展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

クールベと海 感想

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会場

パナソニック留美術館

会期

…2021年4月10日~6月13日

見どころ

…この展覧会は、クールベの描いた海を中心に、クールベの故郷オルナン近隣を描いた風景画や狩猟画など、同時代の作家の作品と合わせて64点(東京会場)を展示したもので、クールベの作品はそのうち28点と約半分を占め、見応えがありました。
…出品作のほとんどは日本各地の美術館及び個人の所蔵品なのですが、こうして勢揃いすると国内でも各地に良い作品があるのだなと改めて感じました。版画作品は郡山市立美術館の所蔵品が多いんですね。村内美術館の所蔵品もありましたが、同美術館は2002年にクールベ展を開催していてそのときも見に行ったので個人的に感慨深かったです。なお、《波》(F743)(1870年)の1点のみ、フランス・オルレアン美術館からの出品となっています。
…会期中に緊急事態宣言が発令されて、4月末から5月末まで一ヶ月余りに渡り美術館も閉館となり、行けるかどうか…と危ぶんでいたのですが、どうにか会期末ぎりぎりに行くことが出来ました。
…何度も訪れたことのある美術館なのですが、感染症対策のためパナソニックショールームの入口が閉め切られていたりして、いつもと少し動線が違っていたため戸惑いました。美術館から帰るとき、おそらく地下鉄方面から来た方とすれ違って、美術館の入口の場所を聞かれたので、看板が見えるところまで案内したのですが、地下駐車場の通路から行くというのは分かりづらいですし、人がほとんど通らないので「こっちで大丈夫かな?」と不安になりますよね。早くコロナの流行が収まって、気兼ねなく美術を楽しめる環境が戻ってくるよう願います。

感想

風景画

クールベ写実主義とされていますが、写実は細密とは違うんだなとも思いました。会場の冒頭に展示されていたアシル=エトナ・ミシャロン《廃墟となった墓を見つめる羊飼い》(1816年)のほうが描写は緻密で、クールベはもっと筆遣いが大胆で素早いんですよね。印象派の影響も受けているとのことですが、画家が「生きた絵」を描きたいと考えていたことと関係しているのでしょうか。草の葉の一枚一枚まで丁寧に輪郭を描き込むほど勢いというか、生き物の持つ生々しさ、常に一定でなく揺れ動いている感じが失われるからかもしれません。クールベの描く自然は粗野で荒削りであり、どっしりとした岩肌と鬱蒼とした暗い森で、都会の近郊の穏やかで親しみやすい風景とは一線を画した自然本来の野性味が魅力なのだと思います。個人的にはピュイ=ノワールの小川を描いた《オルナン風景》(1872年)が、渓流の奥の暗がりに引き込まれるように思われて印象深かったです。出品作はほぼ故郷の風景か海の風景でしたが、クールベはパリの風景を描いたのでしょうか?描いていたならどんな感じに捉えたか見てみたい気がしますし、描いた作品がなければそれもそれで分かる感じがしますね。気になって20年前の図録も開いてみたところ、クールベはなかなか故郷オルナンに戻れないと、気分転換にパリの南60キロにあるフォンテーヌ・ブローの森を訪れていて、その風景を描いた作品が6点あるそうです。*1

狩猟画

…狩猟はかつて貴族階級の特権であり、狩猟の獲物を描いた静物画は豪奢で富裕であることを誇示する階級意識の強い美術愛好家に好まれたそうです。画家も、そうした高貴な顧客たちの別荘や狩りの館を飾るため、狩猟の場面を記念碑のように描いてきました*2。市民の遊戯として狩猟画が描かれるようになるのは革命以後のことだそうです。クールベは自らも狩りをするだけに動物、ことに鹿の生態をよく観察しています。無心に木の葉を食べる鹿たちの姿が可愛らしい作品もあれば、立派な角を持つ牡鹿が追い詰められて飛び跳ね、川に飛び込む緊迫感ある作品もあります。動物が主役なんですよね。《狩の獲物》(1856~62年頃)は、吊された鹿の周りの草が滴る血で赤く染まっています。猟の厳しい現実を描写する一方で、獲物と狩人(おそらくは画家自身)が対等に並び立っていて、単に猟果を誇るだけでなく、相手への敬意も感じられます。動物に対しても、たぶん自然の風景に対しても、人間社会とは異なる存在であり神秘や驚異、時に戦うべき相手でもあると同時に、敬意を払うべき対等な存在であるという感覚を持っていたのかもしれません。

「海の風景画」

…海景画はもともと聖書や歴史的事象の背景として描かれていたのですが、18世紀に入って荒々しくも神々しい「崇高な」風景自体が鑑賞の対象として描かれるようになります。そうした人の世界から遠い存在から、次第に海と人との距離は縮まっていき、19世紀になるとターナーなどにより「絵になる」海辺の魅力が表現され、さらには保養地としてレジャーを楽しむ人々と共にある海が描かれるようになります。クールベがユニークなのは、海というより波を描いていることだと思います。1841年、クールベはノルマンディーを訪れて「私たちはついに海を、地平線のない海を見ました(これは、谷の住人にとって奇妙なものです)」と両親に書き送ったそうですが、岩や森や小川に「囲まれた」谷と異なる、境界のない茫洋とした広がりは捉えどころがなく奇妙なものに見えたのかもしれません。それから二十数年、物語の舞台でなく、娯楽や風俗でもなく、船や奇岩でもなく、海そのものを表現しようと突き詰めたら波になったのでしょうか。クールベの関心は、海が生きていると感じられる瞬間であり、その一瞬を表現しようとしたら波になったのかもしれませんね。クールベが画題として海に関心を寄せ始めるのは1865年以降ですが、波への拘りは日本が正式に参加した1867年のパリ万博以降*3とのことで、おそらく北斎の影響もあるでしょう。クールベの波を描いた作品は、少し高い視点から連続する波を描いた作品と、低い視点から聳え立ち渦巻く波を描いた作品の大きく二つに分けられるそうですが、前者は北斎『今様櫛きん(きせると読んでいるケースもあります。たけかんむり+てへん+かね)雛形』上編(初版1823年)、後者は『冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏』(1830~33年頃)に似ています。ただし、ジャポニスムの画家たちが北斎を含む浮世絵に見出した装飾性ではなく、波の持つ力強さの表現に関心を抱いたと思われ、クールベの作品は色彩が暗く写実的であり、波飛沫が画面のこちらまで飛び散ってきそうな迫真性があります。
クールベブーダンと面識があり、浜辺の風俗を描いたブーダンとは関心の有りどころが違いますが、雲の描き方は影響を受けたそうで、《海岸風景》(1866年)の空に「浮かんでいる」雲の描き方には独特のリアリティを感じました。また、エトルタの断崖を時刻や季節、天候などによって描き分けようとした作品はモネに影響を与えたそうです。晩年、海から遠く離れた亡命先のスイスで描いた作品《海》(1875年頃)では、夕暮れ時の浜と海と雲とがほとんど渾然一体となって溶け合っているように感じました。
クールベ以外では、シスレー《レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ》(1897年)が印象に残りました。シスレーというと印象派の技法を守りつつ、生涯セーヌ河畔の風景を描き続けた画家で、海景画は珍しいと思ったのですが、実際画家が海景画を描いたのは新婚旅行で南ウェールズを訪れたこのときが最初で最後なのだそうです。画面は海に突き出た岬によって二分され、岩場の向こうには船の帆が浮かび、手前では浜辺で寛ぐ人々が描かれています。緩やかに弧を描く日差しを浴びた砂浜は白や青や紫の細やかな点描で描かれ、素早い筆遣いで描かれた空に浮かぶ雲の色と呼応し合って、エメラルドグリーンの透明感ある海と対比されています。印象派らしい明るい色遣いで描かれた穏やかな作品です。

その他

…版画作品の展示コーナーでは、コンスタブルの海を描いた版画作品が展示されていました。ドラマティックなターナーと比べると、より自然で郷愁を感じさせる画風が受け入れられて、コンスタブルはイギリスより先にフランスで人気になったそうです。コンスタブルは田園の画家ですよね。郷里の風景を多く描いたところはクールベとの共通点であるようにも思います。自分が知っているものだけを描く、その確信が鑑賞者にも地に足の付いた落ち着きや安らぎをもたらすのかもしれません。
…今年はルオー生誕150周年ということで、記念コーナーが出来ていました。会場内ですが、撮影可能でした。

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*1:*1『クールベ展――狩人としての画家』P100(2002年、村内美術館)

*2:*2『フェルメール展』P106(2018年、上野の森美術館

*3:*3『北斎ジャポニスム』P236,248(2017年、国立西洋美術館