展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

表現への情熱~カンディンスキー、ルオーと色の冒険者たち 感想

会場
パナソニック汐留ミュージアム
会期
…2017年10月17日~12月20日
感想

 

 

概要

…1871年生まれのルオーと1866年生まれのカンディンスキーは年齢が近く、活動した時期も重なっていますが、ルオーとの関わりでカンディンスキーの名前が上がる、あるいはその逆というのはあまり聞かない気がします。それぞれの画風についても、ルオーの場合は社会の片隅で生きる人々やキリスト教をテーマに扱った具象的な作品を描きましたが、カンディンスキーは「内的必然性」に従って色彩や形体を構成し、抽象的な作品を描いています。しかし、一見かけ離れている両者にも接点があります。この展覧会は、ルオーの作品と(カンディンスキーをはじめとする)ドイツ表現主義者たちの活動が相互に影響し合った時期に光を当てるもので、構成は下記の通りとなっています。
 第1章 カンディンスキーとルオーの交差点
 第2章 色の冒険者たちの共鳴
 第3章 カンディンスキー、クレー、ルオー~それぞれの飛翔
…ルオーの作品は主にパナソニック汐留ミュージアム及び個人蔵、カンディンスキー・クレーの作品は宮城県美術館の所蔵となっています。それぞれの充実したコレクションを持つ美術館同士が、「表現への情熱」を軸に、視点を入れ替えて作品を紹介するという企画も面白いですね。

ルオー「町外れ」「秋の夜景」他

…「町外れ」という作品では、灰色の暗い空とくすんだ建物が立ち並ぶ狭間に佇む親子が描かれています。ルオーが生まれ育ったパリ郊外のベルヴィル地区は、工場と集合住宅が立ち並ぶ労働者たちの町でした。ルオーは馴染み深い風景のなかで身を寄せ合っている親子の姿に、自身の記憶を重ねていたのでしょうか。この作品からはパリ市街の華やかさから程遠い町の路地にも、日々をひたむきに生きる人々の暮らし、確かな親子の絆があることが感じられます。ルオーはしばしば娼婦や道化師など、社会の片隅に埋もれて省みられることのない人々の姿を作品に留めました。「リュドミラ」はモデルが判然とせず、「マドレーヌ」は当時人気の女道化師を描いたものですが、ルオーは彼女らに聖人の名に相応しい、気高さや慈しみのようなものを見出したのでしょう。血の通った温かみを感じさせる色彩には、モデルたちに対するルオーの温かい感情がそのまま現れているように思います。「秋の夜景」は月明かりの風景の中にキリストと市井の人々の立ち交じる様子を描いています。手を差し伸べて道案内するキリストには宗教的なニュアンスがあるかもしれませんが、穏やかな佇まいは家路につく母子といつもの挨拶を交わしているかのようで、ありふれた夕暮れ時の風景に溶け込んでいます。遍く全てを照らす太陽の力強さに対して、月明かりに人を温めるほどの熱はありません。しかし、世界が完全な闇に包まれないように優しく寄り添う光は、神々しく近寄りがたい存在ではなく、ごく自然に人々の中にいるキリストの姿と重なると思います。社会の底辺にいる人々に聖人の名を付け、キリストのいる風景を劇的、奇跡的な場面ではなく日常の一場面のように描く…ルオーにとって、神聖なものはこの世のあらゆる場所にさりげなく存在していたのかも知れません。

カンディンスキー「商人たちの到着」他

…「商人たちの到着」はテンペラによる大作で、城壁越しにクーポルが見える都市の門から溢れた人の波が、積み荷を載せて到着した帆船の周りに集まっている様子を描いたものです。空と土手を彩るエメラルドグリーンを主にした色彩とノスタルジックな主題の調和が美しく、まるで絵本かおとぎ話の一場面のように見えます。緑が一際印象的で、人々が比較的軽装であるところを見ると、作中の季節は春から夏にかけてなのでしょうか。ロシアが冬の寒さの厳しい土地であることも踏まえて眺めると、商船の周りに集まる人々の浮き立つ気持ちも伝わってきそうです。私としては想像力をかき立てられる作品なのですが、実はカンディンスキーはかなり早い時期から絵というのは単に美しい風景とか、人物の描写とは別のものではないかという考えを抱いていて、自分が傾倒していた色彩を自由に使う口実として、中世のドイツや古きロシアの風俗に取材したモチーフを用いていたのだそうです*1。一方で、図録ではカンディンスキーモスクワ大学在学中にロシアの民衆芸術に強い感銘を受けていて、この作品には故郷への憧憬がこめられていると解説されているので、専門家によって見方が違うのかもしれませんね。ところで、この作品は下地に黒を使っているそうです。ガッシュで描かれた「夕暮」も同じ方法で、より分かりやすいですね。カンディンスキーは「黒に比べれば、他のどんな色も、最も弱い響きしか持っていない色でさえも、ずっと強く、はるかに明確な響きを持っている」と考えていたそうです。何色にも染まらない黒が弱い、というのは意外な気がします。一方で、カンディンスキーにとって黒と白は生と死を象徴する豊かな色彩でもありました。黒が線描や明暗を超えてそれ自体で豊かな表情を持ちうることは、私も先日見たヴァロットンの木版画などで感じていたのですが、色彩について深く考察したカンディンスキーだからこそ、黒/白も「色として」取り扱ったのかもしれません。「白いガッシュ」や「素描8」など、カンディンスキーの素描にはかつての初期作品と同じように黒い地色を用いた作品が見られますが、画風は大きく変わっても、カンディンスキーの中で働く色彩感覚には一貫したものがあったのだろうと思います。

クレー「橋の傍らの三軒の家」他

…「樹上の処女」はクレーの初期作品ですが、シャープでシュールな印象のエッチングです。奇怪に捻れて歪んだ木、そして女性の身体からは、やり場のない苛立ちのようなものも感じられます。線描が緻密な分、グロテスクさもより際立つんですね。私は概ね画風が確立して以降のクレーの作品しか知らなかったので、こういう作品も作っていたのかと驚きました。「橋の傍らの三軒の家」はオレンジとブルーという相反する色が響き合う作品です。細部を捨象して幾何学的に再構成された家や橋。暗い空に浮かぶ半円や三日月は月の満ち欠けを表しているようにも思えるのですが、もしそうなら、一枚の作品の中に複数の時間が存在しているのかもしれませんね。堅固なはずの建築物が、透明感のある温かい色彩と冷たい色彩の間で陽炎のように揺らいで見える幻想的な風景だと思います。ドイツ表現主義は補色による強烈な表現の多用によって激しい感情を表現しようとしたそうですが、クレーについては、今回出品された作品を見た限り、どちらかというと線に感情が現れていて、色彩は理論的に選択されている印象を受けました。

ドイツ表現主義の画家たち

…ハインリヒ・カンペンドンク「少女と白鳥」は極彩色の森の中で、白鳥に向かって手を差し伸べる少女を描いた作品です。褐色の肌をした黒髪の少女はゴーギャンの描いたタヒチの女性を思い起こさせますね。ドイツ表現主義のうち「ブリュッケ」というグループの画家たちは、近代文明から離れた自然への回帰を志向して、プリミティヴな風景や解放された人間としてのヌードをモチーフに作品を描いたそうです。木が生い茂り、生き物たちを育む豊かな森、その主であるかのような白鳥は自然の象徴であり、聡明な瞳をした少女は自然と調和して生きる人間の姿を表現しているのでしょうか。「少女と白鳥」を見て私は最初にギリシャ神話のレダと白鳥を連想したのですが、この作品からは官能よりも自然との一体感が感じられると思います。マックス・ペヒシュタイン「帆船」は白波が立つ海に浮かぶ船を描いています。場所はどこかの港、あるいは入り江でしょうか、係留されている船が何艘も荒れる波に揉まれ、前景では木の枝が強い風にしなっています。空も海も群青色、青緑色に覆われて嵐のただ中にあり、船上で奮闘する小さな人影にのみ赤い色が使われています。嵐の海はそれだけで劇的な主題ですが、もしかしたら画家は心の中の激しい感情を重ねているのかもしれません。しかし、画面左の水平線付近は明るく黄色みを帯びて、光の差し込む晴れ間も見えています。嵐の終わり、希望も見えているのでしょう。太く力強い線と、少ない色数を効果的に用いて遠くからでも視線を捉え、見終わった後も目の中に残像が残るような作品だと思います。
(2017年12月9日)

*1:宮城県美術館HP所蔵作品紹介