展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 感想

【目次】

概要

会期
…2021年9月18日~12月12日

会場
東京都美術館

展示構成
1 芸術に魅せられて
 :ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラーミュラー美術館の創立者(3点)
2 ヘレーネの愛した芸術家たち
 :写実主義からキュビスムまで(18点)
3 ファン・ゴッホを収集する
 3-1素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代(20点)
 3-2画家ファン・ゴッホ、オランダ時代(8点)
 3-3画家ファン・ゴッホ、フランス時代
  3-3-1パリ(5点)
  3-3-2アルル(6点)
  3-3-3サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ(8点)
特別出品 ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション
 :オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション(4点)

gogh-2021.jp

見どころ

…この展覧会はゴッホをテーマとした展覧会でしばしば目にする「クレラー=ミュラー美術館」のコレクションによって構成されています。出品作は油彩画、素描等68点、うちゴッホの作品素描20点、油彩28点です。ゴッホ作品の他、クレラー=ミュラー美術館の創始者であるヘレーネが収集に力を入れた19世紀後半から1920年頃を代表する画家たちの作品も展示されています。また、ファン・ゴッホ美術館からゴッホの作品4点が特別出品されています。
…今回の展覧会の解説では「精神性」という単語を度々目にしました。ヘレーネは作品に表面的な装飾性よりも、高次元の理念や感情を込めた精神性を求めたのでしょう。ゴッホ作品は人物画はもちろんのこと、静物画や風景画にも画家の込めた意味や思いが感じられて、両者の精神性が共鳴したのだろうと思いました。また、ゴッホ作品の評価が高まるに当たり、ヘレーネがまとめてゴッホの作品を買い上げたことが寄与しているそうで、作品の評価は作品の良し悪しだけでなく需要=コレクターの存在も大きいということが興味深かったです。ヘレーネのコレクション形成に当たっては美術教師で収集家、批評家でもあったブレマーのアドバイスによるところが大きいのですが、ヘレーネ自身の興味や価値観も反映されていて、ヘレーネはフォーヴやドイツ表現主義はあまり好まなかった一方、ファンタン=ラトゥールを高く評価していたそうです。
…入場に当たっては日時指定予約券が必要です。当日券の場合、平日でも美術館到着後すぐに入場するのは難しそうでした。会場内はかなり涼しく、肌寒く感じる程でした。ゴッホの素描の展示コーナーは他のコーナーより照明が暗めです。大半の作品には展示解説があります。私が行った時はどの作品の前も二列ぐらいの行列になっていて、会場内の休憩用の椅子に座りたくなっても座れない状況でした。グッズも種類が多く、会場内のショップも混雑していました。なお、サンリオのキャラクターグッズが会場内のショップとは別コーナーで販売されていました。所要時間は90分程度ですが、どの作品も最前列で見ようとするならそれなりに時間が掛かると思われます。ゴッホ作品の人気ぶりを改めて実感しました。

感想

フローリス・フェルステル《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》(1910年)、《H.P.ブレマーの肖像》(1921年)

…同じ画家による肖像画でも十年余りで随分画風が変わっていますね。前者は緻密で写実的、後者の方は大まかで大胆な筆遣いでモデルを捉えています。ヘレーネ自身は自分の肖像画を自分らしさが表現されていないと感じてあまり気に入らなかったそうです。写真と照らし合わせてもよく似ているし、慎重かつ丁寧に描かれていると思うのですが、そのため少し固い雰囲気もあるかもしれません。また、客観的な印象と主観的な意識とではずれがあることもしばしばです。内面まで写し取ってほしかったというのは精神性を重んじるヘレーネらしい感想だと思いました。

カミーユピサロ《2月、日の出、バザンクール》(1893年)

印象派らしい風景画で、早春・早朝という始まりを予感させるシチュエーションが淡く朝日に色づいた空に表現されています。曲がりくねった川沿いには木立が点在し、遠景に教会を中心とするバザンクールの村の家並みが見える穏やかで心地よい作品だと思います。ブレマーは印象派をあまり評価しなかったそうですが、ヘレーネはこの作品の他にも印象派、新印象派の作品を収集しています。

ヨハン・トルン・プリッケル《花嫁》(1892~1893年)

…花嫁といってもこの作品の場合は神の花嫁で、おそらく神との神秘的な結びつき、精神的一体感を表現しているのでしょう。単純化、抽象化された描線でヴェールを被った花嫁と十字架のキリストが描かれ、花嫁の花冠とキリストの荊冠とが繋がり、両者の間の霊的な結びつきを示すように黄色の点描が描かれています。緑を基調とした繊細な色調の背景は古風な建物の廃墟のようにも見えます。初めて知った作家ですが、とても印象に残った作品でした。

フィンセント・ファン・ゴッホ《風車「デ・オラニエブーム、ドルドレヒト》(1881年)、《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886年)、《モンマルトル:風車と菜園》(1887年)

…「デ・オラニエブーム」は製材所であり、日常の生活、労働と密着しています。同時に、風車は平坦なオランダの大地のランドマークでもあり、ゴッホは故郷を象徴するモチーフを悉に観察して描いています。その後、パリに移住して弟のテオとモンマルトルで暮らしていたゴッホにとって、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの風車は故郷の記憶を呼び起こすものだったのでしょう。ゴッホルノワールの描いた「花の都」パリらしい活気に満ちた華やかさより、周辺に広がる鄙びた風景を好んだように感じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《刈り込んだ柳のある道》(1881年)

…オランダの柳は日本の柳の木と異なり、幹が太く、細い枝が腕のように上に向かって伸びているんですね。ゴッホは「僕はあらゆる自然、たとえば木の中に、いわば表情と魂を見る。刈り込まれた柳の並木は、時として、身寄りのない男たちの列に似ている」と手紙で述べています(書簡292/242)。「身寄りのない人」とは養老院に暮らす男女のことで、ゴッホはハーグ時代(1882~83年)、彼らにモデルとなってもらって人物の素描に取り組んでいますが、刈り込まれた裸の柳の木に寄る辺ない人々の孤独や憂愁を見たのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ《女の顔》(1884~85年)、《白い帽子を被った女の顔》(1884~85年)

…いずれも《ジャガイモを食べる人々》(1885年)に結実する農民の肖像です。ゴッホの友人ウィレム・ファン・デ・ワッケルは、ゴッホがいつも「醜いモデル」を選んでいたと述べていますが、ゴッホは人生が刻まれた顔、農民の粗野な感じが強調された顔を探していたそうです。私が見ても味のある顔、個性があり、人生を感じられる顔だと思います。ゴッホが何を美と見做しているか、何を表現したいかがよく分かる作品だと思います。

フィンセント・ファン・ゴッホ《リンゴとカボチャのある静物》(1885年)、《青い花瓶の花》(1887年)、《レモンの籠と瓶》(1888年)

…オランダ時代の《リンゴとカボチャのある静物》は暗い色調で描かれていて、テーブルに置かれた農作物にはどっしりとした存在感があり、ゴッホの思想が感じられる作品です。《青い花瓶の花》はゴッホにしてはお洒落な作品で、印象派や新印象派の手法を取り入れ、赤、白、黄、水色、紫、オレンジといった色鮮やかな花束を軽いタッチで描いています。《レモンの籠と瓶》ではゴッホの画風が確立されていますね。黄色いテーブルクロスの上に籠に入ったレモンが置かれ、籠の藁、レモンの一部やオレンジは赤い縁取りが施され、影は水色、背景は淡い黄緑色で緑の瓶も馴染んでいます。黄色を主に、奇抜なようでいて微妙な色合いを繊細に描き分けている作品だと思います。

フィンセント・ファン・ゴッホ《サント=マリー=ド=ラ=メールの海景》(1888年)

ゴッホの海景画は初めて見たのですが、ハーグ時代にはしばしば描いていたそうです。この作品では南仏の青空の下、広々とした青い海原に緑の波が立ち、白い帆を張った船が浮かんでいて、伸び伸びと明るい印象の作品です。目を引く赤いサインは緑の波との補色効果を狙ったものとのことです。

フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》(1888年)

…まばゆい黄色の太陽と空、収穫を待つ実った畑を背後に、紫とオレンジの畑で種をまく農夫は堂々として神々しささえ感じられます。暮れては昇る太陽は種まきから収穫へと繰り返す季節の循環や作物を育てる生命力、労働の尊さの称賛など多義的な意味合いを帯びているのでしょう。個人的に今回見た中では一番ゴッホらしい作品だと感じました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《悲しむ老人(「永遠の門にて)》(1890年)

…オランダ時代の素描を元に油彩で描いた作品で、暖炉の側で椅子に腰掛け、額に拳を当ててうなだれている老人が描かれています。青ざめた色調で描かれた老人と対照的に赤々と燃える暖炉の火が印象的です。椅子に蹲る老人のポーズは悲嘆や慟哭を感じさせ、苦悩に苛まれていたゴッホ自身が重ね合わされています。「永遠の門」というタイトルも示唆的ですが、命の終わりを悲しんでいるのでしょうか、それとも天国に通じる門が見つからなくて悲しんでいるのでしょうか。あるいは永遠の魂とは苦悩や困難といった試練を経た果てに存在するのかもしれません。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年)

…画面中央で黄色いヨシタケの茂みを背後に、一際背の高い糸杉の黄が炎のようにうねりながら天に向かって伸びています。糸杉の緑には白みがかった緑、鮮やかな緑、枯れたような黄みがかった緑、暗い緑と様々な色合いが用いられています。糸杉を挟んで夜空には右に三日月、左に星が輝いていて、画面左下から右へと視線を誘導する坂道の手前では一日の作業を終えた二人の男性が連れ立って歩き、奥の方から黄色い馬車が向かってきています。道の彼方には家があり、その周囲にも糸杉が立っています。糸杉の垂直性、空の高さの強調と遠景の家へと向かう道の水平性、奥行きとが対比されています。ゴッホは手紙で「もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。ひまわりの絵のようになんとかものにしてみたいと思う……その輪郭や比率などはエジプトのオベリスクのように美しい。それに緑色のすばらしさは格別だ……そして糸杉は青を背景に、というよりは青の中にあるべきだ」*1と書いています。メトロポリタン美術館の《糸杉》も青い空に三日月が浮かんでいるのですが、糸杉・青・月はヒマワリ・黄・太陽と対をなす組み合わせだったのかもしれません。

*1:ゴッホ展」(2019年上野の森美術館)図録P188