展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

オットー・ネーベル展

会場
Bunkamura ザ・ミュージアム
日にち
…2017年10月7日(土)
会期
…2017年10月7日~12月17日
感想
…オットー・ネーベルはドイツ出身のスイスの画家で、日本で回顧展が開かれるのは初めてだそうです。私もこれまで名前を知りませんでしたが、リーフレットに用いられていた作品、特にその色合いの美しさに惹かれるものがあって予備知識ゼロにもかかわらず見に行きました。実際に作品を目にして、極めて緻密に線や点を重ねて微妙なニュアンスのある色合いが生み出されていること、作品により質感がこってりとしていたりざらざらしていたりと違っていて面白いこと、一つ一つがきっちりと完全に仕上げられていて、即興的ではなく考え抜かれて作り上げられていることが分かりました。専門家の方がネーベルの作品を堅牢、と評されていましたが、まさに建築物のように堅牢な画風です。
…ネーベルの作品は色彩のバランスが優れていて、色の組み合わせが自在でありながら目に心地よく感じます。また、例えば同じ青色でも「聖母の月と共に」の海の底のような穏やかで深い青緑色、青白い月光が差し込んでいるような静謐さを感じる「青い広間」、「トスカーナの町」の明るく澄んだ空を思わせる軽快な空色と多彩で、その色ごとの趣があります。そうした色彩は微細な線や点の集積から成っています。「夕暮れる」では画面を埋める青や緑やピンクの細い斜めの線(ハッチング)によって、バラ色に染まった風景と海辺の町の陰りを描いています。混色して塗り潰していないため、色彩に揺らぎがあるのに透明感が感じられるのでしょうね。
…また、ネーベルの作品では多様な画材が使われています。油彩、グアッシュ、テンペラと、あくまで私の印象ですが、他の画家の場合はメインとなるものがある程度はっきりしているのに比べて、ネーベルは万遍なくバラエティに富んでいるように思います。「啓示されたもの」という作品を会場で見たとき、背景の暗い地から赤みを帯びた色が透けてきらきら輝いていたので、どうしてだろうと思ったら金箔が使われていました。あらゆる材料を使いこなし、求める効果を得るための工夫を欠かさない姿勢からは、関心の広さや徹底した仕事ぶりが窺われます。
…個人的には「建築的景観」や「大聖堂の絵」、「千の眺めの町」といった作品に興味を惹かれました。「建築的景観」は一種の風景画と言っていいのでしょうか、実景に忠実に描くのではなく、屋根や壁など建物を形作る線や面が抽出されて再構成されているのですが、脳裏に浮かぶ残像のような不思議な既視感があります。ネーベルは若い頃建築技術を学んでいたそうで、たとえば海辺を描くとしても、前景・中景とも町並で、海は建物の屋根越しに見える水平線であったりと、建築物への強い関心が窺われます。
…ネーベルはイタリアに旅行した際、各都市の光と色彩の特徴をカタログ化した「色彩地図帳」を作成します。光と色彩というと、私は印象派が頭に浮かぶのですが、印象派の場合、目(感覚)と光(色彩)と対象は同一の次元に存在していて、目に見えるままをキャンバスに写し取ることを追及していました。これに対して、ネーベルの色彩は感覚を媒介に抽出された観念的なもので、対象とは異なる次元にあるようです。「色彩地図帳」は、まだ現実のイタリアの都市という対象と結びついていますが、後年のネーベルの色彩は対象から解き放たれて、画家の精神と直接結びついたものになっていきます。
…西洋絵画は、特に近代以前の作品の場合、何が描かれているのか理解するのにしばしば聖書や神話の知識が必要になります。逆に言えば、そうした知識を手がかりに描かれた物語を読み取り、作品を味わうことが可能でもあります。しかし、描かれた内容ではなく作品そのものに価値がある、対象ではなく色や形自体の美しさを表現したい、それを突き詰めると対象そのものが画面から消失するのでしょう。ネーベルはルーン文字易経アラビア文字なども作品に取り入れていますが、一種謎めいた文字や記号に形象の担う象徴性や、音と形の神秘的な結合などを新鮮な感覚で見出したのだと思います。ネーベルの作品はそうした形や色彩に対する画家の根源的な探求の足取りをとどめたものと言えるかもしれません。
…ネーベルは絵画に加えて建築、詩文、演劇とマルチの芸術家でもありました。ナチスによる前衛芸術排斥から逃れてスイスに移住したネーベルは、舞台俳優として収入を得ていた時期もあるため、スイスの少し前の世代には画家よりも俳優として知られていたそうです。
…ネーベルは同じようにスイスに逃れてきたパウル・クレーと家族ぐるみで親しく交流しています。当時の交流について記されたネーベルの日記からは十三歳年長の「マイスター・クレー」に対する親愛や尊敬の念と、画家としての自負が感じられます。苦しい境遇にあっても、意欲を失わずに制作が続けられたのは、互いに刺激し合う良き友人の存在も大きかったことでしょう。クレーやカンディンスキーは20世紀を代表する画家として広く名前を知られていますが、今回こうしてネーベルの名を知ることが出来て良かったと思います。
…会場内には十数分ほどの映像コーナーがあり、クレーとの交流に焦点を当てつつネーベルの作品や人柄を紹介していて、作品を見る上で参考になりました。音声ガイドはありません。また、作品保護のため会場内の温度がかなり低めです。色々な素材が使われていますから、中には傷みやすい作品もあるのでしょうね。係の方にお願いすればブランケットを借りることができますが(私も借りました)、予め羽織れるものを用意していくことをお勧めします。