展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

怖い絵展

会場
上野の森美術館
会期
…2017年10月7日~12月17日

 

 

感想

「怖い絵」とは

…展覧会のテーマというと、特定の画家やグループを取り上げたり、風景画・人物画といったジャンルであったり美術館を代表する作品群であったり…というのが一般的でしょうか。「怖い絵」という括りは主観的な基準のためかあまり聞かないので、新鮮に感じて見に行きました。
…「怖い絵」展はドイツ文学者である中野京子氏の著作「怖い絵」の出版10周年を記念したものだそうです。シリーズのうちの一冊を事前に拝読したのですが、一見よく整った名画に込められた歴史のドラマや人間模様について興味深く解説されていました。事情を踏まえて改めて作品を見ると、ぼんやり見過ごしていた細かな描写の意味に気付かされて理解が深まりますね。出品数は83点。18~19世紀のイギリス、フランスの作品が中心で、ロマン主義象徴主義の作品が多いようです。展示構成は下記のとおりです。
第1章 神話と聖書
第2章 悪魔、地獄、怪物
第3章 異界と幻視
第4章 現実
第5章 崇高の風景
第6章 歴史

オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」

…ウォーターハウス「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」は「オデュッセイア」の一場面です。オデュッセウスを冷ややかに見下ろし、挑むように杯を差し出す魔女キルケー。彼女は自分の島に入り込んだ男たちを動物に変えてしまう恐ろしい魔女ですが、剥き出しの腕にかかった一房の髪や薄く開いた赤い唇、身体の線も露わな衣装からは肌の色が透けて見えてなかなか扇情的です。もし、魔女がいかにも恐ろしい容貌であれば警戒して誰も杯を受け取ったりしないわけで、魅力的な姿で誘うからこそ罠に嵌まるのでしょう。玉座に腰掛け、光背のような鏡で縁取られている魔女の姿は男たちとは別種の力で君臨する女王にも見えます。男たちを動物に変えてしまうという彼女の魔術も、美貌と官能で彼らの理性を奪うことの暗喩とも考えられますし、画家は物語の一場面を描きつつ、女性の抗いがたい魔力を描いているのかもしれません。

「手袋」

マックス・クリンガー「手袋」は、ローラースケートのリンクで拾った婦人の手袋をきっかけに紡がれる、男の奇妙な夢の世界を描いた版画集です。クリンガーのエッチングは線が細くて柔らかい印象ですね。第2葉「行為」は現実のスケートリンクの場面ですが、こちらに背を向けて滑っている女性の身体の傾き方には白昼夢のような浮遊感があります。第3葉「願望」ではまだ小さく描かれていた持ち主の女性ですが、その存在が遠ざかるにつれ、手袋が馬車の手綱をとる「凱旋」や、祭壇に見立てた岩の上に手袋が置かれている「敬意」など幻想的な世界が繰り広げられます。しかし同時に、ただのモノであるはずの手袋の存在が次第に膨れ上がり、飲み込まれてしまいそうな不安感も漂っています。この閉じた夢の世界に突然入り込んできて、手袋を攫っていった怪物の正体は何でしょうね。言葉によるストーリーの説明はありませんが、想像力を刺激するイメージに満ちていて、シュールな世界につい引き込まれてしまうシリーズだと思いました。

「ドルバダーン城」

ターナー「ドルバダーン城」は実際のウェールズの風景の中に、画家が目にしてはいない史実が描きこまれています。上空には陽光が見えるものの不穏な雲が湧き、明るく照らされた岩肌と対照的に、手前の切り立った渓谷には暗い影が落ちています。よく見ると湖岸を行く小さな人影が描かれていますが、これはターナーがこの作品に付した詩で言及されている中世ウェールズの王族・オーウェンと考えられています。逆光の中浮かび上がるドルバダーン城のシルエットは、弟との政争に敗れたオーウェンの前に立ちはだかる運命そのもののようです。しかし、この作品の真の主役は人間のドラマではなく、描かれた荒涼たる自然、そしてその中心に座す城の廃墟でしょう。こうした廃墟や荒々しい自然にはある種の近寄りがたさがあり、人間の手が届かないものへの畏怖と崇敬をかき立てるのだと思います。ウォーターハウスのキルケーが美しいけれど恐ろしいものを描いているなら、恐ろしさを極めたら美しかったという逆向きのベクトルが崇高の風景なのかもしれません。

「死と乙女」、「マドンナ」、「森へ」

…「死と乙女」は若さや美しさが永遠のものではないことを戒める伝統的な図像ですが、ムンクの作品では若い女性が骸骨=束の間の生命を祝福しているように見えます。「マドンナ」の闇から浮かび上がる仄白い裸体は儚げで亡霊のようですが、同時になまめかしく官能的です。「森へ」は互いの腰に腕を回した恋人たちが、見る者に背を向け暗い森へ歩いて行こうとしている作品です。やはり女性は裸体ですが、女性は自然や、あるいは彼岸の世界とも通じる存在として描かれているのかもしれません。森へ向かうことが男性にとって死を意味するとしても、女性という彼岸と此岸の媒介者を得ることで、死を超えた世界に回帰するのでしょう。いずれも死の気配を濃厚に漂わせつつ、個体の生命は有限であっても、女性が出産することで永遠に生命は繋がっていく、そうした生と死の循環が描かれているように思います。

「レディ・ジェーン・グレイの処刑」

…この展覧会のメインとなるドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」は会場の最後のコーナーにありました。実物は思った以上に大きな作品でした。中央に描かれているジェーンは16世紀イングランドの実在の人物で、王位継承争いでメアリー1世に敗れて処刑されてしまいます。このときわずか16歳。ジェーンの襟元がはだけているのは首筋に当たった刃が滑らないようにするためでしょう。斧を携えた処刑人、失神して座り込んでいる侍女、少女を促す聖職者。人物の配置のためか、血飛沫を浴びそうな舞台の最前列からこの場面を目撃するような錯覚を覚えます。ジェーンは目隠しされているため表情が窺えません。残酷な処刑に怯えているのか、嵐のような政変の渦中にあって呆然としているのか、あるいは従容と運命を受け入れているのか、それは見る側の解釈に委ねられています。この作品は一度洪水によって破損したものと思われたのち、奇跡的に無傷で発見され、公開されて大変な人気を集めたそうです。ドラマチックとは言え血なまぐさい主題なだけに不思議な気もするのですが、たぶんグイド・レーニ作と伝えられる「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」の人気と通じるものがあるのでしょう。運命に翻弄され、悲劇的な最後を遂げた薄幸の美少女は、国や時代を問わず人々の感情、そして画家の想像力を大いに揺さぶるのだと思います。

まとめ、その他

…出品された作品を振り返ってみて、私が一番怖かったのはフューズリの「オイディプス」でした。虚ろなはずの眼窩から威圧されるような強烈な視線を感じて、展覧会の冒頭から引き込まれました。
…私が行った日は天気が悪かったので、それほど混雑していないのではないかと期待していたのですが、会場に着くと行列ができていて予想が甘かったと反省しました。私はチケットは持っていたのですが、30分の入場待ち。会場内では動くことはできたものの、絵の前まで行くのは難しく、列の後ろから眺めるのが精一杯でした。美術館を出るときは入場待ちもチケット購入もさらに列が伸びていました。すごい人気ですね。時間の余裕を持って見に行くことをお勧めします。会場では作品を見ることに集中して、解説は図録でゆっくり読むほうがいいかもしれません。ミュージアムショップで販売されているポストカードにも解説が書かれているので、それを購入するのも良いと思います。

(2017年10月14日(土))