展覧会感想

西洋美術を中心に展覧会の感想を書いています。

ラファエル前派の軌跡展 感想

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見どころ

…「ラファエル前派の軌跡」展は19世紀イギリスを代表する美術批評家ジョン・ラスキン(1819~1900)の生誕200年を記念するもので、ラスキンが評価し、擁護したJ・M・W・ターナーやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズらの絵画作品、ウィリアム・モリスによる装飾芸術まで140点を超える作品で構成されています。中でも、風景や建築などラスキン自身の素描が30点以上出品されていますが、これだけまとまった数を見る機会はなかなかないと思います。
ラスキンは著書『現代画家論』第1巻の末尾で「心をむなしくしてひたすら自然に向かうように、自然を信頼し骨身を惜しまず自然とともに歩み、自然の意味するものを徹底的に汲み取ることのみに専念し、なにものも退けず、なにものも選ばず、なにものも軽んじないように」説いています。自然に対する忠実さを求める考えはラファエル前派の理念となりましたが、ターナーの、特に晩年の作品とは相容れないようにも思われます。しかし、ラスキンにとって自然の姿とは、一見静止して見えても絶えざる動きと変化があるものであり、見えるものはすべて流転の状態で把握する必要があると考えていたことをこの展覧会によって知ることができました。ラスキンは、ターナーが自然の無限な多様性を尊重し、風景を現出せしめている天然自然の力を愛したと感じていたそうですが、誰よりもラスキン自身がそうした天然自然の力を愛したのでしょう。ラスキンには山を描いた素描が多いのですが、山もまた風雨や氷河による浸食や根源的な地質の圧力などを受けて変化するもの、絶え間ない運動状態にあるものと捉えていたそうです。個人的に印象に残ったラスキンの素描は「渦巻きレリーフ――ルーアン大聖堂北トランセプトの扉」(1882年)で、会場内で最初に見かけたときは一瞬写真と見間違ったほどリアリティがあり、まさしく自然に忠実な一枚でした。ラスキンは型どおりに見える装飾模様の一つ一つに実は手掛けた職人による差や個性があり、それぞれの部分が独自の印象を備えていることを特に重視していたそうです。ラスキンにとって綿密な観察とは、不動と見えるものに変化の兆候を、同一と見えるものに多様性の痕跡を見出すためのものであり、存在の本質を捉える行為だったのだろうと思います。
…私が見に行ったのは会期初週の土曜日午後でしたが、それほど混雑していなくて落ち着いて鑑賞することができました。会場内は第2章の展示室で作品の撮影が可能です。いつもはルドンの「グラン・ブーケ」が飾られている展示室も、今回は特別展の作品が展示されていました。作品数が多めなので、所要時間は2時間程度を見込んでおくと良いと思います。

概要

【会期】

…2019年3月14日~6月9日

【会場】

三菱一号館美術館

【構成】

第1章 ターナーラスキン
第2章 ラファエル前派
第3章 ラファエル前派周縁
第4章 バーン=ジョーンズ
第5章 ウィリアム・モリスと装飾芸術

mimt.jp

感想

ジョゼフ・マラード・ウィリアム・ターナー「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」(1830年)

…海洋国家イギリスを代表する風景画家であり、自身釣りを愛好していたターナーは多くの海景画を手掛けていますが、「カレの砂浜――引き潮時の餌採り」はドーバー海峡を隔てたフランスの港町カレの、穏やかな夕暮れの海とその海辺で生きる人々の暮らしを描いた作品です。暗い雲を二つに割って海に落ちようとしている夕陽の輝きが空と海をドラマチックな金色に染めるなか、左手にある中世の防砦フォール・ルージュのシルエットが長く伸びて海に映り込み、空と海、海と浜の境界が色彩の靄の中で渾然と混ざり合っています。海辺の風景は陸地から海に向かって眺める構図が多いと思うのですが、この作品の場合は防波堤や古い防砦のシルエットが描かれている画面左側が陸地、雲間に紛れる船の白い帆が見える右側が沖合と横から眺めているようで、海と浜の境が曖昧な描き方と相まって最初に見たときは位置が掴めず戸惑いました。干満の差が大きい遠浅の浜ならではの風景なのでしょうね。女性達が採っているイカナゴメバルなどの根魚からヒラメ、スズキといった大型魚まで幅広い魚種の餌になる魚で、生息域は沿岸地帯の砂泥底、夏場は砂に潜り夏眠するそうです。ドーバー海峡産の魚というと舌平目が有名ですが、その餌でしょうか。冬眠は馴染みがありますが、夏眠する動物がいるというのは初めて知りました。この作品はイカナゴが夏眠している砂地を掘り返している情景を描いたものと思われますが、ターナーは珍しい漁獲方法に興味を引かれたのかもしれません。一方で、女性達は日が暮れてしまう前に明日の漁に必要な餌を採らなければならないのでしょう。美しい夕焼けに頓着することなく働き続ける彼女たちは、かえって日の出と日没、満ち潮と引き潮といった大きな自然のサイクルと一体化しているようにも感じられます。歴史的な建築物はターナーの風景画にしばしば描かれていますが、ランドマーク的な役割を果たすと共に、長い時間を経ることで自然と近しい崇高さを感じさせます。壮麗な日没のもと、防砦が機能していた時代から繰り返されてきたであろう人々の営みに時を超えた永遠性を感じる作品だと思います。

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」(1863~68年頃)

…長く豊かな赤い髪を下ろして胸を露わにしたヴィーナス。ロセッティの「ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)」はバラやリンゴよりも赤いヴィーナスの艶やかな唇が官能的な作品です。奥行きのない平坦な画面一杯にバラとスイカズラが咲き誇り、ヴィーナスの上半身を取り巻いていますが、舞い飛ぶ蝶が引き寄せられているのは花ではなくヴィーナスが手に持つ林檎や矢、あるいはヴィーナス自身です。蝶はプシュケー、すなわち魂であり、ヴィーナスの魔力に囚われて愛にさまよっているのでしょう。ヴィーナスの背後では青い小鳥が桑の実を啄んでいますが、桑の実は「ロミオとジュリエット」の元になったというギリシャ神話、ピュラモスとティスベの物語とも所縁があるそうで、悲恋を連想させる意味があるのかもしれません。ヴィーナスが手に持つ林檎はパリスの審判でヴィーナスが勝ち得た「黄金の林檎」で、今回出品されているバーン=ジョーンズ「ペレウスの饗宴」にも描かれているものですが、同時にトロイ戦争の引き金ともなった「不和の林檎」でもあります。また、林檎にはおそらくエデンの園の善悪の実も重ね合わされていて、甘美な味わいだが取り返しのつかない運命をもたらす恋を象徴しているとも考えられます。見る者に禁断の果実を差し出す「魔性のヴィーナス」には誘惑するイヴでもあるのですが、一方でヴィーナスは聖母のような光輪を戴いていて、単なる悪女ではないことが分かります。ロセッティは愛の女神の持つ力によって、魂が囚われる苦悩と満たされる幸福との両面がもたらされることを表現しているのかもしれません。なお、スイカズラの花の緻密さとヴィーナスの肌や髪を描く柔らかな筆触とには違いが感じられるのですが、ロセッティはモデルを最初の街で見かけた女性から別の女性アレクサ・ワイルディングに変更し、さらにラスキンから粗雑だと批判された大胆で自由な描き方を描き直すなど、二度ほど大きく描き直しているそうです。

フレデリック・レイトン「母と子(サクランボ)」(1864~65年頃)

…「母と子(サクランボ)」は肘をついて枕にし、絨毯に寝そべる母親の口元にさくらんぼを差し出す子供の姿を描いたものです。母子像と言うと優しく子供を抱く慈愛に溢れた母親、あるいは家事に勤しみ、かいがいしく子供の面倒を見る母親といった姿を連想しますが、この作品では母親が一見怠惰にも見えるポーズで表現される一方、きまじめに母親の世話を焼く子供の姿が可愛らしいです。画面左側、部屋の奥には花瓶に差した大輪の百合が飾られていますが、百合というと聖母の象徴ですね。本作のタイトルであるサクランボも聖母に縁のあるモチーフで、イエスを身ごもったマリアが桜の園で夫のヨセフにサクランボを取って欲しいと頼んだところ、「お前に子を授けた人に取ってもらえば良い」と断わられてしまったというエピソードがあるのだそうです。マリアがもう一度同じ願いを繰り返すと、胎内のイエスが桜の木に声を掛け、桜の木が枝をたわませてくれたのでマリアはサクランボを食べることが出来たということですから、女性の手元のサクランボの枝はこのエピソードを暗示し、母の傍らにうずくまる幼い子供はイエスを象徴しているとも考えられます。もしかしたらこの女性は妊娠していて、横になって休む母を幼子がけなげに労っているのかもしれません。豪華な絨毯や鶴の描かれた金箔の屏風など東洋風の洗練された調度品によって優美に演出しつつ、母と子の絆を描いた作品だと思います。

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」(1881~82年)

エドワード・バーン=ジョーンズ「赦しの樹」では、画面左側に立つ木の幹の中から現れた女性が男性を抱き締めている姿が描かれています。女性はトラキアの王女ピュリスで、トロイ戦争から帰還する途上でトラキアに漂着したデーモポーンと結ばれます。しかし、デーモポーンは故郷であるアテナイに帰った後ピュリスを迎えに来なかったため、捨てられたことを嘆いたピュリスは自死しようとしたところ、哀れに思った神々によってアーモンドの木に変えられます。本作は後悔したデーモポーンがトラキアを訪れて、ピュリスの化身である木を抱き締めると、幹からピュリスが現れてデーモポーンを許したという場面を描いたものです。その割にデーモポーンの表情は強ばっていて、恋人と再会し、和解できて喜んでいるようには見えません。どちらかと言うとピュリスを拒絶して、デーモポーンを絡め取ろうとするアーモンドの枝から逃れようとしているようにさえ見えます。この作品に先だって、バーン=ジョーンズは1870年に同主題の水彩画「ピュリスとデーモポーン」を制作しているのですが、デーモポーンの性器が露わに描かれていることなどが批判され、画家は1877年まで公の展示から身を引くことになってしまいました。「ピュリスとデーモポーン」については図版で見た限りなのですが、構図は「赦しの樹」とほぼ同じでも、ピュリスを見返すデーモポーンの表情はより柔らかく、夢見るような陶然とした雰囲気が感じられます。実は「ピュリスとデーモポーン」の背景にはバーン=ジョーンズと女性彫刻家マリア=ザンバコとの恋があるそうです。道ならぬ関係は1869年、マリアによる無理心中未遂事件に至って破局し、バーン=ジョーンズは妻子を選んだのですが、マリアの執着や激情に戦慄きつつも彼女を捨てたことに負い目を感じていたのでしょうし、無残に終わったとはいえ恋の思い出は甘美なものがあったのだろうとも思います。対する「赦しの樹」ですが、時間が経ったことでバーン=ジョーンズの気持ちが変化したのか、最初の作品が画家の私生活上のスキャンダルも含めて強い批判を受けた経緯があり、表現を変えることにしたのか、物語に個人的な思いが重ね合わされている当初の水彩画に比べると、本作はより普遍的にピュリスを魔性の女性、あるいは破滅的な運命そのものの象徴として描いているように感じます。バーン=ジョーンズは運命に魅入られる恐ろしさ、そして危険なものと知りつつのめり込んでしまう人間のさがのようなものを表現しているのかもしれません。

ケルムスコット・プレス「チョーサー作品集」(デザイン:エドワード・バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリス)(1896年)

ラスキンによって中世に憧れを抱き、職人たちの手仕事による生活空間の再現を目指したウィリアム・モリスは、1891年にケルムスコット・プレスを設立して美しいデザインの書物の制作にも取り組みました。とりわけバーン=ジョーンズが挿絵を担当し、字体や頁の欄外装飾などのデザインをモリスが手掛けた「チョーサー作品集」は、華麗な植物モチーフによる意匠で埋め尽くされ、使用する紙やインクにまでこだわった豪華な装飾本です。ここまで凝ったデザインの本は最早読むものというより装飾を眺めて楽しむものという感じですが、頁を開くだけで作品の世界が感じられて、書物それ自体が表現の一部とも言えそうで、持つ喜びを与えてくれる書物だとも思います。徹底してクオリティを追求したため当然ながら経費もかかり、庶民には手の届かない高価な本となったようですが、モリスは富裕層向けだけではなく、一般の家庭向けの安価な家具なども手掛けて販売しています。モリス商会で最もよく売れたというサセックス・チェアは黒檀調の木材の枠組みにイグサの座部を組み合わせたシンプルで素朴な家具ですが、背もたれや脚などの細部の形状にもさりげなく意識が行き届いています。また、モリスのデザインした布地や壁紙の反復するパターンを見ていると、ラスキンが型どおりに見える装飾模様の一つ一つに個性を見出していたことが思い出されます。ラスキンは批評家として、支援者として様々な芸術家に影響を与えていますが、モリスはラスキンの考えを最も具体的かつ身近な形で表現しているように思います。美の理念が作品の中だけで完結せずに実用の品を通じて実践される、いわば生きた状態で伝えられ、人々に普及されることが装飾芸術の力と言えるのかもしれません。