一つの歌ですが、里の日常と旅という非日常、独り寝の枕と仲睦まじく衣を打つ夫婦とを表裏に分けて両者の対比を際立たせてもいます。近くて遠い穏やかで温かな営みの気配は、旅の孤独を一層募らせることでしょう。なお、蓋の表側には銀で「しられ・ぬる」という葦手書の文字が隠されています。見つけられれば描かれた主題のヒントが得られる仕掛けで、遊び心を感じますね。

その他

…私が見に行ったのは連休初日で会場がかなり混雑していたため、全てを丁寧に見ることは諦めて音声ガイドを聞きながらピンポイントで作品を鑑賞しましたが、絵巻物など作品を置いた状態で展示している場合は展示ケースの前で列の移動を待つ必要があったりして、鑑賞時間は2時間半ほどかかりました。チケットは平日は予約不要ですが、週末・祝日は事前予約が必要で当日券はありません。会場内の撮影は禁止です。ミュージアムショップでも会計待ちの列が伸びていたので、週末や祝日に行く場合は時間に余裕を持って出かけることをおすすめします。

キュビスム展 美の革命 感想

ピカソ《輪を持つ少女》1919年春

【会期】

…2023年10月3日(火)~2024年1月28日

【会場】

国立西洋美術館

cubisme.exhn.jp

【感想】

見どころ

…「キュビスム展 美の革命」はヨーロッパ最大の近現代美術コレクションを有するパリのポンピドゥーセンター所蔵作品を中心に、キュビスム運動の起源、展開、影響まで全体像を紐解く展覧会です。この展覧会にはピカソ、ブラックはじめ、キュビスムという切り口で110点余りの油彩画、彫刻作品が集められていて見応えがあり、キュビスムが多角的な方向性を持った幅広い芸術運動だったことが分かります。また、エコール・ド・パリのシャガールモディリアーニピュリスムル・コルビュジエなどキュビスムから影響を受けつつ独自の作風を確立した芸術家たちについても、改めてキュビスムという美術史の大きな流れのなかに位置づけて理解できます。個人的には、今回ロベール・ドローネーという作家を新たに知ることが出来ました。
…美術は何より視覚に訴える芸術であり、遠近法による空間表現に対してキュビスムの斬新さは文字通り一目瞭然です。複数の視点による立体の把握と二次元上での再構成という革新的な技法を多くの作家が取り入れることができたのは、キュビスムが作家個人の感性にのみ依拠するのでなく理論的な普遍性を有していたためでしょう。同時に、決して厳格ではなく発展途上の柔軟さがあったことで、キュビスムを取り入れた作家の個性や解釈を反映した独自の多様な挑戦/表現を包含することが可能だったのだろうと思いました。

アンリ・ルソー《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(1910年頃)

キュビスムの源泉としてセザンヌゴーギャンと共に、ルソーの作品が並んで展示されていたのは少し意外でした。正規の美術教育を受けなかったルソーですが、熱帯の密林という原初的な異郷への関心や平面的な画面構成など独自の画風を確立して、ピカソなど後の世代の芸術家たちにインスピレーションを与えたそうです。《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(1910年頃)は、神秘的な静けさと濁りのない色彩の眩さが印象的なルソーらしい作品で、鬱蒼と生い茂る緑のジャングルと撓わに実ったオレンジの実が互いに引き立て合っています。画面中央で一つの実を分け合う二匹の猿はつがいでしょうか。ダーウィンの『種の起源』がすでに前世紀の出版であることを踏まえれば、二匹は人間になる前のアダムとイブであり、知恵の実を食べて人間になると楽園から追放されてしまうことを暗示しているようにも思われます。ルソーは想像の南洋の森を描くに当たって、全体の一部として細部を捨象するのではなく、木の葉の一枚、オレンジを持つ猿の毛並みの一筋にいたるまで細部を丁寧に描きこんでいて、その頑ななまでに一貫した生真面目さが堅固な独創性を生み出しています。画家は必ずしもメルヘンやファンタジーの効果を狙っているわけではないと思うのですが、その作為のなさこそが素朴で無垢な楽園と親和的なのかもしれません。

ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》(1908年初頭)ほか

…ブラックはセザンヌのアトリエがあったレスタックを訪れて、自らもその地で制作を行いました。作品に学ぶだけでは満足せず、セザンヌが何をどのように見てどう描いたか、実際に制作活動をなぞることでその秘密に迫ろうとしたのでしょう。《レスタックの高架橋》(1908年初頭)では、斜面に立ち並ぶ積み木のような家がそれぞれ下から、あるいは上からという具合に異なる視点から描かれていて、空間は画面の奥に向かわず、むしろ家の塊が画面手前に盛り上がってくるように感じられます。キュビスム時代のピカソとブラックの作品は二人が親しく交流していたこともありよく似通っているのですが、強いて特徴を挙げるなら、ピカソ幾何学的なブロックで寄せ木細工のようにモチーフを構成しているのに対して、ブラックは多数の補助線によって視点とそれに対応する面を逐一定めて、画面を細分しているように見えます。しかし、いずれの作品もモノトーンに近い色彩と細い線によってのみ描かれている点は同じで厳しく抑制的であり、何を描いているか容易に判別できないほど対象を徹底的に分割しています。自然主義的な再現から離れて新たな絵画様式の地平を貪欲なまでに探求したピカソやブラックが抽象絵画に向かわなかったことは意外にも思えるのですが、「絵画」を徹底して突き詰めた果てに改めて「実物」を振り返ったとき、その手触りや色合い、重みやぬくもりといった豊穣さ、官能性が生々しい実感を伴って再び立ち上がってきたのではないかとも思います。キュビスムによる自律的な絵画世界の探求は、対象の放つ生命力を再発見する旅でもあったと言えるかもしれません。

ブラック《レスタックの高架橋》1908年初夏

ブラック《ヴァイオリンのある静物》1911年11月

ブラック《ギターを持つ女性》1913年秋

ピカソ《女性の胸像》1907年6~7月

ピカソ《肘掛け椅子に座る女性》1910年

ピカソ《ヴァイオリン》1914年
フェルナン・レジェ《婚礼》(1911~1912年)、フアン・グリス《ヴァイオリンとグラス》(1913年)

…フェルナン・レジェ《婚礼》(1911~1912年)では画面中央にうっすらとピンクがかったドレスを着ている花嫁と、その隣に寄り添う花婿とおぼしき人物が描かれています。しかし、主役の二人以上に印象的なのが彼らを取り巻くおびただしい灰色の手で、大勢の人々が渦巻くように犇めきながら二人に向かって手を差し伸べ祝福する熱気や喧噪が感じられます。写真のハレーションのように画面の所々を隠す白い靄や、道沿いの並木や花婿の後ろの円を重ねてコマ送りのように見せる表現など、新しい映像技術を逆輸入して効果的に画面に生気を与えているのもユニークで興味深かったです。
フアン・グリスの《ヴァイオリンとグラス》(1913年)は色彩の華やぎが感じられる作品で、とりわけ艶のある青い色面が目を引きます。緑のグラスは古典的な立体感を保っていますが、これはフランス語で発音が同じグラスverreと緑vertを掛けた洒落であり、画面上に文字こそ書かれていないものの単語を想起させる仕掛けが込められているそうです。一方でヴァイオリンは単純化、平面化されて影のように実体を失い、木目模様の紙がヴァイオリンの形に切り抜かれてテーブルの上に置かれているようにも見えます。紙の端があたかもカンヴァス上に貼り付けられているかのようにめくれているのは、描かれたイメージでなく絵画そのものにこそ実体があることを示唆するサインでしょう。なお、図録ではこの作品が逆さまに印刷されてしまっているのですが、一見しただけでは上下逆だと気づかない、あるいは上下逆なのに絵画として成立してしまうのも複数の視点から描かれているキュビスムらしいと思いました。

レジェ《婚礼》1911~1912年

グリス《ヴァイオリンとグラス》1913年
ロベール・ドローネー《パリ市》(1910~1912年)ほか

…ドローネーの《パリ市》(1910年~1912年)は手を取り合う三美神という伝統的な神話画の構図を踏襲しつつ、船や橋、エッフェル塔など機械化、工業化を象徴する鋼鉄の建造物を周りに配してモダニスムの美を称えている記念碑的な作品です。グレーズ《収穫物の脱穀》(1912年)では農作業に勤しむ人々が主題ですが、描かれた農村は古き良き時代を偲ばせる牧歌的な田園ではなく現代的な労働の場であり、農夫たちは機械を使って穀物脱穀しています。ピカソやブラックによるキュビスムの探求においては静物画を中心に、身近で比較的シンプルな主題が多く取り上げられているのに対して、ドローネーやグレーズはサロンに出品することを念頭に、キュビスムを用いて大型のカンヴァスに複雑な構図で観念的、象徴的な主題を表現しています。キュビスムと西洋絵画の伝統は必ずしも相容れないわけではなく、絵画の形式と表現される概念やメッセージとの融合を図った挑戦が、後のピカソの《ゲルニカ》(1937年)のような歴史的事件を描いた大作にも繋がったのではないかと思いました。

ロベール・ドローネー《パリ市》1910~1912年

グレーズ《収穫物の脱穀》1912年

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》(1913年)、ナターリヤ・ゴンチャローワ《電気ランプ》(1913年)、エレーヌ・エッティンゲン《無題》(1920年頃)ほか

…今回の展覧会ではこれまで知らなかった女性画家たちの作品にも触れることが出来ました。芸術家たちが集まるパリのダンスホールを幅4メートル近いカンヴァスに描いたソニア・ドローネーの《バル・ビュリエ》(1913年)は、溢れる色彩がフロアで抱き合う男女と共に目まぐるしく舞い踊っているようで、流れるタンゴのリズムやメロディが伝わってくる作品です。
…ナターリヤ・ゴンチャローワ《電気ランプ》(1913年)は同心円状に広がる光と放射状の光線とが組み合わされて、電気ランプという新しい照明の明るさが印象的に表現されています。釣り鐘状のランプシェードや画面を縦断する電気回路などには曲線が効果的に用いられて、無機質な機械が優美なものに描かれています。
…フランソワ・アンジブーの名で活動したエレーヌ・エッティンゲンの《無題》(1920年頃)には、暗闇に浮かぶいくつもの顔が描かれています。幼い子供のような顔もあれば画家の自画像のような女性の顔もあり、一つ一つ異なっていて、不機嫌そうであったり悲しそうであったりと表情も様々です。キュビスムよりもむしろシュルレアリスム的で、一人の人間の心に潜む多面性を表現しているようにも感じられる興味深い作品でした。
…レオポルド・シュルヴァージュは上述のエレーヌのパートナーだった時期があり、彼女をモデルに《エッティンゲン男爵夫人》(1917年)を描きました。作品では画面中央で座っているエレーヌを中心に、周りに本や窓など室内が描かれ、さらにその四囲をシルエットが行き交うパリの街が取り巻いて、部屋から街へ世界が広がっています。エレーヌの両横にギリシャ風の円柱が描かれているのは、エレーヌを神殿に座す女神に見立てているのでしょうか。単純化された街の風景と立体感ある静物が組み合わされ、コラージュ的に挿入されている絨毯や壁紙などの模様、連続して重なる瓶や缶詰などキュビスム及びそこから派生した様々な表現が集大成的に取り入れられている作品です。

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》1913年 部分

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》1913年 部分

ゴンチャローワ《電気ランプ》1913年

エッティンゲン《無題》1920年頃
シャガール《ロシアとロバとその他のものに》(1911年)

…エコール・ド・パリの画家であるシャガールモディリアーニは、キュビスムの影響を受けつつ独自の画風を確立しています。例えばシャガールの《ロシアとロバとその他のものに》(1911年)では屋根の重なり方をよく見ると空間が捻れているなど、空間や立体感の表現にキュビスムの影響が伺われますが、それ以上に動物と人間とが親しく寄り添う様子や首が宙を飛んでいる女性といった幻想的なヴィジョンから圧倒的に強い印象を受けます。この作品でのキュビスムは主題ではなく、不条理だが奇妙に明晰な超現実に相応しい様式として、自然主義とは異なるリアリティでユニークな絵画世界を支えていると思います。
…一方、ル・コルビュジエやオザンファンが推進したピュリスムの作品はキュビスムの親戚と言えそうなほど似通っています。しかし、ピカソやブラックの静物画にしばしば描かれたグラスや楽器などが、おそらくセザンヌにとってのリンゴ――リンゴでパリを驚かせてみせる――に当たる身近で見慣れたモチーフであるのに対して、ピュリスムはそうした身近な器や道具が歴史による淘汰を経て洗練された形体に昇華されている点に注目しています。ピュリスムは「自然を幾何学的に捉えなさい」というモットーを積極的に転換し、無駄がなく機能的で効率的に生産可能なデザインという形と意味の弁証法的融合に造形上の到達点を見いだしたのではないかと思いました。

シャガール《ロシアとロバとその他のものに》1911

ル・コルビュジエ静物》1922年

 

永遠の都ローマ展 感想


roma2023-24.jp

《会期》

…2023年9月16日(土)~12月10日(日)

《会場》

東京都美術館

《感想》

見どころ

…この展覧会はローマのカピトリーノ美術館の所蔵品を中心とする70点余りの出品作で構成されています。「カピトリーノ」はローマの七つの丘の一つで古代ローマの政治的・宗教的中心地であり、カピトリーノ美術館は15世紀後半の教皇シクストゥス4世をはじめとする歴代ローマ教皇古代ローマの美術作品をローマ市民に寄贈、公開したことが由来であるため、古代の彫刻作品が多く展示されていました。ほかには、バロック時代の油彩画や版画作品なども展示されていました。会場内ではトラヤヌス帝記念柱の石膏複製レリーフの撮影が可能です。所要時間は90分程度でした。

カピトリーノのヴィーナス

…この展覧会の見所である初来日の《カピトリーノのヴィーナス》(2世紀)は状態が非常に良好で、2世紀の彫刻と思えないほどでした。ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》とも共通する、僅かに腰を屈めて腕で身体を隠す控えめなポーズで、初々しい女神の足下にはルトロフォロスという古代アッティカの婚礼用水入れがあり、火とかまどの神ヘパイストス(ウルカヌス)との結婚前夜の姿とも考えられるそうです。像の右半身側に立って見るとヴィーナスの横顔から首筋、右足の腿から爪先立った足先までが流れるように滑らかで、石でありながら石を超えた神々しさを感じました。

カピトリーノの牝狼

…《カピトリーノの牝狼》(20世紀の複製、原作は前5世紀)は古代ローマを扱った書籍などで必ずと言って良いほど目にする作品ですが、狼が前5世紀のブロンズ像なのに対して、乳を飲む双子のロムルスとレムスはルネサンス期に付け加えられたのだそうです。乳が大きく張り出した牝狼はちょっと可愛い顔つきで、猛獣の凶暴さはあまり感じられません。おそらく多産豊穣を祈念する目的で作られたものがローマ市民に寄贈され、カピトリーノの丘に運ばれたことで、「牝狼がローマの始祖ロムルスとレムスを育てた」という建国神話と融合してシンボルになったのでしょう。

負傷した牝犬、豹と猪の群像

…《負傷した牝犬》(前100年頃、原作は4世紀)はリアリズム溢れる作品です。痩せて引き締まった犬は折り曲げた後ろ足を身体に引きつけていて、舌で傷を舐めようとしているのでしょう。この彫刻はアレクサンドロス大王の獅子狩りのエピソードに基づく彫刻群像からの複製だそうですが、牝犬の複雑なポーズや耳を倒して苦しげな様子から、実際の犬の骨格や動作、習性等を注意深く観察していることが伺われます。《豹と猪の群像》(1世紀)は極限における生命の咆吼が伝わってくるような迫力があります。倒れてもがきながら猪の首に牙を立てる豹と、毛を逆立てて足を踏ん張る猪が格闘する姿は、円形闘技場で行われていた猛獣の闘技から着想を得たと見られているそうです。

皇帝たちの肖像彫刻

…出品された古代の肖像彫刻に全身像はなく、いずれも胸から上の胸像でしたが、ほぼ顔だけにもかかわらずモデルの人間性が伝わってきました。例えばカエサルとされる胸像は自信に満ちた頼もしい壮年のベテラン兵士ですが、カエサルの後を継いだ初代皇帝アウグストゥスは若々しく怜悧な微笑を浮かべています。五賢帝の一人で帝国の最大版図を築いたトラヤヌスは威厳ある超越的な皇帝というより実務家の印象で、帝国を隈無く巡察したハドリアヌスは精力的な相貌ですが笑顔はありません。短気な性格で感情が露わな顔つきのカラカラ帝など、モデルが皇帝でもそれぞれに写実的、人間的で個性的でした。また、女性の胸像はいずれも髪型が特徴的でした。《女性の胸像》(頭部:1世紀末~2世紀初頭、胸部:2世紀後半)これはヘアピース(鬘)をつけているのだそうです。

カンピドリオ広場

ミケランジェロが設計したカンピドリオ広場は中心にマルクス・アウレリウスの騎馬像が配置されていて、建築的な構造、訪れる人々の関心、ローマ市の政治権力など全てが収斂すると共にここから放射されるような印象を受けます。フィレンツェ時代のダヴィデ像もにしても、ミケランジェロは広場に置くように主張しているのですが、芸術品を大切に飾るのではなく現実の景観や政治的・社会的文脈のなかで生かすことを重視したのでしょう。星の模様のモダンな舗装は、20世紀になってから実現したそうです。

バロック絵画

…大きく両手を広げたフランチェスコの身振りが目を引くアンニバレ・カラッチ《改悛の聖フランチェスコ》(1583年頃)は、神の啓示を受けた非日常的、超自然的な一瞬が現実の風景の中に描かれています。ドメニコ・ティントレットの《キリストの鞭打ち》(1590年代)では剣を振りかざす青年(天使でしょうか?)と地面に倒れ込む鞭を持った役人、役人を庇う男、天使の後ろに立つキリストのそれぞれの身体がダイナミックに捻れ、画面いっぱいにひしめいています。マッティア・プレーティ《ディオゲネスプラトン》(1649~50年)ではイデア論を唱えたプラトンが光の中で書物を手に持っているのに対して、真実は剝き出しの現実にあるとしたディオゲネスが暗がりでランタンを灯す姿で対比されていて興味深い作品でした。
…なお、図録にはカラヴァッジョ《洗礼者ヨハネ》やグエルチーノ《洗礼者ヨハネ》が掲載されていますが、会場には展示されていませんでした。おそらく福岡会場に出品されるのだろうと思います。

トラヤヌス帝記念柱

…実物は台座を含む高さが40mにもなる《トラヤヌス帝記念柱》(113年)については、18世紀に制作された全景図と1/30の模型、及び円柱に刻まれたレリーフの実物大複製などが展示されていました。巨大な円柱は元老院ローマ市民からトラヤヌスに贈られたもので、ダキア戦争におけるトラヤヌスの勝利を祝う記念碑であると共に、内部にトラヤヌスの遺骨が納められた墓碑でもあります。出品されたレリーフダキア戦争に向けて船に食料を積みこむモエシア艦隊のローマ兵たちと敗北したダキアの王デケバルスが自害する場面の二点ですが、具体的かつ詳細に描写されていて記録を残す歴史書のような側面もあったのでしょう。ただし、近づいて悉に見ればどんな場面か分かっても、巨大な円柱の一部では実際にはとても見えない気がします。古代ローマの皇帝はしばしば死後に神格化されていますから、天に向かって聳える記念碑は神に相応しい捧げものとして建てられたのかもしれないと思いました。

《モエシアの艦隊》(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製)(1861~62年、原作は113年)

《デケバルスの自殺》(トラヤヌス帝記念柱からの石膏複製、1861~62年、原作は113年)

パイエーケス人の踊り

…個人的にはアントニオ・カノーヴァの《パイエーケス人の踊り》(1806年)が洗練された繊細なレリーフで印象に残りました。手を取り軽やかに舞う二人の踊り手はアルカディアの精霊のようで、牧歌的な古代への憧憬や郷愁が感じられました。

テート美術館展 光――ターナー、印象派から現代へ 感想

【会期】

 …2023年7月12日~10月2日

【会場】

 …国立新美術館

【構成】

 第1章 精神的で崇高な光
 第2章 自然の光
 第3章 室内の光
 第4章 光の効果
 第5章 色と光   

tate2023.exhn.jp

感想

…この展覧会は近代以降のアートにおける「光」の位置づけや表現方法、アートは「光」をどのように扱ってきたかというテーマに沿って構成されていて、それぞれの作品が選ばれた理由を考えながら見るのが楽しかったです。概ね時代順の構成でしたが、中には19世紀の作品と同じスペースに展示されている現代アートの作品もありました。一見唐突に思われる組み合わせが意外にも馴染んでいて、時代を超えたテーマ、問題意識を感じることができました。

【超越的な存在を象徴する光】

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《陽光の中に立つ天使》(1846年出品)、《光と色彩(ゲーテの理論)――大洪水の翌朝――創世記を書くモーセ》(1843年出品)

ターナーというと風景画の印象が強く、宗教的な主題の作品をあまり見た記憶はないので、今回の展覧会で新たな一面を知ることができました。《陽光の中に立つ天使》や《大洪水の翌朝》では天使や予言者が天空に出現した超自然的な光景が描かれていますが、その姿はあくまで仄めかされる程度にうっすら浮かび上がるだけで、主役は渦巻く大気の彼方から指す光そのもののようです。ターナーにとっては、大気と渾然一体となった地上の光は天上の霊的な光と途切れることなく続いていて、光を捉えることが神の存在を感じることなのかもしれません。

ターナー《陽光の中に立つ天使》1846年出品

ターナー《光と色彩(ゲーテの理論)―大洪水の翌朝―創世記を書くモーセ》1843年出品
ウィリアム・ブレイク《アダムを裁く神》(1795年)

…燃えさかる太陽の馬車からアダムを指さす神。神の前に立つアダムは畏まり、手を合わせて深く頭を垂れています。神の右手からはアダムに向かって一閃の光が放たれていますね。燃えさかる太陽の馬車に乗る神は、太陽そのものでもあります。日本でも「お天道様が見ている」と言ったりしますが、天にあって遍く地上を照らす光は自然の一部であるだけでなく、己の罪や過ちをも明るみに出す超越的な力を感じさせるものなのでしょう。

ブレイク《アダムを裁く神》1795年
ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー《トスカーナの海岸の灯台と月光》(1789年出品?)

…ダービーの作品では月光と灯台の灯りという、自然と人工の二つの光が対比されています。闇を照らす空の月も船乗りを導く目印となる灯台も、共に航海の安全を守ってくれる存在ですね。表題にトスカーナという地名が入っていますが、実景を忠実に再現したのではなく、複数のモチーフを組み合わせて再構成したものと思われます。前景で夜の闇の中、船を接岸し荷を下ろしている人々は二つの光に守られて無事到着したところなのでしょう。優しい月明かりが夜の静けさを一層深め、心の鎮まる穏やかさが伝わってくるように感じられました。

ダービー《トスカーナの海岸の灯台と月光》1789年出品?
ジョン・マーティン《ポンペイヘルクラネウムの崩壊》(1822年)

…ヴェスヴィオ火山の噴火によって滅んだ古代ローマの都市ポンペイヘルクラネウムは18世紀半ばに再び発見されました。繁栄の頂点で突然天災に見舞われた都市の劇的な運命は、人々の想像力を掻き立てたことでしょう。ジョン・マーティンの作品では噴煙に覆われた空に稲光が走り、海には灼熱の溶岩が流れ込み、逃げ場を失った人々が身を寄せ合って怯えています。禍々しい赤い光に染まった光景はさながら地獄のようで、画家は圧倒的な自然の力の前になすすべなく終焉を迎えた人々の姿に最後の審判の光景を重ね合わせているのだろうと思います。

マーティン《ポンペイヘルクラネウムの崩壊》(部分)1822年

マーティン《ポンペイヘルクラネウムの崩壊》(部分)1822年
エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ《愛と巡礼者》(1896~97年)

…この作品は、愛を得て孤独の闇から光に満ちた世界へ救い出される人間の姿を描いているそうです。天使のような姿をした愛の神に腰を屈めて恐る恐る手を伸ばす巡礼者は、片手でまだ背後の茨の蔓を握っていて新たな世界へ踏み出すことを躊躇っているようにも見えます。愛の神が足を載せている石段の先には何があるのか、それとも彼らは廃墟をあとにしようとしているのでしょうか。愛の神の翼を取り巻く小鳥は自由の象徴であり、愛の神は魂の自由を手に入れさらなる高みへ上るように巡礼者を促しているようにも見えます。人生の旅の末に巡礼者が見つけたのは、神の愛だったのかもしれません。

バーン=ジョーンズ《愛と巡礼者》1896-97年

【ありふれた、あるがままの日常の煌めき】

ジョン・コンスタブル《ハリッジ灯台》(1820年出品?)

…コンスタブルの《ハリッジ灯台》は空の大きさが印象的な海辺の風景です。日差しは穏やかで心地よく、湧き上がる雲の影が陸地に明暗のコントラストを成しています。淡い水色を主とする画面のなかで、手前に佇む人の赤い帽子が目を引きますね。海をゆく船の帆が日差しを受けて白く光り、灯台のそばや草地で人々が寛ぐ伸びやかな情景に、ありふれた人々の営みと共にある日常の輝きが感じられると思います。

コンスタブル《ハリッジ灯台1820年出品?
ジョン・エヴァレット・ミレイ《露に濡れたハリエニシダ》(1889~90年)

…ミレイの《露に濡れたハリエニシダ》はヴェールのように繊細な光と緻密な植物の描写が魅力的な作品です。夜明けの森に立ちこめる霧が朝日を和らげ、日差しと季節の移ろいとで木立が赤く色づいています。足下に目を移すと、ワラビやハリエニシダなどの下草が朝露に濡れて無数の小さな光が宿り輝いています。霧も露もひとときのうちに儚く消えてしまいますが、画家の鋭敏な感性はつかの間の煌めきを逃さず捉え、密やかな愁いを込めて表現していると思います。

ミレイ《露に濡れたハリエニシダ》1889-90年
ジョン・ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》(1871年)

…《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡》には見渡す限りの青空とエメラルドの海がパノラマ画面いっぱいに描かれていて、作品の前に立つと遮るもののない海原のただ中にいるような感覚をおぼえます。しかし、臨場感の一方で、カンヴァスは水平線で上下均等に二分され、天頂に昇った太陽から真昼の光が放射状に降り注ぎ、海面の明暗がくっきりと塗り分けられるなど明瞭で整然とした描き方からは標本のような印象も受けます。ジョン・ブレットは科学的なアプローチで自然を忠実に再現することに努めた画家で、この作品も綿密な観察やスケッチに基づいて制作されたそうですが、客観的な正確さと主観的な本物らしさは必ずしも一致しないこと、そもそも作家は真実に迫ることと感動を引き起こすことのどちらのアプローチを選ぶべきか――両者が軌を一にしていることも少なくないのですが――ということについて考えさせられました。

ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡1871年
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー《ペールオレンジと緑の黄昏――バルパライソ》(1866年)

バルパライソは南米・チリの港町なのですが、この作品を見たときは浮世絵のようだと思いました。暮れなずむ海辺を風景を包む柔らかいパステルカラーの色調、薄墨色の船や陸地の影、流水やたなびく雲のイメージである長いストロークなどに日本的な印象を受けるのでしょう。穏やかな一日の終わりに見えるのですが、実はこのときチリはスペインと戦争中で、この作品もバルパライソからイギリス・アメリカ・フランスの艦隊が退却し始めた様子を描いたものであり、町は翌日、スペインの砲撃を受けたそうです。ホイッスラー自身はチリ海軍を支持していたそうですが、被害を受ける以前の町の美しさは戦争が何を破壊するのか伝えているように思いました。

ホイッスラー《ペールオレンジと緑の黄昏―バルパライソ》1866年
クロード・モネ《エプト川のポプラ並木》(1891年)

…モネはしばしば同一の風景に基づく連作を制作し、光の移ろいによるモチーフの表情の変化を捉えました。今回の展覧会の出品作は、エプト川沿いのポプラ並木を描いた連作のうちでモネが一番気に入っていたそうです。蛇行する川の流れに沿ってポプラが川岸から頭をのぞかせ徐々に大きくなっていくことで遠近感が表現されているのですが、素早いタッチには勢いが感じられ、見上げる角度で描かれていることで空に向かって木がリズミカルに上昇していくようにも見えます。実景に基づきながらも様式的、装飾的な構図で、後年の装飾壁画への展開に繋がる関心が伺われるように思いました。

モネ《エプト川のポプラ並木》1891年
ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内》(1899年)

…この作品は閉ざされた室内に差し込む窓越しの静謐な光が主役です。制作当時はすでに屋内外でガスや電気などの人工の照明が用いられていたはずですが、画家は時代を象徴するアイテムより、いつの時代も変わらない自然光のもたらす効果に関心があったのでしょう。使用されている色彩は白、黒、茶褐色など少数に限られていてモノトーンに近く、古い寺社のような歳月を超えた落ち着きをを感じさせます。画面を包む柔らかい光はありふれた情景に不変の永遠性をもたらし、誰の記憶にもある普遍的な懐かしさを呼び起こすと思いました。

ハマスホイ《室内》1899年

【光を表現手段とするアート】

ジェームズ・タレル《レイマー、ブルー》(1969年)

…床も天井も一面に青く染まった空間を体験する《レイマー・ブルー》は、パイロットとして飛行機も操縦するジェームズ・タレルの作品です。周りを囲むものが何もない空の上を飛行する体験は、カンヴァスや額縁に制約された表現を乗り越えることを意識させたのでしょうか。青い光に包まれていると、次第に壁や床といった手がかりが遠ざかり足下が心許ないような浮遊感を覚えます。切り取られた一定の空間を再現するのではなく、視覚体験を成立させる空間自体を体感する作品だと思いました。

ブリジット・ライリー《ナタラージャ》(1993年)

…「ナタラージャ」は「舞踏の王」という意味で、ヒンズー教の神、シヴァ神の別称ですが、この作品にシヴァ神の具体的な図像は見当たりません。代わりに描かれているのは、一定の幅にカラフルな平行四辺形がランダムに配列された幾何学的なパターンです。しかし、寒色と暖色、明るい色と暗い色が対比され、平行四辺形の断片が目の中でチラチラと点滅してあたかも動いているような錯覚を覚えるのは、魔術的にも感じられます。自由なようでいて、色彩の効果や画面全体のバランスと統一感が厳密に計算され構成されている禁欲的な作品だと思いました。

ジュリアン・オピー「8つの風景」から《雨、足跡、サイレン》、《トラック、鳥、風》、《声、足跡、電話》(2000年)

…遠目に写真、近づいて見ると実は絵画というこの作品は、写真を元にコンピューターで描画したデジタルプリントです。雨の夜の濡れた路地に滲む街灯の光、夜空に広がる月光の青白いグラデーション、ビルの廊下を白々と照らす蛍光灯の無機質な光。加工によって簡略化、単純化された風景は奥行きを失い、見慣れたはずの世界に違和感を抱かせます。タイトルに並べられた三つの単語はそれぞれ作家がイメージの元となった場に居合わせたとき耳にした音だそうですが、人影のないどこか不穏な情景と意味深なタイトルが相まって視覚と聴覚に作用し、ドラマのようにミステリアスな一場面を連想させられます。(出品リストではfootstepsが足跡と和訳されていますが、図録の作品解説から考えると足音と訳すほうが適当ではないかと思います。)

デイヴィッド・バチェラー《ブリック・レーンのスペクトル2》(2007年)

…この作品を一見したとき、モンドリアンの《ブロードウェイ・ブギウギ》を立体にしたようだと思いました。赤、青、黄色などのカラフルな長方形のライトをスチール製の棚に積み上げた作品からは、昼間のように明るく、昼間の活気とは異なる夜の街の喧噪を想起させられます。ネオンを連想させる華やかで平板な人工の光は陽気で軽薄な空虚に似つかわしいでしょう。悲劇も喜劇も空騒ぎに消費する貪欲な現代の都市の鼓動が感じられると思いました。

オラファー・エリアソン《星くずの素粒子》(2014年)

…エリアソンの《星くずの素粒子》は、回転するミラーボール状の「星」の反射光が壁や天井に映し出されるインスタレーションです。星は寿命を迎えると重力崩壊を起こして爆発四散し、残骸は高速で回転しながら宇宙空間に強い電波を発するのですが、その壮大なイメージを形にしたものでしょう。宇宙の果てで燃え尽きた星が一生の最後に放つ素粒子は、時空を超えて地球に遙か彼方の星の存在を届ける究極のコンタクトと言えるかもしれません。

エリアソン《星くずの素粒子》2014年

 

マティス展 感想

【会期】

…2023年4月27日~8月20日

【会場】

東京都美術館

【感想】

…会期中盤の週末に朝一番の時間帯で入場しましたが、入り口に待機列が出来ていて、展示室内もかなり混雑していました。ただ、11時半に会場を出る頃には入り口も空いていて待ち時間なしで入場できていたようなので、時間帯を工夫すればゆっくり見られそうです。会場は地階→1階→2階の順で作品は年代順に展示され、1階の展示室は撮影が可能でした。
…出品作はすべてマティスの作品で、ポンピドゥー・センター所蔵の油彩画を中心に、マティスの活動期間全体に渡ってドローイング、彫刻作品、晩年の切り絵作品やヴァンス・ロザリオ礼拝堂に係るデザインなどが展示されていました。ドローイング作品は一本線で軽く輪郭をなぞった陰影のない作品が多く、洒脱な印象を受けます。ゴッホの作品に刺激を受けたマティスは、直接的な感動を喚起する表現を目指したそうです。物語を説明したり隠された意味を象徴する手段としての絵画ではなく、線と色が自立して力を持つ表現を目指すことは、必然的に画面を単純化するでしょう。しかし、マティスは絵画という表現が生まれる原点に迫りながらも、一方でイメージを放棄せず踏みとどまっています。生き生きとした軽妙な線は選び抜かれた一本であり、膨大な試行錯誤の帰結なんですね。その作業の困難さを押しつけないところにマティスのすごさの一端があるのではないかと思いました。

マティス《パイプをくわえた自画像》1919年

マティスフォーヴィスムを代表する画家の一人ですが、出品作には激しい色使いの作品はむしろ少なかったと思います。フォーヴィスムの運動期間自体が短く、マティスの長い画業のなかではあくまで通過地点でもあるのでしょう。《豪奢、静寂、逸楽》(1904年)は女性たちが思い思いのポーズで寛ぐ海辺の情景が描かれていますが、その姿は散乱する眩い光に紛れて溶け込み、むしろ光そのものが主役のようです。その三年後に制作された《豪奢Ⅰ》(1907年)では光が後退し、海から上がったヴィーナスと、花束を捧げ持ち足を拭く侍女たちの輪郭が浮かび上がっています。豪奢というタイトルは、贅沢な衣装や宝飾品にも勝る豊かな肉体を賛美しているのでしょうか。一方で、空や海の淡い色調からは不安や迷いも感じられる作品です。《アルジェリアの女性》(1909年)ではもはや特定の光源はなくとも色そのものが明るく輝き、アフリカ美術の影響が感じられる女性の顔は粗削りで力強い線に象られています。会場で見たときは赤い絵だと思ったのですが、改めて見直したところ赤よりむしろ緑のガウンの占める面積の方が大きいのが意外でした。補色の効果、そして赤という色のパワーを感じる作品です。
…《緑色の食器戸棚と静物》(1928年)はセザンヌの作品を彷彿させられる静物画で、立体感や奥行きに対する明確な意識が見て取れます。画面左手前から右奥に向けて差し込む光、交差する対角線上に配置された左奥のテーブルクロス、リンゴの載った皿、手前に置かれたナイフ。画中では上からの視点と正面からの視点が交錯して微妙な歪みがあり、リンゴの載った皿は傾いて今にもテーブルから落ちそうにも見えます。

マティス《緑色の食器戸棚と静物》1928年

一方、《マグノリアのある静物》(1941年)は花瓶や壷、貝、鉢植えなどが赤い画面のなかで浮遊しているように見えます。水平線や垂直線がなく空間が曖昧なためで、マグノリアの背後に描かれた円形の物体によってかろうじて相互の位置関係を掴むことができます。この円形の物体、どうやら鍋らしいのですが、他のモチーフがほぼ側面から描かれているのに対して、これだけは上から描かれています。四角く限られたカンヴァスの中央に、起点も終点もない無限の象徴である円が描かれているのも示唆的だと思いました。

マティスマグノリアのある静物》1941年

《黄色と青の室内》(1946年)は画面が青と黄色に塗り分けられ、色彩が物体の輪郭を透過しています。画面左下、手前の四角いテーブルと画面右上、部屋の奥の掃き出し窓の青が対になっていますね。線が象るモチーフの形を追いかけることをやめると、次第に左上から右下にかけての黄色の色面が浮き上がって見えてきます。色面のピースとピースを組み合わせたコラージュのような作品だと思いました。

マティス《黄色と青の室内》1946年

マティスの風景画はアトリエの窓から見た作品が多く、しばしば室内画と連続しています。《金魚鉢のある室内》(1914年)では中から外を眺める窓と外から中を眺める金魚鉢、窓や椅子を構成する直線と円筒形の鉢や紡錘形の金魚、視線を隔てる壁と視線を遮らない透明なガラスという幾つもの対比が組み合わせされていて興味深いです。《コリウールのフランス窓》(1914年)は室内というより窓そのものが主題で、必要最小限の要素で構成されています。外が黒く塗りつぶされているのは第一次世界大戦の最中で、社会も画家自身の心情も重く塞がれていたためでしょう。《アトリエの画家》(1916~1917年)では紫の椅子に座るモデルが緑のドレスを着ているのに対して、カンヴァスの前の画家のほうが服を着ていません。光の当たる白い部分と黒い影とに二分された室内はそれぞれ外部と内部に対応しているのでしょうか。作品を制作する過程で露わになるのはむしろ画家自身なのかもしれません。
…《赤いキュロットのオダリスク》(1921年)では頭の後ろで手を組み、挑発的なポーズで物憂げに寝そべるオダリスクが描かれています。人物を描く場合に最も関心が払われるのは顔だと思うのですが、この作品の構図はモデルの女性が正面=鑑賞者に足を向け、頭部が画面の奥に小さく描かれているのが面白いです。床に敷かれた真っ赤な絨毯、アラベスクや縞模様で華やかに装飾された調度品がほぼ平坦に描かれているなかで、オダリスクのはだけた白い胸だけが生身の陰影を伴っていて一層引き立ち、官能的な印象を受けます。

マティス《赤いキュロットのオダリスク》1921年

この作品とちょうど真逆の構図で描かれているのが1935年制作の《夢》で、今回の展覧会で個人的に最も惹かれた作品でした。夢、というタイトルにピカソの《夢》(1932年)を思い出したのですが、年代的にはマティスのほうが少し後なので、マティスピカソの作品を知っていたかもしれませんね。ピカソの作品ではまどろみの中で微笑むマリー・テレーズにピカソの欲望が融合していてなまめかしく、画面の外の画家の存在に言及するメタ的な表現になっていますが、マティスの《夢》は完結、自立した静謐な作品で、格子柄の青いシーツに俯せるリディア・デレクトルスカヤは安らいだ表情で目を閉じています。線はリディアの輪郭を繊細になぞり、夜の闇に浮き上がるバラ色の肌は月光のように仄かな輝きを放っています。色も線も優しく、見ていて穏やかな心地になる作品だと思いました。

マティス《夢》1935年