展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

国宝鳥獣戯画のすべて 感想

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会場

東京国立博物館平成館

会期

…2021年4月13日~6月20日(当初は5月30日まで)

chojugiga2020.exhibit.jp

見どころ

…国宝「鳥獣戯画」全四巻について、現存する全場面を会期中に一挙公開するのは史上初のことだそうです。さらに原本から分かれた断管や原本では失われた部分も描き残されている模本も合わせて公開され、まさに鳥獣戯画の全てを見ることが出来る展覧会です。
…この展覧会は、新型コロナウィルスの流行に伴う感染症予防対策で昨年開催できなくなってしまって残念に思っていたのですが、改めて今年開催することができて良かったです。今年も会期中に緊急事態宣言が発令されてしまいましたが、会期を延長し、休館日なしで開館するなど関係者の並々ならぬ尽力のおかげで、私もこうして鑑賞する機会を得られたことに深く感謝したいと思います。
…チケットは日時予約制です。毎日、公式のツイッターで販売状況がお知らせされていますが、いつも完売してしまっているようです。すごい人気ですね。
国立博物館の入口で電子チケットの確認と体温のチェックがありました。一度に入場する人数を制限しているため、私の場合は平成館の入口(テントが張ってあります)で十分ほど待ちました。平成館の中に入場する際に、再度チケットの提示が必要です。会場内への傘の持ち込みは禁止、ロッカーに荷物を預けることは可能です。会場はエスカレーターを上がった2階にあり、第1会場(鳥獣戯画全4巻が展示されている)と第2会場(鳥獣戯画の断管と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び明恵上人の紹介が展示されている)に分かれていて、どちらからでも入場可能です。空いている方から入場するようにアナウンスされていて、私は第2会場から先に入場しました。入れ替え制ではありませんが、鑑賞時間は90分を目安にしてほしいそうです。
…「鳥獣戯画」全四巻が展示されている第1会場は予約制により人数制限されていても、やはりかなりの行列でした。動く歩道で鑑賞するのは甲巻の展示コーナーのみで、他の巻については、前の方で見ようと思うとどうしても並ばざるを得ないんですよね。第2会場の展示作品もありますし、90分で収めるにはよほど効率よく回る必要がありそうです。ミュージーアムショップも混雑していましたが、レジも多いので待ち時間はそれほど長くはなかったです。

感想

第1会場

…「鳥獣戯画」と聞いたとき、私がこれまでイメージしていたのは甲巻のみで、実際は全四巻ある巻物の内容がそれぞれに違っていることを今回知ることができました。乙巻は前半が実在の動物、後半が想像上の動物などをぞれぞれ図鑑のように描いたもの、丙巻は前半が人物同士の勝負事、後半が動物同士の勝負事を描いたもの、丁巻は人物のみで他の巻で擬人化されて描かれていた場面が改めて人間によって再現されていたりします。一人の描き手によって成立したわけではなく、甲巻と丁巻では明らかに筆遣いが違いますし、同じ甲巻でも前半と後半では動物の表情が違っていたりして、色々な人たちが手を掛けて成立していることも分かりました。平安末期から鎌倉時代にかけて、時代を超えて書き継がれてきたのはそれだけ描いてみたいと思わせる魅力のある主題、作品であったということなのでしょう。教訓のようでもあり、風刺のようでもあり、巧みに人間の振りをしている動物たちがユーモラスに感じられるのは、私たち人間の普段の行いが客観視されるためでしょう。少し離れて冷静に己を省みるよう促されているようでもあります。乙巻には馬や犬や鶏といった実在の身近な動物と、象や獅子、麒麟や龍といった当時の日本にはいなかった動物や想像上の動物が描かれていますが、後者は何か元になる図案を見て描き写したのではないかと考えられるそうです。また、乙巻の鶏や象を見ているうちに若冲の作品を思い出してしまいました。若冲も動物が好きで多くの作品を描いているためでしょう。甲巻には蛙の本尊を前に法会をする猿が描かれていますが、そう言えば若冲は野菜や果物を入滅する釈迦と弟子たちに見立てた涅槃図を描いていたことも思い出したりしました。寺院に伝わっている作品ですし、法会や祭礼の様子が描かれているのは宗教的な意味もあるのかもしれませんね。丙巻では老尼と若い男の僧が首引きをしていたり、太った男性と痩せてあばらの浮いた男性が腰引きしていたりと、勝負の組み合わせが対照的になるように工夫してあるのが面白かったです。双六で負けて身ぐるみ剥がされた男の妻が悲しんでいたり、謹厳であるべき僧もにらめっこには大笑いしていたりと悲喜こもごもの人間たちが描かれています。闘鶏は神事でもあったそうで、一口に勝負事と言っても幅広く、神聖なものであったり、愉快なものであったりして日常を忘れさせてくれる面もありますが、くれぐれものめり込まないように…というところでしょうか。丁巻は筆運びが太く滑らかで迷いがなく、洒脱な印象を受けました。法会の場面は甲巻に、験比べ(僧や修験者が法力を競い合うこと)の場面は丙巻にそれぞれありますね。厳粛な法会の最中、背後で縄が切れてひっくり返った男を振り返る男の姿は、甲巻のひっくり返った蛙を見物する野次馬を思い出させますし、牛車の牛が暴走する場面は、甲巻の逃げ出した鹿と丙巻の祭りの山車に見立てた荷車が組み合わされているようでもあります。丁巻は全体的に以前の巻のパロディとして描かれているのかなとも思いました。
…私の場合は甲巻は列に並んでパネルを見つつ順番を待ち、動く歩道で作品を見て、乙巻は諦めて列の後ろの方から見て、空いていた丁巻を先に見たあと丙巻に回ったのですが、ここが混雑していてどうしても列に並んで待たざるを得ませんでした。

第2会場

…第2会場は断管(原本から分かれた一場面が掛け軸の体裁で保存されているもの)と、鳥獣戯画を所蔵する高山寺及び中興の祖である明恵上人の紹介で、第1会場に比べると空いていたこともあり、時間をかけてじっくり見ることができました。
鳥獣戯画の場合、巻物自体に色々な場面が描かれているため、全体から一場面だけが分かれて掛け軸に仕立てられても成立するんだなと思いました。また、兎や蛙といったキャラクターたちのポーズがある行動、動作の特徴を的確に捉えつつユーモアを交えて誇張されていて、まさに「漫画的」なんですよね。ある種の典型的なポーズとして、印象的だし複製・流用して拡散したくなる原型のように感じられます。説明がなくても、見ただけで何をしている場面なのか分かるというのは実はすごいことだと思います。おそらく、世界中の誰が見ても分かる。ベースとなる物語や寓意の象徴体系を知らないと分からない西洋の古典絵画と比べると、一体何のために、誰に向けてこれを描き残したのかということも含めてその違いを明確に感じます。仏教を学び信仰を深めるための古刹で、こんな愉快な人間味溢れるものも大事に保管されていたというところに懐の深さやバランス感覚を感じました。片方だけでは偏ってしまうんでしょうね。
高山寺明恵上人については、夢の記録で有名なのは知っていたのですが、今回初めて知ったことも多く、例えば明恵釈尊を慕って天竺(インド)に渡りたいという希望を持っていて旅行計画まで立てていたそうです。さすがに実現はしなかったのですが、故郷紀州の湯浅湾に浮かぶ苅藻島を毘盧遮那如来と見做して島に宛てた手紙を送ったり、同じ湯浅湾の鷹島に滞在して西方に見える島(四国)を天竺に見立てて礼拝し、そこで拾った小石「蘇婆石・鷹島石」を肌身離さず大切にしたそうです。海は繋がっているから、遙か彼方の天竺から流れてきたその水で洗われたと思うと小石も尊いと考える明恵からは釈迦、そして仏道への強い情熱が感じられますし、繊細で豊かな感性や万物に対する深い情愛を持つ人物なのだろうと思いました。小首を傾げた可愛らしい仔犬の木像も大切にしていたそうです。実は今回の展覧会で一番印象に残ったのが明恵上人の坐像で、本当に生きているように感じられました。玉眼というそうですが、正面に立って目が合うと本当に上人が自分を見ているような気がしてくるんですよね。あの感覚はこれまで見た彫刻で感じたことはありませんでした。浄教寺の寺宝である大日如来の坐像は、大日如来として正しく象られて仏様らしい厳かな雰囲気を纏っているのですが、頭の中だけで考えられたものなんですよね。大日如来を実際に見たことがある人はいないわけで当然なのですが、それと比べると上人の坐像の具体性、実感のこもった佇まいは、より一層「生きている」気配がはっきりと感じられました。上人が素晴らしい人物なのは私が言うまでもないことなのですが、あの像を作った仏師も凄いと思いました。なお、明恵上人の坐像は、高山寺でも上人の命日である一月十九日と献茶式の十一月八日にのみ開帳されるもので、一般には公開されていないそうですから、貴重な機会となりました。