展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年 感想

見どころ

…「ブダペスト ヨーロッパとハンガリーの美術400年」展は、日本とハンガリーとの外交開設150周年を記念した展覧会です。先日、オーストリアとの国交樹立150年を記念した「ハプスブルク展」を見に行ったのですが、条約が結ばれた当時はオーストリアハンガリー二重帝国だったので、ハンガリーとも同時に150周年なんですね。
…タイトルにもなっているハンガリーの首都、ブダペストは、ドナウ川を挟んで西側の丘陵地帯にあるブダと東側の低地にあるペストが19世紀に合併してできた都市で、その街並みは「ドナウの真珠」、「東欧のパリ」等様々に称賛されています。今回の展覧会はそんな街自体が美しいブダペストにある二つの美術館、ブダペスト国立西洋美術館ハンガリー・ナショナル・ギャラリーから出品されたオールドマスターの作品、及びハンガリーの近現代美術130点で構成されています。
ブダペスト国立西洋美術館の基になったのが、ハンガリーでも最古の貴族の一門であるエステルハージ家の収集した美術品で、中でもエステルハージ・ニコラウス2世(1765~1833)は、1800年から1830年にかけて1000点以上もの絵画を購入して同家のコレクションの発展に貢献しました。エステルハージ家というと私はハイドンが思い浮かぶのですが、音楽だけでなく美術の分野でも大きな役割を果たしていたことを知りました。
…個人的には、今回、これまで知らなかったハンガリーの芸術家の作品に触れることが出来て貴重な機会でもありました。展覧会の顔とも言える《紫のドレスの婦人》を手掛けたシニェイ・メルシェ・パールをはじめ、優美なサロン絵画を手掛けたムンカーチ・ミハーイ、ヴァサリ・ヤーノシュの幻想的で装飾的な作品など、今回新たに名前と作品を知った画家たちも多く、民族色が感じられる作品からモダン・アートまで幅広く楽しむことが出来ました。ハンガリーの人名は耳慣れなくてちょっと難しく感じるのですが、実は日本と同じ姓・名の順だそうで、思わぬ共通点に親近感も覚えました。
…私は会期第1週の平日に見に行ったのですが、混雑もなく落ち着いてじっくり見ることが出来ました。作品数がやや多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年12月4日~2020年3月16日

【会場】

国立新美術館

【構成】

Ⅰ ルネサンスから18世紀まで
 1.ドイツとネーデルラントの絵画
 2.イタリア絵画
 3.黄金時代のオランダ絵画
 4.スペイン絵画――黄金時代からゴヤまで
 5.ネーデルラントとイタリアの静物
 6.17~18世紀のヨーロッパの都市と風景
 7.17~18世紀のハンガリー王国の絵画芸術
 8.彫刻

Ⅱ 19世紀・20世紀初頭
 1.ビーダーマイアー
 2.レアリスム――風俗画と肖像画
 3.戸外制作の絵画
 4.自然主義
 5.世紀末――神話、寓意、象徴主義
 6.ポスト印象派
 7.20世紀初頭の美術――表現主義構成主義アール・デコ

…概ね時代順の構成となっています。第Ⅰ章ではヨーロッパの美術を広く取り扱いながら、その中におけるハンガリーの美術について、第Ⅱ章では逆にハンガリーの画家たちに重心を置きつつ、他国の美術も共に紹介されています。クラーナハティツィアーノの作品は第Ⅰ章に、シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》はⅡ-2「レアリスム――風俗画と肖像画」にそれぞれ展示されています。
…この二部構成には、出品元である二つの美術館の設立や組織再編の経緯なども関係しているようです。以下、簡単に概略をまとめました。
1906年
 ブダペスト国立西洋美術館開館、ハンガリーを含むヨーロッパ美術を包括的に収蔵、コレクションの母体はエステルハージ家などハンガリー貴族に由来。
1957年
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー開館、ハンガリー美術専門の機関として、ブダペスト国立西洋美術館の所有するハンガリー美術が段階的に移管。
2012年
 二つの美術館が一つの組織に統合。
2018年
 ブダペスト国立西洋美術館が改修工事を経て再オープン。
2019年現在
 収蔵分野の再編中。
 ブダペスト国立西洋美術館:世界各地の古代作品及び中世末期から18世紀末までのヨーロッパとハンガリーの美術品。
 ハンガリー・ナショナル・ギャラリー:19世紀以降のハンガリー美術及び世界各国の美術。
…コレクションの増加に伴い、一時期はハンガリーハンガリー以外の各国の美術とに分けていたものを、時代によるまとまりに再編し直しているところなんですね。なお、ブダペストには新しい美術館も建設中で、ハンガリー・ナショナル・ギャラリーの近現代美術の一部が移管される予定だそうです。

budapest.exhn.jp

感想

ルカス・クラーナハ(父)《不釣り合いなカップル 老人と若い女》(1522年)、《不釣り合いなカップル 老女と若い男》(1520~1522年頃)

…年齢や経済力などが不釣り合いなカップルの見苦しさ、滑稽さは古代から喜劇の題材で、教訓と風刺の対象でした。クラーナハの工房ではこの主題の異作が40点以上制作されているそうで、人気のあったことが分かりますが、人々にとって皮肉な笑いも娯楽の一つと言えるかもしれませんし、教訓は建前で官能的な描写を楽しんでいたのかもしれません。
…《老人と若い女》では緑と金色のドレスを身につけたクラーナハらしいアーモンド型の目の華奢な美女と、その女性の肩に手を回し抱き寄せようとしている赤い帽子の老人が描かれています。欲望に囚われた男性はだらしのない表情で女性に見とれ、肌が透けて見えそうな胸元に手を伸ばしていて、隙を窺う女性が財布に手を伸ばしていることにも気づいていません。女性の腰の小物入れのような袋はぱっくりと口が大きく開いていて、澄ました顔をした女性の思いがけない貪欲さを示しているようにも感じられます。年甲斐もなくのぼせ上がっている老人の愚かさと、そこにつけ込む女性の狡猾さが対比されています。
…一方、《老女と若い男》のカップルは少しばかり趣が異なっています。ブロケードの豪華な服を着た老女は、自らぎっしりコインの詰まった財布の金を取り出していて、若い男性も手を差し出して受け取っています。若い女性と老人のカップルはそれぞれが裏腹な思惑を持っているように感じられるのに比べると、老女と若い男性は目を合わせ、お互いの打算によって愛と金銭を取引しているように感じられます。もしかすると、老女は若い頃と変わらぬ微笑みを浮かべているつもりなのかもしれませんが、深い皺の刻まれた顔に昔日の魅力はなく歯の抜け落ちた口元は無残に歪んでいるのみです。
クラーナハの両作品は洗練と俗悪の両面を併せ持ちつつ、人間の愚かさや醜さを克明、冷徹に描き出しています。裕福であっても満たされず欲望に囚われている老人たちも醜悪ですし、愛を利用して賢しく立ち回っているようでいて実は金銭に囚われている若者達もまた醜悪だと思います。滑稽でしかないがゆえに悲劇で、個人的には笑うに笑えない人間の弱さや悲しさみたいなものも感じました。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《聖母子と聖パウロ》(1540年頃)

…幼いキリストを抱く聖母と、剣の柄に手を掛けて聖母子の前に跪く古代のローマ軍人。キリストの赤いサンゴの首飾りは西洋の慣習的な厄除け、魔除けのお守りだそうで、聖母の纏う赤いドレスに聖人の赤いマントと、3人の人物がいずれも赤を身につけています。さらに、画面のほぼ中心に赤いリンゴが配置されていて、赤という色に重要な意味が与えられているように感じられます。血や太陽の色である赤は生命やエネルギー、強さや栄光、有限な生と不可分の死、戦いや受難といった様々なイメージを連想させます。そう考えてみると、画面左上の青空もリアルな風景ではなく天上の象徴であり、宇宙的、超越的な青と捉えることもできるかもしれません。
…この作品では聖パウロ古代ローマの軍人風に描かれていて印象的だったのですが、パウロはローマ軍人ではなく、テント造りが職業だったそうです*1。先日「ハプスブルク展」(国立西洋美術館)で見たレンブラントの《使徒パウロ》(1636年?)では白髪で髭の長い老人として描かれていたのに対して、この聖パウロは壮年の男性であり、イメージのギャップも感じました。レンブラントの《使徒パウロ》は机に向かって書簡をしたためている最中で、こちらのほうが聖人の姿としては一般的に感じられます。一方、このティツィアーノの作品では容貌も個性的であり、一種の「扮装肖像画」と考えられるそうなので、注文主が軍人で、聖人の姿を借りてその肖像を描いたのかもしれませんね。なお、実際のパウロはイエスの死後にキリスト教徒となったため、イエスに直接会ったことはないそうです。
…もう一つ、三人の視線がいずれも交わらず別のものを見ていて、それぞれ異なる考えを抱いているように感じたことも印象に残りました。遠くを見つめるキリストは、幼い顔に何かを決意したような子供らしからぬ表情を浮かべています。左手のリンゴは原罪及び贖罪を象徴しているそうなので、聖母の膝の上に立ち上がろうとしている姿は果たすべき使命のために踏み出そうとしている動作にも見えます。優しげな顔立ちをしたマリアの視線はパウロの書物に向けられいますが、幼い我が子の未来が記されているのでしょうか。聖母としてキリストを支えつつ、一人の母親として愁いを帯びた表情をしているように感じられます。17世紀に記されたティツィアーノの伝記によるとパウロはマリアと対話しているとのことなのですが、私にはパウロはキリストを仰いでいるように見えました。キリストとパウロのポーズはそれぞれ自らの運命を暗示するリンゴと剣を手にして呼応し合っており、パウロはキリストに倣って待ち受ける受難を受け入れ、そこに向かって歩んでいく意志を示しているのではないかと思います。マリアは現実にはあり得なかった出会いに立ち会い、彼らを静かに見守っているのかもしれません。

フランチェスコ・フォスキ《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》(1750年代末/1760年代初頭)

…フランチェスコ・フォスキはアンコーナで生まれ、ローマで活動したイタリアの画家で、冬景色を描いた風景画で名声を得ました。冬景色は16世紀から17世紀のオランダ絵画で流行したのですが、イタリア絵画においてはフォスキ以前はごく稀だったそうです。
…《水車小屋の前に人物のいる冬の川の風景》はフォスキの得意とした冬の風景画です。雪雲に覆われた灰色の空、地面を白く覆う雪、凍てつき冬枯れた樹木。川の水も冷たそうな青緑色をしていて、画面左下ではその川にかかる木の橋を赤ん坊を連れた夫婦が渡っています。一方、対岸の岩場に建つ水車小屋の戸口からは暖かそうな光が漏れていて、女性らしき人影が夫婦を見送っています。彼女は暖かく安全な屋内から寒空の下へと旅立つ家族の道中の無事を祈っているのでしょうか。雲に紛れるように空を飛ぶ鳥たちは渡り鳥の群れで、家族の旅路を暗示しているのかもしれません。しかし、赤ん坊を抱く女性は鑑賞者を安心させるようにはっきり振り返っていて、先行きの明るさを感じさせます。季節的に冬ということもあり、生まれたばかりのイエスを連れたマリアとヨセフのようにも感じられました。

ムンカーチ・ミハーイ《泉のそばの少女》(1874年)、《「村の英雄」のための習作(テーブルに寄りかかる二人の若者)》(1874年)、《パリの室内(本を読む女性)》(1877年)、《本を読む女性》(1880年代初頭)

…ムンカーチ・ミハーイは画業の初期の作品とその後の画風が大きく変わっていて印象的でした。
…初期の作品の主題は故郷ハンガリーの農村の人々で、色調は暗く、描かれた人々は無名の庶民でありながら堂々とした存在感があり、彼らの背負うシリアスな物語が感じられます。例えば《泉のそばの少女》では水くみをする少女が桶を置いて休んでいる姿が描かれています。ふっくらとした頬に赤みが差すまだ若い少女の手は泥で汚れていて、目は暗く表情もぼんやりとしています。重労働を繰り返す日々に疲れ、虚しさを覚えているのでしょうか。《村の英雄のための習作》は村酒場の人気者を描いた大画面の風俗画《村の英雄》(1875年)の準備段階で制作された習作の一枚で、テーブルに背を凭れている若者と、そのテーブル越しに身を乗り出している若者が描かれています。ズボンの上に履いたスカートのような民族衣装がエキゾチックですね。二人はともに視線を左上に向け、どこか思い詰めたような表情をしていて、鬱屈した情熱のようなものが感じられます。
…しかし、ムンカーチは支援者だったド・マルシュ男爵が亡くなり、その未亡人セシル・パピエと結婚してパリで暮らすようになって以降は、ブルジョワ階級の生活を描いたサロン絵画を手掛けて成功しました。《パリの室内》に描かれた邸宅の室内はカーテン、じゅうたん、タペストリーなど豪華な調度品で設えられていて、当時の上流階級の暮らしぶりが窺われます。白いドレスの女性が読んでいる本は厚みがないので雑誌かもしれません。足を組んで座るポーズも人目を気にしない寛いだ姿であることが感じられます。《本を読む女性》は《パリの室内》に比べてさらに大らかな筆遣いで、色彩は一段と明るくなり、特にカーテンと花瓶のターコイズブルーは赤や茶色が主の画面の鮮やかな彩りとなっています。肘をついて本から目を離し、考え事をしている女性は椅子に斜めに腰掛けていて、捻れたスカートが優美な襞をつくり出しています。いずれの作品でも女性たちはサロンの情景の要ですが、存在を主張せず装飾の一部のように華やかな空間に馴染んでいます。ムンカーチは1870年にパリのサロンに出品した《死刑囚の独房》で金メダルを受賞したものの、その後類似のエキゾチックでドラマチックな作品を描くことに行き詰まりを感じていた時期があったそうです。満ち足りた平穏さを描いた作品は描く画家自身にも安らぎや幸福をもたらしたのかもしれません。

シニェイ・メルシェ・パール《紫のドレスの婦人》(1874年)、《ヒバリ》(1882年)

…《紫のドレスの婦人》は青空の下、花咲く緑の草原で木陰に座る紫のドレスの女性を描いた作品で、今日、最も有名なハンガリー絵画の一つです。春の日差しに照らされた風景が明るい色彩で描かれ、ドレスの紫と草原の緑、女性の手元に添えられた黄色の花という対比が目に鮮やかですね。モデルとなった画家の妻はこのとき身ごもっていたそうなので、生真面目な表情で視線を空に向けているのは、自分の未来やまだ見ぬ我が子、あるいは命を授ける運命のようなものへ思いを馳せているのかもしれないと思いました。
…《ヒバリ》は草原に寝そべる裸婦が青空に舞うヒバリを見上げている作品です。特定の物語に基づく場面ではなく、女性も神話の女神や妖精ではないそうです。人工物が見当たらないため同時代を描いたかどうかも不明なのですが、そもそも特定の時代や地域にこだわらず、普遍的な世界として描いているとも考えられます。画面右下に池もしくは小川と見られる水辺が描かれていますから、女性は水浴びをしたあと日向に寝転んでいるところなのかもしれません。地面に近い位置から寝そべって見上げる視点で描いているためか、遠近感がやや歪んで、空が近く雲が低い印象を受けます。晴れた空高く昇るヒバリと地上に縛られている人間とが対比されているようにも思われますし、ヒバリはありのままの姿で寛ぐ女性の自由な精神や魂そのもののようにも思われます。自然と人間との調和や本来の自由を表現した作品だと思います。

ロツ・カーロイ《春――リッピヒ・イロナの肖像》(1894年)

…ロツ・カーロイは19世紀後半に壁画、肖像画の分野で活躍した画家で、この作品では花を手に自然の中で佇む白いドレスの若い女性を描いています。肖像画の主であるリッピヒ・デ・コロング・イロナはこのとき16歳で、まだ少女の面影が残っていますが、大人のように髪を結い上げていて凜とした横顔を見せています。春というタイトルにもかかわらず背後に広がる空は灰色で、周囲の野も暗く荒野のようなのですが、そうした「冬」のような世界に、これから生命の息吹をもたらす春の女神として描かれたものかもしれません。また、手つかずの荒野は、女性の人生がこれから花開くところであることを象徴しているとも考えられます。女性の肖像に季節の春と、みずみずしい青春時代を重ね合わせた作品だと思います。

ヴァサリ・ヤーノシュ《黄金時代》(1898年)

…鬱蒼と木が生い茂る薄暮の森のなか、神々の像が立ち並ぶ前で寄り添う若い恋人たち。女性はバラの供物を捧げ、男性は女性の手を取り胸に引き寄せ、愛の神に礼拝する二人は目を伏せて厳かな表情で祈っています。タイトルの「黄金時代」とは古代ギリシャ人の考えた人類世界の最初の時代で、争いのない幸福に満ちた永久の春の時代であると共に、恋人たちにとって純粋に愛が最も高まっている時期のことを指しているのでしょう。真実の愛を誓い合う恋人たちの姿に、愛の神聖さが時代を超えて不変であることを重ね合わせて讃えているように感じられます。
…この作品は額自体も大きく、凝った装飾が施されていて、額に納められた絵と同じぐらい目を引きました。額の左右には二人の愛を象徴するような二つのハートの形から立ち上る煙が様式化されあしらわれています。一方、額の下部、植物の枝葉の中央に装飾されている動物もしくは怪物の顔はライオンのようにもドラゴンのようにも見えるのですが、個人的にはグリフォンではないかと思いました。並外れた巨体と力を持つ怪物で、黄金を守護するというグリフォンですが、ここでは比喩的な黄金=楽園を脅かす敵を寄せ付けないよう、睨みを効かせているのでしょう。額も含めることで一つの完結した世界となる作品だと思います。

チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》(1904年)

…チョントヴァーリ・コストカ・ティヴァダル《アテネ新月の夜、馬車での散策》は奇妙なのに、何故か目を引くユニークな作品でした。細い月が浮かぶ夕暮れの空の青から淡い紫色のグラデーション、通りを行き交う影絵の馬車やおもちゃのような家など、素朴な雰囲気はアンリ・ルソーの作品を連想させます。この作品の特徴の一つが非現実的な明暗の対比で、アクロポリスの丘や引き伸ばされたかのように細い糸杉の木立など、辺りの風景が夕闇に沈んでシルエットで描かれているなか、画面中央を占める家の壁と、その前を通り過ぎる馬車に乗った女性二人のみが明るい色で描かれています。タイトルからも描き方からも、馬車の後部座席に乗る女性たちが中心と思われますが、散策ですから明確な目的地があるわけでなく、街の中を彷徨うこと自体が目的なのでしょう。現代であれば、ドライブで夜景を楽しむ感覚に近いのかもしれません。そう思って見ると、古代の遺跡を背景に繰り広げられる現代的な生活の一コマという取り合わせが面白く感じられます。黄昏時の街を繊細に彩る自然の光と、家の窓に灯る温かな光が醸し出すメルヘンのような雰囲気が、歴史ある街に息づく人々の日常を柔らかく包んでいるように思いました。

*1:使徒言行録」18.1-11

ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史 感想

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見どころ

…この展覧会は日本とオーストリアの国交樹立150年を記念して、中世から近代まで数世紀に渡り神聖ローマ皇帝として広大な領土と多様な民族を治めてきたハプスブルク家のコレクションを紹介するもので、ウィーン美術史美術館、ブダペスト国立西洋美術館及び国立西洋美術館のコレクションからなる出品作100点で構成されています。
ハプスブルク家がその財力とネットワークを生かして築いたコレクションにはデューラーティツィアーノ、ベラスケス、ルーベンスなど西洋美術に名だたる巨匠達の名品が揃い、国際色も豊かです。しかし、考えてみれば当時はスペイン国王もネーデルランド総督もハプスブルク一族が占めていたのであり、ハプスブルク家の勢力がいかに広範に及んでいたかが実感できます。とりわけ「コレクションの黄金時代」だったのが17世紀で、ベラスケスをはじめ、16世紀から17世紀を代表する芸術家たちの作品が揃っています。
…個人的にはベラスケスやティツィアーノなど肖像画に見応えのある作品が多かったように思いました。出品作は大まかに言って、神聖ローマ皇帝をはじめハプスブルク家のために制作された作品と、ハプスブルク家以外の注文主のために制作された後にハプスブルク家のコレクションに入った作品とに分けることができそうです。前者の例がディエゴ・ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》、後者の例がティツィアーノ・ヴェチェッリオの《ベネデット・ヴァルキの肖像》などでしょうか。バルトロメウス・スプランゲルの《オデュッセウスとキルケ》やダーフィット・テニールス(子)の《村の縁日》などは一見するとハプスブルク家とは直接関係ないような神話画、風俗画なのですが、よく見るとハプスブルク家に捧げられたメッセージが込められている作品です。
…私は11月の土曜日に見に行きましたが、混雑していてなかなか作品の一番前には行けなかったので、展示解説は図録で確かめることにして音声ガイドを聞きながら鑑賞しました。ベラスケスの《青いドレスの王女マルガリータテレサ》前は列ができていましたが、作品も大きいので比較的見やすかったです。ただ、緻密な版画や小型の工芸品をじっくり見るのは難しいかもしれません。なお、ヤン・ブリューゲル(父)の作品はデリケートなためか、作品から鑑賞者までかなりの距離が取られていました。所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

 2019年10月19日~2020年1月26日

【会場】

 国立西洋美術館

【構成】

Ⅰ章 ハプスブルク家のコレクションの始まり
Ⅱ章 ルドルフ2世とプラハの宮廷
Ⅲ章 コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集
 1.スペイン・ハプスブルク家とレオポルト1世 
 2.フェルディナント・カールとティロルのコレクション
 3.レオポルト・ヴィルヘルム:芸術を愛したネーデルラント総督
Ⅳ章 18世紀におけるハプスブルク家と帝室ギャラリー
Ⅴ章 フランツ・ヨーゼフ1世の長き治世とオーストリアハンガリー二重帝国の終焉
…Ⅰ章は肖像画のほか、甲冑やタペストリー、異国の珍品を加工した工芸品なども展示されています。
…Ⅱ章はルドルフ2世の宮廷画家だったスプランゲルの絵画やイタリア・マニエリスムの彫刻家ジャンボローニャの作品に基づく彫刻など、その他デューラーの絵画やエングレーヴィングなどが展示されています。
…Ⅲ章は展覧会のメインで、ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》はⅢ章1節に展示、Ⅲ章3節ではティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ルーベンスレンブラントなどイタリアやネーデルラントを代表する画家たちの作品が展示されています。
…Ⅳ章はハプスブルク家の人物の中でも特によく知られているマリア・テレジアマリー・アントワネット肖像画が展示されています。
…Ⅴ章は出品数は少ないですが、19世紀に首都ウィーンの都市基盤を整備し、ウィーン美術史美術館を設立した皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とその妃エリザベトの肖像画が展示されています。

habsburg2019.jp

ハプスブルク家の人物とコレクション】

マクシミリアン1世(1459~1519、神聖ローマ皇帝在位1508~1519)

ハプスブルク家中興の祖。巧みな婚姻政策を展開して領土を拡大し、ハプスブルク家による支配の礎を築いた。タペストリーの名品をはじめ、各種の美術工芸品を収集したほか、甲冑類の収集にも情熱を注いだ。

ルドルフ2世(1552~1612、神聖ローマ皇帝在位1576~1612)

ハプスブルク家のみならず、ヨーロッパ史上稀代のコレクターとして名高い。宮廷をウィーンからプラハへ移し、「クンストカマー(芸術の部屋)」と呼ばれる部屋を設けて百科全書的なコレクションを構築した。また、芸術家達の招聘にも熱心で、プラハは北方における後期マニエリスムの中心地となった。

フェリペ4世(1605~1665、スペイン王在位1621~1665)

…ベラスケスを宮廷画家に抜擢して重用し、ルーベンスを庇護するなど美術におけるスペインの黄金時代を築いた。フェリペ4世、及びその祖父フェリペ2世の収集したコレクションはスペインのプラド美術館の基礎となっている。

オポルト・ヴィルヘルム(1614~1662、スペイン領ネーデルラント総督1646~1656)

オーストリア大公。ネーデルラント総督としてブリュッセルに赴任した1646年から56年のあいだに、絵画だけでも約1400点にのぼる作品を収集したほか、神聖ローマ皇帝である兄フェルディナント3世のための絵画の収集も行った。レオポルト・ウィルヘルムがウィーンに持ち帰ったコレクションはウィーン美術史美術館の基礎となった。

マリア・テレジア(1717~1780、オーストリア女大公)

…啓蒙君主を代表する一人。ベルヴェデーレ宮殿に帝室画廊を移して、今日の美術館展示に繋がる画派別、時代順によるコレクションの陳列方法を導入したほか、一般大衆への公開を始めた。なお、女性は神聖ローマ皇帝になれなかったため、夫が神聖ローマ皇帝フランツ1世(在位1745~1765)として即位した。

フランツ・ヨーゼフ1世(1830~1916、オーストリア皇帝(1867年からはオーストリアハンガリー二重帝国皇帝)在位1848~1916)

オーストリアの実質的な最後の皇帝。ウィーンの近代的な都市開発で成果を上げた。市壁を取り壊して開通したリンク通り(リンクシュトラーセ)沿いには大学や国会議事堂など公共施設が建設され、1891年にはハプスブルク家のコレクションをまとめたウィーン美術史美術館も開館した。

感想

ジョルジョーネ《青年の肖像》(1508~1510年頃)

…右手を胸に当て、視線を落として物思いに耽る青年。青年の背後には青空が垣間見えていますが、元は青年が山岳風景を見つめる構図だったものが、現在のように曖昧な空間に閉ざされ、俯く目線に変更されたのだそうです。想像してみると、崇高なものに向かう精神の高揚から、内面的な深い思索に表現されるものの印象が変化する気がしますね。なお、青年の仕草は敬虔さを示していると考えられるものの、物思いの内容が宗教的なものなのかどうか、そもそもモデルが誰なのかも特定されていないそうです。しかし、何者であるか、何を思うのか分からなくとも、優美な佇まいや憂いを帯びた表情そのものが鑑賞者の眼を引きつけます。ベルンハルト・シュトリーゲルによる《ローマ王としてのマクシミリアン1世》(1507~1508年頃)は像主の容貌を忠実に捉えつつ、華やかな装飾と色彩で君主の勢威を表現している肖像画らしい肖像画だと思うのですが、王侯の肖像というスタンダードにモデルを当てはめている、記号的に描いている面があるように思います。このマクシミリアン1世とジョルジョーネの青年とがほぼ同年代の作品であると知って、ジョルジョーネの肖像画の新しさに正直驚きましたし、色彩の優位や叙情性といった特徴をはっきり感じることができました。抒情的な肖像画を発展させたジョルジョーネですが、表現されたイメージは時代も国も遠く離れた鑑賞者にもある種の情感を喚起する力があるように思います。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ベネデット・ヴァルキの肖像》(1540年頃)

…毛皮の縁飾りの付いた黒い外衣を纏って、あごひげを生やした壮年の男性。絵であることを感じさせないほど自然な色彩、特に手や顔の複雑な色合いは血の通った肌の生気を感じさせます。男性は小さな本を手に大理石の円柱の基台にもたれて、肩越しに振り返っていますが、曇りのない目で何を見据えているのか、あるいは見えない何かについて思いを巡らせているのでしょうか。目に宿る光には研ぎ澄まされた精神の明敏さが表れているように思います。この肖像画のモデルであるベネデット・ヴァルキは16世紀のフィレンツェの芸術理論家で、「パラゴーネ」(優劣比較論争)に関する二つの講演で名声を得た人物です。「パラゴーネ」は「比較」を意味するイタリア語で、ルネサンス期には諸芸術の比較論争、特に絵画と彫刻のどちらが優れているかという議論が芸術家たちも巻き込んで行われました*1。他のジャンルに対する絵画の優越を論じたヴァルキは、そのなかでティツィアーノの技量を称賛しているそうなので、きっとこの肖像画の出来栄えにも感嘆したでしょうね。

ティントレット《甲冑をつけた男性の肖像》(1555年頃)

…黒い甲冑を身につけて、腰に手を当て立つ男性。窓の外には海が広がり、空に垂れ込める不穏な暗雲は戦乱の兆しのようでもあります。やや赤みがかった血色の良い顔や短い髪などは、ジョルジョーネの《青年の肖像》に描かれたルネサンスの優美な貴公子とはまた雰囲気が異なりますね。男性はヴェネツィア海軍の軍人で、背後に描かれているガレー船の指揮官かもしれません。これから船に乗り込み戦場に向かうところなのでしょうか、活力に満ちて引き締まった顔つきですが、あくまで落ち着いた眼差しからは軍人としての確かな自信と誇り高さが感じられると思います。男性の背景には三本の円柱が立っていますが、円柱は他のいくつかの出品作でも人物に添えられていて、建築物の構造というよりある種の象徴だと思われます。柱が人を象徴するというのは少し不思議な感覚にも思えるのですが、日本語でも一家の大黒柱、組織の屋台骨といった例えでその人物が人々の要・支えであることを意味する言い回しがあるので、そう思ってみると何となく分かる気もします。土台のしっかりとした柱は人格の中枢を目に見える形で表したもので、人格が堅固で歪みがないこと、その人となりが優れていることの証のようなものでしょう。この作品では描かれている人物が甲冑を身につけた軍人ですから、まっすぐな柱のような揺るぎのなさ、勇敢さや高潔さを象徴しているのかもしれません。

ペーテル・パウルルーベンス工房《ユピテルとメルクリウスを歓待するフィレモンとバウキス》(1620~1625年頃)

…狭い室内でテーブルの周りに集まる四人の人物。白髪の老人フィレモンとその妻バウキスがもてなしていた二人の客人は実は神々で、この作品は真実を知った老夫婦が驚愕する場面を描いています。赤い服の若々しい美男子はトレードマークの帽子を被ったメルクリウス、画面左端で片肌を脱いだ神としての姿で描かれている壮年の男性がユピテルですね。胸に手を当てて畏まり許しを請うフィレモンと頬杖を突いて気さくな微笑みを浮かべるメルクリウスの対照的な表情や、袖をまくって中腰でガチョウを捕まえようとしているバウキスと手を差し伸べて静かにそれを制しているユピテルという静と動の組み合わせによって、動揺する人間と寛大な神々という対比が効果的に描写されています。ユピテルの逞しく盛り上がった彫刻的な腕やバウキスの動きの感じられるポーズなどには、ルーベンスの卓越した人体表現が感じられます。質素な室内は奥行きが浅く、舞台のセットのようでもあります。吊り下げられた灯りがつくり出す明暗のもと、劇的な瞬間を感情のドラマと動きのドラマとで表現した臨場感溢れる作品だと思います。

バルトロメウス・スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》(1580~1585年頃)

…スプランゲル《オデュッセウスとキルケ》は複雑に絡み合いながらバランスが保たれているオデュッセウスとキルケのポーズが目を引く作品です。オデュッセウスの赤い衣と、キルケの青いドレスの対比が鮮やかで、キルケの装身具や複雑な形に結われた髪型など細部への拘りも感じられます。キルケの魔法で馬や獅子、狐といった動物に変えられてしまった部下達は救いを求めて懇願するようにオデュッセウスを取り囲んでいますが、部下を助けようとするオデュッセウスは臣民を庇護する皇帝と重ね合わされていて、皇帝を称揚するために好んで描かれたのだそうです。周りの獣たちに対して、画面の中心の二人の人物はスポットライトが当たっているように明るく鮮やかな色彩で描かれ、特にキルケの白い肌は陶器のように滑らかで冷ややかな印象です。キルケの背後には故郷を忘れさせるという危険な魔法の酒と杯も見えますね。キルケの企みを退けようと顔を背けながらも誘惑に抗いきれず足を絡ませているオデュッセウスと、オデュッセウスに言い寄り引き寄せながら魔法の杖を振りかざそうと構えているキルケの、行動と感情のねじれがそのまま身体のポーズとして現れているかのように見える作品だと思います。

ダーフィット・テニールス(子)《村の縁日》(1647年頃)

…この作品は村の教会の開基祭を描いたものだそうです。しかし、画面左手に十字の記された赤い旗がはためいているものの肝心の教会は見当たらず、祭りの舞台は宿屋の前で、晴れた空の下、村人達が食事をしたりバグパイプに合わせて踊ったりしています。中には女性に言い寄る男性や男性を連れ出そうとしている女性の姿も見受けられますが、画面右奥では村人達がメイポールの周りで踊っているので、そもそもは豊穣や多産を祝う祭りだったものにあとから教会の創立という名目が加わったのかもしれません。画面右下の身なりの良い一行は都市の市民とのことで、宿の客なのでしょう。豊かな自然や珍しい風俗、素朴さや郷愁を求めて農村の祭りを見物に来る、ある種の観光をする習慣がこの時代にもあったんですね。浮かれた騒ぎのなかで、犬を連れ杖を手にした旅人だけが一人静かに佇んでいますが、旅人の正面、宿屋の壁にはオーストリア大公国及びハプスブルク家の紋章が掲げられています。東洋にも鼓腹撃壌という言葉がありますが、陽気で賑やかな農村の祝祭を描きつつ、平和で安楽な生活を送ることができる善政を讃えた作品だと思います。

ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータテレサ》(1659年)

肖像画のモデル、マルガリータテレサはベラスケスの傑作《ラス・メニーナス》にも描かれたスペイン国王フェリペ4世の王女です。この肖像画は彼女が8歳のときに描かれた作品で、婚約者である神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世のもとへ、健康に成長している様子を知らせるためにウィーンに送られたそうです。王女は幼いながらも気品が感じられる顔つきで、豊かな金髪と銀糸で装飾された豪華な青いドレスとの対比が鮮やかです。左右に大きく張り出した特徴的なスカートは「グアルダインファンテ(子供隠し)」という17世紀中盤にスペイン宮廷で流行した形状で、画面前方に窓があるのか、薄暗い室内で佇む王女の姿のみが隈無くくっきりと明るく描き出されています。ドレスの光沢や装飾品のきらめきは自在な筆捌きで再現され、人物の明暗は控えめで平面的と言ってもよく、手や顔の輪郭は薄いグレーで縁取られています。王女の背後には時計やライオンの置物が飾られたコンソールテーブルが置かれている一方で、他の肖像画でしばしば見かける円柱やカーテンは見当たりません。対象となる人物を説明的に描写せず、目の前にいるモデルをありのまま描くことで本質を捉えようとするリアリズムがベラスケスの特徴なのだと改めて感じました。おそらくは王女の居室の様子がそのまま描かれていることで、ほぼ等身大の肖像画を前にしたレオポルト1世は、まさに王女の部屋に入って彼女と対面したような感覚を味わったのではないでしょうか。光り輝く王女にはスペイン宮廷の希望、オーストリアとスペイン両ハプスブルク家の未来を願う気持ちも込められていたのだろうと思いました。

マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》(1778年)、ヴィクトール・シュタウファー《オーストリアハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》(1916年頃)

マリー・アントワネットの肖像はしばしば目にする機会があるのですが、ヴィジェ=ルブランのこの肖像画は、とりわけ鼻や目の形などにハプスブルク一族の人物らしい特徴が見て取れました。調度品などのデティールや色遣いはデリケートですが、一際豪華で壮麗な空間の演出はフランスの強大な国力を感じさせます。若いアントワネットはレースとリボンがふんだんにあしらわれた真珠色のドレスをまとい、自信に満ちた表情を浮かべています。バラを手にした姿はさながら美の女神といったところで、画家はそのような彼女の在り方、あるいは思いを汲み取って表現していると思います。ただ、可愛らしすぎる出で立ちはアイドルのようでもあり、肖像画を見た母マリア・テレジアが不安を覚えたのも無理はないように思いました。
…フランツ・ヨーゼフ1世の肖像を見たときは不思議な感覚を覚えました。人物の特徴を緻密に捉えつつ、皇帝としての威厳を感じさせる肖像なのですが、写真や映像による記録が残り、一方で絵画の表現は大きく変化して、オーストリアであればクリムトやシーレなどの作品も存在している20世紀に、中世以来の伝統を踏まえた古風な表現が居心地悪そうな印象を受けました。神聖ローマ帝国は解体されてすでになく、ハプスブルク家による統治の体制も、その統治者たちを賛美してきた表現も、変わりゆく世界とそぐわなくなりつつあることを感じさせる作品だと思います。

*1:『レオナルド×ミケランジェロ展』(2017年、三菱一号館美術館)P60

コートールド美術館展 魅惑の印象派 感想

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見どころ

…コートールド美術館はロンドン大学付属コートールド美術研究所の展示施設で、印象派・ポスト印象派の世界的なコレクションを所蔵しています。今回の展覧会は美術館の改修工事に伴うもので、コレクションの中核となる作品60点が来日しています。私はマネの《フォリー=ベルジェールのバー》を初めて見ることが出来たのですが、有名だけど実物は見たことがない、そんな名作を実際に目にするまたとない機会だと思います。また、コートールド美術館は美術研究・教育と結びついていることから、展示構成なども研究・調査の成果を取り入れ、作品を読み解くことを意識したものになっていて、作品をより深く理解したいという美術好きの求めにも応える内容となっています。
…コートールド美術館の中核となるコレクションを築いたサミュエル・コートールドは20世紀初頭にレーヨン産業で成功した実業家で、1923年から1929年にかけて印象派の作品を集中的に収集しました。当時、イギリスでは印象派はまだ評価が定まっていなかったのですが、コートールドは印象派について、この上なく平等で誰にでも開かれた、力強く躍動的な美術運動の一つだと考えていたそうです。芸術への情熱を共有していた妻エリザベスの死を機に、コートールドは1932年にはイギリスで初めての美術史を専門とする研究・教育機関ロンドン大学付属コートールド美術館を創設して、コレクションの大半を寄贈しましたが、コートールドの友人チャールズ・モーガンによると、「コートールドの願いは、一般の人々を目利きにすることではなくて、セザンヌやマネやルノワールの作品をとおして、私たちひとりひとりの個人の生活を詩情溢れるものにしてほしいということだった」そうです。芸術は日々のことに消耗し、疲弊した人々の心に穏やかな安らぎや生き生きとした彩りをもたらすものであり、その効果が広く行き渡ることで社会全体の安定や発展に繋がる、印象派やポスト印象派の作品はそうした力を持っているとコートールドは考えていたんですね。確かに、印象派の作品の明るく調和の取れた色彩や親しみやすく身近な主題は、時間も場所も遠く離れた日本人の私にも幸福感をもたらしてくれます。印象派の作品を見て嫌な気持ちになる人は余りいないと思いますが、いつ見ても、誰が見ても良いというのはとてもすごいことだと思います。
…私はプレミアムナイトで鑑賞したのですが、落ち着いてじっくり作品を見ることが出来て贅沢な時間を過ごさせてもらったと思います。会場内では写真撮影も可能で、時間帯は指定されていましたが、作品に制限はありませんでした。図録では作品を読み解く手がかりとして、主要な作品については透明なフィルムのページが添付され、鑑賞のポイントが分かりやすく解説されています。出品数は60点と多くはありませんが、関連資料も多く見応えのある内容です。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年9月10日~12月15日

【会場】

東京都美術館

【構成】

第1章 画家の言葉から読み解く
 …モネ、ゴッホなど
 収集家の眼① ポール・セザンヌ…《カード遊びをする人々》他
第2章 時代背景から読み解く
 …ブーダンピサロシスレーなど
 …ドガ《舞台上の二人の踊り子》
 …マネ《フォリー=ベルジェールのバー》
 収集家の眼② ピエール=オーギュスト・ルノワール…《桟敷席》他
第3章 素材・技法から読み解く
 …スーラ、ボナール、ロダンなど
 収集家の眼③ ポール・ゴーガン…《ネヴァーモア》他
…コートールド美術館は美術史の研究機関であるコートールド美術研究所の展示施設であり、展示構成も作品を読み解くという観点からの章立てとなっています。このため、モネは第1章と第2章に作品があり、セザンヌの作品は第1章と第3章、ドガの作品は第2章と第3章にまたがるという具合に、他の展覧会ではあまりない構成になっています。また、各章ごとに「収集家の眼」と題してコートールドが特に注目し、熱心に収集した画家の作品がそれぞれまとめられています。
印象派、ポスト印象派以外では、ナビ派やエコール・ド・パリの画家の作品も出品されていて、第3章に展示されています。ナビ派はゴーガンとの関連もあって収集したのかもしれないですね。
…出品作のジャンルは風景画が最も多くおよそ半分、ついで人物画の割合が高くなっています。静物画は少なめで、セザンヌの作品が中心を占めています。また、彫刻としてはロダンの作品のほか、ドガルノワールなどの作品も出品されています。

courtauld.jp

感想

風景画 自然を描く

…出品作を見ると風景画の占める割合が大きくなっていますが、近い時期に制作された同じ風景画というジャンルでも、それぞれの画家の特徴、技法の違いが出ていて興味深く感じました。

クロード・モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》(1873年)

…モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》は川岸の黄葉が青空に映える作品です。色づいた木々の葉は細かな筆遣いで描かれていて、秋の日差しを浴びてきらめいています。一方、水面には空と黄葉が映り込み、画面下半分でも色彩が対比されて、その効果が増幅されています。モネは川に浮かべたアトリエ舟からこの作品を描いたそうで、目の前の水面は色が濃く波も大きいのですが、遠ざかるにつれて次第に水の色は薄く明るく、波も小さくなっていく様子が表現されています。大気の中で震えるように輝く色彩と、さざ波立つ川面を染めて揺蕩う色彩とが感じられる作品だと思います。

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モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》

フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く桃の木々》(1889年)

ゴッホの《花咲く桃の木々》は早春のアルルの田園を描いたもので、柵の向こうの果樹園では桃が満開の花を咲かせています。画面手前の道や空に施された規則的な点描はリズミカルで、春の兆しに目覚めた生命の息吹や鼓動のようにも感じられます。この作品を制作していた時期、ゴッホはサン=レミの療養院に入院する直前で不安定な精神状態だったそうですが、緑に覆われた大地や青い山並みの上に白い雲がたなびく風景は明るく穏やかで、春の到来の喜びが表現されているように思いました。

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ゴッホ《花咲く桃の木々》

ジョルジュ=スーラ《クールブヴォワの橋》(1886~1887年頃)

…ジョルジュ=スーラ《クールブヴォワの橋》は新印象派の技法がよく分かります。桟橋に船が横付けされた川岸の風景なのですが、対象は微細な点描で描かれ、随所に施された白い点描の効果なのか全体としてパステルカラーのように感じます。輪郭線はなく、川の上を煙を上げて遠ざかる蒸気船はあたかも空気に溶けていくように見えます。

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スーラ《クールブヴォワの橋》

ポール・セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》(1887年頃)

セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》は麓に広がる田園の向こう、画面の中心に画家が繰り返し描いた故郷の山が堂々と座しています。前景の松の枝はサント=ヴィクトワール山を縁取るように大きく画面に張り出し、空を遮ることで遠近感をもたらしています。上述の画家たちと比べるとサント=ヴィクトワール山の稜線や松の木の枝などの輪郭ははっきりしていて、色彩は大気を透過することで青みがかり、大きめの筆痕は剥き出しの岩肌の隆起など物体のボリュームを表現しています。西洋美術で山岳が芸術の主題となるのはようやく18世紀のことで*1歴史は浅いのですが、厳かに聳える山の姿からは単なる岩の塊を超えた神々しさが感じられると思いました。

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セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》
人物画 都市の情景

…19世紀後半は産業革命が進展して社会も大きく変化した時代ですが、変貌した都市の生活や人々の姿をどのように捉えるか、画家によりそれぞれ切り口があり、関心のありようが表れているように思いました、

ピエール=オーギュスト・ルノワール《桟敷席》(1874年)

…オペラグラスを手に劇場のボックス席に座る男女。オペラグラスをのぞいている男性は眼下の舞台ではなく客席を見ているようですが、この時代の劇場は舞台を見る観客たちもまた見られる側だったそうで、女性の太めのストライプが目を引く洒落たドレスもそうした視線を意識したものなのでしょう。しかし、女性の表情は口元こそ微笑んでいるものの、少し表情が固いようにも感じられます。期待していた相手が見当たらずに落胆しているのか、あるいはその相手が別の女性を連れていたのか、そんなドラマを想像したくなる一枚だと思います。

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ルノワール《桟敷席》

エドガー・ドガ《舞台上の二人の踊り子》(1874年)

…一方、劇場の舞台の上ではエドガー・ドガ《舞台上の二人の踊り子》のようなショーが披露されていたかもしれません。舞台の上に身を乗り出すようなユニークな視点は、日本美術の影響を受けたものだそうです。舞台の下手側から上手側を望む構図で、上手側の二人の踊り子によって重心が右上に偏っているのですが、画面の余白は広い空間へと向かう踊り子達の動きを予感させます。床の上に対角線に伸びる線はセットを動かすためのレールでしょうか。舞台の照明を浴びて踊る踊り子達の一瞬のポーズを、繊細なタッチで描いている作品だと思います。

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ドガ《舞台上の二人の踊り子》

アンリ・ド・トゥールーズロートレック《ジャヌ・アヴリル、ムーラン=ルージュの入口にて》(1892年頃)

…アンリ・ド・トゥールーズロートレック《ジャヌ・アヴリル、ムーラン=ルージュの入口にて》はステージから降りたダンサーの素顔を捉えています。季節は冬なのでしょうか、手袋を嵌め、毛皮に縁取られたコートを着たジャヌ・アヴリルは伏し目がちに肩をすぼめて物憂げな表情に見えます。ひっそりとした佇まいで、細い顔が埋もれるような襟元や厚い外套は自分の身を守り、あるいは隠しているかのようにも感じられます。物思いの理由は分かりませんが、華やかな舞台で観客を湧かせるダンサーとしての顔とは異なる内省的な表情のほうが、実は彼女の本来の姿に近いのかもしれません。

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ロートレック《ジャヌ・アヴリルムーラン・ルージュの入口にて》

エドゥアール・マネフォリー・ベルジェールのバー》(1882年)

…この展覧会の一番の注目作、マネ《フォリー・ベルジェールのバー》は想像していたより大きなサイズに感じました。おそらく、印象派前後の画家たちの作品が、制作方法(しばしばカンヴァスを戸外に持ち出して制作)や購入者層(貴族からブルジョワへ)などの変化によって比較的小型のものが多いためでしょう。バーカウンターに手を突いて立つバーメイドの女性。背後は鏡張りで、店内の様子――談笑する大勢の客や豪華なシャンデリア、ショーが上演されているのかぶら下がる軽業師の足なども見えています。柱に取り付けられた丸い照明は、絵画に描かれた人工照明としては最も早い時期の一つになるそうです。本作の特徴の一つが画面の大部分を占めるこの鏡像で、実際は狭く浅い空間が、鏡の効果によって大きく広がって感じられます。また、モデルの女性と合わせて、その女性が見ている世界も一つの画面に収められ、同時に見ることができるという効果もあると思います。文字ではなく絵ですから、女性が何を考えているか具体的には分からないのですが、彼女の見ている世界はそれを知る手がかりにはなるでしょう。よく見ると、画面右側にはバーメイドの後ろ姿とともに、女性の前に立つ男性が映り込んでいます。この鏡像は初めもう少し女性の近くに描かれていたのですが、リアリティを無視してもあえて少しずらす修正をした理由は不明だそうです。ただ、離れることで仕掛けに気づくまでの時間差が生まれ、先ずは描かれたものに、次に隠された物語へとより深く作品に引き込まれるという効果はあると思います。バーメイドの女性は男性とどんな会話をしているのでしょうか。この作品の習作では、女性が男性のほうにはっきりと身体を向けて微笑んでいるのですが、完成作の女性は虚ろな目をして曖昧な表情を浮かべています。バーメイドの女性はアルコールの提供だけでなく、娼婦となることもあったそうなので、男性の誘いに迷いや躊躇いを感じているとも考えられます。粗いタッチでぼんやりと描き出された鏡の中の世界は、華やかな夜のパリの虚ろで儚い鏡像かもしれません。

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マネ《フォリー・ベルジェールのバー》
裸婦画 西洋美術の伝統と異国の文化

…裸婦は西洋美術の伝統的な主題の一つですが、モディリアーニとゴーガンはそうした伝統を踏まえつつ、異国の文化にも関心を持ち、作品に取り入れて描いています。一方で、両者の裸体に込められた意味の違いも感じました。

アメデオ・モディリアーニ《裸婦》(1916年頃)

モディリアーニの《裸婦》は赤い椅子に凭れて目を閉じ眠る裸婦を描いたものです。実際には不自然で苦しいポーズだと思いますが、傾けた首から腰、腿にかけて捻られた身体は、優美なS字の曲線をなしています。女性の肌が点描風の筆致によって丹念に、複雑な色合いで描かれているのは、モディリアーニが一時期彫刻制作に打ち込んでいて、鑿で少しずつ彫り進めていく方法を絵画に応用しているためなのだそうです*2。輪郭線は明瞭で、表情は簡略化した線で表現されていますが、近い距離から描かれた裸体は赤みを帯びた滑らかな頬や胸元の血管の透けるような白さ、腹部の丸みなど生々しさを感じさせ、鑑賞者=画家の視線に無防備に差し出されているかのような印象を与えます。独自の技法や異国の文化を取り入れつつ、女性の裸体の持つ普遍的で甘美な官能性を表現した作品だと思います。

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モディリアーニ《裸婦》

ポール・ゴーガン《ネヴァーモア》(1897年)

…ゴーガンの《ネヴァーモア》はタイトルも描かれた図像も謎めいた作品です。西洋絵画の伝統的な裸婦を思わせるポーズで、ベッドに横たわる褐色の肌の女性。背後の窓枠には黒い鳥が止まり、開いた戸口では二人の人物が顔を寄せ合って密やかに言葉を交わしているかのようです。窓の外に見える赤い奇岩はタヒチの山でしょうか。植物を図案化した装飾は壁やベッドなど画面全体にあしらわれていて、平面的な空間表現とあいまって無国籍的、あるいは非現実的な空間を演出しています。画面左上の壁に書かれた「NEVERMORE」の文字は、ポーの詩「大鴉」で恋人を失った主人公のもとに現れる大鴉の鳴き声に由来すると考えられているそうで、ベッドに横たわる女性の耳を塞ぐような仕草は鴉の鳴き声を聞かないためとも思えますが、ゴーガンは窓に止まった黒い鳥を「悪魔の鳥」であるとして詩と作品の直接的な関係を否定しているそうです。悪魔の鳥は不運や災厄をもたらすのか、悪徳・堕落に誘惑するのか、女性は忌まわしいものと知りつつ心から完全に追いやることは出来ない様子で、視線は背後へと向けられています。
…ゴーガンは、本作について手紙で「私はただありのままの裸体によって、かつて未開人がもっていたある種の豪華さを想起させたかった。全体をわざと暗くくすんだ色彩で覆っている。この豪華さをつくり出しているのは、絹でもビロードでも麻布でも金でもなく、画家の手によって豊かになったマティエールなのだ」と記しているそうです。文明の影響から解放された原始的楽園のイメージを求めてタヒチに渡ったゴーガンにとって、ありのままの裸体は自然から切り離される以前の無垢で純粋な原始の生命力の象徴だったのではないかと思います。それは文明に対してより劣った野蛮を意味するものではなく、豪華な衣装を纏った王侯の肖像にも匹敵するものであり、神話画に描かれる裸体のように崇高な物語や神秘的な象徴性を担いうるものなのでしょう。対して、窓辺から楽園を窺う「悪魔の鳥」は文明を暗示する存在であり、高度な文明のもたらす便利さ・快適さはある種の退廃と引き換えで、一度その果実を味わうと二度と引き返すことができないものであることを意味しているとも考えられます。ゴーガンが描きたかったのは良くも悪くも物珍しい、西洋のアンチテーゼとしてのタヒチの文物、風俗というより、西洋、非西洋を問わず原初の人間、あるいは時代を問わず、人間が本来持っているはずの失われた高貴さだったのかもしれません。

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ゴーガン《ネヴァーモア》

 

*1:ターナー 風景の詩』P133

*2:オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち』P92

印象派からその先へ――世界に誇る吉野石膏コレクション 感想

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ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》


見どころ

…「印象派からその先へ――世界に誇る吉野石膏コレクション」はバルビゾン派からルノワール、モネなどの印象派、さらにモダン・アート、エコール・ド・パリにいたる72点の作品を見ることが出来る展覧会です。秋は多くの美術館で大型の展覧会が開催されていて、そうした中でこの展覧会に対してはやや控えめなイメージを持っていたのですが、予想以上に良質な作品が多く、19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランス絵画を堪能することが出来ました。
…コレクションを所蔵する吉野石膏株式会社は1980年代後半からフランス近代絵画の収集を始めて、1992年からは公益財団法人山形美術館の常設展示室でコレクションを公開しているそうです。特にシャガール作品は国内有数のコレクションとして知られているとのことで、今回の展覧会でもシャガールの作品が10点出品されていました。
…私は11月の土曜日の午後に見に行きましたが、最初の展示室は混雑していたものの、その後は落ち着いてじっくり鑑賞することが出来ました。展示解説は多めです。所要時間は90分程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年10月30日~2020年1月20日

【会場】

三菱一号館美術館

【構成】

1章 印象派、誕生――革新へと向かう絵画
 …ルノワール7点、シスレーピサロ各6点、モネ5点など計36点
2章 フォーヴから抽象へ――モダン・アートの諸相
 …ヴラマンク4点、ピカソ・ルオー各3点など計20点
3章 エコール・ド・パリ――前衛と伝統のはざまで
 …シャガール10点など計16点
…概ね年代順、画家別の構成で、タイトルにもなっている印象派の作品が半分近くを占めています。ほぼ油彩画ですが、パステル画も3点(ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》、ドガ《踊り子たち》、ピカソ《フォンテーヌブローの風景》)含まれています。

感想

ジャン=フランソワ・ミレー《バター作りの女》(1870年)

…薄暗い室内で桶の傍らに立ち、バター作りに勤しむ女性。牛乳を攪拌する女性は手にした棒を恭しく捧げ持っているようでもあり、相似形をなす台形の桶と女性のスカートはどっしりとした安定感を感じさせて、働く女性の姿に厳かな重々しさを与えています。部屋の右側、出入口の先にある納屋では乳搾りをする女性がいて、更にその窓の外には小さく緑の牧場が見えますね。画面の奥行きが感じられると共に、牧草地で育った牛が納屋で乳を搾られ、その牛乳でバターが作られるという一連の過程が一つの絵に収められた異時同図法になっているようです。だまし絵のように石畳に刻まれたサインとあわせて、画家の遊び心も感じられる作品だと思います。

ウジェーヌ=ルイ・ブーダン《アブヴィル近くのソンム川》(1890~94年頃)

ブーダンというと明るい空の下、水辺で余暇を楽しむ人々を描いた作品のイメージがあるので、この作品を最初見たときすぐにブーダンとは分かりませんでした。上空高く昇った月が雲の影から姿をのぞかせ、川面に明るく映し出されています。昼間の太陽とは異なる白々とした月明りに照らされて、夜空に広がる雲が見せる微妙な表情が複雑な色調で描かれています。限られた色彩や素早く大胆な筆遣いなどは水墨画のようにも感じられました。

ピサロルーアンのエピスリー通り、朝、雨模様》(1898年)

…この作品は朝、まだ人通りが疎らなエピスリー通りを見下ろす視点から描かれています。空に雲は多いものの、灰色と褐色を主とする街並みの色彩には明るさが感じられ、石畳の通りを往来する人も傘は差していないので、弱い雨なのでしょう。画面奥に向かって伸びる道の先には大聖堂の塔が聳える一方、画面手前には色とりどりのポスターが掲示された広告塔が立っていて、一つの街に同居する古い歴史と新しい時代が感じられます。時刻や天候が添えられたタイトルがモネの連作《ルーアン大聖堂》(1892~94年)を思い出させるのですが、本作品とほぼ同じ構図、サイズで描かれた《ルーアン旧市場とエピスリー街》(1898年、メトロポリタン美術館蔵)という作品もあるようなので、ピサロによるルーアン連作の一点なのでしょうね。

アルフレッド・シスレー《モレのポプラ並木》(1888年)

…この作品は画家が居を構えたモレ=シュル=ロワンの風景を描いた一点で、ロワン川の岸に沿って緑のポプラ並木がリズミカルに立ち並び、空間の奥行きを効果的に演出しています。戸外の風が心地良い季節のようで、翻るポプラの葉に明るい日差しが白く反射し、梢の背後には白い雲の浮かぶ青空が広がっています。影が比較的長いので、空の色も踏まえると朝から午前中にかけての時間帯でしょうか。両岸ではそれぞれに寛いでいる人々の姿もあり、穏やかな時間が流れているように感じられます。きらめく光に満たされた印象派らしい風景画だと思いました。

モネ《サン=ジェルマンの森の中で》(1882年)

…モネ《サン=ジェルマンの森の中で》は華やかな色彩が印象的です。緑の森に鏤められた赤や黄の色彩に秋の森かと思ったのですが、この作品は初夏に描かれたそうなので、おそらく赤みが掛かった午後の日差しに照らされている光景なのでしょう。木々のあいだのトンネルのような道は日向と日陰が交互に連なり、森の奥へと続いています。点描で描かれた樹木の枝葉は見分けが付かないほど混じりあい、光と物体が渾然一体となっていて抽象画のような作品だと思いました。

エドガー・ドガ《踊り子達たち(ピンクと緑)》(1894年)

…この作品は舞台の袖で出番を待つ踊り子達を捉えたもので、斜め上から見下ろしているため踊り子の足が短縮されて描かれています。踊り子のチュチュや肌の色、床などピンクがかった色彩と対比されて、衣装の胴部の緑色が引き立っています。パステルのタッチはチュチュのふんわりとした感触を効果的に表現していますね。横顔の踊り子の表情はよく見えませんが、腰に手を当てて構え、爪先を立てている仕草、背中に浮き上がる筋肉などからは、舞台に躍り出る直前のエネルギーを蓄え気持ちを高めている様子が伝わってくると思います。

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ドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》

フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を運ぶ人々》(1884年)

…この作品はゴッホがオランダ時代に描いたもので、荒涼とした雪原を、外套も羽織らない質素な身なりの農民の家族が薪を運んで歩いています。一面の白い雪の中、暗い色彩で描かれた四人はいずれも俯き、貧しさや過酷な労働に打ちひしがれていて、背中の薪は彼らの背負う人生の重荷を象徴しているようにも見えます。画面左の沈みゆく真っ赤な太陽は教会などの宗教的モチーフに代わるものだそうで、そう思ってみると薪を背負う農民たちは十字架を背負うイエスのようにも見えてくる作品だと思います。

モーリス・ド・ブラマンク《大きな花瓶の花》(1905~1906年)

…この作品は今回の展覧会で個人的に一番印象に残りました。縦長の大きな作品で、素焼きの花瓶は陰影によって丸みが表現され立体感が感じられる一方、花瓶に生けられた花は形体が簡略化され、大きめの色の斑点で平面的に描かれています。花瓶の大きさに比べると花の背が高く、垂直性が強調されていますが、上に向かって伸びる花や葉と下に垂れる葉やテーブルに落ちた花とは互いに引き合いつつも釣り合っていて、画面に緊張感とまとまりを生み出しています。モチーフを形作る赤・褐色と緑、影になった部分の青と背景の黄という補色同士が対比されていますが、ただ強烈なだけでなく生き生きとした色彩の輝きを感じられる作品だと思いました。

モイーズ・キスリング《背中を向けた裸婦》(1949年)

…この作品はとても滑らかな絵肌が印象的で、それがそのまま傷一つない女性のつややかな背中であるかのように感じられました。頭にターバンを巻き、上半身露わな女性が振り返って流し目で微笑む構図は、マン・レイの《アングルのヴァイオリン》(1924年)の影響を受けているそうです。マン・レイの作品が女性の曲線美を抽象化し、諧謔を交えて表現しているのに比べると、キスリングのこの作品はより率直に女性美を讃えていて、生身の肉体が持つけだるい重々しさはマン・レイの作品のさらに元となったアングルの《ヴァルパンソンの浴女》に近いように思いました。

マルク・シャガール《逆さ世界のヴァイオリン弾き》(1929年)

…床と屋根がひっくり返り、部屋の中が壁の外にめくれているような奇妙な家でヴァイオリンを弾く男性。一目見て現実にはあり得ない光景と分かりますが、シャガールは時折キャンヴァスを回転させて描くこともあったそうです。画面の中心を占めるヴァイオリン弾きはどんな音楽を奏でているのでしょうか。聞こえることのない絵のなかの音楽を敢えて想像してみると、ヴァイオリン弾きのわくわくとした、夢中でヴァイオリンを掻き鳴らしているような表情やひっくり返った世界から、ゆったりとした曲ではなく目まぐるしい曲のように思われます。シャガールが生まれ育ったヴィテヴスクのユダヤ人社会で信奉されていたハシディズムというユダヤ教の一派では、歌や踊りを通して神との交感を果たすことが大きな意味を持っていたそうです。シャガールにはヴァイオリンを弾く叔父がいて、自分でも弾くことがあったそうですから、この作品は経験、実感を拠り所に音楽や踊りがもたらす昂揚感、忘我や酩酊を表現しているとも考えられます。幻想的な作風で知られるシャガールですが、自身をリアリストだとも語っているので、単なる夢や不思議ではなくこのように描かれる理由があっての作品なのだろうと思います。パガニーニのような超絶技巧でこの逆さ世界を操る、魔術師としてのヴァイオリン弾き。宙を舞う天使はそんなヴァイオリン弾き=画家に霊感を吹き込んでいるのかもしれないと思いました。

ゴッホ展 感想

見どころ

ゴッホ(1853~1890)の作品は人気が高く、展覧会の開催も多いのですが、今回の「ゴッホ展」はゴッホの作品とハーグ派、印象派の画家の作品をそれぞれ展示してゴッホが受けた影響を見るというものです。
ゴッホ印象派から受けた影響はある程度知られていると思うのですが、今回はハーグ派からの影響にも光が当てられていて、ゴッホのオランダ時代の作品も多数見ることが出来ます。オランダ時代の写実的な灰色のゴッホの作品と、フランスに移り住んで以降の明るく強烈な色彩を厚塗りのタッチで描いた作品とを比べると色彩や技法が大きく変化していることが分かるのですが、一方で働く農民達や自然への眼差しなど、ゴッホの関心の在処は初期作品から継続していることも感じられます。
…個人的には、今年の春のバレル・コレクション展で目にしたマウフェやマリス兄弟などハーグ派の作品を今回改めて目にしたことで、こんな画家たちがいたんだなという謂わば点の認識が、位置づけや影響関係など美術史の流れ、線として繋がったことが良かったです。オランダというと17世紀のレンブラントフェルメールのイメージが強いのですが、19世紀にも魅力的な画家たちがいたんですね。
…ハーグ派は19世紀後半、オランダのハーグを拠点に活動したフランスのバルビゾン派にも喩えられるグループで、田園や水辺の情感豊かな風景を、灰色や褐色を主とする繊細な色調で描いています。今回の出品された作品の印象ですが、ハーグ派はバルビゾン派に比べると風景以上にその中で生きる人々への関心が強く、また、憧憬や郷愁よりも日常的、現実的な身近さを強く感じました。そうした点はオランダの伝統的な風俗画の流れも汲んでいるのかもしれません。
…また、今回の展覧会では、アルルで共同生活をしたゴーギャンの他にもゴッホが様々な画家と交流のあったことが分かりました。ゴッホは自ら母に語っているように孤独を抱えていたかもしれませんが人間が嫌いなわけではなくて、たとえばゴッホに絵画の基礎を教えてくれたマウフェに対して、関係が悪化したあとも慕っているんですよね。また、画家になる以前に画商として仕事をしていたためかもしれませんが、手紙に残されたゴッホの言葉を読んでいると自分で描くだけでなく他の画家の作品を見ることも好きそうな感じがしました。ゴッホは巨匠の作品や同時代の他の画家の作品をよく見ていて、称賛を惜しまず、意見や助言を求めたりすることによって、独自の作品を生み出したのだと思います。
…私は10月の土曜日の昼13時過ぎに入場しましたが、チケット購入の列は出来ていたものの、入場待ちはなくてすぐ中に入ることが出来ました。ただし、会場内はずっと混雑していたためほとんど作品の一番前で見ることはできず、列の後ろのほうから見るのが精一杯の状態でした。図録の表紙はバラと糸杉の2種類があります。私は図録付のチケットだったのでレジでチケットを出したのですが、図録の種類は質問されず、渡されたものをそのまま受け取りました。幸い、選ぼうと思っていた方をもらえたので良かったのですが。図録付のチケットの場合は種類を選べないのかどうかは分かりません。

概要

【会期】

…2019年10月11日~2020年1月13日

【会場】

上野の森美術館

【構成】

1部 ハーグ派に導かれて
 ・独学からの一歩:ゴッホ6点
 ・ハーグ派の画家たち:ヨゼフ・イスラエルス4点、アントン・マウフェ3点、マテイス・マリス4点など18点
 ・農民画家としての夢:ゴッホ12点

2部 印象派に学ぶ
 ・パリでの出会い:ゴッホ3点
 ・印象派の画家たち:アドルフ・モンティセリ3点、クロード・モネ3点など13点
 ・アルルでの開花:ゴッホ9点
 ・さらなる探求:ゴッホ8点

…概ね時代順に2部構成となっていて、ゴッホの作品とゴッホに影響を与えた画家たちの作品とが交互に章立てされています。
ゴッホの作品は油彩画が主ですが、水彩画や版画もあります。
…ハーグ派の画家としてはゴッホに絵画の基礎を指導し、動物画を得意としたマウフェのほか、働く農夫や漁夫の姿を描いたイスラエルス、兄弟揃って画家だったマリス三兄弟の次男マテイス・マリスの作品が多く出品されています。
…フランスの画家たちとしては、自由で激しい筆遣いや厚塗りの絵の具による色彩でゴッホに影響を与えたモンティセリ、「モネが風景を描くように人物を描きたい」とゴッホが語った印象派のモネなどの作品が出品されています。
ゴッホは1880年に素描を手掛け始めてから1890年に亡くなるまで、10年という短期間に油彩画約850点、素描1000点以上と多くの作品を残しています。多くの人がゴッホらしいと感じるのはおそらくアルル以降の作品だと思いますが、今回の展覧会はミレーなど巨匠の作品を模写した最初期の作品やハーグ派の画家たちの影響が感じられる作品など、オランダ時代の作品に対してもフランスに移住して以降と同じぐらいの重きが置かれているのが特徴だと思います。出品作のうちゴッホのオランダ時代の作品は主にハーグ美術館の所蔵品、フランスに移り住んでからの作品はクレラー=ミュラー美術館の所蔵品が多く、展覧会の顔としてポスターなどに用いられている《糸杉》はメトロポリタン美術館の所蔵品です。

go-go-gogh.jp

感想

ヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ《黄褐色の帆の船》(1875年頃)

…ヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ(1824~1903)はハーグ派の第一世代の画家で特に海景画に優れ、ゴッホの作品を高く評価し、ゴッホがマウフェと関係が悪化したときには両者のあいだを取りなしたりもしたそうです。《黄褐色の帆の船》は水平線が低く空が大きいオランダらしい風景で、水と陸がなだらかに連なる地形のなかで水面に浮かぶ船の三角の帆がアクセントになっています。手前の岸辺に佇む母子は船の上の男性の家族でしょうか。見送りについて来たのか、それとも迎えに来たのかもしれませんね。広々とした空に湧く雲は背後で輝く太陽にくっきりと縁取られていて、雲の切れ間からのぞく空の青さが一際鮮やかに感じられる風景です。

ヨゼフ・イスラエルス《縫い物をする若い女》(1880年頃)

…ヨゼフ・イスラエルス(1824~1911)はハーグ派の第一世代の画家で、1850年代のバルビゾン訪問や自身の療養生活をきっかけに農民や漁民の暮らしを主題とした作品を制作するようになったそうです。《縫い物をする若い女》は仄暗い室内で椅子に腰かけ服を縫う若い女性の横顔や手元の衣装が、窓越しの柔らかい光に照らし出されています。フェルメールの作品などを思い出させる構図ですが、窓の外には木立が見えて、薄暗い室内は足温器があるだけで装飾品もないことから、ここが都市部の裕福な市民の家ではなく農村の慎ましい農家であることが分かります。女性の身に着けている服が質素で地味な色合いなのに対して縫っている衣装は純白ですが、女性は嫁入り支度をしているのかもしれないそうです。女性の頬が薔薇色に上気しているのもそのためかもしれませんね。静謐な空間を満たす温かな光とささやかな幸福が感じられる作品だと思います。イスラエルスの作品はオランダの風俗画の系譜を引き継ぎつつも、人の上にいる神を意識して教訓を込めるのではなく、人の姿の中に神を意識して精神の深みを表現しているところが19世紀的なのかなと思います。

アドルフ・モンティセリ《陶器壺の花》(1875~78年頃)

…アドルフ・モンティセリ(1824~1886)はパリとマルセイユを往復しながら激しい筆遣いや奔放な色彩、分厚いマチエールを特徴とする独自の画風を築いた画家で、ゴッホが大きく影響を受けたほか、セザンヌとも親交があったそうです。緑と白の縞模様のテーブルクロス上に置かれた花瓶の花を描いた《陶器壺の花》は、花も花瓶もざらりとした粗い質感が感じられて、色彩=光だった印象派の軽快さとは異質な重さを感じます。厚塗りの絵の具による物理的な質量はもちろんですが、印象派の色彩が透明な光であり、空気を透過した対象の色彩であるのに対して、モンティセリの色彩は不透明で、色そのものが形を持ち、光を発しているように感じられます。オランダからフランスに来たゴッホの作品が明るくなったのは印象派の影響が大きいのでしょうが、印象派にはない重さ、不透明感はモンティセリの影響もあるのかもしれないと思いました。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャガイモを食べる人々》(1885年4~5月、ニューネン)、《鳥の巣のある静物》(1885年10月、ニューネン)、《秋の小道》(1885年、ニューネン)、《秋の夕暮れ》(1885年、ニューネン)

…1880年の夏に画家として生きる決意を固め、独学で絵を学び始めたゴッホは、1881年末にハーグ派の中心人物で従姉妹アリエットの夫であるアントン・マウフェに教えを請い、翌年からはハーグに移住してハーグ派の画家たちと交流しながら制作するようになったそうです。
ゴッホの初期作品を代表する《ジャガイモを食べる人々》はリトグラフが出品されていましたが、これは家族や友人に完成作を伝えるためにゴッホが制作したもので、左右反転しているのは石版に下絵を直接描き込んだためなのだそうです。穴蔵のように暗く、狭い部屋でテーブルを囲む5人の人物。ジャガイモにフォークを伸ばす男性、その隣で同じようにフォークを手にしながら男性を見上げる女性、向かい側にはカップにコーヒーを注ぐ女性、その女性に自分のカップを差し出す男性、交錯する仕草や視線が一つの場面にまとめられている複雑な構図ですね。画面のほぼ中央に描かれた後ろ向きの女性は部屋と人々を見渡す鑑賞者の視点と重なります。西洋絵画で食卓を囲む主題というと最後の晩餐などが頭を過るのですが、ゴッホはそうした巨匠たちの作品も意識していたのでしょうか。質素な食事を分かち合い、貧しいながらも助け合う人々を照らす灯火は彼らの心の拠り所を象徴しているようでもあります。ただ、リトグラフ自体は描写やコントラストに甘さもあるため友人のラッパルトから酷評されてしまい、その結果、ゴッホはラッパルトと疎遠になってしまったそうです。
…暗がりを背景に、無数の細い枝が組み合わされた三つの鳥の巣を描いた《鳥の巣のある静物》。ジュール・ミシュレの博物誌『鳥』に感化されたゴッホは鳥の巣自体が芸術品だと考えていたそうで、彼らの作品を忠実に捉えるべく緻密な筆遣いで描かれています。巣の中には綺麗な青い殻の卵もありますが、身近な鳥だとムクドリの卵が青いのだそうです。巣に抱かれた卵は安全や安心を感じさせますし、まだ目覚めていない未来の命、希望、可能性などがひっそりと育まれているようにも思われます。ゴッホはアルルを離れて療養するようになって以降、露地の植物や蝶などの昆虫をモチーフに花鳥画のような作品も描いているのですが、そうした山川草木の細部、小さな生き物への関心を早い時期から抱いていたことが感じられる作品だと思います。
…《秋の小道》と《秋の夕暮れ》は縦長と横長という画面の違いはありますが、どちらも同じ1885年に描かれた作品で、立ち並ぶ木立のあいだの道を歩く後ろ姿の人物という共通の構図、要素が用いられています。しかし、両作品から受ける印象は対照的で、《秋の小道》が雲の切れ間から差す秋の日差しがスポットライトのように人物とその行く手を照らす明るく穏やかな風景なのに対して、《秋の夕暮れ》は消えゆく残照に向かって人影が歩む暮色に包まれた寂しげな風景です。ある種の実験的な試みだったのでしょうか、色彩がもたらす効果、醸し出す情緒の違いが感じられて興味深かったです。

フィンセント・ファン・ゴッホタンギー爺さんの肖像》(1887年1月、パリ)、《麦畑とポピー》(1888年、アルル)、《オリーブを摘む人々》(1889年12月、サン=レミ)、《サン=レミ療養院の庭》(1889年5月、サン=レミ)、《糸杉》(1889年6月、サン=レミ)

…《タンギー爺さんの肖像》は画材屋の店主ジュリアン・タンギーをモデルに描いた作品です。前衛画家たちの作品を店に展示したり、画材と作品を交換したりして画家たちの面倒をみていた「タンギー爺さん」をモデルにしたゴッホの作品では浮世絵がバックに描かれたロダン美術館のものがよく知られていると思うのですが、出品作はオーソドックスな肖像画で、日ごろから世話になっているタンギー爺さんの飾らない姿を素直に捉えているように思います。明るい色彩や軽く素早いタッチなど、パリに来て1年弱のゴッホ印象派の手法を吸収していることが窺われる作品だと思います。
…《麦畑とポピー》は印象派的な点描で描かれたポピーと麦の、せめぎ合う赤と緑の対比が鮮やかな作品です。モネの風景画などでも見かけるポピー(ひなげし)ですが、ヨーロッパでは小麦畑に生える雑草だそうで、燃えるように咲き乱れる様からは与謝野晶子の歌が思い出されたりします。ポピーに侵食された麦畑の中で、まっすぐ立った麦の穂からは一筋の誇りのようなものも感じられるように思いました。
ゴーギャンとの共同生活が決裂して、激しい発作を起こしたゴッホは1889年5月に自らサン=レミの療養院に入院しました。入院して間もない時期に描いた《サン=レミ療養院の庭》では、大きく枝を広げた背の高い木も手前の低い木の茂みも花盛りで、木陰の小道にはベンチがあり、療養院ということを一瞬忘れそうな居心地の良さが感じられます。実際のところ療養院の庭は荒れ放題だったそうですが、手入れもされずに伸び放題の草木は、病院から出られないゴッホにとってはかえって外の気分を味合わせてくれたかもしれません。ゴッホは弟のテオに「さほど塞ぎ込んでいるわけではない」と手紙で書き送っているそうですが、自ら療養院に入ったのは早く健康を取り戻して作品に取り組みたいという意欲があったためではないかとも思いました。病院の建物や木の幹、下草などには輪郭線が描かれていて、ゴッホとしては色彩が淡く、筆遣いも繊細です。青い樹影に5月の日差しと風の爽やかさを感じる作品だと思います。
…サン=レミの精神療養院で暮らしていたゴッホは、糸杉とオリーブの造形や佇まいに惹かれて、自分のモチーフとして確立させるために繰り返し作品に描きました。《オリーヴを摘む人々》は描かれた時期が12月だったので気になって調べてみたところ、オリーブの収穫時期は品種や実の用途によって9月~2月と幅があるようなので、実際に見て描いたのでしょう。地面にはところどころ青い部分があるのですが、本来は赤い色だったものが褪色してしまったそうで、元は赤い大地と緑のオリーブとの対比が鮮やかだっただろうと思われます。手前でオリーブの実を摘む農婦は収穫の喜びに顔をほころばせていますね。《ジャガイモを食べる人々》に描かれた農村・農民像は困窮して打ちひしがれたイメージでしたが、南仏の田園風景は明るく輝かしいものに変わっています。オランダ時代のゴッホは、倹しい生活に耐えて過酷な労働に勤しむ農民の忍耐や誠実さに精神性の高さを見出していたのでしょう。一方で、《オリーヴを摘む人々》では自らの手で育て、実を結んだものを収穫する姿に、充足した人生の喜びが重ね合わされているように感じます。ゴッホの作品は奇跡や幻想ではない現実を描いているにもかかわらず、時として対象そのもの以上の何かを物語る作品だと感じられることがあるのですが、この作品も地に足をつけて生きる農民の姿を通して理想的な人間像が表現されているように思いました。
…緑の葉をうねらせて空へ伸びる糸杉の木。下草も白い雲もリズミカルにうねり、晴れた空には黄色の三日月が浮かんでいます。《糸杉》は厚塗りの絵の具により、うねるようなタッチで描かれたゴッホらしい作品です。キリストが磔にされた十字架は糸杉だったとも言われていて、西洋絵画であまり描かれてこなかったのは喪のイメージが理由なのかもしれませんが、ゴッホは「オベリスクのように」美しい糸杉を「ひまわりのように」自分のモチーフにしたいと考えていたそうです。オベリスク古代エジプトの神殿などに建てられた20~30mの記念碑で、オランダにはないのですが、フランスではパリのコンコルド広場とアルル市庁舎前という、いずれもゴッホと縁のある都市に建っているんですね。天と地を結ぶ聖なる建造物を連想しながら、ゴッホは不吉な陰を纏っている糸杉の持つ、シンプルな形体本来の天を目指す力を表現したかったのかもしれません。ところで、ゴッホが自分のモチーフにしたいと考えたオリーブと糸杉が、どちらも樹木なのは何故だろうとふと気になったりしました。もちろん身近な植物だったためなのでしょうが、オリーブは太陽の樹とも言われるそうですし、糸杉は形そのものが天を指し示しています。ゴッホの作品では教会に代えて太陽が宗教的なシンボルとして描かれているのですが、オリーブや糸杉は形を変えた太陽ではないかと思ったりもしました。光を受けてエネルギーを生み出し成長する樹木の姿は、太陽の力を蓄えたものとも言えそうですし、昼間の空に月が浮かんでいる不思議も、太陽と月という対で考えることもできるのかもしれません。

風景の科学 展――芸術と科学の融合 感想

概要

【会期】
…2019年9月10日~12月1日

【会場】
国立科学博物館 日本館1階企画展示室

www.kahaku.go.jp

感想

…「風景の科学展」は写真家の上田義彦氏の作品について、国立科学博物館の研究者が一枚ずつ解説するという企画です。入口そばの表示には、まず写真を見て、次に解説を読んでから改めて写真を見て欲しいとあったのでその通りにしてみたのですが、同じ物を前にしても人によって違うことを考えるのであり、同じ写真でも違うものが見えていると言っても良いぐらいだと思いました。たとえば三枚の果樹園の写真や屋久島の渓流を撮影した写真を見ても私は漠然と綺麗な景色だと思うだけなのですが、解説では写真が資料として分析され、それぞれに写る樹木の種類やその栽培の歴史、岩石に含まれる鉱物の種類について言及されていて、情報の解像度が違うと感じました。また、私の場合は写真を無意識のうちに芸術作品として受け止めてしまうため、緑の柳の葉が揺れるノルマンディーの池を見るとモネの絵が、暗い雨雲の垂れ込めるスコットランドの山岳地帯を見るとターナーの絵が浮かぶのですが、科学者は参照するデータベースも違っていて、それぞれ幻の珪藻や泥炭を燃料に作られるスコッチ・ウィスキーのことが連想されているのも予想外で興味深かったです。私は普段絵画作品を見ることが多くて、その表現方法に馴染んでいるためにそれが認識の枠組みになり、時には枷にもなっているということなのでしょう。対象が何によって出来ているか、どのように形成されたかを知り、それが拠って立つ因果を理解したとき、私たちは奇跡や偶然を超えた奥深く精妙な必然を見出して、一層の美しさを感じるのかもしれないと思いました。個人的には雪景色と見紛うホワイトサンズの真っ白な石膏の砂漠と、オリンピック公園の鬱蒼とした温帯雨林のファンタジーのような風景が印象的で、驚きと同時に地球の風景の多様さを改めて感じさせられました。また、オーストラリアに生息するバンクシアという植物の種子は、固い皮に包まれたままひっそりと眠っていて、危機的な状況=山火事が生じると飛散するそうですが、焼け野原を新天地として過酷な環境を生き延びる生物の適応力、システムの巧みさと逞しい生命力が印象に残りました。
…「風景の科学展」は常設展のチケットで入場可能です。私が行ったのは土曜日の午後で、科博は「恐竜博2019」開催中で家族連れで賑わっていましたが、特別展と合わせて観覧しても良いかもしれませんね。所要時間は60~90分程度を見込んでおくと良いと思います。公式図録は7,200円(税別)と高価なのですが、写真集として眺めても科学エッセイとして解説を楽しむこともできそうで、一般の書籍として通販などでも購入可能なようです。

オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち展 感想

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見どころ

…「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち展」は、オランジュリー美術館が所蔵する「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」146点のうち、ルノワールを始めとする印象派やエコール・ド・パリ、さらにピカソマティスなど13人の画家、69点の作品で構成される展覧会です。同館から「ジャン・ヴァルテル&ポール・ギヨーム コレクション」がまとまって来日するのは21年ぶりとのことです。
…このコレクションを築いたポール・ギヨーム(1891~1934)は自動車修理工でしたが、偶然目にしたアフリカの彫刻に惹かれて収集を始め、詩人で美術批評家でもあったアポリネールを通じてパリの前衛画家たちと交流するようになり、モディリアーニやスーティンなど若い画家を積極的に支援する画商となりました。また、ポール・ギヨームは画商になるきっかけとなったアフリカ美術について写真集『ニグロ彫刻』(1917年)を編集するなど、その魅力の普及に率先して努める一方、自ら素描を嗜むこともあったようです。専門の美術教育を受けていなくても良き助言者に巡り会えたことと、何より美術への情熱があったことで画商として活躍し、優れたコレクションを築くことができたんですね。オランジュリー美術館というと私はモネの睡蓮の大装飾画が思い浮かぶのですが、今回の展覧会でポール・ギヨームの業績を知ることができ、また、アンドレ・ドランの作品を初めてまとめて見ることができて良かったです。なお、コレクション名にポール・ギヨームと共に名を連ねているジャン・ヴァルテルは建築家で、ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ(通称ドメニカ)の再婚相手なのですが、コレクションの設立には関与していないそうです。
…私は初日の開館直後に見に行ったため、チケットを持っている人、これから購入する人がそれぞれ数十人程度並んで列ができていたのですが、会場内では混雑はさほど気にならず、作品をじっくり見ることが出来ました。お昼頃には行列も解消していました。音声ガイドの解説のみの作品も目に付いたので、可能であれば音声ガイドも利用したら良いかもしれません。所要時間は90分程度、ポール・ギヨーム関連の展示コーナーで邸宅の模型が撮影可能です。

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ポール・ギヨームの邸宅:食堂

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ポール・ギヨームの邸宅:ポール・ギヨームの書斎

概要

【会期】

…2019年9月21日~2020年1月13日

【会場】

横浜美術館

【構成】

アルフレッド・シスレー(1839~1899):1点
ポール・セザンヌ(1839~1906):5点
クロード・モネ(1840~1926):1点
オーギュスト・ルノワール(1841~1919):8点
アンリ・ルソー(1844~1910):5点
アンリ・マティス(1869~1954):7点
キース・ヴァン・ドンゲン(1877~1968):1点
アンドレ・ドラン(1880~1954):13点
パブロ・ピカソ(1881~1973):6点
マリー・ローランサン(1883~1956):5点
モーリス・ユトリロ(1883~1955):6点
アメデオ・モディリアーニ(1884~1920):3点
シャイム・スーティン(1893~1943):8点
…展示は画家別の構成で、各画家の作品はいずれも油彩画です。上記の画家の名前は生年順に列記しましたが、会場では大雑把に括ると前半の展示室がシスレー、モネ、セザンヌなど印象派やポスト印象派、後半がモディリアーニユトリロ、スーティンなどエコール・ド・パリ、中心となるルノワールが両者のあいだの展示室に位置していました。展覧会はルノワールの名前を冠していることもあり、印象派の作品が多いのかと思いましたが、むしろ印象派以後の画家たちがメインで、20世紀前半の作品が多かったです。なかでもモディリアーニやスーティンは、ポール・ギヨームが発掘して世に送り出した関係の深い画家たちです。シスレー、モネ、及びセザンヌの作品の大半は妻のドメニカによってコレクションに加えられたものだそうですが、一方で彼女はピカソキュビスム時代の前衛的な作品やポール・ギヨームが情熱を傾けたアフリカ美術のコレクションを手放しているそうです。ルノワールは夫妻が共に好んだ画家でした。フォーヴィスムを担った主要な画家の一人であり、その後肖像画家として成功したアンドレ・ドランは国内外の多くの画商と交流を持っていましたが、1924年に契約を結んだポール・ギヨームとは画商が亡くなるまで緊密な関係が続いたそうです。ドランは夫妻それぞれの肖像画も手掛けていて、今回の展覧会にも出品されています。

artexhibition.jp

感想

アンドレ・ドラン《ポール・ギョームの肖像》(1919年)、アメデオ・モディリアーニ《新しき水先案内人ポール・ギヨームの肖像》(1915年)

…展覧会の冒頭を飾っていたのは、アンドレ・ドランによるポール・ギヨームとドメニカ夫妻の肖像画でした。バレル・コレクションを築いた海運王ウィリアム・バレルのように、肖像画を描かれることに消極的だったコレクターもいますが、ポール・ギヨームはドランをはじめ、契約を結んでいた画家たちによる様々な肖像画が残されています。ポール・ギョームはそれぞれの画家たちが自分をどのように捉えているか、そして表現の違いから感じられる画家たちの個性を楽しんでいたのかもしれません。ドランによる肖像画はポール・ギヨームが好んだという青を中心とした寒色系でまとめられていますが、柔らかく薄塗りのタッチで描かれているため温厚そうな人柄という印象を受けます。ポール・ギヨームは煙草を手に本を開いて寛いだ表情ですが、落ち着いた上品な雰囲気で、モデルに対する画家の親しみと敬意が感じられる作品だと思います。
…一方、モディリアーニによるポール・ギヨームの肖像画はアーモンド型の眼や首から肩、腕にかけての滑らかな曲線がモディリアーニらしいですが、図録13ページに載っているギヨームの写真を見るとその表情が忠実に捉えられていることが分かります。ドランによるナチュラルでスタンダードな肖像画に比べると、モディリアーニの作品は画家とモデルの個性がより強く出ている印象ですね。画家=鑑賞者に向かって微笑みかけるポール・ギヨームの瞳や口元からはエコール・ド・パリの画家と、彼が生み出す新しい具象絵画への関心や好意が感じられると同時に、その魅力的な微笑みに引きつけられるようなものを感じます。アフリカの彫刻などに影響を受けたモディリアーニの画風は単純化された形体が特徴ですが、ポール・ギヨームはアフリカ美術を熱心に愛好していましたから、価値観・美意識を共有する同志としての親近感もあるのかもしれません。ポール・ギヨームはモディリアーニよりも年下で、描かれた当時はまだ23歳なのですが、年齢よりも落ち着いた雰囲気があり、画家にとって頼りがいのある人物だったのだろうとも思います。モディリアーニやドランの作品を見ていると、ポール・ギヨームは画商としての信頼感があるだけでなく、人間的にも好ましい人柄だったのだろうと思いました。

マリー・ローランサン《ポール・ギヨーム夫人の肖像》(1924~1928年)、アンドレ・ドラン《大きな帽子を被るポール・ギヨーム夫人の肖像》(1928~1929年)

…ポール・ギヨームの妻ジュリエット・ラカーズ(1898~1977、通称ドメニカ)は南東フランスで生まれ、1910年代にパリのキャバレーで働くようになり、そこでポール・ギヨームと出会って結婚したと見られるそうです。ローランサン肖像画に描かれたドメニカはピンクのドレスを身につけ、花を手に小首を傾げて夢見るように微笑んでいて、少女のように可愛らしい印象ですね。一方、アンドレ・ドランによるドメニカの肖像画は、ローランサンのものと近い時期の作品ですが、大きな帽子を被り、ストールを羽織った富裕層の女性らしいエレガントな装いで、くっきりとアイラインの入った目は強い意志を感じさせます。輪郭も色調もシャープで明瞭なためか、整いすぎていて隙のない印象は、同じドランによる夫ポール・ギヨームの肖像画ともかなり雰囲気が違う気がします。画家自身の個性の違い、そしてモデルの捉え方の違いが感じられて興味深く思いました。

オーギュスト・ルノワール《ピアノを弾く少女たち》(1892年)、《バラをさしたブロンドの女》(1915~1917年)

…ピアノの前の二人の少女を描いた《ピアノを弾く少女たち》は、フランス政府から依頼を受けてルノワールが制作した作品のうちの一点です。画中に登場するアップライトピアノは18世紀末に開発され、19世紀には工場で量産可能になったことで中流階級の家庭にも普及し、女性達のあいだでピアノのレッスンが流行したそうです。伝統的な風俗画の場合、楽器を弾く女性という主題はしばしばロマンスの暗喩なのですが、この作品に描かれた少女達はもっと無邪気に音楽を楽しんでいる様子で、時代の変化を感じます。カーテンやリボンの青、ワンピースの白が画面を引き締め、爽やかな印象を高めています。片手で楽譜を捲りながらピアノを弾く白いワンピースの少女がピアノの練習をしている傍で、頬杖をつく赤いワンピースの少女は目を伏せて音色に耳を傾けているようです。画面の中心を占める二人の少女のうち、この作品では微笑みを浮かべてピアノを弾く白いワンピースの少女が中心に見えるのですが、最終的に国家に買い上げられた作品では赤いワンピースの少女の顔の角度や表情が変わっているためか、横向きのピアノを弾く少女より彼女に視線が引きつけられるんですよね。ポーズや表情の微妙な違いでこんな風に印象が変わるのも興味深いです。ピアノの装飾や背景の仕上げは大まかですが、その分絵筆の運びも伸び伸びとしていて、少女達のささやかな日常の一コマを生き生きと表現している作品だと思います。
…《バラをさしたブロンドの女》のモデル、アンドレ=マドレーヌ・ウシュリング(愛称デデ)は後に女優となり、ルノワールの次男で映画監督のジャン・ルノワールと結婚しているそうです。この作品が描かれた当時のデデは16~17歳で、《ピアノを弾く少女たち》とさほど年齢は離れていないと思うのですが、可憐な少女達と比べると若々しい中にもより成熟した女性らしさが感じられます。花に喩えるなら、つぼみが花開いて咲き初める最も瑞々しい時期でしょうか。《ピアノを弾く少女たち》が一瞬の場面に人生のほんのひとときである少女の時期を重ね合わせた作品だとするなら、こちらは女性の豊かな肉体に普遍的な生命力の豊かさを象徴させて表現していると言えるかもしれません。髪に挿したバラの花と同じ色合いの艶やかな唇が官能的で、全てが溶けるように柔らかい色彩に血の通った温かみを感じられる作品だと思います。

パブロ・ピカソ《布を纏う裸婦》(1921~1923年)、《タンバリンを持つ女》(1925年)

…《布を纏う裸婦》が描かれたのは1921~1923年頃、《タンバリンを持つ女》は1925年で2年ほどしか離れていないのですが、ピカソらしい振り幅の大きさが感じられる対照的な女性像です。《布を纏う裸婦》は、目を伏せて白い布で肌を覆う女性のずっしりとした実体の重みが印象的な作品です。画面左側に光源があり、女性の顔立ちは鑿で削られたように面ごとに塗り分けられていて、円筒形の腕や腿などは彫刻のような立体感があります。色味は少なく、白い布と女性のピンクがかった肌と暗褐色の長い髪、そして背景のグレーのみですが、よく見ると肌は黄みがかったグレーの点描が施されていて、光がもたらす微妙な階調が繊細に表現されています。一方、後者の《タンバリンを持つ女》は女性の帽子(又はターバン)やスカートの赤と空色のソファ、紫のクッションと黄土色のタンバリンといった鮮やかな色彩が対比され、平面的に描かれています。タンバリンを手にソファに横たわる女性の姿は横からの視点と上からの視点が組み合わされ、手前に置かれた果物の輪郭と色面とをずらす描き方なども、自然主義的な《布を纏う裸婦》とは対照的ですね。タンバリンは中近東起源の打楽器で、西洋音楽では東洋的雰囲気の演出に用いられたりするそうですから、この女性はオダリスク若しくはそれを模しているのでしょう。布で慎ましく身を隠す裸婦とは対照的に、女性は上半身を大胆に開けて右胸は誇張するように歪められていますし、手前に置かれた果物もエロティックなニュアンスを感じさせます。しかし、女性は愁いを帯びた表情で物思いに耽っているようです。ピカソはこの作品を手掛けていた頃、シュルレアリスムから影響を受けた作品を制作していたそうなので、背景の壁の左半分が黒く、途中から黄色になっているのも明暗の表現ではなく、昼間の明晰な意識と夜の無意識の夢想を表現しているのかもしれません。女性が夢を見ているのか、あるいは画家=鑑賞者が女性の夢を見ているのか、意識の揺らぎが硬直した日常の感覚も揺さぶるような作品だと思います。

アンドレ・ドラン《アルルカンとピエロ》(1924年頃)

…楽器を抱え、荒野を旅する二人の道化師。ドランの《アルルカンとピエロ》は青空を背負って踊る二人の身体が斜めに傾き、鑑賞者を見下ろす奇抜な構図が印象的です。アルルカンもピエロもいわゆる道化師ですが、快活なアルルカンと内気なピエロというコンビでひと組にされることもあるそうで、派手な色遣いのぴったりとした衣装を身につけたアルルカンとゆったりとした白い衣装を着ているピエロとは対照的な一対として描かれています。一方で、二人の表情が共に陰気でもの悲しく、戯けているように見えないのは道中の苦労のためでしょうか。ピエロの足元には投げ銭を入れる壷がありますが、荒野のただ中で観客がいるのか疑問にも思われます。彼らは徒労な努力の虚しさを噛みしめているのかもしれません。あるいは旅は人生の比喩であり、人は現世という舞台で滑稽な見世物を演じる道化師のようなもので、人を笑い、人に笑われながら、誰しも心のどこかにある虚しさやもの悲しさを拭い去ることができないのかもしれません。この作品はポール・ギヨーム夫妻の邸宅の居間を飾っていたもので、ピエロのモデルは所有者であるポール・ギヨーム自身なのだそうです。ポール・ギヨームは自邸の居間でこの作品を見上げながら、束の間の儚い喜びや楽しみ、一時の栄華に囚われることを戒めていたのかもしれないと思いました。