展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド 感想

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見どころ

…「奇想の系譜展」は美術史家・辻惟雄氏の著書『奇想の系譜』(1970年)に基づき、8人の画家たちの作品を通して独創性に満ちた江戸絵画の魅力を紹介する展覧会です。彼らはその斬新で革新的な表現により、かつては日本美術の中でも傍流とみなされていたのですが、辻氏の著作を通してその現代性が知られることで、今では大きな注目と人気を集めるようになっています。
…この展覧会の出品作には乞食や山姥といったモチーフ、どぎつい色彩や残酷な場面など、これは美しいのだろうかと戸惑いを感じる作品が少なくありません。奇を衒ったような、アクの強い過度・過剰な表現は、緻密で繊細な日本美術というイメージとは真逆と言っても良いぐらいなのですが、一方で、優美で上品な作品には表現できない荒々しさやユニークさなど、別種の魅力もあり、目が離せない力を持っているとも感じました。そうした力を持っていることもまた美の範疇に含めることで、芸術が表現できる世界も広がるのかもしれません。
…私が見に行ったのは会期2週目の土曜午前中で、混雑していましたが入場待ちはなくスムーズに見ることが出来ました。出品作は歌川国芳の浮世絵を除いて大きめの作品が多く、入ってすぐの伊藤若冲の展示室と岩佐又兵衛の絵巻物の展示ケースの前に列が出来ていたほかは全体として見やすかったです。作家別に見ると、伊藤若冲(15点)、長沢芦雪(14点)、歌川国芳(13点)の作品が多めでした(会期中に展示替えがあります)。展示解説は少なく、文章は短めですが、図録には全作品の詳細な解説があります。所要時間は90分でした。

概要

【会期】

 2019年2月9日~4月7日

【会場】

 東京都美術館

【構成】

…8人の画家それぞれに1章が当てられた作家別の展示構成となっています。
…辻氏の『奇想の系譜』で取り上げられている画家は1伊藤若冲、2曽我蕭白、3長沢芦雪、4岩佐又兵衛、5狩野山雪、8歌川国芳。今回の展覧会はこの6人に加えて、蕭白や芦雪、若冲に影響を及ぼした6白隠慧鶴、近年評価が高まっている7鈴木其一を加えた8人の作品によって構成されています。

1 幻想の博物誌:伊藤 若冲(1716~1800)
…写実と幻想の巧みな融合。濃密な色彩による精緻な花鳥画のほか、水墨画、版画など多彩な作品がある。敬虔な仏教徒でもあり、作品には生きとし生けるものがすべて仏になるという思想が反映している。

2 醒めたグロテスク:曽我 簫白(1730~1781)
…18世紀京都画壇で最も激烈な表現を指向した。中国の故事などを題材に、強烈な色彩の対比や奇怪さの誇張など破天荒で独創的な表現による作品を描いた。また、伝統を踏まえつつリアルさも意識した風景画も描いている。

3 京のエンターテイナー:長沢 芦雪(1754~1799)
円山応挙に師事。大胆な構図と才気溢れる奔放な筆致で独自の画境を切り開いた。「群猿図襖」に描かれた猿たちのユーモラスで個性溢れる表情や、黒と白、大と小という対比を組み合わせた黒白図「白象黒牛屏風」のような遊び心あふれる仕掛けを取り入れた作品が特徴。

4 執念のドラマ:岩佐又兵衛(1578~1650)
…戦国武将・荒木村重の子。大和絵と漢画双方の高度な技術を修得しつつ、どの流派にも属さない個性的な感覚に長け、後の絵師に大きな影響を与えた。嗜虐的な表現へのこだわりが見られる。

5 狩野派きっての知性派:狩野 山雪(1590~1651)
狩野山楽に師事。伝統的な画題を独自の視点で再解釈し、垂直や水平、二等辺三角形を強調した理知的な幾何学構図が特徴。妙心寺など大寺院のための作画を多く遺した。

6 奇想の起爆剤白隠 慧鶴(1685~1768)
臨済宗中興の祖と呼ばれる禅僧。職業画家ではないが、仏の教えを伝える手段として描かれた一見ユーモラスで軽妙かつ大胆な書画が簫白、芦雪、若冲らに影響を与えた。

7 江戸琳派の鬼才:鈴木 其一(1796~1858)
酒井抱一の忠実な弟子だったが、師の瀟洒な描写とは一線を画した自然の景物を人工的に再構成する画風で、近年その奇想ぶりが再評価されつつある。

8 幕末浮世絵七変化:歌川 国芳(1797~1861)
…役者絵の国貞、風景画の広重と並び、武者絵の国芳として第一人者となった。発想の豊かな近代感覚を取り込む一方で、幕府の取り締まりをかいくぐって機知に富んだ作品を制作し、庶民から支持された。

kisou2019.jp

感想

伊藤若冲「旭日鳳凰図」(宝暦5年(1755))、「鶏図押絵貼屏風」

伊藤若冲の「旭日鳳凰図」に描かれた極彩色の美麗な鳳凰は、一分の隙もないほど非常に緻密に描き込まれていますが、明暗がほとんどなく色彩に濁りがないため、絵というより錦の織物のように感じられました。また、じっと見ているうちに偶々鳥の姿をしているだけで、形とは関係なく線や色彩そのものが自律的に美しく見えてきます。ハートの尾羽やレースのような羽毛、背景の波など、装飾性が前面に出ていることと、あらゆる部分に均一に焦点が当てられているため、かえって全体像が解体されていくように感じられたからかもしれません。一方で、水墨画の鶏は簡略化され、余白が多いにもかかわらず、自由闊達な筆捌きによって生き生きと感じられます。一本の自在な線で描かれた尾羽が今にもひらひらと動き出しそうなんですよね。鑑賞する側に想像の余地があるほうがリアリティを感じるというのは興味深かったです。一方で、線や色彩が自律的に美しいというのは(若冲の意図するところではないのかもしれませんが)現代美術に通じるところがあるようにも思いました。 

長沢芦雪「山姥図」(寛政9年(1797)頃)

…山姥というと昔話に出てくる子供を掠ったり人を食ったりする恐ろしい存在というイメージがありますが、長沢芦雪「山姥図」にはイメージそのままに、ぎょろりと睨む目や剥き出しの歯という恐ろしい形相の山姥が描かれています。しかし、傍には無邪気な笑顔で着物に纏わり付いている子供の姿があり、腕に下げた籠には日々の糧となる木の実が入っていて生活も垣間見えます。よく見ると山姥のぼろぼろの着物には所々美しい紋様があって、かつての華やかな暮らしを彷彿させますし、子供の手をとる仕草には母親らしい優しさも感じます。この作品は自害した夫の魂を宿して山姥となった元遊女・八重桐が子供(のちの坂田金時)を生み育てて、夫の恩人源頼光の家来とする浄瑠璃「嫗(こもち)山姥」の一場面を描いたもので、広島の商人たちが厳島神社に奉納した絵馬なのだそうです。商人たちは坂田金時夫の逞しさに希望を託したのでしょうか。それとも夫の遺志を背負って労苦に耐え、悲願を果たした山姥の姿に自分たちの願いの成就を託したのでしょうか。喜多川歌麿による同じ画題の作品と比べると、山姥の醜さがあまりに強調されているようにも感じますが、むしろそれ故に、ごくささやかな情愛の表現が胸を打つように思いました。

岩佐又兵衛「山中常磐物語絵巻」四巻

…「山中常磐物語」は奥州に下った牛若(義経)に会うため都を旅立った母の常磐と侍従が盗賊に殺され、牛若がその仇を討つという物語です。今回出品された岩佐又兵衛「山中常磐物語絵巻」の展示ケースには残虐な描写があるとの趣旨の注意表示があったのですが、着物を奪われた常磐が胸を刺されて血を流しながら息絶える場面が克明に描かれていて、実際かなり凄惨な印象を受けました。犠牲になるのが高貴な女性だけになおさら酷さが際立つのでしょう。しかし、善良なだけでなく凶悪さ、残忍さも人間性の一面であることは確かで、ただの嗜虐趣味ではないリアリズムを感じます。描いた又兵衛自身にとっては織田信長によって荒木村重の一族が処刑され、又兵衛の母も殺されたことが大きく影響しているのでしょうが、普通に考えれば思い出したくない辛い記憶にこだわり反復するのは、悔しさや悲しみを忘れまいとあえて記憶に刻むためなのか、自分なりに悲劇を昇華するためなのか、どんな心境だったのでしょうね。翻って作品を鑑賞する側について考えてみると、衝撃的な情報や物語に否応なく引きつけられるのもまた人間の性であり、色鮮やかな絵巻物のなかに人の心理の様々な暗さを見るような思いを抱きました。

歌川国芳「一ツ家」(安政2年(1855))

…大きな鉈を手に、片肌を脱いで立つ老婆。剥き出しの脚や腕の筋肉は異様に逞しく、縋りついて諫める自身の娘を悪鬼のような形相で見下ろして、その顎を掴んでいます。激しいドラマと対照的に、画面左側では観音菩薩の化身である涼しげな風貌の童子が立てた膝に頬杖をついて、静かに眠っています。浅草寺に奉納されたこの絵馬は「浅茅ヶ原の一ツ家」に取材した作品で、伝説によると旅人を泊めては殺めて金品を奪っていた老婆と、その娘の家に観音菩薩が化身して訪れ、最終的に老婆は観音の慈悲によって改心(成仏)するのだそうです。本来、浅草寺のご本尊でもある観音様=童子を主役に描くべきなのでしょうが、あえて老婆を中心に据えるところが国芳の奇想の画家たる所以なのでしょう。芦雪の山姥は怪異な姿であっても母子の絆が窺われますが、国芳の本作の老婆からは欲に目が眩んで親子の情さえ踏みにじる人間の恐ろしさが容赦なく表現されています。同時に、人間世界の一切を受け止めて、あくまで穏やかに微笑む観音菩薩の計り知れない慈悲の深さが感じられる作品だと思います。