展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

モンドリアン展 感想

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【会期】

…2021年3月23日~6月6日

【会場】

…SOMPO美術館

【感想】

…「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」が「SOMPO美術館」にリニューアルされてからは初めて行きました。かつての高層階からの新宿の眺めも懐かしい思い出ですが、リニューアルされた美術館は本社ビルとは別棟の新しい建物に移り、綺麗になっていました。エレベーターで最初に5階まで上がり、順路に従って階下に下りていく造りはアーティゾン美術館と同じですね。
モンドリアンというと、何と言っても赤・青・黄のコンポジションが思い浮かぶため、以前にアーティゾン美術館で点描風の《砂丘》(1909年)という作品を見たときに「これがモンドリアンの作品なのか」と驚いた覚えがあります。今回の展覧会では上述の《砂丘》も含め、モンドリアンが「モンドリアン」になるまでに画風が何度も大きく変わっていることを知ることができます。私なりにまとめると、対象と色彩が一体である自然主義的な表現から点描主義の影響を受けて色彩が解放され、キュビスムの影響で形体が解体されて、対象の再現を離れた抽象絵画へ到達する過程と言えるでしょうか。なお、モンドリアンに絵を教えた、叔父で画家のフリッツ・モンドリアンゴッホの指導者であるマウフェの教え子だそうで、画風は全く異なる二人の芸術家のあいだに思わぬ繋がりがあったことも今回初めて知りました。
モンドリアンの初期のハーグ派様式の風景画は独特の構図が印象的でした。画面左側を貫く一筋の灰色の道が目を引く《田舎道と家並み》(1898~99年頃)は、道幅の広さと突き当たりの家並みの対比によって奥行きが強調されています。《農家、ブラバンド》(1904年)は画面の半分ぐらいを平坦な色面で表現された農家の屋根が占めていて、空はほとんど片隅に顔を覗かせているだけです。オランダの風景画というと、私はロイスダールの作品に描かれた見渡す限りの低地を覆い尽くす広大な空が思い浮かぶのですが、モンドリアンはそういった空間の広がりではなく、あるいは移ろう光や自然と共に生きる人々の生活といった風景画的な主題とは別の、ある種の構造のようなものに執着しているようです。その一方で、モンドリアン自然主義的な表現を離れて以降、キュビスムの影響を受けた作品などにおいても風景や樹木をモチーフに選んでいて、自然の中にある(あるいは自己の外に存在する)原理を形にしようとしていたようにも思われます。
モンドリアンはドンブルグで知り合った画家ヤン・トーロップの影響を受けて、点描風の作品も制作しています。時期としては1909年頃の短い期間なのですが、フランスの新印象派の点描が色彩を分割して、絵の具を混ぜずに視覚の上で混色をもたらすことを念頭に置いたものであるのに対して、モンドリアンの場合は点描の絵画的な効果そのものに興味があるように感じられます。砂丘を描いた一連の作品では、当初、なだらかな砂丘の形体に応じた長目の線描で、自然光による色合いに比較的近く描かれていたものが、より細かく規則的な点描になり、さらに空と砂丘が緑と水色、桃色と黄色という補色の構成比率を変えた点描で描かれるようになっていって、大胆かつ自由に変化していくのが興味深かったです。
…ウェストカペレの灯台やドンブルグの教会塔などを描いた作品では、いずれもモチーフが地上から高みを仰ぐような角度で描かれています。《夕暮れの風車》(1917年)は、雲の切れ間に浮かぶ月が低い位置に描かれているため、空はより近く風車はより高く感じられます。月光に照らされたリズミカルな鱗状の雲は、《ドンブルグの教会塔》(1911年)の青空の破片を鏤めた背景を彷彿させます。点描風であったり、写実的であったりと作品により描き方は違っていますが、構図は一貫していて、まっすぐに天を目指すモチーフの垂直性、存在感に惹かれていたように思われます。
…《格子のコンポジション8―暗色のチェッカー盤コンポジション》(1919年)は同じ大きさの赤、青、オレンジの方形=モジュールで画面が埋め尽くされています。モジュールは縦にも横にも16個ずつ、即ち全体の256分の1の大きさのものが敷き詰められているのですが、よく見ると、縦の並びも横の並びも同じパターンは見当たらず、全て違っています。かつての点描が拡大されたようでもあり、デジタル信号が画面に映し出されるイメージのようでもあります。
…《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》(1921年)は1919年以降にモンドリアンが展開した「新造形主義」による作品です。単純なのにとても特徴的で、大きな赤い色面は特にインパクトがありますね。かつてのモジュールの名残はあるものの画一性は失われ、画面は黒の直線によって分割され、限られた色彩で構成されています。実在のモチーフや物語といった有限な対象を離れ、モジュールの規則性も脱して一見自由に制作しているようで、その実厳格な構成と三原色及び無彩色を綿密に配置して対比している禁欲的な作品だと思います。正直、解説を読んでもモンドリアンが何を考えてこの作品を制作したか私には理解できず、ただ、何を描くか、何をもって絵とするか、そしてそれは美しいのかということを突き詰めた結果の一つなのだろうと想像するぐらいです。この作品を真似て描くことは誰にでもできそうですが、根本の原理が分からなければ表面をなぞることしかできない。技術ではなく哲学がこの作品の真価を支えているのだろうと思います。絵の外にある価値に頼らず、絵そのものの価値を追求した結果、新たな哲学の確立が必要になったということなのでしょう。
モンドリアン周辺の作家では、家具職人リートフェルトの作品が印象に残りました。《ベルリン・チェア》(デザイン:1923年、再制作:1958年)は背もたれにもなる白い肘掛けとテーブルにもなる黒い肘掛けという作りが興味深いです。会場で見たとき、座面に映る黒い肘掛けの影がまさにモンドリアンの絵画のように見えたのも印象的でした。映像で紹介されていたシュレーダー邸は、モンドリアンコンポジションが三次元化したような作品で、キューブ型ですが隣の建物と見比べると窓の面積が圧倒的に大きく、空間の透過性が感じられる外界に開かれた建築だと思います。
…作品数は65点、所要時間は1時間程度でした。