展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

マティス展 感想

【会期】

…2023年4月27日~8月20日

【会場】

東京都美術館

【感想】

…会期中盤の週末に朝一番の時間帯で入場しましたが、入り口に待機列が出来ていて、展示室内もかなり混雑していました。ただ、11時半に会場を出る頃には入り口も空いていて待ち時間なしで入場できていたようなので、時間帯を工夫すればゆっくり見られそうです。会場は地階→1階→2階の順で作品は年代順に展示され、1階の展示室は撮影が可能でした。
…出品作はすべてマティスの作品で、ポンピドゥー・センター所蔵の油彩画を中心に、マティスの活動期間全体に渡ってドローイング、彫刻作品、晩年の切り絵作品やヴァンス・ロザリオ礼拝堂に係るデザインなどが展示されていました。ドローイング作品は一本線で軽く輪郭をなぞった陰影のない作品が多く、洒脱な印象を受けます。ゴッホの作品に刺激を受けたマティスは、直接的な感動を喚起する表現を目指したそうです。物語を説明したり隠された意味を象徴する手段としての絵画ではなく、線と色が自立して力を持つ表現を目指すことは、必然的に画面を単純化するでしょう。しかし、マティスは絵画という表現が生まれる原点に迫りながらも、一方でイメージを放棄せず踏みとどまっています。生き生きとした軽妙な線は選び抜かれた一本であり、膨大な試行錯誤の帰結なんですね。その作業の困難さを押しつけないところにマティスのすごさの一端があるのではないかと思いました。

マティス《パイプをくわえた自画像》1919年

マティスフォーヴィスムを代表する画家の一人ですが、出品作には激しい色使いの作品はむしろ少なかったと思います。フォーヴィスムの運動期間自体が短く、マティスの長い画業のなかではあくまで通過地点でもあるのでしょう。《豪奢、静寂、逸楽》(1904年)は女性たちが思い思いのポーズで寛ぐ海辺の情景が描かれていますが、その姿は散乱する眩い光に紛れて溶け込み、むしろ光そのものが主役のようです。その三年後に制作された《豪奢Ⅰ》(1907年)では光が後退し、海から上がったヴィーナスと、花束を捧げ持ち足を拭く侍女たちの輪郭が浮かび上がっています。豪奢というタイトルは、贅沢な衣装や宝飾品にも勝る豊かな肉体を賛美しているのでしょうか。一方で、空や海の淡い色調からは不安や迷いも感じられる作品です。《アルジェリアの女性》(1909年)ではもはや特定の光源はなくとも色そのものが明るく輝き、アフリカ美術の影響が感じられる女性の顔は粗削りで力強い線に象られています。会場で見たときは赤い絵だと思ったのですが、改めて見直したところ赤よりむしろ緑のガウンの占める面積の方が大きいのが意外でした。補色の効果、そして赤という色のパワーを感じる作品です。
…《緑色の食器戸棚と静物》(1928年)はセザンヌの作品を彷彿させられる静物画で、立体感や奥行きに対する明確な意識が見て取れます。画面左手前から右奥に向けて差し込む光、交差する対角線上に配置された左奥のテーブルクロス、リンゴの載った皿、手前に置かれたナイフ。画中では上からの視点と正面からの視点が交錯して微妙な歪みがあり、リンゴの載った皿は傾いて今にもテーブルから落ちそうにも見えます。

マティス《緑色の食器戸棚と静物》1928年

一方、《マグノリアのある静物》(1941年)は花瓶や壷、貝、鉢植えなどが赤い画面のなかで浮遊しているように見えます。水平線や垂直線がなく空間が曖昧なためで、マグノリアの背後に描かれた円形の物体によってかろうじて相互の位置関係を掴むことができます。この円形の物体、どうやら鍋らしいのですが、他のモチーフがほぼ側面から描かれているのに対して、これだけは上から描かれています。四角く限られたカンヴァスの中央に、起点も終点もない無限の象徴である円が描かれているのも示唆的だと思いました。

マティスマグノリアのある静物》1941年

《黄色と青の室内》(1946年)は画面が青と黄色に塗り分けられ、色彩が物体の輪郭を透過しています。画面左下、手前の四角いテーブルと画面右上、部屋の奥の掃き出し窓の青が対になっていますね。線が象るモチーフの形を追いかけることをやめると、次第に左上から右下にかけての黄色の色面が浮き上がって見えてきます。色面のピースとピースを組み合わせたコラージュのような作品だと思いました。

マティス《黄色と青の室内》1946年

マティスの風景画はアトリエの窓から見た作品が多く、しばしば室内画と連続しています。《金魚鉢のある室内》(1914年)では中から外を眺める窓と外から中を眺める金魚鉢、窓や椅子を構成する直線と円筒形の鉢や紡錘形の金魚、視線を隔てる壁と視線を遮らない透明なガラスという幾つもの対比が組み合わせされていて興味深いです。《コリウールのフランス窓》(1914年)は室内というより窓そのものが主題で、必要最小限の要素で構成されています。外が黒く塗りつぶされているのは第一次世界大戦の最中で、社会も画家自身の心情も重く塞がれていたためでしょう。《アトリエの画家》(1916~1917年)では紫の椅子に座るモデルが緑のドレスを着ているのに対して、カンヴァスの前の画家のほうが服を着ていません。光の当たる白い部分と黒い影とに二分された室内はそれぞれ外部と内部に対応しているのでしょうか。作品を制作する過程で露わになるのはむしろ画家自身なのかもしれません。
…《赤いキュロットのオダリスク》(1921年)では頭の後ろで手を組み、挑発的なポーズで物憂げに寝そべるオダリスクが描かれています。人物を描く場合に最も関心が払われるのは顔だと思うのですが、この作品の構図はモデルの女性が正面=鑑賞者に足を向け、頭部が画面の奥に小さく描かれているのが面白いです。床に敷かれた真っ赤な絨毯、アラベスクや縞模様で華やかに装飾された調度品がほぼ平坦に描かれているなかで、オダリスクのはだけた白い胸だけが生身の陰影を伴っていて一層引き立ち、官能的な印象を受けます。

マティス《赤いキュロットのオダリスク》1921年

この作品とちょうど真逆の構図で描かれているのが1935年制作の《夢》で、今回の展覧会で個人的に最も惹かれた作品でした。夢、というタイトルにピカソの《夢》(1932年)を思い出したのですが、年代的にはマティスのほうが少し後なので、マティスピカソの作品を知っていたかもしれませんね。ピカソの作品ではまどろみの中で微笑むマリー・テレーズにピカソの欲望が融合していてなまめかしく、画面の外の画家の存在に言及するメタ的な表現になっていますが、マティスの《夢》は完結、自立した静謐な作品で、格子柄の青いシーツに俯せるリディア・デレクトルスカヤは安らいだ表情で目を閉じています。線はリディアの輪郭を繊細になぞり、夜の闇に浮き上がるバラ色の肌は月光のように仄かな輝きを放っています。色も線も優しく、見ていて穏やかな心地になる作品だと思いました。

マティス《夢》1935年