展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

フィリップス・コレクション展 感想

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見どころ

…「フィリップス・コレクション展」は、近代美術を扱うアメリカ最初の美術館として創設から100年を迎えるフィリップス・コレクションが所蔵する秀作75点で構成されています。出品作は新古典主義のアングル、ロマン主義ドラクロワバルビゾン派のコローら19世紀の巨匠たちをはじめ、絵画に革新をもたらした写実主義クールベ、マネ及び印象派ドガとモネ、さらにセザンヌやゴーガンから20世紀のクレー、ピカソ、ブラックなどモダン・アートまで、いずれも名だたる画家の作品が勢揃いしていて見応えのある内容になっています。フィリップス氏は徹底して自身が気に入った作品のみを蒐集することに価値があるという考えを持っていたそうで、特にボナールやブラックの作品が充実していました。
…会場内では全ての作品に展示解説があったほか、音声ガイド機の液晶画面に画像が表示される解説もいくつかありました。また、ポストカードの種類が多かった(65種類)のも嬉しかったですね。作品リスト共に置いてあったカード(8作品で1シート、日替わりで2種類)は鑑賞のヒントにもなっていて、作品を楽しむための工夫が凝らされていました。多彩な作家、作品の中から今の自分とフィーリングの合う作品を探しつつ、ゆっくり時間を掛けて見て回りたい展覧会だと思います。

概要

会期

…2018年10月17日~2019年2月11日

会場

三菱一号館美術館

構成

…本展はテーマに基づいた章立てによる構成をとっておらず、会場ではコレクションとして取得された年代ごとに作品が展示されていました。珍しい展示方法だなと思ったのですが、実は、コレクションの創設者であるフィリップス氏自身が作品を時代や地域ごとの縛りにとらわれず、それぞれの美的な気質に従ってまとめる展示方法を好んでいたのだそうです。また、コレクションは単線的に拡大していったわけではなく、フィリップス氏は求める作品を入手するためそれまで持っていた作品を手放したりもしていて、鑑賞者は展示を通してそうした紆余曲折を経つつコレクションが成長していく過程、フィリップス氏の関心の変化を見て取ることができるようになっています。なお、図録では概ね制作年代順に作品が掲載されています。

mimt.jp

感想

クロード・モネ「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」(1897年)

…モネは1896~97年にかけて、フランス北岸のヴァランジュヴィル、プールヴィル、ディエップで岩壁の景観を描いた作品を50点以上を制作しているそうです。その中の一枚、「ヴァル=サン=ニコラ、ディエップ近傍(朝)」は空も海も穏やかな表情で、朝靄が立ちこめているのか、白っぽく霞がかったデリケートな色調に包まれています。水平線の赤みを帯びた黄色から、高度を増すにつれて徐々に空色へと変化する空。画面手前側の緑がかった色調から、沖へ向かうにつれて青、さらに紫へと変化する海。前景の岩壁は手前が影になり、海にせり出した崖の草地が朝日を浴びて白く輝いています。柔らかな色彩の靄によって表現された形のない水や大気が全体の優しい雰囲気を醸し出している一方で、どっしりとした岩壁が捉えどころのない光に溶解していきそうな風景に現実の手応えをもたらすことで、互いに支え合っている作品だと思います。

ピエール・ボナール「棕櫚の木」(1926年)

…大きな棕櫚の葉がアーチのように画面上部を縁取るボナール「棕櫚の木」では、海の見える高台の家の庭に佇む女性がこちらに向かって果物を差し出しています。女性は画家の妻マルトで、彼女の持つ果物はリンゴと見られるそうですから、マルトは画家=鑑賞者をエデンに誘うエヴァのイメージで描かれているのでしょう。もっとも、この作品からは堕落への誘惑や楽園追放を予感させる不穏さは感じられません。殉教者のシンボルでもある棕櫚は死に対する勝利の象徴であり、本作のテーマは死を超えた永遠の命や現世の苦悩から解放された魂の平安さと考えられます。ル・カネの家並みの向こうに見えるひときわ明るい海には、淡い青に加えて黄色やオレンジなど複雑な色合いの点描が用いられていて、寄せては返す穏やかな波の心地よいリズムに乗って南仏の眩い光がきらめく様子が感じられます。ボナールの複雑で繊細な色遣いは、不動に見えて実際は絶え間なく変化する風景がもたらす視覚の揺らぎ捉えているのでしょう。温かい色彩に包まれ、一切が調和した楽園に鑑賞者を誘う作品だと思います。

ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」(1935年)

…ラウル・デュフィ「画家のアトリエ」は自由で伸びやかな線と、輪郭線から解放された透明感ある色彩が洒脱で軽快な印象の作品です。ブルーのスペースには空のイーゼルやテーブル上に置かれたパレット、床に置かれたカンヴァスなど画家の仕事の痕跡がそこかしこにちりばめられています。画面をはみ出すほど高さのある窓の外には青空の下のパリの街並みが見えて開放感があり、爽やかな印象です。一方、ピンクのスペースを彩る花柄の壁紙はデュフィがビアンシーニ・フェリエのためにデザインしたテキスタイルだそうで、ドアの奥の壁には船や花、女性を描いた作品が並べて飾られています。ブルーのスペースと比較すると閉じた空間なのでプライベートなスペースではないかと思いますが、アーティストらしく日常生活も自作に彩られていることが感じられます。画面の中心近く、両者を繋ぐ位置に置かれたカンヴァスの裸婦は、このアトリエとその主を見守るミューズのような存在なのかもしれませんね。

オスカー・ココシュカ「ロッテ・フランツォスの肖像」(1909年)

…ココシュカ「ロッテ・フランツォスの肖像」には物思いに耽る慎ましい雰囲気の女性が描かれています。女性は座ったポーズですが椅子などは見当たらず、また、一見影のように見える女性を取り巻く濃い青はオーラを表現しているそうなので、対象を物質的に捉えるのではなく、スピリチュアルに表現することを重視しているのでしょう。画家はこの作品について「ロウソクの炎のように彼女を描いた」と語っていますが、胸や腹部など身体の中心から発せられる黄色の光が光背のように女性を取り巻いていて、女性の魂の輝きや生命力が周囲を明るく照らしているように感じられます。一方で、女性の頭部を包む赤のオーラと身体を包む青のオーラは精神と肉体、あるいは感情と行動といった対立や葛藤を暗示しているのでしょうか。青いオーラに包まれた女性の左手は女性器の位置を示すと同時に隠しているようですが、その左腕を押さえる赤のオーラに包まれた右手の指先からは光が放射されていて、形而下の肉体を持ちながらも、聖母のように神聖な存在として描いているように感じられます。ココシュカはマーラーの未亡人アルマとの恋愛で知られているのですが、この作品のモデルで法律家の妻だったロッテにも強い憧れの感情を抱いていたそうで、そうした画家の心理も投影されている作品だと思います。

ジョルジュ・ブラック「ウォッシュスタンド」(1944年)

…この作品は会場内を歩いていたとき、遠目からでもスタンドの明るい水色が目を引いて印象的でした。ウォッシュスタンドとは現代ほど水道の普及していない時代に寝室に置かれていた洗面用の家具のことだそうで、スタンドの上には水差しや盥、ブラシなども描かれています。画家は通路の奥やドアの隙間などから垣間見える部屋の一隅にふと目を留めたのでしょうか。ブラックの他の静物画は横長の画面が多いのに対して、この作品は縦に細長く、ウォッシュスタンドの脚部や画面右側の窓枠などの垂直方向の線がそうした構造上の特徴をさらに強調しています。第二次大戦中、四年近くパリに足止めされていたブラックは、1944年にフランスが解放されてノルマンディー沿岸のヴァランジュヴィルにあるこの自宅兼アトリエに戻ることが出来たそうです。非常時から日常が戻ってきたことで、身近な日々の生活やありふれた身の回りの品が改めて新鮮なものに感じられたのかもしれません。ダンカン・フィリップス氏は大規模なブラックの回顧展開催のために他の作品は貸し出しても、本作は自身の美術館にとどめて展示し続けたそうなので、とりわけ気に入っていた作品の一つなのでしょう。