展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ブリューゲル展~画家一族 150年の系譜 感想

…この展覧会は150年に渡って画家を輩出し続けたブリューゲル一族の作品を中心に、16~17世紀のフランドル絵画を紹介するもので、ローマやパリなどでも開催されたそうです。出品される約100点のほとんどがプライベートコレクションの所蔵のため、ほぼ全ての作品が日本初公開となっています。以下、見所や感想などをまとめてみました。

 
概要

会期

 2018年1月23日~4月1日

会場

 東京都美術館

構成

 第1章 宗教と道徳
 第2章 自然へのまなざし
 第3章 冬の風景と城砦
 第4章 旅の風景と物語
 第5章 寓意と神話
 第6章 静物画の隆盛
 第7章 農民たちの踊り
…作品の主題により宗教、風景、静物…と分かれてはいますが、例えば第1章で展示されている「エマオへの巡礼」はほとんど風景画のようですし、逆に第2章の「種をまく人のたとえがある風景」は宗教画としての側面もあります。宗教画であり風景画でもある、あるいは寓意画かつ静物画といったように一つの作品が複数の性格を併せ持っているケースが少なくありませんが、この時代を境に絵画のジャンルが新しく生み出されていった過程を見ることが出来ると思います。

ブリューゲル一族

ブリューゲル一族の画家たちについて、簡単にまとめてみました。
・ピーテル1世
…ヒエロニムス・ボス風の版画で人気を博し「第2のボス」と呼ばれる。冷静で中庸な観察眼によって対象を描いた。パノラマ的な風景に自然と人工物を描き込む「世界風景」や宗教画、農民たちの日常など幅広い主題を手がける。
・マイケン・ヴェルフルスト
…ピーテル1世の義理の母。同時代においても高く評価されていた女性芸術家で、早逝したピーテル1世に代わり、ピーテル2世やヤン1世に絵画の手ほどきをしたと考えられている。
・ピーテル2世
…ピーテル1世の長男。「鳥罠」をはじめ、父ピーテル1世の忠実な模倣作を量産して父の名声を広める。地獄の絵を得意として「地獄のブリューゲル」と呼ばれた。また、農民たちの祝祭を主題とした作品も数多く残した。
・ヤン1世
…ピーテル1世の次男。風景画を発展させると共に、花をモチーフとした静物画で名声を得て「花のブリューゲル」と呼ばれた。ルーベンスと親交があり、しばしば共作を制作している。
・ヤン2世
…ヤン1世の子で、父の模倣作を数多く制作した。細密な寓意画を得意とする。
・ダーフィット・テニールス2世
…ヤン1世の娘婿。農民たちを描いた作品を得意とする。ネーデルラント総督の宮廷画家となる。
アブラハムブリューゲル
…ヤン2世の子で、イタリアで活動した。果実と花の静物画を得意とする。
・ヤン・ファン・ケッセル1世
…ヤン1世の孫。虫や小動物などを描いた小型の動物画を専門とする。

感想

ピーテル1世「エマオへの巡礼」

…ピーテル1世は画家としての活動をまず版画の制作から始めていて、今回の展覧会にはピーテル1世が下絵を手がけた版画が9点出品されています。その中の一つ、「エマオへの巡礼」は、復活したキリストがエマオへ巡礼に向かう途中の弟子たちの前に姿を現すという聖書の中の一節に基づくもので、画面右側の大きな木の下には巡礼中と見られる三人の男性の姿があります。しかし、この作品の主眼は巡礼途上の風景を描くことにありそうです。蛇行する川に視線を誘導されながら見ていくと、中景には牛が放牧されている農地や船着き場、崖の上には城砦があり、遠景には海が描かれ、最後は水平線上の太陽に行き着きます。描かれているのは実際にある風景ではなく、いくつものモチーフを組み合わて再構成したものですが、川の上流から下流に至る広大で変化に富んだ領域が、見事な一体感を持ってまとめ上げられています。こうした世界全体とそこに含まれるすべてを見渡すことを可能にする鳥瞰的な眺めを「世界風景」と言うそうで、広大な景観を細部まで可視化しつつ、統一感ある世界のヴィジョンを形にするという壮大さに圧倒されます。ところで、この作品には肝心のキリストの姿がありませんが、その代わりに描かれているのが消失点に位置する太陽ではないでしょうか。太陽をキリストに見立てるなら、この作品は復活にまつわるエピソードですから、これから陽が昇るところかもしれませんね。
…ピーテル1世の生涯をざっと見ると、1551年に画家として独立~1552―54年のイタリア旅行~帰国してアントウェルペンで活動~1563年に結婚しブリュッセルへ~1569年死去となっています。友人で地図製作者のアブラハム・オルテリウスがピーテル1世を悼んで「人生の開花期に逝ってしまった」という言葉を残しているそうですが、親方画家として活動した期間は20年に満たず、今日の名声から想像するほど長くはないように思います。ピーテル1世の名が広まったのは、画業を受け継いだ子孫たちの活躍も大きかったと言えるでしょう。

ピーテル2世「鳥罠」

…ピーテル2世は父ピーテル1世の模倣作を数多く作成しました。16世紀から17世紀にかけて台頭してきた新興の中産階級の間では絵画の収集欲が高まっていて、著名な画家のコピーが求められていたためです。しかし、ピーテル1世の絵画作品は多くの場合個人の所有で、大衆の目に触れることはありませんでした。教会などに飾られていれば人目に触れますが、そうではなかったということですね。ピーテル1世の作品が広まるに当たって、模倣作は重要な役割を果たしたと言えるでしょう。模倣作の制作方法ですが、元となる下絵の線に沿って穴を開けたカルトンを、下塗りを済ませたパネルに重ねて上から木炭の粉を落とすという機械的な方法が用いられていたそうです。しかし、線を写すことは出来ても色は写せませんし、そうした機械的な方法によってもなお、出来に善し悪しの違いが現れるというのが絵画の単純ではないところだと思います。出品作は数ある模倣作の中でも芸術性と完成度の高い一枚だそうです。
…タイトルにもある鳥罠は、画面手前右の地面の上に描かれています。木の棒に繋がっている紐を引くと板が落ちて、餌におびき寄せられた鳥を捕まえられるという仕掛けなんですね。しかし、この作品の魅力は雪に覆われた自然の中で遊ぶ人々の情景でしょう。高い視点から遙か下流の都市まで見渡す構図を占めるのは雪に覆われた大地、凍った川、薄雲に覆われた空など一面の白ですが、薄い茶色や灰色を交えて微妙に色調の異なる白を塗り分け、広大な空間の奥行きが失われないように描かれています。凍った川の上ではスケートをしている人々や、コマのような玩具で遊んでいる人々の姿が見えます。「17世紀の危機」という言葉もあるほど、17世紀は戦乱や疫病によりヨーロッパ全体が混乱した時代ですが、自然環境についても当時は気候変動によってとりわけ寒さが厳しかったそうです。そんな時代にこうした冬景色が人気を博したのは、人々が寒い冬を退けるよりも積極的に美しさを見出し、楽しむことを忘れなかったからでしょう。しかし、よく見ると川の氷には穴が空いています。オリジナルを描いたピーテル1世は、氷よりも遙かに脆い現世を人々がいかに滑るか見なければならないと書き込んでいるそうです。餌におびき寄せられる鳥のように、人間もまた楽しみに気を取られて己の足元を見失わないように注意しなければならないのかもしれませんね。

ヤン1世「水浴をする人たちのいる川の風景」

…この作品を見ながら、冬になったらこの川が凍って「鳥罠」に描かれた風景のようになるんだろうなと考えていて、ふと、この作品と「鳥罠」の構図がよく似ていることに気がつきました。前景に描かれた大きな木、川の蛇行する向きや船着き場、両岸に並ぶ建物などほぼ同じで、季節を入れ替えただけに見えます。ヤン1世は「鳥罠」を模写した素描も残していますから、構図を取り入れている可能性は考えられるでしょう。生い茂る緑の木立や岸辺の景色が映り込んだ川面などが繊細に描かれ、人々は屈託なく水浴びを楽しんでいます。この作品に限らず、ヤン1世の風景画は色彩が柔らかくニュアンスに富んでいて、それが自然な空気感を生み出しているように思いました。また、鳥罠には教訓的な意味も込められていて、そこが面白さでもありますが、この作品はより純粋に風景画で、当時のフランドルの人々の日常と地続きになった穏やかさが感じられます。構図は世界風景的ですが描かれた題材は身近で親しみがあり、神の目で見下ろす世界からよりフラットな世界へ、風景画が移行していく兆しが窺われると思います。
…「水浴をする人たちのいる川の風景」の特徴の一つは銅板に描かれていることです。銅板は表面が滑らかで平らなため地塗りの必要がなく、銅の色をそのまま下地として活かすことも可能でした。また、細密描写による小型の作品を描く上で、細かな筆裁きや油絵具の輝きを引き出す効果もあったそうです。金属ですから板に比べて耐久性が高く、軽くて薄いため輸送しやすいという利点もありました。私は絵画の支持体というと紙、布、板などが思い浮かぶものの、金属に描くという発想はなくてまず驚いたのですが、より良い作品を制作するために支持体についても様々な創意工夫が試みられていた、そうした絵画にかける熱意に感心させられました。

ヤン2世、ヘンドリク・ファン・バーレン「四大元素―火」

…この作品は火が主題ですが、描かれているのは甲冑や大砲といった武器や金属製の容器などです。寓意画というのは例えば火をそのまま描くのではなく、火によって作り出される物を描き、間接的に火をイメージさせるというのが面白いですね。よく見ると画面左奥では赤々とした炉の傍で働く職人たちがいるので、所狭しと並べられた金属製の道具類はこの鍛冶場で鋳造されたのでしょう。画面左の青い衣の女性はヴィーナス(アフロディテ)です。愛と美の女神ヴィーナスと火のイメージが俄には結びつきづらいのですが、これはヴィーナスの夫が炎と鍛冶を司るウルカヌス(ヘファイストス)だからなのだそうです。ここではヴィーナスの向かいで盾を掲げて見せているのがウルカヌス、二人の間に描かれた羽のある幼児がクピドですね。当時は複数の画家が共同して、それぞれ得意な分野を描くことで一つの作品を制作する共作も多く、この作品の場合はファン・バーレンが人物を描いているそうです。

ヤン1世、ヤン2世「机上の花瓶に入ったチューリップと薔薇」

…ヤン1世はピーテル1世の描いた世界を発展させるだけでなく、新しい分野を開拓しました。それが花の静物画です。当時の西欧では新大陸や東方からもたらされる新種に人々の興味が集まり、とりわけチューリップがもてはやされたそうです。花の静物画はヤン1世以降、ブリューゲル一族の新たな看板商品にもなりました。緻密な描写が得意なヤン1世にとって、繊細で複雑な花弁の構造を描くのは腕の見せ所だったでしょう。色とりどりで、それぞれに異なる形状の花を組み合わせて一つの花束を構成するのは(絵の上のことですが)、まるで華道のようだなとも思いました。こうした静物画はしばしば形ある美の儚さを戒める道徳的な意味合いも持っていて、描かれた花の種類にもそれぞれ意味があるのだそうです。当時の宗教事情も相まって、目に見える美しさといった感覚的な楽しみだけでなく、思索に誘われるような深みが作品に求められたのでしょう。ただ、やはり花が美しくなければ画家も絵にしなかったのではないかとは思います。むしろ、ほんの一時で失われるからこそなお惜しい、美しい姿を何かに留めておきたいという気持ちも生まれるのではないでしょうか。教訓とは裏腹に、描かれた花は永遠に美しい姿を留めて、四百年のちの私たちの目も楽しませてくれているのだと思います。
…ところで、描かれた花の中には季節の違うものも混じっているようです。一本一本の花は写実的に描かれていますが、花瓶に差した花をそのまま描いたわけではないんですね。ヤン1世は作品を催促するパトロンに、それぞれの花の時期に合わせて描いているから時間がかかっていると返答したこともあるそうです。しかもあながち言い訳でもなく、実際に植物園に通ってそれぞれの花を描いていたとのことで、自然を注意深く観察し、正確に描くことへのヤン1世のこだわりが感じられると思います。
…ピーテル1世の息子たちのうち、兄のピーテル2世は主に新興の中産階級向けに作品を制作していましたが、利益が少ない分作品を大量に制作しなければならず、工房に人手が必要となり経営事情が悪化するという循環で、生活は苦しかったそうです。一方、弟のヤン1世はボッロメーオ枢機卿やアルブレヒト大公をはじめとする上流階級を顧客に持ち、「画家の王」ルーベンスはヤン1世の遺言執行人を務めるほど親しい付き合いでした。ブリューゲルの名を広めた兄ピーテル2世と、ブリューゲルの名を高めた弟ヤン1世はピーテル1世の遺産を受け継ぎ、鳥罠や花の静物画などの主力商品をヒットさせることで「ブリューゲル」ブランドの価値を大いに高めたと言えるでしょう。

ファン・クレーフェ「農民の婚礼」他

…マールテン・ファン・クレーフェはピーテル1世と同時代の画家で、今回の展覧会ではブリューゲル一族以外で一番多く作品が展示されていました。農民の生活を描くことを得意としていたようで、「農民の婚礼」は当時の習慣や生活の記録としても面白いです。楽器の奏者を先頭に、花婿の行列には男性たちが、花嫁の行列には女性たちがそれぞれ付き従っています。花婿の後ろを歩く杖をついた年配の男性は花婿の父親かもしれません。女性たちが皆白い頭巾を被っている中、花嫁だけ下した髪を露にしているのは、性的な魅力や生殖の神秘を象徴するものだそうです。三枚目、ご祝儀を受け取る花嫁の向かい側には記録を作成している男性がいます。近代以前の農村のことですから大雑把なのかと思いきや、意外にしっかりしていたんですね。お金のほかに生活に必要な道具も贈られたようで、色々な道具を差し出している人たちもいます。結婚式に伴う祝宴は屋外で行われていたようですから、結婚式はある程度気候が良く、農作業が多忙でない時期に行われることが多かったのではないかと思います。五枚目では涙を流していた初々しい花嫁も、最後の一枚では子供も生まれて一家の母親らしい貫禄がつき、生活感たっぷりになっています。画面の奥には牛がいて、当時の農民は家畜と同じ家屋の中で寝起きしていたことが分かります。ところで母となった花嫁に背中を押されて窓から出て行く男性は、食事中の夫に気付かれないようにこっそり逃げ出す間男でしょうか…おめでたい婚礼の顛末にオチがついて、苦笑いさせられてしまいます。
…一方、婚礼とは対照的な凶事を主題とした「強盗に襲われる農民の夫婦」は、兜を被り、武器を携えた三人の強盗に農民の夫婦が襲われている情景を描いたものです。強盗に足蹴にされている妻は両手を合わせて助けを乞い、夫は蒼白な顔をしつつも腕に抱えた袋を強盗から必死に守っているようです。袋の中身は食糧でしょうか。本作より時代は少し下りますが、三十年戦争では傭兵たちがしばしば農村を荒らしたと言われていますから、この武装した三人組も傭兵崩れの一味かもしれません。素朴な農民の日常とは一線を画す凄惨な場面がリアルに描かれていますが、こうした事件も当時の農村の現実の一つだったのでしょう。荒涼として静寂すら感じさせる自然との対比によって、強盗の暴力性や犠牲となった農民の悲劇が一層際立っている作品だと思います。

ピーテル2世「野外での婚礼の踊り」

…ピーテル2世「野外での婚礼の踊り」は、結婚を祝って踊る陽気な農民たちが画面一杯にひしめき合う生気に満ちた作品です。農民たちの鼻が皆赤くなっているのは、宴会でお酒を呑んで酔っ払っているからでしょう。酔いで気分も開放的になっているのか、男性の股間が…もっとも結婚という主題を考えると、性は外せない要素でもあります。男女が抱き合って踊ること自体性的な陶酔をもたらす行為ですし、大らかな表現からは率直に性を謳歌する素朴な農民たちの姿が感じられます。ピーテル2世は取り繕わないありのままの人間性が息づいている農村で生きる人々を魅力あるものとして描いていると思います。ところで、奥のテーブルに座る花嫁は浮かない表情をしています。会場内の解説文で花嫁が座っているのは妊娠していてダンスを諦めたためとあったので、踊れなくて残念だったのかもしれません。あるいはご祝儀が少なかったのかもしれませんね。ファン・クレーフェの「農民の婚礼」で皿に山積みされているご祝儀に比べると、こちらはまばらで皿の底が見えています。花嫁が妊娠しているならなおのこと物入りでしょうし、浮かれた騒ぎの中にも現実の切なさがちらりと垣間見えます。隣り合わせの歓びと憂鬱をあえて一つの画面に収めるのは、ある種のバランス感覚の作用によるのでしょうか。静物に託された生と死もそうですが、当時のフランドルの画家たちの根底には物事の両面が一体となって形作られている世界を冷静に認識し、現実の光も影も共に受け入れるリアリズムがあるように思いました。

その他

…公式HPでも推奨されていましたが、もし単眼鏡があれば持参をお勧めします。「水浴をする人たちのいる川の風景」などヤン1世の作品には小さな銅板に緻密に風景を描き込んだものがありますが、作品が展示されている1階は他の階に比べて照明が暗めです。おそらく素描がデリケートなのでしょうね。単眼鏡で見たほうが細部もよく見えますし、明るく感じました。
…2月18日までの期間限定で、2階展示室の撮影が可能となっています。2階は「6 静物画の隆盛」、「7 農民たちの踊り」の会場で、作品による制限はなく、どの作品も撮影可能でした。特別展でこれだけ自由に撮影できることはあまりないので良い機会だと思います。
(2018年1月27日)