展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

キュビスム展 美の革命 感想

ピカソ《輪を持つ少女》1919年春

【会期】

…2023年10月3日(火)~2024年1月28日

【会場】

国立西洋美術館

cubisme.exhn.jp

【感想】

見どころ

…「キュビスム展 美の革命」はヨーロッパ最大の近現代美術コレクションを有するパリのポンピドゥーセンター所蔵作品を中心に、キュビスム運動の起源、展開、影響まで全体像を紐解く展覧会です。この展覧会にはピカソ、ブラックはじめ、キュビスムという切り口で110点余りの油彩画、彫刻作品が集められていて見応えがあり、キュビスムが多角的な方向性を持った幅広い芸術運動だったことが分かります。また、エコール・ド・パリのシャガールモディリアーニピュリスムル・コルビュジエなどキュビスムから影響を受けつつ独自の作風を確立した芸術家たちについても、改めてキュビスムという美術史の大きな流れのなかに位置づけて理解できます。個人的には、今回ロベール・ドローネーという作家を新たに知ることが出来ました。
…美術は何より視覚に訴える芸術であり、遠近法による空間表現に対してキュビスムの斬新さは文字通り一目瞭然です。複数の視点による立体の把握と二次元上での再構成という革新的な技法を多くの作家が取り入れることができたのは、キュビスムが作家個人の感性にのみ依拠するのでなく理論的な普遍性を有していたためでしょう。同時に、決して厳格ではなく発展途上の柔軟さがあったことで、キュビスムを取り入れた作家の個性や解釈を反映した独自の多様な挑戦/表現を包含することが可能だったのだろうと思いました。

アンリ・ルソー《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(1910年頃)

キュビスムの源泉としてセザンヌゴーギャンと共に、ルソーの作品が並んで展示されていたのは少し意外でした。正規の美術教育を受けなかったルソーですが、熱帯の密林という原初的な異郷への関心や平面的な画面構成など独自の画風を確立して、ピカソなど後の世代の芸術家たちにインスピレーションを与えたそうです。《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(1910年頃)は、神秘的な静けさと濁りのない色彩の眩さが印象的なルソーらしい作品で、鬱蒼と生い茂る緑のジャングルと撓わに実ったオレンジの実が互いに引き立て合っています。画面中央で一つの実を分け合う二匹の猿はつがいでしょうか。ダーウィンの『種の起源』がすでに前世紀の出版であることを踏まえれば、二匹は人間になる前のアダムとイブであり、知恵の実を食べて人間になると楽園から追放されてしまうことを暗示しているようにも思われます。ルソーは想像の南洋の森を描くに当たって、全体の一部として細部を捨象するのではなく、木の葉の一枚、オレンジを持つ猿の毛並みの一筋にいたるまで細部を丁寧に描きこんでいて、その頑ななまでに一貫した生真面目さが堅固な独創性を生み出しています。画家は必ずしもメルヘンやファンタジーの効果を狙っているわけではないと思うのですが、その作為のなさこそが素朴で無垢な楽園と親和的なのかもしれません。

ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》(1908年初頭)ほか

…ブラックはセザンヌのアトリエがあったレスタックを訪れて、自らもその地で制作を行いました。作品に学ぶだけでは満足せず、セザンヌが何をどのように見てどう描いたか、実際に制作活動をなぞることでその秘密に迫ろうとしたのでしょう。《レスタックの高架橋》(1908年初頭)では、斜面に立ち並ぶ積み木のような家がそれぞれ下から、あるいは上からという具合に異なる視点から描かれていて、空間は画面の奥に向かわず、むしろ家の塊が画面手前に盛り上がってくるように感じられます。キュビスム時代のピカソとブラックの作品は二人が親しく交流していたこともありよく似通っているのですが、強いて特徴を挙げるなら、ピカソ幾何学的なブロックで寄せ木細工のようにモチーフを構成しているのに対して、ブラックは多数の補助線によって視点とそれに対応する面を逐一定めて、画面を細分しているように見えます。しかし、いずれの作品もモノトーンに近い色彩と細い線によってのみ描かれている点は同じで厳しく抑制的であり、何を描いているか容易に判別できないほど対象を徹底的に分割しています。自然主義的な再現から離れて新たな絵画様式の地平を貪欲なまでに探求したピカソやブラックが抽象絵画に向かわなかったことは意外にも思えるのですが、「絵画」を徹底して突き詰めた果てに改めて「実物」を振り返ったとき、その手触りや色合い、重みやぬくもりといった豊穣さ、官能性が生々しい実感を伴って再び立ち上がってきたのではないかとも思います。キュビスムによる自律的な絵画世界の探求は、対象の放つ生命力を再発見する旅でもあったと言えるかもしれません。

ブラック《レスタックの高架橋》1908年初夏

ブラック《ヴァイオリンのある静物》1911年11月

ブラック《ギターを持つ女性》1913年秋

ピカソ《女性の胸像》1907年6~7月

ピカソ《肘掛け椅子に座る女性》1910年

ピカソ《ヴァイオリン》1914年
フェルナン・レジェ《婚礼》(1911~1912年)、フアン・グリス《ヴァイオリンとグラス》(1913年)

…フェルナン・レジェ《婚礼》(1911~1912年)では画面中央にうっすらとピンクがかったドレスを着ている花嫁と、その隣に寄り添う花婿とおぼしき人物が描かれています。しかし、主役の二人以上に印象的なのが彼らを取り巻くおびただしい灰色の手で、大勢の人々が渦巻くように犇めきながら二人に向かって手を差し伸べ祝福する熱気や喧噪が感じられます。写真のハレーションのように画面の所々を隠す白い靄や、道沿いの並木や花婿の後ろの円を重ねてコマ送りのように見せる表現など、新しい映像技術を逆輸入して効果的に画面に生気を与えているのもユニークで興味深かったです。
フアン・グリスの《ヴァイオリンとグラス》(1913年)は色彩の華やぎが感じられる作品で、とりわけ艶のある青い色面が目を引きます。緑のグラスは古典的な立体感を保っていますが、これはフランス語で発音が同じグラスverreと緑vertを掛けた洒落であり、画面上に文字こそ書かれていないものの単語を想起させる仕掛けが込められているそうです。一方でヴァイオリンは単純化、平面化されて影のように実体を失い、木目模様の紙がヴァイオリンの形に切り抜かれてテーブルの上に置かれているようにも見えます。紙の端があたかもカンヴァス上に貼り付けられているかのようにめくれているのは、描かれたイメージでなく絵画そのものにこそ実体があることを示唆するサインでしょう。なお、図録ではこの作品が逆さまに印刷されてしまっているのですが、一見しただけでは上下逆だと気づかない、あるいは上下逆なのに絵画として成立してしまうのも複数の視点から描かれているキュビスムらしいと思いました。

レジェ《婚礼》1911~1912年

グリス《ヴァイオリンとグラス》1913年
ロベール・ドローネー《パリ市》(1910~1912年)ほか

…ドローネーの《パリ市》(1910年~1912年)は手を取り合う三美神という伝統的な神話画の構図を踏襲しつつ、船や橋、エッフェル塔など機械化、工業化を象徴する鋼鉄の建造物を周りに配してモダニスムの美を称えている記念碑的な作品です。グレーズ《収穫物の脱穀》(1912年)では農作業に勤しむ人々が主題ですが、描かれた農村は古き良き時代を偲ばせる牧歌的な田園ではなく現代的な労働の場であり、農夫たちは機械を使って穀物脱穀しています。ピカソやブラックによるキュビスムの探求においては静物画を中心に、身近で比較的シンプルな主題が多く取り上げられているのに対して、ドローネーやグレーズはサロンに出品することを念頭に、キュビスムを用いて大型のカンヴァスに複雑な構図で観念的、象徴的な主題を表現しています。キュビスムと西洋絵画の伝統は必ずしも相容れないわけではなく、絵画の形式と表現される概念やメッセージとの融合を図った挑戦が、後のピカソの《ゲルニカ》(1937年)のような歴史的事件を描いた大作にも繋がったのではないかと思いました。

ロベール・ドローネー《パリ市》1910~1912年

グレーズ《収穫物の脱穀》1912年

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》(1913年)、ナターリヤ・ゴンチャローワ《電気ランプ》(1913年)、エレーヌ・エッティンゲン《無題》(1920年頃)ほか

…今回の展覧会ではこれまで知らなかった女性画家たちの作品にも触れることが出来ました。芸術家たちが集まるパリのダンスホールを幅4メートル近いカンヴァスに描いたソニア・ドローネーの《バル・ビュリエ》(1913年)は、溢れる色彩がフロアで抱き合う男女と共に目まぐるしく舞い踊っているようで、流れるタンゴのリズムやメロディが伝わってくる作品です。
…ナターリヤ・ゴンチャローワ《電気ランプ》(1913年)は同心円状に広がる光と放射状の光線とが組み合わされて、電気ランプという新しい照明の明るさが印象的に表現されています。釣り鐘状のランプシェードや画面を縦断する電気回路などには曲線が効果的に用いられて、無機質な機械が優美なものに描かれています。
…フランソワ・アンジブーの名で活動したエレーヌ・エッティンゲンの《無題》(1920年頃)には、暗闇に浮かぶいくつもの顔が描かれています。幼い子供のような顔もあれば画家の自画像のような女性の顔もあり、一つ一つ異なっていて、不機嫌そうであったり悲しそうであったりと表情も様々です。キュビスムよりもむしろシュルレアリスム的で、一人の人間の心に潜む多面性を表現しているようにも感じられる興味深い作品でした。
…レオポルド・シュルヴァージュは上述のエレーヌのパートナーだった時期があり、彼女をモデルに《エッティンゲン男爵夫人》(1917年)を描きました。作品では画面中央で座っているエレーヌを中心に、周りに本や窓など室内が描かれ、さらにその四囲をシルエットが行き交うパリの街が取り巻いて、部屋から街へ世界が広がっています。エレーヌの両横にギリシャ風の円柱が描かれているのは、エレーヌを神殿に座す女神に見立てているのでしょうか。単純化された街の風景と立体感ある静物が組み合わされ、コラージュ的に挿入されている絨毯や壁紙などの模様、連続して重なる瓶や缶詰などキュビスム及びそこから派生した様々な表現が集大成的に取り入れられている作品です。

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》1913年 部分

ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》1913年 部分

ゴンチャローワ《電気ランプ》1913年

エッティンゲン《無題》1920年頃
シャガール《ロシアとロバとその他のものに》(1911年)

…エコール・ド・パリの画家であるシャガールモディリアーニは、キュビスムの影響を受けつつ独自の画風を確立しています。例えばシャガールの《ロシアとロバとその他のものに》(1911年)では屋根の重なり方をよく見ると空間が捻れているなど、空間や立体感の表現にキュビスムの影響が伺われますが、それ以上に動物と人間とが親しく寄り添う様子や首が宙を飛んでいる女性といった幻想的なヴィジョンから圧倒的に強い印象を受けます。この作品でのキュビスムは主題ではなく、不条理だが奇妙に明晰な超現実に相応しい様式として、自然主義とは異なるリアリティでユニークな絵画世界を支えていると思います。
…一方、ル・コルビュジエやオザンファンが推進したピュリスムの作品はキュビスムの親戚と言えそうなほど似通っています。しかし、ピカソやブラックの静物画にしばしば描かれたグラスや楽器などが、おそらくセザンヌにとってのリンゴ――リンゴでパリを驚かせてみせる――に当たる身近で見慣れたモチーフであるのに対して、ピュリスムはそうした身近な器や道具が歴史による淘汰を経て洗練された形体に昇華されている点に注目しています。ピュリスムは「自然を幾何学的に捉えなさい」というモットーを積極的に転換し、無駄がなく機能的で効率的に生産可能なデザインという形と意味の弁証法的融合に造形上の到達点を見いだしたのではないかと思いました。

シャガール《ロシアとロバとその他のものに》1911

ル・コルビュジエ静物》1922年