展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ルーヴル美術館展 肖像芸術―人は人をどう表現してきたか 感想

見どころ

…この展覧会は長い歴史を持つ人の似姿を描出した肖像芸術について、古代エジプト文明の遺物から近代の絵画・彫刻作品まで幅広く辿りながら、肖像の役割や芸術家たちの表現方法を探るものです。出品作は27年ぶりの来日となるヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」や、静物画であり寓意画でもあるアルチンボルドの「春」及び「秋」など、ルーヴル美術館の所蔵品112点によって構成されていて、多彩な肖像芸術を堪能できる内容となっています。
…人物を対象に描いた作品にも、歴史画・宗教画など物語性のある作品や親密な妻や恋人を描いた作品、団欒やレジャーなど日常生活における家族や友人を描いた作品と様々な種類があると思います。その中でも肖像は、モデルの一瞬の表情ではなく立場や人格なども表現し、本質を捉えることによって存在した証とする、作品とモデルとの緊密な結びつきが求められるジャンルと言えるでしょう。したがって、肖像はモデルを直接知る人にとってその人物に纏わる個人的な記憶や感情を呼び起こす拠り所となりますが、後世の人間が見る場合は、個別の人柄もさることながら、作品に表現された普遍的な人間性について感じ取ることになるのかもしれません。肖像画の醍醐味は極めて個人的でありながら同時に普遍的でもある両義性にあるのだろうと思います。

  

概要

会期

…2018年5月30日~9月3日

会場

国立新美術館

構成

 プロローグ マスク―肖像の起源
 1 記憶のための肖像
  1a 自身の像を神に捧げる―信心の証としての肖像
  1b 古代の葬礼肖像―故人の在りし日の面影をとどめる
  1c 近代の葬礼肖像―高貴さと英雄性
 2 権力の顔
  2a 男性の権力者―伝統の力
  幕間劇Ⅰ 持ち運ばれ、拡散する肖像―古代の硬貨から17世紀ムガル朝インドのミニアチュールまで
  2b 権威ある女性
  2c 精神の権威―詩人、文筆家、哲学者
  幕間劇Ⅱ 持ち運ばれ、拡散する肖像―フランス国王ルイ18世のミニアチュール・コレクション
 3 コードとモード
  3a 男性の肖像―伝統と刷新
  3b 女性の肖像―伝統と刷新
  3c 子どもと家族
  3d 自己に向き合う芸術家―啓蒙の世紀の3つの例
 エピローグ アルチンボルド―肖像の遊びと変容
…本展はテーマ別に三章に分けられ、それぞれ古代から近代までの作品を見る流れになっています。1章は信仰や葬礼などスピリチュアルな側面について、2章は政治家や文化人などの偉人の肖像、3章は肖像の規範となる型と画家による独自性について焦点が当てられています。出品作は油彩画などの絵画作品30点に加えて彫刻や工芸品も多く、ルーヴル美術館のコレクションの充実ぶりを実感できると共に、肖像という切り口から多様な造形作品を見ることのできる内容になっています。

 

感想

「1 記憶のための肖像」より

「女性の肖像」(2世紀、エジプト)

…大きな黒い瞳としっかりした眉、通った鼻筋。黒髪はすっきりと一つにまとめられ、大粒の真珠のイヤリングが耳元を飾っています。2世紀後半、ローマ帝国統治下のエジプトで制作された「女性の肖像」には、個性的でありながら美しい女性が描かれています。私は古代ローマ時代の美術というとまず彫刻が思い浮かび、平面作品であれば壁画やモザイクというイメージがあったのですが、実はこうした肖像画も数多く制作されていたそうです。この肖像は蜜蠟によって板に描かれた蝋画で、湿度や紫外線による劣化に強いため、乾燥した気候と相まって2世紀に描かれたとは思えないほど良い状態で残っていたんですね。エジプトの伝統において、ミイラを納めた棺に載せるマスクは故人が来世で新たな生を得るために制作され、他方、ギリシャ・ローマ世界では故人の記憶を後世に伝えるという目的がありましたが、この板絵は双方の機能を併せ持っているそうです。肖像を見るのは神か、人か。近親者なのか、第三者なのか。それによって表現の仕方も異なってくるでしょう。古くから肖像はモデルの美化、理想化されたイメージとありのままの姿との間で揺れ動いていたことが分かると思います。

「ブルボン公爵夫人、次いでブーローニュおよびオーヴェルニュ伯爵夫人ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム」(16世紀、フランス)

…死後の世界で永遠の生命を得るためにしろ、生前の故人の記憶を残すにしろ、制作された肖像はモデルをある程度美化する傾向にあるとは思いますが、それとは真逆のベクトルを持つ作品が死後の無残な姿を彫像にした「ブルボン公爵夫人、次いでブーローニュおよびオーヴェルニュ伯爵夫人ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム」です。こうした彫像は「トランジ(腐敗屍骸像)」と呼ばれるもので、ヨーロッパでペストが流行した時代に制作され、仮初めの肉体の美しさに囚われることを戒める目的があるのだそうです。自己を厳しく律することで、過酷な時代にもかき乱されない心の平安を保とうとしたのでしょうか。直視するのが躊躇われる生々しさなのですが、実物以上に美しく表現された作品が多い中では異質で、会場ではつい目を引かれてしまいました。

ジャック=ルイ・ダヴィッドと工房「マラーの死」

…歴史の教科書などで一度は目にしたことのある人も多いと思われるダヴィッド作「マラーの死」。オリジナルは1793年に国民公会に寄贈され、出品作はダヴィッドの元で制作されたレプリカとなります。マラーはフランス革命期の思想家で、急進的なジャコバン派の指導者でしたが、皮膚病の治療のため入浴しているところをジロンド派の支持者シャルロット・コルデーに暗殺されました。ダヴィッドは「マラーの死」を描くに当たり暗殺の現場を訪れたそうですが、写実的な描写の一方で、浴槽の縁にもたれて腕を投げ出しているポーズはカラバッジョの「キリストの埋葬」を踏まえたものであり、事件の生々しさよりも殉教者の悲劇と神々しさを表現することに重きがあるように感じます。また、マラーの手にしている文字の記された紙片はコルデーと対面することになった手紙であり、右手の羽ペンは新聞記者としての活動を象徴しているそうですが、画面内に散りばめられた故人に由来する品々は聖人のアトリビュートのようにも見えます。後にナポレオン1世の肖像も描くことになるダヴィッドですが、当時はマラーと同じくジャコバン党員であり、その卓抜な技量によって凶刃に斃れた同志を革命の象徴として神格化することに一役買ったと言えるでしょう。

「2 権力の顔」より

「『青冠』をかぶった王アメンヘテプ3世」(紀元前14世紀、エジプト)

…権力者の肖像は、同時代の人々に対して権力の所在を明確にして認識を促す統治の一環であると同時に、将来その像を目にするであろう人々に対する記録、記念碑の意味もあります。また、そうした肖像がしばしば本人に似ていることより神に近い、あるいは神と同一視されるべきものとして理想化された姿で表現されるのも理解できます。エジプトやイランの歴史的な遺物は肖像を残した王たちがどんな人物だったかというより、どんな存在であることを求め、人々にも求められていたのか、そのイメージを伝えるものと言えるでしょう。ところで、今回の展覧会は考古学的な出土品も多く出品されているため、普段美術展では余り目にしない素材がいくつかあって興味深く感じました。例えば、「『青冠』をかぶった王アメンヘテプ3世」の像は鮮やかな緑色をしていて、素材を確認したところ閃緑岩でした。他にも、光沢のある黒い石でできた「ハンムラビ王の頭部」の素材は斑糲岩ですが、閃緑岩や斑糲岩は硬いため風化に耐える一方、加工は簡単ではないと思われます。おそらく石の色を装飾的に用いることに加えて、長く後代に残すことを考えての素材の選択だったのでしょう。現代ほど記録を残す手段が多様で手軽でなかった時代の苦労が想像されますし、そうした人々の切実な思いのようなものが感じられると思います。

「トガをまとったティベリウス帝の彫像」(1世紀、イタリア)

…この展覧会には古代ローマの皇帝ティベリウス絶対王政の君主ルイ14世、そしてナポレオン1世と古今の権力者像が出品されていますが、それぞれの姿に投影された権力構造の特徴や時代の空気が感じられて興味深かったです。三者のうち最も時代の古いティベリウス帝の彫像は政治家として演説する姿で、左手に演説の原稿であるパピルスの巻物を携え、右手を前方に差し出していますが、これは伝統的な執政官のポーズに則っているのだそうです。華美な装飾品は身につけておらず、無冠で服装も他のローマ市民と同じトガであり、皇帝であることを強調する記号は見当たりません。アウグストゥスの後を継いだティベリウス帝は実質的な最高権力者であってもあくまで同輩の中の第一人者であるという形式を守り、共和制の伝統を持つローマ市民の反発を買わないよう配慮する必要があったのでしょう。しかし、実物大以上の2mを超える像、そして威厳の感じられる立ち姿からは質実剛健な統治者としての風格が伝わってくると思います。

イアサント・リゴーの工房「聖別式の正装のルイ14世

…緋色の天蓋に覆われた玉座の前で長髪のカツラをかぶり、高いヒールの靴を履いてブルボン家の百合の紋章の入った白テンの外套をまとう堂々たる王者。「聖別式の正装のルイ14世」は、きらびやかな玉座に君臨する自信に満ちた絶対君主として画面中央に描かれています。聖別式とはキリスト教国における王の戴冠式のことで、高位の聖職者が君主の頭上に聖油を注いで神への奉仕を誓わせる儀式を中心としているそうです。この肖像は元々ルイ14世の孫のアンジュー公が1700年にスペイン王位を継いだ際、スペインへ持参するために制作されたのですが、ルイ14世が作品を非常に気に入ったためヴェルサイユ宮殿に飾られることになったもので、出品作は小型のコピーの1点となります。玉座の背後に立つ灰色の円柱は剛毅を、その下部に刻まれた天秤を持つ女神のレリーフは正義を象徴し、神より王権を授かった王の絶対的な正当性を表しているそうです。先日、「プラド美術館展」で目にしたベラスケスによるフェリペ4世の肖像はプライベートにおける気取りのない質素な姿が描かれていて、一人の人間でもある主君の個性や人格を表現するものでしたが、この豪奢なルイ14世の肖像は何より至高の王権の強大さを印象づけるものであり、ルイ14世という個人を超えた絶対君主そのもののイメージとして認識されていると思います。

アントワーヌ=ジャン・グロ「アルコレ橋のボナパルト」他

…「アルコレ橋のボナパルト」は1796年、イタリアのヴェネト州にあるアルコレ橋で、オーストリア軍に阻まれ苦戦するフランス軍を鼓舞して勝利に導いた将軍ナポレオンを描いたもので、出品作は最終作直前の下絵です。肖像画には珍しくドラマチックな一場面が切り取られていて、後続の味方をまっすぐ見据える眼差しや固く結ばれた口元から不屈の精神が感じられる一方、振り返って乱れた髪や翻る背後の旗には躍動感があり、揺るぎない意志とエネルギーに満ちた若かりしナポレオンを見事に捉えていると思います。当時のフランスの内政は不安定で対外的には各国と戦争状態にあり、混迷を打破して人々を導く英雄が求められていた時代の空気とも呼応する肖像画だと思います。それから16年経った「戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像」では、ナポレオンは頭上に黄金の月桂冠を戴き、古代ローマ皇帝以来の伝統を汲みつつ、ブルボン王家の伝統を引き継いで白テンの外套を着用しています。また、チュニックの緋色はローマ皇帝を象徴する色であり、ハチの刺繍はナポレオン家の紋章で勤勉を表すそうです。革命の時代が過ぎて、皇帝の地位に上り詰めたナポレオンが権力基盤の安定のために過去の様々な象徴を取り入れ、自身の正当性の演出に腐心していることが窺えると思います。ここに描かれているのはかつてのような生身の存在ではなく、権威の象徴を鎧に纏った支配者の姿と言えるでしょう。

「3 コードとモード」より

ヴェロネーゼ「女性の肖像(美しきナーニ)」

…ヴェロネーゼの「女性の肖像」(通称「美しきナーニ」)には青いドレスを着た若い貴婦人が描かれています。ビロードのドレスの深い青が結い上げられた金髪と高価な金の装身具を引き立てていますが、当時のヴェネツィアでは金髪が美人の条件で、女性たちは日光に髪を晒して金髪にすることに熱心だったそうです。また、女性のドレスは胸元まで大きく開いていますが、こうしたドレスは当時既婚者のみが着ることのできたものだそうで、実際女性は左手に結婚指輪を嵌めています。透き通るように白い肌と瑞々しく豊かな肉体が目を引きますが、女性の慎ましく控えめな表情と胸に手を当てて従順さを示す仕草によって、艶めかしさよりも貴婦人らしい優美さ、上品さが勝っているように思われます。モデルが誰か明確には分かっていないそうですが、一般的にイメージされる肖像画に最も近い作品だと感じました。

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像」

…ターバンを巻いた髪を垂らし、空色のショールを羽織ってこちらに微笑みかけている女性。彼女が身につけているのは18世紀のドレスではなく、古代ギリシャ風のチュニックのようです。「エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像」を会場で見たときは描かれた女性の生気を感じる表情、とりわけ瞳の輝きが印象的でした。一般的に肖像画はその人の地位や経歴、求められる人格などパブリックなイメージを描くものだと思いますが、この作品からは正装の堅苦しさから解放された自然な雰囲気が伝わってきます。本作を描いたヴィジェ・ル・ヴランはマリー・アントワネット肖像画も残している女流画家ですが、彼女は自分自身が考案した衣装や髪型でモデルたちを描くことが習慣になっていたそうです。一種のスタイリストでもあったんですね。社交界でも名高い存在で「ギリシャの夜会」という夜会を企画したこともあり、スカヴロンスキー伯爵夫人の身につけている衣装も画家の持ち物と推測されています。女性同士の気安さもあり、画家は彼女たちの飾らない素顔を見ることもできたのではないでしょうか。モデルに理想を当てはめるのではなく、モデルの持つ魅力を引き出すことで肖像画に生命を与えることに成功している作品だと思います。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン「ヴィーナスとキューピッド」

レンブラントの「ヴィーナスとキューピッド」は、ユノ、ヴィーナス、パラスというオリュンポスの女神を題材とした三枚の作品のうちの一点と考えられているそうです。しかし、母の腕に抱き寄せられている子どもの背中に翼がなければ、聖母子像と言われた方がほうがしっくりくる作品です。個人的な印象ですが、ヴィーナスとキューピッドを描いた作品ではヴィーナスが官能的な女神として大きく描かれ、キューピッドは主役であるヴィーナスの従者のように添えられることが多い気がします。しかし、ヘンドリッキェがモデルとされる本作のヴィーナスは人間的な温かみがあり、膝の上で伸び上がって母親の頬に頬を寄せる子ども(ヘンドリッキェとの娘コルネリアがモデルだそうです)とのあいだの確かな絆が感じられます。はだけた胸元も官能より子供を産み育てる母親としてのニュアンスを感じますし、ヴィーナスの司る肉体的な愛とはまた異なる、聖母のような慈愛が表現された作品だと思います。

ジャン=フランソワ・ガルヌレ「画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ」

…「画家の息子アンブロワーズ・ルイ・ガルヌレ」は画家を見詰める青と黄色の二対の目が印象的です。赤い上着を着て傍らに猫を抱き寄せているのは、本作を描いたジャン=フンラソワ・ガルヌレの息子で、曇りのない青い瞳で笑顔を見せています。白と灰色の柔らかそうな毛並みの猫は大人しく脚を握られ、ちょっと畏まった顔つきをしていて何だか人間みたいですね。ここに描かれている猫は取り立てて含みもなく、子どもの遊び相手として描かれているそうです。屈託のない子どもの可愛らしさ、そして画家の息子への愛情が率直に表現されていて、愛する者に永遠の形を与えるという肖像画の原点を感じ取ることのできる作品だと思います。

 

その他 混雑状況、会場内の様子など

…私が見に行ったのは6月16日(土)の午後でしたが、あいにくの天気にもかかわらずかなり混雑していました。美術作品だけではなく考古学的な出土品も多いため、一般受けしにくい内容では…と思っていたのですが、「ルーヴル」のブランド力はさすがだなと思いました。
…絵画作品は比較的大型のため列の後ろからでも見ることは可能ですが、考古学的な遺物や工芸品は小型のため展示ケースの前まで行かなければ見えないものも多く、人が空くまで少し待つ時間が必要です。また、作品解説が床に掲示されている場合も多く、これも前に人がいるとなかなか読めないため、落ち着いて解説を楽しみたい場合は音声ガイドのご利用をお勧めします。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。