展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史 感想

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見どころ

…この展覧会は日本とオーストリアの国交樹立150年を記念して、中世から近代まで数世紀に渡り神聖ローマ皇帝として広大な領土と多様な民族を治めてきたハプスブルク家のコレクションを紹介するもので、ウィーン美術史美術館、ブダペスト国立西洋美術館及び国立西洋美術館のコレクションからなる出品作100点で構成されています。
ハプスブルク家がその財力とネットワークを生かして築いたコレクションにはデューラーティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンスなど西洋美術に名だたる巨匠達の名品が揃い、国際色も豊かです。しかし、考えてみれば当時はスペイン国王もネーデルランド総督もハプスブルク一族が占めていたのであり、ハプスブルク家の勢力がいかに広範に及んでいたかが実感できます。とりわけ「コレクションの黄金時代」だったのが17世紀で、ベラスケスをはじめ、16世紀から17世紀を代表する芸術家たちの作品が揃っています。
…個人的にはベラスケスやティツィアーノなど肖像画に見応えのある作品が多かったように思いました。出品作は大まかに言って、神聖ローマ皇帝をはじめハプスブルク家のために制作された作品と、ハプスブルク家以外の注文主のために制作された後にハプスブルク家のコレクションに入った作品とに分けることができそうです。前者の例がディエゴ・ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》、後者の例がティツィアーノ・ヴェチェッリオの《ベネデット・ヴァルキの肖像》などでしょうか。バルトロメウス・スプランゲルの《オデュッセウスとキルケ》やダーフィット・テニールス(子)の《村の縁日》などは一見するとハプスブルク家とは直接関係ないような神話画、風俗画なのですが、よく見るとハプスブルク家に捧げられたメッセージが込められている作品です。
…私は11月の土曜日に見に行きましたが、混雑していてなかなか作品の一番前には行けなかったので、展示解説は図録で確かめることにして音声ガイドを聞きながら鑑賞しました。ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》前は列ができていましたが、作品も大きいので比較的見やすかったです。ただ、緻密な版画や小型の工芸品をじっくり見るのは難しいかもしれません。なお、ヤン・ブリューゲル(父)の作品はデリケートなためか、作品から鑑賞者までかなりの距離が取られていました。所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

 2019年10月19日~2020年1月26日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

Ⅰ章 ハプスブルク家のコレクションの始まり
Ⅱ章 ルドルフ2世とプラハの宮廷
Ⅲ章 コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
 1.スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世 
 2.フェルディナント・カールとティロルのコレクション
 3.レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
Ⅳ章 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
Ⅴ章 フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリアハンガリー二重帝国の終焉
…Ⅰ章は肖像画のほか、甲冑やタペストリー、異国の珍品を加工した工芸品なども展示されています。
…Ⅱ章はルドルフ2世の宮廷画家だったスプランゲルの絵画やイタリア・マニエリスムの彫刻家ジャンボローニャの作品に基づく彫刻など、その他デューラーの絵画やエングレーヴィングなどが展示されています。
…Ⅲ章は展覧会のメインで、ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》はⅢ章1節に展示、Ⅲ章3節ではティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ルーベンスレンブラントなどイタリアやネーデルラントを代表する画家たちの作品が展示されています。
…Ⅳ章はハプスブルク家の人物の中でも特によく知られているマリア・テレジアマリー・アントワネット肖像画が展示されています。
…Ⅴ章は出品数は少ないですが、19世紀に首都ウィーンの都市基盤を整備し、ウィーン美術史美術館を設立した皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とその妃エリザベトの肖像画が展示されています。

habsburg2019.jp

ハプスブルク家の人物とコレクション】

マクシミリアン1世(1459~1519、神聖ローマ皇帝在位1508~1519)

ハプスブルク家中興の祖。巧みな婚姻政策を展開して領土を拡大し、ハプスブルク家による支配の礎を築いた。タペストリーの名品をはじめ、各種の美術工芸品を収集したほか、甲冑類の収集にも情熱を注いだ。

ルドルフ2世(1552~1612、神聖ローマ皇帝在位1576~1612)

ハプスブルク家のみならず、ヨーロッパ史上稀代のコレクターとして名高い。宮廷をウィーンからプラハへ移し、「クンストカマー(芸術の部屋)」と呼ばれる部屋を設けて百科全書的なコレクションを構築した。また、芸術家達の招聘にも熱心で、プラハは北方における後期マニエリスムの中心地となった。

フェリペ4世(1605~1665、スペイン王在位1621~1665)

…ベラスケスを宮廷画家に抜擢して重用し、ルーベンスを庇護するなど美術におけるスペインの黄金時代を築いた。フェリペ4世、及びその祖父フェリペ2世の収集したコレクションはスペインのプラド美術館の基礎となっている。

オポルト・ヴィルヘルム(1614~1662、スペイン領ネーデルラント総督1646~1656)

オーストリア大公。ネーデルラント総督としてブリュッセルに赴任した1646年から56年のあいだに、絵画だけでも約1400点にのぼる作品を収集したほか、神聖ローマ皇帝である兄フェルディナント3世のための絵画の収集も行った。レオポルト・ウィルヘルムがウィーンに持ち帰ったコレクションはウィーン美術史美術館の基礎となった。

マリア・テレジア(1717~1780、オーストリア女大公)

…啓蒙君主を代表する一人。ベルヴェデーレ宮殿に帝室画廊を移して、今日の美術館展示に繋がる画派別、時代順によるコレクションの陳列方法を導入したほか、一般大衆への公開を始めた。なお、女性は神聖ローマ皇帝になれなかったため、夫が神聖ローマ皇帝フランツ1世(在位1745~1765)として即位した。

フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916、オーストリア皇帝(1867年からはオーストリアハンガリー二重帝国皇帝)在位1848~1916)

オーストリアの実質的な最後の皇帝。ウィーンの近代的な都市開発で成果を上げた。市壁を取り壊して開通したリンク通り(リンクシュトラーセ)沿いには大学や国会議事堂など公共施設が建設され、1891年にはハプスブルク家のコレクションをまとめたウィーン美術史美術館も開館した。

感想

ジョルジョーネ《青年の肖像》(1508~1510年頃)

…右手を胸に当て、視線を落として物思いに耽る青年。青年の背後には青空が垣間見えていますが、元は青年が山岳風景を見つめる構図だったものが、現在のように曖昧な空間に閉ざされ、俯く目線に変更されたのだそうです。想像してみると、崇高なものに向かう精神の高揚から、内面的な深い思索に表現されるものの印象が変化する気がしますね。なお、青年の仕草は敬虔さを示していると考えられるものの、物思いの内容が宗教的なものなのかどうか、そもそもモデルが誰なのかも特定されていないそうです。しかし、何者であるか、何を思うのか分からなくとも、優美な佇まいや憂いを帯びた表情そのものが鑑賞者の眼を引きつけます。ベルンハルト・シュトリーゲルによる《ローマ王としてのマクシミリアン1世》(1507~1508年頃)は像主の容貌を忠実に捉えつつ、華やかな装飾と色彩で君主の勢威を表現している肖像画らしい肖像画だと思うのですが、王侯の肖像というスタンダードにモデルを当てはめている、記号的に描いている面があるように思います。このマクシミリアン1世とジョルジョーネの青年とがほぼ同年代の作品であると知って、ジョルジョーネの肖像画の新しさに正直驚きましたし、色彩の優位や叙情性といった特徴をはっきり感じることができました。抒情的な肖像画を発展させたジョルジョーネですが、表現されたイメージは時代も国も遠く離れた鑑賞者にもある種の情感を喚起する力があるように思います。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ベネデット・ヴァルキの肖像》(1540年頃)

…毛皮の縁飾りの付いた黒い外衣を纏って、あごひげを生やした壮年の男性。絵であることを感じさせないほど自然な色彩、特に手や顔の複雑な色合いは血の通った肌の生気を感じさせます。男性は小さな本を手に大理石の円柱の基台にもたれて、肩越しに振り返っていますが、曇りのない目で何を見据えているのか、あるいは見えない何かについて思いを巡らせているのでしょうか。目に宿る光には研ぎ澄まされた精神の明敏さが表れているように思います。この肖像画のモデルであるベネデット・ヴァルキは16世紀のフィレンツェの芸術理論家で、「パラゴーネ」(優劣比較論争)に関する二つの講演で名声を得た人物です。「パラゴーネ」は「比較」を意味するイタリア語で、ルネサンス期には諸芸術の比較論争、特に絵画と彫刻のどちらが優れているかという議論が芸術家たちも巻き込んで行われました*1。他のジャンルに対する絵画の優越を論じたヴァルキは、そのなかでティツィアーノの技量を称賛しているそうなので、きっとこの肖像画の出来栄えにも感嘆したでしょうね。

ティントレット《甲冑をつけた男性の肖像》(1555年頃)

…黒い甲冑を身につけて、腰に手を当て立つ男性。窓の外には海が広がり、空に垂れ込める不穏な暗雲は戦乱の兆しのようでもあります。やや赤みがかった血色の良い顔や短い髪などは、ジョルジョーネの《青年の肖像》に描かれたルネサンスの優美な貴公子とはまた雰囲気が異なりますね。男性はヴェネツィア海軍の軍人で、背後に描かれているガレー船の指揮官かもしれません。これから船に乗り込み戦場に向かうところなのでしょうか、活力に満ちて引き締まった顔つきですが、あくまで落ち着いた眼差しからは軍人としての確かな自信と誇り高さが感じられると思います。男性の背景には三本の円柱が立っていますが、円柱は他のいくつかの出品作でも人物に添えられていて、建築物の構造というよりある種の象徴だと思われます。柱が人を象徴するというのは少し不思議な感覚にも思えるのですが、日本語でも一家の大黒柱、組織の屋台骨といった例えでその人物が人々の要・支えであることを意味する言い回しがあるので、そう思ってみると何となく分かる気もします。土台のしっかりとした柱は人格の中枢を目に見える形で表したもので、人格が堅固で歪みがないこと、その人となりが優れていることの証のようなものでしょう。この作品では描かれている人物が甲冑を身につけた軍人ですから、まっすぐな柱のような揺るぎのなさ、勇敢さや高潔さを象徴しているのかもしれません。

ペーテル・パウルルーベンス工房《ユピテルとメルクリウスを歓待するフィレモンとバウキス》(1620~1625年頃)

…狭い室内でテーブルの周りに集まる四人の人物。白髪の老人フィレモンとその妻バウキスがもてなしていた二人の客人は実は神々で、この作品は真実を知った老夫婦が驚愕する場面を描いています。赤い服の若々しい美男子はトレードマークの帽子を被ったメルクリウス、画面左端で片肌を脱いだ神としての姿で描かれている壮年の男性がユピテルですね。胸に手を当てて畏まり許しを請うフィレモンと頬杖を突いて気さくな微笑みを浮かべるメルクリウスの対照的な表情や、袖をまくって中腰でガチョウを捕まえようとしているバウキスと手を差し伸べて静かにそれを制しているユピテルという静と動の組み合わせによって、動揺する人間と寛大な神々という対比が効果的に描写されています。ユピテルの逞しく盛り上がった彫刻的な腕やバウキスの動きの感じられるポーズなどには、ルーベンスの卓越した人体表現が感じられます。質素な室内は奥行きが浅く、舞台のセットのようでもあります。吊り下げられた灯りがつくり出す明暗のもと、劇的な瞬間を感情のドラマと動きのドラマとで表現した臨場感溢れる作品だと思います。

バルトロメウス・スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》(1580~1585年頃)

…スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》は複雑に絡み合いながらバランスが保たれているオデュッセウスとキルケのポーズが目を引く作品です。オデュッセウスの赤い衣と、キルケの青いドレスの対比が鮮やかで、キルケの装身具や複雑な形に結われた髪型など細部への拘りも感じられます。キルケの魔法で馬や獅子、狐といった動物に変えられてしまった部下達は救いを求めて懇願するようにオデュッセウスを取り囲んでいますが、部下を助けようとするオデュッセウスは臣民を庇護する皇帝と重ね合わされていて、皇帝を称揚するために好んで描かれたのだそうです。周りの獣たちに対して、画面の中心の二人の人物はスポットライトが当たっているように明るく鮮やかな色彩で描かれ、特にキルケの白い肌は陶器のように滑らかで冷ややかな印象です。キルケの背後には故郷を忘れさせるという危険な魔法の酒と杯も見えますね。キルケの企みを退けようと顔を背けながらも誘惑に抗いきれず足を絡ませているオデュッセウスと、オデュッセウスに言い寄り引き寄せながら魔法の杖を振りかざそうと構えているキルケの、行動と感情のねじれがそのまま身体のポーズとして現れているかのように見える作品だと思います。

ダーフィット・テニールス(子)《村の縁日》(1647年頃)

…この作品は村の教会の開基祭を描いたものだそうです。しかし、画面左手に十字の記された赤い旗がはためいているものの肝心の教会は見当たらず、祭りの舞台は宿屋の前で、晴れた空の下、村人達が食事をしたりバグパイプに合わせて踊ったりしています。中には女性に言い寄る男性や男性を連れ出そうとしている女性の姿も見受けられますが、画面右奥では村人達がメイポールの周りで踊っているので、そもそもは豊穣や多産を祝う祭りだったものにあとから教会の創立という名目が加わったのかもしれません。画面右下の身なりの良い一行は都市の市民とのことで、宿の客なのでしょう。豊かな自然や珍しい風俗、素朴さや郷愁を求めて農村の祭りを見物に来る、ある種の観光をする習慣がこの時代にもあったんですね。浮かれた騒ぎのなかで、犬を連れ杖を手にした旅人だけが一人静かに佇んでいますが、旅人の正面、宿屋の壁にはオーストリア大公国及びハプスブルク家の紋章が掲げられています。東洋にも鼓腹撃壌という言葉がありますが、陽気で賑やかな農村の祝祭を描きつつ、平和で安楽な生活を送ることができる善政を讃えた作品だと思います。

ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》(1659年)

肖像画のモデル、マルガリータテレサはベラスケスの傑作《ラス・メニーナス》にも描かれたスペイン国王フェリペ4世の王女です。この肖像画は彼女が8歳のときに描かれた作品で、婚約者である神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世のもとへ、健康に成長している様子を知らせるためにウィーンに送られたそうです。王女は幼いながらも気品が感じられる顔つきで、豊かな金髪と銀糸で装飾された豪華な青いドレスとの対比が鮮やかです。左右に大きく張り出した特徴的なスカートは「グアルダインファンテ(子供隠し)」という17世紀中盤にスペイン宮廷で流行した形状で、画面前方に窓があるのか、薄暗い室内で佇む王女の姿のみが隈無くくっきりと明るく描き出されています。ドレスの光沢や装飾品のきらめきは自在な筆捌きで再現され、人物の明暗は控えめで平面的と言ってもよく、手や顔の輪郭は薄いグレーで縁取られています。王女の背後には時計やライオンの置物が飾られたコンソールテーブルが置かれている一方で、他の肖像画でしばしば見かける円柱やカーテンは見当たりません。対象となる人物を説明的に描写せず、目の前にいるモデルをありのまま描くことで本質を捉えようとするリアリズムがベラスケスの特徴なのだと改めて感じました。おそらくは王女の居室の様子がそのまま描かれていることで、ほぼ等身大の肖像画を前にしたレオポルト1世は、まさに王女の部屋に入って彼女と対面したような感覚を味わったのではないでしょうか。光り輝く王女にはスペイン宮廷の希望、オーストリアとスペイン両ハプスブルク家の未来を願う気持ちも込められていたのだろうと思いました。

マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》(1778年)、ヴィクトール・シュタウファー《オーストリアハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》(1916年頃)

マリー・アントワネットの肖像はしばしば目にする機会があるのですが、ヴィジェ=ルブランのこの肖像画は、とりわけ鼻や目の形などにハプスブルク一族の人物らしい特徴が見て取れました。調度品などのデティールや色遣いはデリケートですが、一際豪華で壮麗な空間の演出はフランスの強大な国力を感じさせます。若いアントワネットはレースとリボンがふんだんにあしらわれた真珠色のドレスをまとい、自信に満ちた表情を浮かべています。バラを手にした姿はさながら美の女神といったところで、画家はそのような彼女の在り方、あるいは思いを汲み取って表現していると思います。ただ、可愛らしすぎる出で立ちはアイドルのようでもあり、肖像画を見た母マリア・テレジアが不安を覚えたのも無理はないように思いました。
…フランツ・ヨーゼフ1世の肖像を見たときは不思議な感覚を覚えました。人物の特徴を緻密に捉えつつ、皇帝としての威厳を感じさせる肖像なのですが、写真や映像による記録が残り、一方で絵画の表現は大きく変化して、オーストリアであればクリムトやシーレなどの作品も存在している20世紀に、中世以来の伝統を踏まえた古風な表現が居心地悪そうな印象を受けました。神聖ローマ帝国は解体されてすでになく、ハプスブルク家による統治の体制も、その統治者たちを賛美してきた表現も、変わりゆく世界とそぐわなくなりつつあることを感じさせる作品だと思います。

*1:『レオナルド×ミケランジェロ展』(2017年、三菱一号館美術館)P60