展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

村居正之の世界――歴史を刻む悠久の青 感想

村居正之《月照》2016年

【会期】

…2023年12月2日~2024年2月25日

【会場】

…郷さくら美術館

【感想】

…この展覧会は、日本画家の村居正之氏が1992年から30年に渡って描き続けてきたギリシャの風景、遺跡や町並みを描いた作品を紹介したものです。村居氏は京都で生まれ、大阪芸術大学で指導に当たっていて、関東で展覧会が開かれるのは今回が初めてだそうです。
…私はたまたま目にしたネットの展覧会情報で村居氏の作品を初めて知ったのですが、青い闇に浮かぶパルテノン神殿を描いた《月照》(2016年)に一目惚れして是非実物を見たいと思い、展覧会に行ってきました。

会場内風景

…最も印象的だったのは、タイトルにも掲げられている青色です。青の色素を凝縮したような混じりけのない深い色は、濃密でそのまま宇宙空間へと通じる無限の夜空を感じられるように思いました。絵の具には天然の群青という鉱物が使われていて、近づいて見ると絵肌がキラキラ輝いていました。
日本画ギリシャの風景という組み合わせは意外にも思えるのですが、青い墨絵とも言うべき静謐な作風は、奈良や京都のように歴史あるギリシャの風景と相性が良いのでしょう。青みを帯びた神秘的な月光に生命を育む温もりはありませんが、昼間の明るい日差しの元では影に隠れて見えない失われた風景や今はいない人々の面影を呼び覚ますようにも思います。作品のタイトルには《耀く》、《黎明》、《灯》など夜を描きながらも光を感じさせるタイトルが多いのですが、闇の中だからこそ一層光の存在が意識されるのかもしれません。

村居正之《黎明》2000年

パルテノン神殿を描いた《月照》は古代ギリシャ文明の象徴を正面から描いた作品で、ある種の聖性が感じられます。タイトルにもある月は画面の外、左上から遺跡を照らしていて、姿は見えませんが青色のグラデーションから密やかなその気配が伺われます。
…白亜のパルテノン神殿ですが往時は着彩されていたそうです。色彩があるだけで活気が宿りますよね。かつては都市国家の勢威を反映した壮麗な建物だったのでしょう。今ではすっかり剥落して大理石の地肌が露わになっていますが、文明の盛衰と共に表向きの華やかさが洗い流されたことで、かえって本質や神髄が感じられるようにも思われます。
シチリアの円形劇場を描いた《輝く夜》(2002年)は幅が4m50cmある大きな作品なのですが、石段の微細な凹凸をうかがわせる青い影の濃淡が筆先2mmという細い面相筆によって丁寧に描き分けられています。気の遠くなるような根気がいる制作過程は、長い歳月をかけて少しずつ遺跡を削り、今ある姿に刻み続けてきた雨の滴や海風を追体験する作業だと言えるかもしれません。

村居正之《輝く夜》(部分)2002年

…打ち捨てられて荒涼とした遺跡の風景を前にすると、人間の営為の儚さが感じられて一層寂寥感が増すように思います。しかし、遺跡は単なる残骸ではなく確かな先人の足跡、偉大な時代の証人であり、現代世界の礎でもあります。二千年以上ものあいだそこに建ち続けている遺跡からは虚しさを超越した崇高さも感じられるのではないでしょうか。

村居正之《刻》1999年

…村居氏のギリシャ・シリーズは《月照》をはじめ古代の遺跡をモチーフにした夜の風景が多いのですが、初期の作品には明るい日差しに照らされたギリシャの町が描かれています。《海への道》(1994年)や《岬へ》(1998年)などいずれの作品でも人影は見当たりませんが、白い壁と青い窓枠、丸屋根と小さな十字架といった組み合わせが童話のように可愛いらしく、穏やかでゆったりとした時間の流れが感じられます。《昼下がり》(1998年)には街角に置かれた緑の椅子とテーブルを描かれていて、ここに座り、寛いで語り合う人々の姿が目に浮かぶようです。《遙か》(1996年)はミコノス島の丘へ上る石の階段を描いた作品で、石壁の隙間から映えた黄色い花がのどかさを醸し出しています。階段の先にはどんな眺めが広がっているのでしょうか。光に満ちた風景に、まだ見ぬ世界への期待と未来への希望が重ね合わされているようにも感じられます。

村居正之《遥か》1996年

…《リンドス》(1995年)はロードス島の都市を描いた大きな作品です。過去と現代が同居する島の低地には現在の白い街並みが広がり、険しい岩山の上に残る古代都市の遺跡と対比されています。古代の都市は海に浮かぶ要塞のようでもありますね。あえて不便な高所は空に近く、神や天上の世界へ近づくことを意識して選ばれたのかもしれません。時の流れを感じさせる島の街並みと対照的に、雲一つない青空と空よりも青い海は時代を超えて変わらぬ風景であり、永遠を感じさせると思いました。

村居正之《リンドス》1995年