展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

印象派への旅 海運王の夢――バレルコレクション 感想

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見どころ

…この展覧会はイギリスの実業家ウィリアム・バレル(1861~1958)のコレクションが初来日するものです。グラスゴー市に寄贈された数千点に上るバレルのコレクションは、遺言により長らくイギリスの国外に持ち出すことができなかったのですが、2014年に女王の裁可を得て遺産条項が改訂され、美術館の大規模改修に伴い今回海を渡って日本へ来ることとなりました。バレルが蒐集した美術品は中世から近代まで、またヨーロッパにとどまらずイスラム圏や中国にまで及ぶ幅広いものですが、この展覧会は19世紀後半のフランス、オランダ及びイギリスの画家たちの作品を中心に、同じグラスゴーに所在するケルヴィングローヴ美術博物館のルノワールセザンヌなどの作品7点も加えた80点で構成されています。
…バレルは画商のアレクサンダー・リードと一緒にパリに行けばドガのアトリエに行くことが出来たかもしれないのに、と書き残すほどドガの作品の好み、22点も購入していますが、出品作全体ではクールベブーダン、コロー、ドービニーなど印象派以前から同時代に活動した印象派以外の画家たちが多く、華やかさや斬新さよりも写実的で落ち着いた雰囲気の作品が多いように思いました。また、バレル自身は海運業で成功した大コレクターなのですが、所有している作品には庶民の日常や田園風景など、気取りのない素朴で親しみやすい作品が多く、バレルの気質が垣間見えるようにも感じました。個人のコレクションですから、コレクター自身の美意識や価値観が反映されるのは当然なのですが、テオデュール・リボーやフランソワ・ボンヴァンなど19世紀後半のリアリズムの画家たちを新たに知る機会ともなり、彼らの作品を見ることが出来て良かったです。
…個人的には、先日「ドービニー展」(東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館)を見てきたばかりだったので、この展覧会でまた作品を見ることが出来たのが嬉しかったです。兄と共に家業の海運事業に携わっていたバレルが、海辺や川辺など水に因んだブーダンやドービニーの作品を所有しているのは自然なことに思いますが、実はこうした傾向にはコレクター個人だけでなく地域性も関係しているそうです。スコットランドのコレクターたちにはドービニーやアドルフ・エルヴィエ(1818~1879)など、海や川が含まれ、西スコットランドを思わせる淡い灰色の光に包まれている作品を多く描いた画家たちが特に好まれたそうです。
…そうした作品をコレクターたちにもたらした画商の存在、役割の大きさも今回、改めて意識させられました。グラスゴーの画商アレクサンダー・リード(1854~1928)はゴッホ兄弟とパリのアパルトマンで同居していた期間(1886~87)があり、画商のテオを介してドガをはじめ印象派の多くの画家たちとの繋がりもできたのだそうです。展覧会の冒頭にはゴッホによるリードの肖像画も展示されていましたが、物憂げで思慮深そうな顔立ちのリードが緑と赤の点描によって描かれていて、控えめながらも熱意を秘めているような印象を受けました。目利き、腕利きの画商たちの仕事があってこそ、優れたコレクター、コレクションも育つのですね。
…出品作は個人のコレクションということもありサイズの小さなものが多かったのですが、平日の午前中に行くことが出来たので、落ち着いてじっくり見ることが出来ました。所要時間は2時間程度です。なお、会場内は最後の「外洋への旅」の展示スペースが写真撮影可能でした。

概要

【会期】

…2019年4月27日~6月30日

【会場】

Bunkamuraザ・ミュージアム

【構成】

 序 ゴッホ「アレクサンダー・リードの肖像」
 第1章 身の回りの情景
  1-1 室内の情景
  1-2 静物
 第2章 戸外に目を向けて
  2-1 街中で
  2-2 郊外へ
 第3章 川から港、そして外洋へ
  3-1 川辺の風景
  3-2 外洋への旅
…「1-1 室内の情景」は主に人物画、「2-1 街中で」は風俗画に類する作品が多く、概ね主題のジャンル別の構成となっています。「2-2 郊外へ」、「3-1 川辺の風景」、「3-2 外洋への旅」は風景画が中心で、全体としては風景画の比率が高かったです。身辺から徐々に遠く離れ、描かれる世界が広がっていく章立ては、バレルのコレクションを通して旅をするイメージとのことです。数多くの絵画を蒐集したバレルですが、自身は控えめな性格で肖像画のモデルにはならなかったそうです。また、バレルは1911年から作品の購入簿を付けていて、いつどこで買った作品なのかは分かるものの、なぜその作品を購入したかについては分からないのだそうです。バレルは購入したフランス絵画を英国各地の美術館に積極的に貸し出していたそうなので、自身の楽しみや慰めのためである以上に、芸術は公共の財産という意識が強かったのでしょうね。

https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_burrell/

感想

テオデュール・リボー「勉強熱心な使用人」(1871年頃)

…テオデュール・リボー(1823~1891)は風俗画や静物画を得意とした画家で、「勉強熱心な使用人」は、料理人やお針子など庶民の日常を描いて人気を博した作品群のうちの一点だそうです。暗い背景を背に浮かび上がる白いエプロンを着けた女性は掃除の途中のようで、小脇に大きなはたきのような道具を抱えて立っていますが、掃除の手を止めて熱心に本を読んでいます。深緑色のクロスがかかったテーブルの上に積まれている本は、この屋敷の主人のものでしょうか。明暗のコントラストが強調された画面のなかで僅かに卓上の本だけが鮮やかな色彩を持ち、女性の円錐形のスカートがどっしりとした安定感を感じさせる構図となっています。女性は使用人ですからおそらく高い教育は受けていないと思われますが、文字が読めるんですね。伝統的な風俗画の場合、仕事を怠けている女中というモチーフは怠惰を戒める意味合いがあったりするのですが、この作品では労働の傍ら勉強している向学心として肯定的な意味合いに変化しているようで、上方から女性に降り注ぐ光はこの静謐な作品に気高い雰囲気を与えているように感じられます。バレル自身、十五歳で家業を継いだため美術史は独学で、娘には自分より高い教育を与えたいとフランス人の家庭教師を付けてもいます。バレルはこの作品を最晩年に購入したそうですが、教養を身につけることで人格を高め、人生を豊かなものにしたいという気持ちを終生変わらずに抱き続けていて、この作品を購入した動機となったのかもしれません。

フランソワ・ボンヴァン「狩りの獲物のある静物」(1874年)

…親密な室内空間を彩る静物画はどちらかというと小ぶりなものが多いと思うのですが、フランソワ・ボンヴァン(1817~1887)の「狩りの獲物のある静物」は静物画としてはサイズが大きく、堂々としたスケールがまず印象的でした。ボンヴァンは19世紀半ばのフランスにおける写実主義を代表する画家の一人であり、緻密な描写による兎の毛皮と艶やかな果物の質感の違いの描き分けが見事です。画面の中心を占める兎は足を括られた姿で、白いテーブルクロスに血が流れ落ちているのが生々しく感じられるのですが、ヨーロッパでは店先で売られる肉に羽根が残っていたり血が付いていたりするのは新鮮さの証拠であって、他にも例えばリボー「調理人たち」では羽をむしる若い調理人の頬に血が付いていたりします。バレルは狩猟を嗜み、仕留めた獲物を画商たちへの贈りものにしていたそうなので、コレクター自身にとっても生活の一部であり、好みに適った作品なのでしょう。こうした静物画は伝統的には生命の儚さを示唆する寓意画でもあったのですが、19世紀にはヴァニタスのニュアンスは後退して、画家たちはより客観的に対象を描くようになったそうです。収穫の豊かさや狩猟の成果に対する静かな充実感や喜びが感じられる作品だと思います。

エドガー・ドガ「リハーサル」(1874年頃)

ドガはバレエを主題とする作品を数多く手がけていますが、出品作の「リハーサル」は同主題を描いた油彩画のなかでも最初期の作品だそうです。斜めのフロアや画面左側を遮る螺旋階段など大胆な構図が臨場感を演出していますね。床が鑑賞者に迫ってくるように感じられるのは写真の影響かもしれません。足を高く上げてポーズを取るバレリーナたちには躍動感があり、画面右端では衣装を身につけているバレリーナが見切れていたり、よく見ると階段からフロアに降りてくる足まで描かれていて、まさに一瞬を切り取ったような場面なのですが、ドガは実際にあった場面をそのままを描いているわけではないのだそうです。しかし、ドガはリハーサルを繰り返し見ることで、舞台裏で練習を重ねるバレリーナたちの動作や表情、関係者の様子や全体の雰囲気を的確に把握し、実際以上のリアリティを再現することに成功していると言えるでしょう。踊るバレリーナたちと画面手前で休息している笑顔のバレリーナとの動と静、白いチュチュと鮮やかな青や黄色など上着の色彩、若いバレリーナたちと年配のダンスマスターや衣装係の女性など、入念に配置されたモチーフには巧みな対比が用いられています。印象派の一人とされるドガですが、床に映る影や光に透けるチュチュによって表現された淡く揺らぐ室内の陰影に、眩い外光とはまた異なる柔らかさ、繊細な魅力が感じられる作品だと思います。

マテイス・マリス「蝶」(1874年)

…花輪を手に横たわり、二匹の蝶を眺める女性。彼女はまだ少女と言っていいほどの若さです。女性のそばに白い花が咲いているところを見ると、彼女が横たわっているのは草原なのでしょうか。背景の空間は曖昧で判然としないのですが、実は11層もの絵の具を塗り重ねている場所もあるそうです。女性のブルーのドレスと豊かな長い金髪の対比が鮮やかですね。オランダ出身の画家マテイス・マリス(1839~1917)は褐色を偏愛したそうですが、1869年にパリに移住してから主題によっては華やかな色調も扱っていて、「蝶」はそうした作品の一つだそうです。この作品は写実的な出品作が多い中では異色の幻想的な雰囲気があり、印象に残りました。幼虫から蛹、そして成体へと変容する蝶は儚さと変わり目を象徴するそうで、女性が少女から大人に成長していくことを示唆しているのでしょう。マリスにとっては心ならずも描いた「売り絵」なのだそうですが、女性の夢見るような甘美な表情に鑑賞者も夢幻の世界に引き込まれるような作品だと思います。

ウジェーヌ・ブーダン「トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー」(1863年)、シャルル=フランソワ・ドービニー「ガイヤール城」(1870~74年頃)

ブーダン(1824~1898)やドービニー(1817~1878)は印象派には加わりませんでしたが、いずれも戸外での制作を積極的に行った画家たちです。ブーダン「トゥルーヴィルの海岸の皇后ウジェニー」に描かれているトゥルーヴィルは鉄道網の発達に伴ってパリ市民の避暑地として人気を集め、「浜辺の女王」とも呼ばれたそうです。前景には流行のドレスを纏って海岸を散策する皇后一行、後景には浜辺近くに集まっている中産階級の市民たちが描かれていますが、庶民も高貴な人々もこぞって同じ場所に出かけて楽しむ時代になったとも言えそうです。しかし、この作品の主役は何よりも大きく描かれた空でしょう。青空に浮かぶふんわりとした雲が生彩ある筆致で描かれ、はためく三色旗とともに爽やかな海風を感じさせる軽快な風景だと思います。当時の社会の流行が分かるブーダンの作品に対し、ドービニー「ガイヤール城」に描かれているのは、12世紀末にイングランドリチャード1世がセーヌ河岸に築いた城跡です。先日の「ドービニー展」を見た限り、ドービニーの風景画にランドマーク的なモチーフが登場することはあまりないようだったので珍しく感じましたが、イギリスにも縁のあるこの作品をバレルが手に入れた気持ちは分かる気がします。バレルはこの作品に描かれたガイヤール城を自分の居城に見立てていたそうなので、個人的にも思い入れを感じていたのでしょうね。波のない静かな川面に古城の影、生い茂る川岸の木立、うっすらと赤く色づいた雲が映り込んでいて、夕暮れ時の穏やかさに包まれるような風景だと思います。

アンリ・ル・シダネル「雪」(1901年)、「月明かりの入江」(1928年)

…インド洋に浮かぶ英領モーリシャスに生まれたアンリ・ル・シダネル(1862~1939)は、10歳で両親の故国フランスの地を踏んだのち国立美術学院に進学し、1890年代に象徴主義の影響を受けて独自の画風を展開しました。「雪」はノルマンディー地方ジェルブノワの街の一角を描いたものですが、まるで水滴で曇ったガラス越しに見るようなソフトフォーカスのかかった画面が特徴です。柔らかな触感が目で感じられるようですが、シダネルは雪の白にバラ色や灰色、青などの色を交えた細かな点描を積み重ねることでこの幻想的な画面を作り出しています。画面の中心、建物に囲まれた広場では、冬の日差しのなかドーム状の屋根が目を引く井戸が存在感を放っています。「月明かりの入江」も同様に、細かな点描を重ねたヴェールのかかったような画面で、青緑色のグラデーションで海と港の街並み、背後の山、そして夜空が描き分けられています。灯台や家の灯りが宵闇に包まれた風景のアクセントになっていますね。空に月は見当たりませんが、水面に映ったかすかな船影が優しい月明かりの存在を感じさせます。じっと見ていると入江に停泊する帆を畳んだ船の姿は、まるで眠っているようにも思えてきます。「雪」も「月明かりの入江」も、人気のない風景のなかから井戸や船といった声なきものの姿が立ち現れ、そのひっそりとした息づかいを感じさせる佇まいが静かに世界を満たして、温かみを感じさせる作品になっていると思います。

シャルル・フランソワ・ドービニー展 感想

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見どころ

…この展覧会は19世紀フランスを代表する風景画家シャルル=フランソワ・ドービニー(1817~1878)の日本初の回顧展で、ドービニーの作品約60点と共に、ドービニーと交流のあったコローなど他の画家たちの作品約20点について、ランス美術館の所蔵品を中心に構成されています。
…ドービニーはバルビゾン派の一人で、コローと親交があり、特に水辺の風景を描いた作品を多く残しています。戸外で描かれた明るく瑞々しい作品は「粗描き」、「未完成」、「印象」等の批判も受けましたが、モネやゴッホら若い画家たちに影響を与え、また、後年サロンの審査員を務めた際は印象派の作品を評価するなど、バルビゾン派印象派を繋ぐ役割を果たしました。
…画家の家系に生まれ、風景画家を父に持つドービニーは当初歴史画家を目指していたものの、画家の登竜門であるローマ賞に落選したため、出版物の挿絵などを手掛けつつ専ら風景画を制作するようになったのだそうです。もしも歴史画家になっていたら、風景画家ドービニーは存在しなかったんですね。ドービニーの作品は伸びやかさや瑞々しさが魅力で、後の印象派への繋がりが確かに見て取れるように感じました。
…ドービニーは戸外、特にアトリエ船を使った制作活動に特徴があり、そうした船を用いるユニークな制作方法はモネにも影響を与えたそうです。実際、モネの作品には時々どう見ても池の中で描いたとしか思えないものがあるのですが、ドービニーの水辺の風景に魅力があったからこそ、制作方法を取り入れるきっかけになったのだろうと思います。
…また、今日ゴッホの亡くなった街として知られているオーベール=シュル=オワーズはドービニーのアトリエがあった街で、ドービニーを慕っていたゴッホはドービニー宅の庭を作品に描いてもいます。直接の交流はなかったものの、自然の中に身を置き、実際に対象を前にして感じたものを表現したゴッホの作品は、積極的に戸外で制作し、新鮮な印象を画面に写し取ったドービニーの作品からの影響もあるのだそうです。
…私は今回初めてドービニーの名を知ったのですが、バルビゾン派の仲間たちや後進の画家たち、そして家族に囲まれ、慕われたドービニーの温厚な人柄そのままの穏やかな田園風景に包み込まれるような展覧会だと思いました。
…私は会期初日の午後に見に行きましたが、落ち着いてじっくり作品を見ることが出来ました。解説は少なめですが、ドービニーが旅した土地やアトリエ船ボタン号の模型、版画集「船の旅」などの情報と、描かれた作品とを合わせて見ることで、どんな風に制作していたかが分かり面白かったです。所要時間は60~90分程度です。

概要

【会期】

…2019年4月20日~6月30日

【会場】

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

【構成】

序章 同時代の仲間たち
第1章 バルビゾンの画家たちの間で(1830~1850)
第2章 名声の確立・水辺の画家(1850~1860)
第3章 印象派の先駆者(1860~1878)
第4章 版画の仕事
…展示の中心となるのは第3章で、出品作の半分以上を占めています。また、出版物の挿絵などで版画の技術を培ったドービニーは、画家としての地位が確立して以降も版画作品を制作していて、今回の展覧会でも「船の旅」など多数が出品されています。なお、第4章にはドービニーの息子で風景画家になったカール・ドービニーの作品も出品されています。

www.sjnk-museum.org

感想

…ドービニーの作品を見ていてまず感じたのは、単純ですが晴れた日の風景が多いということです。ドービニーは戸外、ことに船で制作していたのですから、天候の良い日が多くなるのは当然とも言えますね。もっとも、アトリエ船と言っても実際は揺れる船上より岸に降りて描くことの方が多く、完成品は自邸のアトリエで仕上げたと推測されているそうですが、悪天候では制作に支障を来すでしょうし、晴れた日の風景が多いのはドービニーが制作のため実地で風景を見ることを好んでいたことの表れだと思います。
…また、緑豊かな風景を描いた作品が多いのですが、ドービニーを含む19世紀前半の風景画家たちは、季節の良い時期に各地を旅して習作を描き溜めていたそうなので、春や初夏を思わせる瑞々しい風景が多いのでしょう。
…水辺の風景が多いのは、制作にあたってアトリエ船を利用したためであり、サロン(官展)で水辺の風景が評価されて同様の作品の需要が高かったことが何より大きいのでしょう。それと共に、水のほとりは人々の生活と近く、生き物が集まる場でもあります。ドービニーの風景画は水・陸・空の自然の三つの要素が揃っているものが多く、水辺の風景のなかに小さいながらも完結した自然界が成立しているように感じます。また、光を反射する水面はときにもう一つの空と言って良いほど、画面を明るくする効果もあると思います。
…ドービニーの描いた風景には具体的な地名を連想させる名所旧跡などランドマーク的なものはあまり見当たりません。もちろん、作品タイトルに地名が入っている場合も多いのですが、単に場所を示すだけといった感じで、場合によっては「池と大きな木のある風景」や「森の中の小川」のように、何処を描いているか明示されていない場合も少なくありません。裏を返せば場所が何処であるか分かる必要がないということであり、有名な土地を観光した気分を味わったり、その土地にまつわる物語を楽しんだりするよりも、むしろ、特別ではないありふれた平凡な風景に美を見出すところに新鮮さがあったのではないかと思います。あるいは、現在ではなく、少し前の懐かしい過去を旅する気分になったのかもしれません。何処にでもありそうな水と緑に囲まれた爽やかで親しみやすい風景は、産業革命や都市化の進展に従って急速に日常から遠ざかりつつあり、反比例するように人々は穏やかな田園風景を通して古き良き時代の安らぎを求めるようになったのでしょう。距離の変化がかつては当たり前だったものの価値を認識させ、かけがえのないものであることを発見させたのでしょうね。身近で気持ちを和ませ、安らぎを与えてくれる風景。ドービニーの描いた風景の理想化とリアリズムの絶妙なバランスが人々の共感を呼んだのかも知れません。
…版画集「船の旅」は、アトリエ船ボタン号での旅の様子を家族や親しい人に見せるために描いたスケッチが元になっているそうで、船上におけるドービニーの制作の様子を知ることが出来ます。また、昼食を取っているドービニーの船の周りで魚たちが自分たちも食べたそうに水面から顔を出していたりとユーモアも交えられていて、画家の気さくな人柄が垣間見えると共に、各地を旅して旺盛に制作しながら家族のことも大事にしていたことが感じられました。
…素朴で穏やかな風景を数多く描いたドービニーですが、晩年の作品では暗い空模様や谷間のゴツゴツとした褐色の岩場など、険しさや力強さを感じさせる風景も描いています。ドービニーは若い印象派の画家たちを擁護するだけでなく、自身もより大胆な筆遣いによって生々しく流動的な印象を与える作品を描いていて、画家として成功してもとどまることなく、さらに新たな表現を追求していたのだろうと思いました。

ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち 感想

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見どころ

…「ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち」は19世紀末の象徴主義を代表する画家ギュスターヴ・モロー(1826~1898)の画業のうちでも中心的な主題、男性を魅了、支配し、それゆえに破滅をもたらす宿命の女(ファム・ファタル)を描いた作品に焦点を当てたものです。絵画作品は全てギュスターヴ・モロー美術館所蔵のモローの作品で、東京展の出品数は69点ですが、そのうち油彩画は44点と充実した内容になっています。
…モローと言うと代表作の一つ「出現」に描かれたサロメが思い浮かびます。この展覧会ではモローによるサロメを主題とする作品だけで一章が割かれていて、同じサロメでも作品によって無垢で可憐であったり、神秘的で妖艶であったりと、表現の違いが感じられて興味深かったです。また、歴史画家を自認していたというモローは神話や聖書に登場する様々な女性たちをドラマティックに描いていますが、今回の展覧会にはモローが身近な女性たちを描いた素描も出品されています。モローは宿命の女を好んで主題に取り上げましたが、実生活で関わりの深かった女性たち、母や恋人はむしろ正反対の献身的で善良な女性たちだったというのも人の心の不思議を感じました。
…会期初日の午後に見に行きましたが、落ち着いて作品を近くでじっくり見ることが出来ました。ただし会場が小さめであることと、素描など小型の作品も多いため、混雑しているとやや作品を見づらいかもしれません。音声ガイドはありませんが、展示作品のほとんどに解説文があります。また、ルオー作品のコーナーは特別展に合わせてモローに因んだ内容になっていました。モローに師事したルオーはモロー美術館の初代館長も務めていますから、そうした縁もあって今回の展覧会開催に繋がったんでしょうね。比較的小規模な展覧会のため、所要時間は60分程度でした。

 概要

【会期】

…2019年4月6日~6月23日

【会場】

パナソニック留美術館

【構成】

 第1章 モローが愛した女たち
 第2章 《出現》とサロメ
 第3章 宿命の女たち
 第4章 《一角獣》と純潔の乙女

panasonic.co.jp

感想

*作品名のあとの数字は図録番号です。

「パルクと死の天使」(1890年頃、№33)

…今回の出品作を見てみて、モローの作品は人物の表情をクローズアップで描いたものは少なめで、建物や風景など広い空間の中で人物を描いている場合が多いと感じました。モローは歴史画家を自認していたそうなので、場面全体を描くことで主題の物語を表現しているのでしょう。また、モローの描く女性たちは概ね個性的であるより理想化されて普遍的な容貌をしているように思います。そうした謂わばパブリックなモローの作品に対して、母や恋人など身近な女性たちを描いたプライベートな作品を見ると、彼女たちは個性的で生活感があり、距離の近さやくだけた親密さが感じられました。
…しかし、1884年に母ポーリーヌ・モローが、1890年に恋人アレクサンドリーヌ・デュルーが世を去り、残されたモローは大きな痛手を受けました。「パルクと死の天使」(1890年頃、№33)は心の拠り所を失った中で描かれた作品で、モローは愛する者を奪った無情な運命を自身の感じるまま率直に、禍々しく恐ろしい姿で描いています。沈む太陽を背に、夜の闇に包まれつつある荒野を進む死の天使。その馬の手綱を取るのは冥府に属する運命の女神パルクの一人で、運命の糸を断ち切るアトロポスです。馬上から鑑賞者を見下ろす天使の表情は窺えませんが、左手で掲げているのは剣でしょうか。不吉な赤い翼は血の色のようでもあり、黒や暗い青などを主とする画面のなかでひときわ鮮烈に感じられます。モローの作品というと幻想的で優美、妖艶といったイメージがありますが、この作品はそうしたイメージとは全く異なる迸るような激しさや荒々しさを感じさせる色彩とマティエールで描かれていて、モローの喪失感の大きさや悲嘆の激しさなど、強い感情が込められているように思いました。

サロメ」(1875年頃、№45)、「出現」(1876年頃、№62)

サロメ、ことに「出現」(№62)はモローの代名詞と言って良いほどですが、今回は暗い背景に浮かび上がるすらりとした白い肢体が美しいサロメ(№99)や、意味ありげな横顔のサロメのアップ(№104)など、これまで見たことのなかった作品も見ることが出来ました。モローのサロメは単に男性に破滅をもたらす悪女というだけでなく、時に無垢な少女であったり、力強かったり、妖艶であったりと作品ごとに様々な表現がなされているのですが、モローにとって一種神秘的にも感じられたのであろう女性の多面性が、サロメの物語とうまく噛み合って想像力を大いに刺激されたのかもしれません。特に「ヘロデ王の前で踊るサロメ」の習作として描かれた白い衣装のサロメ(№45)と出現のサロメ(№62)とは、同じサロメでありながら祈るサロメと対峙するサロメという対比が鮮やかに感じられました。前者のサロメは、何枚もの布を複雑に身体に巻き付かせた東洋風の衣装を纏っていますが、これはモローが彼女を「神秘的な性格を持った巫女のような、宗教的な魔術師のような人物」にするために作り出したものなのだそうです。確かに、花を手に目を伏せて祈るように佇むサロメは、母ヘロデアに唆されて洗礼者ヨハネを処刑するようヘロデ王に迫る悪女ではなく、純潔な巫女であり、可憐な少女に見えます。神事や祭礼において神に奉納する舞いや踊りはしばしば忘我をもたらすものですが、このサロメは自分の願いを叶えるために一心に祈っているのではなく、巫女として、自我を無にして神の依り代になろうとしているのでしょう。しかし、同じサロメでも「出現」のサロメは、現れたヨハネの首を強い視線で見返し、まっすぐに指さして対峙しています。床に血溜まりのみが残されたなか、ヨハネの首が宙に浮かんでいる図像が強烈で目を引きつけますが、現実の光景ではなく幻影または象徴であり、ヨハネの精神が現れたものと考えられます。ヨハネは官能の源泉である肉体を失うことで魂が肉体から自由になり、純粋に精神的な存在になることで聖人として完全な存在になったとも言えそうです。対するサロメはしっかりと地に両足をつけ、肉体を持つ存在=地上的、現実的な存在であることが表現されています。両者の間のただならぬ緊張感は、人間の持つ精神と肉体、神への愛である信仰と肉体的な性愛、永遠不滅の霊魂と死と生殖による再生を営む有限な個体との間にある緊張を示唆していると考えられます。ヨハネの頭部から発する霊的な光輪とサロメの戴くきらびやかな王冠は対になっていて、両者は共に尊重されるべき存在であることが分かりますが、虚空に浮かぶヨハネのほうがサロメより高い位置にあり、より高次元の存在であることを示しています。この作品ではサロメヨハネに向かって手を伸ばしていて、能動的主体的な宿命の女として描かれているように感じられますが、サロメから差し伸べられている手は官能への誘惑と聖なるものへの憧憬という両面があるのではないでしょうか。しかし、ヨハネサロメに応じる腕はなく、介在し得るのは精神の愛のみです。飛躍した想像ではありますが、サロメはヘロデアの望みを叶えたのではなく、ヨハネの望みを叶えた、あるいは神の意志を実現させたのかもしれないと思いました。

「セイレーンと詩人」(№119)、「死せるオルフェウス」(№117)

…この展覧会のテーマである女性ではないのですが、個人的にはモローの描くオルフェウスの表現が印象に残りました。
…「セイレーンと詩人」(№119)はタピスリーための油彩下絵として描かれた作品で、海底の洞窟で魚か蛇のような尾を持つ怪物セイレーンが竪琴を背負った詩人の頭に手を置いています。女性が男性の頭に手を置くポーズは「ヘラクレスとオンファレ」(№115)にも見られるもので、女性による男性の支配を印象づける構図です。セイレーンは目を見開いて足元で蹲る詩人をじっと見下ろしていますが、詩人の顔からは血の気が失せ、死んだように目を閉じています。詩人ということでオルフェウスのバリエーションでもあるのでしょうか。ギリシャ神話にはオルフェウスがイアソン率いるアルゴー号での航海中、乗員を誘惑しようとするセイレーンに対抗して歌い、乗員を救ったというエピソードもあり、歌声で船乗りを惑わせて引き寄せ、命を奪うセイレーンと、歌声で心のない野獣や木石をも感動させたというオルフェウスは対照的な存在と言えます。しかし、ここに描かれている詩人はセイレーンに敗北して囚われてしまったようです。あるいは、セイレーンが詩人の歌声に魅了されて海の底に引き寄せたのかもしれません。両者は相容れないが一対の存在として表現されているように思います。
…一方、「死せるオルフェウス」(№117)ではバッコスの信女に殺されたオルフェウスが大地に横たわっていますが、首のない死体は斬首された洗礼者ヨハネのイメージと共通しています。愛する妻エウリュディケを失ったオルフェウスは悲しみにくれて女性を遠ざけるようになったのですが、女性の誘惑を退けることは官能の源泉である肉体の否定でもあり、死を運命づけられているとも考えられます。モローは恋に破れて投身自殺をしたという伝説があるサッフォー(№144)を「巫女」と呼び、詩を通じて神の声を伝える聖なる存在と捉えていたそうですが、神の声を伝える詩人を預言者と重ね合わせることによって、殉教者としての聖性を持たせているのかもしれません。なお、母と恋人を失ったモローは「エウリュディケの墓の前のオルフェウス」を描くなど、オルフェウスを芸術家の象徴として自身と重ねていることもあります。オルフェウスもサッフォーも優れた詩人であると共に、愛に殉じた詩人でもあり、彼らの詩=芸術の源泉は愛だったとも言えるでしょう。モローから話は逸れますが、モローの教え子であるルオーはヴェロニカ伝説に因む「聖顔」を繰り返し描いているのですが、聖なる首に拘った理由の一つには師のモローの作品に描かれたヨハネオルフェウスの影響があるのだろうとも思いました。

「一角獣」(1885年頃、№156)

…男性を魅了して破滅に導く女性たちを数多く描いたモローですが、1883年にパリのクリュニー中世美術館で一般公開された「貴婦人と一角獣」のタピスリーに触発されて、純潔の象徴である一角獣を伴った女性の主題にも取り組みました。「一角獣」(1885年頃、№156)は海の見える草原で寛ぐ美しい貴婦人たちが一角獣を伴っている作品です。中景の大樹の背後には空や入り江など開けた穏やかな風景が広がっていますが、モローの言によるとここは魔法にかけられた島であり、閉ざされた女性だけの園なのだそうです。自然の風景は「サロメ」や「デリラ」(№108)の閉ざされた建築空間とは対照的で、宿命の女たちが人の手になる世界の住人であるのに対して、純潔な乙女たちは神の手になる世界の住人であることを示唆しているのかもしれません。女性たちのうち似通った顔立ちの二人、華麗な装飾の施された赤いドレスの貴婦人と、玉座らしきものに腰掛けている裸体の貴婦人とは対になる存在で、それぞれ地上のヴィーナスと天上のヴィーナスを象徴しているとも考えられます。後者は帽子や装身具、帯などが貴婦人の白く華奢な裸体を一層際立たせてクラーナハの描く美女たちのように官能的なのですが、彼女の傍には聖杯が置かれていてこの女性が体現しているのは神の愛であると思われます。一方で、彼女は純潔の象徴である百合と共に、楽園には似つかわしくない剣を携えています。剣は放縦な欲望を寄せ付けず、閉ざされた楽園を守護するためのものかもしれませんし、あるいはむしろ、来たるべき犠牲者=救世主を待っていて、聖杯はその血を受けるためのものなのかもしれません。その犠牲者はただ欲望に突き動かされた存在ではなく真の美、神の愛を求める者であり、肉体を失ったオルフェウスヨハネと重ねることもできそうです。物質的な肉体を持たない天上のヴィーナスと精神的な存在となったヨハネオルフェウスとの結びつきというのが、モローの到達した究極の愛のあり方だったのかもしれません。

東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展 感想

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見どころ

…「伊藤若冲展」は110点(会期中に一部作品の展示替えあり)の出品作全てが伊藤若冲(1716~1800)の作品で構成された、若冲の世界を堪能できる展覧会です。『動植綵絵』で名高い若冲の著色画は驚異的な緻密さと華麗な色彩で見る者の目を奪いますが、この展覧会は水墨画の作品が多いのが特徴の一つです。若冲水墨画には著色画とはひと味違う、自由闊達で軽妙な味わいがありますが、一方で生きとし生けるものに対する透徹した真摯な眼差しは著色画でも水墨画でも変わることなく共通していると思います。
若冲は生涯を通じてほとんど住み慣れた京都を離れることはなく、作品には「平安城若冲居士藤汝鈞画於錦街陋室」と、画名と共にアトリエのある錦小路の地名も書き入れたりするほどで、自らが生まれ育ち暮らす街に誇りと愛着を持っていたと思われます。しかし、天明の大火(1788、天明8年)によって京都が焼け野原となったため、齢七十歳を超えた若冲も避難を余儀なくされました。出品作の『蓮池図』は若冲が大阪に移住していた時期に手掛けられたもので、大火に見舞われた京都への願いが込められていると考えられるのだそうです。この展覧会はそうした若冲の願いに、福島復興への願いを重ね合わせた展覧会です。

概要

【会期】

…2019年3月26日~5月6日

【会場】

福島県立美術館

【構成】

 第1章 若冲、飛翔する
 第2章 若冲、自然と交感する
 第3章 若冲、京都と共に生きる
 第4章 若冲、友と親しむ
 第5章 若冲、新生する

jakuchu.org

感想

…この展覧会は若冲の作品のうちでも水墨画の作品が多いことが特色だと思います。若冲の著色画は良質の画材を惜しみなく使い、尋常でない根気と集中力によって極限まで密度を高めた表現に圧倒されますが、一方の水墨画の作品は、のびのびとして自由闊達な筆捌きと、遊び心や実験精神によって対象を生き生きと描写していることが魅力だと思います。一本の線に動きを感じ、余白に空間の広がりを想像し、墨の濃淡に色彩を見分ける水墨画は対象を高度に抽象化していると思うのですが、描く側はもちろん、見る側もそれに慣れているというのは実はすごいことなのではないかとも思いました。

若冲の作品というと、鶏をはじめとする動植物を描いた花鳥画がまず頭に浮かびますが、今回の展覧会では比較的人物画が多く、新鮮な印象を受けました。若冲の人物画は「売茶翁像」のように写実的な作品と、「三十六歌仙」のように戯画的な作品に分かれるようですが、個人的には初期の作品である「寒山」が印象に残りました。中国唐代の隠者である寒山は、拾得と共に常識を超越した脱俗のキャラクターとして禅宗絵画にしばしば描かれていて、先日の「奇想の系譜展」では狩野山雪の「寒山拾得図」が出品されていました。しかし、山雪の奇怪で不気味な寒山に対して、若冲寒山は天真爛漫で邪気のない笑顔を見せています。若冲は晩年に至るまで寒山と拾得を繰り返し描いているそうですが、この寒山から感じられる脱俗の境地とは常識に囚われない風変わりさではなく、精神の無垢さや純粋さであるように思われます。また、人物に入れて良いのかは分かりませんが、雷神が宙で逆さまになっている「雷神図」もユニークでした。意表を突いた構図に、一瞬絵の天地が逆になっているのかと思ってしまったほどですが、太鼓の重みに耐えて口をへの字に結んでいる小さな雷神は愛嬌があって可愛らしく感じられます。透徹した眼差しで自然を捉えた若冲の目に、人間はどのように映っているのか気になるところだったのですが、ユーモアはあっても毒はない表現を見ると、決して人間嫌いな人物ではなかったのだろうと思いました。

若冲は今回の出品作の中だけでも葡萄や枇杷など様々な植物を描いていますが、とりわけ頻繁に描いた松・竹・梅の「歳寒三友」は高潔の士の寓意であり、菊は蘭・竹・梅と共に風格ある気品をもつ「四君子」として中国の文人たちに珍重されてきた植物なのだそうです。なお、若冲作品のシンボルと言ってもいい鶏は中国では五徳(文・武・勇・仁・信)を自ずから有する鳥として好まれた画題とのことで、若冲が身近な対象を無作為に描いたわけではなく、意味も踏まえて選んでいることが分かります。一方、「蔬菜図押絵貼屏風」は茄子や南瓜、松茸など全部で十二の野菜がそれぞれ目一杯巨大に描かれていて、最初作品を目にしたときはその大胆さに笑い出しそうになりました。この作品は、若冲が晩年身を寄せた石峰寺のために仏具などを喜捨した武内家に贈ったもので、元は一枚ずつばらばらの絵だったのを、明治時代になって武内家の子孫が屏風に仕立てたものだそうです。モチーフはいずれも日々の食卓に供される身近な野菜ですが、青物問屋の主人だった若冲にとって、野菜は僧侶が日々の勤めに用いる大切な仏具にも値するような、単なる商品以上の思い入れがあったのかもしれません。動物も植物もあらゆる命を等しく尊重する若冲の姿勢が、ありふれた野菜を堂々たる主役として描く痛快な作品に繋がったのではないかと思います。

…「象図」に描かれた真正面を向くシンメトリーな象や、「双鶴・霊亀図」の羽毛を膨らませて立つ番いの鶴たち。主役として画面の中心を占める動物たちは、ユーモラスで軽妙ながら、いずれもデティールを省略した単純な一本の線でその量感まで表現されていて、どっしりとした実在感があります。「白象群獣図」の枡目描きは一つの枡目の左上側を濃い色で、右下側を薄い色で塗り、枡目同士の間をさらに薄い色で塗り分けてあります。若冲が目の錯覚まで計算していたのかは分かりませんが、一見すると各ドットが浮き上がって、まるで画面に凹凸があるように見えたのが興味深かったです。また、龍のうろこや鶏の羽毛など様々に用いられている筋目描きは、宣紙という中国渡来の紙の性質を生かしたもので、狩野派など他の絵師たちもそうした性質自体は知っていたと考えられるそうです。しかし、たとえ見世物的な技巧と見なされようと躊躇わず積極的に取り入れたところに、他者からの評価よりも自分の理想に近づくことを求めた若冲の飽くなき探究心、とどまることのない向上心が窺われると思います。「百犬図」はおびただしい数の犬で画面が埋められています。犬は犬種によってサイズや毛足の長さなどが多種多様でバラエティに富んでいますが、この作品に描かれている犬はそれぞれ毛色こそ異なるものの姿や顔つきはみな似通っていて、同じ犬の分身のようにも見えます。若冲は犬というものを表現するに当たって、この作品では一匹の姿に犬の特徴、本質の全てを込めるのではなく、代わりにおよそ思いつく限りの犬の表情、ポーズを描けるだけ描き出すことで画面=世界を埋め尽くしてみたのかもしれません。

…墨一色で質感や色彩まで表現する水墨画ですが、「蓮池図」は他の作品とは異なる独特の描き方で、墨痕鮮やかな勢いある筆遣いが見当たらず、版画のようにムラのないトーンで描かれています。本作については、展覧会の監修者である狩野博幸氏が、天明の大火で焼失した京の街の復興を願う若冲の思いが込められていると解説されていますが、実際作品を目の当たりにすると改めて一面が薄墨色の喪の風景であるように感じられました。蓮の池というとお釈迦様のいる極楽浄土にあるものですが、この作品に描かれているのは虫食いのある葉やすでに花弁が散った蓮であり、花咲き乱れる極楽ではなく寂寥感の漂う死の世界そのものです。若冲の作品のなかでもこれほど死の気配が濃厚な作品は他にあまり思い当たらないのですが、大火の直後というタイミングで制作された本作に、灰燼に帰した京の街やさらには若冲自身の作品、生活や人生そのものに対する喪失感が投影されているのは自然なことに思われます。若冲の心象風景が見えるような作品ですが、そんな世界に兆した小さな蕾には喪失のあとの再生が託されているのでしょう。ところで、「蓮池図」は元は「仙人掌(サボテン)群鶏図」と襖の裏表をなしていたのですが、表面だった「仙人掌群鶏図」は「蓮池図」とは対照的に目にも眩い金地に鶏の親子とサボテンが描かれています。鶏の親子は、有限な個体が子孫を残すことで死を乗り越えることを象徴しているのでしょうか。サボテンが描かれているのは珍しい植物への好奇心や造形的な面白さが大きいのだろうと思いますが、乾燥に強い性質が裏面に描かれた水辺の植物である蓮と好対照であり、常緑性の植物である点でも枯れかけた蓮と対比されていると考えられます。生と死、此岸と彼岸との鮮やかな対比において、現実の世界の側に浄土のような金色を施したのは、大火に見舞われ、ある種の擬似的な死を体験したことで、より一層死を乗り越えて再生する生命の輝かしさが感じられたためかもしれません。打ちひしがれた心に希望を灯し、苦難を乗り越えていこうとする意志を感じることが出来る作品だと思います。

その他 交通アクセスなど雑感

…今回は新幹線に乗っての遠出となりましたが、会場である福島県立美術館までの経路は初めて行った私でも分かりやすかったです。福島駅で新幹線の改札を出たあと福島交通飯坂線へ乗り換えるため、エレベーターで1番線ホームに降りてホームの先にある飯坂線・阿武隈線の改札へ向かったところ、ちょうど美術館方面に向かう電車が来ていました。駅員さんに間に合わないから車内で切符を購入するように言われて急いで乗車しましたが、電車の中で乗務員さんが切符を持っていない人がいるか聞いてくれるんですね。おかげさまで無事切符を購入できました(Suicaは使えません)。最寄りの美術館・図書館前駅は福島駅から2駅めで、乗車時間は3分ほどです。小さな駅から出ると道のすぐ先に福島県立美術館の敷地が見えるので、迷うことなく徒歩3分で美術館へ到着。朝の10時頃でしたが、駐車場はその時点で既に満車でした。美術館では車の案内などのために外に立っているスタッフの方が皆さん「おはようございます」、帰りの時は「ありがとうございました」と挨拶してくださって温かい雰囲気でした。私は常設展も見たかったので、伊藤若冲展を見たあと美術館のカフェで食事をしたのですが、休日のお昼だったため30分ほど順番待ちをしました。席が空くまで購入した図録を見ていたのでさほど苦にはならなかったのですが、お昼どきにかけて行く場合は食事をどうするか考えておいたほうがいいかもしれません。常設展では以前から見たいと思っていたアンドリュー・ワイエスの作品を見ることが出来て良かったです。特に「そよ風」は窓辺に立つ女性の裸体のみずみずしさと密やかな解放感、がらんとした背後の暗がりに窓から吹き込んだ風の余韻が感じられて印象に残りました。帰りは時間に余裕があったので、慌てず自動券売機で切符を購入することができました。ホームで待っているお客さんは美術館に来た人以外に、地元の方も多くて地域の足という感じでしたね。何事も便利だけど忙しない日常からしばし離れて、ゆったりした雰囲気を味わうことが出来た旅でした。

ラファエル前派の軌跡展 感想

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見どころ

…「ラファエル前派の軌跡」展は19世紀イギリスを代表する美術批評家ジョン・ラスキン(1819~1900)の生誕200年を記念するもので、ラスキンが評価し、擁護したJ・M・W・ターナーやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズらの絵画作品、ウィリアム・モリスによる装飾芸術まで140点を超える作品で構成されています。中でも、風景や建築などラスキン自身の素描が30点以上出品されていますが、これだけまとまった数を見る機会はなかなかないと思います。
ラスキンは著書『現代画家論』第1巻の末尾で「心をむなしくしてひたすら自然に向かうように、自然を信頼し骨身を惜しまず自然とともに歩み、自然の意味するものを徹底的に汲み取ることのみに専念し、なにものも退けず、なにものも選ばず、なにものも軽んじないように」説いています。自然に対する忠実さを求める考えはラファエル前派の理念となりましたが、ターナーの、特に晩年の作品とは相容れないようにも思われます。しかし、ラスキンにとって自然の姿とは、一見静止して見えても絶えざる動きと変化があるものであり、見えるものはすべて流転の状態で把握する必要があると考えていたことをこの展覧会によって知ることができました。ラスキンは、ターナーが自然の無限な多様性を尊重し、風景を現出せしめている天然自然の力を愛したと感じていたそうですが、誰よりもラスキン自身がそうした天然自然の力を愛したのでしょう。ラスキンには山を描いた素描が多いのですが、山もまた風雨や氷河による浸食や根源的な地質の圧力などを受けて変化するもの、絶え間ない運動状態にあるものと捉えていたそうです。個人的に印象に残ったラスキンの素描は「渦巻きレリーフ――ルーアン大聖堂北トランセプトの扉」(1882年)で、会場内で最初に見かけたときは一瞬写真と見間違ったほどリアリティがあり、まさしく自然に忠実な一枚でした。ラスキンは型どおりに見える装飾模様の一つ一つに実は手掛けた職人による差や個性があり、それぞれの部分が独自の印象を備えていることを特に重視していたそうです。ラスキンにとって綿密な観察とは、不動と見えるものに変化の兆候を、同一と見えるものに多様性の痕跡を見出すためのものであり、存在の本質を捉える行為だったのだろうと思います。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午後でしたが、それほど混雑していなくて落ち着いて鑑賞することができました。会場内は第2章の展示室で作品の撮影が可能です。いつもはルドンの「グラン・ブーケ」が飾られている展示室も、今回は特別展の作品が展示されていました。作品数が多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年3月14日~6月9日

【会場】

三菱一号館美術館

【構成】

第1章 ターナーラスキン
第2章 ラファエル前派
第3章 ラファエル前派周縁
第4章 バーン=ジョーンズ
第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術

mimt.jp

感想

ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」(1830年)

…海洋国家イギリスを代表する風景画家であり、自身釣りを愛好していたターナーは多くの海景画を手掛けていますが、「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」はドーバー海峡を隔てたフランスの港町カレの、穏やかな夕暮れの海とその海辺で生きる人々の暮らしを描いた作品です。暗い雲を二つに割って海に落ちようとしている夕陽の輝きが空と海をドラマチックな金色に染めるなか、左手にある中世の防砦フォール・ルージュのシルエットが長く伸びて海に映り込み、空と海、海と浜の境界が色彩の靄の中で渾然と混ざり合っています。海辺の風景は陸地から海に向かって眺める構図が多いと思うのですが、この作品の場合は防波堤や古い防砦のシルエットが描かれている画面左側が陸地、雲間に紛れる船の白い帆が見える右側が沖合と横から眺めているようで、海と浜の境が曖昧な描き方と相まって最初に見たときは位置が掴めず戸惑いました。干満の差が大きい遠浅の浜ならではの風景なのでしょうね。女性達が採っているイカナゴメバルなどの根魚からヒラメ、スズキといった大型魚まで幅広い魚種の餌になる魚で、生息域は沿岸地帯の砂泥底、夏場は砂に潜り夏眠するそうです。ドーバー海峡産の魚というと舌平目が有名ですが、その餌でしょうか。冬眠は馴染みがありますが、夏眠する動物がいるというのは初めて知りました。この作品はイカナゴが夏眠している砂地を掘り返している情景を描いたものと思われますが、ターナーは珍しい漁獲方法に興味を引かれたのかもしれません。一方で、女性達は日が暮れてしまう前に明日の漁に必要な餌を採らなければならないのでしょう。美しい夕焼けに頓着することなく働き続ける彼女たちは、かえって日の出と日没、満ち潮と引き潮といった大きな自然のサイクルと一体化しているようにも感じられます。歴史的な建築物はターナーの風景画にしばしば描かれていますが、ランドマーク的な役割を果たすと共に、長い時間を経ることで自然と近しい崇高さを感じさせます。壮麗な日没のもと、防砦が機能していた時代から繰り返されてきたであろう人々の営みに時を超えた永遠性を感じる作品だと思います。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」(1863~68年頃)

…長く豊かな赤い髪を下ろして胸を露わにしたヴィーナス。ロセッティの「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」はバラやリンゴよりも赤いヴィーナスの艶やかな唇が官能的な作品です。奥行きのない平坦な画面一杯にバラとスイカズラが咲き誇り、ヴィーナスの上半身を取り巻いていますが、舞い飛ぶ蝶が引き寄せられているのは花ではなくヴィーナスが手に持つ林檎や矢、あるいはヴィーナス自身です。蝶はプシュケー、すなわち魂であり、ヴィーナスの魔力に囚われて愛にさまよっているのでしょう。ヴィーナスの背後では青い小鳥が桑の実を啄んでいますが、桑の実は「ロミオとジュリエット」の元になったというギリシャ神話、ピュラモスとティスベの物語とも所縁があるそうで、悲恋を連想させる意味があるのかもしれません。ヴィーナスが手に持つ林檎はパリスの審判でヴィーナスが勝ち得た「黄金の林檎」で、今回出品されているバーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」にも描かれているものですが、同時にトロイ戦争の引き金ともなった「不和の林檎」でもあります。また、林檎にはおそらくエデンの園の善悪の実も重ね合わされていて、甘美な味わいだが取り返しのつかない運命をもたらす恋を象徴しているとも考えられます。見る者に禁断の果実を差し出す「魔性のヴィーナス」には誘惑するイヴでもあるのですが、一方でヴィーナスは聖母のような光輪を戴いていて、単なる悪女ではないことが分かります。ロセッティは愛の女神の持つ力によって、魂が囚われる苦悩と満たされる幸福との両面がもたらされることを表現しているのかもしれません。なお、スイカズラの花の緻密さとヴィーナスの肌や髪を描く柔らかな筆触とには違いが感じられるのですが、ロセッティはモデルを最初の街で見かけた女性から別の女性アレクサ・ワイルディングに変更し、さらにラスキンから粗雑だと批判された大胆で自由な描き方を描き直すなど、二度ほど大きく描き直しているそうです。

フレデリック・レイトン「母と子(サクランボ)」(1864~65年頃)

…「母と子(サクランボ)」は肘をついて枕にし、絨毯に寝そべる母親の口元にさくらんぼを差し出す子供の姿を描いたものです。母子像と言うと優しく子供を抱く慈愛に溢れた母親、あるいは家事に勤しみ、かいがいしく子供の面倒を見る母親といった姿を連想しますが、この作品では母親が一見怠惰にも見えるポーズで表現される一方、きまじめに母親の世話を焼く子供の姿が可愛らしいです。画面左側、部屋の奥には花瓶に差した大輪の百合が飾られていますが、百合というと聖母の象徴ですね。本作のタイトルであるサクランボも聖母に縁のあるモチーフで、イエスを身ごもったマリアが桜の園で夫のヨセフにサクランボを取って欲しいと頼んだところ、「お前に子を授けた人に取ってもらえば良い」と断わられてしまったというエピソードがあるのだそうです。マリアがもう一度同じ願いを繰り返すと、胎内のイエスが桜の木に声を掛け、桜の木が枝をたわませてくれたのでマリアはサクランボを食べることが出来たということですから、女性の手元のサクランボの枝はこのエピソードを暗示し、母の傍らにうずくまる幼い子供はイエスを象徴しているとも考えられます。もしかしたらこの女性は妊娠していて、横になって休む母を幼子がけなげに労っているのかもしれません。豪華な絨毯や鶴の描かれた金箔の屏風など東洋風の洗練された調度品によって優美に演出しつつ、母と子の絆を描いた作品だと思います。

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」(1881~82年)

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」では、画面左側に立つ木の幹の中から現れた女性が男性を抱き締めている姿が描かれています。女性はトラキアの王女ピュリスで、トロイ戦争から帰還する途上でトラキアに漂着したデーモポーンと結ばれます。しかし、デーモポーンは故郷であるアテナイに帰った後ピュリスを迎えに来なかったため、捨てられたことを嘆いたピュリスは自死しようとしたところ、哀れに思った神々によってアーモンドの木に変えられます。本作は後悔したデーモポーンがトラキアを訪れて、ピュリスの化身である木を抱き締めると、幹からピュリスが現れてデーモポーンを許したという場面を描いたものです。その割にデーモポーンの表情は強ばっていて、恋人と再会し、和解できて喜んでいるようには見えません。どちらかと言うとピュリスを拒絶して、デーモポーンを絡め取ろうとするアーモンドの枝から逃れようとしているようにさえ見えます。この作品に先だって、バーン=ジョーンズは1870年に同主題の水彩画「ピュリスとデーモポーン」を制作しているのですが、デーモポーンの性器が露わに描かれていることなどが批判され、画家は1877年まで公の展示から身を引くことになってしまいました。「ピュリスとデーモポーン」については図版で見た限りなのですが、構図は「赦しの樹」とほぼ同じでも、ピュリスを見返すデーモポーンの表情はより柔らかく、夢見るような陶然とした雰囲気が感じられます。実は「ピュリスとデーモポーン」の背景にはバーン=ジョーンズと女性彫刻家マリア=ザンバコとの恋があるそうです。道ならぬ関係は1869年、マリアによる無理心中未遂事件に至って破局し、バーン=ジョーンズは妻子を選んだのですが、マリアの執着や激情に戦慄きつつも彼女を捨てたことに負い目を感じていたのでしょうし、無残に終わったとはいえ恋の思い出は甘美なものがあったのだろうとも思います。対する「赦しの樹」ですが、時間が経ったことでバーン=ジョーンズの気持ちが変化したのか、最初の作品が画家の私生活上のスキャンダルも含めて強い批判を受けた経緯があり、表現を変えることにしたのか、物語に個人的な思いが重ね合わされている当初の水彩画に比べると、本作はより普遍的にピュリスを魔性の女性、あるいは破滅的な運命そのものの象徴として描いているように感じます。バーン=ジョーンズは運命に魅入られる恐ろしさ、そして危険なものと知りつつのめり込んでしまう人間のさがのようなものを表現しているのかもしれません。

ケルムスコット・プレス「チョーサー作品集」(デザイン:エドワード・バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリス)(1896年)

ラスキンによって中世に憧れを抱き、職人たちの手仕事による生活空間の再現を目指したウィリアム・モリスは、1891年にケルムスコット・プレスを設立して美しいデザインの書物の制作にも取り組みました。とりわけバーン=ジョーンズが挿絵を担当し、字体や頁の欄外装飾などのデザインをモリスが手掛けた「チョーサー作品集」は、華麗な植物モチーフによる意匠で埋め尽くされ、使用する紙やインクにまでこだわった豪華な装飾本です。ここまで凝ったデザインの本は最早読むものというより装飾を眺めて楽しむものという感じですが、頁を開くだけで作品の世界が感じられて、書物それ自体が表現の一部とも言えそうで、持つ喜びを与えてくれる書物だとも思います。徹底してクオリティを追求したため当然ながら経費もかかり、庶民には手の届かない高価な本となったようですが、モリスは富裕層向けだけではなく、一般の家庭向けの安価な家具なども手掛けて販売しています。モリス商会で最もよく売れたというサセックス・チェアは黒檀調の木材の枠組みにイグサの座部を組み合わせたシンプルで素朴な家具ですが、背もたれや脚などの細部の形状にもさりげなく意識が行き届いています。また、モリスのデザインした布地や壁紙の反復するパターンを見ていると、ラスキンが型どおりに見える装飾模様の一つ一つに個性を見出していたことが思い出されます。ラスキンは批評家として、支援者として様々な芸術家に影響を与えていますが、モリスはラスキンの考えを最も具体的かつ身近な形で表現しているように思います。美の理念が作品の中だけで完結せずに実用の品を通じて実践される、いわば生きた状態で伝えられ、人々に普及されることが装飾芸術の力と言えるのかもしれません。

青山昌文『芸術は世界の力である』 感想

…展覧会の感想ではないのですが、面白そうだなと思って最近読んだ本の概要と感想です。

…青山昌文氏は放送大学の教授で、『芸術は世界の力である』は放送大学の講義に使われる印刷教材の一部を全面的に改稿し、取り上げる作品の多くも新たなものに差し替えて執筆したものだそうです。放送大学の印刷教材は図版がないのですが、こちらは一般の読者も想定した書籍で、本文中に取り上げられる作品が口絵にカラーで掲載されています。目次は下記の通りです。
 第1章 《ヴィーナスの誕生》に魅せられて
 第2章 システィーナ天井画のスーパーパワー
 第3章 《アテネの学堂》と《パルナッソス》の深い意味
 第4章 《ポンパドゥール夫人肖像画》のあでやかさ
 第5章 《食前の祈り》の深い静けさ
 第6章 《サン・マルコ広場:南を望む》の素晴らしさ
 第7章 《リュート弾き》の幻惑的な迫真性
 第8章 《ミロのヴィーナス》のセクシュアルなたたずまい
 第9章 パルテノン神殿のたおやかな肉体性

…青山氏は、芸術は「世界」の表現であり、人間の主観を超える大きく高い存在であると述べています。これには二つの面があります。一つ目は、芸術はそれを作り出す人間の主観を超える存在であるということ。芸術家は自分自身の中に芸術の源を持ってはいるのではなく、「何か凄いあるもの」に遭遇してそれから力を受け取り、その力を作品の内に込める。それによって作品が力を持ち始め、その力によって芸術作品を味わう人が動かされ感動するのだということです。青山氏は上述の「何か凄いあるもの」を「世界」と呼び、芸術は芸術家の内面の自己表現ではなく、作品に描かれている存在の本質とともに、その存在が生きている社会の本質を表現するものであるとしています。私自身の経験を振り返ってみると、これまで見た印象深い多くの作品の中で、「世界」が表現されていると感じた作品としてすぐに思い浮かぶのはピーテル・ブリューゲル1世の《バベルの塔》(2017年、東京都美術館)なのですが、そうしたものが表現されている作品が優れた作品なのですね。

…もう一つは、それを見る人間の主観を超える存在であるということ。芸術とは、それを見る人が自分の主観で感性的に心地良いか良くないかを決めてしまうことで、その美を断定出来てしまうような、人間の勝手になる小さな存在ではなく、美の魅力を味わうには、芸術作品がどのような原理によって生み出されているのかという知識が必要であり、芸術作品が発しているパワーを受け止める体勢を整えておく必要がある。素晴らしいものは本格的なものであり、謙虚さと敬意を持って知ろうとする努力が欠かせない、手軽には手に入らないということです。一目見ただけですごいと感じる作品もありますが、中にはよく分からなかったり、困惑したりする場合もあります。でも、自分の知識不足で分からないというのは勿体ないですし、むしろ分からない作品に出会ったときこそ新たな世界が広がるきっかけになるかもしれません。やはり見る側も努力が必要なんですね。こうして芸術家と鑑賞者の両者の条件が整うことで、私たちは作品に込められた世界の根源的なパワーによって今までとは別の次元に運ばれてゆく経験ができるのであり、芸術は世界の力であると言えるのだそうです。

…青山氏の意見の背景には、芸術とは画家の自己表現であり、作品の価値判断は見る人の主観によるとするような近代以降の通俗的な主観主義、自己中心主義への批判があります。画家の「主観」が入り込んでいるから良い、画家が画面構成を「主体的に」考えて対象を画家の立場から「再構成」している点で画家の「個性の表現」となっているから芸術であるとする考え方に対して、青山氏は少なくとも18世紀までの古典芸術には当てはまらない、最も正統的なあるべき絵画の姿とは、存在の本質が表現されていて「あたかも、そこに、そのものが存在しているという感覚を、強くあたえる力を持っている」ことだと述べています。また、芸術は実在にかかわるものであるが故に実在の諸性質を帯びるのであり、(主観が捉えた対象ではなく)実在に深い関心をもつことが芸術に深い関心を持ち、芸術に心を動かされることにつながるとしています。「感想」という当ブログのタイトルそのものがもう主観なので、言葉もないのですが…。芸術作品について、思ったことを自由に言ったり書いたりしなさい、というのは一見芸術に対する敷居を低くするようですが、何の手がかりもない状態では何を見たら良いのか、どう感じたら良いのか戸惑うのではないかとも思いますし、芸術を味わうならやはりそのための知識が必要だと思います。また、私もほとんど無意識に画家の主観や個性が作品に反映されていることを良しと判断してしまいがちなので、特に古典芸術を見るときは注意しなければと思いましたし、何より自分が無意識の先入観を持っていること、何気ない感覚や印象も、そうした先入観に左右されている場合があることを意識しなければと思いました。一方で、私は19世紀以降の芸術作品も好きなのですが、青山氏は19世紀以降の美術についてどのように考えているのか知りたいとも思いました。

…本書の中で解説されている作家・作品のうち、特に興味深かったのがカナレット(アントーニオ・カナール)と《ミロのヴィーナス》です。カナレットは「多くの場合、一枚の絵を描くにあたって、二つ以上の視点の異なるデッサンを統合している」そうですが、「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(2018年、国立新美術館)で(本書とは異なる作品ですが)作品を目にしたときは分からなかったんですよね。複数の視点からなる景観をそれと分からないほど自然に一点透視画法によって統合し、現実には一目では見渡せないような広々と遙か遠くまで見渡せる景観を一つの画面に実現している、いわば現実に基づきながら現実を超えているのがカナレットの作品のすごさなのだそうです。有限な視覚を超越したパースペクティブは、生粋のヴェネツィア人だったカナレットの脳裏に蓄積された愛する都市の最も美しい姿の結晶と言えるのかもしれません。

…《ミロのヴィーナス》については、「《ミロのヴィーナス》のセクシュアルなたたずまい」という章題にまず意表を突かれます。実はこの像の女神は衣服が落ちそうなのを両足で挟んでとどめている「人間的な」ポーズをしていて、神の威厳を感じさせる古代ギリシャの古典期に作られた堂々たる裸体像とは決定的に異なっているのだそうです。言われてみればその通りなのですが、芸術作品に対して生々しい性的な魅力を感じたとしても、通常はそこにとどまらずにより奥深いテーマ、目的を探ることが大事だからとあえて気に留めることはなく、そのため逆に見落としていたことに気づかされました。実は《ミロのヴィーナス》が作られたのはギリシャ文明の基礎であったポリスが根底から崩壊したヘレニズム時代で、セクシュアリティはポリスや神々といったギリシャ文明の本質的な理念が失われた後の普遍性の一つとして芸術作品の前面に現れるようになったのであり、女神の姿にはそうした当時の社会の本質が表現されているのだそうです。本書第8章では《ミロのヴィーナス》と共に《うずくまるアプロディーテー》が取り上げられていて、ルーベンス展(2018年、国立西洋美術館)でいくつも目にした、我が身を庇い隠すようでいて、その豊満さをあえて強調するように身体をひねった独特のポーズの女性像を思い出しました。ルーベンスはイタリア滞在中に古代彫刻を数々目にしたことと思いますが、作品の持つ魅力の本質を正確に見抜いていたのでしょう。ルーベンスは画家としては言うまでもないのですが、作品を見る目も鋭く優れていたのだと思いました。

ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代 感想

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見どころ

…「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ――ピュリスムの時代」展は、ル・コルビュジエ、すなわちシャルル=エドゥアール・ジャンヌレが建築家としての地位を確立する以前の、第一次世界大戦後から1920年代の活動に焦点を当てたものです。出品作はル・コルビュジエ、及び共にピュリスムの運動を担ったアメデ・オザンファンの絵画作品が中心で、ル・コルビュジエの建築作品やキュビスムとの関わりにも触れながら紹介されています。
…美は感覚的なもので、ある作品・ある作家特有のもの、一般化できないオリジナリティに価値があるというイメージを持っていたのですが、ピュリスムは例えば構図の決定に当たって規整線を用いたり、作品のサイズも数学と生理学の根拠に基づいて決めていたりと、美は科学と同様に法則に基づくものだから普遍的なものという考え方をしているところが興味深かったです。ピュリスムの理念は「幾何学的秩序に支えられた芸術」ですが、儚く移ろう表面の美ではなく、根本的で確固とした真理、存在の核となるような確固とした真理を求めるのは西洋的だなと思いますし、その核となるものがキリスト教ではなく科学という点は近代的な発想だとも思います。
…シャルル=エドゥアール・ジャンヌレは本名よりもル・コルビュジエというペンネームで知られているのですが、これは盟友であったオザンファンから本名は絵画作品や美学の論文のために使い、建築に関する論文を発表する際はペンネームを使うよう勧められたことがきっかけなのだそうです。オザンファンは絵画こそ最も自由な創造であるという考えを持っていて、オザンファンを尊敬していたジャンヌレはその提案に乗ったのでしょう。しかし、1928年以降、ジャンヌレは絵画作品にもペンネームのル・コルビュジエでサインするようになっていきます。オザンファンと決別して、作品もピュリスムの理念から離れたことなどが理由なのでしょうが、ル・コルビュジエというペンネームと共に築いた自身の世界や建築家としてのキャリアへの自負も感じられます。ピュリスムの時代はジャンヌレがル・コルビュジエとして生まれ、成長していく過程と言えるのかもしれません。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午前中でしたが、入場待ちはなくスムーズで、作品をじっくり見ることが出来ました。会場はいつもの地下の企画展示室ではなく常設展の展示室で、ル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の空間を実際に体験しながら作品を鑑賞することができるようになっています。展示解説は少なめでした。特別展の所要時間は90分でしたが、そのまま常設展の展示室に続いているので2時間は時間があるといいですね。

概要

【会期】

 2019年2月19日~5月19日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

1 ピュリスムの誕生
2 キュビスムとの対峙
3 ピュリスムの頂点と終幕
4 ピュリスム以降のル・コルビュジエ
ピュリスムの活動を担ったのはジャンヌレとオザンファンの二人で、出品作はジャンヌレの油彩画が17点、オザンファンが12点。そのほとんどが静物画ですが、ピュリスムは瓶やグラスなどの日用品やギターなどの楽器を人間の手の延長と見做し、長い年月を経て合理的な形に行き着いたもので、純粋で標準化された形態の美があると考えていたそうです。また、各章ごとに、該当する時期にル・コルビュジエが設計を手掛けた建築の設計図や模型、家具などが展示されていました。その他、ピュリスムキュビスムを批判的しつつ、その影響を大きく受けているため、キュビスムの絵画・彫刻も展示されていて、特にフアン・グリスや、ピュリスムの理念に賛同して雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』にも参加したフェルナン・レジェの出品数が多くなっています。

lecorbusier2019.jp

感想

シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)

ピュリスム初期の作品は比較的すっきりとして、分かりやすい印象です。明晰さや古典的秩序を理念とするピュリスムは、キュビスムが対象を解体したことを批判しつつ、キュビスム以前のリアリズムにも戻ることなく対象を三次元の立体として捉えるため、対象の正面から見た姿と上から見た姿とを結合させて描いているそうです。この時期に描かれたシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ「積み重ねた皿のある静物」(1920年)では、横から見た積み重ねた皿がくびれのある円筒状に描かれていて目を引きます。皿の手前に描かれている波形の壁のような物体は開いた本を立てて置いてあるのでしょう。画面をほぼ二分割する黒い面は、ギターや本の載ったテーブルを上から描いていると同時に、白いガラス瓶が置かれたテーブルを真横から描いたものでもあります。この作品は上から見下ろした皿とギターのサウンドホールとを一致させているのが面白いのですが、陰影によって立体感が強調されているぽっかりと開いた黒い空洞は意外な深さを持っていて、ピュリスムの法則で構成されている画面においてはかえってそのリアルさが非現実で印象的でした。

アメデ・オザンファン「和音」(1922年)

キュビスムの批判から出発したピュリスムですが、ドイツ人画商ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーのコレクションの競売でピカソやブラックらの作品に接したジャンヌレとオザンファンは認識を改め、キュビスムの手法を作品に取り入れるようになります。その結果、ピュリスムの作品は初期に比べて複雑で洗練されたものに変化していきました。アメデ・オザンファン「和音」(1922年)では灰色の水差しのS字形のカーブが瓶やギターの輪郭線も兼ねていますが、複数の対象を同一の輪郭線によって結合するこうした手法は、フアン・グリスの作品の影響を受けているそうです。また、手前のモチーフを透過して背後に重なるモチーフが見えているのもキュビスムからの影響の一つで、ジャンヌレ「多数のオブジェのある静物」ではより顕著にその手法が用いられ、解読が困難なほど重層的になっています。オザンファンはモチーフ同士が結びつき重なり合うことで構築された画面を、複数の音が結びつくことで新たな響きを生み出す和音になぞらえたのでしょうか。一方で、平面と正面を組み合わせることで立体感を生み出す以前の手法は、上から見た白いテーブルと側面から見た波打つクロスにその名残が見られる程度です。あらゆるモチーフが重なり合い、パズルのピースのように互いにはめ込まれていますが、唯一立体的に描かれた灰色の水差しのみが透き通ることなく姿を保っています。また、ギターのネックと白いカラフの間には中身の入った瓶があるようなのですが、黒い背景と一体化したシルエットのみで表現されています。「グラスとパイプのある静物」などピュリスム初期のオザンファンの作品では、三次元の対象とその対象を二次元に写し取った影との関係性への拘りが見受けられるのですが、ここでは二次元の影が三次元の実体に取って代わったかのようにも感じられます。この時期のピュリスムの関心は個々のモチーフの立体感より、画面全体における空間表現の方法へ移っていると言えるかもしれません。

フェルナン・レジェ「二人の女と静物」(1920年)、「横顔のあるコンポジション」(1926年)

…この展覧会ではキュビスムの作品も多数出品されていますが、個人的にはフェルナン・レジェの作品が印象に残りました。他のキュビスムの絵画作品には静物画が多いのに比べてレジェの場合は「2人の女と静物」などしばしば人物が登場し、情景が描かれています。また、その人物像は金属のような光沢のある色彩で、球や円筒などを組み合わせたユニークな姿をしています。ル・コルビュジエは「住む機械」を掲げて住居や家具を機能的で画一的に設計しましたが、レジェは周りの環境ではなく人間自身を機械のように描写しているんですね。レジェは機械や科学の発展を楽観的に捉えていたそうなので、時代と共に進歩する新しい人間像を表現したかったのかもしれません。キュビスムの作家であるフアン・グリスは「私は一般的な物から個別的なものへ向かう、つまり、抽象から出発して、現実の事象に達する」と述べていますが、レジェの場合は純粋な色彩、線、形という絵画の3つの要素の「コントラスト」によって現代生活の実感を表現したいという考えを持っていたそうです。他の作家に比べてレジェの作品が直感的で分かりやすいと感じるのは、理念ではなく実感を元に表現しているためかもしれません。レジェは一時期ピュリスムの活動にも参加しますが、その後「バレエ・メカニック」という映像作品を手掛けたことがきっかけにさらに作風を変化させています。「横顔のあるコンポジション」では画面の中に統一的な空間が存在せず、人物の横顔、文字の一部、何かの部品のようなモチーフがそれぞれランダムに並列されていますが、重要なこともそうでないことも優劣なく、脈絡のない雑多な情報が溢れてスピーディーに流れていく大衆社会の感覚そのものを表現しているように思いました。

エスプリ・ヌーヴォー館」(1925年)

…1925年にパリ国際装飾芸術博覧会(通称アール・デコ博覧会)で発表されたピュリスムのパヴィリオン「エスプリ・ヌーヴォー館」は、規格化と大量生産の原理に基づいて建築空間から家具や食器に至るまで装飾性を排除したものでした。世界が注目する舞台で自分たちの理念を具現化して広めようと考えたのでしょうが、装飾芸術をテーマとする博覧会で装飾芸術を否定した展示を発表するという戦略はなかなか大胆です。一方で、簡素で機能的なパヴィリオンにはピュリスムキュビスムの絵画・彫刻作品など「魂の不朽の表現」である純粋芸術が展示されました。展覧会で作品を見ていると、つい一つ一つの作品に集中して画面の中にばかり気を取られてしまうのですが、実際に作品が展示されたパヴィリオンの写真を見ると、単体で見ているときは奇抜に思えるキュビスムピュリスムの作品が建築空間によく馴染んでいて、確かに共通の美意識があることが感じられます。ピュリスムの結実である「エスプリ・ヌーヴォー館」ですが、ル・コルビュジエの強引な進め方にオザンファンが反発して、既に関係が悪化していた両者は決裂し、ピュリスムの運動も幕を閉じることになりました。

ル・コルビュジエ灯台のそばの昼食」(1928年)

…1925年にピュリスムの運動が終焉を迎えたあと、ル・コルビュジエは絵画制作を個人的な活動に位置づけて展覧会にも出品しなくなりますが(再び作品を公開するようになるのは1938年)、絵画の制作自体は造形の着想を引き出すための考察と実験の場として日常的に継続しています。「灯台のそばの昼食」(1928年)はピュリスムの時代と同様に静物画ですが、何より色彩の軽さ、明るさが印象的です。ピュリスムの理念においては人間の普遍的な意識に働きかける幾何学的形態を優先し、個人的、二次的な感覚に訴える色彩は形態に従属すべきであるとされ、色彩はさらに「主要な色階」、「力動的な色階」、「移行的な色階」に分類されていました。そうした法則から解放されて、ル・コルビュジエは自分なりの色のこつを掴んだと手紙に記していますが、この作品はピンクやベージュといった人の肌を思わせる色調が全体の柔らかく優しい雰囲気を生み出しているように感じます。モチーフには見慣れたグラスなどと共に手袋や貝殻など「詩的感情を喚起するオブジェ」が新たに取り入れられ、かつての画一的で幾何学的な形体ではなく、フリーハンドによる有機的な曲線で描かれています。テーブルの背景には岬に灯台の立つ風景が描かれていますが、通常、遠景は近景の上に描かれるのに対して、この作品ではテーブルの下から見えているという逆転が面白いですね。一般的な遠近感が通用しない画面構成によって、テーブルや食器類と灯台など屋外の風景とのサイズが逆転しているようにも感じられます。あるいは、画面を水平に横切るテーブルを地平線に見立てて、山や川や樹のようにオブジェを卓上に並べることで、ル・コルビュジエは家庭の小さな卓上が自然に匹敵しうる眺めと広がりを持ちうることを示唆しているのかもしれません。ところで、ピュリスムの作品において瓶やグラスは何度となく繰り返し描かれていますが、すっきりと無駄のないフォルムがピュリスムの理念に相応しいものであるために造形上適した要素として用いられていたのであって、食に要する道具としての意味はなかったように思います。しかし、この作品ではタイトル及びモチーフの配置において、食事の道具という本来の意味が回復しています。食は生命の維持に欠かせない行為であり、ル・コルビュジエの関心が、近代的な生活から自然や生命といった根源的なものに移行していることが反映しているようにも思われます。また、脱いだあとの半分裏返った手袋は、他のモチーフと異なり立体感がなく背景の空と同じ色で描かれています。ピュリスムは日用品を人間の手の延長と見做して、その合理的な形態を評価していたのですが、いまや手は抜け殻となり、人の手から離れたオブジェは自由を得たとも考えることもできそうです。一方で、この手袋の指と思われる部分は不思議な形をしていて、地平線から宙にはみ出した雲のようにも羽のようにも見えます。オブジェだけでなく、それらを使う手もまた機能性、経済性といった合理主義のみを追及することから解放されて、新たな美を生み出す自由を手に入れたのかもしれません。