休館について
…先日西洋美術館のホームページを見たところ、館内施設整備のため2020年10月19日から2022年春(予定)まで約1年半に渡り全館休館とのお知らせが掲載されていたため、しばらく見られなくなる前にと思って常設展を見に行きました。お馴染みの作品もあれば初めて目にする作品もありましたが、改めて見応えのあるコレクションだと実感しました。
…常設展は当日券での入場になります。館内の展示作品は撮影可能(寄託作品は撮影できないようです)で、所要時間は2時間半程度でした。
感想
…西洋美術館の代名詞と言ったらロダン《考える人》ですね。
…新収蔵作品としてクラーナハ(父)《ホロフェルネスの首を持つユディト》(1530年頃)が展示されていました。「クラーナハ展」(2016~2017年)の後、2018年度に購入された作品なんですね。近くにはティツィアーノ《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》(1560~70年頃)も展示されていました。クラーナハの描く華奢なユディトとティツィアーノの豊満なサロメが対照的ですが、男性、そして鑑賞者を誘惑し破滅させて勝ち誇る妖しく官能的な目の表情には相通じるものが感じられます。
…ヤン・ブリューゲル(父)《アブラハムとイサクのいる森林風景》(1599年)。この作品は他の作品より照明が暗くなっていて、ガラスに背後の窓が写ってしまいました。聖書のエピソード「イサクの犠牲」に纏わる場面を主題とする作品ですが、細密に描かれた大樹の生い茂る鬱蒼とした森が印象的です。
…エル・グレコの《十字架のキリスト》は大型の作品の習作でしょうか。画中のゴルゴタの丘には共に十字架に架けられたという二人の罪人も、マリアや聖人達も見当たらないのですが、それ故に磔にされたキリストのみが宇宙的な空間に浮かび上がっているように見えます。なお、十字架の根本の骨はアダムの墓があることを表しているそうです。
…グエルチーノ《ゴリアテの首を持つダヴィデ》(1650年頃)では巨人を倒す勇敢な英雄が神を畏れ敬っているという対比が、天上から降り注ぐ超自然的な光を仰ぐ表情と剣を手放し胸に手を当てるポーズで表現されています。隣にはグイド・レーニの《ルクレティア》(1636~38年頃)が展示されていました。ルクレティアは夫への貞節と自身の誇りを貫いて自死したローマ時代の女性で、その証である剣はしっかり手元に描かれています。
…マンフレーディ《キリスト捕縛》(1613~15年頃)はカラヴァッジョの《キリスト捕縛》を反転させた構図で、バロック絵画らしく劇的な瞬間が闇の中に浮かび上がっていますが、緊迫感よりも運命を受け入れるキリストの醸し出す静謐さによって画面が満たされているように思います。
…ダフィット・テニールス《聖アントニウスの誘惑》(1660年代)は、杯を差し出す美女に慄く聖人の表情が印象的です。よく見ると、スカートの裾からのぞく女性の足は鳥の鉤爪をしていますね。悪魔は如何にも恐ろしげな顔をしているとは限らず、武器を携えずとも脅かす力を持っているということでしょう。アントニウスに群がる奇怪な悪霊たちはあまり怖くなくて、ある種ユーモラスな魅力さえ感じられます。画家も様々なモンスターの事細かな描写を楽しんでいたのではないでしょうか。一方、ファンタン=ラトゥールによる同主題の作品からは怪物が消えて、聖人の周りを輪舞する美女達が描かれています。女性に囲まれている聖人の表情は不明ですが、これは自身に置き換えて考えてみれば良いのでしょうね。細部まで克明に描かれた前者と、幻影のように茫洋と描かれた後者との、時代による表現の変化も興味深いです。
…ジャン・マルク・ナティエ《マリー=アンリエット・ベルトロ・ド・プレヌフ夫人の肖像》(1739年)は優美で上品な華やかさが感じられるロココらしい作品です。画面左側に水瓶が描かれているのはモデルを川の精又は泉の精に擬しているためで、ナティエは貴婦人たちを神話の中の人物の姿を借りて描く肖像画を数多く手がけているそうです。
…ジョゼフ・ヴェルネ《夏の夕べ、イタリア風景》(1773年)は夕暮れの迫る空の下で、時が経つのを惜しむように川で水遊びを楽しむ人々が描かれた牧歌的な田園風景です。クロード・ロラン《踊るサテュロスとニンフのいる風景》(1646年)の神話的なユートピアから約100年の時を経て、現実の風景として描かれるようになったんだなと思いました。
…ギュスターヴ・ドレ《ラ・シエスタ、スペインの思い出》(1868年頃)にはロマ(ジプシー)と思しき一行が描かれていますが、大人達が視線を背けてそれぞれ物思いに耽っているのに対して、子供達の眼差しは外の世界に向けられ、こちらをじっと見ています。流浪の民を描く画家もまた異邦人であり、物怖じしない率直な眼差しは画家=鑑賞者に「お前は何者か」と問いかけているようにも感じられます。
…コロー《ナポリの浜の思い出》(1870~72年)は豊かな自然や穏やかに凪いだ海、西日に染まる梢が郷愁を誘います。描かれている風景は画家の追憶に基づくものですが、そこに過ぎ去った古き良き時代や神話的な楽園・理想郷のイメージなども重ね合わされているのでしょう。
…ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》(1872年)はオリエンタルな設えの部屋で寛ぐ女性達が描かれていて、絨毯や装飾品が女性の透き通るような白い肌を一層引き立てています。鏡に映る自分の姿を確かめる女性の口許には微かに笑みが浮かんでいて、自信のようなものも窺われますね。
…ゴッホというと鮮やかな色彩や独特のタッチ、波乱に満ちた生涯から、作品にも画家にも激しく強烈なイメージを抱きがちなのですが、《ばら》(1889年)をはじめ、身の回りの植物を描いた作品などを見ると実際はイメージより繊細な一面があったように思われます。
…ロダンと並ぶ西洋美術館の顔、モネの《睡蓮》(1916年)です。そばには日本に返還され、修復を経て公開された睡蓮の大装飾画も展示されていました。《黄色いアイリス》(1914~17年頃)は《睡蓮》と同時期に制作された作品ですが、陽炎のように揺らめき立ち上るアイリスの葉が互いに溶け合い渾然一体となっているなか、一際鮮やかな黄色の花が青緑色の幻想的な空間を照らしているように見えました。
…ロセッティ《愛の杯》(1867年)。松方コレクションというと印象派などフランス美術が思い浮かぶのですが、コレクションの出発点はイギリスだったそうです。ミレイ《あひるの子》(1889年)はアンデルセンの『醜いあひるの子』を踏まえた作品だそうで、少女の曇りのないまっすぐな眼差しが印象的です。
…シニャック《サン=トロペの港》(1901~02年)は、今回一番印象に残った作品です。これまでにも目にしているはずなんですが、突然自分のピントが合ったらしく、港町の青い海と空を染めるバラ色に改めて見入ってしまいました。規則的で緻密な点描が学者のような合理性と職人のような根気強さを以て大きなカンヴァスを埋め尽くしていますが、対象に対する冷静さ、無心さが独特の風通しの良さを生み出しているように感じました。
…シャイム・スーティン《心を病む女》(1920年)は女性の服の赤い色が印象的な作品。痩せた顔を歪め、ぎゅっと身体を強ばらせている様子から何かに怯えているような精神の緊張が感じられます。
…藤田嗣治《座る女》(1929年)はハイヒールを履いた女性の傍らに雉のつがいが描かれ、背景には金箔が敷き詰められていて、和と洋、伝統とモダンといった対照的な要素が違和感なく組み合わされています。日本画の美人画を藤田流に描いた作品だと思います。
…ジョアン・ミロ《絵画》(1953年)。赤い円が太陽、そのそばには星が輝いているようにも見えますが、何が描かれているかというより、読み取り可能な意味があるかどうか、そのぎりぎりのところにある形と色彩の組み合わせもまた絵画たり得ることに意味があるのでしょうね。